ハワイで作文教室を開いている「あお」先生から、教室新聞が届きました。
ハワイにお出かけの際は、お立ち寄りください。
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「汝自身を知る」ことは、作文の勉強にも当てはまります。
人間の考えは、頭の中で考えているだけではまだ不完全です。現実に文章にしたり音声にしたりすることによって、初めて現実的なものとなります。この文章化されて表に出てきたものが自分自身の一つの面です。自分の書いた文章によって、自分自身を再確認するというところに文章を書く意義があります。
しかし、自分自身を再確認するというのは、単なる出発点です。この出発点を土台にして、新たな創造が始まるというのがいちばん大事なのです。
これは、作文を書く前の構成図について、よりはっきりした形で言えます。構成図を書くというのは、自分の頭の中にある考えを全部出していく作業です。テーマに関連して思いついたことを次々と書いていくと、自分自身の考えが客観的にわかってきます。そして、その考えた結果としての構成図を見ていると、自然にそこから新しい考えが湧き出てきます。
人から教えてもらった考えではなく、自分の中から湧き出てきた考えは、その真実性に確信が持てます。だから、文章を書く練習をしていると(それは日記のようなものでも言えると思いますが)、その人の考えはどんどん個性的になっていくのです。
さて、さらに話を広げて「汝自身を知る」ということで、歴史の勉強を考えてみます。
学校で学ぶ歴史は、世界史の勉強と日本史の勉強に分かれています。昔、私が高校生のころは、社会全体にインターナショナルな雰囲気が強く、西暦と元号を比較すると西暦の方が先進的で元号は古臭いという感覚を多くの人が持っていました。その結果、私は、受験の科目として自然に日本史ではなく世界史を選びました。たぶん、多くの人がそういう感覚を持っていたと思います。
しかし、現在はむしろ、ローカルのよさを見直そうという時代です。西暦と元号で言えば、日本にしかない元号を大事にしようという考え方です。世界史と日本史で言えば、日本人はまず足元の日本史を学ぶべきだという考えです。
「葉隠」という本の中に、次のような文章があります。「世界にはいろいろ歴史の本があるが、この藩の人は、この藩の歴史だけを知っていれば何も困ることはない」(意訳)。これは、ある意味で物事の本質をついています。
世界史と日本史で言えば、日本人はまず日本の歴史をしっかり学んでいれば、それを世界の歴史にも当てはめて考えることができるということです。また、日本人の多くは、これから日本の社会で活躍するはずですから、その足場となる日本の歴史を学んでいくことが役に立つということです。
日本史の勉強には、もう一つ大きな役割があります。それは、日本史を学んでいると、日本人のほとんどが、古事記や日本書紀の世界にまでつながる家の歴史を持っていることがわかるということです。小学生のころ、苗字によって源氏か平家かを分ける遊びが流行ったことがあります。乱暴な分け方にも見えますが、これも根拠がないわけではありません。
世界中の民族で、この日本人のように先祖のルーツをたどれる長期の平和な歴史を持っている民族はほとんどありません。日本史を学ぶということは、単に歴史の知識を学ぶことだけではなく、日本人としての自分自身を知るということにつながります。
そして、自分自身を正確に知れば、人間には自ずからそのよいところを伸ばし悪いところを直すという自然の力が働き出します。外国のよいところを学んで、それを外科手術や投薬治療のように外から日本の社会に当てはめようとするのではなく、日本の歴史の中から湧き上がるものによって自然によい方向に向かうという発想がこれからもっと必要になってくると思います。
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「汝自身を知れ」というソクラテスの言葉は有名ですが、この意味を深く理解している人は少ないと思います。私は、この言葉を、すべては自分の中に答えがあるということとして考えています。
例えば、「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。つまり、何度も繰り返して読んでいけば自ずからわかるということです。この自ずからわかるような能力が、人間の中にはもともと備わっているのだと思います。
沖縄の方の水泳の教え方で、子供を船から海に落としておぼれそうになったら引き上げるというやり方があるそうです。ちょっとかわいそうですが(笑)。何度もおぼれそうになっては引き上げられているうちに、自然に泳ぎ方を覚えてしまうというのです。これも、人間にはもともと泳ぐ能力があり、それを思い出せば自然に泳げるようになるということです。
尿療法という健康法があります。自分の尿に含まれている自分自身の情報を知ることによって、病気などが自然に治癒の方向に向かうというのです。これも人間の体の中にある自然治癒力が、自分自身を知ることによって最適の状態で活性化するということなのではないかと思います。
Oリングテストという方法も、人間の筋肉の中に自ずから自分にとってよいものを感知する力があるということを示していると思います。
もっと身近な例でいうと、私たちはオレンジを見れば自然に唾液が出ます。これは、努力をして身につけた能力ではなく、もともとあらかじめ自分の体の中に、オレンジという状況に対応する能力として備わっているものです。
実際に遺伝子工学のレベルでも、同様のことが証明されています。病気などになったときに、どのようにして身体がその病気に対応するかというと、その病気を治すことに対応したDNAの情報が読み取られて必要な酵素などが合成されるのだそうです。つまり、新しく何かを作るのではなく、すでに自分の中にある情報をただ読み出すだけというやり方で、生物は外界の変化に対応しているのです。これは、身体の外から薬を与えたり手術をしたりするような方法とは180度違う発想で、もともと人間に備わっている自然治癒力を活性化するという考え方です。
話は少し脱線しますが、声にはその人のそのときの感情が載っているそうです。これを利用して、声で感情を読み取るソフトが開発されました。ということは逆にいうと自分の声をずっと聴いていると、そのときの自分の感情が把握されて、その感情を最もよい状態に修正するような力が人間の中にあるのではないかとも思えてきます。念仏を唱えるなどということの中には(私はやりませんが)、実はこういう効果もあるのではないかと思います。しかしこれは単なる仮説です。
さて、「汝自身を知れ」は、作文の勉強についてもあてはまります。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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高校生と大学受験生の連休中の勉強について説明します。
高校1年生、高校2年生は、まだ受験という差し迫った目標がないので、ある程度時間的な余裕があります。この時期に、空いている時間をどのように有効に使うかというと、一つは読書です。勉強や受験には関係ないように見える読書にたっぷり時間を割いておくとあとで必ずよかったと思うときが来ます。もう一つは、英単語です。高1や高2の時間のあるときには、あまり考えずに進められる勉強として英単語の暗記をしておくと、高校3年生なって受験勉強に突入したときに勉強がはかどります。いちいち辞書を引かずに英語の勉強を進められるからです。第3は、苦手科目に集中することです。夏休みの1ヶ月間苦手科目に取り組めば、ほぼ必ずその科目は得意科目になります。
高校3年生の受験生にとって大事なことは、三つあります。
第一は、赤本や青本などで志望校の過去問を必ずやってみることです。もちろん、志望校の過去問を解く実力はまだありません。教科によっては全然できないものもあります。しかし、答えを書き込みながらでもその過去問をやっておくと、問題の傾向や性格が必ず分かってきます。問題の傾向や性格が分かってから進める勉強は、一般的な勉強よりもはるかに能率がよくなります。普通の高校生は、ただ漠然と勉強して最後の仕上げとして過去問をやるというような発想で勉強しやすいのですが、これ全く逆です。できなくてもいいから、まず過去問をやって、その過去問の傾向に合わせた勉強をしていくというふうに考えるのです。しかし、実際には高3の初めの時期に過去問に取り組むような自覚的な高校生はほとんどいません。したがって、ある程度強制的に家庭で過去問に取り組む時間を確保しておく必要があると思います。予備校などで、なぜ過去問を早めにやらせないというと、生徒が過去問をやって個別の学校や個別の自分の実力について相談されても一斉指導のスタイルでは対応しきれないからです。
第二は、ほかの人の合格体験記を読んでおくことです。特にその学校が自分の志望校と同じであれば、参考書や問題集や勉強の仕方で参考になる例が多数載っています。情報時代には、そういう先人の知恵を生かしておくことが大切です。
第三は、その合格体験などの記事を元にして、自分なりによいと思われる参考書や問題集をまとめ買いすることです。今はインターネット書店があるので、必要な本が時間をかけずに手に入るようになっています。そこで、自分でいいと思った参考書や問題集を一つの教科について複数買っていきます。そして、その教材が届いたら試しに数ページやってみて、自分にとっていちばん相性がいいものをメインの教材と決めます。メインの教材はこれから1年間つきあうのですから、手触りやレイアウトの好みなど感覚的なものが意外と重要です。そして、その参考書や問題集を、わからないところがなくなるまで5回ぐらい繰り返し読むような予定で勉強を進めていきます。数冊を80パーセント仕上げるのではなく、1冊を100パーセント仕上げるというのが勉強の鉄則です。
これからの1年間は、過去問をときどき解き直し、過去問で勉強の軌道修正をしながら勉強を進めていってください。
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以前、作文に関する図書を紹介したことがあります。(2008年12月28日の記事)
今回は、ここの図書について、その内容を紹介したいと思います。(紹介は順不同)
「最強作文術」(直井明子著)
理論的によく整理されている本です。書く前の材料集めと、材料集めのための対話を重視している点が特徴です。
教材の中心になっているスターシートは、子供向けのマインドマップ、あるいは、枠組みつきのマインドマップと考えていいと思います。
子供向けのマインドマップという点で、親子の対話のきっかけを作りやすいと思います。一般の作文指導などでよく行われる構成メモよりも書きやすい形式になっています。
課題に対応したスターシートが用意されているので、誰でも手順に沿って教えられるという形になっています。そのかわり、新しい課題に対応するためには、新しいシートを用意しなければならないところが、準備に時間のかかるところです。また、小学校高学年まではこの形で指導できても、中学生や高校生の指導はまた形を変える必要があるのではないかと感じました。
枠組み付きマインドマップという点では、構成があらかじめ指示されているので、誰でもすぐに書き出すことができるという点が利点です。しかし、これはこのほかのすべての教材について言えることですが、教材をあまり準備してしまうと、その教材がないと勉強が始められないということになる可能性があります。
また、構成を指示する方法は、作文を書きやすくする方法にはなりますが、思考の内容を深めるためには逆に枠組みがない方がいいのではないかと思いました。
「親子で遊びながら作文力がつく本」(松永暢史著)
この本のポイントは、(1)片っ端からメモを取る、(2)先生や親が褒めて引き出す、の二つです。シンプルですが、作文の指導でいちばん大事なことが書かれています。
著者は読書感想文という宿題について批判をしています。確かに夏休みなどに行われている読書感想文の宿題は、教育的意義があまりなく、かえって作文嫌いの子供を作っている面があります。しかし、著者の書いている読書感想文対策は、やや乱暴で、感想文の宿題はその本の解説を抜粋して仕上げてしまえとなっています(笑)。忙しい人には、これも一つのやり方になると思います。言葉の森でも、小学校低学年の感想文は子供に苦労して書かせるよりもお母さんが全面的に手伝ってあげるように話しています。しかし小学校5年生以上の感想文は、指導の仕方によっては教育的な意義のあるものが書けるので、学年によって対応を変えていくといいのではないかと思いました。
「ちびまる子ちゃんの作文教室」(貝田桃子著)
これは、楽しく読める本です。ちびまる子ちゃんの漫画が理解を助ける形で、わかりやすく書かれています。子供がこの本を自分でどんどん読んでいき、作文や国語の参考書代わりに使えるような形になっています。作文の書き方だけでなく、手紙の書き方、俳句の書き方、新聞の書き方、感想文の書き方、敬語の使い方など、文章を書くことに関する国語の知識が幅広く説明されています。内容はバランスよく密度も濃いので、子供向けの国語作文の知識に関する良書と言ってもいいと思います。
「樋口裕一のカンペキ作文塾」(樋口裕一著)
これは、新聞社から出されている本で、新聞の記事を参考に意見文を書いていく練習になっています。時事問題で出された課題を自分なりに考えるという設定で書く練習しています。
小学校高学年ぐらいで、社会問題に関心のある子にとっては、面白く読み進められる本です。文章の書き方は、あらかじめ型を作って進めるというところに力点が置かれています。意見文は、一般的な課題の「漫画を読むのはよいか悪いか」のようなものでも書けますが、このように新聞記事を話題にすると、親子の対話が盛り上がるということがあります。学校などである話題を決めて考えさせ、家に帰って両親と話し合いをさせてから意見文を書かせるというような使い方もできると思いました。
「松永式作文練習ノート」(松永暢史著)
「親子で遊びながら作文力がつく本」本よりも5年ぐらいあとに出た本なので、内容がより洗練されています。中学入試で選択問題よりも記述問題が増えたということに対応して、作文を書く意義を論じています。
片っ端からメモして書くという書き方が、説明だけでなく実際のサンプルとして載っているので、メモのメージがつかみやすくなっています。また、自由なメモだけでなく枠組みを決めて書くようなスタイルのメモも載っています。このやり方は、学校などで一斉に大量の生徒に作文を教える場合には有効だと思います。しかし、一人ひとりの子供に対してこういう準備をするのは教材作りが大変だということと、こういう準備をすることで逆に子供は他人からメモの準備をしてもらうことが当然だと思うような問題も出てくるのではないかと思いました。しかし、導入部分の指導としては、この枠組みを決めたメモ指導は効果があると思います。
「書く力をつける」(樋口裕一著)
小学校低学年向けの本なので、作文の本というよりも、言葉の使い方に対する問題集のような内容になっています。問題集と割り切って順番にやっていくと、国語の勉強になると思います。
「宮川式10分作文プリント」(宮川俊彦著)
この本は、文章を書くスペースが非常に多いので、勉強の密度は高くなると思いますが、その前に、子供が飽きる可能性もあると思いました。その理由は、書くスペースが多いのですが、そこで書いたものをどういうふうに評価するのかということがわからないからです。もちろんそれでも飽きずに続けられる子はいいと思いますが、書いたあとに、勉強が済んだという実感がわきにくいのではないかと思いました。しかし、書くスペースが多いという点は、高く評価できると思います。
「小学校の作文を26のスキルで完全克服」(向山洋一編・師尾喜代子著)
この本は、小学校で習う国語の勉強に関する知識がバランスよく書かれています。また、文章の種類も、調査報告文、行事作文、観察文など、幅広く取り上げています。比喩、体言止め、倒置法などの技術についても書かれています。ただ、表現上のさまざまな技法は、実際の作文を書く際に役立つというよりも、国語の知識として知っておくだけで十分だという感じがしました。家庭で使う教材としてはあまり向かないと思いますが、小学校や学習塾で、国語学習の教材として使っていく分には、とてもいい教材になっていると思いました。
「陰山式脳トレ聴写」(陰山英男著)
CDで聴く言葉や文章を、手で書き写すというスタイルの勉強です。こういう単純なスタイルの勉強は、繰り返すことが習慣になるので、長続きする勉強になると思います。また、聞いたことを書き写すというのは、目標がはっきりしている勉強なので、漠然と作文を書かせる勉強よりも子供にとっては達成感があります。また、このやり方なら評価の問題も出てきません。問題は、聴写だけでは飽きるということと、聴写のためのCDが用意されていないと自分の力で勉強できないという点です。CDが終わったあと、親がテープに録音する方法などを考えておくといいと思いました。
「あなうめ作文」(陰山英男著)
文章のところどころに空欄つまり穴があり、そこに言葉を入れても完成させるというスタイルの勉強です。穴埋めの穴が小さい場合は、簡単すぎる感じがします。例えば、「太陽の光が、□□□□まぶしい」で、答えは「ぎらぎら」という具合です。ところが、先に進むと次第に穴が大きくなり、最後は全部が穴のようなもので(笑)、日記を書く形になっています。穴が少ないときは簡単すぎ、穴が多くなると難しすぎる感じがしました。ちょうどいいくらいの穴うめの工夫がされるといい教材になるのではないかと思いました
「百ます書き取り」(陰山英男著)
聴いたとおりに書く、又は、見たとおりに書き写すという練習です。分量は100字や200字なので、低中学年の毎日の勉強としてはちょうどいい長さです。こういう単純な勉強ほど、実は毎日続けるものとしては役に立つのです。しかしこれも、聴いて書くときは、教材のCDが用意されていないとできないという問題があります。また、書き写し自体はいいのですが、同じ文章何度も書いてその文章を覚えるところまで繰り返さないと本当の力がつかないと思います。ところが、筆写というのは時間かかるので、同じものを何度も書き写すということはまずできません。そういう点で、元の文章を暗唱で覚えてから書き写すというような工夫がなされれば、さらにいい教材になるのではないかと思いました。
「マインドマップが本当に使いこなせる本」(アスキー)
マインドマップについての解説です。作文の本ではありませんが、マインドマップを作文指導に使った九段小学校の例が出ています。マインドマップを利用して作文が書きやすくなったという話です。確かにマインドマップで単語と線とイメージで自分の考えを書いていくと、作文に書く材料が豊富に出てくるので、書くのに困らないという面があります。その点で作文の導入にマインドマップを使うのは有効な方法だと思います。
ただ、このマインドマップというアメリカで開発された方法をそのまま使うと、かなり時間がかかります。大きい紙で、カラーで色分けし、線を太くし、絵をかくという作業は楽しいものですが、作文の導入に毎回このような作業をするのは時間のかかりすぎると思います。また、日本語は、短い漢字かな混じり文で的確に物事をあらわすことができるので、英語のように単語を並べるより短文で書いていくような使い方の方が発想が広がりやすいように感じました。
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暗唱には、知識を文脈と反復を通して生きた知識として身につけるという効用があります。
そしてまた、暗唱には、記憶の容量を高めるというもう一つの効用があるようです。
塙保己一は、十代後半のときに、般若心経約300文字を毎日100回、1000日間暗唱するという修行を自分に課しました。300字を1回読むのに1分かかるとすると、100回の暗唱には約100分かかります。この毎日100分の暗唱を約3年間毎日続けたのです。
塙保己一は、群書類従という書物をまとめましたが、これは、保己一の膨大な記憶力がなければできなかったことでしょう。保己一の頭の中には、それまでに読んだ書物がほとんどすべて、すぐにアクセスしたり検索したりできる情報として整理されていたのです。
なぜ、そういうことができるようになったかを考えてみると、保己一にとっては、記憶の容量そのものが大きくなったからではないかと思います。
通常、人が無意味な文字列として一度に覚えられる言葉は7文字ぐらいだと言われています。これが短期記憶です。ところが、これが無意味な文字列ではなく文章のような意味ある文字列になると、文字列自体ががひとつのまとまりになります。
例えば、ひふみ47文字を初めて読む人は、その文字列をたぶん一度では覚えられません。「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつわぬ そをたはくめか うおえにさりへて のますあせゑほれけ」。並べられた文字列の意味がわからないからです。ところが、意味のある文字列が50文字程度であれば、一度で覚えることができます。例えば、「真ッ白い嘆かひのうちに、海を見たり。鴎を見たり。高きより、風のただ中に、思ひ出の破片の翻転するをみたり」(中原中也詩集より)。説明するまでもありませんが、「真ッ白い」「嘆かひのうちに」「海を見たり」などがそれぞれひとまとまりの言葉となっているので、そのまとまりを基準に考えると50文字程度の文字列が7まとまり程度の文字列に還元されるからです。
ここまではだれでも考えつくことですが、実は、300文字ぐらいの文章も、見方を大きくすれば、50文字程度の文章のまとまりが7つぐらいあると考えることもできるのです。長文暗唱で300字の暗唱をするときは、たぶん頭の中で、50字程度の文をひとまとまりとするような仕組みが働いているのだと思います。
そして、塙保己一は、この300文字の暗唱を毎日100分、1000日間続けることによって、いつでも50文字程度の文をひとまとまりの単語のように読み取る力がついたのではないかというのが私の考えた仮説です。同様の学習法、すなわち長い文章を何度も音読することによって理解する方法は、シュリーマンや本多静六も実行しています。
暗唱には、このように、生きた知識を身につける効果とともに、記憶力そのものを高める効果もあるのではないかと思います。
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生きた知識とそうでない知識を比較するために、生きた現実と死んだ観念の違いについて考えてみます。
実物のオレンジは、置いておけば、食べられる、腐る、芽を出すなどいろな可能性に取り囲まれています。しかし、絵にかいた餅は、いつまで置いておいても餅のままです。
これと同様に、生きた知識は現実の中に位置づけられた知識で、死んだ知識は知識の一面を観念的に抽出したものということができます。例えば、生きた知識は人物の歴史の中で知る歴史上の知識で、死んだ知識は歴史の用語集などで知る知識です。
この現実の中に位置づけられる生きた知識を身につける方法は、熱中や感動の中で知識を得ること、時間をかけて知識を得ること、文脈の中で知識を得ること、反復の中で知識を得ることなどです。感動して身につけたことは、いつでも自分自身の体の一部のように思い出すことができます。老人が長い人生の中で身につけた知識は、短い言葉でも多くの人を説得する力を持ちます。同様に、ストーリーの中で身につけた知識や、反復の中で身につけた知識は、いつでも使える知識になります。
ここで話が少し複雑になりますが、知識の現実度が高まるにつれて、その知識は多くの可能性を持つようになります。それは、現実のオレンジが絵にかいた餅よりも、多くの可能性を持つことと同じです。この知識の持つ可能性が、思考の材料として使えるということです。いわば、知識が可能性という何本もの手足を持った状態で保存されているので、そこから多様な組み合わせができるようになるのです。可能性という手足の少ない死んだ知識は、「日本でいちばん長い川は」「はい、信濃川です」というような、単なる記憶の再現として使える一本の手足しか持っていない知識です。このような知識をいくらたくさん持っていても、これらの知識を組合わせて創造的に考えることはできません。死んだ知識は、組み合わせる可能性の手足の少ない知識だからです。
ここで、暗唱ということを考えてみると、暗唱という勉強は、物事を文脈と反復によって生きた知識として身につける方法ではないかというのが私の考えです。
言葉の森の作文の勉強の項目の中に、「長文実例」というものがあります。これは、生徒がこれまでに読んだ長文の中から、自分の意見を補強するのに使えるような実例を思い出して書くという練習です。長文暗唱が自習として定着していけば、この長文実例は、データ実例や昔話実例や伝記実例などと同じように、作文をより豊かにする材料として使えるようになると思います。
(つづく)
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解く学力と作る学力は、テストの学力と発表の学力と言い換えることもできます。また読む学力と書く学力と考えることもできます。
これからの時代に求められるものは、読む学力ではなく、書く学力です。
書く学力を構成する要素は三つあります。第一は、知識です。知識が書くための材料となります。第二は、思考です。材料となっている知識をただ伝えるだけでなく、その知識の組み合わせから新しいものを構想するのが思考の役割です。第三が、表現です。この表現は、単に右のものを左に移す伝達のような表現ではなく、新しいものを創造する表現です。
新しいものを創造するために必要な知識は、単にテストのときに記憶を再現すればよいというだけの知識ではありません。考えるときに、いつでも自分の手足の一部のように使える知識となっていることが必要です。
熱中して本を読むと、その本に書かれている内容や表現が、まるで自分のもののように使えるようになるということがあります。このときに、熱中して読んだ本の中で得た知識は、その本の文脈全体の中で把握されているので、自分の手足のように使える知識なのです。
かつて日本では、歴史の学習は、人物の歴史を中心に学ぶようになっていました。その後、人物中心の歴史学習が科学的でないと批判され、現在の歴史学習は人物をあまり取り上げない味気ないものになっています。しかし、歴史の教科書や資料集に載っているような知識をいくら覚えても、そこから文章を書くときに使えるような生きた実例はあまり出てきません。それは、断片的に記憶する歴史の知識が、単にテストで再現するだけの知識となっていて、生きた知識になっていないからです。
年をとった人の言葉は、何でもないように思えることの中にも深みを感じることがあります。同じことを若い人が言うよりも年とった人が言う方が説得力があるのは、老人の知識が、自分の生きた知識となって語られているからです。
では、生きた知識とそうでない知識の違いはどこにあるのでしょうか。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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