●動画:
https://youtu.be/XvOfBbukZHU
言葉の森の受験作文についての資料を末尾に載せます。
受験作文に取り組まれている保護者の方には既に郵送でお送りしていますが、まだご覧になっていない方は、ぜひ目を通しておいてください。
その中の記事を一部を紹介します。
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■作文試験合格のコツは、字数ぴったりに書く力 3194
言葉の森では、構成を重視した書き方の作文指導をしています。
小学校高学年から中学生高校生まで、すべて同じ大きな四段落の構成でいろいろな形の書き方を学びます。
なぜ四段落かというと、四段落は三段落に縮めることもできるし、段落の中を分けて更に多い段落にすることもできるので、短い字数にも長い字数にも対応しやすいからです。
四段落の内訳は、書き出しの説明又は意見、展開1、展開2、まとめの意見という形です。
展開の部分には、実例、理由、意見、方法、原因、対策などが入ります。
この四段落のそれぞれの段落を同じぐらいの字数で書くと、文章全体の印象が安定したものに見えてきます。
複数の実例を書く場合でも、第一の実例と第二の実例が同じぐらいの長さで書かれていると、全体の構造が理解しやすくなるのです。
この段落ごとに同じぐらいの字数でまとめるというのは、ある程度の文章力がないとできません。
文章力の第一の条件は、字数をコントロールする力でもあるとも言えます。
書く力のある生徒は、800字の作文課題と言うと800字ぴったりに収める書き方をします。
原稿用紙の最後の行の最後のマス目に、句点がくるような書き方をすることができるのです。
作文の採点評価には、内容の評価以前に外見の印象評価が大きく影響します。
字数がぴったりにまとまっていて、それぞれの段落が同じぐらいの長さできちんと書いてある文章を見ると、内容を読む前から印象点が大きく上がります。
場合によっては、それで合否がほぼ決まってしまうこともあるのです。
しかし、もちろんこれは、作文試験に対しての作文ということで、作文の勉強全体について字数の力というのは枝葉の話です。
作文で最も大事なことは、創造性のある文章を書くということだからです。
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■作文試験の印象点を左右する漢字力――文字の上手下手は無関係(1) 3198
作文試験では、手書きの作文を人間が読んで評価をしていますから、印象点がかなり大きな差になります。
近い将来、作文試験は手書きOCRまたはキーボード入力でテキスト化される形で行われるようになり、それを人工知能が採点し、その人工知能の採点で上位に入ったものを人間が読んで評価するというやり方になると思います。
この方法は、既に言葉の森が作文検定試験で何年も前にやっていたことですから、やる気さえあれば明日からでも実施できるぐらいのものです。
ところが教育の世界は保守的なところがありますから、まだしばらくは手書きの作文を人間が読んで評価するという形が続くと思います。
さて、そのときに作文小論文の評価の重要な要素となるものが、字数と漢字力なのです。
それは、読む人の印象点を左右するものだからです。
この印象点というのが、人間の採点と機械の採点との最も大きな違いです。
その漢字力とはどういうものかというと、第一は難しい語彙や難しい漢字を書けるという力です。
第二は、間違った字を書かないこと、つまり誤字がないという漢字力です。
例えば、中学入試の作文で、その文章の中に普通の小学生ではあまり知らないような語彙が漢字で正しく書けているとそれだけで印象点が上がります。
また逆に、普通は間違えないと思われる漢字が間違って書かれていると、それだけで印象点は大幅に下がります。
だから、現在の作文試験では、この漢字力をつけておくことが合格の第一の条件になります。
では、文字の上手下手は、印象点に影響するかというと、そういうことはほとんどありません。
漢字の間違いがあると、その生徒はあまり文章を書いたことがないし、学校の勉強をきちんとしていないだろうという予測が成り立ちます。
しかし、字が下手であるというのは、その生徒の学力の予測にはなりません。
これまで見てきた生徒の学力と字の上手さの関係について考えると、字の上手下手と学力とは全く相関がないと言えると思います。
逆に、字の下手な子は、ユニークな考えをする、どちらかというと学力の伸びしろのある子に多いという印象さえあります。
それはなぜかと言うと、字の下手な子は、幼児のころに知的な関心が高く見よう見まねで文字を書き、その自己流の書き方が定着してしまったとも考えられるからです。
つまり、簡単に言えば、知的好奇心が高く頭のいい子は、字が下手になりがちだということなのです。
字の上手な子は、その子が文字に関心を持ち始める時期と同時に、字の練習をする機会があったということになると思います。
だから、文字の練習は小学1年生になってから一律に行うのではなく、子供それぞれの成長に合わせて文字に関心を持つようになった時期と同時に始めるのが最もよいやり方だと思います。
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■字を上手に書くコツ――作文試験の印象点を左右する漢字力(2) 3199
字が下手なのは直らないというのが基本的な考え方ですが、本当は他の人の目に触れることによって少しずつ読みやすい字になっていきます。
また、練習方法によっては、ごく短期間に上手な字を書けるようになることもあります。
その方法は、手本となる字を、超スローモーでいいのでその手本のとおりに書き写すという方法です。
このやり方で1時間も練習すると、自分の書く字が見違えるほどを上手になってきます。
わずか1時間でと思うかもしれませんが、これは本当です。
コツは、よく見てゆっくり書き写すことです。カタツムリの動くスピードよりもずっと遅いぐらいの速さで書いていきます。
子供たちで、漫画の好きな子がよくキャラクターをそっくりに描き写すことをしますが、ちょうどそのような感じです。
私も、学生時代、この方法で字が一時期とても上手になったことがあります。自分でも驚いたぐらいです(笑)。
しかし、普段の字を書く生活は、それほどゆっくりやることはできないので、日常生活の中で文字を書いているうちに、またすぐもとの自分の字の癖に戻ってしまいます。
江戸時代の寺子屋における文字の練習は、手本となる文字を半紙が真っ黒になるまで書き写すという方法でした。
これは、字を覚えるというよりも、上手な字の書き方を手に覚えさせるという方法だったと思います。
子供時代のまだ字を書く量が少ない時期に、このように繰り返し手に覚えさせる練習をしていたのです。
漢字の書き方についても、形や意味から覚えるという方法がありますが、私は手に書き方を覚えさせるという方法が、誰にも単純にできるよりよいやり方ではないかと思っています。
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■作文力は文章力ではなく準備力 3262
「材料七分に腕三分」という言葉がありますが、作文の場合は、「準備七分に腕三分」です。
これは、作文だけでなく、スピーチや対話や仕事にも共通することだと思います。
受験に合格する作文を書く力も同じです。
作文力は、上達するのにかなり時間がかかるので、実力で合格作文を書くレベルまで行くには最初からある程度文章力があることが必要になります。
そこまでの実力がまだない人はどうしたらいいかというと、それが準備なのです。
毎回の作文で、テーマに合わせて、自分で考えたり、調べたり、お父さんやお母さんに取材したりするのが準備です。
準備をすれば、材料が豊富になります。
その材料を組み合わせて作文を書くので、長くも書けるし、読み応えのある作文も書けるようになるのです。
そういう練習を行っていると、作文の試験のときにも使える材料が蓄積されていきます。
蓄積される材料の中には、実例だけでなく、表現や主題も含まれます。
それらの実例や表現や主題は、そのテーマのときだけに使えるのではなく、ある程度応用範囲があります。
受験作文コースでは、過去問に沿った課題で勉強しますが、過去問とそっくり同じ課題でやる必要はありません。
例えば、ロボットの話がよく出る学校でも、科学技術一般の課題で材料を増やしていけばいいですし、音楽の話が出る学校でも、藝術一般の課題で材料を増やしていけばいいですし、歯科の話に絞られた学校でも、医療一般の課題で材料を増やしていけばいいのです。
材料を豊富に持っている子は、受験作文のときも、課題に合わせた材料を自分の過去の蓄積の中からすぐに取り出せます。
これが、合格する作文を書くコツです。
この受験作文の準備と同じことを、小学校低学年からやっていくといいのです。
小学校低学年の生徒には、実行課題集という教材があります。小学3年生から6年生までは題名課題と感想文課題に合わせた予習シートがあります。
これらをもとに、子供が親に聞くだけでなく、親が子供によりよい材料を見つける機会を作ってあげるのです。
この親子の関わりは、確かに親にとって負担になる面があります。
しかし、その負担を楽しむつもりでやっていくといいのです。
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●動画:
https://youtu.be/LUHrQqQC5yw
「日本人の8割がTwitterの短文すら理解できない」というタイトルの記事が、PRESIDENT Onlineに載っていました。
しかし、それでも、日本人の理解力は、OECDの調査によると、世界でトップなのだそうです。
以前、アメリカのコカ・コーラ社のFacebookのコメント欄を見て不思議に思ったことがあります。
多数のコメントが、ほとんど叫び声のような文ばかりなのです。
たぶん、まともにコメントを書く人がほとんどいなかったのだと思います。
昔、SNSで使われている言語シェアの調査がありましたが、日本語はかなり上位でした。
日本語で投稿されている記事が多いということだと思いました。
しかし、最近は、そういう調査はないようです。
戦時中、日本と戦ったアメリカ軍は、日本兵の多くが手帳に日記を書いたり歌を書いたりしていたことに驚きました。
アメリカでは、文章を書く人は、ごく一部のエリートに限られていたからです。
江戸時代の庶民の楽しみのひとつは、手紙のやりとりでした。
当時、日本人の識字率は世界でも突出して高かったので、自然にそういう文章のやりとりによる文化が生まれたのです。
ところが、今、日本人の識字率はかえって低下しているように見えます。
新井紀子さんは、「
AI vs. 教科書が読めない子どもたち」で、子供たちの読解力が低下していること実証的に明らかにしました。
先日、小学校で算数を教えているという人の話を聞きましたが、繰り下がりのある引き算をいくら説明しても理解できない子がいるということでした。
私は、この話を聞いて、できないのは算数の計算の仕方ではなく、説明を読んで理解する力ではないためではないかと思いました。
大事なのは、文章を理解する力で、実はこれが頭のよさの本質なのです。
総合学力クラスに参加している小1や小2の子供たちを見ていると、読書紹介をするときに、読んでいる本の差がかなり大きいことがわかります。
絵がほとんどの本を読んでいる子と(読書は楽しみのために読むものですから、それはそれでいいのですが)、字の多い本を楽しく読んでいる子との違いでます。
また、文章の読み方にも、大きな差ががあります。
初めて見る文章をすらすら読める子もいれば、つっかえながら読む子もいます。
つっかえながら読む子は、読書の楽しさを知る以前の段階にいます。
この読書力は、読解力であり、更には頭のよさでもあるのです。
だから、頭のよさというものは生まれつきのものではなく、教育によって変わるものです。
その場合の教育とは、ドリルで勉強をするようなものではありません。
質のよい日本語を、耳と目からふんだんに吸収することが学力の基本になります。
しかし、この場合、CDやビデオのような、生身の人間を通さない音声のインプットは、かえって害があります。
生身の人間からではない音声は、感情を伴わない言語葉の理解になるからです。
理解力と共感力をともに育てるためには、人間による直接の話しかけが必要です。
子供の理解力と共感力を育てるための最も簡単な方法は対話です。
日常生活の中で、親が子供に、折に触れて面白い話を聞かせてあげることです。
そのためには、親自身が日常生活の中で、面白い話題を見つけることが必要になります。
そのためのいちばんの方法は、やはり親自身の読書です。
作文力は、学力の集大成です。
小学校高学年の作文でレベルの高い文章を書く子は、共通して、親から面白い話を取材してきます。
子供に、「○○というテーマで作文を書くけれど、お母さん、何か似た話ある?」と聞かれたとき、子供が面白がるような深い話をすぐに思いつけるということが大事です。
「そんなの自分で考えなさい」とか、「ネットで調べてみなさい」というのでは、子供は賢くなりません。
学力は、勉強によって育てるものではなく、豊富な日本語によって育てるものなのです。
▽PRESIDENT Onlineの記事
「日本人の8割がTwitterの短文すら理解できない?」…急増する"バカ"の正体」
https://president.jp/articles/-/63846?page=3