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https://youtu.be/4UgOUcCQOfI
言葉の森の作文指導は、小学生までは主に表現項目の指導です。
たとえを入れたり、書き出しの工夫をしたり、結びの工夫をしたりという表現の工夫をすることが勉強の中心になります。
少し難しいのが結びの工夫です。
結びの工夫をうまくするには、書き出しも工夫しておくことが必要ですが、この書き出しの工夫を会話の書き出しなどでありきたりに書いてしまう子が結構多くいます。
会話の書き出しは、小学生の最初のころにする書き方ですが、これをいつまでも続けてしまう子もいるのです。
書き出しの工夫は、情景の書き出しとして工夫する方が、結びもうまくまとめやすくなります。
しかし、ここまではあくまでも表現上の工夫ですから、あまり頭を使うわけではありません。
頭を使って書くのは、中学生の構成中心の作文を書くようになってからです。
以下、構成の工夫の概略を書きますが、勘のいい人はこの概略の説明だけですべてわかると思います。
しかし、普通は、実際に具体的に書く指導を受けないとわかりません。
中学生の構成の項目は、複数の理由です。
中学生になったばかりの生徒は、「理由を書く」という抽象的なことが理解できず、いつまもで実例を書いてしまう子が結構います。
「理由を書く」ということは、抽象的な頭の使い方を必要とするので、なかなかできない子も多いのです。
理由の書き方は、4つあります。
AとBの二つの意見がありAに賛成する場合、第一はAのよい理由です。第二はAの悪くない理由です。第三はBの悪い理由です。第四はBのよくない理由です。
このように考えると、複数の理由はすぐに出てきます。
中学2年生は複数の意見を書きます。
この複数の意見を総合化するところが難しいので、ほとんどの生徒は折衷案を書いてしまいます。
途中までの展開がよく書けていても、結びが折衷的な意見になると、竜頭蛇尾というか、全体にものたりない作文になってしまいます。
総合化の主題は、意見の次元を変えることが必要です。
例えば、Aという意見も確かによい、しかしBという意見もよい、だが大事なのはAかBかという方法ではなく、その目的とする(又は結果とする)Cなのだ、という書き方です。
これは、逆にも言えて、Aという目的もよい、しかしBという目的もよい、だが本当に大事なのはそれをどう実現するかという方法Cなのだ、というふうにも書けます。
次元を変えることによって、堂々巡りの意見から、新しい展開になっていくのです。
中学3年生と高校1年生は、複数の方法です。
ほとんどの生徒は、方法を個人的、人間的なことで書いてしまいます。
しかし、第一の方法を人間の心構えようなことで書いたら、第二の方法は話を広げて社会的な方法として書いていくのです。
この方法の広がりということが大事です。
高校2年生は、複数の原因です。
実例はいくらでも多様に書けますが、原因の種類はかなり限られます。
社会的な問題の原因は、共通していることが多いからです。
この原因の書き方は、ひとつは歴史的原因です。もうひとつは社会的原因です。
こういう縦軸と横軸の広がりをもたせることが大事です。
高校3年生は、原因のほかに対策を考えます。
対策の書き方の方向は、4つあります。
自主、民主、公開、発明という方向です。
世の中の多くの問題は、自主、民主、公開によって解決に向かいますが、物事を本質的に解決するものは実は発明なのです。
高校2年生の社会問題の主題は、簡単に書けますが、高校3年生の予測問題の主題は、頭を一度ひねらないと書けません。
予測問題の主題とは、今の社会問題が解決したあとに出てくる問題です。
これはかなり頭を使うので、講師であっても、アドリブではなかなか教えられません。
このように考えると、作文とは、小学生のころは主に表現力の勉強のように見えますが、本当は思考力の勉強なのだということがわかります。
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モトクロスの走り方は、何しろ迷わず前へ行くことだそうです。
見通しの悪いところではついブレーキをかけたくなりますが、先に何があるかわからないところでもスピードを落とさず、何しろ前へ飛んでいくのだそうです。
これは、作文をスピードを上げて書くときの心理と似ています。
スピードを上げるためには、自分の書いたあとを決してふりかえらずに、何しろ前へ前へと進んでいくのです。
もし、次はどのように書くか考えて止まるところがあったら、すぐに、最初に書いた構想メモを見ます。
構想メモというのは、最初の数分で、数語の箇条書きに書いた全体のメモのことです。
そして、メモを見て方向を確認したら、またすぐに書き出すのです。
書くのが遅い人に共通するのは、少し書いては、数行戻って読み直し、また少し書いては数行戻って読み直すという書き方をしていることです。
書いている途中は、決して読み返さないということが大事です。
書くことが遅くなるもうひとつの原因は、消しゴムを使って、書いたものの一部を消したり修正したりすることです。
作文は、原則として消しゴムは使わないつもりで書きます。
使うとしたら、うっかり書き間違えた1文字だけで、2文字以上消しゴムを使わないと決めておくことです。
自分の書いた文章を読み直すのは、最後の段落に入り、結びの5行から10行を書くようになってからです。
結びの5行から10行で、書き出しのキーワードを生かし、テーマの言葉を生かし、切れ味のよい表現を入れてまとめていくのです。
作文の採点をする人は、数百字の異なる作文を次々に読むのですから、文章の途中の展開などはあまり気にしません。
最終的に、全体のテーマと、書き出しと結びの対応と、光る表現が入っていれば、自然に高い評価をします。
日常生活では、このような時間制限で作文を書くような場面はまずありません。
だから、試験対策として、スピードを上げて書く練習は独自にしていく必要があるのです。
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これは一昨年だかに行った那須の公園。
サマーキャンプで大雨だった日、近くにプールに行ったその前に広がっていた公園。
自分が作文を書くときの最速のスピードを知っていると、試験でも安心できます。
「残りがあと5分しかない。しかし、自分は最速で分速○字書けるんだから大丈夫」と思えるからです。
しかし、そういう子供を焦らせる試験はしてほしくないなあ(笑)。
そのうち、今のような試験制度はなくなると思います。
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文章には、三つの型があります。
ひとつは、出来事中心に書いていく事実文で、これは生活作文とも呼ばれているものです。
学校でよく「遠足の思い出」などという題で書かせる行事作文も、この事実文です。
事実文には、二つの発展段階があります。
一つは、事実を時間の流れどおりに書く初歩的な事実文です。
これは、小学校低中学年のころによく見られる書き方です。
しかし、高学年になっても、書きたいことが豊富にあるときは、この事実をその流れのままに書く書き方に戻ってしまうことがあります。
それは、作文というよりも、事実報告文のようなものですが、それはそれでいいのです。
事実文の次の段階は、事実を立体的に組み合わせて書く書き方です。
いちばん印象に残った事実から始めて、途中で、その事実が起こる前の話などに戻って、全体を構造的に書いていきます。
構造的に書くということは、全体の主題が暗黙の前提になっていることですから、事実をその順番どおりに書く書き方とは質的に大きな違いがあります。
事実文の次の段階は説明文です。
これは、ある説明しようとする事柄について、複数の実例を使って書く書き方です。
例えば、「私の好きな勉強」という課題について書く場合、その勉強にまつわる実例を複数書いて、「好きな勉強」という主題を説明するという書き方です。
説明文の次の段階は意見文です。
これは、何らかの意見が最初にあり、その意見の裏付けとなる実例や理由を複数書いて、意見を具体的なものにしていくという書き方です。
事実文を時間の流れの順に書いていくのが小学1、2年生、事実文を立体的に書いていくのが小学3、4年生、説明文を書くのが小学5、6年生、意見文を書くのが中学生で、意見文の扱うテーマがより抽象的、社会的になり論説文という段階になるのが高校生です。
言葉の森では、この事実文から論説文までの指導をひとつの一貫した流れとして指導しています。
作文の評価の項目は、構成、題材、表現、主題の四分野にわたっていますが、学年に応じてその重点が異なります。
例えば、小学校低学年の「構成」は、「中心を決めて書く」ことですが、中学年になると、「似た話、昔の話」を入れて立体的に書くようになります。小学校高学年は、複数の実例になり、中学生になると複数の理由や、複数の意見になり、高校生になると、複数の方法や、原因対策のような形に進んでいきます。
作文指導は、こういう高校生までの展望を持って進めていく必要があります。
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うとうとしていたら、電話指導をしているママの声が聞こえてきました。
今日のテーマはセミをつかまえたことみたいです。
私はセミをつかまえたことはありませんが、セミを食べようとして止められたことならあります。
電話の向こうの生徒さんは、セミの幼虫をつかまえて、羽化のようすを観察したらしいです。私も、一度だけセミの羽化を見たことがあります。犬心にも、神秘的だなあと思いました。
作文にはダジャレを入れることになっているようで、ママが例を挙げていましたが、「セミとりのセミプロ」なんて言ってお茶をにごしていたので、少し呆れました。
「セミとりセミナー」の方がまだマシかなと思いました。
またセミの羽化を見てみたいです。散歩のとき、うかうかしていないで、セミの幼虫を探してみようっと。
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https://youtu.be/Wuer8ZOpxBA
小1からの作文で国語力も読書力もつく
本当の国語力は、作文の学習によって身につきます。
国語の問題集をいくら解いても、国語力はつきません。
言葉の森の作文の学習は、長文の音読や暗唱の練習で、読解力がつきます。
作文の準備で親子の対話が進み、語彙力が増えます。
オンラインクラスでは、毎週の読書紹介で、読書の習慣がつき、読む本のジャンルが広がります。
国語力、読書力をつけるなら、まず作文の学習から始めるのがいいのです。
作文を書けない小1の作文講座
小学1年生の子の多くは、まだ作文が十分に書けません。
書いても、いろいろなところで間違いがあります。
だから、ここで、正しく作文を書くことと、楽しく作文を書くことを同時に学んでいく必要があるのです。
正しく書くことばかりを優先すると、書くことが嫌いになってしまいます。
楽しく書くだけでよいとすると、正しい書き方が身につきません。
両立させるコツは、よい文章をたっぷり読むことと、身近なお母さんがいつも子供の作文を褒めてあげることです。
小学1年生のときに作文を書くコツを身につけた子は、ずっと作文の勉強を続けていくことができます。
小1からの読書紹介で読書の習慣
言葉の森の作文講座には、先生が一対一で教える個別指導の作文講座と、生徒が5人のグループで学習するオンラインクラスの作文講座とがあります。(受講料は同じです。講座間を移動することはいつでもできます。)
オンラインクラスの作文講座では、授業の前に、子供たちの読書紹介があります。
この読書紹介によって、毎日読書をする習慣が身につき、友達の読書紹介に刺激を受けて読書のジャンルが広がり、みんなの前で発表することによって発表力、コミュニケーション力が育ちます。
口頭での発表がまだ苦手な子は、ZOOMの画面で読んでいる本をみんなに見せるだけでもかまいません。
この読書紹介によって、一緒に勉強をしている友達のことがよくわかり、自然に勉強友達ができます。
サマーキャンプなどの企画では、このオンラインの勉強友達どうしで参加することも多いのです。
親子の対話が育つ小1からの作文
言葉の森の作文は、親子の対話を生かす作文です。
小学1、2年生は自由な題名の作文で、小学3年生以上は課題が決められた作文になります。
どちらの作文も、作文を書く前に、お父さんやお母さんに似た話を取材することをすすめています。
子供が書くのが「どろんこ遊び」の作文だったら、「お父さんも小さいころ、どろんこ遊びをして服を泥だらけにして、お母さんに叱られたなあ」などという話をしてあげます。
作文を通した対話が習慣になると、子供が成長して小学校高学年になり、「私の長所短所」や「チームワーク」などのやや抽象的な課題になったときも、親子の知的な対話を続けることができます。
これが、子供の思考力を育てる最も自然で確実な方法になるのです。
小1からの作文が全学力の集大成
作文は、読む力、書く力、考える力の総合的な学力を必要とします。
だから、「作文を見ると、その子の本当の実力がわかる」と言われることがあるのです。
しかし、作文力だけを上達させることはできません。
作文を上達させるためには、読書や体験も含めた学力全体を向上させていく必要があります。
その学年に必要な字数を気を散らさずに集中して書ける子は、どの勉強もできるようになります。(※)
作文力が、子供の勉強力を測る最もわかりやすい指標です。
だから、作文の力を基準にして、子供の学力を見ていくといいのです。
※学年に必要な字数は、学年の100~200倍が基準で、小1は100~200字、小2は200~400字、……、小6以上は600~1200字です。(いずれも1時間内)
小1から始める小中高一貫の作文
小学生の作文を見てあげることは、ある程度の文章力がある大人なら誰でもできます。
しかし、その子が小学生から、中学生になっても、高校生になっても同じように見てあげることはなかなかできません。
そのためには、作文を指導するための方法論が必要だからです。
言葉の森の作文指導の特徴は、小学1年生から始めて、中学生や高校生になっても、更には大学生や社会人になっても勉強を続けることができることです。
中学生以上の作文は、小論文や論説文というレベルになりますが、指導の方法論は変わりません。また、時間が合えば担当の先生も変わりません。
習い事は、長く続けることによって身につくものがあります。
作文教室を選ぶ基準は、高校生まで同じように指導できるカリキュラムがあるかどうかです。
言葉の森の作文は、受験の作文や小論文にももちろん対応していますが、受験が終わっても続けることのできる作文です。
言葉の森の作文と読書は小1から
言葉の森で作文の勉強を始めると、作文以外にも得るものがあります。
第一は、毎週の作文の習慣と、毎日の勉強や読書の習慣がつくことです。
第二は、作文の課題を通して、親子の対話の機会が増えることです。
第三は、子育て上のさまざまな相談ができることです。担当の講師のほとんどは、多くの子供たちを見てきたベテランです。また、担当の講師で答えにくいことは、事務局が対応します。
第四は、オンラインクラスで学習を行うようになると、毎週の読書紹介で子供の読書生活が豊かになることです。
第五に、友達どうしの発表や交流の中で、学校以外の勉強友達ができ、その友達関係を長く続けることができることです。
第六に、言葉の森では、暗唱検定や読解検定を行っていることです。この検定試験の機会を利用して、暗唱力、読解力を高めることができます。
第七に、オンラインクラスでは、作文以外に、国語、算数数学、英語、創造発表、プログラミングなどの多様な講座を行っていることです。いずれも1クラス5人以内の個別指導のある授業ですから、どの講座も密度の濃い学習ができます。
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ことわざにもいろいろあるけど、私は「花より団子」なんて当たり前すぎることが、なぜわざわざことわざになっているのかわかりません。(わざわざことわざ! あ、ダジャレになっちゃった。(笑))
花と団子を比較すること自体が間違っています。
犬が使われていることわざもたくさんあるけど、「犬が西向きゃ尾は東」なんて、ちょっとバカにされている気分です。
それに、私が一番腑に落ちないことわざは、「犬も歩けば棒に当たる」です。犬はそんなにドジではありません。
障害物があっても瞬時に避けられるのが犬なのです。
だから、ものすごいスピードで走っている犬のリードを引いて、必死に追いかけている人間の方が棒に当たる確率は高いです。
まさに「犬と走れば棒に当たる」です。
ちなみに私が一番好きなことわざは、「棚からぼたもち」でーす。
今日は、ことわざについて考えてみました。
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凛々しい感じでよかったです。応援してます。
あうそめさん、ありがとうございます。
顔つきは凛々しいのですが、いつもぐうたら寝ています。
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https://youtu.be/9sIu2LF-ZU4
言葉の森は、中根が確か24、5歳のころ、東京の貸会場で始めた大学生向けの作文教室が最初のスタートでした。
生徒が、自分とほとんど年齢が違わないというところが、なかなか緊張しました(笑)。
生徒と一緒に、同じ課題で自分も一緒に作文を書くという実習中心の教室でした。
昔を懐かしむわけではありませんが、そのころ、作文教室という名前の教室はたぶんどこにもありませんでした。
だから、言葉の森が、日本でいちばん昔からある作文教室です。
ということは、どうでもよくて(笑)、その後、いろいろな紆余曲折を経て、29歳のときに作文教室一本でやっていくことを決め、その後しばらくして株式会社を立ち上げました。
という昔の話はどうでもよくて(笑)、作文教室の目的は、作文を通して個性、知性、感性を育てること、別の言葉で言うと、創造力、思考力、共感力を育てることでした。これは、今でも大体同じです。
私は当初から、この作文教室の目的のもとで、日本に作文文化を作ることを考えていました。
ところで、作文教室という名前の教室に来る人は、最初はほとんどいませんでした(笑)。
国語の教室ということでやれば、人は来たのかもしれませんが、私は、国語も含めてあらゆる勉強は、自分の力でやるもので、人に教えてもらうものではないと思っていたので、そういう学習塾のようなことをする気はありませんでした。
なんだか、昔話が長くなってきましたが(笑)。
ついでに、昔話を続けると、当時、アメリカで小論文の自動採点ソフトが高校の卒業試験で使われるようになったという記事をウェブで見ました。
私は、こういう自動採点ソフトの本質は、言語の壁を超えるとわかったので、日本でも小論文採点ソフトを作る必要性を感じました。
メイド・イン・アメリカのソフトで、日本の子供たちの作文を評価されてはたまらないと思ったからです。
そこで、ほぼ数週間で、自動採点ソフト森リン(もりりん)を作りました。早すぎ(笑)。
かかった費用は、作ったプログラミングを見直すために印刷した数百枚のプリント代だけでした。
これで、特許を取りました。
性能は、アメリカのソフトと同じかそれ以上だったと思います。
話は戻って。
その後、大学入試で小論文が出るようになり、当時高校生になっていた生徒の小論文対策もするようになりました。
最初のころに大学生の作文というか論説文を教えていたので、高校生の大学入試の小論文を教えるのは簡単でした。
その当時は、小学生も、同じ感覚で教えていたので、そのころの小学生は課題が難しくて大変だったと思います。
それから、ずっと時は過ぎましたが、作文教室は依然としてマイナーな存在でした。
日本に作文文化を育てるなどというのは、ずっと先の話のように思えました。
しかし、やがて、大学入試の小論文が広がり、高校入試でも作文的な問題が出されるようになり、中学入試でも作文の試験が出されるようになりました。
特に、公立中高一貫校の入試は、教科書に範囲で出題するという制約があるために、作文の試験がごく普通に行われるようになりました。
そして、作文は、これらの入試のおかげで、受験対策の作文になっていったのです。
私は、このコモディティ化した作文に、未来の見通しを感じませんでした。
しかし、中には、こういう作文のニーズを見て、作文講座などを始めるところも出てきました。どことは言いませんが(笑)。
私は、作文教室の当初の目的であった、創造力、思考力、共感力を育てる、という方向をこれからどのように目指したらいいかずっと考えていました。
そして、考えついたのが、オンラインを利用して、作文以外に、創造発表と自主学習を中心とした学習をする教室作りでした。
しかし、当時は、オンラインも、創造発表も、自主学習も、なかなか理解されませんでした。
そのあとの話はかなり飛ばして。
その後、コロナ休校があり、オンラインという言葉が急に広がりました。
しかし、オンラインという概念は広すぎて、言葉の森の持ち味が、ネット上のさまざまなオンラインという言葉の中に埋没してしまうようでした。
言葉の森のオンライン五人クラスは、独自の新しい教育プラットフォームですが、そのことが認識されるには、まだ長い時間がかかりそうでした。
そこで、言葉の森は、「オンラインスクール言葉の森」をいったん保留し、当初の「Online作文教室言葉の森」を改めて前面に出し、その一方で教育のオンライン化をオンライン5人クラスというプラットフォームで進めていくことにしました。
長い話になりましたが、この記事の目的は、「オンラインスクール」を、設立当初の「Online作文教室」に戻すということの説明でした。
そして、これからメインにする作文指導を、より科学的なものにするために、近い将来、森リンを利用した作文検定を開始したいと思っています。
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