●動画:https://youtu.be/NMLLr_R1juQ
お喋りの楽しさなどと言うと、真面目なお母さんは、「そんな無駄な時間を」と思うかもしれませんが、そうではありません。
このお喋りの時間が、勉強のエネルギーになっているのです。
ただし、それは単なるお喋りではありません。
ひとつは、読書紹介です。
どのクラスでも、テスト期間中以外は、読んでいる本を互いに紹介します。
この読書紹介によって、どの子も毎週、それなりに本を読むようになります。
実は、読書は、勉強よりも頭をよくする効果が高いのです。
わかりやすく言えば、読書は頭を良くするが、勉強は成績をよくする、という関係です。
成績をよくする勉強の土台になっているのは読書力ですから、結局、時間はかかるように見えても、読書が成績をよくするのです。
これは、これまで多くの子供たちを見てきたことによる実感です。
小学校時代、本をよく読んでいた子は、中学生や高校生になり、勉強の自覚ができるような年齢になると、ぐんぐん成績を上げます。
その反対に、小学校時代、勉強を中心にして、読書をあまりしなかった子は、小学校時代は確かに成績はいいのですが、中学、高校と学年が上がるに連れて成績が伸び悩んでいきます。
この中学、高校の先に何があるかというと、大学生になり、社会人になれば、この差はもっと広がるということです。
本を読む習慣を大学生や社会人になっても続けられる人は、ずっと成長していきます。
本を読む習慣ができず、大学生や社会人になっても、YouTubeやSNSや身近な人の話からしか情報を取り入れられない人は、どんどん考え方が時代遅れになっていきます。
大事なのは読書習慣なのです。
これは、客観的な調査でも明らかになっています。
以下は、川島隆太さんのデータをもとにした記事です。
▽参考記事
https://www.shingakukuukanmove.jp/2019/01/02/%E5%AF%9D%E3%82%8D-%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%81-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%97%E3%82%8D/
====引用ここから====
次いで驚いたのが、読書習慣を全く持っていない生徒たちはそれだけで偏差値50を超えることが至難になるということ。
読書を1時間以上する子達と、全く読書習慣を持っていない生徒では、偏差値50を超える範囲が全く違います。
読書習慣がついている生徒は、多少睡眠時間が少なくても、多少学習時間が少なくても、偏差値50は超えやすい。
その一方で、読書習慣がない生徒はちょっと睡眠時間が少なかったり、ちょっと勉強時間が少なかったりしたら、偏差値50を超えることがかなり難しくなる。
====引用ここまで====
小学校時代は特に、勉強よりも読書を優先しているぐらいでちょうどいいのです。
中学生以降は、同じ読書でも、説明文意見文の読書にウェイトを置いていく必要があります。
学年が上がれば上がるほど、難しい本をよむ力をつけておく必要があるのです。
さて、オンラインクラスの授業では、この読書紹介のあと、それぞれの生徒の勉強が始まります。
その勉強の中で、先生の個別のアドバイス等があります。
そして、勉強の最後の時間に、一人一言の時間があります。
この一言の時間は、1人わずか1、2分です。
それぞれの生徒が、自由に自分なりのひとことを言います。
慣れないうちは、誰でも、どうでもいいことしか言いません。
「ねむい」とか、「おなかがすいた」とかいうあたりさわりのない一言です。
そんな一言であっても、なかなか出てこない子もいます。
しかし、一人一言の時間があることに慣れてくると、だんだんと誰もが個性的な一言を言うようになるのです。
これがコミュニケーション力です。
コミュニケーション力を育てるのは、練習量しかありません。
毎週のわずか1、2分の一言を繰り返す中で、次第に自分らしい一言を簡潔にいえるようになるのです。
こういう一人一言の時間を、傍で聞いているお母さんは、「勉強もしないで、お喋りばかりして」と思うかもしれません(笑)。
しかし、このお喋りが次の勉強のエネルギーになっています。
もし、これがお喋りもせずに、黙々と問題を解いたり、作文を書いたりする時間だけの授業だったとしたら、子供の意欲はだんだん低下していきます。
勉強でも、遊びでも、意欲の有無が成果につながります。
その意欲のもとになるので、友達どうしの楽しいお喋りや交流の時間なのです。
そして、このお喋りは、互いの人間関係の蓄積にもつながります。
お喋りを通して、面白いことを言う人、真面目なことを言う人、脱線するのが好きな人など、いろいろな個性が出てきます。
勉強では個性は出てきません。
答えが一つだから、点数がいいか悪いかの差しかありません。
しかし、お喋りは、全員がそれぞれの個性を表せる場です。
その中で、人間どうしのつながりを理解することが大事なのです。
私は、将来、言葉の森のオンラインクラスに一緒に参加していた生徒どうしが、結婚することがあると思っています(笑)。
そこまで行かなくても、卒業後も仲のいい友達としてつながりをもつことが多くなると思います。
オンライン少人数クラスの特徴は、人数が5人以内なので、全員が全員に関われる時間があることです。
人間どうしの関わりは、勉強だけを能率よく、ブロイラーのように詰め込むことよりも、ずっと貴重なことなのです。
ちなみに、この発表と創造に特化したクラスが、創造発表クラスです。
創造発表クラスは、毎週、全員が自分の好きな分野で研究したことを発表し、感想を言い合います。
こういう勉強は、オンラインの5人以内のクラスでなければできません。
私は、この創造発表クラスの勉強が、勉強の中で最もその子の心と頭の中に残るものだと思います。
それで、この6月から、創造発表クラスの枠を増やしました。
主な対象学年は、小3~中3ですが、小2以下でも高1以上でも参加できます。
わかりやすい目標は、将来の東大推薦入試か、イグノーベル賞を目指すことです。
というのは、半分冗談ですが、私は、創造発表クラスで独自の発表ができるような子は、将来、必ず何らかの分野で第一人者になると思っています。
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https://www.amazon.co.jp/dp/4323010583/
小学3年生ぐらいからの生徒に、「この本、おもしろいよ」と「宇宙人のいる教室」を渡すと、ほとんどの子は、熱中して1日で読み終えてしまいます。
この本は、学校図書館協議会の課題図書にも取り上げられていたことがないので、知らない人も多いと思いますが、小学生にはおすすめの本です。
内容は、人間の弱さ、優しさ、協力、自然の美しさなどの深い内容が、物語として読みやすく書かれています。
物語文の役割は、その本の内容に引き込まれる経験をすることです。
物語の中に没入することによって、感動や共感という気持ちが育ちます。
説明文の役割は、ものごとを理由、原因、方法などの構造としてとらえる理解力を育てることです。
読書には、どちらも必要です。
ただ、世の中には、読みやすい物語文の本の方が圧倒的に多いので、家庭での読書は、説明文に重点を置くぐらいにして読んでいくといいと思います。
オンラインクラスで、生徒全員が毎週行う読書紹介で、いい本がよく紹介されていますが、そのクラス内の人しか知りません。
そこで、今度、学習記録の中に、読書紹介の欄も設けるようにしたいと思います。
本の書名だけでなく、おすすめ度などの情報も入れられるようにすれば、みんなの参考になります。
たまに、「勉強が忙しくて本を読めない」という人が、ごくたまにですが、います。
中高生は、定期テストの2週間前からは、読書をいったん休んでもいいのですが、その期間以外は、原則として毎日読書をしておく必要があります。
毎日の読書のページ数は、小5以上は50ページ以上です。
また、読書は、何冊か並行して読み、1冊が飽きたら、別の本に切り替えるというふうにして読んでいくといいです。
その際、読みかけのページに小さい付箋を貼っておくと、すぐに続きを読み始められます。
生徒のみなさんは、勉強よりも読書を優先するぐらいの気持ちで毎日の読書に取り組んでください。
▼参考記事
「付箋読書の仕方(何冊もの本を並行して読む)」
https://www.mori7.com/as/1367.html
▼小さい付箋(コクヨ タックメモ 付箋超ミニサイズ)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000NNPYOG/ref=ppx_yo_dt_b_search_asin_title?ie=UTF8&psc=1
▼参考記事
「東北大学 川島隆太教授 インタビュー「読む&書く」からこそ学びは深くなる」
https://www.hj.sanno.ac.jp/cp/feature/201911/08-02.html
====引用ここから====
活字を黙読すると、後頭葉や側頭葉、頭頂葉をはじめ、左右の前頭前野が活性化する。音読する場合は発声とその音声を耳で聞くことを伴うため、黙読のときに活性化する部位に加え、聴覚野なども活性化する。音読は大脳の70%以上の神経細胞が働く、脳のトレーニングに最適な方法の1つと言える。動画視聴中は主に視覚や聴覚に関わる後頭葉と側頭葉が活性化する一方、前頭前野の働きは低下しており、脳はリラックスしている状態になっている。
====引用ここまで====
動画をみても頭はよくならないが、本を読めば頭がよくなるという話です。
ただ、音読は負担が大きいので、問題集読書のような場合だけに限り、普通は黙読で読んでいくといいと思います。
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この本教えていただき、私も友人に勧めて、友人の子も読んで、またそれをほかの人に勧めてました!
ありがとうございます。
この本は、結構内容が深いので、読んだあとも印象にのこりますよね。
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白バラ
●動画:https://youtu.be/97hCChl3yAU
※この記事は、最初の部分を「国語読解掲示板」に書きました。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=45
====国語読解掲示板からの引用
読書感想文コンクールが今年で終わる、というのは、決して大げさな言い方ではありません。
普通に考えれば、そうなります。
例えば、読書感想文コンクールに入選した作品のいくつかが、ChatGPTやBardを使って書かれたものだったとした場合、コンクールの意味がなくなってしまいます。
同じように、大学のレポート提出も、会社のエントリーシートも、意味がなくなります。
マスの参加者を対象に、リアルな場ではないところで、不特定多数の生徒を選抜をするということ自体が、ある意味で不可能になっているのです。
変わらなければならないのは、教育の側です。
最もあてになるものは、その場のリアルな対話か、その参加者の過去の実績です。
過去の実績は、今後、ブロックチェーンで保存できるようになるので、過去の実績はその人の本質と結びつく形で残るのです。
しかし、もっと大事なことは、教育の概念を変えることです。
▽参考記事
【夏休み2023】第69回青少年読書感想文全国コンクール課題図書一覧
https://resemom.jp/article/2023/05/18/72171.html
====引用終わり
さて、では、変わらなければならない教育の概念とは、どういうものになるかということです。
現在の教育は、顔の見えない不特定多数を前提としています。
確かに、30人学級や40人学級であれば、先生は一応みんなの顔は見えます。
しかし、生徒の成績を順位や偏差値で評価するとき、そこでは子供の顔は見えなくなります。
カンニングが起こるのは、生徒が自分を不特定多数の一人と考えているときです。
感想文コンクールで、ChatGPTを利用して書き上げようとする人出てくるのも、それは、自分を不特定多数の一人だと考えているからこそ、そういう発想が生まれるのです。
もし、これが5人程度の互いに顔の見える少人数のクラスであったとしたら、カンニングやChatGPTによる盗作は生まれません。
なぜかというと、一人だけズルをすることは、格好悪いことであるだけでなく、意味のないことであると思うようになるからです。
人間は、人間の関わりの中では、普通に人間らしく生きることができます。
しかし、人間の関わりのない機械的な環境で、任意の一人として生きるとき、狭いエゴで生きるようになるのです。
読書感想文に教育的な意義があるとしたら、それは少人数のクラスで感想文の練習として行われるときです。
もし、そこで誰か一人がChatGPTを使ってうまく感想文を書いたとしても、それに気がついたとき、みんなはただ笑うだけです。
「おまえ、そんなことやって上手に書けて面白いの?」
だから、誰も不正なことをする気にはなりません。
自分自身の向上のために勉強するという原点が残るだけだからです。
大事なのは、顔の見える人間的なつながりの中で教育が行われるということです。
今の教育は、人間のつながりのない中で行われています。
インターネットとITテクノロジーは、それを能率のよい教育として加速させています。
優れた授業の動画を低価格で配信し、定期的にテストを行い、個々人の苦手な分野をAIで抽出して再テストを行うという流れは、能率のよい教育の典型です。
今、生まれている教育系ベンチャーの多くは、そういう方向を目指しています。
しかし、人間の最も重要な本質は個性です。
その個性は、同じようにそれぞれの個性を持つ数人の友達や先生やその他の人と接する中で磨かれていくものです。
その磨かれ方には、もちろんプラス面だけでなくマイナス面もあります。
いわゆる悪友や反面教師という役割の人とのつながりもあるからです。
しかし、そういうつながりの中でこそ、人間は自分らしい個性を伸ばしていけるのです。
これが、ChatGPTなどのAIテクノロジーを超える、新しい教育の概念です。
AIは、教育の脇役です。
人間のつながりの中で行われる教育が本筋なのです。
この新しい教育の概念は、言葉だけでは実現できません。
概念を実現させる器としてのプラットフォームが必要です。
それが、オンライン少人数クラスのプラットフォームです。
オンラインでロングテールを利用できることと、5人以内の少人数で全員がつながりを持てることと、クラスという単位で永続性があることが、このプラットフォームの条件です。
話は変わりますが、読書感想文コンクールがなくなることに伴って、学校から毎年夏休みに出される無意味な感想文の宿題もなくなると思います。
また、税金とか人権とかいうテーマの作文の宿題もなくなると思います。
作文や感想文は、宿題やコンクールとしてではなく、少人数クラスの授業として行っていくものです。
人間のつながりの中で、自分の言葉で文章を書くからこそ勉強の意義があるのです。
ところで、話はまた少し変わりますが、読書感想文コンクールを主催している学校図書館協議会の課題図書は、例年、とてもいい本を選んでいます。
出版社の持ち回りになっているという批判もあるかもしれませんが、全体に良書を選んでいます。
過去の課題図書のリストは、子供たちの本選びの参考になります。
https://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/pastbook/612015.html
しかも、昔の課題図書は、中古でたくさん出ていますから、多くが1円(送料250円)で購入することができます。
図書館やブックオフでもすぐに見つけることのできるものが多いと思います。
課題図書は、感想文を書くためにではなく、読む本の参考として活用していくといいのです。
▼「桃太郎」を例にした感想文の書き方
https://www.mori7.com/as/1314.html
▼読書感想文の書き方——小学校低・中学年の感想文
https://www.mori7.com/as/537.html
▼読書感想文の書き方——小学校高学年の感想文
https://www.mori7.com/as/538.html
▼読書感想文の書き方——中学生の感想文
https://www.mori7.com/as/539.html
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ChatGPT時代には、大勢の人数の中から一人を選ぶとか順位をつけるとかいうこと自体の意味がなくなってきます。
ChatGPTによる作品を認めた場合、その作品を評価するのもChatGPTのようなAIになれば、機械が機械を採点するというやや滑稽な状況が生まれます。
すると、人は、次第にそういうことに興味を持たなくなります。
そのときに人間の興味として残るのは、自分自身の幸福と向上と創造と貢献です。
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ガクアジサイ
●動画:https://youtu.be/nxiulFnu9cg
オンライン少人数クラスの教育というのは、言葉の森が初めて始めたことなので、ほかに比較できるような教室はありません。
オンライン少人数クラスの教育は、集団一斉指導の教育ではありません。
しかし、単なる個別指導の教育でもありません。
それらの教育とは異なる、生徒どうしの発表と交流、生徒と先生の対話を中心にした5人以内の少人数クラスでの教育です。
これまでの勉強スタイルの多くは、生徒が教室で先生の話を聞き、そのあと家庭で行う宿題を出され、時どき教室でテストをされるというかたちでした。
この従来の教育には、三重の無駄がありました。
第一は、先生の話を聞く授業は、わかることもわからないこともひととおり聞かなければならないという無駄です。
勉強は、参考書や問題集を自分のペースで進めた方がずっと能率がいいのに、授業では最初から最後まで先生の話を聞かなければなりません。
私は、小学校高学年のころ、授業が退屈で、教科書にずっと落書きを書いていました。
そのときの担任の先生は、後に校長先生になるとてもいい先生でした。
しかし、私は授業を聞いているだけの時間が退屈で仕方なかったのです。
今も、このように感じて授業を受けている子供たちは多いと思います。
第二は、学校から出される宿題は、その多くが無駄だということです。
できることを何度もやらされる一方、できないことも通り一遍でしかできません。
自分で判断して、できない問題を中心に自習をすればいいことを、人に指示されて全員一律の宿題をやらされるのですから、時間がかかるだけでそのわりに中身はあまりありません。
宿題が必要なのは、自分で勉強できない生徒だけでいいのです。
第三は、単なる評価のためだけのテストという無駄です。
テストは、過去の評価のためのテストでなく、未来の指導のためのテストであるべきです。
しかし、今のテストは、結果を評価するためだけのテストになっています。
そのため、重要なことをテストするよりも、生徒が間違えやすいことを中心にテストをするという本末転倒のテストになっています。
テストの目的は、点数をつけることではなく、100点が取れるまで指導することにあります。
だから、点数をつけることはゴールではなく、指導のスタートです。
答えのあるテストは、100点が取れるまでやることが当然なのです。
授業の無駄、宿題の無駄、テストの無駄という現在の教育の三重の無駄は、今の教育体制のもとでは解決できません。
教える先生の工夫では、この無駄の多い教育を変えることはできません。
根本的に、教育のプラットフォームと、教育に対する考え方つまり教育観を変える必要があるのです。
オンライン少人数クラスの教育は、友達と一緒に行う学習を基本としています。
それは、5人以内という人数を限定したクラスだからできる学習です。
オンライン少人数クラスでは、読書紹介とか、一人一言の時間とか、先生のちょっとした雑談とか、勉強の中身とは一見関係のない無駄に見える時間があります。
しかし、それらは無駄ではありません。
生徒が身につける勉強の中身は、家庭での自主学習によるものです。
授業での先生の役割は、生徒の家庭での自主学習の状況をチェックし、必要に応じてアドバイスをし、生徒たちが自由に発言できるクラス作りをすることです。
そのときに、ひとつのクラスで友達と一緒に勉強しているという環境が必要になるのです。
子供たちが成長したときに残るのは、友達と一緒に勉強した経験と、家庭で行った自主学習の蓄積です。
学習とは、知識をブロイラーのように詰め込むことではなく、人間の経験として身につけることです。
人生の一部として身につけた学習が、生きた学習になるのです。
教育は、生身の人間の関わりの中で行われる必要があります。
少人数クラスの学習は、集団一斉指導の学習とも個別指導の学習とも違います。
しかし、この新しい学習スタイルは、まだ十分に理解されているとは言えません。
教える先生の側も、つい昔ながらの一斉指導や単なる個別指導の教え方になりがちです。
また、保護者の方も、生徒がお喋りばかりしていて無駄の多い授業だとみなしがちです。
しかし、このオンライン少人数クラスの教育が、これからの新しい教育の姿です。
AI時代に、勉強のスタイルと勉強の目的は大きく変わります。
与えられた知識を詰め込み再現する教育から、新しいものを創造し発表する教育に変わるからです。
その新しい教育のひとつの姿が、言葉の森のオンライン少人数クラスの教育なのです。
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ハクチョウソウ
保護者懇談会で、低学年の生徒の保護者の方から、「授業のあと、くたびれて書き終えられないので……」と相談がありました。
小学校高学年や中高生でも、そういう人がいると思います。
したがって、翌日中に書き終えて送信するということにしたいと思います。
しかし、「今日はできないから、いつかやる」ということは認めません。
必ず授業中に書き出して、その日か、翌日の間に書き終えて送信するというふうにしてください。
中学生、高校生は定期テストと重なるときがあると思います。
その場合は、
・休むか、
・他のクラスに振り返るか、
・時間を15分とか30分とか区切って、要約と感想だけでまとめるとか、
いずれかやりやすい形を工夫してください。
作文は、長い勉強なので、無理をせずに続けていくことが大事です。
細くても長く続けていれば、それに比例して必ず上達します。
上達の目安は、字数点と森リン点の推移です。
作文の点数推移のページで、グラフが右肩上がりになっているかどうかを確かめてください。
https://www.mori7.com/oka/sk_tenn.php
字数は、年間100~200字増えていることが上達の目安です。
字数は、小6以上で、コンスタントに1200字以上書けるようになることが目標です。
森リン点は、年間2ポイント上昇していることが上達の目安です。
森リン点は、小6以上で、平均的に86点以上になることが目標です。
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ナミアゲハの幼虫
●動画:https://youtu.be/yTtkD8BVhEw
つい言ってしまうのが、否定する言葉です。
「ちゃんと勉強しなきゃだめじゃない」
「しない」「だめ」というダブルの否定の言葉を聞いて、「よし、がんばろう」と思う子はまずいません。
そういうときは、
「勉強すると、こんないいことがあるよ」
という言い方をすればいいのです。
ただし、子供を誘導するためにこういう言葉を使うのではありません。
明るく楽しく暮らしていくために、日常会話の端々で肯定的な言葉を使うということです。
注意されたり否定されたりして育った子は、それなりにいい子になります。
だから、ある程度の注意は必要です。
しかし、その度合が強いと、その子の生き方が萎縮したものになります。
つまり、失敗しないこと、注意されないことを中心に生きるようになってしまうのです。
子供が音読をしているとき、近くで聞いているお父さんやお母さんは、ついひとこと注意をしたくなると思います。
それが、多くの子供が音読を嫌いになる原因です。
どんな下手な読み方をしていても、そこで、うそでもいいから、お父さんやお母さんが、
「音読、だんだん上手になってきたね」とか、
「難しい文章をよく読んでいるね」とかいう言葉掛けをするのです。
すると、不思議なことに、何の注意もしないのに、だんだん音読が上手になってくいきます。
肯定的な言葉掛けをすると、その言葉に一致する方向に現実が動いていくのです。
「うそでもいいから褒める」これが、子育てのキーワードです。
ただし、繰り返し言いますが、これは子供を誘導したりコントロールしたりするためではありません。
生きていることは、基本的に肯定的なことだと伝えるための声掛けなのです。
▽参考記事
「「やる気のない子」と叱る前に親ができる10の事 「指示・命令・脅迫・説得」で人は動かない」
https://toyokeizai.net/articles/-/674443
子育ての上手なお母さんは、自然にやっていることです。
全部読む必要はありませんが、次の言葉は覚えておくといいと思います。
====引用
(1)(一歩先のことを伝える)【例:早く起きなさい→ご飯できたよ】
(2)「やる気になる時間帯と場所を見つけてみない?」
(3)「まずは1つ(1分)だけやってみたらどうかな?」
(4)「別にいいんじゃないやらなくても」
(5)「いい感じだね?」
(6)「ありがとう、嬉しい、助かった!」
(7)「着実に前進しているね?」
(8)「どちらからやる?」
(9)簡単、簡単!
(10)「ヒントは〇〇」「制限時間30秒ね」【クイズ化する言葉】
====
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あと、言わない方がいい言葉のひとつは、でも。
子供が何か言ったら、まず、「へえ、そうなんだ」と聞いてあげることです。
「でも、なんとかでしょ」「でも、それは……」などと言うと、話が発展するよりも縮小します。
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犬も人間も年を取ると筋力が落ちるようです。
私が(いやいや)散歩をして(させられて)いるとき、あまりにゆっくり歩くので、道行く人が「がんばって!」と声をかけてくれることがあります。
そんなとき、少しだけファイトが湧きますが、基本的に自分のペースは崩しません。
私は、元々無理をしない性格なのです。
昨日は、美容院→診察の日でした。定期的に巡ってくる最悪の日です。
ママは、私の後ろ足の筋力の衰えについて獣医さんに相談していました。
私は、獣医さんのアドバイスを他人事のように聞いていたのですが、急に待合室の真ん中で屈伸運動をさせられる羽目になって焦りました。
獣医さんは、私の後ろ左足を手で押さえ、反対の手で右後ろ足を上下に動かしました。
こうすると筋肉がつくそうなのです。
私は、マッサージはいいけど、屈伸運動は嫌だなあと心の中で思いました。
案の定、家に帰ると、その屈伸運動をやらされました。
ママは、まだ慣れていないので、苦心しているようでした。(一応ダジャレね。)
これが毎日続くのかと思うと気が重いのですが、ママは自分のスクワットだって続かないのだから、私の屈伸運動もそのうちうやむやになるのではないかと期待しています。
「継続は力なり」ならぬ「継続はお蔵入り」!
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△2018年のサマーキャンプより
サマーキャンプは、2019年まで実施していましたが、2020年のコロナ騒動から休止していました。
昨年2022年は、キャンプを実行する予定で募集しましたが、ちょうど8月にコロナのピークが来るという見込みになったので、途中で休止を決定しました。
これまでのサマーキャンプは、東京駅から新幹線で那須塩原駅まで行くようにしていましたが、今後は、新宿から高速バスで直接、那須合宿所の近くまで行くことを考えています。
しかし、まだコロナの余波があるようで、高速バスの運行が限られているようです。
したがって、利便性と安全性を考え、2023年のサマーキャンプは、休止にしました。
今後、状況が変われば実施することがあるかもしれませんが、当面は2023年は休止ということでご了解ください。
実は、サマーキャンプは、子供たちと保護者と講師との交流があり、とてもいい思い出になるのです。
そのかわり、子供たちの集まりですから、いい出会いもあるかわりに、ちょっとしたトラブルもあります。
しかし、それらのトラブルも含めて、リアルな体験は、オンラインでは体験できないものですから、子供たちの成長にとっていい経験になります。
合宿所のある那須は、水の豊富なところで、近くにはいろいろな生き物がいる水たまりや、小さい子供でも遊べる浅くて広い川もあります。
できるだけ早く、サマーキャンプが再開できるようにしたいと思っています。
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