●
https://youtu.be/PukRruOGJ6Y
思考語彙とは、考える力を評価するものでした。
森リンは、この思考語彙のほかに、知識語彙、表現語彙という面も評価しています。
知識語彙とは、密度の濃い文章が書かれているかという評価です。
わかりやすく言うと、難しい言葉もある程度使って書いてあるかということです。
ある程度というのは、難しい言葉を使いすぎると文章が重くなり、かえってバランスの面で点数が低くなるからです。
この難しい言葉を書く力というのは、書く人の語彙力とも言えます。
難しい本を読んでいる人は、自然にそういう言葉を使えますが、本をあまり読んでない人は、日常会話的な言葉しか使えません。
小6までは、複数の実例という書き方をしますが、中学生になると、複数の理由とか、複数の方法とかいう構成を重視した書き方になります。
すると、理由や方法のところで抽象的な言葉が出てこないために、そのまま実例を書いてしまう人も多いのです。
例えば、「宿題はよいか悪いか」というテーマで、複数の理由を書くときに、「宿題はよくないと思う。その理由は、この前、出された宿題は、面白くない上にとても時間がかかり……」などと実例をそのまま書いてしまう人が意外に多いということです。
語彙力のある生徒は、「宿題はよくないと思う。その理由は生徒が自主的に勉強する姿勢を持てなくなるからだ。例えば……」と、「自主的」「姿勢」などという抽象的な理由のあとに具体的な実例を書くことができます。
この知識語彙を増やす方法は、根本的には、問題集読書や説明文の読書をすることですが、作文の上だけで工夫することもできます。
それは、調べた実例を引用することです。
見本の作文では、「嬉しかったプレゼント」というテーマで、第二段落に、「賢者の贈り物」を引用しています。
私はオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」という物語を読んだ事がある。ある夫婦がクリスマスにプレゼントをしあうお話だ。妻のデラは長くきれいな髪の毛が自慢だが、夫のジムへのプレゼントのために髪の毛を売ってしまう。そのお金で買ったのはジムの金時計によく似合う鎖だった。だが、ジムはデラの髪に似合う宝石の櫛を買うために時計を売ってしまったのだ。すれ違ってしまった2人のプレゼントだが、私はこのお話が大好きだ。このお話では2人とも心のこもったプレゼントをしたからこそ、心温まる結末になったのではないかと思った。相手のことを考えて買ったものだからこそ、特別嬉しい気持ちになるし、相手のことも大好きになる。そんな物語が「プレゼント」という存在でできているのだと感じた。
この引用は、それほど難しい言葉が使われているわけではありませんが、引用する話題によっては、知識語彙が増えるようになります。
また、引用に、データとしての固有名詞や数字が入ると、文章の説得力を増す効果があります。
高学年の生徒は、自分の作文にあった話を、両親などに取材をするとともに、適宜、インターネットで調べた話などを引用して話題を広げて書いていくといいと思います。
ちなみに、この作文で、森リンが評価した知識語彙は次のようなものです。
【知識語彙】()内は語彙のウェイト。
プレゼント
(5.95) | 13 | 存在
(0.38) | 1 | 習慣
(0.65) | 1 | 家族
(0.47) | 1 | 真心
(1.28) | 1 | 金時計
(5.95) | 1 | 感謝
(0.62) | 1 | 裏紙
(5.95) | 1 | 自慢
(0.79) | 1 | 感情
(0.54) | 1 |
旅行
(0.65) | 1 | 立派
(0.65) | 1 | 物語
(0.63) | 1 | 賢者
(1.39) | 1 | 姫差
(5.95) | 1 | 人間
(0.2) | 1 | 成長
(0.47) | 1 | 意見
(0.4) | 1 | 時計
(0.75) | 1 | ・ヘンリー
(5.95) | 1 |
クリスマス
(5.95) | 1 | 宝石
(0.96) | 1 | 結末
(1.01) | 1 | 手段
(0.65) | 1 | 似顔絵
(1.22) | 1 | 意味
(0.33) | 1 | 言葉
(0.24) | 1 | 共感
(0.8) | 1 | 誕生日
(0.8) | 1 | 夫婦
(0.96) | 1 |
正直
(0.68) | 1 | 個人
(0.61) | 1 | 特別
(0.62) | 1 | 相手
(0.38) | 1 | 程度
(0.7) | 1 |
|
森リン点の解説(1)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(2)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(3)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(4)――高得点の作文はどのようにして書くか
森リン点の解説(5)――高得点の作文はどのようにして書くか
●
https://youtu.be/C0L4JeHBoJ8
総合学力クラスには、現在、幼長から小4の子までが参加しています。
総合学力クラスの前身の基礎学力クラスを開設したのが今年2022年の1月ですから、早い子は、もう9ヶ月ぐらい勉強を続けています。
勉強の内容は、国語、算数、暗唱、発表と読書紹介です。
小学1年生から4年生までの勉強は、難しいところは何もありません。やれば誰でもできることばかりです。
だから、総合学力クラスでは、勉強の内容のチェックよりも、読書紹介など、子供たちの知的な交流の時間に力を入れてきました。
しかし、その結果、みんな頭がよくなってきたと思うのです。
総合学力クラスは、勉強の詰め込みで成績を上げることが目的ではありませんから、勉強がどのくらいできるようになったかは、それほど評価していません。
勉強は、頭さえよくしておけば、必要になったときに、すぐできるようになるからです。
そして、たぶん参加している子の多くは、もともと成績もいい子です。
総合学力クラスの読書紹介で、最初は、読んでいる本をただ見せるだけだった子が、次第に、本の内容を紹介できるようになっています。
中には、本のあらすじを延々と言ってしまう子もいますが、そこで注意するようなことはしません。
教科の勉強でも、作文の勉強でも、大事なことは、欠点を直すことではなく、その子ががんばっていることを認めることだからです。
子供たちの頭はどこでよくなるかというと、勉強でよくなるのではありません。
小学生の勉強の内容は、決まったルールどおりにやるという手順を覚えることがほとんどですから、いくら計算の練習をしたり、漢字の書き取りをしたり、理科や社会の知識を覚えたりしても、それで頭がよくなるわけではありません。
どこで、頭がよくなるかというと、読書の中で文章を読み取ることと、他の人との対話の中で相手の言葉を読み取ることによってです。
そして、更に、自分の言葉で相手に何かを発表することによって頭脳は活性化するのです。
総合学力クラスでは、みんながそれぞれに発表する時間があります。勉強する時間ももちろんありますが、その勉強の時間の前後の読書紹介や一人一言の時間があります。
勉強の内容のチェックも、生徒が発言することによって成り立つ教え方です。先生が一方的に講義するような授業はありません。
だから、どの子も発表することが好きになります。
そして、この発表のときに、子供たちの頭脳はフル回転するのです。
集英社オンラインの記事に、開智日本橋学園中学の話が載っていました。
内容に賛同できることが多かったので、紹介します。
====
■■開智日本橋学園中学が取り組む、子供にとって本当に必要な「先進的授業」
美術や歴史の時間に学んだことを人前で上演する「創作朗読劇」。答えのない問いが他者への想像力を鍛える「哲学対話」など、私立中学校で始まっている「国語力」を鍛える最先端の授業とは…。
■流行の教育も国語力がなければ意味がない
日本の子供たちの国語力が脆弱なものになっているという声は、いくつもの教育現場で上がっています。現在の学校教育では、小学生の早い段階から外国語やプログラミングの授業などが行われています。SDGs教育も盛んです。もう少し上になると金融教育、起業家精神教育なども入ってきます。
しかし、それらの教育は、国語力という基礎がついてからはじめて行うべきものではないでしょうか。
国語力とは読解力だけを意味するものではありません。語彙をベースにして、情緒力、想像力、論理的思考力、表現力を結合させた総合的な力です。数学者の藤原正彦さんが「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と語っているように、すべては国語の力があってこそです。
多くの教育者が懸念しているのは、家庭格差、ライフスタイルの変化、ネット社会への移行などで、こうした国語力がきちんと育めていないのに、新しい教育を次々とやらせていることなのです。
■家庭での積み重ねが大切
私は『ルポ 誰が国語力を殺したか』(文藝春秋)というノンフィクションで、子供たちの国語力を取り巻く危機的な状況と、回復への道筋を示しました。取材の中で感じたのは、子供たちと真摯に向き合っている教員や学校は、何よりこの国語力を重要視しているということでした。
国語力の基本的な部分は、小学4年生くらいまでにでき上がります。特に有効とされているのが次のような働きかけです。
・子供が主体となった自由な遊びをさせる(親の目的ありきではない遊び)。
・親が「どうしてだと思う?」など問いかけの形で会話をする。
・絵本を含めて身の回りに活字のある本をたくさん置いておく。
・社会で起きている出来事について家族みんなで話をする。
・博物館や外国文化の体験を通して、新しい価値観を学ばせる。
細かなことは本に書きましたのでここでは割愛しますが、親がお金をかけて学習塾などで勉強をさせるより、上記のようなことを家庭で積み重ねる方が、結果的に子供の学力は向上するという研究結果もあります。
家庭や学校でのこうした体験のくり返しの中で、子供たちは抽象的な概念を的確に想像できるようになったり、物事の因果関係を論理的に考えられるようになったりするのです。それが人との円滑なコミュニケーションにつながっていくし、小学校高学年以降の難しい学習についていく基礎力になるのです。
■教科をまたいで国語力を底上げ
たとえば、ある私立中学校では、美術や歴史の時間に学んだことを「創作朗読劇」にさせます。一つの絵や一つの戦争から、みんなで資料を調べ、話し合い、脚本をつくり、照明やBGMを用意し、人前で上演するのです。
そうすることで、情報の丸暗記ではなく、様々な知識を横につなげたり、人との話し合いで新しい視点を発見したり、不特定多数の人に適切に伝える技術を磨くのです。似たようなことであれば、英語で絵本をつくらせる学校もあります。
高いレベルの学校でも、中学の授業で行う英会話の内容は、日本語にしてみれば小学校低学年くらいのものです。英会話は流暢になるかもしれませんが、大切なのは会話の中身です。
そこで、クラスの生徒たちに日本で起きた社会問題を題材に英語で絵本をつくらせるのです。そして、完成した作品を外国の姉妹校の生徒に見せ、オンラインでそれについて意見を述べ合う。
子供たちは社会問題を絵本化する過程で多くのことを自分で勉強するし、友達と深い議論をする。さらに外国の同年代の子供たちと話し合うことで、まったく異なる視点や意見をもらえる。ペラペラと表層的な会話だけをする英会話では得られない力を育むことができるのです。
まさに教科をまたいで学校全体で国語力の底上げを目指しているのです。
■哲学対話で評価の多様性が生まれる
このような例をみると、表現が得意な子だけが国語力を伸ばしていくようなイメージを抱くかもしれません。しかしまったく逆のこともあるのです。
たとえば開智日本橋学園中学で行われている「哲学対話」の授業がそれです。
まずクラスで哲学テーマを出し合います。「なぜ人は人を差別するのか」とか「魚に感情はあるのか」「争いは正義となりえるのか」など答えのない問いですね。
これをある手法を使ってクラスの生徒みんなで話し合います。これは誰かを論破するとか、正解を出すということとは正反対で、個々がそれぞれの意見を出し、それを聞きながら、どんどん意見を深めていくことが目的です。答えのない問いに対して、他者の意見を聞きながら思考を深める力を養うのです。
現在のような多様化した社会では、個別の主張の正しさを争うより、お互いの意見に耳を傾け、思考を深め、建設的に社会のあり方を考えていく力を育む方が重要です。哲学という、ともすれば古臭い手法を用いながら、未来の社会で生きていくのに必要な力を中学生の段階からつけさせていくのです。
興味深いのは、哲学対話の授業で目立つのは、普段の授業で目立つ生徒とは限らないことです。むしろ、悩みの多い物静かな生徒の方が活発で良い意見を言う傾向にあるのです。
普段の授業では、学力やスポーツなど点数化できるものが評価されますし、そういう生徒が注目される傾向にあります。しかし、哲学対話という答えのない問いを考える授業では、それとはまったく違う力を持った子供の方が目立つのです。
そういう意味では、哲学対話は評価の多様性を生むともいえるでしょう。
■教育の中心に「国語力育成」が絶対に必要
開智日本橋学園中学の哲学対話など、国語力を上げるための先進的な取り組みは『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に記しましたので、詳しくはそちらを参照していただけると嬉しいです。
今後、社会はグローバリゼーションの中でより多様化することが必至です。そこでは、人とつながる力、論理的な思考をする力、未知の世界を想像で補う力、自分を表現する力、異なる意見を受け入れる力が昔以上に必要とされます。
この時に重要なのが、それらのベースとなる国語力をどれだけ身につけているかということなのです。いくら英会話ができても、いくら高度なプログラミングができても、いくら金融の知識があっても、国語力なくしてはあらゆることが形骸化してしまいます。
だからこそ、子育てや教育の中心に「国語力の育成」を置くべきだと思うのです。
そのためには、次々と出てくる新しい教育に飛びつくだけでなく、前提となる国語力とは何か、それをつけさせるには何をすればいいのかということを、大人たち一人ひとりがしっかりと考えることが大切だといえるでしょう。
====
ここに書かれているとおり、結局、日本語で読み書きをする力こそが思考力の本質で、それ以外の知識の詰め込みは、すべて補助的なものにすぎません。
だから、特に小学校低中学年のころは、勉強に時間を費やすのではなく、読書と対話と発表に時間を使うことが必要なのです。