●動画:
https://youtu.be/xRvdntt1lw4
中学生のころは、子供はよく悪いことをします。
それを、主体性の表れと考えることです。
もちろん、その悪いことについては厳しく叱ります。
しかし、その叱っている気持ちの背後で、「こういう悪いことができるぐらい成長したんだ」と温かい目で見ておくことが大事です。
逆に言えば、叱られないような子は、かえって困るのです。
叱られるぐらいの子でなければ、世の中の荒波に抗して生きていけません。
「葉隠」に、次のような言葉がありました。
うろ覚えですが、「酒を飲め、嘘をつけ、博打をしろ。それぐらいの者でなければ大きな仕事はできない」という内容です。
基本は、真面目にやっていくことです。
しかし、いざというときには大博打を打てるようなことも必要になります。
社会で活躍している人には、誰でも、そういう経験がひとつやふたつはあると思います。
悪い子は、機会があれば、まともな子になることができます。
しかし、悪いことができない子が、悪い子になることはできません。
子供が悪いことをしたら、厳しく叱ることです。
それは、どちらかと言えば、お父さんの役割になります。
たぶん、それをお母さんが優しくフォロウするようになると思います。
父母で一緒に厳しく叱ってはいけないのです。
そして、何年も経ってから、みんなで、「あのときは、あんなことがあったよなあ(笑)」という思い出話になるのです。
●動画:
https://youtu.be/OWnQb8OB2_I
言葉の森のオンラインクラスでは、どのクラスも毎週子供たちの読書紹介を行っています。
全員の読書紹介なので、どうしても10分から15分はかかります。
その分、学習時間が短くなりますが、学習の時間と同じように価値ある時間なので、これからも続けていく予定です。
その読書紹介で、子供たちの今後の学力の見通しがつきます。
自分の好きな本を読むのが基本なので、どういう本を読んでもいいのですが、その本が家庭の文化力を表しています。
その文化力が、その後の子供たちの成長に最も関係してきます。
いい塾に行って、宿題を毎日やっているから安心だという考えの人がいますが、子供たちが成長するのは、塾や学校ではなく、家庭での毎日の読書と対話です。
読書について、時々気になるのは、小学校低学年でいつまでも絵本のような本ばかり読んでいる子です。
絵本の内容はいいのです。
感動する話や、心が明るくなる話が載っている本です。
しかし、それが絵と単語のような短い言葉だけで書かれています。
繰り返しますが、それはそれでいいのです。
漫画でも、図鑑でも、子供が好きな本なら何でもいいのです。
問題は、そういう本しか読んでいないように見えることなのです。
一方、文章の多い本を読んでいる子でも、「○年生の名作」「○年生の伝記」のような指定された教科書のような本を読んでいる子は、読書の楽しさを感じる機会がなかなか生まれてきません。
子供の読書の傾向は、親の読書力を反映しています。
読書好きの親であれば、子供にとって面白くて価値ある本がどういうものかということが大体わかります。
子供は、絵ばかりの軽い本や、怖さや下品さで気を引くようなレベルの低い本に手を出しがちです。
何度も言いますが、それはそれでいいのです。
しかし、そういう本ばかり読んでいるとしたら、親はそこに危機感を持たなければなりません。
それが、家庭の文化です。
小学校高学年や中学生、高校生では、また別の問題があります。
第一は、読書量が少ないことですが、それはオンラインクラスに参加した最初のうちだけで、毎週の読書紹介の中で次第に改善されていきます。
第二は、短編集が多いことです。
長いひとまとまりの文章ではなく、すぐに読み切れるような文章がいくつも載っている本です。
「○分間で○○」のような本がよく読まれていますが、読書力のある子は、そういう本は気軽に読めるが物足りないと思うはずです。
第三は、殺人事件のような話で読み手を引き付ける物語の本です。
何度も言いますが、そういう本も含めて、自分の好きなものは何でも読んでいいのです。
しかし、何でも吸収できる貴重な時期に、そういうレベルの低い本を読んでいるのは、もったいないことです。
読書は、自分の心の成長と思考の成長のために読むものです。
そういう本のおおまかな基準は、やはり古典と言われているものになります。
しっかりした内容の本や、古典の本を読むときに役に立つのが付箋読書という方法です。
付箋読書のよいところは、数分の短い時間でも利用して分厚い本を読めることです。
しかも、複数の本を並行して読めるので、自然に読書量が増えます。
小学校低中学年では、まだ古典と言われるような本はありませんから、それをカバーするのが家庭での対話です。
家庭で、お父さんやお母さんが、子供の心と頭を豊かにするような話を折に触れて話してあげるのです。
この対話が、小学校高学年になってからの作文の中で生きてきます。
そして、中学生以降の読書力や作文力の土台になります。
対話は、ただ長くたくさん話せばいいというものではありません。
逆に、ただ長いだけの話は、子供の聞く力や考える力を低下させます。
簡潔に要点を絞って中身のある話を面白くしていく必要があります。
そういう話のもとになるものは、親の読書生活です。