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https://youtu.be/C0L4JeHBoJ8
総合学力クラスには、現在、幼長から小4の子までが参加しています。
総合学力クラスの前身の基礎学力クラスを開設したのが今年2022年の1月ですから、早い子は、もう9ヶ月ぐらい勉強を続けています。
勉強の内容は、国語、算数、暗唱、発表と読書紹介です。
小学1年生から4年生までの勉強は、難しいところは何もありません。やれば誰でもできることばかりです。
だから、総合学力クラスでは、勉強の内容のチェックよりも、読書紹介など、子供たちの知的な交流の時間に力を入れてきました。
しかし、その結果、みんな頭がよくなってきたと思うのです。
総合学力クラスは、勉強の詰め込みで成績を上げることが目的ではありませんから、勉強がどのくらいできるようになったかは、それほど評価していません。
勉強は、頭さえよくしておけば、必要になったときに、すぐできるようになるからです。
そして、たぶん参加している子の多くは、もともと成績もいい子です。
総合学力クラスの読書紹介で、最初は、読んでいる本をただ見せるだけだった子が、次第に、本の内容を紹介できるようになっています。
中には、本のあらすじを延々と言ってしまう子もいますが、そこで注意するようなことはしません。
教科の勉強でも、作文の勉強でも、大事なことは、欠点を直すことではなく、その子ががんばっていることを認めることだからです。
子供たちの頭はどこでよくなるかというと、勉強でよくなるのではありません。
小学生の勉強の内容は、決まったルールどおりにやるという手順を覚えることがほとんどですから、いくら計算の練習をしたり、漢字の書き取りをしたり、理科や社会の知識を覚えたりしても、それで頭がよくなるわけではありません。
どこで、頭がよくなるかというと、読書の中で文章を読み取ることと、他の人との対話の中で相手の言葉を読み取ることによってです。
そして、更に、自分の言葉で相手に何かを発表することによって頭脳は活性化するのです。
総合学力クラスでは、みんながそれぞれに発表する時間があります。勉強する時間ももちろんありますが、その勉強の時間の前後の読書紹介や一人一言の時間があります。
勉強の内容のチェックも、生徒が発言することによって成り立つ教え方です。先生が一方的に講義するような授業はありません。
だから、どの子も発表することが好きになります。
そして、この発表のときに、子供たちの頭脳はフル回転するのです。
集英社オンラインの記事に、開智日本橋学園中学の話が載っていました。
内容に賛同できることが多かったので、紹介します。
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■■開智日本橋学園中学が取り組む、子供にとって本当に必要な「先進的授業」
美術や歴史の時間に学んだことを人前で上演する「創作朗読劇」。答えのない問いが他者への想像力を鍛える「哲学対話」など、私立中学校で始まっている「国語力」を鍛える最先端の授業とは…。
■流行の教育も国語力がなければ意味がない
日本の子供たちの国語力が脆弱なものになっているという声は、いくつもの教育現場で上がっています。現在の学校教育では、小学生の早い段階から外国語やプログラミングの授業などが行われています。SDGs教育も盛んです。もう少し上になると金融教育、起業家精神教育なども入ってきます。
しかし、それらの教育は、国語力という基礎がついてからはじめて行うべきものではないでしょうか。
国語力とは読解力だけを意味するものではありません。語彙をベースにして、情緒力、想像力、論理的思考力、表現力を結合させた総合的な力です。数学者の藤原正彦さんが「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と語っているように、すべては国語の力があってこそです。
多くの教育者が懸念しているのは、家庭格差、ライフスタイルの変化、ネット社会への移行などで、こうした国語力がきちんと育めていないのに、新しい教育を次々とやらせていることなのです。
■家庭での積み重ねが大切
私は『ルポ 誰が国語力を殺したか』(文藝春秋)というノンフィクションで、子供たちの国語力を取り巻く危機的な状況と、回復への道筋を示しました。取材の中で感じたのは、子供たちと真摯に向き合っている教員や学校は、何よりこの国語力を重要視しているということでした。
国語力の基本的な部分は、小学4年生くらいまでにでき上がります。特に有効とされているのが次のような働きかけです。
・子供が主体となった自由な遊びをさせる(親の目的ありきではない遊び)。
・親が「どうしてだと思う?」など問いかけの形で会話をする。
・絵本を含めて身の回りに活字のある本をたくさん置いておく。
・社会で起きている出来事について家族みんなで話をする。
・博物館や外国文化の体験を通して、新しい価値観を学ばせる。
細かなことは本に書きましたのでここでは割愛しますが、親がお金をかけて学習塾などで勉強をさせるより、上記のようなことを家庭で積み重ねる方が、結果的に子供の学力は向上するという研究結果もあります。
家庭や学校でのこうした体験のくり返しの中で、子供たちは抽象的な概念を的確に想像できるようになったり、物事の因果関係を論理的に考えられるようになったりするのです。それが人との円滑なコミュニケーションにつながっていくし、小学校高学年以降の難しい学習についていく基礎力になるのです。
■教科をまたいで国語力を底上げ
たとえば、ある私立中学校では、美術や歴史の時間に学んだことを「創作朗読劇」にさせます。一つの絵や一つの戦争から、みんなで資料を調べ、話し合い、脚本をつくり、照明やBGMを用意し、人前で上演するのです。
そうすることで、情報の丸暗記ではなく、様々な知識を横につなげたり、人との話し合いで新しい視点を発見したり、不特定多数の人に適切に伝える技術を磨くのです。似たようなことであれば、英語で絵本をつくらせる学校もあります。
高いレベルの学校でも、中学の授業で行う英会話の内容は、日本語にしてみれば小学校低学年くらいのものです。英会話は流暢になるかもしれませんが、大切なのは会話の中身です。
そこで、クラスの生徒たちに日本で起きた社会問題を題材に英語で絵本をつくらせるのです。そして、完成した作品を外国の姉妹校の生徒に見せ、オンラインでそれについて意見を述べ合う。
子供たちは社会問題を絵本化する過程で多くのことを自分で勉強するし、友達と深い議論をする。さらに外国の同年代の子供たちと話し合うことで、まったく異なる視点や意見をもらえる。ペラペラと表層的な会話だけをする英会話では得られない力を育むことができるのです。
まさに教科をまたいで学校全体で国語力の底上げを目指しているのです。
■哲学対話で評価の多様性が生まれる
このような例をみると、表現が得意な子だけが国語力を伸ばしていくようなイメージを抱くかもしれません。しかしまったく逆のこともあるのです。
たとえば開智日本橋学園中学で行われている「哲学対話」の授業がそれです。
まずクラスで哲学テーマを出し合います。「なぜ人は人を差別するのか」とか「魚に感情はあるのか」「争いは正義となりえるのか」など答えのない問いですね。
これをある手法を使ってクラスの生徒みんなで話し合います。これは誰かを論破するとか、正解を出すということとは正反対で、個々がそれぞれの意見を出し、それを聞きながら、どんどん意見を深めていくことが目的です。答えのない問いに対して、他者の意見を聞きながら思考を深める力を養うのです。
現在のような多様化した社会では、個別の主張の正しさを争うより、お互いの意見に耳を傾け、思考を深め、建設的に社会のあり方を考えていく力を育む方が重要です。哲学という、ともすれば古臭い手法を用いながら、未来の社会で生きていくのに必要な力を中学生の段階からつけさせていくのです。
興味深いのは、哲学対話の授業で目立つのは、普段の授業で目立つ生徒とは限らないことです。むしろ、悩みの多い物静かな生徒の方が活発で良い意見を言う傾向にあるのです。
普段の授業では、学力やスポーツなど点数化できるものが評価されますし、そういう生徒が注目される傾向にあります。しかし、哲学対話という答えのない問いを考える授業では、それとはまったく違う力を持った子供の方が目立つのです。
そういう意味では、哲学対話は評価の多様性を生むともいえるでしょう。
■教育の中心に「国語力育成」が絶対に必要
開智日本橋学園中学の哲学対話など、国語力を上げるための先進的な取り組みは『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に記しましたので、詳しくはそちらを参照していただけると嬉しいです。
今後、社会はグローバリゼーションの中でより多様化することが必至です。そこでは、人とつながる力、論理的な思考をする力、未知の世界を想像で補う力、自分を表現する力、異なる意見を受け入れる力が昔以上に必要とされます。
この時に重要なのが、それらのベースとなる国語力をどれだけ身につけているかということなのです。いくら英会話ができても、いくら高度なプログラミングができても、いくら金融の知識があっても、国語力なくしてはあらゆることが形骸化してしまいます。
だからこそ、子育てや教育の中心に「国語力の育成」を置くべきだと思うのです。
そのためには、次々と出てくる新しい教育に飛びつくだけでなく、前提となる国語力とは何か、それをつけさせるには何をすればいいのかということを、大人たち一人ひとりがしっかりと考えることが大切だといえるでしょう。
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ここに書かれているとおり、結局、日本語で読み書きをする力こそが思考力の本質で、それ以外の知識の詰め込みは、すべて補助的なものにすぎません。
だから、特に小学校低中学年のころは、勉強に時間を費やすのではなく、読書と対話と発表に時間を使うことが必要なのです。
●動画:
https://youtu.be/OTXzy2V2TGs
森リン点の学年ごとの推移を見ると、小6よりも中学生が、中学生よりも高校生が、高得点になります。
その主な差は、思考語彙と知識語彙の差です。
思考語彙が、なぜ学年が上がるほど高くなるかというと、書いている作文のテーマと構成の仕方が違うからです。
小学6年生の場合は、身近な複数の実例をもとに一般化した感想を書く書き方です。
それに対して、中学生では、複数の理由や複数の意見といった構成を重視した書き方になります。だから、自然に考えるための語彙が増え、思考語彙の点数が高くなります。
高校生の場合は、作文の課題自体がより抽象的なものになります。そのため、考える要素が増え、その結果思考語彙の点数が高くなるのです。
しかし、小学生でも、思考語彙を高める方法はあります。
それは、感想の部分を長く書くことです。
感想の部分とは、それぞれの段落のまとめとなる感想と、作文全体の最後の感想です。
この感想を意識的に書くと、思考語彙が高くなります。
小6の課題の構成を図解すると、次のようになります。
★印のところを充実させることで、思考語彙の点数が高くなります。
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┃第1段落の要約 ┃
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┃第2段落の実例 ┃
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┃第2段落の感想★┃
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┃第3段落の実例 ┃
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┃第3段落の感想★┃
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┃第4段落の感想★┃
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実例がよく書けていて、その感想があっさりしている場合、作文自体は面白くなりますが、森リン点の思考語彙は高くなりません。
よく、清書のときに、これまで書いた作文に手直しをして、実例の部分をより詳しく書き字数も長くすることがあります。
このとき、感想の部分がそのままであれば、思考語彙の割合が相対的に低くなります。
そのために、長く詳しく書いたのに、かえって森リン点が低くなるということがあるのです。
実例をより詳しく書くのと並行して、感想も更に書き込む必要があるのです。
例として示した作文の第4段落は、次のような文章になっています。
人間にとって、プレゼントとは『心』を伝えることができる手段なのではないかと思った。言葉よりも伝わりやすいものではないかとも思う。人間が成長していく中で「プレゼント」という習慣ができたのは、心を伝えたいからなのではないかと考える。感謝の気持ち、祝いたい気持ち、共感する気持ち、、、たくさん人間には感情がある中で、その感情をうまく出せない!そんな時に贈り物という手段を使っていたのではないかと思った。言葉で伝えるより、思いのこもった「プレゼント」を父に贈りたいと思った。
「プレゼント」というテーマで、これだけ感想の部分をじっくり書けるのは考える力があるからです。
よく、低学年の作文で、感想の部分を、「とても○○でした。また○○したいと思います。」とまとめる書き方がする例がよくあります。
小学6年生でも、そういうまとめ方で感想を書く人はかなりいます。
しかし、この書き方では、思考語彙は高くなりません。
森リン点の思考語彙が低い場合は、第4段落の感想を充実させることを考えていってください。
また、第2段落の結びの感想、第3段落の結びの感想も大事です。
例としてあげた作文の第2段落の感想の部分は次のようになっています。
……私はこのお話が大好きだ。このお話では2人とも心のこもったプレゼントをしたからこそ、心温まる結末になったのではないかと思った。相手のことを考えて買ったものだからこそ、特別嬉しい気持ちになるし、相手のことも大好きになる。そんな物語が「プレゼント」という存在でできているのだと感じた。
実例だけで終わらずに、その実例に対する感想を書いています。
第3段落の感想も同じように詳しく書けています。
……例えば、個人の意見だが、私はブランド物のバッグや宝石よりも家族と旅行に行ったりしたいと思う。お金をたくさんかけてもらうより、心のこもったプレゼントの方が倍以上嬉しいと思う。
第2段落の感想、第3段落の感想を簡単に書き、次の段落に続けても、作文自体はうまく書くことができます。
実例が面白く書けていれば、それで十分に上手な作文になります。
しかし、そういう作文で森リン点の思考語彙が低い場合、人間の読み手の感覚としては、「よく書けているが、ちょっとものたりない感じがする」という感じ方になるのです。
第2段落、第3段落に、それぞれ自分の感想を書くというのは、実はかなり大変です。
実例だけでつなげるのであれば、長く書くのは比較的簡単ですが、そこに自分なりの感想を付け加えると、書くのに時間がかかります。
しかし、だからそういう感想の加わった作文は、読み応えのあるものになるのです。
では、この感想を書く力をつけるためには、どうしたらいいでしょうか。
ひとつは、国語読解の問題集読書や、説明文の本の読書に力を入れることです。
もうひとつは、親子で話をすることです。
低学年の作文でも、感想を長く書ける子は、お父さんやお母さんといろいろなことをよく話しています。
子供が子供どうしで話をする場合、思考語彙はほとんど必要としません。しかし、大人と話す時間が増えると、自然に思考語彙のある話を聞き、本人も思考語彙のある話をするようになります。
子供の作文の感想の部分がものたりない場合は、親子で話をする時間を増やすといいのです。
親子で話をするときの材料は、子供の書く作文です。
子供の書く作文の実例に合わせて、お母さんやお父さんが自分の小さいころの似た話をしてあげるのです。
もうひとつは、子供の書く作文の表現です。
子供と一緒に、作文の中に入れるたとえやダジャレを考えてあげるのです。
また、子供が長文の音読をしているときに、その長文の内容に沿って、似た話をしてあげるという方法もあります。
また、総合学力クラスでの発表の時間や、創造発表クラスの発表の時間を利用して、親子で理科実験や調査研究に取り組むと、その過程で自然に知的な対話が増えます。
親子の対話は、読書と同じように子供の考える力を育てるのです。
この親子の対話ができるのは、大体小学6年生までです。
中学生や高校生でも、親子の対話をしている生徒はいますが、ほとんどの子は、中学生になると、自立のために親から離れようとします。
だから、小学6年生までの間に、親子の対話にじっくり取り組んでいくといいのです。
森リン点の解説(1)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(2)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(3)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(4)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(5)――高得点の作文はどのようにして書くか