■国語力は作文力に表れる
国語の実力は、作文の力に表れてきます。作文が書けない子は、文章もあまりよく読めません。
もちろん中には、本をよく読んでいるのに作文が苦手という子もいます。しかし、こういう子はコツがわかれば、すぐに作文を上手に書けるようになります。
一方、あまり本を読んでいないのによく書けるという子もいます。しかし、これは、課題がやさしいからよく書けるということであって、難しい課題になるとだんだんと書けなくなります。
大多数の子は、作文も書けるし文章もよく読めるか、作文もあまり書けないし文書もよく読めないかのどちらかです。
■読書力のエッセンスが音読の勉強
では、作文力と読解力をつけるためには、どうしたらいいのでしょうか。共通の勉強法は、読む力をつけるということです。あたりまえのように思われるかもしれませんが、ここがいちばん大事なところです。読む力をつけるためには、読書をすることが最も効果があります。本をたくさん読んでいる子は、ほぼ例外なく国語が得意です。
しかし、本をあまり読まない子は、どうしたらいいのでしょうか。
読書には、いくつもの効用があります。感情が豊かになること、知識が豊かになること、読むこと自体が楽しいこと、そして、読むことによって読む力がつくことです。
この読書の様々な効用の中で、読書によって読む力をつけるという部分を取り出したものが、音読の勉強法です。
読書があまり進まない子でも、音読の勉強をすることによって読む力がついていきます。
■音読で力のつく子とつかない子
音読によって国語力をつけるということは、言葉の森が長い間提唱してきたことです。
しかし、言葉の森でも、実際に音読をやって力のついた子と、なかなか力のつかない子がいました。それはなぜかというと、音読は、飽きやすい勉強だからです。読解力をつける勉強で大事なことは、同じ文章を反復して読むことです。ところが、音読の勉強は、反復の回数が少なくなりがちなのです。
次々に新しい文章を音読するような形では、読む力はつきません。対象となる文章を空で言えるぐらいに何度も繰り返し音読をすることによって読む力がつきます。
音読で力のついた子は、その文章を覚えるぐらいまで繰り返し読んだ子でした。
■音読の勉強を発展させた10分間暗唱
そこで、言葉の森では音読の勉強をさらに発展させて、10分間暗唱という勉強の仕方を行うようにしました。
暗唱の勉強というのは、今の親の世代の人たちはほとんどしていません。暗唱または暗記というと、自分は覚えるのが苦手だから難しそうだという発想する人が多いものです。
しかし、10分間暗唱は、覚えるための勉強でありません。ただ10分間100字の文章を反復して音読することによって、いつの間にかその文章を覚えてしまう、という勉強法です。
このやり方であれば、暗唱は例外なくだれでもできるようになります。また、10分間で100字の文章が暗唱できたということは、子供に大きな達成感を感じさせます。これが、達成感の感じにくい音読の勉強との大きな違いです。また、暗唱は、客観的にその達成度を評価することができます
■貝原益軒のすすめた暗唱法
暗唱の勉強の効果は、すでに貝原益軒によって次のように述べられています。
四書を、毎日百字づつ百へん熟誦して、そらによみ、そらにかくべし。字のおき所、助字のあり所、ありしにたがはず、おぼへよむべし。是ほどの事、老らくのとしといへど、つとめてなしやすし。況、少年の人をや。四書をそらんぜば、其ちからにて義理に通じ、もろもろの書をよむ事やすからん。又、文章のつづき、文字のおきやう、助字のあり処をも、よくおぼえてしれらば、文章をかくにも、又助となりなん。かくの如く、四書を習ひ覚えば、初学のつとめ、過半は既に成れりと云べし。論語は一万二千七百字、孟子は三万四千六百八十五字、大学は経伝を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字あり。四書すべて五万二千八百四字なり。一日に百字をよんでそらに記(おぼ)ゆれば、日かず五百廿八日におはる。十七月十八日なれば、一年半にはたらずして其功おはりぬ。早く思ひ立て、かくの如くすべし。これにまされる学問の善き法なし。其れつとめやすくして、其功は甚だ大なり。わがともがら、わかき時、此良法を知らずして、むなしく過し、今八そぢになりて、年のつもりに、やうやう学びやうの道すこし心に思ひしれる故、今更悔甚し。又、尚書の内、純粋なる数篇、詩経、周易の全文、礼記九万九千字の内、其精要なる文字をゑらんで三万字、左伝の最(も)要用なる文を数万言、是も亦日課を定めて百遍熟読せば、文学におゐて、恐らくは世に類なかるべし。是学問の良法なり。
■国語力があれば入試も有利
国語力のついている子は、国語のテストの前でも、直前の勉強が不要です。国語は一夜漬けのできない勉強なので、普段の実力があれば試験の前の勉強をわざわざする必要がないからです。
言葉の森の生徒で、次のような子供がいます。小学校高学年から高校までの国語のテストは、いつもクラスでほぼ最高点でした。大学入試でも、受験したいくつかの学部の国語のテストはいずれもほぼ満点でした。国語力に余裕があるので、国語の勉強をする必要がないのはもちろんですが、英語の勉強も受験の後半になるほどぐんぐん成績が上がっていきました。
国語力のある子は、文章を読んで理解する力があるので、新しい勉強を始めることが苦になりません。国語力は、社会に出てからも更に役立つ学力なのです。
■暗唱の勉強を支える電話指導と速聴ページ
ところで、暗唱の勉強を通信教育で行うということは、通常はできません。言葉の森の通信教育で暗唱の指導ができるのは、毎週講師からの電話指導があるからです。
また、言葉の森では、暗唱しにくいという子供たちのために、速聴のページを作り、速聴を10分間聴くだけでも暗唱に近い勉強ができるようにしています。このため、中学生高校生では、速聴のページをiPodなどにダウンロードして通学途中に聴くというような形の勉強もできます。
暗唱の力をつければ国語力読解力がつくのはもちろんですが、作文力もつき、勉強力そのものもまたついていくのです。
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公立中高一貫校の入試で、なぜ作文試験が行われているのでしょうか。その理由は、公立なので、受験勉強をあおるような入試はできないというところにあります。そこで、知識を問うような普通のテストのほかに、作文試験が課されているのです。
話は脱線しますが、現在の公立小中学校の勉強の範囲は、やさしすぎるところがあります。基本をしっかり身につけることは大切ですが、教科書の中にレベルの高い問題がないと、賢い子は物足りなさを感じるようになります。公立中高一貫校では、そのような教科書をもとに入試の選抜試験をしなければならないため、作文試験という形をとるところが増えているのです。
大学入試では、一足先に小論文試験を導入していました。これは、センター試験などマークシート方式の試験を補完する形で登場しました。
当初の小論文試験は、ありふれた課題ででした。極端にいうと、「私の家族」「私の友達」のような誰でもが思いつきそうな身近な題名課題で出されていました。しかし、それで入試の選抜ができたのは最初のうちだけです。すぐに受験生が対策を研究して、だれもが同じ水準で上手に書けるようになりました。そこで、身近な題名課題ではなく、文章を読んで感想を書く形の感想小論文のスタイルに次第に変わっていったのです。
その後、さらに小論文入試に力を入れるところでは、複数の文章を読ませて感想文を書かせるような、より深く考えさせる問題に進化していきました。私の考えでは、受験生に一日に複数の小論文を書かせるような形でないと、本当の小論文の実力はわからないのではないかと思います。
しかし、小論文の入試が工夫されればされるほど、採点者の負担が大きくなります。また、採点者による評価の個人差が大きいという問題もあります。そこで、現在の小論文入試では、教科の点数でかなりの部分の合否を決め、合格の人だけ小論文をみるという形になっているのではないかと思います。
中学入試の作文試験も、これから大学入試と同じような経過をたどると思います。作文を読むと、たしかに本人の知的な実力がよくわかります。それが難しい課題であればあるほどそういう傾向が強くなります。逆に、「私の○○」などというやさしい題名では実力差はあまりつきません。しかし、難しい課題で作文を書かせて採点するとなると、採点に時間がかかりすぎます。選抜のために採点に差をつけるというのは、さらに大変な仕事になります。
そこで、今後の予想です。公立中高一貫校の作文試験では当面、身近な課題がまだ少しは残ると思います。しかし、やがて文章読んで作文を書かせるような形が主流になっていきます。しばらくは、その文章も学校や家庭によくある身近な話でしょう。しかし、だんだんと思考力を要求するような難しい文章になっていきます。採点する側の事情から言うと、文章の上手さを評価するのは難しいので、思考力があるかないかを評価するような形の採点になっていくと思います。
では、受験生は今後どういう対策を立てたらいいのでしょうか。対策は、三つあります。
まず第一に、やさしい身近な課題をざっと練習しておくということです。題名としては「私の○○」「私と○○」というような課題です。これで、1時間以内に600字から800字書く練習していきます。作文試験の時間はだんだん短くなる傾向にありますから、慣れてきたら45分以内に600字から800字書く練習をしていくといいでしょう。身近な題名課題を何本か書いておくと、感想文の課題にもそこで書いた実例を応用することができます。
第二に、1000字から2000字ほどの説明文・意見文の文章を読み、その文章をもとに感想文を書く練習をします。これが今後の勉強の中心になります。これも1時間で600字から800字を書けるようにしておきます。慣れてきたら45分以内で書けるようにしておきましょう。(しかし、これは、小学生だからできるのであって、大人が45分で600字から800字の文章を書くというのは、まずできません)
第三に、複数の文章読んでの感想文を書く練習もしておきます。こういう形の作文試験を出すところはあまりないので、数回やっておけばいいでしょう。
作文の勉強でいちばん大事なのは、本人のそれまでの読書力と、これからの家庭の対応になります。家庭の対応というのは具体的にいうと、身近な課題や時事問題について、両親が子供に、両親の実例や感想をたっぷり話してあげるということです。
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高校生の現代文と小論文の勉強について説明します。
まず、現代文です。現代文の力は、土台の力とテストの力に分けられます。
土台の力をつけるためには、全国の大学の過去問1年間分の問題集を読んでおくことです。読んでいてどうしても内容がつかめない意味不明のところだけ、国語の先生などに聞いておきましょう
テストの力をつけるためには、三つのことが大事です。
第一は、問題文の全文を、一息で、味わいながら、ところどころに線を引きながら、読んでいくことです(複雑そうに聞こえるかもしれませんが、そうでもありません)。物語文などでは、特にこの味わって読むことが大切です。問題文の世界に没入して味わって読んでおくと、そのあとの選択問題を答えるときにも、改めて問題文を読む必要がなくなります。
第二に、選択問題の解き方です。選択肢のどこがなぜ違うのかということを記録に残しながら解いていきます。記録を残さないで解いた場合、うまく合っていても力がつきません。間違っていた場合でも、なぜ間違えたのかということが反省できなくなります。
第三に、志望校の過去問の性格を知ることです。性格というのは傾向とは少し違います。傾向は、どういう問題が出ることが多いかということです。この傾向を知ることによって、どの参考書や問題集をやるのかを決めていきます。性格とは、わかりやすい性格、ひねっている性格など、問題自体の性格のことです。志望校の過去問の性格を知っていると、選択に迷ったときに、役に立ちます。
次に、小論文です。小論文も土台の力とテストの力にわかれます。
まず、土台の力です。土台の力は三つあります。
第一は、時間内に書き上げることです。
第二は、字数ぎりぎりまで書くことです。
時間と字数の力をつけるためには、慣れと根性によるしかありません。1週間に1本、時間と字数を決めて書く練習していきましょう。そのために例えば、喫茶店などに入り、書き上げるまで出てこないというようなことを自分に課すのも有効です。
第三は、漢字の表記です。漢字の間違いは意外に多いものです。特に、高校生の場合は、小学校の中高学年でうっかり間違えたまま覚えている誤字がかなりあります。直し方は、身近な他人に見てもらうことです。例えば、家族や兄弟に見てもらうといいでしょう。自分で直す場合は、書いた文字すべてについて、自分で合っていると思ったものも含めて全部辞書を引き直すことです。誤字を完璧に直すには、1年ぐらいかかります。また、小論文が上手になるのもやはり1年ぐらいが目安です。
次に、テストの力です。テストの力は三つあります。
第一は、いい表現を蓄積しておくことです。これは、いい主題(意見や感想)につながります。
第二は、いい実例を蓄積しておくことです。この実例には、体験実例と社会実例があります。
第三は、わかりやすい構成で書くことです。わかりやすい構成で大切なことは、一つには見やすいレイアウトで書くということです。それぞれの段落がだいたい同じぐらいの長さで展開されていると、文章全体が見やすくなります。段落の平均的な長さは150字ぐらいですので、そのぐらいの長さを目安にしておくとよいでしょう。
もう一つは、構成を予測させる言葉を使ってわかりやすく書くということです。例えば、「○○は三つある。それは」というような書き方をすると、読む人は先の見通しがわかるので読みやすいという感じを受けます。
現代文の場合も、小論文の場合も、共通する力は難読力です。
高校生の小論文は、高校3年生になると、どの子も上手になります。これは普段の勉強の量が増えてくるからで、難しい文章を読むようになると、小論文も上手になるということです。
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子供たちの学力にとって最も大切な読書と対話と愛情について説明します。
第一は、読書です。読書は、毎日50ページ以上読んでいくことを目標とします。もちろん、小学校低学年では、もう少し少ないページ数になります。
生活の中で、何か機会があれば読書をするという形にしていきます。例えば日曜日、子供が暇になってすることがない、子供としてはゲームをしたい、というようなとき、読書を50ページしたらゲームを15分するというような提案を親が子供にします。読書好きになるのは、読む量が増えるからです。このように生活の隅々に読書組み入れていくと、子供は必ず読書好きになっていきます。
勉強は、よく学びよく遊べという形で進めていく必要があります。ゲームもさせない、インターネットもさせない、勉強だけだらだらさせる、というようなやり方では、学力はつきません。そして何よりも、そのような生活が楽しい生活であるとはいえません。子供が小学生の間に、親子で、よく学びよく遊べの習慣を家庭生活の中に作っていくことが大切です。
第二は、対話のある生活です。
言葉の森の長文音読を話題にしたり、作文の題名を話題にしたりして、親子の対話を進めていきます。
例えば、食事のときに、今度の作文は何の題名かを聞き、その題名に合わせて、例えばお父さんが、「お父さんが子供のころは、……」というような話をしていきます
この時にもちろん、母親の協力も大切です。母親が「なるほど」と関心を示したり、「私もそういうことがある」という似た話をしたりすれば話がはずみます。逆に、子供と両親が一つの話題で話をはずませるという勉強ができれば、子供の頭は必ずよくなっていきます。
第三は、愛情です。
叱られながら100点を取るような勉強させられた場合、半年後にその知識は50点ぐらいにまで下がっていると思います。逆に、笑いながら80点取るまでの勉強した子は、半年後もその80点の知識が生きています。幼稚園や小学校低学年のころの記憶がたくさんある子は、そのころに愛情のある楽しい生活をしていた子です。このような愛情のある生活も、親子で小学校低中学年の時期に習慣として作ってことが大切です。
次は、暗唱の話です。
暗唱のような勉強の習慣がつくのは、小学校低学年のころまでです。小学校3年生以降になると単純な勉強はなかなか定着させにくくなります。
しかし、これは子供のせいではなく、親の子育ての習慣が固定化していくためです。
例えば、暗唱などの短時間の毎日やる勉強は、朝ご飯の前にする方が続けやすくなります。食事の前は、頭の回転がいいからです。逆に、食後の作文は、なかなか進みません。
ところが、朝食前に暗唱の勉強するとか、食後は読書のような軽い勉強するとかいう習慣は、親がそのような子育てを低学年の間にしていなかった場合、途中から変えていくのがなかなか難しいのです。
読書は、くたびれていても、食後でも、いつでもできるものです。そして読書は、いつまでも続けやすくなるという特徴があります。ですから、勉強の前や勉強の途中に読書入れるというのは、いいやり方ではありません。勉強の最後に読書の時間をあて、その読書50ページ以上が終わればあとは自由に何でもしてよいとします。
よくだらだら勉強して長い時間をかける子がいます。この原因の一つは、早く終わると次の勉強させられるということがあります。親が、勉強を内容ではなく時間で決めているために、集中して勉強するメリットが子供には感じられないのです。勉強のさせ方というような親の習慣も、子供が小学校低中学年のころに作られます。ですから、小学校3年生以上になると、親自身が勉強のさせ方という習慣を直せなくなるために、暗唱の自習などが定着させにくくなるということです。
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国語力の大切さが見直されています。京都大学の工学部では、二次試験に国語を必須としました。ある大学の数学の教授の話で、「国語力のある生徒を採用したい」とを言っていたのを思い出します。また、企業に勤める社員の国語力テストを行ったところ、役職順に成績が並んだという調査がありました。
新聞のコラムの中に、いろいろな人が順番に書くというスタイルのものがあります。読んでいて面白くかつうまいと思わせるものに、なぜか科学者や経営者の文章が多いように思います。国語的な仕事に就いている人だけが、国語力があるのではありません。国語力のある人は、様々な専門の仕事の分野でその国語力を生かして活躍しているのだと思います。
数学力の低下などは、よく目立ちます。また、または目立つ分だけ、すぐに回復できます。そこで、多くの人は、目立つ数学や英語などの勉強を優先しがちです
これに対して、国語力の低下はなかなか気がつきません。気がついたときには既に重症になっているということが多いものです。同じ国語力でも、漢字の書き取りなどは目立つので、国語の勉強というと、つい漢字の書き取りなどを連想する人がいます。しかし、それは国語力とは少し違います。
では、国語力とは何でしょうか。
その前に、世間一般に言われている国語力についての誤解を挙げたいと思います。
まず第一に、古文や漢文は、国語力と似ている面と重なる面がありますが、国語力の本質とはあまり関係がありません。
第二に、漢字の書きや読みも同じです。どちらかと言えば、書きの力よりも、読みの力の方が国語力と結びついています。読む力は、読む経験の量と質に比例しているからです。それに対して書き取りは、勉強としてやらなければできません。従って勉強量と真面目さに比例しているのが書き取りで、国語力に比例しているのが読み取りです。
ですから例えば、読みがよくできるが書きはだめという子は、むしろ将来性のある子です。つまり磨かれざる玉だということです。
入試では、テストの成績によって合格者が決められます。私は、合格者の一部に関しては、読みと書きのギャップのある生徒を合格させてもいいのではないかと思います。漢字の読み取りがその学年で習わない漢字までよくできているが、書き取りがあまりができていないという生徒は、将来伸びる可能性があります。ただし、伸びるのは、本人がやる気になったときの話ですが。
第三に、語彙力も国語力とはあまり関係がありません。もちろん、準備なしの語彙力は読む経験に比例しているので、読む力に結びついています。しかし現在は、語彙力の参考書で準備することができるので、語彙力は多くの場合、単にクイズの知識のような勉強になっています。例えば、熟語やことわざをたくさん知っているから、国語力があるとは言えないということです。もちろん、知っていることはとてもよいことですが、それが国語の勉強の本質ではありません。
第四に、小説や物語本を読む力は、国語力と結びついていますが、日本の国語の勉強の中では、やや行き過ぎた形で過大評価されています。国語の問題に出てくる物語分の内容は、登場人物の「ああでもないこうでもない」という心情の動きを拡大しすぎています。これが志ある若者の国語嫌いの一つの原因になっていると思います。
確かに、悩みは人間を深める面があります。しかし、健康な発想は、悩んでいる暇があったら行動せよ、ということです。日本の文学は、行動せずに悩むことが多すぎるのです。
自分自身の経験で言っても、中学3年生のころに亀井勝一郎を読みました。これは、評論文ですが、日本文学の長所と短所をあわせ持った評論です。亀井勝一郎を読むことによって、若い時期に、行動するよりも迷うことの方が尊いというような感覚を持った経験があります。行動力のあることを軽薄だと見なすような面が、日本の文学にはあるのです。似たような例は、国語の教科書にもよく出てくると思います。
では、真の国語力とは何でしょうか。それは、思考力だと思います。言い方を変えれば物事を構造的に見る力です。哲学力と言ってもいいでしょう。ただし、哲学の知識の有無とは関係がありません。
哲学は、かつてギリシャで「知を愛すること」と言われていました。ヨーロッパでは今も哲学は、学問の母と言われています。同じように、日本において国語が、あらゆる学問の母になっているのだと思います。
言語による認識の構造化が国語力だとすると、国語力を高める方法は、次のようなことになると思います。くわしくはまたいつか述べますが、第一は、難しい文章を繰り返し読む難読の復読です。第二は、自分の好きな本をたくさん読む多読の速読です。第三は、関心のあるテーマについて家族や友人と行う知的な対話です。第四は、すぐれた内容の文章の音読と暗唱です。第五は、構成を意識した作文です。
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帰国子女の枠で入試を行う学校が増えています。学齢期に日本にいなかったために、受験勉強の流れに乗れなかった子供を救済することが目的なのだと思います。ですから、テストの成績よりも本当の学力を見るための試験になっています。そこで作文の試験や面接等が重視されるようになっているのです。
学校によっては、作文の試験は日本語でも外国でもどちらでも良いとしているところがあります。こういうことから考えると、日本語の作文でも、漢字の誤字があるというようなところは、大目に見られているのではないかと思います。むしろ大事なことは内容です。
帰国子女枠の中学入試の作文試験では、課題によって有利不利の差がつかないような工夫がされているようです。ですから、課題も、「日本と現地の違い」「現地で学んだこと」などを自分の経験を中心に書く課題が多くを占めています。従って、作文の勉強は、自分の経験を文章化させるという形で進めていく必要があります
方法としては、第一に、自分の経験をいくつも書いてその中からいいエピソードを絞り込んでいくということです。第二に、両親が自分の経験を補足して、子供の経験をふくらませてあげることです。第三に、やはり両親が子供の経験を、一般化した感想や意見の形に一度昇華してあげるということです
作文に書く材料となるいい体験実例は、大きく分けて四つあります。一つ目は個性のある体験です。二つ目は挑戦のある体験です。三つ目は感動のある体験です。四つ目は共感のある体験です。挑戦のある体験がいちばん書きやすいと思います。共感のある体験とは、うまく行かなかったことや失敗したことをむしろ誠実に書くときに生まれます。
高校入試の場合は、作文の課題は、もっと考える内容になってきます。日本と海外の文化の違いを自分の経験を実例として述べられるようにしておくといういいと思います。そのためには、比較文化論に関する本を何冊か読んで自分の経験をある程度普遍化しておくといいでしょう。
文章力の本質は思考力です。文章力は、日本語が得意か苦手かということとは少し違います。どの言語であっても、考える力があるかどうかは文章やを読めばわかります。
中学入試、高校入試、大学入試とも、過去問をもとに予想問題を10本ぐらい書いていると、どういう課題が出ても材料の上では一応対応できるようになります。いろいろなテーマで書いた10本の作文を自分が納得できるまで添削して何度も繰り返し読んでおくのが勉強の仕方の基本になります。
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帰国子女枠の試験は作文、という学校、とても多くなりましたね。
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中学生は、意見をさらに深める時期にあたります。中学生以上の課題は、意見文と意見中心の感想文です。
しかし、中学生の時期は、書くのが苦手になる時期でもあります。その理由は第一に、作文の勉強というものが学校で行われなくなるからです。ただし最近は、高校入試の推薦で作文の試験が課せられるところも増えています。
第二に、中学生のころは、作文のような内面に関わることは身近な人に読まれたくないという時期だからです。いわゆる反抗期ないし自立期という時期です。
第三に、いちばん大きい理由は、意見文を書くのにふさわしい語彙がまだ備わっていないということです。中学生の時期は、読む力があるほどには書く力がないという時期なので、文章を書いていて、自分の文章がうまくないと漠然と分かってしまうのです。
このため、中学生は大部分の生徒が小学校5、6年生のときよりも作文が下手になるというような印象を受けます。ただし、それはジャンルが違うからだという面もあります。例えば小学校5、6年生のときは、「私のあだな」という題名で実例を中心に作文を書いています。中学生になって、「あだなはよいか悪いか」という題名でその理由を書くという書き方をすると、文章力が育っていない時期はどうしても内容が味気ないものになってしまうのです。
しかし、中学生のころに上手に書ける子ももちろんいます。その子たちの共通点は、読書量があるということです。この読書は、必ずしも難しい本の読書とは限りません。自分の好きな本をたくさん読んでいる子は、作文力がついてきます。ですから、中学生の時期は、読書と長文暗唱の二つの勉強進めていくことが作文や国語の勉強として大切になります。
さらに、中学生のころは、全体に作文を書くことは苦手であるにもかかわらず、時に非常にすぐれた文章を書くこともあります。このころは、物の見方が誠実で鋭いので、ほかの時期では書けないようなすぐれた内容の文章を書くこともあるのです。中学生の時期に自分なりに考えた文章を書くことは、ものの感じ方や考え方を豊かにすることにつながっています。
意見文、小論文を書く力が安定してくるのが中学3年生のころです。このころはちょうど反抗期の終わりにあたります。親に依存している時期から抜け出て、だんだんと自分の自立に自信を持っていく時期です。孔子は「吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学に志す」と言いました。中学3年生15歳の時期は、自分というものの自覚が始まり、本格的な小論文を書けるようになる時期です。
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