初めは物珍しさもあって頑張って続けていた自習も、だんだん飽きてくることがあります。そしていつの間にかうやむやになってしまうというようなこともあります。
これから数回にわたって、勉強の習慣をつけるにはどうするか、そして習慣が中断したときにどう立て直すか、ということについて書いていきます。
勉強を始めるのは簡単です。3日間ぐらい続けるのも簡単です。しかし、いろいろな事情で途中で中断することが生じます。勉強を続けるというのは、その中断をいかに早めに回復するかということです。
では、勉強の習慣が中断してしまったときはどうしたらいいでしょうか。
また新しい習慣に戻すには、予告をしてやり直すということが大切です。例えば、「明日からまたはじめよう」または、「○時になってからはじめよう」というような言い方をします。
さらに、これまで中断してしまった理由を子供に話します。「これまではこういう理由でできなかったけど、明日からまた始めよう」というような言い方です。始める意義を話してあげればさらに確実です。
よくない方法は、漠然とやめたり漠然と始めたりすることです。
例えば、忙しくてつい毎日の実習ができなくなってしまったときに、うやむやのうちにやらなくなるというのはよくないやめ方です。忙しいときでも、「今日は忙しいからやめよう」とひとこと言ってやめればそれはうやむやにやめたことにはなりません
また、開始するときも、突然言うのはよくない言い方です。例えば、「暇そうにしているなら勉強でもしなさい」というような言い方では子供の心にはかえって抵抗が生まれます。「明日になったらまた始めよう」「あと15分ぐらいしたら始めよう」いうような言い方をすれば、スムーズに始めることができます。
物事は認識の仕方によって大きく変わります。「夜明け前が、最も暗い」という名言があります。同じ暗さでも、その暗さを明るさの前の暗さと考えることができるというのが人間の認識の特徴です。
仕事でくたびれるということがありますが、意味がある仕事を展望を持ってやっているときには、人間はくたびれません。意味の感じられない仕事を展望を持てずにやっているときにくたびれるのです。そういうときは、「よし、この退屈な仕事を今日は○分以内にできるだけ早くやろう」などと目標を決めるとそれだけで疲労しなくなります。
認識の仕方で取り組みやすさが異なるとは、そういうことです。勉強の習慣をつけるときも、中断から回復するときも、認識の仕方をうまく利用することです。
(つづく)
マインドマップ風構成図
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(急いで書いたのでうまくありません)
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低学年の2.4週読解問題は、選択の範囲が増え、かなり難しくなりました。
点数が悪くても、気にしないでください。
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子供ががんばってやりすぎたときにどうするかというと、第一は、褒めるということです。がんばったことは、評価してあげなければなりません。
しかし第二に、その最初の頑張りを常態化させようとしないことです。
第三に、その子にとって無理のない水準をいつも示しておくということです。
例えば、作文の字数でいうと、小学校5年生の字数の目標は500字から1000字です。
いつも1000字まで書けない子には、作文試験のときに無理やりにでも1000字まで書かせるというようなことも確かに必要です。瞬間的にでもいったんできた状態を経験すると自信がつくからです。
しかし、いつも1000字が当然というような目標立てると、時には苦しい場面も出てきます。ですから、「課題が難しいときは、500字まで書ければいい。でも、できれば1000字まで書こう」というような指示の仕方をしていきます。
暗唱も同じです。1週間で300字まで暗唱できればいいのですが、子供が最初のうちにがんばって400字まで覚えたとします。それを褒めることは必要ですが、そこまで行くことをこれからの目標にしてしまうと、結局、できるかできないかということになり、困難なときに、かえってやれなくなってしまいます。
ですから、たくさん暗唱したことは褒めるのですが、それと並行して、「300字までできればいい」という無理のない水準をいつも示しておくことが必要です。
さらに、子供でも、時には忙しい期間があります。そういうときには、300字までできるかできないかというような選択の仕方ではなくて、100字まででもできればいいというような無理のない水準を示してあげることが必要です。
これらは、子供が臨機応変にできることではないので、保護者や先生が、その子の実態を見ながらアドバイスをしていかなければなりません。
大事なことは、がんばらせることではなく、細々とでも長く続けていくことなのです。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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体験学習の1回目の作文を書くとき、ほとんどの子はとても長い字数を書きます。このときにその字数の長さを褒めるのはいいのですが、それをその子の実力だと思わないことが大切です。
その子が最初に書いた長い字数をその子の実力だと考えると、次の週にも同じ字数を要求してしまいがちです。要求しないまでも、少なくとも字数が少ないとがっかりする気配を先生や保護者が示してしまうことがあります。
これが、やりすぎを喜んでしまうことの弊害です。つまり、喜んだあとの反動に問題あるのです。
暗唱の自習も同じです。1日10分間100字の暗唱という目標でいいのに、子供は最初のうちはもっとがんばります。
子供ががんばって長く覚えた暗唱を、保護者や先生が、その子の実力だとみなすと、それがやがてその子にとって負担になってきます。
そして、字数が減ると、「前はあんなにできたのに」というようなこと言ってしまいがちです。
経済のバブルも同じです。過熱した相場には必ず反動があります。しかも、その反動はときに過剰な反動になります。極端に上昇して、それ以上に下降するというような成長の仕方では、かえって全体でマイナスになってしまうこともあります。長続きする道を選ぶのが、長い人生の送り方です。
そこで、コントロールというものが必要になります。これは、経済政策と同じです。大事なことは単なる成長よりも安定成長を優先させることです。
大人は自分の長い人生経験経験の中から、次第にそのコツをつかんでいきます。調子に乗ったときは少し抑えようとか、元気のない時は少し景気をつけようというような対応ができます。しかし、子供はまだそのコツがわかりません。
そこで、物事の最初の取り組みで、子供がついやりすぎたときにどうするかということが大事になってきます。例えば、新しい問題集などを買ってくると、子供は1日目にたくさんのページをやろうとします。そのときに、親がまたは先生がどう対応するかということです。
(つづく)
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言葉の森の長文は、科学的な内容のものが多いので、読むだけでも面白いものですが、ここに更に対話によって、お父さんやお母さんが話を発展させていきます。
例えば、ほかに似たような例は世の中にあるのだろうかとか、こういう仕組みが何に使えるだろうか、というような話です。
ここで創造性が必要になってきます。単なる知識を伝達するだけでなく、創造性を発揮できるという点で、対話は親自身も楽しめる機会になります。
大事なことは、子供に答えさせるというのではなく、親がたっぷり話をしてあげるということです。即興で創造する対話というのが大事なので、単に大人が知っている知識を子供に伝えておしまいというようなやり方ではありません。
また、子供は面白いことが好きなので、対話の中ではできるだけ面白い話をするように心がけます。茶の間にホワイトボードを置いておき、学校のようにホワイトボードで説明をしながら対話をしていくというのも子供は喜びます。
対話の結果、何か調べたいことが出てきたら、日曜日に実験をする計画を立てます。
このように、日常生活の中で知的な対話をふくらませていくと、知識だけでなく、子供の日本語力=思考力が育っていきます。
いったん知的な対話のある家庭ができれば、将来、子供が大きくなったときに、自分も親としてそういう家庭を築いていくでしょう。対話のある家庭では、テレビは主役にはなりません。テレビの話題をもとに、みんながわいわい話し合うのが茶の間の過ごし方の中心になります。テレビではなく家族一人ひとりが主役になるのが、本来の家族の過ごし方なのです。
しかし、親が子に話をするといっても、やはり何かの手助けがある方がやりやすいものです。
その一つは、生き物です。できれば、人間とコミュニケーションをとれる生き物の方がいいので、植物よりも動物です。犬や猫が難しいのであれば、手乗りの文鳥などでもいいと思います。家族の対話に文鳥も参加して、あっちの頭にとまったり、こっちの肩にとまったりして話題を盛り上げます。そして、その生き物自体が、またいろいろな研究のテーマを提供してくれます。
もう一つは、大人向けに書かれた理科や社会の本です。ナツメ社で出ている「図解雑学」シリーズは、雑学という名前がついていますが中身は大人でも十分に楽しめる本格的なものです。こういう本で科学的な土台を作って、子供に話をするのです。ただし、知識を伝えるだけの話ではなく、そこに自分の体験などを結びつけて独自なものを付け加えていきます。
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今日は対話の大切さということについてお話します。
国語力というのは、もともとは日本語力です。日本語を駆使する力は、生活の中で育ちます。これに対して勉強中で育つ国語力は、漢字の書き取りや熟語やことわざを覚えるような知識的な日本語力です。
日常生活の中で、日本語に接する機会はいくつかに分けられます。一つは、対話です。もう一つはテレビです。三つめは読書です。そして、もう一つ毎日の暗唱というのも、これからは生活の中での日本語の機会に含まれるようになると思います。
家族との対話は、手軽で効果が極めて高い日本語の学習機会です。これは幼児期から中学生高校生になるまで活用できます。なぜかというと、話をしながら相手の反応に合わせて手加減ができるからです。
学力のある子に共通している生活習慣は、親子の対話が豊富だということです。親が知的で面白い話をすることによって子供の思考力や知的好奇心が育っていきます。逆に、親が断片的なこと、例えば「○○しなさい」というようなことしか言わなかったり、あまり話をしなかったりすると、子供の考える力は育ちません。
では、親子の対話を充実させるためにはどうしたらいいのでしょうか。
対話のきっかけになるものは、親子共通の話題にできるものです。それには、親子で読む本、親子で見るテレビ、親子で取り組むイベントなどがあります。
我が家では、長文を親子の共通の話題にしていました。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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今日は、テスト力について説明します。
まず、テストと関係ないようですが、絵をかくときの技術について話します。上手に手をかく人は、細部までしっかり見てかきます。
例えば、人の顔を書くときに、顔とはこういうものだろうという先入観でかくのではなく、実際に細かいところを見ながらかいていきます。
小さい子供が立体図形をかくときに、見えない裏側をかいてしまうことがあります。同じように、大人でも見てかくのではなくて、こう見えるだろうという先入観でかいてしまうことが多いのです。
この絵をかくときと、テストで答えを書くときの人間の心理に共通性があります。
中学生高校生のテスト問題の取り組み方を見ていると、絵をかくときと同じように、厳密に細部まで見る子と、そうでない子との差があることがわかります。
この厳密に細部まで見る力がテスト力です。したがって、テスト力は実力そのものではなく、実力を100%発揮するための力です。しかし、このテスト力があるかないかで、テストの成績は大きく上下します。
生徒の多くは、だいたいこっちの方があっていそうだということで答えを書きます。8割ぐらいの確信で答えを書いてしまうのです。すると、その答えが合っていたら、「ああ、よかった」でおしまいになり、その後の蓄積に結びつきません。
大事なのは、絵をかくときと同じように、細部まで厳密に見て判断するということです。そして、その判断の過程を記録に残しておくことです。記録に残さないと、何日かあとにテストが返ってきたときに、自分がなぜその答えを書いたのかを忘れているので、やはり蓄積にならないからです。また厳密性を高めるためには、理詰めで判断できないものは空欄にして、×にしてもらうというようなことも必要です。
テスト力をつけるためには、ある程度マンツーマンのチェックが必要です。つまり、その子供がどこで厳密性を放棄しているかを見る必要があるからです。ですから、テスト力をつける勉強は、家庭で親がやっていくのがいちばんです。
そのためにもちろん、親の姿勢も大事になります。一つはテストの点数だけで一喜一憂せずに、必ずその内容を見ていくということです。もう一つは、100%理詰めに説明するように心がけることです。そして、大人が理詰めに説明できない問題はできなくてもよい問題だと割り切るぐらいの厳密性が必要になります。
数学や理科や社会の問題は、もともとそれらの分野にあいまいさが少ないので、実力とテスト力の間の差は大きくありません。しかし、国語の問題と、国語力が必要とされる大学入試の英語の問題は、テスト力と実力の差が大きく出てきます。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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本日は、大記憶力というものについて述べたいと思います。
記憶力については、右脳による記憶左脳による記憶など、脳の構造に関連させた理論があります。しかし、本当のところは、脳の構造と記憶にどういう関係があるのかまだわかっていません。
記憶力に関しては、私はもっと単純に考えています。
記憶力の基本になる短期記憶は、七つぐらいの事柄であればすぐに覚えられるという記憶です。これを、わかりやすくいうと、記憶を入れるためのコップが七つあるということです。つまり人間はそのぐらいの数ならランダムな事柄でもその場ですぐに覚えられるということです。
この七つのコップそれぞれに仕切り板を入れて一つのコップを細分化し、あたかもコップの数が増えたかのように操作する技術、これが記憶術です。
大記憶力というのは、コップの数は変えずに、仕切り板による細分化もせずに、コップ自体の大きさを大きくして、コップではなくバケツで運ぶというような記憶力です。
通常の生活では、人間はすべての人に生まれつき等しく備わっている七つの短期記憶で生活しています。
限られた数のコップを真面目にコツコツ勤勉に使うのが勉強です。ですからよく勉強ができる人は、よく努力した人とみなされています。
では、コップをバケツにするとはどういうことでしょうか。
人間の体にはもともと外界からの必要に応じて適応するという力があります。私は記憶力も、この適応力ではないかと思います。
例えば、夏の暑いところで運動をしていると最初は汗をたくさんかきます。しかし、運動を続けていると、だんだん汗をかかない体になってきます。
アフリカなどの熱帯地方で暮らしている人たちは、暑い時でも流れるような汗をかくのではなく、皮膚の表面にうっすらと汗をかくのだそうです。これは、効率から言えばいちばんいい汗のかき方です。
汗をかく目的は、水分を蒸発させることによって体を冷やすことにあります。流れるような汗のほとんどは無駄な汗で、むしろすぐに蒸発するぐらいのわずかな汗が皮膚の表面を覆っているのが能率のいい汗のかき方です。
長文暗唱で、意味のある人まとまりの文章を覚える場合、通常一度ですぐに覚えられる文字数は、30文字程度です。
これが100文字ぐらいの文章になると、10回から15回反復しないと覚えられなくなります。逆に言えば、反復すればだれでも覚えられます。
この100字ぐらいの文章を何十回も反復していると、100字の文章をひとまとまりのものだとみなす力がついてきます。これが、例えば貝原益軒が「100字の文章を100回暗唱する」と述べた勉強法の背景にある理論です。
シュリーマンも塙保己一も本多静六も同じように、通常の量よりも多い分量の記憶を反復することによって、ひとまとまりの記憶の要領を広げていったのです。
中村天風は、道ですれ違った人の服装の細部まであとで思いを起こすことができたそうです。これを、左脳ではなく右脳で見ていたからだと言う人もいます。しかし、ここで右脳や左脳という言葉を使って説明をすると、記憶の仕組みがかえってわかりにくくなってしまいます。中村天風の記憶力も、適応力の一つの表れで、通常の人が個々別々に見ている複数のものごとをひとまとまりの大きい単位で見ていたということではないかと思います。
速聴や速度も、同じです。大量のものを通常の量とみなすぐらいに記憶の容量が増えていくという適応力が、これらの能力の背景にあります。
記憶力というものは三つに分けて考えることができます。
第一は、単語帳で単語を一つずつ覚えるような努力型の記憶です。これは、時間をかけてがんばるしかありません。
第二は、単語をイメージ化したり、ストーリー化したり、場所に結びつけたりして覚える技術型の記憶です。これが記憶術です。
そして第三は、単語帳の単語を一つずつ覚えるのではなく、単語帳を1ページずつ覚えるというような拡大型の記憶です。これが大記憶力です。
現在学校で行われている勉強の基本的な能力は記憶力にあります。大記憶力を身につければ、すべての教科が得意分野になるということも夢ではありません。
そして、だれもがこのような大記憶力を持つようになったとき、選抜のためのテストはもはや無意味なものになるでしょう。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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