●動画:
https://youtu.be/b57aT9zM7Xg
今の教育には、いろいろな問題があると言われています。
その根底にあるのは、三十数人の生徒を一人の先生が教えていることです。
問題の第一は、進度も個性も異なる大勢の生徒に、同じ形で教えていることです。
問題の第二は、「教える」ということそのものです。
第一の「進度も個性も異なる大勢の生徒を同じ形で教える」ことの問題点はわかりやすいと思います。
第二の「教えるということそのもの」という問題は、少しわかりにくいかもしれません。
ハイポニカ農法を生み出した野沢重雄氏は、農業にとってきわめて大事だと言われる「土」そのものが、実は植物の生長の制約にもなっているのではないかと考えました。
同じことが教育にも言えます。
教育にとってきわめて大事だと言われる「先生が教える」ということそのものが、子供たちの成長の制約になっているのです。
いい先生も、悪い先生もいます。
しかし、本当は先生そのものが要らないのです。
子供は、教科書や参考書や問題集を自分で選び、それをもとに自分で学習します。
わからなければ解説を読みます。
解説を読めば、ほとんどのことはわかります。
解説がわかりにくい場合は、別のわかりやすい教材を選べばいいのです。
しかし、どうしてもわからない場合も、ごくまれにあります。
そのときに、質問や相談ができる人がいれば助かります。
その人が、先生と言えば先生です。
その先生は、教える先生ではなく、子供が行こうとする先に予想される問題をアドバイスする先生です。
子供が自分で勉強を進める。
困ったときだけ助けてくれる先生がいる。
これで教育は十分なのです。
しかし、子供にとって、勉強は、最初のうちは面白くないのが普通です。
義務教育段階の勉強は、登山で言えば、長い単調なアプローチです。
見晴らしのいい尾根道にたどりつくまでは、ただ足元を見て歩いているだけです。
勉強の面白さは、前に学んだことが後になって生きてくることがわかり、自分が成長していることがわかるという螺旋(らせん)形の面白さです。
それは、ゲームの面白さと本質的には同じものですが、ゲームが小さい螺旋形ですぐ結果が出るのに対して、勉強の多くは大きい螺旋形のためなかなか結果が見えないところが違います。
だから、小中学校時代の勉強は、ほとんどが本来面白くないものなのです。
しかし、その単調な勉強を面白くする方法があります。
それが、一緒に勉強する友達との交流です。
そして、吸収するだけの勉強ではなく、発表する時間のある勉強です。
生徒一人ひとりの進度に応じたアドバイス、一緒に勉強する友達との交流、吸収だけではなく発表する勉強。
このいずれもが、今の集団一斉指導型の教育ではできません。
また、マンツーマンの個別指導型の教育でもできません。
試験で同じ学力の子だけのクラス分けをしたり、先生がカバーできない分をグループ学習で補ったり、ブレンデッド教育と言って情報通信技術を組み合わせた個別対応の学習をさせたり、という工夫が行われていますが、いずれも不十分です。
最も有効な解決策は、オンラインで4~5人の超少人数クラスを運営をし、その授業の内容を、思考型、創造型、発表型、対話型にすることです。
これからの学校や教室は、何かを教えてもらいに行くところではなくなります。
生徒が自宅の自主学習で学んだことを、先生に確認してもらい、友達と交流し、自分の個性を発表する場所として行くところになります。
オンラインですから、教室に行くのではなく、自宅で教室を開くという方がふさわしいでしょう。
思考型、創造型、発表型、対話型の教育として、特に当てはまるクラスは、現在は、作文クラス、総合学力クラス、創造発表クラス、プログラミングクラスなどです。
しかし、国語読解クラスも、算数数学クラスも、英語クラスも、やり方を工夫すれば、思考型、創造型、発表型、対話型の教科にすることができます。
単なる知識の詰め込みでない、新しい未来の教育をオンライン4人クラスで作っていきたいと思います。
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「言葉の森が考えるこれからの社会と未来の教育(1)」
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●動画:
https://youtu.be/XKLpjq-_mBo
暗唱の効果や意義について書かれたものは、私の見るかぎりありません。
暗唱の学習をした子とそうでない子を統計的に比較した資料がないからです。
しかし、私(森川林)は、いろいろな事例から暗唱は頭をよくする効果があると確信したので、言葉の森の創設の最初のころから音読と暗唱の学習に取り組んできました。
ところが、暗唱の練習を続けられる子は、最初はほとんどいませんでした。
まず、親が暗唱という学習をしたことがないので、子供に暗唱を続けさせることができないのです。
これは、今でも同じです。いまだに、「暗唱ってただ覚えるだけでしょう」「それが何の役にたつのですか」と聞く人がかなりいます。
また、暗唱となると続けさせるのが大変だから、単なる音読で済ませてしまう人もかなりいます。
昔は、音読さえも、「音読が何の役に立つのですか」と聞く人がほとんどでした。
今でも、音読の意義を説明できる人はたぶんいません。
ただ音読がよさそうだと言われているからやっているということです。
私が考える音読の意義とは、
第一に、同じ文章を繰り返し読むときでも、斜め読みにならないということです。同じことを繰り返すと、ほとんどの子供は飽きるので、表面的な繰り返しになってしまうからです。
第二は、目で読むだけでなく、口でも読み、耳でも読むので、読みが更に深まり、文章の内容だけでなく、文章のリズムも頭に入るからです。
しかし、音読の練習は、あとに形が残らないので、達成感がありません。
また、音読の練習をしていると、近くで聞いているお母さんが、ほぼ必ずひとこと注意をしたくなります。
これは、日本語の特徴で、日本語脳では、左脳で子音と母音と感情を処理しているので、耳から入る言葉は気になるからです。
日本人以外の脳では、左脳で子音だけを処理し、母音と感情は右脳で処理しているので、耳から入る言葉は、あまり気にならないのだと思います。耳から入る言葉は、感情から分離しているのです。
こういう事情をふまえた上で、親は、子供の音読に対してはいつも必ず褒めるだけにすると決心することが大事です。
音読は、どんな読み方をしていても、ふざけて読んでも、間違って読んでも褒めるだけにしていれば上達します。
しかし、ほとんどのお母さんは善意でひとこと注意してしまうので、子供は音読を続けることを嫌がるようになるのです。
さて、音読と暗唱は、質的に異なります。
音読は声を出して読むだけですから、黙読よりも時間がかかる分、頭によく入るということがありますが、それ以上のものではありません。
しかし、暗唱は、この音読の繰り返しをすることによって、文章をまるごと頭に入れてしまうことです。
音読は、文章を理解することにとどまりますが、暗唱は、文章の理解から更に進んで、その文章と一体化するところまで進みます。
ある文章を理解しても、同じような文章を表現することまではできません。しかし、文章を暗唱すると、同じような文章を表現できるようになります。
これは、単なる記憶ではなく、記憶を超えた一体化ですから、折に触れてその文章の一節を思い出したり、同じ文章を聞くと懐かしさを覚えたりします。
暗唱は、記憶の方法としても有効ですが、記憶以上のものです。
わかりやすい例のひとつは九九です。九九を記憶ではなく暗唱ですから、必要なときに特に思い出そうとしなくても、「3×7=21(さんしちにじゅういち)」などと頭に思い浮かべることができます。
暗唱とは、手足のようなもので、特に手を伸ばして何かを取ろうと意識しなくても自然に手が動くように、思い出そうとしなくても必要に応じて思い出すことができます。暗唱は、手足のついた記憶なのです。
これまで多くの子の暗唱の指導をしてきて不思議に感じていることがあります。
それは、頭がいい子は、ほぼみんな暗唱が得意になるのです。
逆に言うと、暗唱ができる子は、ほぼみんな頭がよくなるのです。
頭がいいとは、必ずしも成績がいいことではありません。成績は、頭のよさではなく、勉強に比例しているからです。
しかし、頭のいい子は、いざ勉強を始めるとすぐに成績が上がります。
その頭のよさと暗唱のどちらが先かということはわかりませんが、頭のよさと暗唱の相関はかなり高いようです。
シュリーマンは、最初は暗唱が苦手でしたが、長年暗唱の練習をしているうちに、どのようなものもすぐに暗唱できるようになり、やがて10数か国語をマスターするようになりました。
そう考えると、暗唱に頭をよくする効果があると考えることができると思います。
この暗唱を続けやすくするために、2011年に暗唱検定という制度を作りました(暗唱検定は言葉の森の登録商標)。
これまで多くの子が、暗唱検定に合格してきました。
この暗唱検定を取り組みやすくするために、今後、暗唱の範囲を細かく細分化することを考えています。
また、これまでに暗唱検定に合格した子を、森リンランキングや読検ランキングなどのように表示することを考えています。
暗唱の勉強をしやすくするために、暗唱検定のほかに、暗唱のクラスを作ることを一時考えました。
しかし、暗唱だけを毎週45分間やるよりも、月に1回暗唱だけをする時間を設ける方がいいと考え、現在は、総合学力クラスで毎月第3週は暗唱の練習というふうにしています。
この暗唱の時間では、ほとんどの子が自分のできる範囲で暗唱をどんどん進めています。
自分の力に応じてなので、最初の方を繰り返しやる子もいれば、かなり先まで進んでやる子もいます。
どの子もしっかりやっているので、この暗唱の時間はかなり効果があると思っています。
暗唱には、適齢期があり、最も暗唱がしやすい時期は、幼長から小2にかけてです。
なぜかというと、この時期は、模倣の時代とも言われ、あらゆることをまるごと吸収できる時期だからです。
そのため、例えば、小学2年生くらいまでの子に、読んだ本の内容について、「どんなことが書いてあった」と質問すると、その本の内容を要約して説明できる子はまずいません。
ほぼ全員が、最初から最後までのあらすじを全部言うかたちで説明します。
だから、読書紹介では、先生は、子供に「どんな話だった」とは質問せずに、「どこか面白かった」と質問するようにしています。
小学2年生までの子は、読んだ本を理解するのではなく、まるごと自分と一体化して読んでいるのです。
だから、暗唱の文章も、何度か繰り返し音読していると、その文章がまるごと頭に入ります。
これが、小学校高学年や中学生になると、その文章を理解して記憶しようとするので、暗唱がなかなかできなくなります。
だから、小学2年生までの時期に暗唱のコツを覚え、それを高学年、中学生、高校生になっても生かしていくようにするといいのです。
たぶん、今暗唱に力を入れている子は、日々頭がよくなっていると思います。