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https://youtu.be/ANuHf5lV9JI
中学生の生徒から、「塾で、学校の期末試験の過去問を教えてくれるので、それを友達からもらった」という話を聞きました。
今は、そういう対応をする塾がほとんどだと思います。
成績を上げるためには、過去問対策が最強だからです。
しかし、私は、中間テストや期末テストで、そういう過去問対策に乗った勉強はしない方がいいと考えています。
過去問に合わせた勉強をすると、能率はいいかもしれませんが、その能率は実力が伴わないものになるからです。
公立中の場合、中学生の試験の本番は、高校入試です。
高校入試は、勝つための試験ですから、ここでは過去問対策をするのが絶対に必要です。
しかし、中間テストや期末テストは、勝つための試験というよりも、自分の実力をつけるきっかけとするための試験ですから、過去問対策をするのではなく、全出題範囲を網羅的に勉強していくことが大事なのです。
今の世の中は、目先の勝ち負けに左右されやすい社会です。
それだからこそ、物事を考えるときは、勝ち負けの基準をできるだけ遠くにおいておくのがいいのです。
目先の勝ち負けにこだわると、大きな勝ち負けを見落としてしまいます。
キャノンの社長であった賀来龍三郎(かくりゅうざぶろう)さんの話を引用します。
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「私は父の仕事の関係で、中学校は戦前の中国の青島(チンタオ)中学に学んだ。数学と物理を教わったのが秋山先生という高等師範学校出身の教育熱心な先生だった。秋山先生いわく、『公式など覚えなくていい。それより十分理解することが大事で、理解していればいつでも自分で導きだせる。難しい公式を覚えて応用問題を解こうなどということは考えるな。ただし、中等教育ではレンズの焦点を測る公式と電圧の公式(電流と電圧と抵抗の関係式)だけは覚えておきなさい。それだけはいくら導きだそうと思ってもできないから』。私はクソ真面目な生徒であったので、その教えを忠実に守った。
その後、旧制五高の理科に進学したが、そのときまではその教えでよかった。しかし終戦後、大学に進学するために、いざ受験する段になって公式を覚えないという勉強方法がいかに不利かということを思い知らされた。東大の工学部を受験したのだが、公式を作りながら解いているうちに一問目で二時間のほとんどがすぎてしまい、受験に失敗したのである。
このため私は当時、『秋山先生はけしからん、あんなこと教えるからいけないんだ』と非常に恨んだ。やはり受験には暗記した公式を基にさっさと解いていく受験テクニックが必要なのだと思った。
ところが、実社会に出てみて、私は再び秋山先生の教えが正しかったことを身をもって感じるようになったのである。東大受験に失敗した後、戦後の混乱が続く中、小学校の代用教員や病気になったりしての回り道を経て、九州大学の経済を卒業して、一九五四(昭和二九)年キャノンに入社した。
キャノンに入社して、仕事の中で様々な問題にぶつかる。しかし、どれもこれも前もって決まった答えなどない。ただ時間は十分ある。テーマによっては一カ月でも半年でも一年でもじっくり考えることができる。そうすると、どんな難問でも解決できる。
多くの人は考えることが面倒くさくなり、『会社生活なんて面白くない』ということになるのだが、私は逆に入社早々から仕事が楽しくて仕方なくなってしまった。十分な時間の中で考えることで、答えは必ず見つけられる。これこそ創造的教育のおかげではないかと、秋山先生の教育方針を再評価したのである。」
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限られた時間の中で、要領よく勉強することは大切です。
しかし、要領のよさを考え過ぎると、逆に大きなものを見落とします。
大物を目指す人は、要領は最後の場面で考えればいいのです。
●動画:
https://youtu.be/LEUm2GikCP0
言葉の森は、幼長や小1の生徒が子供だけで参加できるオンライン教育を行っています。
アメリカなど、IT先進国と言われる国の教育でも、低学年のオンライン教育はほとんどありません。
世間一般のオンライン学習では、動画を流すような一斉指導型のものがほとんどなので、子供が飽きてしまうからです。
なぜ、言葉の森のオンライン教育が、子供だけで参加できるかというと、第一は4人以内の少人数のクラスだからです。
先生が、全員に対する目配りができるので、どの子も、自分が主体的に参加する意識で授業に臨むことができるのです。
第二は、子供たちの発表と、先生の個別指導を中心とした対話型の学習だからです。
小学校低中学年の勉強の中身は、ほとんど誰でもわかる簡単なものです。その勉強を、ノルマをこなすようなやり方で取り組んでも面白くはありません。
友達との交流の中で取り組むから、勉強する意欲が湧いてきます。
第三は、勉強の対象が、国語や算数という教科的なもの以外に、読書や暗唱や発表や作文という広がりを持ったものだからです。
また、読書紹介は、作文や国語のクラスだけでなく、算数数学や英語やプログラミングなどのいずれのクラスでも行っています。
世の中の多くの教育機関、学校や塾や通信教育では、点数化できるものが勉強の中心ですが、言葉の森は、点数化できないものが中心です。
だから、読書紹介や一人ひとりの発表や作文の練習に力を入れています。
そういう点数に表れない勉強をした子が、あとになって本当の学力がつくのです。