シオン
●動画:https://youtu.be/3ISqTcALt6U
答えのある問題に答えるのは、退屈な勉強です。
それは、誰でも同じ結果になるだけだからです。
しかも、大体答えられればいいものを、今は、1問単位で差をつけて、順位を決める教育が普通になっています。
人間は、競争に弱いので、特に10代のころは競争に敏感な時期なので、競争状態に置かれると、競争に勝つことがいちばんの目的になります。
しかし、大事なことは、同じ狭いルールの中で競争に勝つことではありません。
広い世界の中で、自分らしい創造を作り出すことです。
これまでの世の中で、競争が関心の中心になっていたのは、人間が欠乏の時代に生きていたからです。
しかし、理屈の上では、すでに人類全体の生産力は、人類全体の消費力を上回っています。
そのように見えないのは、無駄なところに生産力が使われているからです。
理屈の上では、欠乏の時代は終わっています。
現実がまだそれに追いついていない以上に、私たちの意識がまだそれに追いついていないだけです。
では、欠乏から自由になったときに、人間はどこに喜びを見出すかというと、それは競争に勝つことではありません。
多少の競争は面白いので、娯楽としての競争は、これからも続くでしょう。
しかし、競争が人間の主要な関心事になる時代は、過去のものになります。
人間の主要な関心は、競争から創造に移行するのです。
言葉の森では、今、国語、算数数学、英語などの教科の勉強も教えています。
しかし、私(森川林)は、個人的には、答えのある勉強など誰でもできるのだから、その勉強ができるようになったからといって、それがそれほど面白いことだとは思っていません。
成績がよくなれば、それは嬉しいことですがそれだけです。
そこで、私が担当している国語読解、算数数学、総合学力のクラスでは、4週目に、少し時間を割いてもっと面白い創造的な勉強の時間を作ろうと思いました。
具体的には、国語読解クラスでは、問題集から自分の好きな問題文を選び、それを57577の短歌で表現する練習です。
金曜日の国語読解クラス(中学生高校生)の作品例
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中3の国語問題集P64の問題文から
間の文化
軽やかな家
仕切りなし
西洋の家
重苦しい仕切り
中3の問題集P62の問題文から
日本の常識
文化でつくられ
生活している
Why Japanese people?と外人さん
不思議さわかるよ
高1の問題集P46の問題文から
家庭での
仕事も食事も
変化して
生活時間
個人化してる
その他の問題集から
プロはすごい
でもはじめはみんな
同じライン
たいして差は
ないのでは
人間は
同じ行為で仲間入り
意識を向け
それからきっと
進化してきた
二つの自我
自分の都合が
いいように
自分の視野に
支配しようとする
山頭火(さんとうか)の句を連想するような作品が多かったです(笑)。
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算数数学クラスでは、自分がこれまでに解いた問題を参考に、自分で新しいオリジナルな問題を作ってみることにしました。
月と火曜日の算数数学クラス(中学生)の作品例
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(2/3,-13)(108,631)の二点があるときこの二点を表す一次関数を求める。
図形の問題
原価1000円の品物にx割の利益を見込んで、定価をつけたが、売れないので定価のx割引きで売ったら、360円の赤字がでた。
問題 <1次関数>
2点(0,b),(a,0)を通る直線の式を表して下さい。ただし、a,bは0でないものとします。
答え y=-b/ax+b
図形の問題
結構難しい問題もありましたが、作った人がわかりやすく説明してくれました。
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総合学力クラスの英語の授業では、Google翻訳を利用して、自分が日本語で言いたいことを英文で言えるようにしました。
将来は、英語だけでなく、中国語や他の言語でも言えるようになるでしょう。
火曜日の総合学力クラス(小4)の作品例
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今日はシチューをたべました
I ate stew today.
私の好きな動物はモモンガです。特にあのモフモフな毛が大好きです。
My favorite animal is the flying squirrel. I especially love that fluffy fur.
英語は、結局使えることが大事なので、自分が言いたいことを英語で言えるようにするのが、いちばんいいと思います。
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英語だけでなく、ChatGPTなら、方言に直すこともできます。
例えば、
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次の文章を大阪弁で表現して。
「僕は昨日海に行きました。すると一匹のタコがいました。」
「わて昨日うみに行ったんや。そしたら、タコが一匹おったわ。」
続いて、東北弁で言ってみて。
「わ、きのう海へ行ったんだ。そしたら、タコが一ぴきいたべ。」
横浜弁で。
横浜には特有の方言があるわけではありませんが、神奈川県の標準的な関東方言を使って表現すると以下のようになるかもしれません。
「俺、昨日海行ったんだよ。で、タコが一匹いたんだよね。」
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今はまだ、答えのある勉強が教育の中心ですが、将来は、答えのない勉強が教育の中心になると思います。
その最先端の教育が、言葉の森のクラスで言えば、作文と創造発表とプログラミングのクラスです。
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答えのある勉強から、答えのない勉強へ。答えのない勉強なら、誰でも勉強が好きになる。――教育の方向は、大きく変わりつつある。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校(内部進学) N.Rさん
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ホトトギス
教育を評価だと思っている人がいますが、本当は評価ではなく指導です。
しかし、長年教育に携わっていると、つい教育という仕事が評価だと思ってしまいます。
評価は目的ではなく、次の指導の出発点です。
では、何を指導し何を評価するかということです。
これまでの教育は、子供の外にあるものを評価の基準にしていました。
例えば、成績、点数、偏差値、順位、受験、結果など。
これからの教育の評価は、子供の外にあるものではなく、子供本人を基準にします。
例えば、思考力、創造力、共感力、そして、過程。
今は、そのちょうど過渡期にあたります。
過去に足を置きつつも、もう一歩先の足は未来に置いていくのです。
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横浜国立大学附属横浜中学校(内部進学) M.Aさん
<担当講師より>
試験には作文試験もありました。よく頑張ってくれました♪
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コスモス
昔から、なぜみんな勝ち負けに夢中になるのか疑問に思っていました。
野球、バスケット、いろいろなコンクール、コンテスト、学校の成績、入試などなど。
みんな、勝ちでいいではないかと思うのです。
人間は、勝ち負けでがんばるのではなく、創造でがんばるべきです。
そして、みんなでお祝いのお祭りをするのです。
勝って祝賀会ではなく、それぞれが個性的に発表したという祝賀会です。
そういう世の中がやがて来ると思います。
しばしば引用する「さかなクン」。
さかなクンも、この世界に生きているから、勝ち負けに参加することもあります。
しかし、本当の動機は、勝つことではなく創造を楽しむことにあったはずです。
勝ち負けがもたらすエネルギーは、恐怖のエネルギーです。
負けたくないから、勝たなければならなくなるのです。
今の世界で生きていくためには、勝ち負けのエネルギーをうまく利用することも大切です。
でも、それがピンとこない人も増えています。
詩人の工藤直子さんが、先生から受けたアドバイスは、「自分よりひとつ上の人をライバルとして、その人に勝つようにがんばるんだ」。
それを聞いた工藤さんは、そういう気持ちがわからなかったようです。
だから、みんな勝ちでいいのです。
創造発表クラスやプログラミングクラスは、数値の評価がありません。
作文も、もともと数値の評価はありませんでしたが、目標が見つけやすいように、項目指導をしたり森リン点を基準にしたりしました。
しかし、本当は、作文はもともと評価のないものです。
では、どこでがんばるかというと、自分らしい創造の喜びとしてがんばるのです。
そういう人が、これから増えてくると思います。
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ハナカタバミ
ものとの付き合い方
あああさ
現代技術を特徴づけるのは豊富な工業製品の氾濫であろう。このような技術の持つ問題が、最近しばしば話題になる。とすれば、自然資源を有用な人工物に変換することによって豊かさを達成するという、あたかも自明と考えてきた命題は、多くの矛盾をはらむようになってきたと言わざるを得ない。技術による豊かな社会の実現という視点においては、製品所有は必然的なものではない。製品を所有するかレンタルするかの選択は、現代技術が持つ問題に本質的に影響を与えていく重要な視点である。私は、物の所有にとらわれない生き方をしていきたい。
そのための方法としては、第一に、物を所有するという行為が最大の価値であると考えないことである。私の友人に、あるアーティストの方を熱心に応援している人がいる。彼女は、その界隈に蔓延するある意識に疑問を持っているそうだ。それは、「グッズを買わなければファンではない」という意識らしい。その友人はまだ学生で、お金を稼ぐことが不可能である。また、彼女はあまりグッズに執着しない人間である。そのため、グッズにかける費用は熟考の上で最小限に抑えているということだった。しかし、あまりにも高頻度で先ほどの言葉を耳にしたり、SNSでグッズを大量購入したことを自慢げに投稿している人を見たりするため、我慢ならず腹が立っているという。確かに、グッズを購入することで売り上げに貢献できたり、一体感が感じられたりといったメリットはあるだろう。応援の気持ちがわかりやすく可視化されるため、満足感を得ることも可能だ。しかし、グッズが原因でファンの間に格差意識が生まれていることは確かに問題である。応援の仕方は人によって様々であり、グッズを購入することが全てではないだろう。CDや雑誌ならば購入以外にも、レンタルという手段もある。それが自分にとって本当に必要なものであるか、購入理由が明確で一貫性があるかよく考えることが大切である。
第二に、レンタルを習慣化することだ。私は幼い頃から読書が趣味であり、読書量も人一倍であった。しかし家の面積は限られている。欲しい本をその都度購入していては、いつか家が本で溢れかえってしまう。そのため私は、まずは図書館で本を借り、その中でお気に入りと認定した本のみ母に購入を頼むようになった。現在でも私は変わらずに読書家であるが、その習慣のおかげで私の家が本に埋め尽くされる事態は未だに発生していない。現物を購入することに慣れている人からしたら、レンタルに簡単に乗り換えることは困難であろう。しかし、レンタルは今後を十分に考慮した賢い選択であるため、進んで取り入れていくことが大切である。
確かに、レンタルが可能なものには限りがある。しかし、『限られた人生で、大事なことは、「何をするか」ではなく「何をしないか」である。』という言葉もあるように、私はものの所有のみにこだわらず、レンタルを上手に活用して日々を過ごしていきたいと思う。
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お茶の木
愛が一番
あおそふ
日本では小さい子供と話をするときは大抵、敬語では喋らずに赤ちゃん言葉などで会話をする。海外では、言葉は変えずに声のトーンを高くして話しているように感じられる。どちらも、子供の目線にたっての喋り方だが日本語の方がはるかに発展しているように思われる。
日本人のように子供の目線に合わせた子育ては良い
小さい子供に対して、赤ちゃん言葉を話すことは我が国にとっては今日まで普通にされてきたことである。赤ちゃん言葉は犬は[いぬ]とはいわず「わんわん」など擬態語や擬声語で物事の特徴をとらえて構成されていると私は考察している。日本語は難しいことに聞き手によってその言葉の感じ方は多種多様である。例えば友達を遊びに誘ったときに「ごめん、無理」と返答されたとしよう。用事があって遊べないんだと解釈する人もいれば、相手は私のことが嫌いで断ったと解釈する人もいる。そのような誤解から不安を感じさせないためにも小さい子には赤ちゃん言葉が必要なのである。母と私でデパートに行ったとき、四歳児ぐらいとみられる女の子が泣いていた。母とはぐれたのだろうと一瞬で察知できた。そのときはもちろん赤ちゃん言葉まではいかないが優しい口調で話かけた。安心させるためである。もし、大人とかわす喋り方でしゃべりかけていたとしたら、女の子の不安の解消には繋がらなかっただろう。子育ても同様である。特に自分の意志を泣くことでしか表せない赤ちゃんには子供の目線になることがより大切である。
一方で、フランス人のように大人と対等な子育てをするのも良い。
子供の目線に合わせた子育てをしていると依存心の強い子になることが多いように見受けられる。
自分で物事を判断する能力が衰えてしまうというリスクがどうしても生じてくることがあり得る。その要因の一つは戦後、日本人の依存心が高くなっていることである。「少年H」という本を読んで感じたことだが、親や教師は子供に対して殴ったり、叩いたり、廊下でけじめをつけていたと思う。怒る時はおこる、可愛がるときはかわいがるということだ。赤ちゃん言葉も話していた。だが、虫が教室に入ってきたぐらいで騒いだりしなかった。神経は太かったはずだ。最近では、子供強く怒ると将来に悪影響を与えると考える専門家もいるらしく、子供のお尻をたたくなどは虐待に分類されることもあるらしい。悪意をもって子供を叱ることはそれこそ虐待だが、過保護すぎるのも事実である。今の日本の教育は双方のバランスを考えず、子供がまるでご主人様のような扱いだが、子育てには愛する我が子にも強く叱るときも大切である。
確かに日本人のように子供の目線に合わせた子育やフランス人のように大人と対等な子育てもそれぞれが全ての過程において大切である。しかし、一番大切なのは我が子に愛を注ぐことだ。子供は様々なことによくも悪くも影響をうけやすい時期である。影響をよくするのには親の愛は欠かせない。私が産まれてから十三年という長さは長く感じるが、両親にとっては一瞬である。「一期一会」という諺があるとおりその一瞬、一瞬を大切に子育てをしてほしいと全国のお父さんお母さんに思う。
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中2の課題は、複数の意見と総合化の主題です。
複数の意見は、すぐに考えつきますが、その両者の意見を超えるもう一歩上の次元のまとめを考えることが難しい。
「Aという目的もわかる、Bという目的もわかる、しかし、大事なのは目的ではなく、それを実現するための方法Cである」というかたちがひとつ。
もうひとつは、
「Aという方法もよい、Bという方法もよい、しかし、大事なのは方法ではなく、それを何のために行うのかという目的Cである」。
いろいろな組み合わせが考えられるが、要するに、論議の場面の一歩上の次元に行くことが大事という考え方の練習。
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