●動画:
https://youtu.be/C8f4xkV4K7o
今年のオンライン夏期講習では、国語総合の講座のほかに、記述の講座を作りました。
国語総合の講座は、主に読解力をつける学習をしていきます。
読解の勉強の仕方は、問題集読書の問題文を読んで内容を理解することです。
毎回、先生がその問題文の内容に沿った質問をします。
国語の勉強というと、問題集の問題を解くような形の勉強をする人が多いと思います。
しかし、それでは力はつきません。
力がつかないばかりか、時間だけがかかってしまうのです。
読解の勉強の本質は、読むことです。
読んで内容を理解することができれば、あとは設問を解く解き方のコツを身につけるだけです。
ところが国語問題集の問題を解いていると、勉強をしているような気はしますが、結局は、「当たった」「外れた」の世界になり、なぜそうなのかということを考えることをしなくなります。
国語総合の講座では、この読解の学習を中心にやっていきます。
勉強の基本は、先生の解説ではなく、生徒の自学自習です。
自学自習の中身を先生が確認し、アドバイスをします。
ところで、国語読解の練習だけでは、最近多くなってきた記述の学習には対応できません。
そこで、今回の夏期講習では、記述の練習を入れることにしました。
教材は、ややむずかしい国語の問題の長文です。
基本の勉強は、2つあります。
第一は、問題と解答を読んで、記述の答えの書き方を理解することです。
記述のための基礎学力をつけるには、模範解答を読むことが第一です。
世間でよく行われている勉強法は、基礎学力がないまま記述問題をさせて、評価をすることです。
これで、いい評価をもらっても、悪い評価をもらっても、どこをどう改善すればいいのかがわかりません。
記述問題の練習をする際のもうひとつのポイントは、対比を考えて書くことです。
しかし、これは、夏期講習では難しく感じる子も多いと思うので、今回の夏期講習では行いません。
記述の勉強の第二は、長文を読んで要約をすることです。
言葉の森の要約の仕方は、大事なところを3か所選びそれを150字にまとめる方法です。
要約を難しく考える生徒が多く、小学6年生で約半数の子が、要約ができないと言われていますが、この三文抜き書きの方法であれば、誰でも要約ができるようになります。
記述の練習も、読解の練習と同じように、量をこなすことが大事です。
何度も練習を繰り返す中で、自然に要約が上手になっていきます。
上手になったかどうかは、使う消しゴムの量によってある程度わかります。
要約の練習に慣れてきた子は、ほとんど消しゴムを使いません。
ところで、要約の勉強の苦手な子が多いのは、練習量が少ないまま、いろいろ注文をつけられるからです。
これは作文でも同じです。
欠点を直して上手になる子はいません。
いるとしても、それはその欠点が直った分だけ、普通の文を書けるようになったのにすぎません。
欠点を直す指導法では、それ以上のことはできません。
しかし、そういう指導法で作文指導を行う先生や親がとても多いのです。
これが、小学生の作文嫌いのいちばんの原因になっています。
作文を上達させるためには、まず読む力をつけること、そして次は書く練習を続けることです。
どう書いたらいいかは、言葉の森の項目指導を参考にしてください。
なお、オンライン夏期講習の国語と記述の講座は下記のクラス一覧表を参考にしてください。
▼
国語・記述
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記述の練習で、方法論を示したものを見たことがありません。
どこでも、ただ書かせて添削するだけです。
だから、採点についてもはっきりした基準があるわけではありません。
かなり主観的に評価されているのです。
それは、一昔前の(今でもかなりそうですが)作文指導と似ています。
作文を書くための方法論がなく、したがって評価もすべて主観的に行われていたのです。
記述の方法は、対立する状態を想定して書くということです。
これで書くための輪郭がかなりはっきりします。
そして、あとは書きなれることなのです。
作文がよく書ける子は、記述も苦になりません。
考えたことを指定の字数にまとめるというのは、いつもやっていることなので、特に難しいことではないのです。
ところで、今回のオンライン夏期講習の記述講座では、「対比して書く」というところまではやりません。
第一は、記述の解答の仕方に慣れるということをします。
第二は、指定の字数にすばやく要約する練習をします。
対象は、小学5、6年生です。
記述力の本質は、思考力と文章表現力です。
記述力のない子は、わかっていることでも上手に書けず、△になります。
記述力のある子は、わかっていないことでも上手に書いて、◎になります。
だから、本当は記述力の試験はやる必要がないのです。
やるべきなのは、長時間の口頭試問か、1200字程度の長い字数の作文です。
しかし、口頭試問も作文も、実際にはやるのが難しいので、お茶を濁すために記述の問題を出しているのです。
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初参加説明会に、保護者の方だけが参加される場合、お子様には、下記のリンクで操作の仕方を説明してあげてください。
▼
生徒のZOOM操作の仕方
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●動画:
https://youtu.be/FKBhLKzfbOA
算数・数学の勉強というと、計算問題を思い浮かべる人が多いと思いますが、計算問題は手順さえわかれば誰でもできるようになるので、差がつくような問題にはなりません。
小学校低中学年の場合は、文章題として計算問題が出るとできなくなる子もいますが、それもある程度のパターンが分かれば(その前に文章を読み解く力が必要ですが)、これも、誰でもできるようになります。
しかし、図形の問題はそうではありません。
補助線を引くことがコツになると言っても、どこにどう補助線を引けばいいのか、パターンがあるわけではないので、わからないときはいくら考えてもわからないのです。
だから、図形の問題は、パズルに似ています。
答えがわかれば、「ああ、そうか」とすぐにわかるのですが、答えがわからないときはいくら考えてもわかりません。
こういう図形の問題の演習で時間をかけるのは、時間の無駄です。
すぐに答えを見て解き方を理解するというのが最速の勉強法です。
しかし、図形の問題は、いくら解いてもできるようにならないという気がすると思います。
だから、図形の問題は、受験の算数数学の要になるのです。
中学受験でも高校受験でも、図形の問題が解けるかどうかで合否が決まります。
計算問題や文章問題は、おまけのようなもので、誰でもそれなりにできるので差がつかないからです。
では、図形の問題を解く力をつけるのはどうしたらよいのでしょうか。
図形の問題は、パターンを覚えるわけにはいかないと書きましたが、実は何問も解いていると、パターンの片鱗のようなものがわかってくるのです。
すると、初めて見る図形の問題でも、「もしかしたら、こういう発想で解けるのではないか」という見通しが立ちます。
それで、少しずつ図形の問題ができるようになってくるのです。
この図形の演習を、今年のオンライン夏期講習で行います。
対象は、小学5、6年生と中学1・2・3年生です。
算数数学はある程度できるが、図形の問題はまだあまり取り組んでいないという人は、問題集のサンプルを見て、ぜひ図形の講座に参加してみてください。
言葉の森のオンラインクラスの勉強の仕方は、自学自習が基本です。
先生が、長々と解説の授業をするのではありません。
生徒が解法を見てもわからないときだけ、先生に相談するという形です。
これが、最も能率のよい勉強法です。
学校や塾の勉強の多くは、先生の解説を聞くことが中心で、演習は宿題として家庭でやるようになっています。
これは、二重の意味で時間の無駄です。
授業中は、先生の話を聞くよりも、自分で問題を解くことが大事で、演習は宿題のような一律のものをやるのではなく、自分にとって苦手なところだけを何度も繰り返すのです。
易しい宿題の問題を何時間解いても、何も力はつきません。
算数数学の勉強は、できないところだけを繰り返すことが基本で、できる問題をいくら解いてもそれは単なる勉強的な作業にすぎません。
教えてもらう勉強ではなく、自ら主体的に取り組む勉強が大事なのです。
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受験というのは、差をつけるための勉強です。
将来、そういうものはなくなると私は思っていますが、当面はまだ、差をつけるための勉強に付き合っていかなければなりません。
そして、最も差をつけやすいのが算数数学で、その中でも特に差をつけやすいのが図形の問題です。
では、図形の問題を解く力をつけるためにはどうしたらいいのかというのがこの話のテーマです。
算数数学の先生には、性格の悪い人が多いと思います(笑)。
子供たちに、簡単そうに見えるが、ちょっと解けない難しい問題を出して喜んでいる人が多いのです。
子供たちは真面目だから、その問題を解くために何時間も考えるということがあります。
そして、そういう問題を出す先生は「偉いなあ」と思うのです。
しかし、これは全く時間の無駄です。
子供たちが時間をかけて考えるべきなのは、もっと哲学的な問題であって、算数数学的な問題ではありません。
子供たちの中に、算数数学が苦手な子がいる要因のひとつは、先生の問題だと思います。
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連絡記事です。
7月17日の土曜日の8:30初参加説明会が5名で【満員】表示になっていました。
説明会には定員はありませんので、説明会の満員表示は取り消しました。
参加をご希望の方は、お申し込みください。
なお、オンライン夏期講習は説明が複雑ですので、参加の仕方がわかりにくい場合は、言葉の森事務局に直接お電話でお申し込みください。
初参加説明会で話す内容は、ZOOMの操作の仕方、受講の際の重要なポイントなどです。
ZOOMの操作の仕方(カメラ・マイクの操作、ブレークアウトルームへの移動の仕方)は、お子様も知っておいた方がよいので、できればお子様もご一緒にご参加ください。
お子様が参加されない場合は、あとで画像による説明を載せておきますので、それをごらんください。
話は変わって、
言葉の森のホームページの生徒関係リンクを五十音順にしました。
これは、今後、リンク先の差し替えなどがあった場合、これまでの番号固定表示では無理が出てくると思われたからです。
しかし、リンク先が多く、並び順が変わると探しにくくなるので、主なリンク先である「作文の丘」「山のたより」「講師ZOOM」などは赤文字で表示するようにしました。
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原田さんのYouTubeライブを、ライブではなく、あとで約1時間かけて見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=FPlAdxqHvoY
(興味のない人には退屈な番組だと思います。)
私は、この原田さんの話に全面的に共感しました。
そして、このように難しいプロジェクトをひとりで立ち上げようとする志に、こころから応援を送りたいと思いました。
それは、私自身が考えているビジョンと共通するところがあると思ったからです。
私が教育に関して考えている目的は、明日の日本を支える子供たちを育てることです。
単に、その子の成績を上げるというようなことではありません。
子供の成績を上げるとか、受験に勝つとかいうようなことは、自分が勝って相手が負けることを目指していることですから、その子にとっては大事ですが、日本全体にとっては大事でも何でもありません。
昔、自分が大学入試に合格したことを、高校の担任の先生に報告しにいったとき、私は、「でも、自分が受かったことで、落ちた人もいると思うと、あまり喜べなくて」という言葉を思わず言ってしまいました。
すると、担任の先生に、もちろん叱られました(笑)。
でも、それは本当に正直な気持ちだったのです。
世の中には、自分だけが得をするような企画がいろいろあります。
例えば、お年玉付き年がはがきです。
私は、たとえそこで何か賞品をもらったとしても、それは、どこかほかのところから自分のところに何かがい移動しただけで、社会全体としてはプラスでもマイナスでもないと思います。
だから、年賀状の当選番号などは、まず見ません。
そして、ほかの人もたぶんそうだろうと思って、番号を調べるわずらしさがないように、お年玉付きでないはがきをわざわざ送っていたら、周囲の人からそんなことはないと言われました。
だから、今は普通にお年玉付き年賀はがきにしています(笑)。
そういう私が教育に関して目指しているものは、創造力と思考力と共感力のある子供たちを育てることです。
受験に対応するための成績をよくするコツはいろいろありますから、そういうことももちろん教えます。
しかし、本当に大事なことは、他人に勝つことではなく、自分の力と個性を伸ばすことです。
そして、そういう本質的な教育を行うために、最適の枠組みだと思ったのが、オンラインの少人数5人クラスの教育です。
5人、または4人~6人のクラスというのは、子供たちが自由に発表し、自主学習をし、個別アドバイスも受けることのできる最もふさわしい規模のクラスです。
このクラスを教室の運営の仕組みとして維持するのはかなり難しいことですが、マンツーマンのクラスでも、10人20人のクラスでもなく、またもちろん不特定多数のビデオ授業でもないということが大事です。
子供たちが対話のできる、この5人程度のクラスでの教育が、未来の教育の中心になると私は思っています。
しかし、もちろん、今はまだそういうことがわかっている人はあまりいません。
けれども、誰かがはじめなければ、新しいものごとはひとりでには生まれません。
私が原田さんの問題意識と共通していると思ったのは、このオンライン5人クラスの教育を、単に子供たちの教育だけではなく、講師になる大人たちの創造的な講師の仕事の場として生かしていきたいというところです。
子供たちに創造性が求められるように、大人にも創造性が求められています。
その大人の創造性を子供たちの教育の中に生かすということを、私は考えています。
今はまだ、大人たちの講師の仕事の場である森林プロジェクトは、やや休業状態ですが(笑)、オンラインクラスの子供たちを教えるシステムが完成したら、本格的に、大人と子供の「教育を通した回転」の流れを作っていきたいと思っています。
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日本をよりよくしようと考えている人が増えている気がします。
それぞれにビジョンを持って行動を始めているところが、これまでの観念の世界の話とは違います。
そういう時代精神の流れがあるのでしょう。
原田武夫さんのプロジェクトを見て、問題意識の共通性を感じました。
言葉の森は、教育の側からのアプローチです。
日本の教育を変えるのがひとつの目標です。
集団の一律の一斉指導はやめてほしい。
無意味は宿題は出さないでほしい。
どうでもいい知識の詰め込みテストはやめてほしい。
決まりきった答えではなく、創意工夫のある答えを評価してほしい。
競争を動機とした勉強はさせないでほしい。
高校生になると自我が確立してくるので、競争はあってもいい刺激程度になるのですが、小中学生はまだ未完成なので、競争の勝ち負けはそのまま勘違いの自己評価になってしまうことが多いのです。
それから、先生は教えすぎないでほしい。
どうしてもわからないときだけヒントをくれる先生でいいのです。
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●動画
https://youtu.be/u6zov6SWL5w
子育て中のお父さんやお母さんと話をしていて、ときどき感じるズレは、親の多くが今と今後の数年の成績で子供を見ていることです。
私は、これまで長年いろいろな子供を見てきたので、子供を見るときに、今やこの先数年の子供の成績はあまり気にしません。
というか、ほとんど気にしません。
成績などは、本人がやる気になれば、ぐんぐん伸びるときが来ます。
また、たとえ学校時代の成績が伸びなくても、社会生活を行うのには何も差し支えはありません。
社会人として大事なのは、同僚と仲よくやれて、上の人にも好かれて、下の人からも慕われるような人間になることが基本で、更にその上に、誰に嫌われてもいいから自分の信じたことをやりとげる力を持っていることです(笑)。
そういう片鱗は、子供時代から現れます。
しかし、多くの場合、大人は子供のそういう可能性を見ていません。
見ているのは、子供の苦手分野をどうやってなくそうかということだけのような気がします。
苦手分野を直すのは簡単です。
その苦手分野に取り組む時間を多少増やして、褒めてあげればいいだけです。
しかし、本当は、苦手分野はそのままにしておいても、得意分野というか長所が伸びれば、苦手分野は単にほほえましいエピソードになるだけなのです。
子育ての基本は、三つあるように思います。
第一は、その子のいいところを認めてあげて、長所を伸ばすことです。
第二は。読書の好きな子にすることです。
そして、第三は、他人に対する思いやりを持ち、人助けのできるような子にすることです。
ちょっと困るのは、勉強しか得意なものがないという子です。
しかし、そういう子も、成長の過程で、必ず自分の限界を自覚し、より大きな人間になろうと思うときが来ます。
大事なのは、親がそれを邪魔しないことです。
人間には、誰にも、よりよいものになろうとする復元力が備わっています。
だから、今いろいろな問題があるとしても、その子の10年後、20年後の未来を見て、安心して子育てをしていけばいいのです。
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私も若いときは、人間は子供時代から直線的に成長していくような感じを持っていました。
だから、ある時点でついている差は、そのまま延長するような感覚を持っていました。
しかし、それは全然違うのです。
いい子がずっといい子のまま大人になるかというとそういうことはなく、悪い子がずっと悪い子のまま大人になるかというとそういうこともありません。
この場合の「いい子」「悪い子」というのは、はっきりした定義ではなく世間一般のイメージのようなものです。
人間は変化するということがわかってから、子供を見るときに、その子が成長して社会人になったときの姿を想像して見るようになりました。
すると、どの子もみんな立派に成長した人間になるのです。
今の時点で、どこがいいとか悪いとかいうのは些細なことで、成長の中でそれらはみんな消化されていくのだと思うようになりました。
大事なことは、周囲の大人がそういうことを確信して子供を見ることだと思います。
子供の成長にとって、周囲の大人のちょっとした褒め言葉は意外と重要です。
結局、人間は自分に自信を持つことによって、よりよくなろうとするのです。
だから、どんなときも、この子はダメだなどと思わないことです。
特に、お父さんや、お母さんは。
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●動画:
https://youtu.be/A-n1eH5whv0
今のプログラミング学習は、Scratchのようなビジュアルプログラミングから、JavaScriptのようなコードプログラミングに進んでいきます。
このビジュアルからコードに移るところがひとつの難関と言われています。
また、世間一般でも、コードプログラミングができることが、プログラミング能力があることと考えられています。
しかし、プログラミングの世界は、ノーコードプログラミングに向かって進歩しています。
いずれ、ほとんどがビジュアルなマウスの操作で処理できる、今のScratchのような形に進んでいくと思います。
そのときに必要なのは、プログラミングの言語というよりも、何をどう作りたいのかというビジョンになり、そのビジョンのもとになるのは、思考力と創造力になります。
プログラミング学習の本質は、考える力と創造する力なのです。
しかし、では今のプログラミング言語の学習が無意味になるかというと、そういうことはありません。
確かに、言語は使わなくなる方向に進みます。
しかし、プログラミング学習のような新しいことを学びたいと考え、その新しいことを実践する精神は、ノーコードという新しい世界にも生きてきます。
大事なのは、新しいことを面白いと思い、新しいことに挑戦する精神なのです。
また、ビジュアルプログラミングが進んでも、コードプログラミングは残ります。
その理由は、コードでプログラミングを書く方がずっと能率がよいからです。
それは、マウスの操作をショートカットの操作に置き換えることに似ています。
スピードも疲労感の有無も、マウスの操作よりも、キーボードの操作の方がずっと優れているからです。
では、コードプログラミング学習の本質は何かというと、それは数学の世界の公式を覚えて使えるようになることと似ています。
コードプログラミングとは、その言語の多数の関数を覚えて、必要な場所にその関数を使えるようになることです。
しかし、使える関数は、次々に増えて進歩していきます。
だから、プログラミング学習は、数学の学習と同じように、それなりに時間がかかり、常に新しいことを学習していく必要があるものなのです。
言葉の森のプログラミング学習→
https://www.mori7.com/za2021im01/
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言葉の森の作文教室がプログラミングの講座も行っているというのは、決して思いつきで始めたわけではありません。
代表である中根が、プログラミングの面白さも、難しさも、将来の展望も、人一倍理解しているからです。
プログラミングは、従来の国語や算数などの教科と違い、自由度がかなり高いのです。
だから、役に立つということ以上に、まず面白いのです。
その面白さは、創造と工夫の面白さです。
それは、ある意味で、作文の創造と工夫と共通したところがあるのです。
プログラミング学習についての記事をアップしました。
プログラミングは、ちょっと覚えると、そこからいろいろな工夫ができます。
そこで、子供の創造性が発揮できるのです。
だから、プログラミングは面白いのですが、仕事でプログラミングを使うのはまたちょっと違います。
それは、決まりきった複雑な手順を踏まなければならないし、ちょっとしたミスで予想外のバグが出て、それを直すだけで数時間かかるのがざらにあるという世界です。
だから、プログラミングは面白い勉強ですが、それ自体を仕事にするのではなく、自分の好きな仕事でプログラミングを使うというのが理想です。
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動画:
https://youtu.be/hPRE1pvhpXU
私(森川林)は、高校生のときは理系のクラスにいました。
そして、理数の成績は、そこそこいい点数を取っていました。
しかし、今思うと、数学も物理の授業も、問題の解き方がわかるだけで、感動がなかったように思います。
後年、自分でプログラムを作っているときに、数学の知識が必要になり、昔使った高校の数学の教科書を取り出して勉強し直しました。
そのときに、数学というのは、やはり役に立つのだということを実感しました。
意外だったのは、因数分解のいろいろなパターンよりも、根の公式を知っているだけですべて片付くということでした。
因数分解は、結局パズルの練習をしていたようなものだったのです。
また、多数のプロットから近似線を出すというようなことも、高校生のときはぼんやり勉強していただけでしたが、自分で作ってみて、なるほどと納得するところがありました。
しかし、本当は、役に立つ以上に、数学や物理の勉強の持つ感動を、授業の中で知っていれば、勉強はもっと面白くなっていったはすだと思うのです。
今の高校の理数系の勉強は、受験のための勉強になっていて、感動を伝えるような勉強にはなっていません。
社会の勉強なども、特に歴史の教科は、感動のある勉強になるはずですが、そういう学習にはなっていないと思います。
これからの授業は、スタディサプリのようなところから、わかりやすく面白い動画が次々と出てくるでしょうから、先生の仕事はどんどん少なくなっていきます。
その中で、なお残る先生の役割があるとしたら、それは、ひとつは子供の未来を見てあげられること(つまり、どんな子にも可能性があることを確信できること)と、勉強の持つ感動を子供に伝えられることだと思います。
私の尊敬する人の一人である糸川英夫氏も、理科の道を選んだのは、高校の理科の授業に感動したからだということを書いていました。
もちろん、理科でも、国語でも、音楽でも、何でもいいのです。
そういう感動を伝えられる先生に巡り合うことが、学校にいく意味です。
もちろん、それは学校でなくてもいいのです。
人によっては、友達や先輩や会社の上司ということもあるかもしれません。
大事なことは、感動を伝えられるような人に出会うことです。
そして、自分自身も成長して、将来、人に感動を伝えられるような人になることだと思います。
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先生が、勉強の持つ感動を子供に伝えることができるためには、先生自身も勉強をしている必要があります。
勉強をしていない先生は、子供をアメとムチで訓練すれば勉強ができるようになると思いがちです。
子供を動物のように扱えば、子供は動物のように成長します。
子供を人間として扱うことが、勉強を教える前の第一歩なのです。
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