●作文は、小学校の間だけの勉強ではない。
作文というと、小学生のころの生活作文を連想する人が多いと思います。
それは、小学校の、特に低学年では、作文の授業がかなりあるからです。
低学年の作文の授業は、正しい書き方に直すことが中心です。
しかし、高学年になると、次第に作文の授業はなくなります。
正しい書き方を身につけたあとは、それ以上教えることがなくなるからです。
●作文の勉強が本当に生きてくるのは中学生の意見文から。
中学生や高校生になると、作文(小論文)の授業は、ほぼなくなります。
それは、先生が、中学生や高校生の作文を教えることができなくなるからです。
しかし、作文力がほんとうに大事になるのは、中学生の意見文からです。
言葉の森の作文指導は、中1から中3にかけて、さまざまな意見文の練習をしていきます。
中学生の3年間で、意見文の書き方を身につければ、それだけで大学入試の小論文に対応できる力がみにつきます。
作文の本当に価値ある勉強は中学生から始まります。
小学生のころの作文は、中学生からの意見文の助走期間なのです。
●作文力は、高校入試でも大学入試でもますます重要になる。
近年、中学入試でも、高校入試でも、大学入試でも、作文力が大きく評価されるようになっています。
それは、作文力がその生徒の学力の全体をほぼ正確に表しているからです。
現在、ChatGPTで文章を生成したり要約したりする技術が発展しています。
今後、この技術の応用で、文章を評価する技術が生まれてくるはずです。
すると、先進的な入試では、安価なテキスト端末で作文を書かせ、それをAIが評価するようになります。
こういう作文入試が、やがて現在のガラパゴス入試に取って代わるようになります。
●言葉の森の作文は、事後の添削ではなく、事前の構成指導。
言葉の森の作文指導の特徴は、事後の赤ペン添削ではなく、事前の構成指導です。
このような事前の作文指導を行っているのは、言葉の森だけです。
この指導法によって、小学1年生から高校3年生まで、作文の一貫指導ができているのです。
●赤ペン添削では、作文は上達しない。
赤ペン添削は、どれほど詳しく書かれていても、生徒の作文力にはつながりません。
事後の添削ではなく、事前の構成指導と、そのための準備と取材が、作文力を伸ばします。(つづく)
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桐朋中学校 A.K.さん
<担当講師より>
合格おめでとうございます!
中学の受験勉強と並行して、作文の勉強を続けているA.K.くん。1月も休まず指導を受けてくれました。お母様のお話では、塾で一般的に国語は伸びないと言われていたのに、ぐんぐんと実力が上がったとのこと。言葉の森を続けたお蔭だと感謝されました。これからも、作文を続けてくれるとのこと。益々の成長を期待しております。
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獨協中学校 S.T.さん
<担当講師より>
作文クラスにいつもしっかりと準備して臨み、友だちの発表を興味を持って聞いてクラスを盛り上げる質問感想を伝えてくれていました。言葉の森で勉強を続けてきたことが安定した国語力につながり、受験期を支えてくれたそうです。合格おめでとうございます!
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「合格しなくたって大丈夫」
https://www.mori7.com/as/4000.html
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毎年この時期になると、「志望校に合格しました」という知らせとともに、「合格しませんでした」という知らせも受けます。
そのときに、いつも思うのが、「合格しなくたって大丈夫」ということです。
勉強をよくしていて、考える力も十分にあり、読書も好きで、性格もよく、絶対に合格してほしい生徒が合格しなかったという報告を受けると、「その学校は人を見る目がなかったんだなあ」と思います。
合格しなかったのは、受験した生徒の問題ではなく、受けた学校の問題です。
だから、合格しなかった人は、それを乗りこえて、「合格しなくてよかった」と思うような人生をこれから歩むことになるのです。
私も昔、出版社と新聞社を受けて、ペーパー試験はもちろん楽勝でしたが(ホントか)、面接で軽く落とされました。
それまで、大きい試験で不合格になるというようなことはなく初めての経験だったので、心からがっかりしましたが、すぐに、「あんなところに受からなくてよかったと言えるような人生にしよう」と考えを切り換えました。
だから、不合格の人も、考えを切り換えることです。
たぶんもう切り換えていると思いますが。
しばらくすると、不合格ということが、自分の人生の一つのエピソードになります。
生きていれば、山もあり谷もあり、時には山頂に立つことも、谷底に落ちることもあります。
しかし、振り返ると、それらがどれも自分の人生のそれぞれの色どりになって、その人の個性を形成していくのです。
不合格になった人は、その不合格が自分の勲章になるような生き方をこれからしていってください。
失敗は、あとから振り返ると、すべて自分の勲章になるのです。
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「不合格なんて気にしない――その学校に人を見る目がなかっただけ」
https://www.mori7.com/as/3570.html
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M君、こんにちは。
ペンネームの方が慣れているので、それで呼ばせてもらいますが(笑)。
受験は残念だったけれど、それは誰もが言うように、いい経験をしたと思うといいということです。
しかも、得難いいい経験だったということで、神様がもしいるとすれば、神様にいい経験をさせてくれてありがとうと言ってもいいくらいです
人間は、この世でいろいろな経験を積むために生きているので、先生も何かあるたびに、そう感謝するようにしています。
こういう経験は、挑戦した人でなければ得られないことですから、その挑戦も含めて自分をより強く豊かな人間にするための機会だったということです。
さて、試験のことについてですが、先生は途中でちょっと過去問に対応した勉強が大丈夫かなあと思ったのです。
受験というのは、実力の試験ではなくて、志望校の傾向に合わせたテクニックが必要な試験です。
これまで合格した生徒や不合格になった生徒を見ても、実力はむしろ逆ぐらいのことが多く(と、先生の周囲の人もよく言っていますが)、難しい問題に時間をかけず、うまく易しい問題に取り組んだ人がいい点数になるようなところがあったからです。
特に、算数の問題については、今の公立中高一貫校の試験は実力だけでは解けず、解き方のテクニックをかなり身につけておかなければなりません。また、テクニックを身につけていたとしても、ほとんど誰も解けないような問題もところどころにあります。
そこをうまく、というか偶然飛ばした人がいい点数になるというところもあるのです。
合否は実力の差で決まるわけではありませんが、合格した人は、自分が勉強が得意だったと思うようになり、不合格になった人は自分が勉強が苦手だったと思うようになります。
すると、何か難しい勉強に取り組むときも、得意な人は自然に自分はできるはずだと思って取り組むようになり、苦手な人はその難しいものをできれば避けたいと思って取り組むようになります。この意識の差が大きいのです。
だから、不合格になったときは、自分が合格できなかったと思うのではなく、その学校が自分を合格にするような正しい評価ができなかったと思うといいのです。
M君は、実力は十分すぎるくらいあったと思います。普段の発表学習クラスの様子を見ていると、それがよくわかります。
だから、そういう有望な人材を採用できなかった学校は、人を見る目がなかったということです(笑)。
今の試験システムが、まだ本当に有望な人を採用する仕組みになっていないのです。
しかし、だから逆に、受験のテクニックとしての過去問対策を十分にやれば、どこでも受かることができるようになっています。
今回はまだそういう準備の期間が短かったと思いますが、次回の高校入試や大学入試では、もっと自覚的にそういう対策ができるはずです。
途中の経過で回り道になったり直線の道になったりすることはあっても、最終的には自分の実力に応じたところに行くようになっていますから、むしろ回り道を経験した分だけ自分が丈夫になったと思うといいのです。
人生には、いろいろな勝ち負けや合否の経験がありますが、早めにそういう経験をしておくと勝ち負けの免疫ができます。
それが、これからの人生に何度も役に立つ場面が出てくると思います。
今後の勉強ですが、中学の勉強の中心は数学になります。中1のころはかなり易しい勉強なので、スタディサプリなどを使って1学年先のところまで勉強を進めるようにし、中3の受験のときには受験対応の数学に取り組むようにするといいです。
これは、高校に入っても同様です。学校に合わせてのんびり勉強しているのではなく、数学だけは自分で先に進めておくといいのです。それは、日本の受験がそういう仕組みになっているからです。
英語は、真面目さに比例する教科なので、Mくんは心配要らないと思いますが、基本は教科書の暗唱です。教科書に出てくる文章を全部空で言えるぐらいに音読しておくといいと思います。ただし、今の英語の教科書は会話が多く地の文が少ないので、自分で音読の教材を選んでもいいと思います。
大事なことは、ひとつの教材に絞ってそれを何度も繰り返し読み、どこに何が書いてあったか思い出せるぐらいに自分のものにするということです。
今の受験は、数学を中心とした記憶力と過去問対策の試験になっていますが、これからの試験はだんだん変わってきます。
これからの受験は、個性と自主性のあるユニークな人材を採用するという方向に進んでいきます。
それは、社会がそういう人を求めるようになっているからです。
M君のこれまでの発表の様子を見ていると、理解力や表現力という実力は十分にありますが、それ以上に自主性と創造性に優れていることがわかります。
その長所がこれから発揮できるような試験になり、社会になっていくのです。
だから、自分の持ち味に自信を持ち、これからも今の路線でやっていくといいと思います。
それでは、また新しいユニークなことに挑戦しながら、これからも元気にいろいろなことに取り組んでいってください。
追伸
この手紙を書いていて、ほかの不合格になった人にも同じようなことを伝えて励ましたいと思ったので、名前のところを匿名にしてホームページの記事に載せたいと思います。
わかる人にはわかると思いますが(笑)
それでは、新しい気持ちで、これから明るい春を迎えてください。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校(帰国子女枠編入試験) S.R.さん
<担当講師より>
「第一志望合格おめでとうございます。
試験問題を見て『自分らしい実例を書こうと意識した』と話してくれました。受験コースで書いた体験実例を思い出して書いたとのこと。Rさんらしさが伝わる作文になったのだろうと思います。日本での中学校生活も応援しています。」
<前担当講師より>
「おめでとうございます!
読書量が豊富で、大人向けの本もたくさん読んでおられました。
ミステリーの犯人が最後まで書かれていない小説について、
妹さんを含め三人で犯人予測をしたことが懐かしいです。
楽しい中学校生活を送ってほしいです。」
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芦屋国際中等教育学校 O.S.さん
<担当講師より>
「合格おめでとうございます。
受験コースの授業では、お母さまも準備に協力してくださっていました。スポーツを通して学んだことや自分の長所を中学校生活でどう活かすかということを、具体的に書く練習がしっかりとできていたと思います。
受験後、「発表が楽しみです」と言っていました。これからも明るく前向きな笑顔で、充実した学校生活を送ってください。」
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●動画:https://youtu.be/qUKtw418Y7U
言葉の森が、コロナ禍の2020年にオンラインクラスを多様に開講したとき、私(森川林)はすぐに、同じようなことをするところが出てくるだろうと思いました。
言葉の森でのオンラインクラスという仕組みそのものは、2013年から作っていましたが、それが広がったのは、ちょうど2020年からでした。
当時の世の中のオンライン教育のほとんどは、授業の動画をただ流すだけのものでした。
高学年の真面目に勉強する子にとっては、かいつまんで見ることができない動画の授業は、無駄な時間が多すぎました。
一方、低学年や勉強の自覚のない子にとっては、動画の授業はすぐに飽きてしまうものでした。
IT先進国のように言われていたアメリカでさえ、オンライン教育は、低学年の子供が飽きるということに対応できていませんでしたから、日本のオンライン教育は、もちろんそれ以下でした。
しかし、当時の言葉の森のオンライン教育が、小学校低学年の生徒も、高学年や中高生の生徒も飽きさせなかったのは、4~5人という少人数のクラスで、生徒自身が発表する時間を確保していたからです。
現在、言葉の森の幼長や小1の生徒がいるオンラインクラスでも、オンライン学習が楽しく続いています。
また、中学生や高校生の生徒も、オンラインクラスで勉強をしています。
それは、勉強の時間以外に、読書紹介や作文発表や一人一言の時間や2人1組の勉強などで、子供たちの発表と交流の時間をできるだけ確保しているからです。
この発表と交流が、学習の意欲につながります。
子供でも、大人でも、先生の話をそれがどんなに面白い話であっても、ただ聞くだけよりも、自分の力で何かをしたいものです。
私自身が、小学生のときにそうでした。
授業中は、いつも退屈だったので、教科書のほとんどすべてのページに落書きを書いていました。
落書きを書かないときは、窓の外を見ては、「スズメは自由でいいなあ」と思っていました。
唯一ほっとするのは、テストの時間でした。それは、自分が何かをすることができる時間だったからです。
多くの子供たちは、今も同じような感覚で学校の授業に参加していると思います。
勉強は、教科書や参考書や問題集をもとに、自分ですればいいものです。
どうしてもわからないときだけ教えてくれる人がいればいいのですが、そういうことは滅多にありません。
教科書は、学校で先生が教えることを前提に作られているので不親切ですが、市販の参考書や問題集は、解説や解法が詳しく書かれているので、子供が独力で勉強できます。
だから、勉強は家庭で自分ですればいいのです。
というよりも、家庭での自学自習が勉強の基本で、授業に参加するのは友達と交流したり先生に質問したりするためです。
これを反転学習と呼ぶ人もいますが、もともとの勉強は自学自習が基本なのです。
だから、私は、ベネッセの「オンラインならいごと」という企画を見たとき、次のようなことを聞きたいと思いました。
ところで、この記事は、ベネッセの企画に対する批判ではなく、オンライン教育のあり方についての記事です。
質問したいことの第一は、そのオンライン学習が何人のクラスで行われているかということです。
言葉の森のオンラインクラスは、5人以内の人数で行われています。
それは、全員の読書紹介と交流と個別指導を、45分から60分の時間内に両立させるためには、5人という人数が限界だからです。
双方向をうたっているオンライン教育であっても、10人以上のオンラインクラスでは全員の参加はできません。
数人が双方向で、他の子供は聞いているだけというのでは、聞いている子供はいつも聞いているだけです。
双方向というためには、全員の参加が必要なのです。
第二は、そのオンライン学習が固定したメンバーで行われているかということです。
人間の交流は、ただ一緒にいればいいというのではなく、親しい子と一緒にいるということが大事です。
人間が、どこで他の人と親しくなるかというと、それはかけた時間によってです。
同窓会というものが成立するのは、一緒に過ごした時間が長かったからです。
もともと仲のいい子が集まったのではなく、集まったあとに、一緒に過ごす時間があったから、親しくなったのです。
だから、言葉の森のオンラインクラスは、不特定多数の生徒が、不特定多数の先生に教えてもらう形ではなく、固定した生徒のグループが、固定した先生と一緒に勉強する形にしています。
そのために、それぞれのクラスの曜日や時間が固定しています。
ただし、欠席した分は、他のクラスに振替で参加することができます。
また、先生が急な用事で休講した場合は、他の先生が代講で授業を担当します。
オンライン教育というと、グローバルな教育と考えられがちですが、言葉の森のオンライン教育は、ローカルなオンライン教育です。
ローカルだから、サマーキャンプや遠足なども行います。(2020年からはコロナ禍で、ほとんどできませんでしたが。)
サマーキャンプに参加する子の多くが、オンラインクラスに参加していた子です。
「あの子が行くから、ぼくも行く」、「先生が行くなら、私も行く」という感じで参加しているのです。
教育の中で何が残るかというと、勉強の中身よりも、人間のつながりです。
私は、オンラインクラスに参加している子供たちの間で、やがて生涯の友達になったり、結婚したり(笑)する子が出てくると思います。
言葉の森には、幼長から社会人の生徒までが参加しています。
中学生や高校生の中には、小学校低学年から勉強を続けている子がいます。
私のうちの子2人も、小1から高3まで言葉の森の作文を続けました。
昔の電話個別指導の時代には、生徒の人間的なつながりは、教えてくれる先生だけでした。
しかし、オンライン少人数クラスでは、生徒の人間的なつながりは、先生とともに、同じクラスの生徒どうしになります。
小1のころ無邪気に、「私の読んでいる本は『ぐりとぐら』です」などと言っていた子が、高学年になると、「今、読んでいるのは『はてしない物語』です」などとなり、高校生になると、「最近読んでいるのは、デカルトの『方法序説』です」などとなります。
そういう成長のあとを、みんなで共有できるのです。
話は変わりますが、昔、教室の高校生数人に、「方法序説」が簡単だと思い、感想文を書くために読ませていたら、みんな寝てしまったことがありました(笑)。
私は、オンライン教育がこれから広がるのは、大歓迎です。
だから、いろいろな教育機関が、こういうオンライン教育を企画してほしいと思っています。
なぜなら、今の学校や塾の通学式の集団一斉指導は、限界に来ているからです。
また、不特定多数の通信教育や、マンツーマンの通信教育にも、限界があります。
従来の教育の枠を超えた新しいオンライン教育が、今必要とされているからです。
新しいオンライン教育は、江戸時代の寺子屋教育を、デジタル技術とネットワーク技術で、現代に復活するものになるはずです。
更に言うと、自動翻訳技術で、その現代寺子屋教育が、世界に広がるものになるはずだと思っています。
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オンライン教育で大事なことは、全員が発言できる人数であること、メンバーが固定していることです。
こういうオンラインであれば、リアルを超えた長所があります。
逆に、授業の動画をただ流すだけのオンライン教育は、できる子にとっては無駄が多く、できない子にとっては退屈なものになります。
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高輪中学校 T.D.さん
<担当講師より>
受験前も12月の末まで、国語読解のテキストを集中して読み進めました。読む速度もあがり、内容もしっかり把握できるようになり自信を持って入試にのぞめましたね。おめでとうございます。楽しい中学生活が待っていますね。
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