■小学5、6年生の勉強の進め方
小学校5、6年生は、中学受験の勉強との兼ね合いが重要になってきます。
中学受験をしない子の場合(小中高一貫校に通っている場合、公立中学に進む場合など)は、また別の問題が出てきます。それは、小学校高学年になると、どの学校も作文指導が少なくなるということです。その理由は、高学年の作文指導を日常的に行うことが難しくなるからです。小学校高学年以上の作文指導は、現在の教育体制のもとでは教える先生の負担が大きすぎます。
しかし、子供はそのような事情を知りません。学校で作文の勉強をあまりしなくなるので、どうして自分が言葉の森で作文の勉強をするのかということに疑問を持つようになるのです。しかも、作文の学習はほとんどの高学年の子供にとって負担の大きい勉強です。小学校高学年で作文を書くことが好きだという子は、国語力がきわめて高いごく少数の子だけです。
課題が難しくなる、考える作文を書くための語彙がまだ育っていないので書くことが苦手になる、そして、学校で作文の勉強を生かす機会がなくなる、更に、同学年の友達の多くは塾でもっと勉強らしいことをしているのに自分が作文に時間を取られている、というさまざまな理由で、小学校高学年の子は作文の勉強を続けにくくなるのです。
ここで大事なのは、親の説得です。しかし、説得をするにも、子供がある程度作文を書くことに自信を持っていないと、子供を納得させることは難しくなります。そのためにも、小学校低学年から、音読、暗唱、読書、対話などの毎日の家庭学習によって、読書と作文が得意だというレベルまで持っていく必要があるのです。
子供が作文の勉強をやめたくなったときには、親が、これからの学力は、自分の力で読んだり書いたりすることで、それは大きくなればなるほどそうなってくるということを説明してあげることが必要になります。わかりやすい例として、
高校入試でも、大学入試でも、会社に入るときの試験でも、また、会社に入ったあとの仕事でも、説得力のある文章を楽に書く力があるとそれだけで大きな差がつくということを説明するとよいと思います。一度そういう説得を受けて、自分なりに納得して作文を書く勉強を続けると決めた子は、長期間その意欲を持続させていきます。
小学校高学年というのは、理屈がわかる時期ですから、理論と裏づけがはっきりしている話をすると意外によく理解できるのです。しかし、この説得で大事なことは、親の人生観も問われるということです。親が自分なりに確信を持っていることを自分の生き方に結び付けて話すことができれば、どの子もその話を傾聴します。しかし、親がわかりやすい損得や賞罰の利害的なことだけで子供を説得しようとすると、子供はその根の浅さにかえって反発します。親が子供に言うことを聞かせられないのは、親が子供から尊敬されていないからで、それは親が気迫のある生き方をしていないからです。小学校高学年の子供を説得するためには、大人を説得するのと同じぐらいの気合いが必要なのです。
さて、次は、中学受験で作文の試験が特にない子の場合です。国語で記述式の問題が多いというだけの子も同じです。作文の試験というのは、少なくとも400字以上のまとまりのある文章を書く試験です。50字、100字、150字程度の文章を書く試験は、作文の試験ではなく記述の試験です。
記述式の試験に対する勉強の対策は次のようになります。第一は、指定の字数の感覚に慣れることです。第二は、すばやく一挙に書くスピードを身につけることです。第三は、できるだけ論点を対比する形で書くということです。一般に、一文の平均的な長さは40~50字です。ですから、150字の記述という指定があった場合は、その記述は3~4文で構成されるという見当をつけます。そして、150字の枠があれば、その枠ぎりぎりいっぱいまで書くようにします。文章を書く際は、途中で考えたり、消しゴム使ったり、読み返したりせず、頭の中で文を組み立てたら一気に書くようにします。また、書く内容は、単に「Aだ」という書き方ではなく、「BではなくAだ」「確かにBもわかるが、しかしAだ」というように論点を対比させるとめりはりのあるまとめ方になります。記述式の問題は、長文を読んで親が問題を出しそれを子供が書くという形で、字数とスピードに慣れることを目標にして進めていきます。
入試の国語に記述式の問題がそれほどなく、主に選択式の問題だという場合は、選択式の問題を解くコツを勉強します。方法は、志望校の過去問の国語の問題を解いてみて、その結果の○×をすべて理詰めで親が説明してあげます。親が説明しきれない問題は、もともとできなくてもよい問題というふうに割り切ります。
選択式の問題は、勘で選ぶのではなく、すべて明確な理屈で選ぶことが大事です。そのために、問題文は、よく理解できたところを中心に傍線を引きながら読み、設問の選択肢についても、どこを基準にして○や×にしたかということがわかるように傍線を引いておきます。この、問題の解答結果を分析する勉強は、親も一緒に参加して1~2時間かかりますが、一回でもこのやり方の勉強をしておくと、そのあと国語の記述式のテストの成績はぐんと上がります。しかし、点数が上がるのは、その子のもともと持っている読む力までです。
読む力をつける勉強は、入試の問題集の問題文を繰り返し読むことです。問題を解くような勉強は読む勉強の何倍もの時間がかかるので、かえって国語力がつきません。問題文を解かずに読むという単純な勉強が最も力がつくのです。難関校の国語の問題の中には、かなり長い文章を読ませるものがあります。この場合に必要なのは速読力ですが、速読力は速読の勉強では身につきません。小学校中学年のころまでの多読の勉強が速読の基礎となります。また、物語文の読解力も、小学校中学年のころまでのやさしい物語の多読によって身につきます。小学校高学年になると、今さら多読をする時間的余裕はなくなりますから、せめて問題集の問題文を確実に読むということで国語力をつけていくとよいと思います。
以上に述べた国語の勉強法に、塾は必要ありません。むしろ、塾は、国語の問題を解かせることに時間をかけたり、また肝心の過去問を最後までやらせないでおくなど、
国語の勉強に関してはマイナスの面があります。国語の勉強に関しては、家庭での学習を優先させ、決して塾に任せるような勉強のスタイルにしないことが大事です。
入試に作文の試験がない場合、小学校6年生になると、言葉の森と塾の勉強が時間的に両立しなくなる時期が出てきます。塾の勉強スタイルにもよりますが、6年生の夏休みごろから、又は6年生の冬休みごろから時間的に言葉の森の作文の勉強が続けられなくなるということが出てきます。そのときは、遠慮なく言葉の森を休んで、中学入試が終わってからまた再開してください。もちろん、中学入試の受験日まで休まずに言葉の森の作文の勉強を続けて、最難関校に合格するという子もいます。これは、親が子供の勉強の様子を見ながら、柔軟に判断していくことになります。
ただし、受験勉強で大事なことは、親が受験の合格を最大の目的にしないということです。これは、中学入試に限らず、高校入試でも、大学入試でも言えることです。入試に合格することを最大の目的にしてしまう子は、入学後に学力が伸びません。学力が伸びる子は、勉強の目的をもっと大きなものにしている子です。自分が実力をつけて将来立派な社会人になり、社会に貢献する人間になることが本当の勉強の目的です。その目的のひとつの手段として受験の合格があるということです。
大きな視野で勉強の目的を決められる子は、小さな視野で受験の勝ち負けだけに関心を向ける子よりも、将来ずっと大きな仕事をすることができるようになるのです。
最後に、中学受験に作文の試験がある子の場合です。
志望校の中学に作文の試験がある場合、作文試験に対応するための受験コースは、試験日の5ヶ月前から始められます。この受験コースの内容は、志望校の過去問に合わせた課題の作文を書くというものです。書き方のパターンは、普段の作文の勉強でやっているものと同じですから、普段の作文がしっかり書けていれば、それが受験のための勉強にそのままつながっています。
受験コースの学習の場合は、普段の勉強以上に事前の準備が必要になってきます。事前の準備とは、自分なりにその長文を読んで似た話を考え、両親に取材しておくことです。両親への取材がなぜ大切かというと、受験コースの課題のような難しいテーマを両親と対話することによって、どのような課題にも応用できる身近な実例やものの考え方が身につくからです。
特に感想の豊かさは、大人との対話によって身につきます。感想が豊かでない子は、物事を、「おもしろかった」「つまらなかった」という単純なところでまとめてしまいがちです。大人との対話の多い子は、この感想をもっと工夫して書けるようになります。また、子供は、意見を述べる場合でも、一本調子でよいか悪いかを考えがちです。しかし、ある意見について親と対話をすると、世の中にはもっと微妙な例外があるのだということがわかってきます。言葉の森では、自分の意見と反対の立場にも理解を示して書くことを「反対意見への理解」と呼んでいますが、両親と対話をすると、この「反対意見への理解」がスムーズに書けるようになるのです。
普段の作文の勉強でも字数の目標がありますが、受験コースの場合は、これの時間の制限も加わります。指定の字数までできるだけ早く書き上げる力をつけていくことが勉強の中心になります。早く書くためには、途中で考えたり、消しゴムで消して書き直したり、書いたところを読み返したりしないことが大切です。これは、習慣によって身につくものですから、普段の作文の勉強でも、書く前に全体の流れを考えておくという習慣をつけていくことが大事です。
作文の実力というものは、なかなか変わりません。受験が間近になると、どの子も実力をどんどんつけていきますが、それでももとの力の差はなかなか埋まりません。もとの実力は、小学校中学年までの読書力によって支えられています。高学年になると、どうしても勉強や日々の行事に追われて読書の時間を確保できなくなりがちですが、読書は小学校生活の最優先課題と位置づけて取り組んでいきましょう。
受験コースで勉強すると、その練習中に書いた自分らしい実例、自分らしい表現、自分らしい意見などのストックがたまってきます。作文試験に対応するための最良の参考書は、この自分が書いた文章です。さまざまなテーマで最低10本の作文を書いておくと、その中に、受験の作文に使えるような材料がそろいます。受験のときは、その材料を武器にして、テーマに合わせて臨機応変に書くという形になります。
■作文教室と塾との両立を
現在の受験体制のもとでは、高学年になるにつれて、塾などに通わないと学習がしにくくなるという状況があります。しかし、学習の主体はあくまでも家庭学習にあります。家庭学習での主体性がないと、塾のスケジュールに流されたり、志望校の受験とは部分的な関係しかない偏差値に左右されたりしてしまいます。
小学生も高学年になると、塾に通う時間が増え、一時期、言葉の森との両立が困難になることがあります。しかし、両立が困難な時期は、大体数カ月で終わり、そのあとは、時間的に忙しくはなるものの、再び同じようなペースで学習を続けていけるものです。
作文の学習は、ちょうど高学年から「説明文」「意見文」の段階に入り、思考力を要求されるようになります。この段階の学習は学校などでもあまりなされず、本格的な国語力をつける点でとても重要なものです。
言葉の森では、曜日や時間の変更は、随時できるようになっています。また、通信指導による学習も、他の教室の通信指導と比べて、きわめて継続しやすいものになっています。高学年になり、塾の時間が増えて忙しくなった方も、曜日や時間の変更によってできるだけ両立させる工夫をしていってくださるようお願いします。ただし、塾によっては言葉の森との両立が時間的に困難になるところもあります。そのためにやむをえず退会される場合は、中学入学後のなるべく早い時期に再開されることをおすすめします。
■新小学5、6年生の作文の勉強
・作文の字数は500字から1200字です。
・題名だけの課題よりも、感想文の課題の方が多くなります。
・作文の課題は、事実を中心とした生活作文から、全体の構成を重視した説明文になります。例えば、「がんばったこと」というような題名であっても、小学校4年生までは、がんばった事実を書くことが中心になります。小学校5年生からは、がんばるということは人間にとってどういう意味があるかという主題を先に考え、その主題に合わせた実例を探すという書き方になります。しかし、この書き方が確実にできるようになるのは中学生以降です。小学校5、6年生では、説明文意見文の形に慣れるという学習をします。
・
感想文の課題となる長文は、中学入試の国語の説明文の難しい文章に相当します。ですから、子供が先生の説明やヒントなしに自力でその感想文を読みこなすことはまずできません。そのために、事前の予習と取材が必要になります。
毎週の授業を受ける際に、事前に長文を読んでおき、似た例を自分で探すとともに、家族に取材して補強しておくことが大切です。
・小学校5、6年生は、小学校3、4年生のころよりも作文を書くことが負担になります。それは、課題が難しくなることもありますが、それ以上に子供の中に考えて書こうとする力が育ってくるからです。この考えて書く力を育てるのは、考える読書と考える対話です。作文の勉強と並行して、読書と対話を進めていくことが更に必要になってくるのです。
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小学3、4年生までの作文は、生活作文です。
それは、まだ物事を抽象的に考える年齢になっていないからです。
ところが、小学5年生になると、誰でも抽象的な考え方ができるようになります。
だから、本当の勉強らしい勉強は、小学5年生から始まるのです。
小学3、4年生までの勉強は、お母さんを喜ばせるためにやっている勉強です。
(勉強が、それほど面白いわけではないので)
小学5、6年生になると、友達との競争に負けないように勉強をするようになります。
それは、ある意味で向上心の表れです。
その向上心を歪めずに、フェアプレー精神で伸ばすことが大人の役割になると思います。
(歪んだ向上心とは、例えば、できない子をばかにするようなことです。)
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■小学3、4年生の勉強の仕方
小学校3、4年生は、読書も作文もいちばんはかどる時期です。この時期の作文は、小学生のころのよさが最もはっきり出たものになります。小学生時代の記念の作文を書いているというつもりで取り組んでいきましょう。
しかし、たまにごくわずかですが、この3、4年生の最も楽しく作文を書ける時期に、書くことが負担になったり、塾との時間的な両立ができなかったりすることで、作文の勉強を休んでしまう子がいます。
小学校3、4年生で書くことが負担になる理由は二つあります。ひとつは、文章を読む力がまだ不十分で、作文に書く言葉を自由に使えないからです。ですから、この対策のためには、音読、暗唱、読書、対話によって、作文に使える日本語の量を自然に増やしていくことです。語彙を増やすというのは、毎日の家庭生活の中で気長にやっていくしかありません。
書くことが負担になるもうひとつの理由は、作文を書いたあと、注意されたり比較されたりすることがあるからです。読む力をつける勉強を気長に続けていくためにも、子供の作文はよいところを褒め続けていくことが大切です。注意したり叱ったりして上手になる子はひとりもいません。作文も読書も、いつも温かい目で見守りながら、その一方で読む力をつける自習を丹念に続けていくことです。
塾との時間の両立ができずに作文の勉強を休んでしまう子については、残念というほかありません。小学校3、4年生での塾での勉強は全く無意味です。子供に考える力がついてくるのは、小学校5年生からで、このころから学校の勉強のどの教科も考える要素が出てきます。
しかし、5年生以降の考える勉強は、小学校3、4年生の勉強の延長にあるのではありません。
小学校3、4年生の勉強がいくら進んでいても、それは小学校5、6年生での考える勉強の先取りをしたことにはなりません。考える勉強は、考える力が育っていなければできないのです。
例えば、小学校6年生の作文の課題で、「○○は人間にとって……である」と考える練習があります。この練習は、「一般化の主題」と言って、身近なことも一般化して考える練習です。例えば、「友達とは人間にとって」「家族とは人間にとって」「朝ご飯とは人間にとって」などと考える練習です。内容的に優れたものを書く必要はありません。しかし、この「人間にとって」という考え方ができるかどうかは、知的な能力よりも年齢的な能力です。小学校3、4年生の子がどれだけ優秀であっても、この6年生で勉強する「一般化の主題」を先取りすることはできません。また、形だけできるようにしても意味がないのです。
しかし、小学校5、6年生になって考える力をつける土台となる学習は、小学校3、4年生のときから進めていく必要があります。それが、小学校3、4年生になりに考える力です。その考える力とは、日本語を豊かに使える力です。
小学校3、4年生に勉強的なことをしすぎると、問題集を解くような勉強が中心になり、その結果、考える力をつけるために最も必要な読書や対話の時間が削られてしまいます。特に、夜間の習い事に行かせるような勉強は最も弊害があります。どのように有名な塾であっても、小学校3、4年生の勉強は、しなくてもよいようなことを時間をかけてやっているだけです。その外見だけの勉強のために夜遅くまで塾に行くと、その結果、家庭で本を読んだり親と対話をしたりする時間がなくなります。塾によっては、家に帰ってまでやる宿題を出すところがあります。その宿題も、やはり問題集を解くようなものであれば、本当の学力はますますつきません。
塾によっては、入試に合格した子が、小学校の低中学年から塾に通っていたということを宣伝する場合がありますが、それは低中学年から通っていたからではなく、低中学年から通っていたにもかかわらず、家庭での日本語生活が充実していたから高学年の勉強もやりとげることができたということなのです。塾のペースに合わせて、小学校の低中学年から塾的な勉強をしている子は、小学校高学年になるとかえって学力が頭打ちになります。
低中学年は、学力の根を育てる時期です。点数として目につきやすい枝や花の部分に力を入れてしまうと、かえって肝心の時期に大きな花を咲かせられなくなるのです。そして、根を育てる勉強とは、家庭での読書と対話を中心にした日本語を豊かに育てる生活習慣なのです。
小学校3、4年生は、親との対話が最も弾む時期です。この時期は、作文や感想文の課題も、子供の経験だけではものたりないので、親が似た例をいくつも話してあげることができます。親の話した内容は、必ずしもそのまま作文に生かされるわけではありません。せっかく親がいい話をしたのに、子供が作文の中ではその話をほんのわずかしか書いていないということはよくあります。しかし、親が話した内容は、子供にとっては感情を伴って吸収しているものですから、読書で得た知識よりもずっと深く子供の頭脳に定着しているのです。
この対話で重要なことは、親自身も対話を楽しむということです。子供の頭脳は、楽しい雰囲気でいるときに最も活性化します。楽しい対話でありながら、親は、その内容を少し難しい言葉を使って、少し複雑な文で、少し難しい内容を盛り込みながら話していきます。
子供の作文を見るときの対話も同じです。よく子供の作文を見て、すぐに欠点を注意したり直したりする人がいますが、それは禁物です。欠点は、読書や対話の中で自然に直るだけの力がついてくることによって直っていくのです。作文を直接直すことを続けていると、子供は次第に作文を見せなくなります。また、作文を書くときも、勉強のような感覚でしぶしぶ書くようになります。それらはすべて、親の接し方に問題があります。子供の作文を見るときも、基本は楽しく対話をする材料として見ていくということです。
作文を書く前にも対話をし、書いた作文が返ってきてからも対話をして、作文と、生活と、日本語力の向上とが、ひとつにつながるような勉強の仕方をしていくことが小学校中学年の勉強の理想です。そのためのポイントは、楽しく明るくということと、読書と対話を中心にということです。そして、対話に使う語彙をその子供にとって興味が持てる範囲で、少しずつ高度にしていくことなのです。
■言葉の森の作文では、どういう勉強をするか
・作文の字数は、300字から800字です。
・毎週作文に書く題名が決まっています。その題名に合わせて書くことを準備してくることが大切です。
・月に1回感想文の課題があります。この場合も、課題の長文に合わせて似た話を準備してくることが大切です。
・
最初のうちは、どの子も、自由な題名の方が書きやすいと言います。しかし、課題作文に慣れてくると、次第に課題に合わせて準備することが勉強の目標になり、課題作文も楽に書けるようになります。
・小学校3、4年生は、読書も作文もいちばんのびのびと進む時期です。楽しい作文をたっぷり書き、好きな本を心ゆくまで読むことを目標にしていきましょう。
・小学校3、4年生の時期は、子供の心の中にも、より上手に書きたいという気持ちが出てきます。しかし、
親が、ほかの子の上手な作文と比較して競争をあおるとかえって逆効果になります。親は自分の子供の作文のよいところだけを見て、その内容をそのまま認めてあげることが大切です。
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小学3、4年生は、読書も、作文も、そして遊びも最も楽しく進む時期です。
だから、この時期に、塾で受験勉強の先取り学習を始めるというのは早すぎます。
その結果、どうなるかというと、成績は上がるが、読書量が減り、生活に余裕がなくなり、将来の勉強嫌いの元が生まれるのです。
今、いい学校は出たらしいが、仕事ができないという人が増えています。
実力を育てることを後回しにして、受験対応の勉強だけをしてきた結果です。
受験するときは、受験勉強に特化した勉強に集中することは必要です。
しかし、それまでは生活の余裕の中で、実力を育て、さまざまな可能性を広げていく時期なのです。
小学生のうちに大事なことは、読書をすること、自由な遊びをすること、算数が苦手にならないようにすること、そして、家族でできるだけいろいろな話をすることです。
今の世の中は、競争と勝敗を軸にして回っています。
しかし、未来は競争と勝敗の代わりに、創造と貢献の時代になるのですから、子供たちもそれに合わせて成長させていく必要があります。
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■小学1、2年生の勉強の仕方
小学校低学年のころは、楽しく毎日同じことを続けるという習慣をつける時期です。
いろいろな教材・教具を利用して目新しいことを次々と行っても力はつきません。
例えば、通信教材のドリルをしたり、CDを聞かせたり、いろいろな習い事に行かせたりするのは、あまった時間に余禄としてやらせる分には問題ありませんが、中心はあくまでも毎日家庭で同じようにやっていく学習、例えば、音読、暗唱、読書、対話などです。
なぜかというと、教材を利用した学習やどこかに通って行う習い事は、その教材や習い事をやめれば、もう続かないからです。
子供の学力は、週に何回かの学習や、数ヶ月の継続でつくものではありません。何年も毎日同じことをやることによって本当の実力がついてきます。毎日同じことを続けるためには、特定の教材に頼らずに家庭で行える単純な学習を続けていくことが大切です。それが、音読、暗唱、読書、対話です。
単純な学習は、子供が飽きるので続けさせにくいと考える人もいると思います。しかし、ここで、子供が飽きないように目新しい教材を次から次へとこなすのでは力はつきません。低学年の毎日の学習は、勉強というよりもしつけと考えていくとよいと思います。朝起きたらあいさつをする、ご飯の前に顔を洗う、食事のあとに歯を磨くなどということと同じしつけとして、毎日同じように音読、暗唱、読書、対話をしていくのです。
そのためには、その学習をしたからといって特別な褒美を出す必要はありません。通信教材の中には、勉強すると褒美が出るような仕組みで子供の意欲を引き出す工夫をしているものがあります。しかし、褒美によって勉強するという発想では、しつけはできません。
毎日の学習を、生活のルールとして当然のこととして行っていくことによって、子供が自立して勉強する力が育っていくのです。
褒美を出してやらせないことと同じように大事なことは、あくまでも楽しく続けるということです。注意したり叱ったりしてやらせるというのは、褒美でやらせるのと同じく、子供の自主性を損ないます。しかし、どの子にも個性があり、どの親にも個性があるように、一律のやり方でだれにでもできる万能な方法というのはありません。すべて、お母さんやお父さんが毎日の試行錯誤の中で少しずつ、その子に合ったやり方を工夫していくことです。
ただし、低学年の目標は簡単です。ひとことで言えば、楽しく続けさせるというだけです。この目標をしっかり押さえて、
できるだけ叱ったり注意したりしないことと、安易に休んだり中止したりしないことを守っていけば、だんだんと家庭学習のコツがつかめてきます。
小学校1、2年生のころに家庭学習の習慣がつけば、それはそのまま小学校中高学年での勉強につなげていくことができます。小学校低学年のころに、親が家庭での毎日の学習習慣をうまくつけることができないと、中高学年になったときに塾などの外部の教育機関に頼るようになります。塾を利用することはよいのですが、塾がないと勉強ができないとか、塾でしか勉強できないというようになっては本末転倒です。家庭での学習が中心で、塾や予備校は補助的に利用するという形でやっていくのが理想的な勉強の姿です。なぜかというと、塾や予備校はどれほど優れた先生がいても、一人ひとりの子供の特性に合った指導はできないので、どうしても生徒集団全体に向けた一般的な勉強をさせるしかないからです。
この塾の勉強をそのまま真に受けると、無駄の多い不必要な勉強までもしなければならなくなり、勉強以外の時間がどんどん少なくなっていきます。そして、勉強の時間が長すぎる小学校生活を送った子の多くは、勉強に対するマイナス感情からなかなか抜け出せず、自分から進んで勉強するという姿勢になるのが遅れるのです。
さて、小学校1、2年生は、親の言うことを素直に聞く時期です。この時期に既に親の言うことを素直に聞けないというのは、親のそれまでの育て方に問題があります。しかし、これも、万人に共通な特効薬はありません。親が試行錯誤の中で、よりよい親子関係を作っていくように日々工夫していかなければなりません。
小学校低学年のころの子供が、親の言うことを素直に聞くということから、実は大きな問題が生じることがあります。それは、親が、子供にとっては苦しい勉強をさせすぎる場合があることです。子供は内心嫌だと思っていても、親にさからうことができません。それで、親の指示に応える形で苦痛の大きい勉強に耐えていることがあります。これが、子供の将来の勉強嫌いのもとになることも多いのです。
また、
苦しい気持ちで勉強したことは、そのときは勉強の成果として残っているように見えますが、その知識が失われることもまた早いのです。小学校低学年では、勉強をすれば、その分の成績は必ず上がります。だから、親はそのまま勉強させればどこまでも成績がよくなるように思いがちです。それが無理強いの勉強のもとになるのです。しかし、このようにして無理に身につけたことは、時間がたつと消えてしまうことが多くなります。
大人でも、自分の子供時代の記憶をたどると、先生や友達と仲よく楽しく生活していた時期のことはよく覚えていますが、先生や友達と相性が悪くて学校生活があまり面白くなかった時期のことはほとんど覚えていません。勉強でも同じです。苦しい思いをして勉強しても、その勉強は記憶から抜けてしまうことが早くなるのです。
また、もっと大事なことは、
勉強というのは、本人が本気で取り組み始めたときに、それまでの何十倍もの吸収力を発揮するものだということです。小学校低学年のころに自覚も意欲もなく身につけたことがどれほど多いように見えても、それらは、その後、子供が中学生や高校生になって自覚して勉強に取り組むようになったときに、簡単に逆転されてしまうのです。
だから、低学年の勉強で大事なことは、決して厳しく叱るような形でやらないということです。勉強というよりも、親子で対話を楽しむような感覚で取り組んでいくことが大切です。勉強が終わって、子供が、「ああ、面白かった」と思えるような勉強をすることが理想です。
小学校低学年の学力で最も大切なものは何かというと、日本語を豊かにすることに尽きます。低学年のときに、日本語を豊かにしておけば、そのほかの勉強はやる気になったときにいつでも伸ばすことができます。
しかし、日本語を豊かにする勉強は、国語のドリルのようなものではできません。日本語の力は、日本語を豊かに交わす生活の中で身につきます。ですから、小学校低学年の日本語の勉強は、音読、暗唱、読書、対話などになるのです。
この中で、対話の重要性は意外と見落とされがちです。言葉というものは、そのときの感情と結びついて吸収されます。例えば、何かのことわざを覚える場合でも、ことわざ集やことわざの問題集で覚えるのと、対話の中で覚えるのとどちらが感情豊かに受け止められるかと言えば、対話の中でそのことわざを聞いたときです。読書というものも、ストーリーの臨場感がある場合は、使われている言葉を感情豊かに吸収する方法になります。だから、国語の問題集をやっている子よりも、ただ本を読んでいる子の方が国語力は育つのです。
対話は、読書以上に子供の感情に働きかけます。特に、小学校低学年のころは、親と交わす楽しい会話が、読書の何倍もの効果を生み出します。
このときも対話の基本は、楽しい話を明るく話すということです。しかし、単に明るく楽しいだけでは効果がありません。
親が、意識的に、やや難しい内容を、やや難しい言葉を使って、やや複雑な文で話すということが大事です。その子にとって興味の持てる内容を、面白おかしく、やや難しく話すということは、その子と一緒に暮らしている親でなければなかなかできません。しかし、この対話の仕方に慣れてくると、特別の勉強などしなくても、いつでもどこでも、勉強以上に効果のある日本語の学習ができるようになるのです。
■言葉の森の作文では、どういう勉強をするか
・作文の字数は100字から400字です。
・自由な題名ですので、毎週あった出来事の中から作文に書くことを見つけて書きます。
・毎週楽しく作文を書く習慣をつけていきます。
・正しく書くことも目標のひとつですが、注意したことがすぐに直らなくても焦らずに気長に見ていきます。
・欠点を直すのではなく、まず書いたことを認めて、家族での楽しい話題として取り上げていくようにします。
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小学1、2年生は、学校の勉強も基本的な易しいことばかりなので、勉強に関する心配をしている人はほとんどいないと思います。
しかし、実は、ここで学力の大きな差がすでに生まれています。
英語や算数は、やればすぐに効果が出るので、そこに関心を向ける人が多いのですが、本当の差は、日本語の語彙力の中で生まれています。
しかし、日本語力の差は、話をしている分には表面には出てきません。
読み書きの中で、初めて出てくるのです。
小学1、2年生で作文を上手に書けるという子はまずいません。
だから、3年生ぐらいになって普通に文章が書けるようになってから作文の勉強を始めようかと思う人が多いのですが、それが実は逆です。
まだ字もしっかり書けない時期からでも、親子作文で作文の勉強を始めていくといいのです。
しかし、ここで注意することは、うまく書かせようとしないことです。
書くことと、書く準備をすることを楽しむように勉強をしていくのです。
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毎年この時期になると、「志望校に合格しました」という知らせとともに、「合格しませんでした」という知らせも受けます。
そのときに、いつも思うのが、「合格しなくたって大丈夫」ということです。
勉強をよくしていて、考える力も十分にあり、読書も好きで、性格もよく、絶対に合格してほしい生徒が合格しなかったという報告を受けると、「その学校は人を見る目がなかったんだなあ」と思います。
合格しなかったのは、受験した生徒の問題ではなく、受けた学校の問題です。
だから、合格しなかった人は、それを乗りこえて、「合格しなくてよかった」と思うような人生をこれから歩むことになるのです。
私も昔、出版社と新聞社を受けて、ペーパー試験はもちろん楽勝でしたが(ホントか)、面接で軽く落とされました。
それまで、大きい試験で不合格になるというようなことはなく初めての経験だったので、心からがっかりしましたが、すぐに、「あんなところに受からなくてよかったと言えるような人生にしよう」と考えを切り換えました。
だから、不合格の人も、考えを切り換えることです。
たぶんもう切り換えていると思いますが。
しばらくすると、不合格ということが、自分の人生の一つのエピソードになります。
生きていれば、山もあり谷もあり、時には山頂に立つことも、谷底に落ちることもあります。
しかし、振り返ると、それらがどれも自分の人生のそれぞれの色どりになって、その人の個性を形成していくのです。
不合格になった人は、その不合格が自分の勲章になるような生き方をこれからしていってください。
失敗は、あとから振り返ると、すべて自分の勲章になるのです。
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受験には、合格も不合格もありますが、不合格の人は、その学校が人を見る目がなかっただけです。
そして、そのかわり、自分の人生が更に個性豊かになったと思うことです。
何年かのちには、あそこで合格しなくってよかったと思う日が来ます。
そういう人生をこれから歩んでいけばいいのです。
すべて挑戦に価値があります。
成功や失敗は、今後の教訓になるという意味しかありません。
どちらも、未来の大きな足がかりで、どちらかと言えば、失敗の方がより大きな足がかりになるのです。
2024年度受験生です。私は偏差値59で都立国際高校を目指しています。ちなみに、推薦を頂けましたがやはり倍率の高い推薦だけでは心細く毎日不安に襲われています。一般の方では常にⅭ判定です。そんな中この記事を読んで、合格することが全てじゃないことに気づけました。本当にありがとうございます。残り一か月間、死ぬ気で頑張ります。
英語辞書さん、その心意気が大事です。
本気で取り組む人の未来は開けています。
人生は、山あり谷ありですが、結局すべて山につながっています。
谷に落ちたときも、ちょっとしゃがんで次にジャンプする準備をしていると思うことです。
だから、結局すべていい方向に進むのです。
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Y.K君、鎌倉学園中学校、横浜国大附属横浜中学校に合格。
<担当講師より>
小6になってから始めた作文の勉強が、生来の真面目さでみるみる上達しました。
作文の勉強がよくできているときは、他の教科の勉強も必ずよくできています。
実力が一貫して向上していたので、試験はかなり高得点で合格したのではないかと思います。
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お世話になりました。
文章を書くことが苦手で、小6の5月より先生にお世話になり、毎回先生に褒めていただくことが嬉しくて頑張っていました。
お陰様で、書く楽しさを覚えたようで、試験にも自信を持って臨むことが出来たようです。
私も先生からたくさんのことを学ばせていただき、本当にありがとうございました。
これからも頑張ります。
今後も引き続きよろしくお願いいたします。
コメント、ありがとうございました。
Kくんは、とても上達しました。やはり読書をよくしていることが背景にあったのだと思います。
それから、もちろんお母さんの似た話の取材が効果があったと思います。
お母さんと話をすることで、考えが深まっていることがよくわかりました。
高校入試は先の話ですが、記述力があるとかなり有利になると思いますから、引き続き考えて書く練習、がんばっていってください。
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兵庫県立芦屋国際中等教育学校 R.Y.さん
<担当講師より>
合格おめでとうございます。受験コースの毎週の課題を滞ることなくこなし、冬休みを利用して一度書いた作文の書き直し(補足)にもしっかりと取り組んでくれました。作文の書き直しは地道な作業で大変だったと思いますが、そのころからどんどん力が伸びていきました。楽しい中高生活を送ってください。おめでとう!!
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学習院大学文学部英語英米文化学科(指定校推薦) S.D.さん
小3から高2まで言葉の森の生徒でした。
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