現在の社会では、学力を上げるためにテストを課すというような勉強が行われています。しかし、そのテストで十分に正しい学力が測れないと考えられる場合は、さらに正しい学力を評価できるようにテストを工夫するというようなことが行われています。しかし、もともとテストのための学力は、本質的に問題を解くための学力です。これに対して将来求められてくるのは、解く学力ではなく、作る学力ではないのかというのが今回の話です。
学校制度が今のように整ってはいない過去の時代の勉強は、作る学力が中心でした。第三者が学力を評価するという仕組みが社会的に広がっていなかったからです。
しかし、やがて社会が安定し、学校制度や評価制度が整うようになると、テストで評価するための学力観が登場します。そしてこの評価のための学力で高得点を上げる人、つまり受験秀才がだんだんと組織のトップに立つようになっていきます。しかし、受験秀才は必ずしも作る学力に優れているわけではないので、その組織や社会が衰退するというケースも生まれてきました。
この解く学力、作る学力は、言葉を換えると、読む学力、書く学力ということもできます。もともと、読む学力は、書く学力のためにあるものでした。しかし今は、読む学力そのものが自己目的化しています。そのために、国語の問題では、消去法で選択問題の正解を選ぶというような問題作りが一般的になっているのです。
解く学力、作る学力は、テストのための学力、向上のための学力と言い換えることもできます。
テストのための学力では、勉強の動機が他人からの評価や志望校への合格になります。そのため、与えられたゴールを目指して能率よく学習を組み立てていくというのが勉強の中心的なスタイルになっていきます。そこでは、勉強は、ゴールに向かってできるだけ苦手をなくすという方向に向かいがちです。
それに対して、向上のための学力では、その動機が自己の向上や、社会への貢献や、学問的な創造になっています。ここでのゴールは、他人から与えられたものではなく、自分で作ったゴールです。従って、ゴールに向かって自分の得意を生かすというような発想で勉強が行われる傾向があります。
実は、このゴールに向かって苦手をなくす勉強と、ゴールに向かって得意を生かす勉強のバランスが重要です。つまり、幅広い知識を土台に、個性と得意と夢を生かすというような勉強がこれから求められてくるのです。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
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保護者の方から、自習の暗唱がなかなか進まないという相談を受けました。
3.4週と4.1週の低学年の長文に関しては、文章が難しかったので、読みにくかった面もあります。難しくてなかなか読めない場合は、1週間で300字という字数の目標をもっと短くしてもかまいません。
暗唱ができない理由の一つに、家族の協力がない、意義がわからない、などもあるようです。
お母さんが毎日子供たちに暗唱させようとしても、お父さんがあまり協力的でないと、毎日続けるのが難しくなることもあります。また、お父さんが熱心でもお母さんがあまり熱心でないという逆の場合もあります。今のお父さんお母さんの世代は、子供時代に暗唱という形の勉強をあまりしていないので、子供が同じ文章繰り返し読むというスタイルの勉強していると、違和感を感じることもあると思います。
そこで大事なことは、暗唱の形にあまりとらわれず、やりやすい方法で暗唱できるようにしていくということです。そのためには、お父さんやお母さん自身も、自分で何度か100字10分間、又は1週間で300字の暗唱の練習をしてみるといいと思います。そうすると、暗唱の練習でどこか難しくどこか面白いのかということが実感として分かってきます。そうすれば、子供に対する働きかけも、実態に合ったものになっていくと思います。
暗唱の仕方は、多少弾力性があっても構いません。毎日暗唱するのが原則ですが、土日は遅く起きてくるので暗唱ができないということであれば、あらかじめ土日は暗唱ではなく読書をすると決めておいてもいいのです。また、子供によっては、100字を10分間暗唱するよりも、最初から300字を全部暗唱する方がやりやすいという子もいると思います。そのようにある程度臨機応変に取り組んでいってください。
暗唱はゆっくり読むよりも早口で読んだ方が回数が増えるので覚えやすくなります。極端に言うと、聞き取れないような早口で読んでもかまいません。そして、そのような早口で読んでいても、その結果すっかり覚えてしまえば、それからは普通の速度で読んでいけばいいのです。このように、形にとらわれず内容本位の暗唱をするためにも、お父さんやお母さんが何度か自分で暗唱の経験をしてみるといいと思います。
俳優がセリフ覚えるときは、声を出さずに覚えると言われています。しかしそれは、セリフの内容を覚えて場面に合ったセリフを言うことが目的だからです。暗唱は、内容を覚えるものではなく表現を覚えるものですから、音読で覚えていくのが原則です。
文章を数回読むだけの音読の勉強は、一般につまらない勉強になりがちで、どうしても反復する回数が減ります。それに対して、暗唱の勉強は、暗唱ができたときに達成感があるので、反復の回数が増えます。ここで、大事なことは、暗唱は覚えることだけが目的ではないということです。覚えることを目標にして反復して読むということで、実は反復することが本当の目的です。ですから覚えたらおしまいというのではなく、覚えても10分間は読み続けて、覚えたものをさらに楽々と空で読めるようにしてください。
暗唱によって右脳が開発されるという理論があります。短い文章は左脳で理解しながら読むのに対し、長い文章は大量に読むと左脳では処理しきれなくなるので右脳の方に直接入るというのです。しかしこの理論は、実際に確かめられているわけではありません。私は、この考え方よりももっと単純に、長い文章を何度も読むことによって、処理できる文章の単位自体が大きくなるのではないかと考えています。つまり、短い文章をつなげて理解するのではなく、長い文章を長い文章のまま理解する力がついてくるのだと思います。
そろばんなどは慣れてくると、超人的なスピードで計算することができるようになります。暗唱も同じです。最初は、誰が読んでも同じぐらいの量を同じぐらいの時間でしか暗唱できませんが、暗唱の勉強を重ねるにつれて、数回読めば数十ページ暗唱できるというような力が育ってくるようです。
現在、記憶術という方法がはやっています。これは、記憶する技術を利用して物を覚える方法です。しかし、記憶術で記憶力がよくなるのではありません。暗唱の勉強はこの記憶術のような勉強ではなく、記憶力を育てる勉強です。逆説的ですが、記憶力を育てるためには、覚えることを目的にするのではなく、何度も繰り返して読んで、読み取る文章のひとまとまりを長くすることに慣れていくことです。
暗唱がなかなかできないという子は、覚えることを目的にしているために、かえって読む回数が少なくなっていると思います。覚えようと思わずに、100字の文章をただ10分間、又は30回繰り返して読めば、ほとんどの子はいつの間にかその文章を覚えてしまいます。暗唱は、そのような単純な勉強として取り組んでいってください。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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作文を書くのに時間がかかる、ということで相談を受けることがよくあります。時間がかかるということについては、それなりの理由があります。
第一は、時間のかかる子ほどよく考えているということです。一般に、長い時間をかけて作文を書く子は、書く力があることが多く、また考えながら書くのでさらに力がつくという傾向があります。その点では、長い時間をかけて書くということは、いい面もあります。
第二は、小学校高学年から中学生にかけては、読解のための語彙力と表現のための語彙力の差が広がる時期なので、誰でも多かれ少なかれ作文が苦手になる時期だということです。そのために、どうしても書くのが遅くなる傾向があります。
第三に、作文は精神的にエネルギーを使う勉強なので、作文のあとにすぐ次の勉強が待っているというようなスケジュールだと、途中で一休みしたくなるので、作文を書くのがなかなか終わらないということもあります。作文の勉強がある日は、ほかの勉強との間に休み時間を入れるなど勉強と休憩のバランスを考えておく必要があります。
しかし、作文を書くスピードというのは、実はとても重要です。なぜかというと、一つには、作文の試験では必ず制限時間があるからです。もう一つには、速く書くのも作文の実力だからです。
では、作文が速く書けない原因は、何でしょうか。
いちばんの原因は、遅く書くのに慣れているということです。これは読書も同じで、一度読んだところをすぐに少し戻って読む戻り読みをする癖がついていると、本を読むスピードが遅くなります。同様に、作文も、考えながら書き、書いては消して、また考えて書くというな書き方をしていると、どうしても書くのは遅くなります。
言葉の森の勉強では、構成や項目をあらかじめ指示しているので、速く書きやすい作文の勉強になっていますが、それでも書いている途中に考えてしまうというスタイルで文章を書く人がかなり多いのです。これを解決するためには、構成図をくわしく書いて、書き出す前に書き終わりまでの見通しを持って書くようにすることです。
今後の具体的な提案としては、五つのことが考えています。
第一は、今述べたように、構成図をしっかり書く練習をしていくということです。
第二は、構成図を書き終えたあと、作文を書き始めてからの正味の時間を90分以内とすることです。全部書き終えることができずに途中で終了した場合でも、「つづく」など書いて、そのまま提出するようにします。もちろん、途中で休憩したり、翌日に持ち越したりするようなことは原則としてしません。
第三は、書いている途中に消しゴムを使わないということです。また、途中で調べたり考えたり書き直したりするようなことも、原則としてしません。消しゴムを使う、調べる、考える、書き直すなどの作業は、作文の最後の残り10−20行ぐらいになってからするのはかまいませんが、書いてる途中には、そのようなことはしないようにします。不確かな漢字などはとりあえずカタカナで書いておき、作文を全部書き終えてからまとめて調べるというようにしていきます。
第四は、今後の指導の項目の中で、時間制限をはっきりさせていきたいということです。(現在も既に時間制限の項目はありますが、必須の●印の項目にはなっていません)。当面、時間の記録を徹底させて、時間がかかる生徒については、先生の方から早く書き上げるような指導していきたいと思います。
第五は、将来のことですが、音声入力でスピードアップする方法を検討しています。手で書く作文は1200字60分から90分かかるのが普通ですが、音声入力の作文では、1200字の文章でも10分から20分で仕上げることができます。これは、現在通学教室の中学生以上で行っていますが、将来、やり方を工夫して通信教室でも行えるようにしていきたいと思っています。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
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前に、難しい学校に入った人とそうでない人との、これからの勉強の違いということについて書きました。
人間は、周りの環境に左右されます。そういう点で、難しい学校に入った子は難しい勉強に適応するようになりますが、やさしい学校に入った子はやさしい勉強に適応するようになり学力があまり伸びません。
そこまでのことだけを考えると、難しい学校に入った人に比べて、やさしい学校に入った人は、スタート地点でハンディキャップを背負っているように思われます。しかし、それは二つの意味でそうではありません。
第一は、世界の中では、勉強をすることもできないような環境に置かれている人がたくさんいるからです。日本で勉強して進学できるというのは、世界的に見れば非常に恵まれた上位の0.数%のうちに入るようなことなのだと思います。そう考えると、いい学校に入るかどうかということ以前に、勉強するチャンスがあるということ自体がきわめて大きなチャンスだと考えなければなりません。
第二は、学校生活中では、環境によって影響を受けるということが数多くありますが、社会生活に出れば、自分で環境を作り変えていくという必要がもっとたくさん出てくるからです。一生の間、与えられた環境に適応して先に進めるというような境遇の人は誰ひとりいません。皆、与えられた環境を、それがプラスの環境であれマイナスの環境であれ、自らの力で乗り越えて自分らしい人生を築いていくのです。そう考えると、学校時代にいい環境に適応して勉強してきたという人は、その延長で社会生活も考えてしまうために困難を跳ね返す力が乏しくなることもあると考えられます。学校生活に満足せず自力で運命を切り開く必要性を感じた人は、その考えを社会生活の中に出ても持ち続けることができます。
学校生活の数年間は人生の中ではごく短い期間です。その間に、何かを学ぶことも大切ですが、いちばん大事なのは、生き方の姿勢を身につけていくことだと思います。そのような大きな展望で考えれば、いい学校に入れなかったということは、逆に将来プラスになる可能性の方が高いのです。「School of adversity」という言葉があります。これは「逆境という学校」という意味です。人間がどこでいちばん成長するかというと、やはり困難を克服する中で成長するのだということです。
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3月までに入会されている高1、高3、社会人の方は、課題フォルダにとじこんである読解マラソン集をお使いください。
3月までに入会されている高2の方は、4月4週に別途お送りする読解マラソン集をお使いください。
4月から入会された高1、高2、高3、社会人の方は、4月4週に別途お送りする読解マラソン集をお使いください。
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3月4週に行った作検模試の結果返却は、4月末から順次行っていきます。
件数が多いため、5月にずれこむこともありますので、ご了承ください。
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読む時間を確保することは、読書における食わず嫌いを克服することにもなります。
本は、子供の見えるところにただ置いておくだけでは読むようになりません。これは、昔と違うところです。子供の生活は、昔に比べて魅力的なメディアが豊富にあるので、難しいあるいはつまらなそうに見える本は、置いておくだけでは決して自然に読むようにはならなくなっているのです。
したがって、読書は本来、趣味で読むものですが、子供に読書の習慣がつくまでは、勉強として必ず読ませるという取り組みをする必要があります。苦痛であっても毎日50ページ(5年生以上の場合)読むという習慣を続けることによって、次第に読む力がつき読書が好きになっていきます。もちろん、難しい本の場合は、最後まで読み続けることができなくてもかまいません。とりあえず、1日50ページ読んでみて、子供がどうしても面白さを感じられないならば、その1日だけでやめてもいいのです。この程度の強制であれば、無理に読ませて読書嫌いになるということはまずありません。逆に、無理に読ませて読む力をつけるからこそ、読書の面白さに目覚め、読書が好きになっていくのです。
何を読むか、どう読むか、ということの次に、何を読まないかということも併せて考えておく必要があります。
雑誌、漫画、絵本、学習漫画、図鑑などはもちろん読んでいいものですが、毎日の読書としては扱わないと考えておくといいと思います。つまり、毎日50ページ以上本を読むと決めたときに、その本を図鑑や学習漫画でもいいということにはしないということです。絵本とは、絵の部分が文章の部分と同じかそれ以上ある本ということを基準にするといいと思います。なぜこれらを読書と見なさないかというと、これらの本は、読むよりも眺めるという読み方になることが多いからです。もちろん、これからの本は趣味としていくらでも読んでいいのです。しかし、読書の勉強としては扱わないということです。
また、現在は、子供にとって魅力的な遊びの手段がとても多くなっている時代です。これらの遊びは、ある制限の中で楽しむという環境を作らないと、読書の環境がつくれなくなります。例えば、漫画がいつでも手に届くところに置いてあるという環境では、惰性で漫画を読むという生活になりがちです。漫画はもちろん読んでもいいのですが、読んだあとは、簡単に手の届かないところにいったん片付けるという習慣をつけておくことが大切です。テレビやゲームやインターネットは、時間を区切って遊ぶというようなやり方をしなければ、これも惰性でいつまでも続けるという習慣になってしまいます。
読書についてよく親が、「本でも読みなさい」というような言い方をすることがあります。このような言い方では、子供は本を読むようになりません。読書の大切さということを親が子供に向かって心からしみじみと話すようにすれば子供も素直に話を聞きます。これは読書に限らず、勉強や生活習慣すべてについて当てはまります。親が真面目に一生懸命心からしみじみと話すことは、必ず子供の心に届くからです。
(おわり)
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子供にどういう本を読ませたらいいか、という話の続きです。
第一は、有名かどうかを基準にしないということです。第二は、フォア文庫などのシリーズ化された本から選ぶということです。
第三は、本の奥付を見て選ぶことです。出版年数の古いものや版の多いものは、それだけ人気のある本だと言っていいと思います。例えば、「世界の歩み(上・下)」(林健太郎著 岩波新書)は、1950年に初版が発行され、これまでに50回以上も版を重ねています。初版の発行からこれまでの長い歴史の間に、ベルリンの壁の崩壊など様々な歴史的事件がありましたが、それにもかかわらず、この本に書かれている歴史観は古さを感じさせません。このような本が古典といわれる本だと思います。
第四は、社会や理科などのノンフィクションの分野の本は、図書館を利用するということです。例えば、中学生高校生向けの「ちくま少年図書館」の全100冊のシリーズは、どの本も優れた内容の説明文のジャンルの本です。しかし、大きな書店でも数冊しか置いていません。ところが、図書館には通常100冊全部がそろっています。つまり、いい本でありながらあまり売れない本は、図書館を利用しないと読めないということです。
また、現在、アマゾンなどのインターネット書店を利用する方法があります。ネットを利用すると、ほかの人の評価がわかったり、関連する本がわかったりするので、いい本を選びやすくなります。インターネット書店は今後もっと利用されるようになると思います。クレジットカードの登録に不安を感じる人も多いと思いますが、クレジットカードの先進国アメリカでは、カードを不正に利用されたら保険でカバーし、すぐに新しいカードに切り替えるというドライな対応が定着しているそうです。日本もいずれそのようになると思います。
次に、いかに読むかということです。これは実は、何を読むかということよりもずっと大事なことです。重要なことは、家庭生活の中で本を読む時間を確保するということです。小学校では、学校で読書指導を行ったり、10分間読書のような運動を行っているところもあります。しかし、それらに頼って、読書は学校でするものだと考えていると、かえって本を読まない子になってしまいます。読書は学校でしてもらうものではなく、家庭でするものだと考えることが大切です。
(つづく)
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