●動画:
https://youtu.be/1gVZuxBXMok
私のうちの次男が小4のとき、ふと、学校に行きたくないと言い出しました。
理由は、友達が先生に授業中いじめられているのを見るのが苦しいからということでした。
子供の言うことですから、本当のことはわかりません。
しかし、次男は心の優しい子で、自分のことは度外視して、人のことを考える性格だったので、そういうことはあり得るだろうと思いました。
子供が学校に行きたくないと言ったときに、私が最初に思ったことは、「それは、面白いじゃん」ということでした。
学校に行かずに家で時間を過ごす小学4年生というのは、滅多にいません。
そういう個性的な選択が、偶然ではあれ、できることは、面白いことだと思ったのです。
しかし、結局、次男はその後、山村留学というかたちで北海道の学校に行き、そこでしばらく自然を満喫する生活をして、数カ月後、自分の考えで家に戻ってきました。
その後、仕方なく、もとの学校に戻って普通の小学校生活を送り、普通の中学、高校生活を送り、普通の大学生になり、今は、普通に仕事をしています。
私自身をふりかえってみると、小学校生活の後半、小学5、6年生のころは、本当に学校は退屈でした。
いつも、窓の外の校庭を見て、「スズメは自由でいいなあ」と思っていました。
先生は、とてもいい先生でした。のちに校長先生になりました。
しかし、私は、授業を聞いているのが退屈で退屈で、教科書の全ページに落書きをしていました。
唯一、退屈しないのは、テストのときだけでした。
だから、学校に行きたくない子供の気持ちはよくわかるのです。
不登校の子の多くは、個性があり、能力もある子です。
むしろ、そういう子だからこそ、学校に行きたくなくなるのだと思います。
そういう子は、家でのんびり読書をしたり、自分の好きなことをしたり、プログラミングの学習をしたりしていればいいのです。
そして、日本中に、そういう同じ子供の仲間はたくさんいるはずです。
インターネットで、同じ趣味を持つ友達とつながれば、学校など行かなくても何も問題はありません。
不登校をすすめるわけではありませんが、もし子供が学校に行きたくないと言ったら、親はそれを認めて新しい道を探せばいいのです。
私は、その道のひとつが、言葉の森のオンライン4人クラスになると思います。
そこで、自分の個性と学力を伸ばしていけばいいのです。
学校でする勉強など、たかが知れています。
自分で1冊の参考書や問題集を読めば、それで学校で勉強するよりもずっと能率のよい勉強ができます。
そして、そういう個性的な自学自習をしたことが、やがて自分の財産になります。
大事なことは、不登校を負い目と感じないことです。
むしろ、不登校は、新しい時代の先端的な意識の現れだと思うことです。
せっかくの不登校というチャンスを生かして、ほかの人のしないことに挑戦していけばいいのです。
●動画:
https://youtu.be/DwTqiwdD0AA
私のうちの長男が小学1年生のとき、学校から算数の宿題が出ました。
曲線のマス目で区切られた図がかいてあり、それぞれのマスの中にいろいろな足し算が書かれています。
その足し算が同じ答えになるものを同じ色で塗るという宿題です。
子供をみると、ため息をつきながらやっています。
誰でもできることを作業的にやる宿題ですから、つまらないのです。
私は、すぐに、「お父さんがやってやるから、おまえは、本でも読んで遊んでな」と言いました。
子供は、大喜び(笑)。
宿題は、父が仕上げて、おしまいにしました。
子供時代に大事なことは、できるだけ楽しい時間を過ごすことです。
なぜなら、楽しく生きることは、人生の目標だからです。
私のうちの長男も次男も、小1から言葉の森で作文を書いていました。
ときどき、何かの都合で欠席することがあります。
どこかに出かけたり、たまたま風邪を引いたり、その日が休日だったりした場合です。
そのときも、私は、振替の出席はさせませんでした。
子供の立場に立ってみれば、何らかの事情があって休んだのですから、それを取り戻すために別の日に振替の出席をすれば、その分、本来自由であった自分の時間が失われます。
もし、自分が子供だから、そういうことは嫌だと思うと思ったからです。
もちろん、振替の出席はしていいのです。
しかし、ごくたまに、何ヶ月も前の欠席を全部調べて、その分をまとめて振替で出席させる保護者の方がいます。
親は、それで満足かもしれませんが、そういう子供は、将来決して勉強を好きになりません。
親が、勉強を苦しいものと思ってさせているから、子供も勉強を苦しいものとして受け取ってしまうのです。
勉強のよくできる子は、勉強を楽しいものとしてやっています。
それを作るのは、親の姿勢です。
表面的に面白そうな勉強をさせるというのではありません。
難しい勉強であっても、楽しいものとしてやらせることができるのです。
具体的な例として思い出すのは、発明家の中松義郎氏のお母さんについての話です。
もうひとつは、日本の宇宙ロケットの父と言われる糸川英夫氏のお母さんについての話です。
この二人の天才の成長は、親の子育ての仕方によるものです。
その根底にあるのは、親の勉強観だったと思います。