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曇りを取る教育はどのようにして可能か(その2) as/480.html
森川林 2009/05/05 04:55 
 ハイポニカ農法は、最初に植物の苗を困難な環境で育てて根を張らせるところに一つのポイントがありました。
 群馬県のある養鶏場では、鶏のヒナの時期に硬い餌を食べさせるということが健康な鶏と卵を作る一つの重要な要素になっています。
 先進国では、豊かな環境が日常化しています。豊かであるのはもちろんいいことですが、初期の豊かすぎる環境は、かえって生物の吸収力を阻害してしまうおそれがあります。
 しかし、人間は他の動物たちとは違い、初期の状態に規定されているわけではありません。生涯の途中の時期からでも小食が体質の改善に役立つように、教育においても、一種の飢餓状態を作ることが教育の方法として考えられるのではないかと思います。

 曇りを取る教育によって、必要な知識を大量かつ高速に吸収することができます。しかし、これは、教材が大量に与えられるということではありません。外部からの教材によってではなく、内部からの力によって大量に吸収する能力が育っていくということです。
 現在の教育環境では、教育というと、教科書と先生と授業があるような形を思い浮かべがちです。ところが、ハイポニカ農法の発想においては、農業によって最も大事だと思われていた土が実は植物の成長の阻害要因になっていたという考えがありました。同じことを教育に当てはめてみると、一斉授業と一人の先生と一冊の教科書という形が、人間が物を学ぶことにおいて一つの阻害要因になっているのではないかということが考えられます。
 エジソンは小学校の低学年のうちに、学校を退学しましたが、図書館で本を読むという勉強法で学校にいるよりも多くのことを学びました。これからの教育で大切なことは、そのような学び方を可能にするような環境と能力を作っていくことです。
 環境面に関しては、図書館がなくても、インターネットの利用でふんだんに必要な知識が与えられるということがすでに可能になりつつあります。
 もう一つの吸収する能力を育てるということが、今後の課題です。
 もしこのような吸収力を育てる教育ではなく、現在の教育の延長上に、より多くの教育を行おうとすれば、細分化と複雑化をさらに進めるような方向しか考えられません。すると、四十人学級で一人の先生が教えるのでは不十分だからもっと少人数の教育を行う必要があるとか、さらに、もっと先生を増やして個別指導を行う必要があるとか、さらに進んで生徒一人に対して複数の先生がつくというような方向に進む可能性があります。しかし、この道は、途中までは効果があったとしても、ある段階からは投入するコストに反比例して効果が減少していくのではないかと思います。

 教育方法に吸収力を利用するということですぐに思いつくことの一つは受験です。受験勉強というチャンスは、人間に一種の飢餓状態を与えるという点で教育的な効果があります。受験勉強の1年間は、それ以前の数年間よりもずっと密度が濃いというのは多くの人が経験することです。
 しかし、ここから、テストで強制した勉強を考えるのでは教育的な方法とは言えません。内部から吸収力を育てるのではなく、テストという強制で無理やり吸収力を引き出すとすれば、それはテストがなければ勉強しないというより大きな弊害を生み出します。
 吸収力を育てるには、もっと本質的な方法があるはずです。

 知的な飢餓状態というのは、情報が与えられないことだけではありません。同じ情報だけが、延々と与えられるという状態も一種の飢餓感を生み出します。実は、それが暗唱の一つの大きな要素です。
 貝原益軒は、百字の文章を百回暗唱するという教育方法を提唱しました。塙保己一は、約三百字の文章を百回暗唱するという勉強法を自分に課しました。このように同じ文章を過剰に繰り返し暗唱している状態で、一種の情報に対する飢餓状態が生まれるのです。
 同様の方法は、日本の文化の様々なところに流れています。例えば、日本では素振りという練習方法があります。これは、同じ動作を繰り返すことによって、動作の飢餓状態を作ることです。飢餓状態によって初期化された動作は、どのような動作にも対応できる万能性を持つという考えがそこにあるのです。
 同じことは、念仏や座禅のように、同一状態を反復する文化の根底に流れている考え方です。
 人間以外の動物は、動きも鳴き声も関心を持つ外界もほぼ固定化しています。それに対して人間は、動作も音声も話す内容も関心を持つ内容も、動物よりはるかに自由度が高いという特徴があります。その自由度が、人間にとって動作や認識の曇りとなっていくのです。日本文化は、その自由であることから生まれる曇りを取り除くために、固定した状態を作るという型の文化を生み出したのだと考えることができます。
(つづく)

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曇りを取る教育はどのようにして可能か(その1) as/479.html
森川林 2009/05/04 05:03 
 曇りを取る教育とはどのようなものでしょうか。曇りを取り除くことによって、乾いた砂に水がしみ込むように、物事を吸収する能力が現れる、そういう方法があるのではないかということです。
 中村天風は、チベットでの修行で人間な面でも心身の能力の面でも大きく成長しました。天風の獲得した能力は、右脳の活性化の結果とも言われていますが、科学的なことはまだわかっていません。その能力は例えば、一目見ただけで細部まですべてを覚えてしまう記憶力や、同時にいくつもの知的な作業を並行して取り組める集中力です。
 ところが、この天風の例に見られるように、これまでの人間の知的な能力の開発には、修行という方法しかありませんでした。天風も、世界中の当時の最先端の科学、医学、哲学などで目指すものが得られないことがわかったあとに、チベットの師に出会ったのです。しかし、修行は、科学的な裏づけがないために宗教的な主観性と結びつきやすいという弱点を持っています。しかも、ほとんどの場合、その修行は一部の人にとってしか成果をもたらしません。
 一方、宗教の主観性を排して科学的な方法で人間の能力を開発させようとするやり方は、往々にして、その能力の開発に人間性の向上が伴わないという弱点を持っています。例えば外部から何かの刺激を与えることによって能力を開発するというような方法は、生活の技術として利用するには有用ですが、そのことによって必ずしも人間性が向上するとは言えません。
 人間の心身の能力を開発を考えるときには、この宗教の持つ非科学性と、科学の持つ非主体性をともに克服する方法を考える必要があります。その方法が教育的な方法です。

 さて、人間の認識の曇りを取り除くということで、いろいろな分野の例が示唆を与えてくれます。
 クローン羊のドリーの研究によると、羊の乳腺細胞にある遺伝情報は、その細胞が既に乳腺という固定した役割(曇り)を担っているために、そのままでは遺伝情報として抽出できないものでした。この乳腺細胞を万能な胚細胞に変化させたのは、その細胞を飢餓状態にするという方法でした。
 ボース・アインシュタイン凝縮という現象において、原子の運動量が極端に低下すると、個々の原子の持つ波動が全体の一つの大きな波動に統合されるということが知られています。これは、極低温下で運動量が極端に低下したことによって、個々の原子の持つ個別性(曇り)が消えて全体に調和する性質を持った考えることができます。
 人間の健康法に関して、断食小食療法というものがあります。昔は、病気になると栄養をつけて治すという時代もありました。しかし、現代は、過剰な栄養がむしろ人間の健康にとって阻害要因(曇り)となっている時代です。食事を減らすと健康になるというのが、この断食小食療法の原理です。これは、現代になって初めて出てきた理論ではなく、既に江戸時代の水野南北が提唱しています。ただし、食事や睡眠のように人間が日常生活の中で意識せずに行っていることは、意識的に行っていることに比べて変更が難しいので、こういう考えは世間ではまだ一般的ではないようです。ともあれ、この小食という健康法は、少ない栄養が身体のバランス回復に役立つということを示しています。

 さて、これらの現象が示していることは、一種の飢餓状態が、その物事の初期化、健全化、万能化、調和化に役立っているのではないかということです。
 知識や情報に関して考えてみると、豊富な読書環境が必要とされる時代や地域というのも確かにあります。しかし、初期のうちに、あまり読むものが多いと、それが情報に対する満腹状態を生み出し、同じものを繰り返し読むという読み方を阻害する要因になることもあるということです。幼児期にテレビ漬けにすると成長がかえって阻害されるというのも、このことに関係があります。
 勉強において飢餓状態を作るということを単純に考えると、勉強の意欲を持たせるためには、勉強させない状態を作るということになります。これはやや無謀な考え方ですが、しかし例えば、大学1年生でいったん社会に出て勉強の必要性を感じさせ、それからもう一度学校で勉強をさせるというような仕組みはもっと考えられてもいいと思います。
 たくさんの食事を早く食べるのではなく、少ない食事をよく噛んで食べるというのが、食事の吸収力を高める方法です。情報の吸収力を高めるためには、少量のものを何度も読むということが役に立ちます。これは、速読の多読とは正反対の教育観です。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
 記事のもととなった構成図です。

(急いで書いたのでうまくありません)

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曇りを取る教育(その3) as/478.html
森川林 2009/05/03 18:37 
 学習には臨界学習期があると言われています。例えば、日本人が英語のRとLの発音の区別を学べるのは、幼児期までです。ある時期を越えると、RとLの発音の区別をすることができなくなります。したがってほとんどの日本人はRとLの発音の区別ができません。しかしもちろん、それで困ることはあまりありません。言葉にはそれを伝えるときの文脈があるので、LiceとRiceを区別できなくて困るという場面はまずないからです。
 ところで、この臨界期というのは、若いときにはできる能力があったのに、年をとったらできる能力がなくなったということではありません。年をとることによって、若いときにできていた能力に曇りがかかってできなくなったということなのです。若いときに何かを学ぶ手段となっていたものが、その手段であることに磨きをかけることによって、その手段によって学ぶ以外のものを学びにくくさせる障害になっていったという関係になっているのです。
 RとLの発音に関して言えば、日本語でも人によってさまざまな「らりるれろ」の発音があります。男性の言う「らりるれろ」と女性の言う「らりるれろ」では当然音色が違います。幼児期には、それらの音色の違いをすべて聞き分ける能力があるのですが、それらを聞き分けていると能率がよくありません。同じ意味内容の言葉を違う音色として聞き分けるのは能率が悪いので、判断の能率をよくするためにRに近い「らりるれろ」もLに近い「らりるれろ」も同じと見なすという聞き方を選択するようになったのです。この選択するという手段に磨きがかかることが同時に、聞き分けることに対する曇りになっていったのです。これが臨界期の意味です。

 このように考えると、複雑化と細分化で行き詰まりつつある現在の教育を打開する方法が見えてきます。未来の教育の方法論として求められるものは、曇りを前提としてさらに細分化を重ねていくような方法ではなく、その曇りを取り除くような方法なのです。

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記事 477番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
曇りを取る教育(その2) as/477.html
森川林 2009/05/03 09:07 
 これまでの学校の役割は、人類が獲得した膨大な知識を順序よくかみ砕いて教えるということでした。例えば、足し算を学んだあとに掛け算を学ぶ、ひらがなを学んだあとに漢字を学ぶ、というような流れが作られていれば、学び方はスムーズになります。
 もしこれを独学で学ぶとすると、足し算の前に掛け算を学ぼうとしてしまったり、ひらがなの前に漢字を学ぼうとしてしまったりすることも起こります。それは、能率が著しく悪いので挫折の可能性も高まるということです。
 そこで、教育を担う制度として学校が必要になったのですが、この必要というのはあくまでもやむを得ず必要になったということです。その自覚がないと、勉強というのは習わないとできない、先生に教えてもらわないとできない、というような錯覚に陥ってしまいます。
 湯川秀樹は、5、6歳のときの家庭教育で、論語の素読(そどく)をさせられました。これは、ひらがなを教えたあとに漢字を教えるというな段階的な方法ではなく、最終的に学んで欲しい原文をそのまま直接に教えるという乱暴な方法でした。しかし、そこには、途中の過程はともかく、とりあえず丸ごと把握してしまえば、結果は同じになるという発想があったのです。
 山に登るのに、なだらかに迂回して登る軟弱なコースと、何しろ最短距離で登る直登(ちょくと)に近いコースとがあります。この直登コースの方法論が、丸ごと身につける学力なのです。
(つづく)

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暗唱用簡易カウンター as/476.html
森川林 2009/05/03 08:59 
 貝原益軒は、暗唱の方法として、100字の文章を100回というやり方を提唱しています。
 しかし、現在はどこの家庭にもタイマーがあるので、「正」の字を100回書くよりもタイマーで10分間計った方が楽だと思い、言葉の森では、100字を10分間(回数にすると約30回)暗唱するというやり方にしています。
 しかし、タイマーがない状態で暗唱することもあると思います。そのときの簡易カウンターの作り方を以前HPに載せました。
 今回、自分で字数の制限のない暗唱に挑戦してみたとき、タイマーよりもこの簡易カウンターの方がやりやすいことがわかりました。
 そこで、簡易カウンターの図を再掲します。チラシの紙などを使って作ってみてください。この折り方でやると、片道15回往復30回で、ちょうど100字の文章を往復の30回音読すると10分ほどの時間になります。回数で数えた方が早口で言うようになるので覚えやすいという効果もあります。

※もっとセンスのいい簡易カウンターを考えたら教えてください。

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記事 475番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
曇りを取る教育(その1) as/475.html
森川林 2009/05/02 04:46 
 現在の教育の問題は、教育の方法が複雑化しすぎているところにあります。
 この複雑化というのは、教育以外の分野にもあります。近代の医療は、特定の現象に名前をつけて特定の対策をセットにする形で問題の解決を図ってきました。これは、デカルトの「問題点を細分化して考える」という分析の方法で、これが有効な時代も確かにありました。しかし、現在はその弊害の方が大きくなっているように思います。
 というのは、医療において、医学が発達し、治療法が改善され、病名や原因などがより詳しくなっているにもかかわらず、ある時期から病人が減らなくなってきたからです。現在ではむしろ、医療費の上昇に反比例する形で病人が増えている感じさえあります。
 教育においても、様々な教材が開発され、様々な教育方法が生まれていますが、ある時期から、子供たちが賢くならなくなったようです。そのうち、教育費の上昇に反比例する形で学力低下が広がっていくのではないかと思います。
 これらの原因の根本にあるのは、複雑化です。教育では、細かい教科や単元に分ける教え方でなく、もっと学問の根本に立ち返る必要があるのです。いわば、ソクラテスやプラトンの時代の学そのものを学ぶというような姿勢を見直す必要があるのではないかと思います。もちろん、人によって得意な分野や好みの分野を研究することは大切ですが、その前提として、総合的にあらゆる分野に精通しているということが必要なのではないかと思います。
 教育の複雑化というのは、年々、教科書に盛り込まれるべき内容が多くなるというところにも見られます。大学でも、細分化された隣接分野で対話が困難になるというような状況が生まれているそうです。しかし、これはやはり不自然なことです。学問の複雑化に人間が対応できないのは根本的に何かが間違っているのです。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
 記事のもととなった構成図です。

(急いで書いたのでうまくありません)

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記事 474番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
ハワイのあお先生から教室新聞 as/474.html
森川林 2009/05/01 11:32 
 ハワイで作文教室を開いている「あお」先生から、教室新聞が届きました。
 ハワイにお出かけの際は、お立ち寄りください。

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記事 473番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
「汝自身を知れ」と作文(その2) as/473.html
森川林 2009/05/01 10:58 
 「汝自身を知る」ことは、作文の勉強にも当てはまります。

 人間の考えは、頭の中で考えているだけではまだ不完全です。現実に文章にしたり音声にしたりすることによって、初めて現実的なものとなります。この文章化されて表に出てきたものが自分自身の一つの面です。自分の書いた文章によって、自分自身を再確認するというところに文章を書く意義があります。
 しかし、自分自身を再確認するというのは、単なる出発点です。この出発点を土台にして、新たな創造が始まるというのがいちばん大事なのです。
 これは、作文を書く前の構成図について、よりはっきりした形で言えます。構成図を書くというのは、自分の頭の中にある考えを全部出していく作業です。テーマに関連して思いついたことを次々と書いていくと、自分自身の考えが客観的にわかってきます。そして、その考えた結果としての構成図を見ていると、自然にそこから新しい考えが湧き出てきます。
 人から教えてもらった考えではなく、自分の中から湧き出てきた考えは、その真実性に確信が持てます。だから、文章を書く練習をしていると(それは日記のようなものでも言えると思いますが)、その人の考えはどんどん個性的になっていくのです。

 さて、さらに話を広げて「汝自身を知る」ということで、歴史の勉強を考えてみます。
 学校で学ぶ歴史は、世界史の勉強と日本史の勉強に分かれています。昔、私が高校生のころは、社会全体にインターナショナルな雰囲気が強く、西暦と元号を比較すると西暦の方が先進的で元号は古臭いという感覚を多くの人が持っていました。その結果、私は、受験の科目として自然に日本史ではなく世界史を選びました。たぶん、多くの人がそういう感覚を持っていたと思います。
 しかし、現在はむしろ、ローカルのよさを見直そうという時代です。西暦と元号で言えば、日本にしかない元号を大事にしようという考え方です。世界史と日本史で言えば、日本人はまず足元の日本史を学ぶべきだという考えです。
 「葉隠」という本の中に、次のような文章があります。「世界にはいろいろ歴史の本があるが、この藩の人は、この藩の歴史だけを知っていれば何も困ることはない」(意訳)。これは、ある意味で物事の本質をついています。
 世界史と日本史で言えば、日本人はまず日本の歴史をしっかり学んでいれば、それを世界の歴史にも当てはめて考えることができるということです。また、日本人の多くは、これから日本の社会で活躍するはずですから、その足場となる日本の歴史を学んでいくことが役に立つということです。
 日本史の勉強には、もう一つ大きな役割があります。それは、日本史を学んでいると、日本人のほとんどが、古事記や日本書紀の世界にまでつながる家の歴史を持っていることがわかるということです。小学生のころ、苗字によって源氏か平家かを分ける遊びが流行ったことがあります。乱暴な分け方にも見えますが、これも根拠がないわけではありません。
 世界中の民族で、この日本人のように先祖のルーツをたどれる長期の平和な歴史を持っている民族はほとんどありません。日本史を学ぶということは、単に歴史の知識を学ぶことだけではなく、日本人としての自分自身を知るということにつながります。
 そして、自分自身を正確に知れば、人間には自ずからそのよいところを伸ばし悪いところを直すという自然の力が働き出します。外国のよいところを学んで、それを外科手術や投薬治療のように外から日本の社会に当てはめようとするのではなく、日本の歴史の中から湧き上がるものによって自然によい方向に向かうという発想がこれからもっと必要になってくると思います。

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