メジロ
●動画:https://youtu.be/mNwzzT4qAm0
小学1年生に最もおすすめしたい勉強は、作文の勉強です。
国語や、算数や、英語は、学校でやっていれば十分です。
学校でやっていてわからないところがあれば、小学4年生ぐらいまでは、親がすぐに教えられます。
なぜ、作文の勉強がいいかというと、日常の生活習慣の中に、毎週作文を書く時間というものが自然にできるからです。
小学1年生で、まだひらがなが十分に書けない子でも、問題ありません。
子供とお母さんが、何を書くか話をして、子供がそれを絵にかき、お母さんが子供の立場になって作文を書くのです。
これが、親子作文です。
このとき、お母さんの書く作文で大事なことは、子供が書けるぐらいの字数(200字程度)にとどめて書くこと、大人が普通に使う漢字を使って書き、ふりがなをふること、書いている間は楽しそうに書くこと、です。
その作文を子供が読んで発表すれば、作文の書き方を自然に覚え、漢字も自然に読めるようになります。
何よりも大事なのは、お母さんが、楽しそうに作文を書いているのを見ているうちに、「勉強は楽しいものなんだ」という最初の感覚を持つようになることです。
この最初の出発点が大事なのです。
勉強が楽しいものだという感覚が育つとともに、毎週作文を書くことが日常の自然の習慣になります。
また、毎週読書紹介をするので、本を読むことがやはり日常の習慣になります。
小学校低学年の読書は、何を読んでもいいです。
漫画でも、学習漫画でも、絵本でもいいのですが、「読書とは、字のスペースが絵のスペースよりも多い本を読むこと」という定義を決めておきます。
子供が自分で読めない場合は、お母さんが読み聞かせを続けます。
作文を書く習慣、本を読む習慣とともに、小学1年生からの作文では、親子で話をする習慣、作文の題材を見つける習慣ができます。
親子の対話は、読書と同じぐらい重要で、子供の語彙力と思考力を育てます。
お母さんやお父さんとよく話をする子は、作文の結びの感想をしっかり書きます。
お母さんやお父さんとあまり話をしていない子は、作文の結びを、「とてもたのしかったです。またやってみたいです。」というような感想を書きます。
子供の語彙力は、親子の対話で育つのです。
作文の題材を見つけるのは、お母さんやお父さんの協力が必要です。
子供に自由に作文を書かせればいいと考えていると、小学1年生のころの子供は、「学校でこんなことがありました」という、毎回同じような話を書きます。
子供は、書くことが好きなので、毎回同じことを書いても飽きませんが、それでは題材力は伸びません。
だから、お母さんやお父さんが、子供の作文の題材になるようなことを、土日を利用して企画してあげるのです。
その企画とは、例えば、子供と一緒にカレーライスを作るとか、近所のスーパーに一緒に買物に行くとか、植物の球根を植えるとか、虫をつかまえに行くとか、生き物を飼うとか、要するに、お父さんやお母さんが子供のころにやってみたかったことや、やって楽しかったことを企画してあげればいいのです。
小学1、2年生の作文では、特にこの題材作りが重要です。
小学1年生の作文の勉強で、特に言葉の森のオンラインクラスで身につくことは、みんなの前で発表する習慣がつくことと、一緒に勉強する友達ができることです。
言葉の森の作文指導は、小1から高3まで続けられます。
すると、小1のころに出会った友達と、高3まで一緒に勉強することも考えられます。
将来は、同窓会を定期的に行う予定ですから、小1のころの友達と一生交流することもあります。
そのうち、言葉の森の生徒どうしで結婚ということも出てきます。
こういうことを考えると、小1からの習い事は、作文の勉強がいちばんいいのです。
ただし、ここで大事なことは、お母さんがいつも優しく褒めてあげることです。
作文を直したり、注意したり、ほかの子と比較したりということをすると、子供はそのときは素直に聞いているように見えますが、やがて、お母さんから離れるようになります。
だから、作文の勉強は、お母さんやお父さんの勉強にもなると言えます。
言葉の森の作文クラスを生かして、楽しい勉強をしていってください。
ガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/-06H5XjOzbQ
生まれたばかりの子供は、足し算も引き算もわかりません。
成長して自然に覚えるわけでもありません。
だから、社会の基準をゼロとすれば、マイナスで生まれてきます。
教育のスタートは、このマイナスをゼロに戻すことから始まります。
そこまではいいのです。
しかし、子供が、小学生になり、中学生になり、高校生になっても、このマイナスをゼロに戻す教育が続けられます。
それは、要求されるゼロの基準が学年に応じて上がってくるからです。
しかし、そのゼロの基準は、社会人として普通に仕事をしている大人でも、もうすっかり忘れてできなくなっていることがかなり入っています。
だから、多くの子供たちは、勉強を大変なものと感じているのです。
その根底にあるのが、教育利権です。
例えば、国語で言えば、文法や古文や漢文や漢字の書き取りは、概略がざっとわかっていればいいものですが、あえて間違いやすく作られた問題が出されて、生徒に点数の差をつける教育になっています。
ゼロの基準が、社会人として必要な水準を超えて、子供たちに課せられているのです。
その仕組みを支えているのは、その仕事で生計を立てている人たちです。
毎年、誰も求めていない読書感想文の宿題が出るのも、同じ事情からです。
そして、その人たちを束ねる組織があり、その組織をさらに束ねる大きな組織があり、さらに大きな組織があり、というふうに何重にも組み合わさった利権が、戦後80年近くたった日本に蓄積されているのです。
これは、教育に限らず、医療にも、農業にも、政治にもある利権構造です。
この利権構造が、日本の社会の停滞を生み出しています。
日本の発展が抑制されているのは、さまざまな分野に無数の利権の網の目があるからです。
その利権を崩すものがあるとすれば、それは政治のリーダーシップです。
しかし、もうひとつ、利権を崩すことのできるものがあります。
それは、マイナスをゼロに戻す考え方から、ゼロをプラスにする考え方をすることです。
マイナスをゼロに戻すことが好きな人は、それをそのまま続けていていいのです。
その人たちは放っておいて、ゼロをプラスにする仕事をすることです。
教育で言えば、それが、作文教育であり、創造発表教育であり、新しいプログラミング教育です。
また、国語、算数数学、英語の教科においても、創造し発表する授業を取り入れていくことです。
文部科学省の探究学習は、同じような方向を志向しています。
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総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/main14_a2.htm
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しかし、現場の先生や、保護者や、生徒自身が、まだこの新しい教育の方向になじんでいません。
昔ながらのマイナスをゼロに戻す教育に適応しすぎているからです。
ゼロをプラスにする新しい教育は、少しずつ広がっていくでしょう。
それを加速するものが、ITテクノロジーです。
一方、マイナスをゼロに戻す教育は、少しずつ少なくなっていくでしょう。
それを加速するものが、AIテクノロジーです。
世の中を変えるのは、昔も今も、新しいテクノロジーの誕生です。
例えば、読書感想文の宿題は、ChatGPTの登場によって今後自然に消滅します。
しかし、そこから、本当の読書感想文の教育が始まります。
その新しいテクノロジーの誕生を生かすものは、新しい教育の理念なのです。