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厳しいお母さんのもとで厳しく育てられた子は、低学年のころは成績がいいのです。
しかし、学年が上がってくるにつれて、伸び悩んでくるように見えます。
その理由は、叱られた分だけ頭脳が萎縮してしまうからだと思います。
特に、夜寝る前に叱るのは、子供の肉体的な成長にとってもマイナスになります。
もし、夕方叱ることがあっても、夜寝る前にはその倍ぐらい楽しく褒めてあげることが大切です。
叱るというのは、親がまだ未熟だからです。
悪いのは子供ではなく、これまでそういうふうに子供を育ててきた親の方だと自覚することが大切です。
社会で名を残した人で、母親が厳しかったということはあまり聞きません。
逆に、母親は無条件に優しかったという人が多いのです。
例えば、野口英世の母がそうです。
無学であっても、英世のことをこころから愛して育てていました。
母からの手紙を見ると、そのことが感じられます。
英世自身も、母親を心から尊敬していました。
▽母から英世あての手紙
昔、作文の一斉体験学習で、「たとえを使ってみよう」という課題を出すことがありました。
「お母さんは」と書くと、ほとんどの子が「おにみたい」と言いました(笑)。
「お父さんは」と聞くと、「ゴリラみたい」とか、「かいじゅうみたい」とか言う子が多く、こちらはバラエティに富んでいました。
もちろん、これはみんな冗談ののりで言っていたのでしょうが、私は、最初、そういう母親のたとえの答えを聞いたとき、意外に思いました。
母は、優しいのが普通だと思っていたからです。
しかし、今の母は、子供から鬼みたいと思われていることが多いのです。
では、なぜ母が鬼みたいになったのかというと、それは、今の競争社会の中で子育てをしているからです。
もちろん、子供のしつけに関しては、母も父も、鬼のようになっていいのです。
そういう場面は、滅多にありませんが、しつけは、社会生活を送るために必要なことだからです。
しかし、競争社会で生き残ることを目的にすると、叱り方が、人に負けないように叱るということになってきます。
その叱り方は、歪んだ叱り方です。
そして、そういう叱り方は、日常化することが多いのです。
子育てでいちばん大事なことは、子供が幸福を感じる時間を長くすることです。
未来の準備のために、苦しい時間を我慢することではありません。
そういう幸福な子供時代を過ごした子ほど、将来の社会生活でも自分らしい幸福を感じながら生きていくのだと思います。
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将来よくできるようになるという子の特徴があります。
それは、オンラインクラスで、授業時間の前にやや早めに参加してくる子です。
授業が始まってから、いつも少しだけ遅刻して入ってくる子もいます。
そういう子は、今は成績がよくても、将来あまりできるようになりません。
時間に早めに来るか遅めに来るかという差は、準備の差です。
早めに入ってくる子は、その日の授業の準備がよくできています。
少し遅れて入ってくる子は、準備があまりできていないことが多いのです。
これは、オンラインクラスに限らず、その子の生活習慣になっています。
だから、遅刻しがちな子は、生活のどの分野でも遅刻しがちになります。
クラスの授業が始まってから、にこにこした顔で参加する子がいます。
そういう子は、よくできる子です。
なぜにこにこしているかというと、いざ自分の発言が求められることがあったらすぐに対応しようという気持ちで参加しているからです。
授業に前向きに取り組む姿勢があるから、自然ににこにこした顔で参加するようになるのです。
これも、その子の生活習慣ですから、にこにこ顔で参加する子は、他の分野でも常に前向きに参加しているはずです。
だから、自然にいろいろな面で力がついてくるのです。
もちろん、顔とは関係なく主体的な子もいますが、大体において積極的に取り組もうという子は、明るい顔で授業に参加しています。
大人は、つい成績や点数のようなわかりやすいところに目を向けがちですが、本当に大事なことは、点数には出ない、主体的な姿勢の方です。
高度成長時代には、社会にエスカレーターのような仕組みができていました。
最初のエスカレーターにうまく乗れたら、その先ずっと安心だということがあったのです。
しかし、今の社会にもまだ残っているように見えるエスカレーターは、もはやあてにはなりません。
近い将来、エスカレーターは実はなかったということが明らかになるでしょう。
エスカレーターのない時代に必要なことは、目の前の階段を登り続ける意志です。
それが、前向きに生きる姿勢です。
いつでも前向きに生きる子供の姿勢を育むものは、お母さんの褒め言葉です。
どんなときも、子供のいい面を見てあげると、子供は自然に前向きに生き、主体的に参加する気持ちを育てていきます。
注意されながら育った子は、小さいころは成績がよくても、肝心の自信が育ちません。
だから、いざというときに、挑戦しない方を選んでしまうことが多いのです。
答えのない時代に生きる上でいちばん大事なことは、失敗を恐れず挑戦する意識です。
人間は、勉強によって育つのではなく、小さな挑戦の積み重ねによって育つのです。
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学習の基本は、同じ教材を繰り返し勉強して、その教材の中身を確実に頭に入れることです。
1、2回やって理解した気持ちになっても、それはそのときだけの理解であって、自分のものになっていないことが多いものです。
これは、読書も同じです。
特に、説明文や意見文の読書は、1回目に読んだときは、自分が既に知っていることに近い内容しか頭に入っていません。
説明文や意見文の本は、印象に残ったところに線を引きながら読み、2回目以降は、その線を引いたところだけを繰り返し読んでいくといいのです。
問題集や参考書も、大事だと思ったところに線を引きながら読み、2回目以降は、線を引いたところを重点に読んでいくようにします。
オンライクラスの学習記録の欄は、これまでページ数しか記録するところがありませんでしたが、今度、読んだ回数も記録できるようにしました。
国語読解、算数数学、英語の勉強をしている人は、ページ数とともに、回数も記録するようにしてください。
回数の大事なことは、読み聞かせでも同じです。
幼児は、読んでほしい本を何度も親にせがみます。
何度も読んでいると、その絵本の文章がすっかり頭に入り、暗唱できるようになります。
そのぐらい繰り返し読む本があると、そこで幼児の思考力は伸びるのです。
よく、「同じような本ばかり読んでいるから、たまには違うジャンルの本を読んでほしい」と言う保護者の方がいます。
気持ちはわかりますが、子供が同じような傾向の本を読んでいるときは、そこで考える力がついているのです。
違うジャンルの紹介してあげるのはいいことですが、本は満遍なく読むことがいいのではありません。
その子の好きな本を繰り返し読むような読み方がいちばんいいのです。
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「何か質問がありますか」と言うと、すぐに、「はい」と手を挙げる人がいます。
そこまででなくても、「○○さん、どうですか」と聞くと、すぐに自分の考えを言える人がいます。
そういう人は、仕事のできる人ですし、グループで仕事をするときもリーダー的な役割を果たせる人です。
これは、頭のよさももちろんありますが、それ以上に、いつも主体的に行動できる姿勢を持っている人だということです。
しかし、こういう発表の練習をする場は、今の教育ではほとんどありません。
むしろ、日本では、授業中に質問するような人は、先生から煙たがられることがあります。
「出る杭は打たれる」という文化の中では、黙って素直に聞いているだけの人が生まれやすいのです。
言葉の森のオンライン4人クラスでは、発表の機会が数多くあります。
まず、授業の最初の読書紹介がありまです。
自分の読んでいる本をわかりやすく紹介するというのは、かなり難しいことですが、小学校高学年になると、その本の要約を簡潔に述べつつ、印象に残ったところを説明し、自分なりの感想を言うというところまでを短時間でわかりやすく説明する子が増えてきます。
先日、小学5年生のお母さんから、「子供が、病院で、自分のことをわかりやすく医師に説明したので、その先生に褒められた」という投稿がありました。
ほかの人の前で、自分の言いたいことを具体的にかつ簡潔に述べることができるというのは、慣れていないとなかなかできません。
オンラインクラスでは、授業の中身も、生徒の説明を重視しています。
先生が教えるのではなく、先生はむしろ質問役で、子供が説明する時間が長いのです。
こういう授業スタイルは、35人の生徒のクラスではまずできません。
オンラインクラスでは、授業の最後の締めくくりの時間に、「一人一言」という時間を設けることがあります。
これは、今日のことでも、昨日のことでも、未来のことでも、自分が思っていることでも何でもいいので、一人一言のスピーチをする時間です。
この時間帯に、子供たちの個性が出ます。
勉強という答えの決まった世界では、個性はほとんど出せませんが、自由な一言の時間には、誰もがそれぞれ個性的な自分らしさを発揮します。
これからの教育では、このような答えのない時間に、自分らしい個性を出すことが大事になってきます。
こういう発表型の勉強で育った子には、今の学校や塾での勉強は、物足りなさを感じることが多いと思います。
発表の時間は、勉強の知識を吸収する時間に比べて、おまけの時間のように思う人がいるかもしれませんが、実は、この発表の時間は、単なる勉強の時間よりもずっと頭が活性化しています。
発表と参加を中心とした主体的な学習で、頭自体がよくなっていくのです。
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発表力というのは、まだ成績の評価のような形になっていません。
しかし、社会に出ると、その発表力があるかどうかが大きな差になります。
それは、ものごとを自分なりに考える力であるとともに、そのものごとに主体的に関わろうとする姿勢なのです。
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小学6年生で受験中の生徒は、まだ中学の勉強の先取りの余裕はありませんが、特に受験をしない生徒に関しては、早めに中学の勉強の先取りをしておくといいと思います。
中学の勉強の数学、英語は、最初のころは基本的なことがらなので、問題集の解説を読めば自分で進めることができます。
中学生用の教材中1~中3には、標準新演習と発展新演習があります。
標準新演習は、「教科書内容や入試頻出問題を取り入れ、公立高校入試で合格するための工夫が満載」という説明です。
発展新演習は、「標準的な問題から発展的な難問までこの1冊で! 私国立高校受験の対策に最適」となっています。
発展新演習の難問には、かなり難しいものもありますが、発展新演習の標準的な問題を中心にやっていくこともできます。(標準問題はA、発展問題はBとなっているので、Bは飛ばしてAを中心にやっていくということです。)
数学が苦手か普通の人は標準新演習、数学が普通か得意の人は発展新演習でやっていくといいと思います。
いずれも、1冊を5回を目安に繰り返し、その問題集を完璧に仕上げることが大事です。
学校や学習塾では、次々に新しいプリント類が渡されることがありますが、いろいろな問題をただこなすだけというのが、最も能率のよくない勉強です。
「1冊を完璧に」ということをいつも思い出してやっていってください。
教材の注文は、こちらのページからできます。
(中学生の教材については、新年度も変更はありません。)
https://www.mori7.com/teraon/jgkyouzai.php
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https://youtu.be/ddrU3MH-eYo
言葉の森の教育理念は、偏差値という基準ではありません。
今の教育は、受験のための学力となっていますが、大事なことは実力のための学力です。
受験のための学力とは、他人との競争に勝つために、間違えやすい問題を間違えないというクイズを解くような学力です。
それは、今の受験がそういう試験を作り、学校や塾がその試験に対応するために、クイズを解くような知識を詰め込んでいるからです。
しかし、振り返ってみればわかるように、小中高と勉強してきたことの中で、社会人になってからのものの考え方に生かせないものはかなりあります。
例えば、中学の理科の試験でよく出てくる植物の維管束でどちらが導管でどちら師管とか、単子葉植物と双子葉植物でどう違うかというようなことです。
私(森川林)は生物が好きだったので、今でもよく覚えていますが(笑)、こういうことは知識として知っていてもいいが、すぐに忘れてもいいことで、思い出したかったらネットで調べればいいことです。
それを、試験という形で微妙な問題を出して、本当に覚えているかどうかチェックして評価するというのは、時代遅れだと思います。
もちろん、勉強は、しなくていいのではありません。
古文も漢文も根の公式も、一応勉強していると、生かせることがあると思います。
(私は、森リンのプログラムを作っているときに、根の公式を知っていてよかったと思ったことがあります。そのかわり、いろいろな因数分解の仕方は、試験のための知識であって、何も役に立たないように思いました。)
本当の勉強は、受験の偏差値のための勉強ではなく、将来の創造のための勉強です。
高校生でときどき、「○○という教科は、自分の受験には出ないから手を抜く」という人がいます。
これは、勉強の目的を、将来の創造のためと考えるともったいないことです。
勉強は、目先の損得でするものではなく、自分自身の向上のためにするものです。
日本の中学、高校の教科書のレベルは、かなり充実しています。
社会人として必要な一般教養は、たぶん中学までの教科書を読んでいれば間に合います。
ただし、社会の教科書に関しては、価値観の違いがあるので、偏ったところもあります。
あとは、社会人になっても、毎日の読書を欠かさないことです。
これからの学力は、試験のための学力ではなく、将来の創造のための学力、つまり本当の実力のための学力と考えると、勉強の方向がはっきりすると思います。
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人に言われたことを言われたとおりにやっているだけなら、勉強はほとんど必要ありません。
自分で新しいことをしようとするときに、初めて勉強が必要になります。
その勉強は、試験のための勉強ではなく、創造のための勉強です。
よく、「試験で時間が足りなくなったら、何しろ空いているところを全部埋めてこい」という人がいます。
本当の勉強は、時間が足りなくなったときに、そこを空欄のまま残しておくことです。
我が家は、ずっとその方針でやってきました。
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https://youtu.be/YcM26npcQLw
昔、岐阜の
位山に登ったとき、途中、車で景色のいい田舎道を走りながら考えていました。
こんなにきれいな場所なのに、ここにある主な産業はやはり農業で、そのほかには、地元の人を相手にした床屋や飲食店などがぱらぱらとあるだけです。
昔は、こういう田舎に工場があったこともありますが、今、そういう工場は日本の田舎ではなく海外に移転しています。
藤原直哉さんは、これからの大不況の時代に、仕事がなくなった人は、農村でその地域の特性を生かした農業に携わればいいのではないかと考えているようです。日本では、歴史的に、農村がそういう緩衝板の役割を果たしてきたのです。
そして、単なる緩衝板ではなく、日本を、それぞれの地域の特徴を持った観光立国にすることが、今後の日本の方向だと考えているのだと思います。
観光立国と言っても、海外の人を呼び込むことだけを目的とした観光ではありません。独自の個性的な文化と特徴を持った、そこに住んでいる人が喜びを持って仕事のできる地域経済を作るということです。
今はインターネットを利用して、田舎であっても、その地域の独自性のある産物を、日本全国をマーケットにして販売することができます。
例えば、私(森川林)は、くさやとか、蜂の子とか、イナゴの佃煮とか、そういう変なものが好きですが、近所のスーパには、そのような商品はあまり置いてありません。
たぶん、日本中には、自分がまだ目にしたことのない面白い食べ物や工芸品があるはずです。
観光立国とは、そういう個性のある地域経済が全国各地に生まれるということです。
しかし、私が車を運転しながら考えたのは、もう少し即戦力のあることです。
それは、田舎で行うオンライン4人クラスの教育です。
少子化で子供がほとんどいない地域であっても、オンライン4人クラスであれば、すぐに同学年、同教科の生徒を日本中から集めることができます。
そして、週1回、自分の都合に合わせた時間帯で、子供たちの教育に携わることができます。
オンラインの少人数クラスですから、たまたま自分の都合が合わずに休講する場合でも、他の同じようなネット上の講師に代講を依頼することができます。リアルな対面教室のような時間や場所の制約はありません。
そして、もうひとつ重要なのは、その地域の特性を生かした、きれいな自然、伝統のある文化や祭りなどを活用して、遠足や合宿などの企画もできるということです。
このオンライン少人数教育と結びつけた観光立国が、これからの日本が目指すひとつの方向だと思います。
この場合の教育は、単に成績を上げるための受験教育ではなく、思考力、創造力、共感力を伸ばすための創造教育である必要があります。
言葉の森は、すでに横浜のひとつの教室で、世界中の生徒を相手にしたオンライン教育を行っています。
もちろん、世界中と言っても、海外からの生徒はまだ5パーセントほどです。これは受講料やテキストのやりとりにまだ制約があるからですが、今後この制約が技術的に克服できるようになれば、文字どおり世界をマーケットにした教室になります。
作文指導も、日本語の作文に限らず、ザ・サクブンというような講座で、あらゆる言語に対応した作文教育を行えるようになります。
ザ・サクブンは、言語の壁を超えた世界共通の新しい教科になる可能性があります。
こういう世界規模の地域教室ができることと、日本各地の観光立国を結びつけることができれば、日本の未来は明るいのではないかと思いました。
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大きな歴史的枠組みで見ると、現代は、物の生産を中心とした資本主義社会が終わりつつある時代です。
資本主義の精神と分かちがたく結びついているのが、都市、競争、勝敗、金銭などという原理です。
しかし、一気に新しい社会に行くわけではなく、途中の過程では、資本主義の原理を生かさなければならないのです。
資本主義の先にある新しい社会の中心となる理念は創造です。
しかし、それは競争のための創造ではなく、創造のための創造です。
今、さまざまな未来論が語られていますが、大事なことは、この創造というキーワードを入れて未来を語ることです。
それができていないのは、創造という概念がわかりにくいからです。
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今の教育には、いろいろな問題があると言われています。
その根底にあるのは、三十数人の生徒を一人の先生が教えていることです。
問題の第一は、進度も個性も異なる大勢の生徒に、同じ形で教えていることです。
問題の第二は、「教える」ということそのものです。
第一の「進度も個性も異なる大勢の生徒を同じ形で教える」ことの問題点はわかりやすいと思います。
第二の「教えるということそのもの」という問題は、少しわかりにくいかもしれません。
ハイポニカ農法を生み出した野沢重雄氏は、農業にとってきわめて大事だと言われる「土」そのものが、実は植物の生長の制約にもなっているのではないかと考えました。
同じことが教育にも言えます。
教育にとってきわめて大事だと言われる「先生が教える」ということそのものが、子供たちの成長の制約になっているのです。
いい先生も、悪い先生もいます。
しかし、本当は先生そのものが要らないのです。
子供は、教科書や参考書や問題集を自分で選び、それをもとに自分で学習します。
わからなければ解説を読みます。
解説を読めば、ほとんどのことはわかります。
解説がわかりにくい場合は、別のわかりやすい教材を選べばいいのです。
しかし、どうしてもわからない場合も、ごくまれにあります。
そのときに、質問や相談ができる人がいれば助かります。
その人が、先生と言えば先生です。
その先生は、教える先生ではなく、子供が行こうとする先に予想される問題をアドバイスする先生です。
子供が自分で勉強を進める。
困ったときだけ助けてくれる先生がいる。
これで教育は十分なのです。
しかし、子供にとって、勉強は、最初のうちは面白くないのが普通です。
義務教育段階の勉強は、登山で言えば、長い単調なアプローチです。
見晴らしのいい尾根道にたどりつくまでは、ただ足元を見て歩いているだけです。
勉強の面白さは、前に学んだことが後になって生きてくることがわかり、自分が成長していることがわかるという螺旋(らせん)形の面白さです。
それは、ゲームの面白さと本質的には同じものですが、ゲームが小さい螺旋形ですぐ結果が出るのに対して、勉強の多くは大きい螺旋形のためなかなか結果が見えないところが違います。
だから、小中学校時代の勉強は、ほとんどが本来面白くないものなのです。
しかし、その単調な勉強を面白くする方法があります。
それが、一緒に勉強する友達との交流です。
そして、吸収するだけの勉強ではなく、発表する時間のある勉強です。
生徒一人ひとりの進度に応じたアドバイス、一緒に勉強する友達との交流、吸収だけではなく発表する勉強。
このいずれもが、今の集団一斉指導型の教育ではできません。
また、マンツーマンの個別指導型の教育でもできません。
試験で同じ学力の子だけのクラス分けをしたり、先生がカバーできない分をグループ学習で補ったり、ブレンデッド教育と言って情報通信技術を組み合わせた個別対応の学習をさせたり、という工夫が行われていますが、いずれも不十分です。
最も有効な解決策は、オンラインで4~5人の超少人数クラスを運営をし、その授業の内容を、思考型、創造型、発表型、対話型にすることです。
これからの学校や教室は、何かを教えてもらいに行くところではなくなります。
生徒が自宅の自主学習で学んだことを、先生に確認してもらい、友達と交流し、自分の個性を発表する場所として行くところになります。
オンラインですから、教室に行くのではなく、自宅で教室を開くという方がふさわしいでしょう。
思考型、創造型、発表型、対話型の教育として、特に当てはまるクラスは、現在は、作文クラス、総合学力クラス、創造発表クラス、プログラミングクラスなどです。
しかし、国語読解クラスも、算数数学クラスも、英語クラスも、やり方を工夫すれば、思考型、創造型、発表型、対話型の教科にすることができます。
単なる知識の詰め込みでない、新しい未来の教育をオンライン4人クラスで作っていきたいと思います。
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今の教育の諸問題のほとんどは、オンライン4人クラスで解決します。
しかし、世間で出されている提案は、いずれも、今の35人学級を1人又は2人の先生が教えることを前提にしたものです。
また、リアルな対面式の教育が主流で、オンラインは補助的なものと考えられています。そうなるのは、オンライン教育をリアルのコピーと考えているからです。
オンライン観が古すぎるのです。
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