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https://youtu.be/ddrU3MH-eYo
言葉の森の教育理念は、偏差値という基準ではありません。
今の教育は、受験のための学力となっていますが、大事なことは実力のための学力です。
受験のための学力とは、他人との競争に勝つために、間違えやすい問題を間違えないというクイズを解くような学力です。
それは、今の受験がそういう試験を作り、学校や塾がその試験に対応するために、クイズを解くような知識を詰め込んでいるからです。
しかし、振り返ってみればわかるように、小中高と勉強してきたことの中で、社会人になってからのものの考え方に生かせないものはかなりあります。
例えば、中学の理科の試験でよく出てくる植物の維管束でどちらが導管でどちら師管とか、単子葉植物と双子葉植物でどう違うかというようなことです。
私(森川林)は生物が好きだったので、今でもよく覚えていますが(笑)、こういうことは知識として知っていてもいいが、すぐに忘れてもいいことで、思い出したかったらネットで調べればいいことです。
それを、試験という形で微妙な問題を出して、本当に覚えているかどうかチェックして評価するというのは、時代遅れだと思います。
もちろん、勉強は、しなくていいのではありません。
古文も漢文も根の公式も、一応勉強していると、生かせることがあると思います。
(私は、森リンのプログラムを作っているときに、根の公式を知っていてよかったと思ったことがあります。そのかわり、いろいろな因数分解の仕方は、試験のための知識であって、何も役に立たないように思いました。)
本当の勉強は、受験の偏差値のための勉強ではなく、将来の創造のための勉強です。
高校生でときどき、「○○という教科は、自分の受験には出ないから手を抜く」という人がいます。
これは、勉強の目的を、将来の創造のためと考えるともったいないことです。
勉強は、目先の損得でするものではなく、自分自身の向上のためにするものです。
日本の中学、高校の教科書のレベルは、かなり充実しています。
社会人として必要な一般教養は、たぶん中学までの教科書を読んでいれば間に合います。
ただし、社会の教科書に関しては、価値観の違いがあるので、偏ったところもあります。
あとは、社会人になっても、毎日の読書を欠かさないことです。
これからの学力は、試験のための学力ではなく、将来の創造のための学力、つまり本当の実力のための学力と考えると、勉強の方向がはっきりすると思います。
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人に言われたことを言われたとおりにやっているだけなら、勉強はほとんど必要ありません。
自分で新しいことをしようとするときに、初めて勉強が必要になります。
その勉強は、試験のための勉強ではなく、創造のための勉強です。
よく、「試験で時間が足りなくなったら、何しろ空いているところを全部埋めてこい」という人がいます。
本当の勉強は、時間が足りなくなったときに、そこを空欄のまま残しておくことです。
我が家は、ずっとその方針でやってきました。
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https://youtu.be/YcM26npcQLw
昔、岐阜の
位山に登ったとき、途中、車で景色のいい田舎道を走りながら考えていました。
こんなにきれいな場所なのに、ここにある主な産業はやはり農業で、そのほかには、地元の人を相手にした床屋や飲食店などがぱらぱらとあるだけです。
昔は、こういう田舎に工場があったこともありますが、今、そういう工場は日本の田舎ではなく海外に移転しています。
藤原直哉さんは、これからの大不況の時代に、仕事がなくなった人は、農村でその地域の特性を生かした農業に携わればいいのではないかと考えているようです。日本では、歴史的に、農村がそういう緩衝板の役割を果たしてきたのです。
そして、単なる緩衝板ではなく、日本を、それぞれの地域の特徴を持った観光立国にすることが、今後の日本の方向だと考えているのだと思います。
観光立国と言っても、海外の人を呼び込むことだけを目的とした観光ではありません。独自の個性的な文化と特徴を持った、そこに住んでいる人が喜びを持って仕事のできる地域経済を作るということです。
今はインターネットを利用して、田舎であっても、その地域の独自性のある産物を、日本全国をマーケットにして販売することができます。
例えば、私(森川林)は、くさやとか、蜂の子とか、イナゴの佃煮とか、そういう変なものが好きですが、近所のスーパには、そのような商品はあまり置いてありません。
たぶん、日本中には、自分がまだ目にしたことのない面白い食べ物や工芸品があるはずです。
観光立国とは、そういう個性のある地域経済が全国各地に生まれるということです。
しかし、私が車を運転しながら考えたのは、もう少し即戦力のあることです。
それは、田舎で行うオンライン4人クラスの教育です。
少子化で子供がほとんどいない地域であっても、オンライン4人クラスであれば、すぐに同学年、同教科の生徒を日本中から集めることができます。
そして、週1回、自分の都合に合わせた時間帯で、子供たちの教育に携わることができます。
オンラインの少人数クラスですから、たまたま自分の都合が合わずに休講する場合でも、他の同じようなネット上の講師に代講を依頼することができます。リアルな対面教室のような時間や場所の制約はありません。
そして、もうひとつ重要なのは、その地域の特性を生かした、きれいな自然、伝統のある文化や祭りなどを活用して、遠足や合宿などの企画もできるということです。
このオンライン少人数教育と結びつけた観光立国が、これからの日本が目指すひとつの方向だと思います。
この場合の教育は、単に成績を上げるための受験教育ではなく、思考力、創造力、共感力を伸ばすための創造教育である必要があります。
言葉の森は、すでに横浜のひとつの教室で、世界中の生徒を相手にしたオンライン教育を行っています。
もちろん、世界中と言っても、海外からの生徒はまだ5パーセントほどです。これは受講料やテキストのやりとりにまだ制約があるからですが、今後この制約が技術的に克服できるようになれば、文字どおり世界をマーケットにした教室になります。
作文指導も、日本語の作文に限らず、ザ・サクブンというような講座で、あらゆる言語に対応した作文教育を行えるようになります。
ザ・サクブンは、言語の壁を超えた世界共通の新しい教科になる可能性があります。
こういう世界規模の地域教室ができることと、日本各地の観光立国を結びつけることができれば、日本の未来は明るいのではないかと思いました。
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大きな歴史的枠組みで見ると、現代は、物の生産を中心とした資本主義社会が終わりつつある時代です。
資本主義の精神と分かちがたく結びついているのが、都市、競争、勝敗、金銭などという原理です。
しかし、一気に新しい社会に行くわけではなく、途中の過程では、資本主義の原理を生かさなければならないのです。
資本主義の先にある新しい社会の中心となる理念は創造です。
しかし、それは競争のための創造ではなく、創造のための創造です。
今、さまざまな未来論が語られていますが、大事なことは、この創造というキーワードを入れて未来を語ることです。
それができていないのは、創造という概念がわかりにくいからです。
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https://youtu.be/b57aT9zM7Xg
今の教育には、いろいろな問題があると言われています。
その根底にあるのは、三十数人の生徒を一人の先生が教えていることです。
問題の第一は、進度も個性も異なる大勢の生徒に、同じ形で教えていることです。
問題の第二は、「教える」ということそのものです。
第一の「進度も個性も異なる大勢の生徒を同じ形で教える」ことの問題点はわかりやすいと思います。
第二の「教えるということそのもの」という問題は、少しわかりにくいかもしれません。
ハイポニカ農法を生み出した野沢重雄氏は、農業にとってきわめて大事だと言われる「土」そのものが、実は植物の生長の制約にもなっているのではないかと考えました。
同じことが教育にも言えます。
教育にとってきわめて大事だと言われる「先生が教える」ということそのものが、子供たちの成長の制約になっているのです。
いい先生も、悪い先生もいます。
しかし、本当は先生そのものが要らないのです。
子供は、教科書や参考書や問題集を自分で選び、それをもとに自分で学習します。
わからなければ解説を読みます。
解説を読めば、ほとんどのことはわかります。
解説がわかりにくい場合は、別のわかりやすい教材を選べばいいのです。
しかし、どうしてもわからない場合も、ごくまれにあります。
そのときに、質問や相談ができる人がいれば助かります。
その人が、先生と言えば先生です。
その先生は、教える先生ではなく、子供が行こうとする先に予想される問題をアドバイスする先生です。
子供が自分で勉強を進める。
困ったときだけ助けてくれる先生がいる。
これで教育は十分なのです。
しかし、子供にとって、勉強は、最初のうちは面白くないのが普通です。
義務教育段階の勉強は、登山で言えば、長い単調なアプローチです。
見晴らしのいい尾根道にたどりつくまでは、ただ足元を見て歩いているだけです。
勉強の面白さは、前に学んだことが後になって生きてくることがわかり、自分が成長していることがわかるという螺旋(らせん)形の面白さです。
それは、ゲームの面白さと本質的には同じものですが、ゲームが小さい螺旋形ですぐ結果が出るのに対して、勉強の多くは大きい螺旋形のためなかなか結果が見えないところが違います。
だから、小中学校時代の勉強は、ほとんどが本来面白くないものなのです。
しかし、その単調な勉強を面白くする方法があります。
それが、一緒に勉強する友達との交流です。
そして、吸収するだけの勉強ではなく、発表する時間のある勉強です。
生徒一人ひとりの進度に応じたアドバイス、一緒に勉強する友達との交流、吸収だけではなく発表する勉強。
このいずれもが、今の集団一斉指導型の教育ではできません。
また、マンツーマンの個別指導型の教育でもできません。
試験で同じ学力の子だけのクラス分けをしたり、先生がカバーできない分をグループ学習で補ったり、ブレンデッド教育と言って情報通信技術を組み合わせた個別対応の学習をさせたり、という工夫が行われていますが、いずれも不十分です。
最も有効な解決策は、オンラインで4~5人の超少人数クラスを運営をし、その授業の内容を、思考型、創造型、発表型、対話型にすることです。
これからの学校や教室は、何かを教えてもらいに行くところではなくなります。
生徒が自宅の自主学習で学んだことを、先生に確認してもらい、友達と交流し、自分の個性を発表する場所として行くところになります。
オンラインですから、教室に行くのではなく、自宅で教室を開くという方がふさわしいでしょう。
思考型、創造型、発表型、対話型の教育として、特に当てはまるクラスは、現在は、作文クラス、総合学力クラス、創造発表クラス、プログラミングクラスなどです。
しかし、国語読解クラスも、算数数学クラスも、英語クラスも、やり方を工夫すれば、思考型、創造型、発表型、対話型の教科にすることができます。
単なる知識の詰め込みでない、新しい未来の教育をオンライン4人クラスで作っていきたいと思います。
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今の教育の諸問題のほとんどは、オンライン4人クラスで解決します。
しかし、世間で出されている提案は、いずれも、今の35人学級を1人又は2人の先生が教えることを前提にしたものです。
また、リアルな対面式の教育が主流で、オンラインは補助的なものと考えられています。そうなるのは、オンライン教育をリアルのコピーと考えているからです。
オンライン観が古すぎるのです。
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暗唱の効果や意義について書かれたものは、私の見るかぎりありません。
暗唱の学習をした子とそうでない子を統計的に比較した資料がないからです。
しかし、私(森川林)は、いろいろな事例から暗唱は頭をよくする効果があると確信したので、言葉の森の創設の最初のころから音読と暗唱の学習に取り組んできました。
ところが、暗唱の練習を続けられる子は、最初はほとんどいませんでした。
まず、親が暗唱という学習をしたことがないので、子供に暗唱を続けさせることができないのです。
これは、今でも同じです。いまだに、「暗唱ってただ覚えるだけでしょう」「それが何の役にたつのですか」と聞く人がかなりいます。
また、暗唱となると続けさせるのが大変だから、単なる音読で済ませてしまう人もかなりいます。
昔は、音読さえも、「音読が何の役に立つのですか」と聞く人がほとんどでした。
今でも、音読の意義を説明できる人はたぶんいません。
ただ音読がよさそうだと言われているからやっているということです。
私が考える音読の意義とは、
第一に、同じ文章を繰り返し読むときでも、斜め読みにならないということです。同じことを繰り返すと、ほとんどの子供は飽きるので、表面的な繰り返しになってしまうからです。
第二は、目で読むだけでなく、口でも読み、耳でも読むので、読みが更に深まり、文章の内容だけでなく、文章のリズムも頭に入るからです。
しかし、音読の練習は、あとに形が残らないので、達成感がありません。
また、音読の練習をしていると、近くで聞いているお母さんが、ほぼ必ずひとこと注意をしたくなります。
これは、日本語の特徴で、日本語脳では、左脳で子音と母音と感情を処理しているので、耳から入る言葉は気になるからです。
日本人以外の脳では、左脳で子音だけを処理し、母音と感情は右脳で処理しているので、耳から入る言葉は、あまり気にならないのだと思います。耳から入る言葉は、感情から分離しているのです。
こういう事情をふまえた上で、親は、子供の音読に対してはいつも必ず褒めるだけにすると決心することが大事です。
音読は、どんな読み方をしていても、ふざけて読んでも、間違って読んでも褒めるだけにしていれば上達します。
しかし、ほとんどのお母さんは善意でひとこと注意してしまうので、子供は音読を続けることを嫌がるようになるのです。
さて、音読と暗唱は、質的に異なります。
音読は声を出して読むだけですから、黙読よりも時間がかかる分、頭によく入るということがありますが、それ以上のものではありません。
しかし、暗唱は、この音読の繰り返しをすることによって、文章をまるごと頭に入れてしまうことです。
音読は、文章を理解することにとどまりますが、暗唱は、文章の理解から更に進んで、その文章と一体化するところまで進みます。
ある文章を理解しても、同じような文章を表現することまではできません。しかし、文章を暗唱すると、同じような文章を表現できるようになります。
これは、単なる記憶ではなく、記憶を超えた一体化ですから、折に触れてその文章の一節を思い出したり、同じ文章を聞くと懐かしさを覚えたりします。
暗唱は、記憶の方法としても有効ですが、記憶以上のものです。
わかりやすい例のひとつは九九です。九九を記憶ではなく暗唱ですから、必要なときに特に思い出そうとしなくても、「3×7=21(さんしちにじゅういち)」などと頭に思い浮かべることができます。
暗唱とは、手足のようなもので、特に手を伸ばして何かを取ろうと意識しなくても自然に手が動くように、思い出そうとしなくても必要に応じて思い出すことができます。暗唱は、手足のついた記憶なのです。
これまで多くの子の暗唱の指導をしてきて不思議に感じていることがあります。
それは、頭がいい子は、ほぼみんな暗唱が得意になるのです。
逆に言うと、暗唱ができる子は、ほぼみんな頭がよくなるのです。
頭がいいとは、必ずしも成績がいいことではありません。成績は、頭のよさではなく、勉強に比例しているからです。
しかし、頭のいい子は、いざ勉強を始めるとすぐに成績が上がります。
その頭のよさと暗唱のどちらが先かということはわかりませんが、頭のよさと暗唱の相関はかなり高いようです。
シュリーマンは、最初は暗唱が苦手でしたが、長年暗唱の練習をしているうちに、どのようなものもすぐに暗唱できるようになり、やがて10数か国語をマスターするようになりました。
そう考えると、暗唱に頭をよくする効果があると考えることができると思います。
この暗唱を続けやすくするために、2011年に暗唱検定という制度を作りました(暗唱検定は言葉の森の登録商標)。
これまで多くの子が、暗唱検定に合格してきました。
この暗唱検定を取り組みやすくするために、今後、暗唱の範囲を細かく細分化することを考えています。
また、これまでに暗唱検定に合格した子を、森リンランキングや読検ランキングなどのように表示することを考えています。
暗唱の勉強をしやすくするために、暗唱検定のほかに、暗唱のクラスを作ることを一時考えました。
しかし、暗唱だけを毎週45分間やるよりも、月に1回暗唱だけをする時間を設ける方がいいと考え、現在は、総合学力クラスで毎月第3週は暗唱の練習というふうにしています。
この暗唱の時間では、ほとんどの子が自分のできる範囲で暗唱をどんどん進めています。
自分の力に応じてなので、最初の方を繰り返しやる子もいれば、かなり先まで進んでやる子もいます。
どの子もしっかりやっているので、この暗唱の時間はかなり効果があると思っています。
暗唱には、適齢期があり、最も暗唱がしやすい時期は、幼長から小2にかけてです。
なぜかというと、この時期は、模倣の時代とも言われ、あらゆることをまるごと吸収できる時期だからです。
そのため、例えば、小学2年生くらいまでの子に、読んだ本の内容について、「どんなことが書いてあった」と質問すると、その本の内容を要約して説明できる子はまずいません。
ほぼ全員が、最初から最後までのあらすじを全部言うかたちで説明します。
だから、読書紹介では、先生は、子供に「どんな話だった」とは質問せずに、「どこか面白かった」と質問するようにしています。
小学2年生までの子は、読んだ本を理解するのではなく、まるごと自分と一体化して読んでいるのです。
だから、暗唱の文章も、何度か繰り返し音読していると、その文章がまるごと頭に入ります。
これが、小学校高学年や中学生になると、その文章を理解して記憶しようとするので、暗唱がなかなかできなくなります。
だから、小学2年生までの時期に暗唱のコツを覚え、それを高学年、中学生、高校生になっても生かしていくようにするといいのです。
たぶん、今暗唱に力を入れている子は、日々頭がよくなっていると思います。
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言葉の森の暗唱の方法が、いちばんやりやすいと思います。
この方法なら誰でも最短で暗唱力が身につきます。
しかし、微妙なコツがあるので、お母さんも自分で暗唱をしてみるのがいいです。
そうしないと、「ちゃんとした姿勢で読みなさい」とか、「ゆっくり読みなさい」とか、「句読点のところで区切って読みなさい」とか、「わからない言葉は意味を調べなさい」とか、正反対のアドバイスをしてしまうことがあるからです。
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11月5日(土)から、土曜10:00に読書クラスを開設します。
このクラスでは、読書紹介、対話、そして、ときどき勉強を行います。
学年は、小1~高3です。
学校に行かない子、学校にあまり行きたがらない子が主な対象です。
学校に行かなくても、自分の好きな本を読んで、みんなと対話をして、そして、もし勉強もしたいのであれば勉強をしてもいいというクラスです。
勉強をする場合は、その勉強のアドバイスも行います。
参加しやすいように、無料体験学習は1か月4週行います。
体験学習を希望される方は、オンラインクラスからお申込みいただくか、お電話でお申込みください。
11月5日までの先着順ですが、定員を超えそうなときは、高学年の方を優先させていただきます。
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学校に行かないと勉強が遅れると心配する必要はありません。
自宅での自主学習の方が、学校で授業を聞くよりも5倍から10倍ぐらい早く頭に入ります。その分、余裕の時間を自分の趣味にあてればいいのです。
また、学校に行かないと、友達との交流がなくなると心配する必要もありません。オンラインクラスで友達と交流すればいいのです。そのうち、遠足や合宿も行う予定です。
中根先生ありがとうございます。
まだ迷っていますが、参加する場合、準備するものとしては、クラスの中で読む本ややりたい勉強のテキストなどでよろしいでしょうか? 読書紹介の準備を事前にしておくのでしょうか?
勉強ということはあまり考えずに、読書と対話ということで参加してくれればいいです。気が向いたら勉強するという感じです。
勉強は、やる気になればすぐにできるようになるから大丈夫です。
読書紹介は、準備というよりもその場で言ってくれればいいです。
私も、小学校時代は、いつも退屈で、毎日窓の外を見ては、「スズメたちは自由でいいなあ」と思っていました。
退屈しなかったのは、テストの時間ぐらいでした。
ほかの時間はすることがなかったので、教科書に落書きばかりしていました。
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現在、ロシアとウクライナの戦争が長引いていますが、これは単に2国間の問題ではなく、その背後にもっと大きな戦争をさせる勢力があることが原因です。
戦争を望んでいる兵士は、誰もいません。
みんな、自分と家族と国を守るために戦っているのです。
人間は、人と争う意識から次第に卒業しつつあります。
戦って勝つことが喜びであった時代から、今は別の時代に移りつつあります。
しかし、その方向がまだ明確には見えていないので、多くの人は争うことに焦点を置いてしまうのです。
新しい方向は、創造です。
創造は、競争や戦争よりもずっと希望のある方法です。
AとBが戦って、Aが勝ち成果を手に入れ、Bが負けて成果を失うというゲームではなく、AもBも、創造によってともに豊かになるという方法があるのです。
教育も、その方向に向かって進む必要があります。
今の教育は、競争に立脚しています。
狭い解答の枠の中で、他の人と比べてどれだけよくできたかが評価の基準になっています。
しかし、こういう競争の仕組みの中では、誰もがそれなりに敗者です。
ある競争に勝てば勝ったで、次の新しいステージの競争が待っています。
そして、多くの場合、その最終勝者は、人よりも多少金銭的に豊かな暮らしができるかもしれないという程度です。
そういう豊かな暮らしは、競争とは別の方法でも十分に手に入るものです。
それよりも大事なことは、日々、幸福と向上と創造と貢献の中に生きる毎日を過ごすことです。
そのための準備をすることが、教育の役割です。
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天外伺朗さんの「『融和力」混沌のなかでしっかり坐る」を見て、もう誰もがそういうことを考えているのだなあと思いました。
この新しい意識が広がるのはもうすぐだと思います。
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言葉の森が問題集読書を提唱したのは、もう30年近く前になります。
問題集読書は、問題集の問題文を読書がわりに読むだけという単純な勉強法ですが、その単純さ故に、実行できる子はほとんどいませんでした。
その代わり、問題集読書を実行できた子は、必ず国語の成績が上がりました。
問題集読書がなぜ続けにくいかというと、問題集の問題を解くような勉強に比べて、あとに形として残るものがないので、張り合いがないからです。
しかも、1冊の問題集を音読で5回以上繰り返し読むという勉強法ですから、張り合いがないわりに忍耐力や継続力が必要な勉強だからです。
ほとんどの子は、音読を嫌がります。それは、黙読よりも時間がかかるからです。
また、子供が音読をしていると、ほとんどの保護者はその音読を聞いて何らかの注意をしたくなります。
日本語は母音言語なので、読んでいる声を軽く聞き流すことができないからです。
しかし、音読を注意された子は、だんだん注意する人の前では音読をしないようになります。
だから、音読を聞いている人は、常に褒めてあげることが必要なのです。
音読の褒め方は、こうです。
子供がどんなに下手な読み方をしていても、
「難しい文章をよく読んでいるね」
とか、
「だんだん読むのが上手になってきたね」
とかいう励ましの言葉を言ってあげるのです。
すると、何も注意しなくても、必ず上手に読めるようになってきます。
さて、実行の難しい問題集読書の家庭学習を、確実に実行させる方法として始めたのが国語読解クラスの勉強です。
国語読解クラスでは、その子の問題集読書の読んだ範囲について質問をします。
しかし、まだすらすら答えられる子は、一握りです。
多くの子は、元の文章を見ながらでないと答えられません。
それは、読む回数がまだ5回以上になっていないからという面もありますが、音読ではなく黙読で表面的に読んでいる子が多いからということもあると思います。
さて、先日、保護者の方から速読についての質問がありました。
実は、言葉の森のサイトにも、速読のページがありました。
しかし、今はほとんど使っていません。
「長文速読問題」
https://www.mori7.com/kai/
「長文速読の磯」
https://www.mori7.com/iso/
(横書きの表示で見てください)
読書のスピードの大人の平均は、1分600字ぐらいです。
文庫本の1ページが約600字ですから、1ページを1分で読めれば普通の読書スピードです。
この読書スピードを時々測ってみると、速く読む意識がついてきます。
読書が遅くなる原因のひとつが、少し前に戻って読み直すという読み方です。
ですから、読んだところを手で隠しながら読んでいくと、自然に読書のスピードが上がります。
しかし、この速読法は、大人になってからやればいいのであって、子供のころは、速読よりもまず難しい文章を普通に読める難読力の方が大事です。
その難読力の練習が、問題集読書になるのです。
ところで、問題集読書は、普通の読書の代わりになるかというと、そういうことはありません。
読書には、熱中して読むという面があります。途中で止まらなくなって読むことがあるのが読書です。
問題集読書は、薬を飲むような勉強法です。問題集読書に熱中して止まらなくなるということはありません。
だから、問題集読書は、読書の代わりにはなりません。
それと同じように、短編の集まった本や、「5分で読める○○」や、「○○の名作20選」というような本も、熱中して読む本にはなりません。
子供には、熱中して読める本に出合うことが必要なのです。
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国語の力をつける最善の方法が、難しい文章を繰り返し読むことです。
しかし、この簡単そうに見える方法が、実は続けにくいのです。
だから、つい多くの人は、やりやすそうに見える、問題を解く勉強に走ってしまいます。
問題を問いて答えを書き○×をつけると、まるで勉強したかのような気がするからです。
問題を解くコツを身につけるには、月に1回の読解検定だけで十分です。
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国語読解の苦手な子が増えています。文章を読んで理解する力が弱いのです。
共通点は、あまり本を読んでいないことです。
読むとしても、絵が多く字の少ない本とか、長いひとつながりの本ではなく短編がいくつも並んだ本とかいうものが多いのです。
では、本を読まずに、空き時間は何をしているかというと、YouTubeを見たりゲームをしたりしているのです。
もちろん、YouTubeもゲームもいいのです。
問題は、そのために本を読む時間を取れなくなることです。
しかし、保護者の多くはそれが問題だと気がついていません。
子供は学校にちゃんと行っているし、出された宿題も一応やっているから大丈夫だと思ってしまうのです。
今の学校には、教育力はなくなっています。
小学生時代にいちばん大事なのは、文章を読んで理解する力をつけることですが、学校ではそれ以外の時間が多すぎます。
しかも、算数の授業では、基礎を身につけるよりも難しい問題をクイズのように解かせる趣味的な授業もあります。
理科、社会も、授業を面白くするために、難しい問題を出すことが多いのです。
更に、勉強とは関係のない行事の時間と、行事の準備のための時間が多すぎるのです。
子供の学力は、学校ではなく、家庭でつける必要があります。
そのためには、親子で対話をする時間を作ること、子供が読書をする時間を作ることが必要です。
ところが、多くの家庭では、子供に算数や国語の問題集をやらせるような勉強をしています。
問題集を解くような勉強は、勉強の習慣がつくこと以外の意味はありません。
問題集を問いて学力がつくということはないのです。
対話と読書の不足が学力の不足として表れてくるのは、高学年になってからです。
小学4年生のころまでは、表面的には何も問題ないように見えます。
読書をしない子でも、人との話だけは普通にできます。
むしろ活発に話をするので、学力があるように見られることもあります。
学力の差がはっきりするのは、作文を書くようなアウトプットの勉強をするときです。
作文の学力は、それまでのすべての学力の集大成ですから、すぐに上達することはありません。
だから、作文に、その子の本当の学力が表れるのです。
子供の学力を育てるのは、学校ではありません。
また、家庭でやる問題集でもありません。
ただ、親子の対話と読書の習慣を続けることです。
対話と読書で育った子は、いざ勉強が必要になったときには、すぐにその勉強の力をつけることができます。
読書力のある子は、勉強だけして早めに成績がよかった子をすぐに追い越してしまうのです。
今、小学生の子をお持ちのお母さんは、家庭での対話と読書にできるだけ時間を割くようにしていってください。
対話のコツは、子供の長文音読や理科実験の発表を利用することです。
子供が長文を読んでいたら、その長文に関係する親の体験談を話してあげるのです。
子供が暗唱の練習をしていたら、その暗唱の内容に関連する親の体験談を話してあげます。
また、理科実験の発表の時間があったら、一緒に発表のテーマを決めて、そこで子供と一緒に相談してあげます。
本当は、お母さんだけでなく、お母さんとお父さんがともに対話に参加できるようになるのが理想です。
いちばんいいのは、当の子供そっちのけで、お父さんとお母さんの話が弾むことです。
子供はそういう話を聞いて、語彙力と話す力と聞き取る力を育てていきます。
読書については、毎日必ず本を読む時間を作ることです。
子供だけに読ませるのではなく、家族全員で読む10分間読書の時間を設けることもできます。
子供は、親の後ろ姿を見て育ちます。
親が楽しそうに本を読んでいれば、子供も、自然にそういう大人になりたいと思います。
だから、日常生活の中で、親が本を読んでいる姿を見せることも大事なのです。
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読解力がないということは、読む力も考える力もないということです。
勉強などは、やれば誰でもすぐにできるようになります。
しかし、読解力がないと、あらゆることで自分なりの考え方をすることができなくなります。
その読解力が、年々低下しているように見えます。
実は、目立たないけれど、これが日本のいちばん大きな問題だとも言えます。
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