「みんなの読書記録」のページができました。
オンラインクラス一覧表の読書記録に、みんなが入れた本のリストです。
ほかの人の読んでいる本を参考にして、これからの本選びに役立ててください。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php
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ホタルブクロ
言葉の森は、この7月から、作文用紙の配布をやめ、作文ノートを中心に作文を書いていただくようにします。
小学校高学年、又は、中学生以上の生徒には、できるだけパソコン入力で作文を書いていただくようにします。
作文ノートに書いたものは、そのままでは郵送できないので、写真に撮ってウェブにアップロードしていただくようにしてください。
ノートをコピーして、郵送するということもできますが、そのような手間と時間をかけるよりも、ウェブアップロードを選択していただく方がいいと思います。
郵送による作文のやりとりの欠点は、担当する先生しか作文が見られないことです。
また、郵送に日数がかかることと、たまに郵送の途中で作文が紛失してしまう場合があることです。
昔は、紛失は年に1回あるかないかという程度でしたが、今は増えています。
郵送は、届くまでの日数がかかるので、担当の先生は、その作文が到着するまで、生徒が作文を提出したかどうかがわかりません。
ウェブにアップロードするかたちであれば、その日のうちに生徒の作文が確認できます。
ウェブにアップロードされた作文であれば、担当の先生以外に、事務局や他の先生からのアドバイスも受けることができます。
振替授業のときも、振替を担当する先生がその生徒の作文を見て指導することができます。
これが、開かれた作文指導という意味です。
また、パソコンでテキスト入力された作文であれば、森リン点が表示されます。
その森リン点の説明も、担当の先生だけでなく、事務局で行うことができます。
これが、客観的な作文指導という意味です。
言葉の森は、日本で最初に作文指導を始めた教室です。
それまでの日本には、作文の指導をする教室という概念自体がありませんでした。
だから、40年前、言葉の森の作文教室に最初に来た生徒はたった2人でした(笑)。
当時、学校で行われていたのは、生徒に作文を書かせて、先生が主観的に添削するという昔ながらのやり方でした。
今も、そのやり方が続いています。
生徒に作文を書かせて、先生が添削するというやり方で、上達する子はほとんどいません。
上手な子は、いつも上手に書けるし、下手な子はずっと下手なままです。
それは、指導の仕方が閉ざされていて、客観的ではないからです。
また、作文指導で生徒に力をつけることのできる先生は、きわめて限られているからです。
言葉の森は、日本の作文教育のフラッグシップです。
言葉の森で作文の勉強をすれば、生徒によって時間がかかることはあっても、誰でも必ず上達します。
時間がかかる生徒がいるのは、読書力が不足していることがあるからです。
開かれた客観的な作文指導を行うために、この7月から、作文用紙を廃止します。
保護者と生徒のみなさんは、できるだけウェブへのアップロード、又は、パソコンによるテキスト入力を行ってくださるようお願いします。
パソコンによるテキスト入力は、小学5年生以上からがおすすめです。
手書きによる勉強は、学校でも家庭でも十分に行っているので、週に1回の作文は、パソコン入力にしていく方がいいのです。
なお、7月からの新学期については、作文ノートの見本として、幼長、小学1、2年生の生徒には120字詰め又は150字詰めの作文帳、小学3、4、5、6年生の生徒には、200字詰めの作文帳をお送りします。
見本の作文帳をお送りするのは、今学期だけです。
この作文帳を参考に、各自で作文用のノートをご用意くださるようお願いいたします。
中学生以上の生徒は、できるだけパソコンのテキスト入力に切り替えて、森リン点を目標に作文の練習をしていってくださるようお願いいたします。
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なお、7月からの新学期については、作文ノートの見本として、幼長、小学1、2年生の生徒には120字詰め又は150字詰めの作文帳、小学3、4、5、6年生の生徒には、200字詰めの作文帳をお送りします。
この作文帳を参考に、各自で作文用のノートをご用意くださるようお願いいたします。
中学生以上の生徒は、できるだけパソコンのテキスト入力に切り替えて、森リン点を目標に作文の練習をしていってくださるようお願いいたします。
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小学5、6年生の生徒にも、見本として200字詰めの作文帳をお送りします。
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ノイバラ(城ヶ島で)
鉄緑会の記事を見ました。
「鉄緑会に中学生から通うと…」東大受験塾の驚異の学習スピードに「中学生がやる量じゃない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9477b9e10eb6c74d2783743553e05661ae7a0970
====引用ここから====
平山さんによると、数学では中1の間に三平方の定理や二次関数など中学3年生までの範囲を終え、中2で高次方程式など高校の数学I・A~数学IIの範囲、中3で三角関数や微分積分、ベクトルなど数学II・Bの範囲を学習する。
……
宿題の量も膨大だ。平山さんによれば、中学の時の宿題は以下のようなものだった。
● 膨大な宿題
【数学】
・例題の解き直し+問題集×20~30問
・中2は幾何、中3は数Ⅰの復習で4~5問程度のプリントが課される
【英語】
・15問程度の文法問題、10問程度の和文英訳
・長文問題×1~3題
・英検準2級程度の単語×50~100語
・条件英作文 1題程度
・英作文の表現、構成問題10題程度
・リスニング問題10問程度
・英文10個と50語程度のパッセージを丸暗記して、授業中のテストで暗唱できるようにする
小林さんは「多くない!?中学生がやる課題じゃないよね。ウチの塾で高校生に1週間に出すよりも多いかも」と驚きを隠さない。
====引用ここまで====
この記事から3つのことがわかります。
第一は、成績は、勉強の量に比例するということです。
第二は、勉強の量が多くても、こなせる人とこなせない人がいるということです。
第三は、今の日本の受験は、知識の詰め込みの度合いで受験生を評価しているということです。
第一の勉強の量に関して言うと、成績のいい子は長い時間勉強しています。
成績の悪い子は、勉強の時間が少ないです。
勉強の時間が長くても、密度の薄い子はいます。
しかし、成績は勉強時間に比例すると言っていいと思います。
第二の勉強の量をこなせる人とこなせいない人がいることについてです。
勉強ができるのに、勉強時間が短いという人がいます。
それは、頭がいいからです。
矢追(やおい)さんは、お母さんから、「家で勉強してはいけない。勉強は学校でやっているので十分だ」と言われて育ったそうです。
それで、仕方なく、学校に行くまでの道のりで勉強をしたそうです。
しかし、教科書は一度読めば全部頭に入るので、成績はよかったということです。
「新装版 ヤオイズム あなたは本当に生きているか」
https://www.amazon.co.jp/dp/4896344545/
この勉強力の差は何かというと、記憶力の差です。
一度読んで頭に入る人と、何度も繰り返し読まなければ頭に入らない人がいます。
勉強の基本は、繰り返しですが、繰り返しの回数が少なくてもすぐに頭に入る人がいるのです。
このように頭をよくする勉強の方法は、
第一は暗唱です。
第二は難読です。
第三は挑戦です。
シュリーマンは、何度も暗唱の練習をしているうちに、やがて数十ページの文章であれば数回読んだだけで全文の暗唱ができるようになりました。
この暗唱力で、18か国語をつかえるようになりました。
暗唱力を生かした例は、ほかにもあります。
本多静六、塙保己一、湯川秀樹などは、幼少期から暗唱の練習をしていました。
「新版 本多静六自伝 体験八十五年」
https://www.amazon.co.jp/dp/4408112186/
学力の差で最も大きいものは読解力の差です。
難しい本を読める人と、読めない人とでは、理解の速さが違います。
国語の勉強は、学年が上がるにつれて難しい説明文を読み取る力になってきます。
この難読力は、そのまま小論文の力になります。
難しい文章を読める人は、問題文をざっと見ただけで、「ああ、そういうことね」と理解しますが、難しい文章を読めない人は、問題文を逐一読まなければ理解できせん。
しかし、その理解も、自分がわかったところが中心なので、主題からはずれていることあるのです。
この難読力の基礎になるものは、幼児期の読み聞かせと、小学校時代の読書量です。
そして、その小学校時代の読書量の土台の上に、中学生、高校生、大学生の難読力が積み重なるのです。
だから、子供たちの勉強の基本は、暗唱と読書と遊びを含めたさまざまな体験です。
勉強は、やれば誰でもできるようになるので、勉強の量よりも、まず毎日の勉強の習慣をつけておくことだけです。
勉強は、やれば誰でもできるようになります。
勉強で差がつくのは、勉強の時間と頭のよさが違うからです。
この場合の頭のよさは、記憶力と難読力です。
だから、子供たちの教育で大事なことは、幼少期からの暗唱と読書に力をいれていくことです。
そして、中学生や高校生になったら、難読に力を入れていくことです。
さて、ここまでが、今の時代の話です。
大事なのは、その先です。
これからの時代は、勉強力以上に、個性力が重要になってきます。
高度成長経済時代には、誰もが学歴というメジャーな一本道で競争をしていました。
そのときにも、競争には勝ち負けがありましたが、社会全体が成長していたので、誰もが努力に応じて成果を得ることができました。
オリンピックで金メダルを取るほどではないが、そこそこに上手なので、コーチになって仕事をするという道がありました。
ノーベル賞を取るほどのことはできないが、勉強はそこそこにできるので、先生になって仕事をするという道も同じです。
つまり、社会全体が上げ潮だったので、1番手だけでなく、2番手も3番手も、ずっと遅れたn番手も、それなりの成果を受け取ることができたのです。
しかし、今の日本の社会は引き潮が続いています。
引き潮のときに成果を上げることのできるのは1番だけで、2番以降は、成果を受け取れなくなります。
この時代には、10番から9番をめざそうとか、9番から8番をめざそうとかするよりも、10番でも9番でも8番でもいいので、そこで自分の個性を伸ばし、その個性の分野で新しい1番になることです。
私は、これからの日本には、さまざまな新しい分野の1番が出てくると思っています。
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ミニトマト
詩人の工藤直子さんが、「
まるごと好きです」という自伝的な本の中で次のようなことを書いていました。
勉強かスポーツかで何かをしているときに、ある先生が、「がんばるためには、自分よりひとつ上の人を目標にして、その人に勝つようにするといい」とアドバイスをしてくれたそうです。
そのとき、工藤直子さんは、話はわかるけれど、全然ピンと来なかったと思ったそうです。
私も、その気持ちはわかります。
競争して相手に勝つということが、実感としてよくわからないのです。
もし、そういう競争の場面があり、相手がすごくがんばっているなら、勝ちは相手に譲ってもいいとさえ思います。
そんなに勝ちたかったら、勝ってもいいよ、という感じです。
自分自身の大学入試のときも、合格はしましたが、そのために落ちた人がいるのはかわいそうだなあというのが最初に思ったことでした。
そのことを、入試結果の報告のときに、ふと担任の先生に言うと、怒られました(笑)。
競い合うことによって上達するということは確かにあります。
しかし、「葉隠」には、次のようなことが書かれています。
最初は、自分はまだだめだと思う。これは役に立たない。
次に、人に勝つようになり、自分は強いという気持ちになる。これは役に立つ。
しかし、更にその先に、勝ち負けを超えた無限の道があることがわかるようになる。
世の中の多くの人は、人に「勝つ」ことができて、社会の「役に立つ」ことができるところまでを目標にしています。
しかし、それは、まだ途中の段階です。
その先に、勝ち負けを超えた無限の精進の世界があるのです。
面白い記事を見ました。
▽「通信簿」を廃止した小学校が問うテストの点数付けや運動会の勝ち負けの意味
「負ける悔しさを味わわせてほしい」「競争も大事だ」という保護者の声に愕然
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75591
====引用ここから====
(通信簿を廃止した校長先生の話)
「企業ではプレゼンして負けたらそれでお終いです」と勝つことの重要性を主張する保護者の声もいただきましたが、私が言いたいのは、一緒に働いているチームのメンバーは仲間だということです。そこでは、蹴落とし合いやランク付けはしない方がいい。得意なところを活かし合いながら助け合った方がいい。
====引用ここまで====
言葉の森の指導方針は次のとおりです。
1.国語、数学、英語について、テストの点数はつける。しかし、100点が取れるまで解き直す。
どうしても100点を取れないときは、先生が解法を説明する。
2.学期に1回の通信簿のようなものは出さないが、先生が、その生徒について気づいたことがあれば個別れんらく板で保護者に連絡をする。
3.成績はオープンでもいいと思います。
大事なのは、他人との比較ではなく、自分自身の向上だからです。
そして、「競争から協力へ」の先にあるのが、「協力から創造へ」の世界です。
その話はまたいつか。
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イモカタバミと言うらしい。
私は、これまで、子供が過ごす時間の多くが家庭で、学校は子供が過ごす時間の一部と思っていました。
しかし、よく考えてみると、学校に、朝9時から15時までいるとすれば、学校の時間は約6時間です。
家庭の時間を、夕方5時から夜10時までと朝の1時間とすれば、これも約6時間です。
すると、学校に行って同じクラスの友達と一緒にいる時間の方が、子供の生活に大きな影響を与えるだろうということがわかります。
子供の生活は、学校の担任のクラス運営の仕方で左右されるということになるのです。
クラスというものの意義がわかりやすく書かれた本がありました。
「クラスはよみがえる:学校教育に生かすアドラー心理学」
https://www.amazon.co.jp/dp/4422111272/
「アドラー心理学でクラスはよみがえる:叱る・ほめるに代わるスキルが身につく」
https://www.amazon.co.jp/dp/442211641X/
これを見ると、競争的なクラス運営ではなく、協力的なクラス運営によって、子供たちが生き生きと勉強や遊びをしていくことがわかります。
言葉の森のオンラインクラスは、時間的には子供の生活のごく一部ですが、協力的なクラス運営ができるように工夫していきたいと思っています。
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ヒルガオ
●動画:https://youtu.be/j8TjF8W2eYc
言葉の森を小学4年生ぐらいでやめてしまう子が時どきいます。
それは、本当にもったいないことだと思います。
なぜ、そのころにやめるかというと、塾が忙しくなったからとか、塾でも作文の講座があるからとかいう理由です。
もちろん、言葉の森の生徒で、塾の講習とセットになった作文講座に通いながらも、言葉の森の作文の勉強はつづけるという生徒の方が多いです。
言葉の森の作文の勉強は、高3まで続けられる勉強です。
もちろん、高3の受験期には、誰でも志望校の過去問に合わせた勉強をするのが基本なので、特に小論文の試験がなければ、作文の勉強は休んでいいのです。
しかし、作文の勉強は、単に受験の小論文に合格するためにやるのではありません。
自分自身の考える力を伸ばすためにやっていく勉強です。
高3まで毎週1本作文を書いたという蓄積は、必ずあとで生きてきます。
だから、高3まで勉強を続けるのが基本なのです。
将来は、高3以降、大学生や社会人になっても、作文の勉強を通しての交流ができるようにしますが、それは少し先の話です。
国語、数学、英語など教科の勉強は、自分ひとりでもできるので、特に人に教わる必要はありません。
今は、優れた教材がいくらでも手に入るので、それらの教材を利用して自分でやればいいのです。
ただし、全体の見通しと、何のために何を重点にするかという戦略的なことは、高校生ではまだわかりません。
また、何をどう勉強するかという戦術的なことも、高校生ではまだわからない人が多いです。
戦術を考えるためには、大学入試の勉強法に関する本を10冊以上読んでおく必要があります。
10冊というのは、新しいことを始めるためのひとつの基準です。
関連する本を10冊よむためのいちばんよい方法は、所在地の都道府県の中で最も大きい書店に行き、大学入試の勉強法がそろっているコーナーにある本を10冊買ってくることです。
その10冊の本選びに、丸一日かけます。
費用は、数万円です。
それだけで、受験勉強のスタートはかなり有利になります。
しかし、ほとんどの高校生が自分で頑張るのは、戦略でも戦術でもなく、「何しろ勉強をする」という戦闘だけです。
この戦略、戦術、戦闘という考え方は、社会人になってからも必要です。
戦闘することしか知らない人は、結局優れた兵隊としてがんばるという生き方になります。
子育ての目標は、優れた兵隊を育てることではありません。
優れた人間、又は、優れたリーダーを育てることです。
小さな戦闘で勝つことは、それはそれでいいのです。
しかし、より大きな戦術で勝つことが、戦闘以上に重要です。
もっと重要なのは戦術以上の戦略で勝つことです。
更にその上に、戦争に勝つことがあります。
戦争に勝つための最も優れたやり方は、戦争をしないで勝つことです。
つまり、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(孫子)ということなのです。
勉強は、大きな見通しを持ってやっていくことです。
単に、目先の受験とか定期テストとかに左右されるのではなく、将来、社会人として生きていくために何が必要かという観点で勉強を進めていくことです。
私は、そういう勉強の中でいちばんの要になるものは、作文と創造発表だと思います。
プログラミングにも、そういう面があります。
これからの勉強の重点は、創造的な勉強です。
国語読解、算数数学、英語の勉強については、みんなと一緒に勉強することが励みになるということで、やっていくといいと思います。
国語も、数学も、英語も、中学生までの勉強はそれほど面白くありません。
面白くないが、やらなければならないという勉強は、みんなと楽しくやっていくといいのです。
しかし、その前提は、家庭での自主学習として毎日一定のページを進めていくことです。
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●動画:https://youtu.be/_i29kIWNtQ4
私は、昔から、日本が今後発展するためには、日本の東と南に広がる太平洋に向かう必要があると思っていました。
それを、ぽっかりぽんぽん島構想という名前で勝手に考えていました(笑)。
日本の国土面積は、世界で第61位ですが、海洋も含めた面積は世界第6位です。
ざっと国土面積の12倍です。
この東と南に広がる広大な海に、ぽっかりぽんぽん島を無数に作ることができます。
そして、それらの新しい島々を含めて、日本は、新日本列島になるのです。
ということは、自分の頭の中で考えていただけでしたが、同じような構想を企画しているスタートアップがありました。
「日本でも1万人が住める海上都市計画「Dogen City|同源都市」」
https://www.gizmodo.jp/2023/06/dogen-city.html
新しいことは、いつでも軌道に載せるまでが大変ですが、理想が明確であれば必ず実現します。
私は、これから、第二、第三の会場都市の構想が続くことを期待しています。
海上都市の利点はいろいろありますが、わかりやすいことのひとつは、どんな大地震、大津波があっても影響を受けないことです。
もうひとつは、季節によって台風が来るようなときでも、台風をさけて安全な海域に移動できることです。
何しろ、日本の東南海は広いですから、冬は温かい海域に、夏は涼しい海域に移動することができます。
水が少なくなったときは、雨の降っている海域に移動すればいいし、子供たちの遠足のときは、晴れている海域に移動すればいいのです。
冬は、雪の降っている海域に移動して、雪合戦をしたり、スキーをしたりということもできます。
食料は、会場都市の中でのお米や大豆の栽培もあり得ますが、牡蠣の養殖が幅広く利用されるようになると思います。
牡蠣は海のミルクとも言われるくらい栄養のバランスのよいもので、縄文時代の人の海辺の人は、牡蠣を常食していました。
本土との交通は、ひとつの課題です。
船や飛行機でなければ会場都市に行けないとなると、やや不便ですから、会場都市と本土の間は、チューブでつなぐことが考えられます。そのチューブの中は車で移動できます。
あるいは、人の乗れるドローンや、乗用車並みに手軽に運転できる船舶の利用も考えられます。
海上都市の建設には、大きな費用がかかります。
しかし、南海トラフ地震による経済損失を考え、その対策としての投資と考えれば惜しくありません。
海上都市のエネルギー源として考えられるのは、海流発電です。
将来は、安全度の高い超小型原発か、核融合による発電を利用することも考えられます。
会場都市での産業は何かというと、それはもちろん観光ではありません。
海上都市は、どこにでも移動できるので、その会場都市に住んでいる人の文化以外は、観光になるものはないからです。
海上都市の産業は、創造です。
その都市に住んでいる人は、科学技術でも、文学でも、音楽でも、芸術でも、哲学でも、どういう分野でもいいので、創造することを仕事にします。
その創造が、その海上都市の輸出産業になります。
海上都市のレジャーのひとつは、イルカとの交流です。
多くの家庭が、ペットとしてのイルカを飼うようになり、休日はそのイルカと一緒に遊びます。
家族みんなでそれぞれのイルカに乗って、時どき、江ノ島の海辺まで遊びに行くということもあるのです。(それはないか。)
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