●動画:
https://youtu.be/ddrU3MH-eYo
言葉の森の教育理念は、偏差値という基準ではありません。
今の教育は、受験のための学力となっていますが、大事なことは実力のための学力です。
受験のための学力とは、他人との競争に勝つために、間違えやすい問題を間違えないというクイズを解くような学力です。
それは、今の受験がそういう試験を作り、学校や塾がその試験に対応するために、クイズを解くような知識を詰め込んでいるからです。
しかし、振り返ってみればわかるように、小中高と勉強してきたことの中で、社会人になってからのものの考え方に生かせないものはかなりあります。
例えば、中学の理科の試験でよく出てくる植物の維管束でどちらが導管でどちら師管とか、単子葉植物と双子葉植物でどう違うかというようなことです。
私(森川林)は生物が好きだったので、今でもよく覚えていますが(笑)、こういうことは知識として知っていてもいいが、すぐに忘れてもいいことで、思い出したかったらネットで調べればいいことです。
それを、試験という形で微妙な問題を出して、本当に覚えているかどうかチェックして評価するというのは、時代遅れだと思います。
もちろん、勉強は、しなくていいのではありません。
古文も漢文も根の公式も、一応勉強していると、生かせることがあると思います。
(私は、森リンのプログラムを作っているときに、根の公式を知っていてよかったと思ったことがあります。そのかわり、いろいろな因数分解の仕方は、試験のための知識であって、何も役に立たないように思いました。)
本当の勉強は、受験の偏差値のための勉強ではなく、将来の創造のための勉強です。
高校生でときどき、「○○という教科は、自分の受験には出ないから手を抜く」という人がいます。
これは、勉強の目的を、将来の創造のためと考えるともったいないことです。
勉強は、目先の損得でするものではなく、自分自身の向上のためにするものです。
日本の中学、高校の教科書のレベルは、かなり充実しています。
社会人として必要な一般教養は、たぶん中学までの教科書を読んでいれば間に合います。
ただし、社会の教科書に関しては、価値観の違いがあるので、偏ったところもあります。
あとは、社会人になっても、毎日の読書を欠かさないことです。
これからの学力は、試験のための学力ではなく、将来の創造のための学力、つまり本当の実力のための学力と考えると、勉強の方向がはっきりすると思います。
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人に言われたことを言われたとおりにやっているだけなら、勉強はほとんど必要ありません。
自分で新しいことをしようとするときに、初めて勉強が必要になります。
その勉強は、試験のための勉強ではなく、創造のための勉強です。
よく、「試験で時間が足りなくなったら、何しろ空いているところを全部埋めてこい」という人がいます。
本当の勉強は、時間が足りなくなったときに、そこを空欄のまま残しておくことです。
我が家は、ずっとその方針でやってきました。
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●動画:
https://youtu.be/YcM26npcQLw
昔、岐阜の
位山に登ったとき、途中、車で景色のいい田舎道を走りながら考えていました。
こんなにきれいな場所なのに、ここにある主な産業はやはり農業で、そのほかには、地元の人を相手にした床屋や飲食店などがぱらぱらとあるだけです。
昔は、こういう田舎に工場があったこともありますが、今、そういう工場は日本の田舎ではなく海外に移転しています。
藤原直哉さんは、これからの大不況の時代に、仕事がなくなった人は、農村でその地域の特性を生かした農業に携わればいいのではないかと考えているようです。日本では、歴史的に、農村がそういう緩衝板の役割を果たしてきたのです。
そして、単なる緩衝板ではなく、日本を、それぞれの地域の特徴を持った観光立国にすることが、今後の日本の方向だと考えているのだと思います。
観光立国と言っても、海外の人を呼び込むことだけを目的とした観光ではありません。独自の個性的な文化と特徴を持った、そこに住んでいる人が喜びを持って仕事のできる地域経済を作るということです。
今はインターネットを利用して、田舎であっても、その地域の独自性のある産物を、日本全国をマーケットにして販売することができます。
例えば、私(森川林)は、くさやとか、蜂の子とか、イナゴの佃煮とか、そういう変なものが好きですが、近所のスーパには、そのような商品はあまり置いてありません。
たぶん、日本中には、自分がまだ目にしたことのない面白い食べ物や工芸品があるはずです。
観光立国とは、そういう個性のある地域経済が全国各地に生まれるということです。
しかし、私が車を運転しながら考えたのは、もう少し即戦力のあることです。
それは、田舎で行うオンライン4人クラスの教育です。
少子化で子供がほとんどいない地域であっても、オンライン4人クラスであれば、すぐに同学年、同教科の生徒を日本中から集めることができます。
そして、週1回、自分の都合に合わせた時間帯で、子供たちの教育に携わることができます。
オンラインの少人数クラスですから、たまたま自分の都合が合わずに休講する場合でも、他の同じようなネット上の講師に代講を依頼することができます。リアルな対面教室のような時間や場所の制約はありません。
そして、もうひとつ重要なのは、その地域の特性を生かした、きれいな自然、伝統のある文化や祭りなどを活用して、遠足や合宿などの企画もできるということです。
このオンライン少人数教育と結びつけた観光立国が、これからの日本が目指すひとつの方向だと思います。
この場合の教育は、単に成績を上げるための受験教育ではなく、思考力、創造力、共感力を伸ばすための創造教育である必要があります。
言葉の森は、すでに横浜のひとつの教室で、世界中の生徒を相手にしたオンライン教育を行っています。
もちろん、世界中と言っても、海外からの生徒はまだ5パーセントほどです。これは受講料やテキストのやりとりにまだ制約があるからですが、今後この制約が技術的に克服できるようになれば、文字どおり世界をマーケットにした教室になります。
作文指導も、日本語の作文に限らず、ザ・サクブンというような講座で、あらゆる言語に対応した作文教育を行えるようになります。
ザ・サクブンは、言語の壁を超えた世界共通の新しい教科になる可能性があります。
こういう世界規模の地域教室ができることと、日本各地の観光立国を結びつけることができれば、日本の未来は明るいのではないかと思いました。
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大きな歴史的枠組みで見ると、現代は、物の生産を中心とした資本主義社会が終わりつつある時代です。
資本主義の精神と分かちがたく結びついているのが、都市、競争、勝敗、金銭などという原理です。
しかし、一気に新しい社会に行くわけではなく、途中の過程では、資本主義の原理を生かさなければならないのです。
資本主義の先にある新しい社会の中心となる理念は創造です。
しかし、それは競争のための創造ではなく、創造のための創造です。
今、さまざまな未来論が語られていますが、大事なことは、この創造というキーワードを入れて未来を語ることです。
それができていないのは、創造という概念がわかりにくいからです。
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