言葉の森が行っているオンライン教育は、名前はオンライン教育という言葉でよく使われているものと同じですが、内容は全く異なります。
それは第一に、少人数クラスで、子供たちの自主性、主体性を生かした、子供どうしのコミュニケーションのあるオンライン教育だという点です。
第二は、少人数で、生徒に対する一人ひとりの個別指導があるという点です。
第三は、学習の内容が、実力をつける勉強であるとともに、子供たちの創造性を育てる新しい勉強になっているという点です。
これらの違いは、実際に行われている他の通信教育やオンライン教育と比較してみると分かりやすいと思います。
現在の通信教育のほとんどは、教材が一方的に送られてくるだけで、家庭でその教材をこなす形になっています。
これは、家庭学習を自分の意思でできる子供たちにとっては能率のよい方法ですが、自分で計画を立てて強の重点を決めコツコツと家庭学習をやり続けることのできる子はほとんどいません。
高校生で大学入試を意識して勉強に取り組んでいる生徒か、又は、保護者が毎回子供の勉強をコントロールしている家庭でなければ、教材だけの通信教育は形だけの学習になってしまいます。
ところが、こういう形だけの通信教育が、かなり多く利用されています。
その理由は、小学校低中学年の子供たちにとって、作業的な勉強、つまり問題集を解くような形の勉強は、比較的やりやすいからです。
しかし、このやりやすい勉強というのは、本当に必要な、理解が難しいことは十分に学習できないものです。
そのかわり、ほとんど必要のない、すでにできていることを作業的に何度も繰り返すような能率の悪い学習になっていることが多いのです。
保護者は、子供が机に向かって勉強している姿を見ると、その姿だけで満足してしまいがちですが、そこで行われている勉強のほとんどは、すでに分かっていること、又はすぐにわかることで特にしなくてもいいようなことを机に向かって作業的に行っているだけに過ぎないのです。
もちろん、こういう勉強方法で、小学校低学年のころの学校の成績はある程度維持することができます。
それはしかし、単純な計算や漢字の書き取りに慣れているというだけのことであって、本質的に学力がついているということではありません。
小学校低中学年のころに勉強のよくできた生徒が、学年に上がるにつれてだんだんできない問題が出てきて、受験期にはいくら時間をかけても伸び悩むようになるということがよくあります。
それは、小学校低中学年のころに行なっていた勉強が、時間をかけてはいたものの作業的な勉強であって、本当の意味で子供の実力を育てるものになっていなかったからです。
小学校低中学年のころの勉強は、高学年になれば低学年のときに費やした時間の数分の1で簡単に身につけることができます。
だから、通信教育で提供される、子供がひとりで組みやすい教材というのは、子供たちの学力を育てることに関してはかえってマイナスになっているとさえ言えるのです。
勉強することがなぜマイナスになるかと言うと、あまり意味のない勉強に必要以上の時間を費やすことで、最も大事な読書をしたり親子で対話をしたり自分の好きな遊びに熱中したりという時間が少なくなってしまうからです。
特に、今の子供たちの生活環境は、インターネット動画や携帯ゲーム機などでいくらでも楽しく時間を潰すことができるようになっています。
義務的な勉強のあとの時間を、それらのネットやゲームに費やしていれば、読書や対話の時間は少なくなって当然です。
昔の子供たちは、勉強が終わって特にすることがないときは、本でも読むというような生活をすることができました。
今の子供たちは、することがなければ、ネットを見るとかゲームをするとかいう非創造的なことをする時間がいくらでもあります。
通信教育で毎日一定の時間を勉強しているから安心だというような生活では、将来の子供たちの学力は決して保証されません。
もちろん、そういう作業的な通信教育であっても、毎日の勉強の習慣がつくという利点はあります。
しかし、それは家庭で毎日、問題集の何ページかをやることを習慣にしていれば、通信教育に頼らなくても十分にできることなのです。
さて、通信教育のほとんどは、赤ペンの添削というものがあります。
しかし、この赤ペンの添削を読んで、自分の勉強内容を改善するような子はまずいません。
赤ペンの添削でわかるような簡単なことは、添削がなくても普段の勉強の中で自然に分かることです。
また、普段の勉強だけではわからないような理解の難しいことは、赤ペンによる添削ぐらいではわかりません。
しかも、その赤ペン添削をしている先生は、子供との継続的な繋がりがあるわけではないので、その子がどういう経過で今勉強しているかが把握できません。
ただ、その子のその時点での問題の答えに○×をつけて添削をしているだけにすぎません。
だから、詳しい赤ペン添削というものは、ほとんど意味のないものです。
赤ペン添削は、子供にとっては、先生からのお手紙が返ってきたという程度の意味しかないものなのです。
このような通信教育でも、保護者との双方向的なコミュニケーションとして、「いつでも電話で相談ができる」ということうたっているものもあります。
ところが、保護者が子供の勉強についてわざわざ電話で相談するためには、保護者が子供の勉強をそれなりに把握していなければなりません。
そして、小学校低中学年の子供の勉強をそれなりに把握している保護者であれば、わざわざ質問や相談のための電話をしてくる人はほとんどいません。
そして、子供の勉強を把握していない人は、そもそも電話で質問をしたり相談をしたりするようなことがありません。
だから、電話による質問や相談の受付というのは、有名無実なサービスなのです。
毎回の勉強で、先生の側から話があるとか、話をする機会が自然にあるとかいうような教室でなければ、本当の双方向的なコミュニケーションは成り立ちません。
通信教育のほとんどは、このように、子供にとってはやりやすいが、力のつかない教材を送ってくるだけのものになっています。
通信教育の中には、タブレットなど使って子供の勉強を把握し、その子の正誤に合わせた問題を再度表示するような仕組みになっているものもあります。
これは、今後の学習方法の中心になりますが、この場合でもタブレットの応答に乗りやすいようなものば、普通に紙ベースで勉強すれば分かるものがほとんどです。
子供にとって本当に必要な、理解の難しいものは、AIによる機械的な対応だけでは不十分なのです。
通信教育や一般のオンライン教育は、確かに優れた教材や面白い教材が豊富に用意されています。
しかし、その最も大きな弱点は、学習をしようとする子供たちの意欲に働きかけることがない点です。
小学生や中学生の子供たちは、勉強そのものが面白いから勉強しているのではありません。
先生や親に言われたからとか、あるいは子供たちどうしで競争したり協力をしたりすることが楽しいからとかいう理由で、勉強をしています。
だから、本当の実力のつく勉強というものは、友達どうしの遊び的な感覚や交流があって行う勉強なのです。
例えば、読書の場合でも、おすすめの本のリストがどれだけ用意されていても、それを自分から進んで読もうとするような子はほとんどいません。
その反対に、友達が読んですすめてくれたような本は、それがたとえ自分の読み慣れたジャンルでない本であっても、自然に読もうとするようになります。
つまり、人間は他の人間とのコミュニケーションの中で、学習にしても、遊びにしても、努力をしようという意欲が生まれるものです。
内容的によいかどうかは、その友達との人間関係によって伝わってくるものなのです。
(つづく)