シジミチョウ
●動画:https://youtu.be/RxUeltXORR8
中学受験にしろ、高校受験にしろ、受験勉強は、全力で取り組むことが必要です。
次々に出される宿題や、次々に行われるテストに合わせて、生活を受験一色にして取り組むのです。
人間は、何かに熱中する時期が1年間ぐらい続くことがあります。
そこで得られるものは、もちろんあります。
しかし、忘れてはならないものもあります。
それは、人間として正しい成長をすることです。
正しい成長とは、ひとことで言えば、思考力、創造力、共感力を育てることです。
人生は、入試のあとも長く続きます。
その長く続く人生を有意義にするのが、考える力、創造する力、共感する力です。
小学1・2・3年生から作文の勉強を始めた生徒は、小学4年生になると、自由に上手な作文を書けるようになります。
しかし、上手な作文を書くことが、作文の勉強の目的ではありません。
小学5・6年生になると、作文の課題が抽象的になります。
「人間とは」とか、「友情とは」とか、「優しさとは」とかいうテーマが出てきます。
そのときに、ありあわせの知識でお茶を濁した作文を書くこともできます。
しかし、そこで、お父さんやお母さんと話をして、より深い考えを持つこともできるのです。
また、読書は、受験勉強には直接結びつきません。
本当は、読書力のある生徒は、国語だけでなく算数も英語もできるようになるのですが、それは即効的にそうなるのではありません。
だから、受験勉強の間は、読書は少なめになってもやむを得ません。
しかし、読書は、受験後の勉強や生活に生きてきます。
この受験後の生活の方がずっと長いのですから、読書の習慣は絶やさないようにすることが大事です。
読書と作文の勉強を続ける最初の選択は、小学4年生ごろに来ます。
受験する生徒は、塾の勉強が忙しくなるので、読書と作文を続けられなくなります。
しかし、ここで将来のことを考えて、読書と作文は忙しくなっても続けていくという選択をすることが大事です。
その選択が、あとで生きてくるのです。
小学4年生は、普通に作文が上手に書けるようになる時期です。
しかし、それは普通の生活作文であって、小学5、6年生から始める説明文ではありません。また、中学生から始める意見文でもありません。
小学4年生までの生活作文は、その後の説明文、意見文の土台にはなっていますが、質が全く違います。
だから、小学5年生になってから急に作文を難しく感じたり、中学生になってから急に構成どおりに書けなくなってくる生徒がいるのです。
これは、読書も同じです。
易しい物語文の本から、自然科学や社会科学や人文科学の説明文の本に移行できるかどうかが読書力向上の境目になるのです。
水浴びをしにきたジョウビタキ
●動画:https://youtu.be/zR1GEn69gkQ
コープで買い物をしたときに、プリペイドカードを出そうとして、「あ、これ……」と、言葉が出てこなかった。
日常会話で、「このあいださあ、プリペイドがさあ……」というような会話はまずない。
プリペイドという言葉は、まだ日本語ではないからだ。
ナウいことをやろうとして、やたらに外来語を使う人が、団塊の次の世代の人たちに多い気がする。
だから、日本中で、わけのわからない外来語が増えている。
インクルーシブとか、インフラストラクチャとか……。
そういう人たちには、「おまえの頭の方が、インクルーシブだろ」と言っておきたい。(よくわからん)
しかし、昔のように、ベースボールを野球、サッカーを蹴球と言い換えるような変革は、もうできない。
昔と違って、あまりに外来語が普通に広がりすぎたからだ。
だから、当面の解決策は、和製英語になる。
ワードプロセッサーなら、ワープロ。
スマートフォンなら、スマホ。
ノートパーソナルコンピュータなら、ノーパソ。
英語の世界では、簡略化したいときに、頭文字を使う。
ラージ・ランゲージ・モデルズだったら、LLMとか。
しかし、日本語なら、ララモと略せる。(まだ誰も言っていないが。)
同じように、プリペイドカードなら、プリカ。
インクルーシブなら、インクル。
インフラストラクチャなら、インスト。(エンストみたいだなあ)
外来語をやめて、和製英語を作ることが、今後の日本語を国際化させる道だ。
日本語に、カタカナがあってよかった。