4月の森リン大賞です。
4週の清書の作品のうち、森リン点が上位のものの中から、学年別に1作品を選んでいます。
感想文課題を清書する人は、要約の部分をカットして、自分なりの状況実例や説明に書き換えて送ってください。
要約が入っていると、森リン点が高くなる傾向があるからです。
実例を複数書く場合、それぞれの実例の字数は大体同じぐらいになるように調整してください。
その方がバランスのよい文章になります。
中1の「信頼確認」という作品は、とてもいい内容でしたが、自分の名前などの固有名詞が入っているので、今回は掲載を見送ることにしました。
読み応えのある文章でした。
中2の「自分だけの物語」は、難しい言葉を自分なりによく消化して書いていました。
考える力のあることが感じられる文章です。
▼これまでの森リン大賞は、こちらのページで見られます。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php
4月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部37人中)
▼小1の森リン大賞は、ランキングを表示していません。ランキングの表示は小3から、ランキングと作品の表示は小5からになります。
4月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部88人中)
▼小2の森リン大賞は、ランキングを表示していません。ランキングの表示は小3から、ランキングと作品の表示は小5からになります。
4月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部145人中)
4月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部198人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●世界の食べ物 | あかりる | 80 | 955 | 43 | 80 | 87 | 83 |
2位 | ●ミイラを目的に洞窟に入るミイラ取り | いちご | 77 | 717 | 46 | 78 | 75 | 93 |
3位 | ●シュウマイのような食べ物 | 食べ物学者モモショクモツ | 76 | 744 | 44 | 70 | 67 | 87 |
4位 | ●いたずら大王雄一郎 | あえやひ | 73 | 901 | 46 | 48 | 63 | 90 |
5位 | ●花がいっぱい通学路(清書) | ちどり | 71 | 833 | 41 | 58 | 72 | 89 |
6位 | ●ネコのいる通学路 | あえもり | 69 | 562 | 42 | 47 | 62 | 92 |
7位 | ●サメ?(清書) | あきあよ | 64 | 421 | 39 | 44 | 52 | 86 |
8位 | ●いたずらといっても | あえほあ | 61 | 316 | 38 | 44 | 55 | 79 |
9位 | ●初めて納豆を食べたこと | あえさた | 61 | 321 | 41 | 45 | 48 | 83 |
10位 | ●楽しい朝 | いわそう | 52 | 61 | 37 | 46 | 45 | 53 |
4月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部200人中)
努力したけん玉
ふうか
「カッカッカッ。」
けん玉のまるで楽器のような音がひびきました。私は、最近けん玉をリビングで練習しています。初めて出来るようになった事は、けん玉、ピアノの音を三つ同時にひく事、チョコブラウニー作り、ひとりで出かける事などがあります。その中でも一番努力してできるようになったのがけん玉です。
けん玉を練習するようになったきっかけは、学校の冬休みチャレンジシートの中に、昔遊びをしてみようと書いてあったので、チャレンジしようと思いました。しかし、いつも使っているプラスチックのひもが短いけん玉が無くて、仕方なく木のけん玉を使ったのですが、これがなかなか難しくて、悪戦苦とうしました。でも、できるようになりたくて、何度も何度も成功するまで練習しました。
「多分、百か二百ぐらい練習していたよ!」
とお母さんが喜んでいました。私は、普段あまり沢山練習する事がないので、努力している私を見て、多分嬉しくなったのだと思います。
お父さんが小学五年生の頃、はじめて家族と離れて泊まりがけの旅行に行けるようになったそうです。きっかけはなんと、ひとりで海外旅行に行った事だったそうです。なぜ海外だったかというと、英語の習い事でやっていた作文のコンテストで賞をもらい、無料でアメリカ旅行に行ける事になったからだそうです。カリフォルニアのディズニーランドやナッツベリーファーム、シックスフラッグスなどのテーマパークに行ったり、星のきれいな田舎でキャンプをしたりしたそうです。今もそのナッツベリーファームがあるか調べてみたら、スヌーピーがいたり、沢山のホイップクリームに、どばどばのチョコ、さらに両サイドにげき甘チュロスがささったすごすぎる大きいアイスが売っているそうです。お父さんは、
「最初はきんちょうしたけど、日に日にひとりで泊まるのが平気になったよ。」
と話していました。私も、五年生の林間学校は不安だけど、楽しめるといいなと思いました。
私は、けん玉の練習をがんばって、どんなに難しい事でも努力すればいつかはできるのだなと思いました。自分にはできないと思っても、あきらめずに練習してがんばりたいと心の中で思いながら、私はけん玉を手にとりました。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●次の時代に飛びだとう シリウスとお別れの時代 | クワガタ | 80 | 928 | 46 | 94 | 92 | 93 |
2位 | ●大不評だったみかんパン | あきまえ | 79 | 1073 | 48 | 80 | 91 | 92 |
3位 | ●いつでも冷静に | きょうすけ | 79 | 930 | 44 | 64 | 80 | 92 |
4位 | ●私は小さいころの感想文 | こうた | 79 | 1001 | 47 | 57 | 79 | 83 |
5位 | ●努力したけん玉 | ふうか | 78 | 918 | 47 | 83 | 79 | 81 |
6位 | ●備えあればうれいなし | さき | 77 | 802 | 51 | 61 | 72 | 86 |
7位 | ●目立たない物は役に立つ | ふうか | 73 | 797 | 51 | 52 | 58 | 83 |
8位 | ●初めて食べた時のおいしさ | みお | 73 | 776 | 43 | 48 | 56 | 96 |
9位 | ●飲んじゃったビール | あかるほ | 73 | 966 | 39 | 46 | 55 | 100 |
10位 | ●くずかごはどんな? | ジュンノスケ | 70 | 534 | 46 | 52 | 68 | 84 |
4月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部240人中)
人間を保護する自然保護(清書)
あかるら
私は、自然と触れ合うことを大切にする幼稚園に通っていた。その幼稚園で私は様々な体験をした。例えば、季節の落ち葉や木の実拾いはもちろん、ポニーという小さな馬と触れ合ったり、夏には野菜を育て、川へ行ったり、冬には雪遊びもした。そして、園長が山から木をもらい、お父さん達が力を合わせて作ったツリーハウスや園のガチョウと毎日遊び・・・。言い出したらきりがないくらいだ。今振り返ってみると、こうして様々な自然での体験や遊びが安全に出来たのは、自然と向き合い、一日も欠かさず管理をしてくれている先生方がいたからだろう。これは小学校でも同じだ。私はこれからも管理してくれている先生方に感謝し、自然と触れ合っていくことを大切にしていきたい。
ところで、自然を保護するためにどんな方法があるか。私は小学4年生の頃から小学生用の新聞を読んでいる。その新聞に一時期、里山について書かれた記事がシリーズで連載されていた。どのシリーズでもまるで自分が本当に里山にいるかのように、大きく爽快感のある写真と共に、里山ならではの植物や昆虫、生活について描かれていた。ある時は、里山の機能について、また木を伐採することや、「昆虫の家」という人の家と外観は同じだが葉を敷き詰め、そこで昆虫達が安全に過ごすことのできる家づくりも紹介されていた。また私の学校では毎年秋に公園で「地域清掃」が行われている。多くは、ポリ袋、たばこ、ペットボトルのキャップ拾い等が中心だ。しかしなかなかゴミは見つからず、仕方なく大量の落ち葉を拾ってしまう。だが時々疑問がわく。なぜなら、私達が「ゴミ」として扱う落ち葉も、昆虫の立場になって考えると「生命誕生の場」や「住処」にもなるかもしれないからだ。きっとそのような考え方を持てるようになったのは、新聞の里山についての記事を読んでいたからだろう。私はこれからも様々な自然保護活動に参加したいと思うが、その時には人間だけでなく、動物の立場にもなって考え活動していきたい。
人間にとって自然保護は、人間を保護するということにつながる。なぜなら人間も自然の一部だからだ。また里山を救うことで、災害を防ぐことが出来るかもしれない。地震や津波、土砂崩れ等の自然災害に巻き込まれてしまうのは、人間も動物も同じだ。だからまずは身近な自然「里山」を保全する必要があると言えるのだ。その上で、今の里山の現状を知る必要があるだろう。そして里山に足を運び、自然保護活動に積極的に参加していきたいと私は思う。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●人間を保護する自然保護(清書) | あかるら | 83 | 1039 | 57 | 84 | 90 | 84 |
2位 | ●すべてのもの | しげか | 83 | 1431 | 51 | 78 | 88 | 90 |
3位 | ●森の保護の大切さ | あかれせ | 82 | 1464 | 51 | 75 | 86 | 89 |
4位 | ●読書のロマンティック | ポッポ | 82 | 1522 | 49 | 90 | 84 | 89 |
5位 | ●努力は裏切らない | あかとは | 81 | 1051 | 49 | 66 | 79 | 90 |
6位 | ●里山を歩いていると | たによし | 80 | 989 | 47 | 85 | 94 | 84 |
7位 | ●共存するための里山 | あかさほ | 80 | 1028 | 51 | 76 | 85 | 86 |
8位 | ●里山ののどかな自然 | ドドンパ | 80 | 978 | 49 | 60 | 78 | 83 |
9位 | ●想像力を育む読書 | あかのは | 80 | 948 | 52 | 65 | 72 | 84 |
10位 | ●読書の楽しみは(感) | ゆう | 79 | 873 | 47 | 75 | 69 | 97 |
4月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部250人中)
物事を多角的に見る事により
あおはす
ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。そして、100円玉、10円玉などと言う。けれども、もちろんコインは年中円形に見える訳がない。コインが自然に安定しやすい姿勢で置かれているとき、人間の視線の自然な角度から見ると、丸い。そこで、私たちは、「コインは円形だ。」という文を承認する。水平方向から眺めれば、あきらかに薄い長方形に見えるはずだ。しかし、物は試しに「コインは長方形だ。」という文を口に出して言うと、なぜか異様な発言をしているように聞こえる。私たちは日常において、いつもある視点からある光景を見る。文学作品などにおいても、同じ一つの事実をきわめて言葉で言い表すことがある。そう言った表現は、レトリックと深い関係にある。レトリックは想像力と創造力の営みである。また今日、価値の多様化ということがしばしば問題になる。自分の支店や言葉遣いだけが正しいと信じ切っている人は自分とは異なる立場から見える景色を思い描くことができない。私は、物事を多角的に見ることが大切だと考える。
第一に、物事を多角的に見る事により、新しい発見があるからだ。多角的思考とは、「考えつく限りの可能なあらゆる立場に立つことを想像して物事を考える」ということだ。私は、少し前までは一つの視点・一つの考えを深めていたが、数か月前から「考えつく限りの可能なあらゆる立場に立つことを想像して物事を考える」、多角的思考が大切なことに気づき多角的思考で物事を見るようになった。私は、小学生の時からサッカーが好きでスクールを週に二回通っていた。しかし、中学校でサッカーを続けるかどうか迷っていた。なぜなら、私が習っていた隣町のスクールの子は皆優しく男女関係なく、優しく私を受け入れてくれてくれたが、私の学校の男子と女子はとても仲が悪い。廊下ですれ違っただけで、まるで漫画のようなヤンキー同士の喧嘩に陥ってしまう事もある。数年前までは絶対サッカー部に入って男子達を見返してやろうと思っていたが、今もし、私がサッカー部に入ったら部活でも喧嘩が起こりチームメイト、そしてクラスにも迷惑をかけてしまうと思う。そして、先日私は部活に入らず継続する場合クラブ部チームで活動することを決めた。このように、すればきっと学校では平和に生きていける。もし、部活に入っていたら、メンタルが弱い私が物凄く傷つき、何もかもが台無しになっていたと考える。このような、正しい決断が出来たのは、私が物事を多角的に見る事が出来き、新しい考え・方向性を発見できたからだろう。多角的思考で物事を見たことにより、私は今卓球部に入り先輩と楽しんでプレイして学んでいる。しかし、一年生部員は私一人で少し悲しい(笑)。
第二に、物事を多角的に見る事により、ポジティブに考えられるからだ。私は、ポジティブに考える事により、人生の楽しさが増すと考える。例えばコップに水が調度半分入っているとする。この時に考え方が二つ出てくる。一つ目は「水が半分もはいっている」だ。そして二つ目は「水が半分しか入っていない」だ。この二つを比較してみると。一つ目の「水が半分もはいっている」の方がポジティブだ。これは本当に些細なことだが、さらに大きく考えると、森の中で道に迷うとする。そのときに非常食として持ってきたパンが一つあるとする。その時に、「パンが一つもある」と「パンが一つしかない」と考える人がいる。その時に、一つしかないと考えるとソワソワしてしまい脱出する事が考えられなくなり、余計な不安を抱いてしまう。しかし、「パンが一つもある」と考えるとその場で食べ、エネルギーチャージする事が出来、考えなければいけないことがしっかり考える事が出来る。つまり、ネガティブ思考になると余計な不安がさらに襲い掛かり考えなければいけないことがしっかり考える事が出来なくなってしまうということだ。私はこの二つの理由から物事を多角的に見ることが大切だと考える。
確かに、物事を一つの方向から深く考えていくということは大切だと思う。しかし、「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物である」というように、物事を多角的に見なければ見えてこない部分が多いものだ。その為、私は物事を多角的に見る・考えることが大切だと考える。私は、ネガティブ思考になりやすい。だから、ポジティブ思考を取り入れ、一回きりの人生を楽しく過ごしたい。
4月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部161人中)
自分だけの物語
ヨーヨ
私たちの日常には多くの比較対象があり、主に数字で比較される。比較といっても様々で、すべて自分を表現しきれていない。「私」という存在は決して数字では表現することができず、一人一人他とは異なる物語なのだ。その物語が自分だけの物と知るためには児童文学がよく、五感で感じる数字の直接定義することとは大きくずれている。私は容量が百十二ギガバイト、テストの結果が九十点、身長百五十二センチというように、あらゆることを数字で表す。これらはすべて他人と比べ、優劣をつけることが可能だ。しかし、どれも真の自分自身を知り、説明したことにはならない。
確かに、自分自身の現在位置を数字で明確にし、指標として測ることも大切だ。なぜなら、その指標があるからこそ、新たな目標ができるからだ。指標があれば、もっと自分より高い人の指標と自分の指標を比較することができる。すると、そこに行けばたどり着くことができるかもしれないという発見でそれがその人の目標を定めることができる。また、その目標に自分が近づくために努力することができる。そして、自分はその努力でどこを伸ばせば良いのかより明確化し、最短ルートで楽に進むことができる。また、人が平均的にすごいと思う数値があることから、自分自身を主張する土台にもなる。その理由は、誰もが数字で物を考え、判断する題材、すなわち経験があるからだ。いわゆる平均以上平均以下かを見たり、どんなことができ、この人にはこの仕事がいいと初対面であったとしても少しはわかってしまうのである。
しかし、それに対して指標として今まで述べた数値化できないことがある。それはその人の性格に加え、その人の望む未来すなわち夢だ。夢というのは数で表すことができない。これは性格を生かしたことで生まれる新たな出会いに加え、未来がある。ところが逆に数値化できず、周りから性格がわからずに本当に行きたいということと異なる進行になることがある。僕も実際に物を買いに行ったとき、定員さんに聞いたところ自分の使い方ではない観点、普通の観点で使うのだと解釈されてしまったことがあった。夢というのは持っていていると子供っぽいと馬鹿にされるイメージがある。これは一つ前の主張と関わるのだが、大人はお金、成績、仕事をする上で役に立つ資格といった数字で人を扱うのが本来の判断の仕方であるという視野の縮小化が進んでしまっているのだと思う。しかし、夢というのはその夢がなければ先に進むこともできなければ、挑戦もしない。その夢という自分の物語の一部を支える夢は大変貴重であり、そのことで社会の一員として居るのであるという意味を知るきっかけにつながるのではないか。蒸気機関を世界で初めて発明したジェームズ・ワットはアイディアが思いつくも、多くのお金がかかり、完成できていなかったが、その夢を追い求め、十年という歳月をかけてやっとでいたことで知られている。このような夢がいずれ成長を生むのだ。
このような形で数値化した方がいい物と、できない物がある。すべてを数値化したとき、その人には目標がなくなる。また、夢や希望がなくなる。しかし、すべてを数値化するといった自分の指標が無いものも目指そう、成長しようという気にならず、夢も叶わない。つまり、両方あるからこそどんどん夢が増え、その夢に近づくことができ、あるとき、その夢をかなえられるかもしれない。「私は実はたわいのない夢を大切にすることから革新が生まれると思っているとソニーの創業者である井深大が言ったように、少しでも夢を増やし、その夢を作り出せるため数値化する。この両立ができたとき、自分が一人の物語としてたくましく生きることができるのだ。
4月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部132人中)
時間との付き合い方
あああさ
人びとが時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。いつでもだれもが時計を所持するようになると、ついつい時計をのぞく機会が増え時間を気にするようになる。人びとが時間に追われるようになったもうひとつの理由は、テレビ画面の隅に時刻が表示されるようになったことである。このところ、金銭消費から時間消費へと人びとの関心が移ってきているといわれる。能率的、効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保するかが、多くの日本人の課題であろう。私は、人生において、時間に縛られずに生きることを大切にしていきたいと思う。
第一の方法としては、熱中できる事柄を見つけることである。好きなこと、やりたいことを心から満喫できる時間は、早く過ぎる分時間の重みを身に染みて感じることができ、独特の満足感を与えてくれる。私は小学一年生の頃からピアノのレッスンを受けている。初めてピアノに触れたあの時から、ピアノは私の心のよりどころであり、私の日常に当たり前のように溶け込んでいた。ピアノを演奏しているときは、一人でピアノに向かう時間だけは、全てを忘れて没頭できる。面倒で難解な、しかも苦手科目の課題をいやいや片付けるときの私の態度からは想像できないほどの集中力には、熱意の向かう方向が間違っているのではないかと疑いたくなるほどである。時計を見る暇もなく、一瞬で過ぎ去っていく時間であるが、非常に充実感のある、私にとっては大切な生活の一部である。
第二の方法としては、ゆとりを持った生活をすることである。私は準備が非常に遅い人間である。普通の人間が準備にかける時間の何倍もの時間を使うわけだから、相当早く取り掛からなければ間に合わない。とにかく時間に追われることが嫌いなのだ。時間のない中やるべきことを脳内にリストアップし漏れのないようにこなす。この複雑な行程への強い苦手意識が、私の日常を形作っている。短時間で大急ぎで準備をすることができないわけではないが、忘れ物はするわ、身は入らないわでデメリット尽くしである。私の亀並みの準備速度は、決してマイペースなわけではなく、損益をきちんと計算した上での選択である。時間に余裕が持てるようになることで、心にも余裕が生まれるのだ。時間に追われるのではなく、私自身が時間を操ってやるといった心意気で時間と向き合っていくことが大切である。
確かに、時間に合わせて規則正しい生活をすることも大切である。しかし、『自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。』という名言があるように、日々を大切にし、悔いのない人生を送るためには、時間に縛られずに生きることが必要不可欠であると考える。
4月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部292人中)
始発点の疑問
清正
今日の社会では、指示されたことをそのままに疑問を持たず実行するだけの機械のような人が多い。周囲でも、トラブルが起こった際にマニュアル等を確認し、そのままの手順で行うということが多々ある。私たちは、もっと疑問を持つということの大切さを見直すべきではないだろうか。そのために考えられる方法は2つある。
第一の方法としては、世の中で当たり前といわれている行動、現象を当たり前だと思わないことだ。私はこの考えによって、自らをよい方向へと導くことができた経験がある。それは、学校でのことだ。ある朝の学校、チャイムとともに全校朝礼が始まる。私たち生徒はいつものように体育座りをする。校長先生の長い長い話を聞き、養護教諭の方から健康に関するありがたいお言葉を頂き、副校長先生により締めくくられる。そして終わりの合図とともに立つことを許された瞬間、やっと腰を伸ばせるといわんばかりに大きく背伸びをするのだ。今日も体育座りは辛いなあ、と思いつつ教室へと歩き出す。いや、待てよ。なぜ私は体育座りをしていたのだ。正座やあぐらなど様々な座り方がある中で、わざわざ体育座りをするのはなぜなのだ。どう考えても正座のほうが礼儀正しく見え、腰も痛めないだろう。まあ、足は痛めるかもしれないが。それはともかく、当たり前のように体育座りで統一されているのは一体何故なのか。調べてみると、コンパクト且つ手で膝を抱くため手が遊ばないなどという理由で使われる腰を下ろして休む姿勢だという。いや、腰を痛めているのだがこれはどういうことだ、ではなく、体育座りをしなければならないという規則はどこにもないのだ。つまりは正座をしてもいいということではないか。さらに、長時間の体育座りは猫背の進行や内臓の圧迫など健康面に悪影響を及ぼす恐れがあるのだという。なおさら朝の朝礼でするべきではない座り方だ。私はさっそく、先生へこれらの話を伝えに行き、朝礼で体育座り以外の姿勢で座ることを許可してもらった。おかげで私は体育座りにより猫背になる、不健康になるという被害を避けることができた。当たり前のことに疑問を抱き、それを伝えることで、自分自身、ましてやほかの大勢の人を良い方向へと導くことができたのだ。実はゲームのやりすぎで結局猫背になったという話は締まらないので内緒にしておこう。
第二の方法としては、物事を自らの経験と照らし合わせてみることだ。私はまだ人生経験が浅い学生だが、経験が助けてくれることは多々ある。例えば、炭酸飲料だ。私は以前、友人とともに外出した。ボーリングや卓球、ローラースケートなど様々な遊びをし、汗をかき疲れた私たちは自動販売機で飲料を買うことにした。小銭を入れて押すと、キンキンに冷えた飲料が出てくる。開けようと思ったその時、友人が私にあるアドバイスをしてくれた。それは、私が買った飲料は振ってから飲む飲み物である、と。だが私はわかっている。その発言が嘘であるということを。何を隠そうこの飲料、炭酸飲料なのである。振ったら間違いなく中身が勢いよく飛び出し、大噴火を引き起こして私はびしょびしょになってしまう。私が買ったこの飲料、あまり見かけないものであるため知らないとでも思ったのだろう。どや顔をしながら残念だったなと言わんばかりに目の前でふたを開ける。その先には友人の悪童のような無邪気な笑みがあった。
たしかに、物事を素直に受け止め、間違えることなく正確に処理する力も現代社会の中で必要な能力ではあるだろう。しかし、疑問を持つこととは素直に受け止めない反抗的な行動ではなく、ありとあらゆる物事の始発点なのだ。実際、私は疑問を持つことで健康への一歩、そして をできたのだ。だからこそ私たちは、疑問を持つことの大切さを再度強く認識すべきだと思う。
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昨日、この前受けた血液検査の結果が届きました。
ちょっとだけ基準値より高いのもあったけど、概(おおおむ)ね良好で、とりあえず病院に行かなくてもいいみたいでした。
私は、ほっと胸をなでおろしました。
ママは、この検査結果が届くのをドキドキしながら待っていたようです。
毎年、結果が届くと、通知表(今はあゆみっていうのかな)をながめる小学生みたいに一喜一憂しています。
今回は良い結果だったのでうれしそうでした。
自分の血液検査のときも同じです。お医者さんに100点満点なんて言われるとすぐに調子に乗ります。そして酒量が少し増えます。上機嫌になるのですぐにわかります。
でも、人間も犬も年を取るのだし、自分の体調を一番よくわかっているのは自分なのだから、検査結果なんかに一喜一憂しないで、人(犬)生を大いに楽しむことが一番だと私は思います。
検査なんかには負けんさ!
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5月13日(土)朝7:50~9:50ごろサーバーが停止しました。
オンラインクラスの朝8:00、8:30、9:00の方は、ほとんどの方がホームページにアクセスできなかったと思います。
ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした。
13日の授業に出席できなかった分については、5月~6月中に別のクラスに振り替えて参加してくださるようお願いいたします。
なお、5月14日~19日の間、下記の創造発表クラスを臨時に「5/13の振替専用クラス」にしましたので、作文と国語読解の人は、ご自由に振替でご参加ください。
●5月14日(日)
8:00
9:00
●5月15日(月)
17:00
18:00
●5月16日(火)
18:00
●5月18日(木)
17:00
18:00
●5月19日(金)
17:00
以上、よろしくお願いいたします。
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■AI時代に必要になる学力は、意欲と個性に基づいた探究型学習
AI技術の進展により、時間をかけて知識を詰め込み、それを学力として評価する時代は終わりました。
学校では、まだ旧来の知識詰め込み型の勉強が中心ですが、社会では、知識よりも意欲と個性を重視する方向に変わっています。
探究型学習は、意欲、個性、思考力、創造性を育てる、これから必要になる新しい学習です。
■大学入試は、従来の一般入試から、総合選抜型のAO入試が主流になる
全国の大学入試では、すでに推薦型の入試が50%以上になっています。国公立大学に限っても、20%が推薦入試で合否を決めています。
東大の推薦入試や京大の特色入試に見られるように、この傾向は今後加速していきます。海外では、更にAO型の入試が進んでいます。
従来の受験勉強とは違った対策が、今後は必要になってくるのです。
■集団一斉指導型の探究学習ではなく、少人数クラスで個性を生かす学習
日本でも、学校で探究型学習に取り組むところが増えています。また、学習塾でも、探究学習に取り組むところが現れています。しかし、20人以上の大人数で行う探究型学習では、一人ひとりの発表の時間はほとんど取れません。
これから必要になるのは、集団一斉指導型の探究学習ではなく、少人数クラスで行う、参加者全員の発表と対話を生かした探究学習です。
■毎週全員が発表する授業で、プレゼンテーション力と面接力がつく
教科の勉強は、家庭での自学自習が中心です。授業の役割は、家庭での学習状況のチェックです。答えのある勉強は、ひとりで取り組んだ方が能率がよくなります。
しかし、これからは、みんなの前で発表する力や質問する力が重要になります。少人数クラスの発表と対話で、プレゼンテーション力とコミュニケーション力が育つと、そのまま大学入試の面接にも対応できます。
■みんなと同じ分野で1点差を競う生き方よりも、個性で勝つ生き方を
高度経済成長時代には、多くの人の目指す方向が一致していたので、狭い分野で1点差を競うような生き方が主流でした。今でも、その生き方は幅広く残っています。
しかし、これからは、競争で勝つ時代ではなく、個性で勝つ時代になります。みんなと同じところよりも、みんなと違うところが持ち味になる時代になっているのです。
●創造発表クラス 2023/5/9 現在 ○名定員
満満員
空空き 数字は学年:1~9は小1~中3、0は幼長、jklは高123
(1クラスの定員は4~5名)
▶ 詳細
■オンラインクラス紹介
作文
| 作文クラスは小1から高3まで、長期間続けられる独自の一貫指導を行っています。小学生のうちから、将来の大学入試小論文や、社会人になってから必要な論説的な文章を書く力をつけることを目標にした作文指導を行います。毎回全員が予習の発表を行い、その場で作文を書き出します。学年は、幼長~高3。大学生、社会人の方も受講できます。 |
国語読解 | 読解検定80点以上を目標に、読解力をつける独自の学習法で学びます。問題集読書の復読と読解検定の解説に取り組むことで誰でも驚くほど読解力が向上します。塾では伸びない国語力も、言葉の森なら確実に国語力が向上します。学年は、小3~高3。小学校低学年の方は、総合学力クラスの国語の授業として受講できます。 |
算数数学
| 1冊の問題集を、できない問題が1問もなくなるまで反復して学習します。小学生は標準問題集で学年先取りを目指します。中学生は発展問題集でやや難しい問題に取り組みます。中学生は、例年学年トップクラスになる生徒が出ています。小3~中3。小学校低学年の方は、総合学力クラスの算数の授業として受講できます。 |
英語 | 1冊の問題集を5回以上繰り返し読み込む学習をします。小4以上は、英文の音読暗唱を行います。教科書に対応した問題集と、英検5級~2級に対応した英検問題集のどちらも選択できます。学年は小3~中3。 |
創造発表
| 生徒の興味関心を学問に深め、学問を創造的に発表する講座です。取り組む課題は、理科実験・社会調査・自由研究など自由です。創造発表での学習は、自発的な学習姿勢、創造力、発表力を育てます。学年は小3~中3。小学校低学年の方は、総合学力クラスの発表の授業として受講できます。 |
プログラミング | プログラミングは、社会に出てからも役に立ちます。Scratch、HTML、JavaScript、Pythonを学びます。HTMLは自分のホームページを作ることができます。学年は小3~中3。それぞれの生徒が自分の進度に応じて学習するので、初心者から経験者まで参加できます。 |
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7月の新学期から、作文用紙と封筒用紙を廃止します。
これまで、作文用紙には、自分あての住所シールを貼る欄がありましたが、これからは、お使いになる作文用紙の裏面に、次のようにご自分の住所シールを貼ってくださるようお願いいたします。
▼お使いになる作文用紙の裏面(作文用紙は縦置き)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━┓
┃ 1~2cmの幅→ ┃┏━┓ ┃
┃ ┏━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┗━┛ ┃
┃2~┃ ┃ ┃ ┃
┃3cm┃ 自分あての住所シール ┃ ┃ ┃
┃の幅┃ ┃ ┃ ┃
┃ ↓┃ ┃ ┃ ┃
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先生あての住所シールは、お使いになる封筒に貼ってください。
A4サイズの用紙をこれまでの封筒用紙のように折って封筒を作成していただいても結構です。
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作文発表会は、これまで、クラス単位で、作文を読む形で行われてきました。
発表のあと、参加者が質問や感想を述べ合う発表会です。
しかし、自分の書いた文章を読むだけでは,あまり面白くありません。
そこで、昔、紙芝居形式で作文を読む作文発表会を企画したことがありました。
▽下記の動画は、昔の発表会用に、中根が作った発表の見本
https://www.youtube.com/watch?v=hBhx20M1hvw
このときの発表会参加者は、それぞれに工夫した画像を用意して発表してくれました。
この紙芝居形式の発表会を、今後、定期的に開けるようにするために、作文発表会用のアップロードページを作りました。
https://www.mori7.com/pre/sb_pre.php?nae=kennsaku&id=49
ここに表示されている作品は、試験的に言葉の森のホームページの記事をもとに、4枚の写真と「絵の実」の絵を入れた記事です。
「編集」のところをクリックすると、画像を入れたレイアウトが簡単に作れることがわかります。
小学5年生以上の人は、パソコンで作文を書いている人も多いので、清書の週は、発表会の清書を作るということができます。
手書きで書いている小学校低中学年の生徒の場合は、保護者の方がパソコン入力をしてあげることになります。
先日、中根が担当している中学生の作文クラスで、画像を作るか選ぶかして発表会を行うという授業をしたところ、絵をかいてくれた人もいましたし、その場でいろいろな画像を選んでアップロードしてくれた人もいました。
それぞれユニークな絵や画像でしたので、文章だけの発表よりも、アピールする力が強くなりました。
これからの世の中では、プレゼンテーション力が重要になってきます。
せっかく作文の勉強をしているのなら、文章を書くだけの狭い勉強にとどまらず、その文章を発表する勉強も兼ねて行えれば一石二鳥です。
特に、日本人は、日本社会の中で暮らしていると、自分の意見を率先して述べるということが苦手になります。
これは、国際社会で活躍する際に、やはりハンディになります。
作文の勉強を、単に作文を書くだけの勉強に留めずに、作文を通して自分の考えを発表する勉強に進めていきたいと思っています。
★プレゼン作文のページは、連休中に作ったばかりなのでまだβ版です。
生徒のみなさんは、このプレゼン作文のページを自由に使えます。
投稿できる人は、4月の清書を試験的に投稿して、その感想をお寄せください。
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ムラサキツメクサ
●中学受験について
学習塾の宣伝で、私立の中高一貫校に入ると、大学進学に有利になるということが言われています。
それは、主に高校の数学で先取り学習が行われるからです。
子供は、環境に適応するので、先取りの勉強を行っているうちに高3になれば、受験に特化した勉強に切り替えられます。
この1年間の差が、中高一貫校の有利な点です。
授業の内容が優れているから有利になるということではありません。
私立の中高一貫校のもうひとつのよい面は、文化的な伝統のある学校があることです。
公立学校は、定期的に教師の異動があるので、文化的な伝統はできません。
小学5、6年生は、子供の向上心が増す時期です。
この時期に受験に取り組むことは、子供の成長にプラスになります。
合否も大事ですが、それ以上に大事なことは、目標を持って勉強に取り組む経験をすることです。
しかし、今の中学受験の学習状況を見ていると、受験勉強のマイナス面もまた大きいのです。
ペーパーテストに合格するためには、時間をかけて知識を詰め込む必要があります。
その知識とは、難しい問題を解くための解き方を覚える知識です。
解き方を覚える勉強は、高校入試でも、大学入試でも、どの試験にも共通しています。
しかし、それを小学5、6年生が、過度に取り組むところに問題があるのです。
集中して勉強に取り組む期間が、数ヶ月や半年程度であれば問題はありません。
かえって、その集中期間の経験は、役に立ちます。
しかし、今は、1年も2年も、人によっては3年も4年も、受験を目標とした勉強が生活の中心になることがあります。
すると、ほかのところに弊害が出てきます。
第一は、読書や遊びを通した幅広い教養や経験を身につける時間がなくなることです。
第二は、主体性がなくなり、人に言われたとおりに行動する生き方が身についてしまうことです。
そして、第三は、勉強そのものに飽きてしまうことです。
勉強に飽きるとは、単に勉強に飽きるだけではなく、向上心を持つことに飽きることでもあるのです。
一方、公立中学には、いろいろな問題があることが指摘されています。
ひとつは、内申点があることです。
内申点自体には、問題はありません。
その内申点が、生徒の管理に使われているところに問題があります。
もうひとつは、荒れている学校があることです。
しかし、学校という外部の環境は、二次的なものです。
どんな学校にいても、すべては本人と本人の家庭次第です。
かえって、現代社会の縮図のようないろいろな生徒のいる学校の方が、いい経験になります。
これは、学校に行かなくても同じです。
いずれにしても、すべて、本人と家庭次第なのです。
これまでは、私立の中高一貫校に行くことが大学受験に有利だと言われていました。
それは、先に述べたように、先取り学習をする仕組みがあったからです。
逆に言えば、公立中学や公立高校であっても、自分で先取り学習をすれば、私立の中高一貫校と変わりません。
ただ、子供は自然に周りに合わせて生活するので、ひとりだけ先に進むということができにくいだけです。
ところで、今の大学入試は、大きく変化しています。
それは、国公私立大学の入学者の50%以上が推薦入試で合格していることです。
国公立大学に限っても、約20%が推薦型の入試で合格しています。
「創造発表クラスの勉強について――これからの大学入試の変化にも対応できる」
両親の世代の大学受験と比べて、大学入試は大きく変化しています。
これは、世界的な傾向で、大学入試が、知識の多寡で受験生を評価するのではなく、意欲と個性と思考力と創造性で受験生を評価する方向に向かっているからです。
ChatGPTに見られるAI技術の発達によって、この傾向は今後更に加速します。
このときに生きてくるのが、創造発表クラスのような探究型学習の蓄積です。
受験は、当面は大きな目標であっても、学力全体のバランスを考えることが大事です。
勉強だけでなく、意欲や個性や思考力や創造性を伸ばし、将来、社会に出てから活躍できる力をつけることを学力の本当の目標にすることが大切なのです。
(つづく)
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