作文を書くのに時間がかかる、ということで相談を受けることがよくあります。時間がかかるということについては、それなりの理由があります。
第一は、時間のかかる子ほどよく考えているということです。一般に、長い時間をかけて作文を書く子は、書く力があることが多く、また考えながら書くのでさらに力がつくという傾向があります。その点では、長い時間をかけて書くということは、いい面もあります。
第二は、小学校高学年から中学生にかけては、読解のための語彙力と表現のための語彙力の差が広がる時期なので、誰でも多かれ少なかれ作文が苦手になる時期だということです。そのために、どうしても書くのが遅くなる傾向があります。
第三に、作文は精神的にエネルギーを使う勉強なので、作文のあとにすぐ次の勉強が待っているというようなスケジュールだと、途中で一休みしたくなるので、作文を書くのがなかなか終わらないということもあります。作文の勉強がある日は、ほかの勉強との間に休み時間を入れるなど勉強と休憩のバランスを考えておく必要があります。
しかし、作文を書くスピードというのは、実はとても重要です。なぜかというと、一つには、作文の試験では必ず制限時間があるからです。もう一つには、速く書くのも作文の実力だからです。
では、作文が速く書けない原因は、何でしょうか。
いちばんの原因は、遅く書くのに慣れているということです。これは読書も同じで、一度読んだところをすぐに少し戻って読む戻り読みをする癖がついていると、本を読むスピードが遅くなります。同様に、作文も、考えながら書き、書いては消して、また考えて書くというな書き方をしていると、どうしても書くのは遅くなります。
言葉の森の勉強では、構成や項目をあらかじめ指示しているので、速く書きやすい作文の勉強になっていますが、それでも書いている途中に考えてしまうというスタイルで文章を書く人がかなり多いのです。これを解決するためには、構成図をくわしく書いて、書き出す前に書き終わりまでの見通しを持って書くようにすることです。
今後の具体的な提案としては、五つのことが考えています。
第一は、今述べたように、構成図をしっかり書く練習をしていくということです。
第二は、構成図を書き終えたあと、作文を書き始めてからの正味の時間を90分以内とすることです。全部書き終えることができずに途中で終了した場合でも、「つづく」など書いて、そのまま提出するようにします。もちろん、途中で休憩したり、翌日に持ち越したりするようなことは原則としてしません。
第三は、書いている途中に消しゴムを使わないということです。また、途中で調べたり考えたり書き直したりするようなことも、原則としてしません。消しゴムを使う、調べる、考える、書き直すなどの作業は、作文の最後の残り10−20行ぐらいになってからするのはかまいませんが、書いてる途中には、そのようなことはしないようにします。不確かな漢字などはとりあえずカタカナで書いておき、作文を全部書き終えてからまとめて調べるというようにしていきます。
第四は、今後の指導の項目の中で、時間制限をはっきりさせていきたいということです。(現在も既に時間制限の項目はありますが、必須の●印の項目にはなっていません)。当面、時間の記録を徹底させて、時間がかかる生徒については、先生の方から早く書き上げるような指導していきたいと思います。
第五は、将来のことですが、音声入力でスピードアップする方法を検討しています。手で書く作文は1200字60分から90分かかるのが普通ですが、音声入力の作文では、1200字の文章でも10分から20分で仕上げることができます。これは、現在通学教室の中学生以上で行っていますが、将来、やり方を工夫して通信教室でも行えるようにしていきたいと思っています。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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前に、難しい学校に入った人とそうでない人との、これからの勉強の違いということについて書きました。
人間は、周りの環境に左右されます。そういう点で、難しい学校に入った子は難しい勉強に適応するようになりますが、やさしい学校に入った子はやさしい勉強に適応するようになり学力があまり伸びません。
そこまでのことだけを考えると、難しい学校に入った人に比べて、やさしい学校に入った人は、スタート地点でハンディキャップを背負っているように思われます。しかし、それは二つの意味でそうではありません。
第一は、世界の中では、勉強をすることもできないような環境に置かれている人がたくさんいるからです。日本で勉強して進学できるというのは、世界的に見れば非常に恵まれた上位の0.数%のうちに入るようなことなのだと思います。そう考えると、いい学校に入るかどうかということ以前に、勉強するチャンスがあるということ自体がきわめて大きなチャンスだと考えなければなりません。
第二は、学校生活中では、環境によって影響を受けるということが数多くありますが、社会生活に出れば、自分で環境を作り変えていくという必要がもっとたくさん出てくるからです。一生の間、与えられた環境に適応して先に進めるというような境遇の人は誰ひとりいません。皆、与えられた環境を、それがプラスの環境であれマイナスの環境であれ、自らの力で乗り越えて自分らしい人生を築いていくのです。そう考えると、学校時代にいい環境に適応して勉強してきたという人は、その延長で社会生活も考えてしまうために困難を跳ね返す力が乏しくなることもあると考えられます。学校生活に満足せず自力で運命を切り開く必要性を感じた人は、その考えを社会生活の中に出ても持ち続けることができます。
学校生活の数年間は人生の中ではごく短い期間です。その間に、何かを学ぶことも大切ですが、いちばん大事なのは、生き方の姿勢を身につけていくことだと思います。そのような大きな展望で考えれば、いい学校に入れなかったということは、逆に将来プラスになる可能性の方が高いのです。「School of adversity」という言葉があります。これは「逆境という学校」という意味です。人間がどこでいちばん成長するかというと、やはり困難を克服する中で成長するのだということです。
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3月までに入会されている高1、高3、社会人の方は、課題フォルダにとじこんである読解マラソン集をお使いください。
3月までに入会されている高2の方は、4月4週に別途お送りする読解マラソン集をお使いください。
4月から入会された高1、高2、高3、社会人の方は、4月4週に別途お送りする読解マラソン集をお使いください。
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3月4週に行った作検模試の結果返却は、4月末から順次行っていきます。
件数が多いため、5月にずれこむこともありますので、ご了承ください。
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読む時間を確保することは、読書における食わず嫌いを克服することにもなります。
本は、子供の見えるところにただ置いておくだけでは読むようになりません。これは、昔と違うところです。子供の生活は、昔に比べて魅力的なメディアが豊富にあるので、難しいあるいはつまらなそうに見える本は、置いておくだけでは決して自然に読むようにはならなくなっているのです。
したがって、読書は本来、趣味で読むものですが、子供に読書の習慣がつくまでは、勉強として必ず読ませるという取り組みをする必要があります。苦痛であっても毎日50ページ(5年生以上の場合)読むという習慣を続けることによって、次第に読む力がつき読書が好きになっていきます。もちろん、難しい本の場合は、最後まで読み続けることができなくてもかまいません。とりあえず、1日50ページ読んでみて、子供がどうしても面白さを感じられないならば、その1日だけでやめてもいいのです。この程度の強制であれば、無理に読ませて読書嫌いになるということはまずありません。逆に、無理に読ませて読む力をつけるからこそ、読書の面白さに目覚め、読書が好きになっていくのです。
何を読むか、どう読むか、ということの次に、何を読まないかということも併せて考えておく必要があります。
雑誌、漫画、絵本、学習漫画、図鑑などはもちろん読んでいいものですが、毎日の読書としては扱わないと考えておくといいと思います。つまり、毎日50ページ以上本を読むと決めたときに、その本を図鑑や学習漫画でもいいということにはしないということです。絵本とは、絵の部分が文章の部分と同じかそれ以上ある本ということを基準にするといいと思います。なぜこれらを読書と見なさないかというと、これらの本は、読むよりも眺めるという読み方になることが多いからです。もちろん、これからの本は趣味としていくらでも読んでいいのです。しかし、読書の勉強としては扱わないということです。
また、現在は、子供にとって魅力的な遊びの手段がとても多くなっている時代です。これらの遊びは、ある制限の中で楽しむという環境を作らないと、読書の環境がつくれなくなります。例えば、漫画がいつでも手に届くところに置いてあるという環境では、惰性で漫画を読むという生活になりがちです。漫画はもちろん読んでもいいのですが、読んだあとは、簡単に手の届かないところにいったん片付けるという習慣をつけておくことが大切です。テレビやゲームやインターネットは、時間を区切って遊ぶというようなやり方をしなければ、これも惰性でいつまでも続けるという習慣になってしまいます。
読書についてよく親が、「本でも読みなさい」というような言い方をすることがあります。このような言い方では、子供は本を読むようになりません。読書の大切さということを親が子供に向かって心からしみじみと話すようにすれば子供も素直に話を聞きます。これは読書に限らず、勉強や生活習慣すべてについて当てはまります。親が真面目に一生懸命心からしみじみと話すことは、必ず子供の心に届くからです。
(おわり)
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子供にどういう本を読ませたらいいか、という話の続きです。
第一は、有名かどうかを基準にしないということです。第二は、フォア文庫などのシリーズ化された本から選ぶということです。
第三は、本の奥付を見て選ぶことです。出版年数の古いものや版の多いものは、それだけ人気のある本だと言っていいと思います。例えば、「世界の歩み(上・下)」(林健太郎著 岩波新書)は、1950年に初版が発行され、これまでに50回以上も版を重ねています。初版の発行からこれまでの長い歴史の間に、ベルリンの壁の崩壊など様々な歴史的事件がありましたが、それにもかかわらず、この本に書かれている歴史観は古さを感じさせません。このような本が古典といわれる本だと思います。
第四は、社会や理科などのノンフィクションの分野の本は、図書館を利用するということです。例えば、中学生高校生向けの「ちくま少年図書館」の全100冊のシリーズは、どの本も優れた内容の説明文のジャンルの本です。しかし、大きな書店でも数冊しか置いていません。ところが、図書館には通常100冊全部がそろっています。つまり、いい本でありながらあまり売れない本は、図書館を利用しないと読めないということです。
また、現在、アマゾンなどのインターネット書店を利用する方法があります。ネットを利用すると、ほかの人の評価がわかったり、関連する本がわかったりするので、いい本を選びやすくなります。インターネット書店は今後もっと利用されるようになると思います。クレジットカードの登録に不安を感じる人も多いと思いますが、クレジットカードの先進国アメリカでは、カードを不正に利用されたら保険でカバーし、すぐに新しいカードに切り替えるというドライな対応が定着しているそうです。日本もいずれそのようになると思います。
次に、いかに読むかということです。これは実は、何を読むかということよりもずっと大事なことです。重要なことは、家庭生活の中で本を読む時間を確保するということです。小学校では、学校で読書指導を行ったり、10分間読書のような運動を行っているところもあります。しかし、それらに頼って、読書は学校でするものだと考えていると、かえって本を読まない子になってしまいます。読書は学校でしてもらうものではなく、家庭でするものだと考えることが大切です。
(つづく)
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小学生の生徒のお母さんから、子供にどんな本を読ませたらいいかという質問がありました。
読書については、二つの方向で考えることができます。まず一つは、何を読むかということです。もう一つ、もっと大事なことは、如何に読むかということです。
まず何を読むかということについて考えてみます。小学生が読んで、ほぼ全員が必ず面白いと感じ、一気に最後まで読んでしまうような本は確かにあります。例えば、「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ著 フォア文庫)は、内容的にもすぐれたもので、しかも面白いので、ほとんどの小学生の子は夢中で読んでしまいます。
何を読むかということについて、四つの点で考えたいと思います。
まず第一は、有名な本かどうかということを基準にしないということです。一般に、親の感覚で有名な本だから読ませたいと思う本は、子供にとっては、難しいものであることが多く、また、つまらない本であることが多いようです。例えば、ミヒャエル・エンデの「モモ」や「はてしない物語」は、小学校高学年以上の読む力のある子にとっては、感動的な内容の本ですが、小学校中学年までの子にとっては、たとえ読み終えてもかえって浅い読み方を早めにしてしまうのでもったいないような気がします。私が大学生の終わりごろ、丸山真男の「日本の思想」を読んで感動したことがあります。言葉の森を始めるようになってから、高校生の本を読む子にその本をすすめました。すると1、2週間で、あっさり「読みました」と特に何の感動もないように持ってきました。たぶん、その年代では心に響くものがなかったのだと思います。年齢によって、本の感動の深さは違います。有名だから、又は親がある時期に感動したからということが、必ずしも子供の感動には結びつかないということです。
何を読むかということの第ニは、シリーズ化された本は安心して読むことができるということです。例えば、「フォア文庫」「講談社青い鳥文庫」「偕成社文庫」などです(ほかにもいろいろあります)。これらの新書版サイズの本は、これまで人気のあったよく読まれている本を編集したものです。こういう本は、だいたいどれを選んでも読みごたえがあります。しかしここで大事なことは、題名や表紙で読む本を選ばないということです。必ず中身をパラパラとめくって数ページ読んでから本を選ぶようにしてください。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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将来、人間の科学は、フリーエネルギー、フリーマテリアル、フリーコミュニケーションなどを実現すると思います。
なぜ、そういうことが可能かというと、既にそれらは自然界で再現性のある現実として実現しているからです。
例えば、太陽は、ほぼフリーエネルギーです。地球の自転や公転も、エネルギー源として活用できれば、フリーに近いエネルギーになります。既に、地球の周りを回る人工衛星のような物体の運動と地球自体の磁力を利用して電気を発生させる仕組みが考えられています(フレミングの左手の法則の応用です)。また、日本列島の近くを流れる親潮と黒潮の流力を利用すれば、単純な仕組みで莫大なエネルギーを得ることができます。
フリーマテリアルということで言えば、植物は光合成という身近な現象で新しい物質を生成しています。牛や馬は草食動物でありながら、食べたものからたんぱく質を生成しています。
核エネルギーは、物質の変化をエネルギーに利用したものですが、大規模な設備を必要とします。それに対して、生物は小さな体で酵素反応を利用して、新しい物質生成を行っています。この仕組みが解明されれば、人工的に希望の物質を創造することは将来可能になると思います。
フリーなコミュニケーションということに関して言えば、インターネットによる情報取得がまず考えられます。しかし、さらにそれ以上の情報取得の可能性もあるのです。大村恵昭(おおむらよしあき)教授は、米国でO−リングテストの特許を取得しています。これは、人間の筋肉が意識にのぼらないような外界の情報を取得できることを示しています。第六感の存在は、だれでも多かれ少なかれ感じていますが、はっきりした再現性がないために今はまだ科学の対象にはなっていません。しかし、今後、再現性のある意識以外の情報取得の仕組みが解明されれば、それを実生活で活用することができるようになると思います。
動物の世界では、群れで狩りをする動物は、言葉の力に頼らずに二手に分かれて待ち伏せするような行動がとれます。日常的にそういう行動がとれるということは、科学による再現可能性があるということです。
このように考えると、フリーなエネルギーとマテリアルとコミュニケーションは、近い将来必ず科学の俎上にのり、いったん科学的に追求されるようになった課題は、必ず科学的に解決されるようになると思います。
そして、これらの技術が実現した世界では、これまでの人間の価値観や文化も大きく変容します。しかし、ある意味でそういう時代から人間の歴史が本当に始まるのです。
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