ななたまさんの作品「家族との楽しい夏の間」
わたしはお父さんと妹とお母さんでアサガオのたねを植えました。さいしょお父さんがたねを買ってきていたので、わたしは何のお花のたねかなと思いました。そしてお父さんに、
「何のお花のたね買ってきたの。」
ふあんそうにきいてみるとお父さんは、
「アサガオのたねだよ。」
とわらいながら言ってくれました。そして次の日から育てることにしました。
アサガオを育てるには、たくさんのざいりょうがひつようです。わたしたちがじゅんびした物は、ひりょう、緑色のネット、じょうろを主に使いました。もちろんアサガオは、夏に育てる花なので、とても暑くて頭からあせがたくさん出てきて、たいへんでした。
私は楽しみながらがんばったことがあります。がんばったことは、あつくても、あせをたくさんかいても、くじけないでがんばりました。たのしんだことは、つぼみの中にはまたたねが入ってる事です。わたしはさいしょたね少ないんじゃないのかなと思いました。考えながらつぼみの中を見ていると、たくさんたねがはいっていました。わたしはすごくおどろきました。まるでたねたちのかくれんぼのようです。
もしわたしがアサガオだったらきれいなアサガオになりたいです。
いままで、がんばってこと、うれしかったこともたくさんあって思い出の一つになりました。今年の夏もがんばって育ててみたいと思います。
https://www.mori7.com/bp_files/asagao4.jpg">
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
アンピーさんの作品「花(ホタルブクロ)」
「なかないで、あきよちゃん。ぼく、あきよちゃんに、きっとホタルブクロをとってきてあげるよ。もちきれないほどいっぱいね。」
と、まさやが言いました。まさやというのは、「大きい一年生と小さい二年生」という本に出てくる一年生です。そして、あきよというのは、小さい二年生です。わたしがなぜこの花のことを書きたかったかというと、この花を見たことがないからです。
せっかく、あきよとまさやが、くろうして、とった花を三年生に自てん車でふまれてしまいました。なぜホタルブクロをとったかというと、あきよが大すきな花だからです。でもまさやはよわむしなのに、あきよちゃんのために一本スギの森まで歩いてホタルブクロをとりにいきました。まさやがホタルブクロをとろうと思ったら、白いのや青むらさきのや、赤みがかったのなど、ホタルブクロの花がいっぱいでした
わたしは、まさやは学校の道もこわいのに、とおいとおい一本スギの森に行けるとは思ってもいませんでした。わたしも、まさやのようにとおいとおいところに一人で行きたいと思いました。(でも、母は一人で行っちゃだめよ。といいました。)そして、30本くらいりょう手いっぱいにホタルブクロをもってみたいと思いました。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
本因坊さんの作品「ぼくの好きな花」
春、夏、秋、冬。様々な花が咲きます。
春には、桜、たんぽぽ、チューリップ。
「赤、白、黄色。どの花見てもー、きれいだなー。」
という歌があるように、とてもきれいです。
夏には、朝顔、向日(ひまわり)、おしろいばな。
夏の花も、とてもきれいです。
秋には、コスモス、ひがんばな、キンモクセイ。
やっぱり、秋も、きれいです。
冬は、シクラメン、梅、おおいぬのふぐり。
これも、きれいです。
ぼくは、この中の、夏の、朝顔が好きです。なぜ、この花が好きかというと、そだてるのが、楽しく、時計のはんたいまわりでつるがまきあげるのが面白いからです。色が色々あるところも、あります。
朝顔のタネは、七・八ミリメートルです。
母と弟とぼくとえ、毎年タネを植えています。
ふかさ一センチメートルから二センチメートルにほります。そこに、朝顔のタネを植えます。少しといっても、十日ほどたつと、双葉が出てきます。その後、本葉がどんどんのびてきます。上にのびた時、ぼうがあると、まきつきます。そして、時計とはん対まわりでどんどんのびてゆきます。その後、待ちに待った朝顔のつぼみが出来ます。つぼみのまき方は、さっきのはん対、時計まわりです。あけ方の三時三十分。つぼみが花を咲かせる用意をします。四時二十分。五分咲きになります。四時五十分。九分咲きです。五時。十分咲き。やっときれいに花が咲きました。
花がかれると、実がなります。実は、しおれた花の下から緑色の皮が見えてきます。時間がたつと、だんだん茶色くなってきます。
そして、中がひらいてきて、中の黒いタネが見えてきます。入っている物は、一個から四個です。ほとんど皮の大きさのタネの時は、中に一個入っています。この調子で二個の時は、この大きさの二分の一、三個の場合は、三分の一、です。四個の場合は、もう分かりましたね。正かいは、四分の一の大きさです。
四分の一のタネの時は、タネがとても小さく、せいぜい五ミリメートルぐらいです。
まるで、オモチャのフィギュアの当たり、外れのようです。
朝顔にも、しゅるいは色々あります。
大(だい)りん咲きという朝顔は、花の大きさが、十五センチメートルよりも大きくなります。
ぼたん咲きという朝顔は、おしべとめしべが花びらにかわった朝顔です。
ききょうざきという朝顔は、名前どおり、ききょうの形ににています。
西洋朝顔は、葉が、さつまいもの葉ににています。
ぼくが朝顔を好きになった理由は、他にもあります。
色ぞめや、色水が出来るからです。色ぞめをすると、とてもきれいな花の形のも様が出来ます。その色は、赤から青までたく山です。
朝顔の生長を、ぼくは、毎年見ています。タネもたく山持っています。だから、もっともっと朝顔のことを知りたいです。
https://www.mori7.com/bp_files/asagao1.jpg">
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
プーさんの作品「花」
わたしが大すきな花は、ひまわりです。行ったところの名前は、わすれてしまいましたが、まえ、おじいちゃんとおばあちゃんに、
「ひまわりを見に行かない。」
ときかれたので、
「うん。」
と答えました。そして車で、ひまわりばたけに行きました。はちがいたのでかたまっていました。それで、かきごおりを食べました。そしてもう一回行ったときは、その人がまだわたしのことをおぼえていたらしくて、わたしは、わすれちゃったのにその人は、おぼえていました。その時、お母さんは、まっていました。それで、はちのいないばしょで、おじいちゃんがわたしと、ひまわりをしゃしんをとってくれました。でも、そこには、ちがうはなもうっていたので見ました。それで、近くにもう一つのひまわりのばしょがあるので、わたしだけ車にのって、おばあちゃんとおじいちゃんが見にいきました。そのあいだわたしは、うんてんせきのところで、ひまわりを見ていました。そのつぎの日、木よう日にひまわりのたねをとりました。
https://www.mori7.com/bp_files/himawari4.jpg">
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
[:ぶた:] 勉強にも役立ち、心の成長にも役立つ習い事
限られた時間の中で生活する子供たちにとって大事なことは、生涯につながる長い展望で現在の習い事を考えることです。
その点で、作文は、理想的な習い事の一つです。作文の学習をすることによって、次のような習慣が身につきます。
まず第一は、作文を通して親子の対話が増えるということです。小学生の課題では、「たまご焼きを作ったこと」「ひとりで電車やバスに乗ったこと」「ないしょの話」「お父さんの子供のころの遊び」などの課題があります。こういう課題に取り組むと、自然に親子で対話をする機会が増えます。小さい子供にとって、家族で対話をすることは心と頭脳の成長にとって欠かすことのできないものです。
第二は、音読の自習をすることによって、難しい文章を読む習慣がつくということです。言葉の森の長文音読は5分程度でできる簡単な自習ですが、それぞれの長文にはその学年の子供にとっては難しい文章を載せています。こういう難しい文章を毎日読むことによって、自然に考える力が身につきます。また、毎日同じことを続けるという習慣がつくと、それはほかの勉強の習慣にもよい影響を及ぼします。
第三は、毎週、作文を書くことによって、文章を書くことが苦にならなくなるということです。大学入試でも会社の就職試験でも、小論文の課題を出すところが増えています。しかし、文章を書く力は一朝一夕には身につきません。言葉の森で勉強をしている子供たちは、高校生になるころには自然に大学入試の小論文に対応する実力を身につけています。
[:パンダ:] 先に進まずにその時期を味わう
作文の学習で大事なことは、必要以上に先に進ませずにその時期の課題をたっぷりこなすということです。
子供は吸収力があるので、知的な勉強を先に進ませようとすれば、驚くほどの成果を見せることがあります。しかし、能力の中には、先に進ませた方がよいものも、先に進ませない方がよいものもあります。
漢字の読みなどはある程度先に進ませた方が、ほかの勉強にもプラスになりますが、作文を書く力については、その年齢の課題をたっぷり味わうという勉強の仕方が必要です。小学校低学年で、できごとをくわしく書くという練習をしてからでないと、高学年の、できごとを説明的に簡略に書くというはできません。もし、ものごとをありのままにくわしく書く時期を短期間で終わらせて、その先の課題である、ものごとを一般化して書くという課題に早め取り組もうとすれば、中身のない言葉だけの作文になってしまうおそれがあります。
作文の学習の山は、年齢に応じていくつかあります。大きな山の一つは小学2年生のころです。無邪気に長く書いていた子がこの時期から急に長く書けなくなることがあります。それは停滞ではなく、新しい段階に進む前の模索の時期です。読んでいた本の文章をそのまま思い出すように書いていた子が、あらためて自分の言葉として文章を書こうとするために、長く書けなくなるのです。もう一つの大きな山は小学6年生です。できごと中心の作文を書いていた子が、ものごとをより大きくとらえて書こうという気持ちを持つようになります。しかし、読める語彙に比べて書ける語彙の範囲はずっと狭いので、書きたいことが書けないという時期が中学2年生のころまで続きます。
作文の指導をするときには、その作文を見るだけでなく、その作文がどの時期に書かれたものかを見ていく必要があります。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
[:ねずみ:] 才能は継続によって作られる
子供が小さいときは、あらゆる可能性にめぐまれているように感じられます。そして実際、子供たちはあらゆる可能性を持っています。しかし、それらの可能性のすべてが開花するわけではありません。いろいろな可能性の中から、いくつかを選びその選んだ可能性を継続することによって、才能は開花します。
心理学者である波多野誼余夫氏は、その著書「知的好奇心(中公新書)」の中で、時間をかけて習得したものがその人の才能になると述べています。
しかし、人生の時間は限られています。どの分野に自分の才能を伸ばし、どの分野を得意分野にするかということを大きな方向をまず考える必要があります。
現在は、学習環境が整っているために、子供のうちから、英語もピアノもプールも公文も何でもやっておかないと人に後れをとるような錯覚に陥りがちです。しかし、幅広い能力を育てる前に、まず第一にすることは、いちばん大事なものを少なくとも一つはしっかり継続する覚悟で取り組むことです。
[:いぬ:] 六歳児からのスタートで基礎作り
六歳での小学校入学には、それなりの背景があります。ちょうどこの時期に、子供には学習を身につける力が急速に備わってくるのです。小学校低学年のうちは、のびのびと遊ぶことが大事だという考えがありますが、同時に小学校低学年のときにこそ、のびのびと学習する習慣をつけておく必要があります。
六歳のときに身につけた学習習慣は、その後の成長の基盤になります。逆に、小学校の初期に正しい学習習慣を身につけないと、高学年になってからそのような学習習慣を身につけることは学年が上がるにつれて難しくなります。
しかし、学習習慣を身につけるとは、問題集をこなすということではありません。学校での勉強的よりも、日常生活の中での読み書きの習慣をしっかり確立しておくことがこの時期には最も大切なことなのです。
(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
読点の打ち方には、まだ規則として確立しているものはありませんが、次のように考えておくとよいでしょう。
1、「は」:主語のあとに打つ(「は」や「も」のあとです。ただし、「が」のあとには打たないほうが自然です)
2、「そ」:接続語のあとに打つ(「そして」「しかし」「だが」などのあとです)
3、「か」:会話の前に打つ(新聞など、字数を節約する必要のある文章では打たないこともあります)
4、「と」:時を表す言葉のあとに打つ(「○○したとき」や「日曜日に」などのあとです)
5、「と」:「と、○○が言った」のように、「と」と「言った」の間に言葉が入るときに打つ
6、「の」:条件を表す語句のあとに打つ(「○○したので」「○○したら」「○○したから」「○○すると」などのあと)
「はそかととの」と覚えておきましょう。(覚えなくてもいいけど)
しかし、このとおりに全部打つと、読点が多すぎて読みにくくなることもあります。そのときの目安として、「句点一つに、読点は一つか二つ」ということを目安にしていくとよいでしょう。
ただし、以上の説明は、小学校低学年では理解が難しいので、低学年のころは、「『は』のあとには打つ、『が』『の』『を』のあとには打たない」と教えてあげるとよいと思います。
どういう規則にも例外がありますが、小学校低学年では「例外もある」ということを教えると子供が混乱します。低学年のうちは「こういう規則がある」というかたちで教えておく方がいいようです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
このもんだいすき
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
国語の読解の勉強というと、物語文、説明文などの問題文を読んで設問に答えるという形がほとんどですが、本当にそれで読解力が身につくものなのでしょうか。わかる問題は、問題を解くまでもなくわかっていたことですし、間違えた問題を解き直してみたところで、それは本当の自分の力とは言えません。解説を聞いてわかったような気持ちにはなるかもしれませんが、解説を聞くことによって実力がついたことにはなりません。もちろん、このような設問に答える問題にも解き方のコツはあります。記号問題なら、消去法で解いていく、また、断定的な言い方のものは避けるなどといったことです。受験生は、このようなコツを覚えておくことも必要ですが、それも最終段階で間に合います。
では、本当の読解力をつけるためにはどうしたらよいのでしょうか。まずは、ひたすら読むことです。読書好きでない人は、国語の勉強と割り切って、少しむずかしいと思えるくらいの文章を読んでいきましょう。読書好きの人も、自分の好みの本、つまり、同じレベルの本を何冊読んでも読解力がつくとは限らないので、普段はあまり読まないような論説文などを中心に少しむずかしい文章を読んでみましょう。ただ、普段から読書をしている人は、速読力がついているはずですから、速く読み進めることができると思います。問題集の問題文を読むことを日課にするとよいでしょう。ただし、同じ問題集を4回くらい読まないと実力はつきません。
もう一つお勧めしたいのは、文章を読んだら、その文章について作文を書いてみることです。私は、これを「読解作文」と呼んでいます。もちろん、すべての文章について書いていたら時間がかかって大変ですから、週に一度ぐらい、できれば、毎週違ったテーマの文章を選んで書くとよいと思います。単に、その文章を読んでどう思ったかという感想を書くだけではなく、自分の体験などを具体的書くのがポイントです。自分の体験だけでは足りない場合は、是非、お父さんやお母さんが助言をしてあげてください。文章の内容を、自分の体験や身近な人から聞いた話と重ね合わせることによって、筆者の視点が見えてくるからです。そして、少しずつですが、筆者の意見を自分のものとして理解できるようになります。最初は長く書くのがむずかしいかもしれません。また、見当はずれの作文になってしまうこともあるでしょう。でも、読解作文を繰り返していくうちに、文章の内容を深く読み取ることができるようになるはずです。
このやり方は、遠回りに見えますが、確実に読解力をつけていくためには一番良い方法です。作文を書くためには時間も労力も必要ですが、設問に答えるような勉強よりは効率的です。また、読解力をつけるという狭い目的だけでなく、自分の生き方を考えるときにも役に立つと思います。すべての勉強は、幸せに生きるためのものですが、特に、国語の勉強は、自分の考えを整理し、自分の生き方を考えるときの直接の手段となるというすばらしい側面を持っています。そんな意味でも、広い視野を身につけ、着実に国語力を伸ばしていってほしいと切に願います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。