大学入試の共通テストから、国語の記述式の問題がなくなることが確定しました。
これは、当然だと思います。
120字程度の記述で測定できる能力などまずないからです。
それでは、今後の国語の入試はどうなるかというと、私は次のように思っています。
第一は、文章を読む量を増やす方向です。
第二は、文章を書く量を増やす方向です。
そして、第三に、これは少し先になりますが、入試問題自体がなくなる方向です。
第三の話から先に言うと、今の入試の仕組みがあるのは、学校というリアルな教育の場が、教室の広さや座れるイスの数や先生の人数で物理的な制約があるからです。
しかし、その制約は、ネットワークの世界では既になくなっています。
唯一の制約は、気の合った友達の数は限られるという制約だけです。
だから、入試はなくなり、誰でも好きなところに入学ができるようになる代わりに、そこで自分の好きなことを研究し、その同じ分野で気の合った友達を見つけるということが、学習の中心になっていくのです。
そのときに必要な学力は、ひとつは高校卒業時までの全教科の学力をバランスよくつけておくことです。
それは、受験に必要だからではなく、自分の専門の研究のために必要になるからです。
そして、全教科のバランスのよい学力以上に大事なことは、自分の本当に好きな研究の分野を見つけることです。
これからの勉強は、この方向に進みますから、今の小学生以下の子供の教育は、その子の好きなことを伸ばすことを第一に考え、その一方で苦手分野を作らないことを第二に考えておくといいと思います。
さて、そのような先の未来の話ではなく、当面の入試がどうなるかということに戻ると、第一に文章を読む量が増えることです。
この文章は、ただ量が多くなるだけでなく、難しい語句や内容が盛り込まれている文章になりますから、速読の勉強などでは対応できません。
そういう難しい文章を読み慣れることが、これから重要になる勉強です。
その勉強に対応できるのは、たぶん自主学習クラスの問題集読書になると思います。
第二には、文章を書く量が増えることです。
言葉の森のこれまでの指導の経験から言うと、作文の字数と作文の実力は、かなり高い相関関係にあります。
もちろん、例外もあって、たくさん書けるのに内容が薄いという作文もあります。
また、深い内容とよく考えられた表現で、字数が短いという作文もあります。
そういう正反対の例外があることを前提とした上で、それでも、文章を書く字数と文章力の間には高い相関関係があるのです。
そして、もともと文章力のある子であれば、ある程度練習することによって早く長く書けるようになります。
したがって、長い文章を読ませ、長い作文小論文を書かせるという方向に、これからの国語の入試は進んでいくと思われます。
では、その文章の採点をどうするかというと、それはまた別の問題です。
作文小論文の自動採点ソフトを使うのが最も妥当な方法ですが、当面はまだそれは受け入れられないと思います。
とりあえず、字数を評価の一つの基準にして、作文小論文の内容を評価するという方向になっていくと思います。
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大学入試のための国語対策はどうしたらよいかというと、自分の興味のある分野の説明文の本を読むことです。それによって長文を読む力の基礎を作っておくことが第一です。
第二に、問題集読書でバランスのよい語彙力をつけ、第三に、読解検定で問題の解き方を身につけ、第四に、毎週の作文で1200字の作文を書く練習をしていくことです。
作文を書く時間がなかなか取れない生徒は、構想図を10分で書き、音声入力10分で1200字の作文を書き、森リンで採点することです。
子供の教育を考える場合、入試がなくなる時代が来ることをひとつの前提としておくことが大事です。
入試がなくなっても必要な学力とは何かと考えれば、ひとつは個性的な学力です。もうひとつは全教科のバランスのよい学力です。
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褒める指導の要点は、事前の項目指導です。
例えば、感想各指導の場合も、子供が作文の感想を書いたあとに、「感想がありきたりだ」とか、「物足りない」とか言っても、子供はどうしていいかわかりません。
「物足りない」という評価をするのではなく、事前に、「『人間にとって』という大きい言葉で考えてみよう」という指導していくのです。
そして、「人間」という言葉が入っていれば、それが内容的に物足りないものであっても、そういう表現をしたことを褒めるというのが事前指導です。
低学年の場合は、「感想がありきたりだ」というのではなく、事前に、「感想は2行以上になるよう長く書いていこう」と言うのです。
すると、子供は、「長く書く」という目標は努力によってできることなので、安心して書くことができます。
長く書けば、自然に感想に自分らしさが出てきます。
そして、長く書いたことだけを評価して、その内容については注意などはしないのです。
先日、保護者懇談会で、こういう質問がありました。
子供が、「それで」という言葉を何度も使って書くというのです。
この場合、子供が書いたあとに、「同じ言葉を何度も使っていたらおかしい」というのでは、子供はどう書いていいか迷うようになります。
というのは、「それで」という言葉が必要な場合もたまにあるからです。
この場合はどうしたらよいかというと、「作文用紙1枚に『それで』という言葉はひとつだけなら使っていいが、二つ以上あったらその二つ以上のところはあとで消しておく」と言うのです。
こういう客観的な説明であれば、子供は迷わずに書くことができます。
子供の作文を見る人は、自分の感覚で作文を批評するのではなく、子供が明らかにわかるような言葉で事前指導をしてその事前指導ができた場合に褒めるというやり方をしていけばいいのです。
このような作文指導を行っていると、書くことに迷いがなくなります。
すると、記述問題も楽に書くことができるようになるのです。
また、言葉の森では、記述問題の書き方のコツとして、「物事を対比して書く」という方法を教えています。
この方法がわかると、中学生や高校生の記述も書き方がかなりしっかりとしてくるのです。
この「対比して書く」という書き方は、作文指導の場合は、「反対意見に対する理解」や「自作名言」という項目にあたります。
記述問題というのは、作文の問題を短くしたものと考えていけばよいのです。
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子供が作文を書いたあとに直すのは、誰でもできます。
難しいのは、子供が作文を書く前に、どう書いたらいいか指導をすることです。
事前指導なしにただ書かせて、そのあとたっぷり注意をするから、子供は書くことが嫌いになるのです。
記述問題が書けないというのも、この作文が苦手の延長にあります。
作文を直して上手になるのは、最初のうちだけです。
直す指導では、それ以上は上手になりません。
しかし、それでも直す指導を続けていると、子供は作文が苦手になっていくのです。
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