子供の勉強の中身を見る方法は、子供に質問をすることです。
それも子供に答えさせるという質問ではなく、子供に教えてもらうという質問をするのです。
例えば、算数の問題で子供がやったページを見て、その中で一つの問題を取り上げ、
「この問題はどうやって解くの」
と聞くのです。
子供がその問題をすっかり理解できていれば、すぐに答えてくれます。
また、やっと理解できたばかりであっても、それなりに一生懸命答えてくれます。
そういう状態で勉強していれば、その勉強は中身のある勉強になっていきます。
もしうまく答えられない場合でも、それはそのままでいいのです。
子供は、勉強が終わると親から質問されることがあると分かっていれば、それなりに自分で理解できるように勉強します。
そして、できなかった問題で、自分で答えを見てもわからなかった問題は、素直に聞くようになります。
子供に何かを聞かれたとき、お母さんはその質問を歓迎するような姿勢で接してあげることが大切です。
よくお母さんやお父さんの中に、子供を馬鹿にするようなひとことを言ってしまう人がいます。
例えば、「こんなのも分からないの」というような言い方です。
こういう言い方をされると、子供は、わからないことがあってももう親には聞かなくなります。
また、子供は、くわしく教えてあげたことでも、翌日には忘れてしまうことがあります。
初めて理解したことは、定着するのに時間かかるのが当然なのですが、教えた側の大人はそういう事情も考えずに1度教えたのだから、2度目はできるはずだと思い込んでしまうことがあります。
教えるということは忍耐強く教えるということで、いつも明るく忍耐強く教えていれば親子の勉強はスムーズに進みます。
そういう家庭学習は、塾などで他人任せに勉強するよりも、ずっと能率のよい勉強の仕方になるのです。
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子供の勉強を見てあげる最もよい方法は、親が教えるのではなく、子供に教えてもらうのです。
こうすれば、親の負担は少なくなり、子供は主体的に勉強するようになります。
子供が一生懸命教えてくれようとしていたら、それはよく理解できていることです。
誰でも、教わるより、教える方が好きなのです。
高学年の勉強になると、子供が一生懸命教えてくれても、すぐには親の理解がついていけない場合があります。
しかし、それでもいいのです。
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算数は、できる問題をいくら解いても力はつかない。
国語は、できない問題をいくら解いても力はつかない。
できない問題をできるようにするのが実力をつける道で、
算数の場合は解法を理解すること、国語の場合は理詰めに考えること。
国語も算数も、できない問題ができるようになって初めて力がつきます。
逆に言えば、算数の場合は、できる問題をいくら磨いても力はつきません。
例えば、大学入試を目指す高校3年生が足し算引き算の練習を何時間やっても、それで績が上がることはありません。
これは、誰でもわかる例ですが、それに近いことをしている小学校高学年の生徒や中学生の生徒が意外に多いのです。
意外に多いどころか、ほとんどの生徒がそのような勉強をしています。
だから、勉強に時間がかかるのです。
国語の場合は、できない問題いくらやっても力がつきません。
算数の問題はできなければ何も書けませんが、国語の問題はできなくても書いたり選んだりすることができます。
すると、その書いたり選んだりしたことが勉強のようになってしまい、その結果、答えが合っていても間違っていても、「当たった、外れた」ということで終わってしまうことが多いのです。
間違った問題を、なぜ間違えたのか理詰めに考えることによって初めてできない問題ができるようになるのです。
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「問題を解く」というのは単なる作業です。
作業時間だけをいくら増やしても力はつきません。
算数数学は、解けなかった問題の解法を理解して初めて力がつき、
国語は、間違えた問題の理由を理解して初めて力が着くのです。
読解検定は、評価のための検定試験ではなく、満点を取ることを目指すことによって問題を理詰めに読み解く練習をするための試験です。
だから、点数が良いか悪いかということが問題ではなく、間違えたところをなぜ間違えたのか理解することが重要になるのです。
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自学自習のいちばんの難点は、周りにいるお母さんやお父さんが、子供の勉強の様子を見ると、つい気になってしまうことです。
勉強の中には、鉛筆を動かして作業するような時間と、ただ考えているだけの時間があります。
また、考えるのにくたびれると横になったり、立ち歩いたりすることもあります。
気分転換に、近くにある本を読んだり、おやつを食べたりというようなこともあるかもしれません。
その様子を見ている親が、いったん気になり出すと、つい子供に注意してしまうことがあるのです。
子供が大きければ、その注意など気にせずに自分のやりたいようにやっていくかもしれません。
しかし、子供が小さいときは、親から、「もっと集中してやりなさい」などと言われると、親に注意されないような勉強の仕方をするようになるのです。
それは、要するに鉛筆を動かし続けるような勉強の仕方です。
鉛筆を動かし続けるためには、簡単な問題を作業的にやり続けるのがいちばんです。
つまり、すっかりできる問題を何題も解くような勉強の仕方になってしまうのです。
また、子供が親の言うことを聞かないぐらい大きな年齢になると、親は、子供の集中していないように見える様子が気になり、家で勉強するのは無理だから、塾にでも行かせようかと思うようになります。
ところが、家でしている勉強の仕方と塾で行う勉強の仕方で、子供の性格が変わるわけでありません。
集中度は同じようなものですから、ただ親の目から見えないから気にならないというだけです。
むしろ、自分で選ぶ勉強ではなく、人から与えられる勉強ですから、身につくものはかえって少なくなるのです。
家庭で行う勉強は、このように周りで見ているお父さんお母さんが子供の勉強の様子が気になって注意するためにうまくいかなくなるということが多いのです。
それでは、家庭での子供の勉強は、どのように見たらいいのでしょうか。
それは勉強している外見からではなく、勉強の中身から見ていくことです。
(つづく)
わかりやすく教えてもらうより、自分で考えてわかることで応用力がつく(1)
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家庭学習は、家庭でできるからいちばん能率がいいはずですが、そうならないときもあります。
その原因の一つは、親が子供の勉強の様子が気になり、つい口を出してしまうことです。
それも、勉強の中身についてではなく、勉強の外見について口を出すので、うまくいかなくなることが多いのです。
家庭学習をうまく進めるコツは、勉強の中身を見ることと、子供を信頼することです。
忙しい親が勉強の中身を見るためには、親が教えるのではなく、子供に教えてもらうことです。
子供の勉強の仕方につい何か言いたくなるのと同じことが、読書についてもあります。
以前、「家ではちゃんとした本しか読めないから」という理由で、教室で一生懸命『かいけつゾロリ』を読んでいる子がいました(笑)。
いい本しか読めないという形にすると、読書量が減ってかえってマイナスになることの方が多いのです。
大事なのは、読む時間を確保することであって、読むものを制限することではないのです。
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言葉の森では、海外で受講されている方とのコミュケーションを円滑にするために、Facebookグループ「帰国子女の原」を利用していくことにしました。
https://www.facebook.com/groups/kikokusijo/
このFacebookグループの投稿をメールで受信できるようにするには、Facebookグループの「お知らせ」となっているリンク先で、「すべての投稿」にチェクを入れてください。(受信の設定は自由です)
また、Facebookに接続できない地域の方もいることを考え、Facebookグループの主な記事を転載する掲示板「帰国子女の原(HP)」も開設しました。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=36
この掲示板の投稿をメールで受信できるようにするには、「オープンメール登録」のページで、「帰国子女の原(HP)」にチェックを入れて送信してください。(こちらも受信の設定は自由です)
なお、ご自分のメールアドレスの登録は、「検索の坂」の「ペンネームの変更など」というリンク先で確認、編集することができます。
https://www.mori7.com/kennsaku/
今後、言葉の森からのお知らせは、以上のFacebookグループや掲示板を通して行うことがあります。
また、これらのページは、保護者の方の意見交換、質問、相談などにご自由に利用していただいて結構です。
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勉強が最もよく身につく方法は、自ら学ぶという方法です。
自ら学ぶことの反対が、わかりやすく教えてもらうという方法です。
いい先生にわかりやすく教えてもらい楽しく勉強できるというのは、理想的な教育のように思われています。
しかし、教わる勉強の中で身につくものは実はかえって少ないのです。
子供が学力を身につけるのは、わからない問題を自分で考えてわかるようになったときです。
この場合、「考える」というのは、何もないところから哲学のように考えることではなく、問題の答えを理解するという意味の考えることです。
わからないことを自分で考えて理解するという理解の仕方を身につけると、その理解は確実に自分のものとして定着し、しかも他の問題に対する応用力もそこで身についてきます。
ところが、先生やお母さんにわかりやすく教えてもらうと、自分で考えて理解するという過程がないので、その理解は表面的なものにとどまります。
だから、同じような問題でも、やや違ったところから出されると、また解けなくなるというような応用力のない理解になることが多いのです。
算数の勉強では、子供が自分で問題集を解き、答えを見て自己採点し、できなかったところはまた別の日にやる、というようなやり方が最も能率のよい勉強の仕方です。
答えを見て、どうしても理解できない場合にだけ人に聞くというやり方で勉強していけば、教える先生が登場するのはほんのわずかで、時には教える先生が全く教えることがないまま勉強が進む場合もあります。
大事なのは、いつでも質問できる人がいるということであって、教えてもらうということではないのです。
ところが、この勉強法には、一つの難点があるのです。それは明日。(つづく)
わかりやすく教えてもらうより、自分で考えてわかることで応用力がつく(2)
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わかりやすく教えてもらうというのは、よく効く薬で治してもらうということと少し似ています。
そのときはそれでいいのですが、自分の力がつかないのでまた同じようなことになります。
そのうちに、教えてもらわないと勉強できないような考え方になっていくのです。
人間にはもともと治る力があるように、勉強も、もともとわかる力があるのです。
自ら学ぶ勉強の難点は、周りにいる人が、
「そんなので、本当に勉強になっているの。もっとわかりやすく教えてもらった方が(能率がよくて)いいんじゃない」
と言ってしまうことです。
すると、子供は、能率よく勉強している外見を作るために、できる問題だけを解くようになるのです。
今日の記事を国語に関連させて補足説明。
「教えてもらうより自分で考える」というのは、主に算数の勉強の場合です。
「わからない」にも三つあります。
第一は、知識として知らない場合です。例えば、漢字の書き方や言葉の意味がわからないというときです。これはすぐに教えてあげればいいのです。
第二は、理解できない場合です。これが算数の問題などのわからないです。これは解法を見て自分で考えさせるのです。
第三は、考える方向がわからない場合です。例えば、低学年の子が作文に何をどう書くのかわからないというようなときです。これは教えてあげるといいのです。それは、教えることが、その子の考え方の見本になるからです。
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慶応大学経済学部 Y.Y.さん
(担当講師より)
Y.Y.さんが慶応大学経済学部PEARL入試(英語で経済学を学び4年間で学位取得ができる9月入学のプログラム)に合格されました。
インターナショナルスクールに通学されており、小学生の頃から言葉の森で学習されていました。大学入試期間まで作文の提出は皆勤で中3まで暗唱にも熱心に取り組んでおられました。
9月中旬から大学へ進学されましたが、高3の課題終了まで継続されるそうで現在も受講中です。おめでとうございます!
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自ら学び、
創造し、
実力をつけ、
社会に貢献する。教育の本質は、このあたりまえに見えること。
昨日の記事「創造的な教育文化が日本を発展させる」の続きです。
https://www.mori7.com/index.php?e=3893
■自主学習力
自主学習力とは、自分で学ぶ力です。
これまでの教育は、先生が、教科書を使って授業を通して知識や技能を教えてくれる教育でした。
それは、教材が限られていて先生が限られていて教室という場所が限られているという状態を前提にしたもので、決して教育の本質的な方法ではなく、社会の諸条件によってやむを得ず作られてきた方法だったと考えることが大切です。
人間が学ぶ最も効率のよい方法は、自分に合った教材を選び、自分の計画で勉強することです。
そこに、教材と自主学習だけではわからなかったことをすぐに質問できる体制があればよいのです。
現実の生活に必要な学習は、本人の興味や関心に基づいたものではなく、生活に必要な前提として学ばなければならないものなので、もともとそれほど面白いものではありません。
だから、それを共に学び合う仲間がいれば、意欲を持ち続けやすくなります。
これが今の自主学習クラスの目指しているものです。
優れた教材は、出版物という形でも、ネット情報という形でも、容易に手に入るようになっています。
生徒の質問に答えるのは、身近なお母さんやお父さんが第一ですが、家庭でカバーしにくい部分は先生が教えることができます。
また、オンラインで友達が一緒に勉強している姿を見れば、勉強における孤独感はなくなります。
大事なことは、勉強とは本来自分で行うもので、わかるところはそれ以上学ぶ必要がなく、わからないところをわかるようにするのが学習の本質だということを理解することです。
子供たちの多くは、人に見せるための勉強をしています。
勉強に対する考え方を、人に見せるためではなく自分で理解するための勉強と変えていくことが最も重要です。
その勉強の本質を理解して学ぶ人は、短時間できわめて高い学習効果をあげています。
この自主学習クラスを、最も能率のよい学習法として広げていきたいと思っています。
■創造発表力
創造発表クラスは、自分の興味や関心のあることを自由に研究し、そこに自分なりの創造性を加えて、他の人の前で発表し質問や感想を受けるという教育です。
人間は誰でも、自分の好きなものや興味関心のあるものを持っています。
これまでの社会では、そのような個性は、義務教育として必要な教育を学んだあとの余録のようなものとして考えられてきました。
しかし、これからの社会では、各人の個性を生かした自由な学習こそが教育の第一の目標となってきます。
その個性と創造の学習を補強するものとして、現在の主要5教科のような必要とされる教育があるという関係になってくるのです。
個性と創造の教育をひとりよがりのものにしないための条件が、他の人の前で発表し他の人からの質問や感想を受けることです。
個性や創造性というものは、年齢がある程度以上にならないとはっきりした形では出てきませんから、低学年のうちはまずその姿勢を持つことが大事になります。
人に言われたことをただ義務感としてやるような勉強スタイルではなく、自分の好きなことを自由に個性的に学び発表することが勉強の本来の形だと実感することが小学校低学年からの創造発表クラスの取り組みになります。
この個性的な勉強の分野は、主に理科の実験・観察、社会の研究・調査のようなものになります。
もちろんこのほかに、教科の分類には属さない創造的な研究発表もあります。
個性的を通して、創造力を伸ばすとともに、学ぶことの喜びを知るのが創造発表クラスの目的です。
■作文読解力
作文読解クラスは、作文を書くとともに、課題の長文をもとにした感想文を書くクラスです。
感想文を書くことに適した年齢は、物事を構造的に見る力がつき抽象的な語彙が使えるようになる小学5年生からです。
小学3、4年生は、その前段階として感想文を書く形を中心に学習するようにしています。
感想文を書く年齢にまだ達しない小学1、2年生は、長文の音読や暗唱を通して読む力の基礎を作っていきます。
小学校高学年から中学生、高校生の課題は、文章を読みその文章に対する感想文を書くことが中心になります。
その勉強によって、深く読み取る力と、主題に合わせて書く力がついてきます。
また、読む力には、素早く概略を読み取る力と、緻密に細部を読み取る力の両方が必要になるので、読解検定を通して厳密に文章を読む力つけていきます。
作文読解クラスは、形の上では書く勉強と読む勉強が中心になっていますが、その根底にあるのは考える勉強です。
この読み、書き、考える勉強というものが、自主学習による現実的な学力と、創造発表による創造的な学力を現実の社会に生かす力となります。
つまり、読み書き考える力があってはじめて自分が学習したことや自分が創造したことを現実の社会に適応することができるようになるのです。
■経験と実行
自主学習、創造発表、作文読解の学習を支える土台となるものが、学習そのものではなく多様な経験です。
例えば、理科では教科書に書いてある知識を覚えるだけでなく、その知識の前提となる実際の自然を経験しておくことが知識の理解を助ける土台となります。
この現実のさまざまな経験の中には、自然との触れ合い、他の人間との触れ合い、社会との触れ合いなとがあります。
この多様な経験をするということも、未来の教育の一つの重要な柱となってきます。
経験と学習で培われた実力を発揮することが実行です。
人間は、実行することによって初めて知識や経験の枠組みを超えることができるようになります。
実行は、教育の分野というよりも人間の生き方の分野とも言えるものですが、学習と経験を実行に発展させることが教育の最終的な目的だとも言えるのです。
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今は主要五教科というものが、文字どおり主要な教科になっていますが、
本当に主要なものは、創造と発表で、その創造と発表を支えるものとして主要な教科の勉強があります。
そして、主要五教科のように隅々まで完成された勉強は、優れた教材をもとに自学自習で学ぶのが最も効率のよい勉強の仕方なのです。
世の中が大きく変わる時代には、
教育というものを、単に目の前にある必要からだけでなく、
本質的に必要なものは何かというところから考える必要があります。
その遠回りの中で、できるだけ近道を見つけていくことが今の課題です。
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