言葉の森の電話受付時間を、平日10:00~17:00、土曜・日曜10:00~12:00とします。
(平日の時間を早めに終了することにしました。一方、日曜の午前中も電話連絡を受け付けるようにしました。)
受付時間外の欠席連絡は、検索の坂から、又は、オンラインクラス一覧表のご自分の名前の横の△印からお願いします。
受付時間外のその他のご連絡やご相談は、個別れんらく板からお願いします。
土曜・日曜は、教育相談も受け付けます。ただし、ご相談は15分以内を目安としてください。
以上、よろしくお願いいたします。
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ミカンとメジロ
●動画:https://youtu.be/hDu6rb1sQvs
私は、何度も同じことを書きますが、人を批判することは好きではありません。
大事なことは、批判ではなく創造することだからです。
だから、批判のような話になるときは、必ずこちらの独自の対案を出しています。
日本の作文教育は、世界の水準を大きく超えています。
諸外国で、日本のように小学1年生から作文が書ける教育をしているところはありません。
なぜ、日本でそのような作文教育ができるかというと、日本語は、喋る音と書く言葉が一対一で対応しているからです。
数少ない例外が「わとは」「おとを」「えとへ」「小さいゃゅょっ」などです。
これらの例外を除けば、日本では、喋ることのできる子は作文を書けるのです。
このように恵まれた日本語環境で生きる子供たちにもかかわらず、作文の苦手な子は数多くいます。
また、作文教育のほとんどが、小学校の間で終わります。
小学校時代の中でも、作文教育が主に行われるのは、小学2、3年生までです。
小学校高学年、中学生、高校生と、作文指導は、次第に少なくなるか、なくなります。
それは、作文指導の理論と方法がないからです。
現在の作文指導のほとんどは、穴埋め作文のような構成メモと、赤ペン添削による指導です。
この指導で、作文が書けるようになる子は、もともと書ける子だけです。
また、中学生、高校生まで作文の学習を続けようとする子はいません。
齋藤孝さんが書いた「こども文章力」は、この低レベルの作文教育の現状を追認し、そのまま作文指導の標準としたものです。
作文教育を考える現場の先生やお父さんお母さんが、こういう作文教育でいいのだと考えれば、作文が書ける子は、もともと書く力がある子だけになります。
また、中学生、高校生まで作文の勉強を続けようとする子は出てきません。
なぜ、このような作文指導になるかというと、著者に、作文教育というものに対する理論と方法がないからです。
作文通信教育講座「ブンブンどりむ」は、齋藤孝さんが監修しています。
寄せ集めの作文指導で作文が書けるようになる子は、親がていねいにフォローしてあげることのできる子だけです。
私は、最初、「こども文章力」のそれぞれの章について、もっとよい別の指導の仕方があるということを書こうとしました。
しかし、ほぼ全ページについて書く必要があるとわかりました。
それぐらい、レベルが低いのです。
それで、以下は、簡単にまとめて書くことにしました。
より詳しい話を知りたいという方がいれば、コメント欄に書いておいてください。
■全体の感想
基本的な考え方は、穴埋め作文です。
「最初にどうして」「次にどうして」「最後にどうなった」という穴埋めの枠を埋めることができても、それを作文として長く書けるのは、もともと書く力がある子だけです。
そして、書く力がある子は、そういう遠回りなことをするよりも、直接作文を書きたいと思います。
学校でよく行われている構成メモの指導も、この穴埋め作文の指導と同じです。
■例文
この本に唯一載っている小学3年生向けの例文は、生徒の見本とするような例文になっていません。
第一に、題材に個性も感動もありません。第二に、「朝起きてから寝るまで」の作文のように構成が平板です。第三に、結びの感想が「うれしかったです」のような浅い感想で終わっています。第四に、たとえを使うというような表現の工夫がどこにもありません。
字数を埋めるために、出来事を順番に書いているだけの例文になっています。
■日記
日記で、何を書くかという穴埋めの提案をしていますが、日記で大事なのは、何を書くかではなく、どう書くかです。
また、そもそも、小学校低学年で日記を書かせる指導に意味はありません。
大事なことは、書かせる前に、本を読ませることです。
■読書感想文
物語の内容と自分のエピソードを結びつけようという書き方は、言葉の森の指導法とそっくりです。
言葉の森が、この読書感想文の指導法を始めたとき、同じような読書感想文指導をしているところはどこにもありませんでした。
本当は、この読書感想文の指導にこそ、具体的な例文が必要ですが、この本にはそれはありません。
(言葉の森の例文は、
感想文の書き方)
■将来の夢
将来の夢について、将来のことを書く手順が書かれています。
しかし、「将来の夢」という題名は、将来のことを書くのではなく、そう思った過去の実例を書くことが大事です。
■問いを立てて書く
テーマを考えて理由と結論を書く書き方が漠然と説明されています。
しかし、問いを立て、その理由を述べるには、問い自体に対比が必要です。
「BではなくAだと思う」という対比があればこそ理由が書けます。
■観察したことを書く、比較したことを書く
観察したこと、比較したことなどという作文の課題が書かれています。
こういう「○○作文」というような作文指導をしている先生は多いと思います。
しかし、作文指導は、いろいろなことを思いつきでやらせるものではなく、ひとつの方針に沿って指導するものです。
■調べたことを書く
調べることとして定義、背景、経緯などを調べると書かれています。
しかし、調べたことを書く際に大事なことは、データ(数字や固有名詞)を入れることです。
また、作文を書いている途中でデータを調べるのではなく、すでに調べたデータを作文にあてはめるという考え方をする必要があります。
そうしないと、調べるだけで時間がかかってしまうからです。
■この中学校を選んだ理由(志望動機)
志望理由として、その学校のこと、自分のやりたいことを書くと書かれています。
しかし、志望動機は、ただ学校のこと、将来のやりたいことを書くのではなく、自分の過去の実績をもとにして書くことが大事です。
このコツを知らない人が多いです。
■小学校時代の思い出
行事に参加したこと、知らない土地や人に出会ったこと、芸術やスポーツを見て感動したことなど、思い出の例が羅列されています。
しかし、思い出という実例が先にあるのではなく、自分の考えが変わったというような主題を先に立て、その主題に合った実例を見つけるのが書き方のコツです。
■自分の長所と短所
自分の長所と短所をよい面悪い面の両方から考えてみようと書かれています。
しかし、長所と短所は、自分で考えるより先に、家族に聞いた話をもとにすることによってより客観的な作文になります。
小学生の作文指導は、家族の対話とセットになっているのです。
■物語の要約(浦島太郎)
要約の仕方として、すでに知られている浦島太郎の話をもとに、言葉をしぼりこむということが書かれています。
しかし、要約は、実際の文章を読んで要約の練習をしなければ書けるようにはなりません。
言葉の森の要約の仕方は、
こちらです。
■報告文、キャッチコピーの作り方、手紙の書き方
この本を読んで、報告文、キャッチコピー、手紙の書き方までやろうという子は、まずいないと思います(笑)。
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日本では、思いつきの作文指導が多すぎます。
作文教育に対する理論と方法がないからです。
理論と方法のない典型的な例が、ブンブンどりむを監修している齋藤孝さんの「こども文章力」です。
勘違いして、この本をもとに家庭で作文の書き方を教えようとすれば、途中から親子げんかになると思います(笑)。
どうして「言葉の森」を知ったか思い出しました。
斎藤孝さんの著書をたくさん読んでて、文章が書ける子にしたいな~~っておもったのがきっかけでした。
ママさん、ありがとうございます。
齋藤孝さんというかブンブンどりむは、言葉の森も真似ばかりしています。
作文にしても、読解にしても、暗唱にしてもですが、それがいずれもレベルの低いやり方を物量作戦で押し通そうとしているのが迷惑なところです。
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センリョウ
●動画:https://youtu.be/_AqE5OhYYrw
大人は、「書く」という結果を見がちだが、「書く」前提として「読む」がある。
読む量が少なければ、うまく書けない。
そのうまく書けないことを添削でいくら直しても、やはりうまく書けるようにはならない。
しかし、読む量が増えれば、直さなくてもうまく書けるようになる。
小学校では、2年生ぐらいで日記を書く指導が増える。
たいていの親子は、そこで、何を書いていいかわからなくなる。
「何を書くか」というところに目が向くから、書くことがなくなる。
作文通信教育講座ブンブンどりむの監修者、齋藤孝さんの「こども文章力」でも、「日記は『したこと』を思い出すところからスタート」(P16)と言っているが、これは日記指導の本質を知らない人の話。
「( )を食べた、( )を見た、( )に行った」などいくら穴埋めの言葉を入れても、すぐに書くことはなくなる。
日記は、「何を書くか」ではなく、「どう書くか」と考えるのが大事。
例えば、「たとえを入れて書く」「会話を入れて書く」「どうしてかというとという言葉を入れて書く」「色や音を入れて書く」「ダジャレを入れて書く」という書き方だ。
これなら、毎日、その日の朝ごはんのことを書いたとしても、毎日新しいたとえやダジャレを思い出して書ける。
そして、何よりも、目標があることと、自分なりの創造があることが楽しくなる。
勉強は、つまらないことを義務感としてやらせるのではなく、主体的で楽しくできることを親や先生が工夫してやらせることだ。
※私は、人を批判するのは好きではありません。
批判するよりも、自分で新しいものを創造することが大事だからです。
しかし、勘違いした作文教育の方法が広がれば、それは多くの人にとってマイナスです。
だから、あえて名前を挙げて、どこが問題なのか、そしてどうしたらいいのかを書くことにしました。
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日記指導なんてさせるものではないというのが私の持論です。
面白くも何ともないし、またそれで文章を書く力がつくわけでもないからです。
では、どうしたらいいかというと、読ませる指導と親子の対話の指導をすることです。
教育の根本はシンプルなのです。
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スズメたち
●動画:https://youtu.be/AZpD4fJQkME
作文通信教育講座「ブンブンどりむ」の監修者である齋藤孝さんが「
こども文章力」という本を出しています。
2021年の発行ですから、これが斉藤さんの現在最新の作文指導の方法だと思います。
この本の中に、小学3年生の子が書いたという設定の例文が載っています。
例文とされているものは、このページの文章だけで、あとは説明と穴埋め問題ですから、代表的な作文例は、この例文の文章だけです。
私は、もし教えている生徒が、この例文のような作文を書いてきたら、必ず褒めます。
作文力は、注意したり直したりすることによって上達するのではなく、よいところを褒めることによって上達するからです。
しかし、小3の子供が書く模範の例文として、こういう文章が載せられているとしたら、それはやはり疑問に感じます。
以下、その理由を説明します。
つまり、この模範の例文の不足しているところを直せば、それは本当にいい例文になるのです。
第一は、一読して題材がつまらないことです。
作文における題材の評価は、個性、挑戦、感動、共感のいずれかがあることです。
少なくとも、自分から進んでしたことが書いてあることが、よい題材の条件です。
この例文では、おばあちゃんに連れられてスマホを買い替えに行き、店員さんに話を聞いておばあちゃんに教えてあげたということが書かれています。
そこには、個性も、挑戦も、感動も、共感もほとんどありません。
しかし、もちろん実際に書いた子供にはそういうことは言いません。
「話の内容がありきたりだ」などとアドバイスしても、子供は途方に暮れるだけで、決して作文が上手に書けるようにはならないからです。
では、どうしたらいいかというと、その子が、個性、挑戦、感動、共感のある作文を書いたときに、そのことを褒めるのです。
悪いところを直すのではなく、よいところが出るのを待って、それを褒めるのが教え方の基本です。
しかし、模範となる例文がこれでは困ります。
これを読んだ子供が、作文というのはこういう独り言みたいなだらだらしたことを書くものだと思ってしまうとも考えられるからです。
作文を書くとき、小学3年生の子供であれば、価値ある題材を見つけて書こうとします。
「朝起きて、学校に行って、給食を食べて、帰ってきて、寝ました」のような作文を書く子はいません。
作文は、ただ字数を埋めるために書くものではなく、価値ある題材を伝えるため書くものだからです。
第二は、構成の仕方が平板だということです。
最初から最後まで携帯を買い替えに行った話ですが、作文を立体的にするためには、途中で別の似た例を入れていく方がいいのです。
例えば、自分も携帯がほしいとか、お母さんやお父さんが使っている携帯とか、今の世の中で携帯がどう売れているかなどと、話を膨らませて書くのです。
その中で、いちばんいいのは、やはりお母さんやお父さんに取材することです。
子供は、大人と話をすることによって、語彙が増え、考えの幅が広がります。
出来事を直接書くだけでなく、その出来事に関連した「聞いた話」「調べた話」「過去の話」などを書くことによって、作文の幅も広がるし、感想の幅も広がるのです。
第三は、主題(感想)が深まっていないことです。
それは、話が平板なのでやむを得ない面もありますが、本をよく読んでいる子であれば、もっと個性的な感想を書きます。
「おばあちゃんがよろこんでくれて、うれしかったです」のような感想は、文章力のある子であれば、ものたりない感じがして避けると思います。
もっと自分にしか書けない感想を書こうと思うのです。
この感想の部分は、実は重要で、中学受験の作文でも、結びの感想をしっかり書ける子とそうでない子に分かれます。
実例は面白いのに、感想がありきたりという子は意外と多いのです。
その原因は、説明文や意見文の本を読んでいないためと、親子で話をする機会が少ないために、感想を書くための抽象的な語彙が出てこないからです。
この例文もそうです。
第四は、表現に、光るものがないことです。
書き出しの工夫も、結びの工夫も、たとえなどの比喩の表現もありません。
もちろん、ダジャレもありません(笑)。
作文を書くことが好きな子は、必ず表現の工夫をしようとします。
小学生で最もしやすい表現の工夫は、「たとえ」です。
ただし、小学校高学年の生徒では、たとえはかえって幼稚になることがあります。
中学生以降の表現の工夫は、自作名言という方法です。
書き出しの工夫や結びの工夫は、特に行う必要はありません。
しかし、文章を書くのが好きな人は、自然に書き出しと結びを工夫しようとします。
この例文には、そういう表現上の工夫はありません。
以上、題材、構成、主題、表現の4つの分野について、書き方のアドバイスをしました。
世の中にある作文教室の多くは、作文の見方に、題材、構成、主題、表現という切り口があるということを知りません。
では、言葉の森だったら、どういうふうに小学3年生の作文の例文を作るかということですが、それは、こちらです。
https://www.mori7.com/as/528.html
このほかに、小学1年生から高校生までの作文の例文、読書感想文の例文も載っています。
https://www.mori7.com/beb_category.php?id=27
(このページの下の方です。どの例文にも、必ず笑いが入っているのが工夫したところです。)
※私は、人の批判のようなことは普通しません。
批判は、何も生み出さないからです。
しかし、作文教育の理論も方法もない人が、名前だけで作文指導の話をすれば、それを鵜呑みにしてしまう人も出てきます。
それは、長い目で見て子供の教育にとってプラスにはなりません。
そこで、あえて名前を挙げて、その作文指導のどこが問題なのかを書くことにしました。
しかし、もちろん批判だけでなく、こちらの対案も出しています。
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勉強は、面白くなければなりません。作文も、そうです。
しかし、作文はいちばん面白くない勉強になりやすいのです。
それは、せっかく一生懸命書いた文章を直されるからです。
そして、ほかの子の上手な作文を褒められるからです。
子供の作文を褒める指導をするためには、褒めるための方法論が必要なのです。
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タマスダレ
●動画:https://youtu.be/96m5vq0esLw
世の中の悪の原因は、ひとことで言えばエゴがあることです。唐突ですが。
すべての人が、自分の利益のために行動すれば、他人の幸福は考えなくなります。
それが、奪い合いの世界です。
ごく一部の人は、その奪い合いの世界から離れることができました。
法隆寺の玉虫厨子の物語は、そのひとつの例です。
====
法隆寺の大宝蔵には有名な玉虫の厨子がある。……ここに描かれている釈迦の仏世界の絵とは、「捨身飼虎」(しゃしんしこ)の図なのだ。
昔インドの薩□王子(さったおうじ、□は土偏に垂。釈迦の前世)が馬で山野を駆けめぐっている時、飢えた虎が七匹の小虎を連れて竹林をさまよっているのに出合った。薩□太子は飢えた虎親子を憐れに思い、わが身を虎に与えるべく、竹でのどを刺した。血を見れば虎は襲いかかるはずなのに飢えのひどさのために襲う力さえなく、太子を食べようとしなかった。そこで太子は、崖に上って上衣を脱ぎ、崖から飛び隆り、地上に墜落した自分の肉を虎に食べさせた
。
という仏世界の慈悲深い物語りであるが、この菩薩行を絵に描いたのが「捨身飼虎」の図である。(引用)
====
この話をオーバーに思う人もいると思いますが、同じような例は数多くあります。
例えば、太平洋戦争のとき、硫黄島でアメリカ軍と戦った日本人は、自分たちが米軍に負けることが明らかにわかっていました。それは、勝ち目のない戦いだったからです。
しかし、それにもかかわらず、日本軍は、本土にいる妻や子供たちを守るために、少しでも米軍の侵攻を遅らせるという目的でアメリカ軍と戦いました。(日本軍の死者22,000人)
その結果、実際に、アメリカの日本侵攻は遅れたのです。
これが、現代の捨身飼虎です。
さて、奪い合いの世界が残っているのは、多くの人が自分の利益を先に考えるからです。
自分にとって必要なものだけを取ればいいのに、必要以上のものを取ろうとする人がいるから争いが起こります。
その争いのもとにあるのは、必要なものが限られた世界があるということです。
人間の意識が、個人のエゴから脱却して他人の幸福も同時に考えられるようになれば、争いの世界はなくなります。
その例のひとつは、東北大震災で示された、被災地の人々の行動です。
しかし、地球上のほとんど人は、まだそういう意識にはなっていません。
その前提は、必要なものが限られた世界が残っているということです。
必要なもののもとになるものは、現代の社会ではお金です。
そのお金のもとになるものは、必要な物材を作り出すための方法とエネルギーです。
方法の根本にあるものは、植物のもつ光合成です。
また、微生物の持つ多様な能力です。
植物と微生物の能力は、自然界に無償で提供されています。
植物や微生物の能力を生かすためには、エネルギーが必要です。
エネルギーのもとになるものは、太陽です。
自然界の生き物は、植物や微生物の助けを借りて、太陽のエネルギーだけで生きています。
しかし、人間には人工的な環境が必要です。それが衣食住です。
その人工的な環境を維持するためには、太陽のエネルギーを圧縮する必要があります。
それが、薪であり、石炭であり、石油であったのです。
今、世の中にある物材やサービスの価格のほとんどは、つきつめればエネルギーと人間の手間によるものです。
人間の手間は、機械化とIT化によって今後大きく減っていきます。
エネルギーに関しては、フリーエネルギーはまだ少し先のことだとしても、すでに石油を10分の1のコストで作れる技術が日本で生まれています。
https://www.youtube.com/watch?v=THSY6B3bmhA
エネルギーのコストが10分の1になれば、物材のコストも10分の1に近づきます。
エネルギーのコストが、いずれ太陽と同じように0になれば、物材のコストもいずれ0になります。
現代は、こういう時代が来る前の前夜の時代なのです。
今の世の中には、これまでの限られた資源の時代に、その限られた資源を利用して他人をコントロールする道具に使ってきた人々が残っています。
それらの人々が、誰のプラスにもならないが、自分たちだけのプラスになる戦争や過剰な医療を生み出してきました。
しかし、限られた資源という前提がなくなれば、誰もが自由に生きられるようになります。
これまでは、「そんなことじゃ食っていけない」という言葉が成り立っていました。
しかし、ジャングルにいるサルたちは、毎日好きなバナナを食べて暮らしています(たぶん)。
人間も、衣食住の心配がなくなれば、関心は、食べることにではなく、自分らしく生きることに向かいます。
今はまだ、これまでの限られた資源の世界を利用して世の中をコントロールしてきた人々が、自分たちの既得権を守るために、世界の進歩を止めようとしています。
ロシアとウクライナの戦争にしても、イスラエルとハマスの戦争にしても、将来のパンデミック対策へのWHOの提案にしても、一昔前であれば、ほとんどの人がマスメディアの情報を信じてきました。
しかし、今は、まだ不十分ではあっても、インターネットによって正しい情報が広がるようになっています。
今後、情報がオープンになることに比例して、世の中はよくなっていかざるを得ません。
よくなってほしいではなく、よくならざるを得ないのです。
私たちは、今、そういう新しい世の中の手前にいるのです。
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もうすでに、世の中の方向は大きく変わりました。
だから、私も、いいものはいい、悪いものは悪いとはっきり言うことにしました。
すでに、YouTubeやFacebookも、正しい情報をBANすることができなくなっています。
朝日新聞などのマスメディアも、これまでの論調を微妙に変えています。
間違った情報が流されなくなったあとに来るものは、私たち自身が新しい創造的な仕事をすることです。
批判のあとに来る時代は、創造の時代なのです。
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メジロ
●動画:https://youtu.be/VNJ6Ru9a-CA
私は、前回も書きましたが、人を批判するのは好きではありません。
しかし、間違ったことが公にされていて、それを多くの人が知らないというのは、世の中の進歩にとって、特に教育の分野においてはマイナスになると思うので、あえて批判的なことも書くことにしました。
「ブンブンどりむ」の監修者である齋藤孝さんの作文指導の骨格に、穴埋め作文という方法があります。
ただし、斎藤さんは、そういう言葉で述べているわけではありませんから、穴埋め作文というのは、私が作った造語です。
この穴埋め作文というのは、作文指導に慣れていない人が行いやすい方法です。
「最初にこういうことを書いて、次にこういうことを書いて、最後はこういうふうにまとめてみよう」と、構成の仕方を穴埋め式に指導する方法です。
学校教育でも、作文の授業で、作文指導に慣れていない先生が子供たちに構成メモを書かせるやり方をすることがあります。
作文を書く前に、構成メモを書かせ、そのメモをもとに作文を書かせるという指導法です。
こういう授業を受けた生徒のほとんどは、「直接作文を書いた方が簡単なのに」と言います。
特に、作文力のある生徒は、構成メモを書くことを面倒に思います。
逆に、作文力のない生徒は、構成メモを書いても、それで作文がよりよく書けるようにはなりません。
構成メモは、ただ遠回りするだけの勉強になっているのです。
それは、なぜかというと、子供たちの物事に対する認識の仕方には、学年による違いがあるからです。
年齢で言うと、構成的に考えることのできる学年は小学5年生からです。
小学4年生までは、作文を書く前に全体の構成を考えるということ自体に無理があります。
だから、小学2、3年生までの生徒に、最初にメモを書いてから作文を書くという指導をするのは、子供にとっては途方にくれるだけで、何のプラスにもなりません。
しかし、小学5年生以上、特に中学生や高校生に、思いついたままに書いていいというのでは作文指導になりません。
思いついたままに書いていいのは、自由な日記だけです。
日記を書くときに構成メモを考える人はまずいません。
ところが、近年の中学入試、高校入試、大学入試では、作文小論文の課題が出ることが増えています。
作文の試験で、受験生が思いつくままに書いたのでは、当たり外れを大きくなります。
また、書き出す前に、どう書こうかと考える時間が長くなります。
だから、学年が上がったときには、構成を考えてから書くことに慣れておく必要があるのです。
しかし、その構成の仕方は、シンプルなものである必要があります。
いちいち先生に、「最初にこう書いて、次にこう書いて、最後はこうまとめて」と教えてもらっているのでは実際の試験では使えません。
自分の中に、構成の枠組みがいくつかあり、それに当てはめて考えていくようにするのがいいのです。
言葉の森では、この構成の仕方に、小1から高3まで学年別の構成法を割り当てています。
例えば、中学1年生であれば、是非の主題(良いか悪いかを明確にした意見)のあとに複数の理由を展開するというのが、中1の作文の構成の大枠です。
例としては、「宿題は良いか悪いか」「漫画は良いか悪いか」「嘘は良いか悪いか」というような課題です。
何が正しい意見かというのではなく、自分の述べる意見に、裏付けとなる複数の理由が書けることが大事です。
小学生の作文も、小学生だけの作文指導にとどまるのではなく、将来、中学生や高校生になったときの作文指導に結びつけるかたちで構成を考える必要があります。
しかし、小学5年生までは、子供たちに物事を構成的に考えるという意識がまだないので、構成は、言葉の項目を中心に組み立てています。
例えば、「題材」としては会話を思い出して書こう、「表現」としてはたとえを入れて書こう、「主題」としては自分の思ったことを長く書こう、初歩的な「構成」としては、お父さんやお母さんに似た話を聞いて話を立体的にして書こう、というような書き方です。
この書き方を身につければ、題名ごとに穴埋め式の構成メモを考える必要はありません。
また、先生に教えてもらわなくても、自分で構成的な作文を書くことができます。
構成的に書くという発想ができると、大学入試の小論文でも、すぐにどういう切り口で書くかという考え方ができるようになります。
「これは、社会問題の主題で、原因と対策というかたちで書いていこう」とか、「これは、生き方の主題で、複数の方法というかたちで書いていこう(この場合の複数の方法のひとつは人間的な方法、もうひとつは社会的な方法という形で拡げることが大事です)」などという考え方ができるのです。
齋藤孝さんの穴埋め作文では、このようなところまでは考えていないはずです。
だから、穴埋め式の作文指導は、子供たちに実際に作文を教えたことがない人が思いつきで作文の書き方を教えるときによくやるやり方と似てくるのです。
それを、添削をする講師が、熱心に添削するとしても、もともとの方法論がない状態での添削ですから、添削も雰囲気的なものにならざるを得ません。
添削する人はそれぞれに一生懸命やっていますが、大事なことは、現場の熱心さではなく、大きな方針があるかどうかということです。
更に言えば、作文教育に関して、何らかの理念的な柱があるかどうかということが大事なのです。
作文教育を含めた言葉の森の教育の理念については、下記のページに載せています。
「日本の教育を根本的に改善するオンライン4人クラス――対面式教育とオンライン式教育を超えた新しいオンライン教育のプラットフォーム 」
https://www.mori7.com/as/4582.html
====(一部を引用)
言葉の森の教育理念は、子供たちの思考力、創造力、共感力を育てることです。
他の通信教育や学習塾は、受験競争に勝つことが教育の目的です。
言葉の森は、思考力、創造力、共感力を育てる結果として、受験競争にも勝つということで勉強を進めています。
だから、言葉の森は、成績を上げるための無理な詰め込みはしません。
しかし、小学校高学年や中学生ぐらいになると、ほとんどの子はがんばって勉強するようになります。
普通に育っていれば、子供たちは中学3年生になるころには、自然に自分の意思でがんばるようになります。
大事なことは、知識の詰め込みを先取りすることではなく、子供たちの自然な成長を育てることです。
今は、人為的な環境が多いので、自然に育てることをまず意識的に行っていく必要があります。
自然に育てるということは、楽しく遊び、楽しく学ぶ環境を作るということです。
将来、現在のような受験競争を中心とした勉強はなくなります。
それに代わって登場するのは、子供たちの個性を伸ばし創造性を育てる教育です。
大人は、今の価値観で子供の教育を考えるのではなく、子供たちが成長する時代の価値観を想像して子供の教育を考えていく必要があります。
====
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穴埋め式の作文指導をすると、作文力のある子は、面倒に思って嫌がります。
直接作文を書いた方がずっと楽だからです。
逆に、作文力のない子は、それで作文がよりよく書けるようになるわけではありません。
作文を書く前に構成メモを書かせるというのは、作文指導に慣れていない先生がよくやる方法なのです。
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シジュウカラ
●動画:https://youtu.be/FGC9VlyuKJQ
私は、他人を批判するのは好きではありません。
批判は、何も生み出さないからです。
大事なことは、よいものを褒めること、自分で創造することの2つで、悪いものを批判することではありません。
しかし、悪いものが出回っていて、それを多くの人が知らずに使っていたとすると、それはもったいないことだと思います。
なぜかというと、その悪いものを通して、自分がしようとしていたこと自体が意味のないものだと思ってしまうことがあるからです。
例えば、作文教育が大事だと思っても、勘違いした作文教室に参加すれば、子供は作文嫌いになります。
少なくとも長く続けようという気にはなりません。
作文力は、小学校時代だけではなく、中学生、高校生になってから更に伸びる学力です。
それを、小学校時代に、勘違いした作文教育を受けることによって、作文の勉強から離れてしまったとしたら、それはせっかくの機会を活かせなかったことになるからです。
作文通信教育講座「
ブンブンどりむ」の監修をしている齋藤孝さんが、「
こども文章力」という本を出しています。
ブンブンどりむは、「作文特化の教材で身につける『自分で考え、表現する力』」をうたっているので、作文教育がメインです。
その作文教育を監修している齋藤孝さんが書いている本なので、どういうことが書いてあるかと思い読んでみました。
たぶん、言葉の森の作文教育法と同じようなことが書いてあるのだろうと思いましたが、中身は全然違いました。
作文教育に全くの素人の人が、国語の問題集のような感じで、作文の書き方の説明を書いているだけの本でした。
この本を読んで、作文の書き方がわかったり、作文が書けるようになる人はまずいないと思います。
ブンブンどりむは、「30年の実績 作文添削」ということを広告で書いています。
本当に30年前に何をやっていたか知りたいところですが、30年も作文指導をして、このレベルの作文指導では、何を指導していたのかわかりません。
たぶん、ブンブンどりむは、現場の添削の講師が赤ペン添削をがんばって書いているだけで、作文指導の根本の方法論がないのだと思います。
ちなみに、言葉の森の作文指導は、40年以上の実績で、40年以上前に指導していた経過も事実として残っています。
法人化する前から数えれば、50年近い実績です。
40年前には、作文教室という概念自体がない時代でしたから、言葉の森が日本で最初に「作文教室」の名称を使った教室です。
言葉の森は、そのころから、すべて手作りの試行錯誤で作文指導の方法を積み重ねてきました。
だから、小学1年生から高校3年生までの作文指導ができます。
私(森川林)のうちの子2人も、小1から高3まで言葉の森で作文の勉強をしました。
当時は通学の作文教室があったので、子供の小学校の友達も来るようになり、その子たちは、やはり小学生から高校生まで勉強を続けた子が多かったです。
高3になるころには、みんな立派な文章を書けるようになっていました。
さて、齋藤孝さんの作文指導で何が問題かというと、指導の根本が穴埋め式の作文指導になっていることです。
「最初にこういうことを書こう」「次にこういうことを書こう」「最後のこういうまとめを書こう」となっていますから、枠の中にそのとおりに穴埋めをした子は、作文を書くの前の箇条書きができます。
しかし、箇条書きは、すべてつなげても100字から200字程度です。
その100字から200字の箇条書きを、600字から1200字の作文にする方法はありません。
箇条書きを作文にできる子は、もともと書く力がある子だけです。
「なにを書けばいいかわからない」という子は、親が引っ張らなければ書けません。
しかし、親が引っ張る状態は、何年も続けられるわけではありません。
だから、ブンブンどりむは、小学生までの間の指導になっているのです。
親が引っ張る形では、中学生、高校生までの作文の指導はできません。
そして、かろうじて、600字の作文を書き続けた子がいたとしても、そのときの指導法の中心は、赤ペン添削です。
赤ペン添削が返ってくると、子供は、先生がいろいろ書いてくれたと言って喜びますが、その赤ペンの意味を理解しようとする子はまずいません。
そのうち、赤ペン自体を読まなくなります。
だから、毎回同じような作文を書いて、毎回同じような赤ペン添削が続くのです。
赤ペン添削は、集団一斉指導の時代に、そういう方法しかなかった時代の名残(なごり)です。
今は、ネットワーク技術によって、少人数のクラス指導、個別指導ができます。
これからの作文指導は、赤ペン添削以外の方法を生かしていく必要があります。
言葉の森の作文指導の特徴は、第一に、全体の構成を考える指導です。
この構成指導は、小1から高3まで系統的に組まれています。
だから、小1で書いた構成の延長で、高3までの作文学習ができます。
小学生までは、主に複数の実例です。
中学生からは、意見と複数の理由や方法という構成になります。
高校生は、原因や対策という構成が加わりますが、それ以上の感想文のもとになる文章が難しい論説文になります。
言葉の森の作文指導の特徴の第二は、表現の仕方の項目指導です。
どういう表現やどういう実例やどういう感想を入れればいいかということを項目として指導します。
ここで、作文をふくらませることができます。
また、保護者が子供にアドバイスをする場合も、漠然と「もっと長く書きなさい」などと言うのではなく、「この項目を入れるためにどうしたらいいか、一緒に考えよう」というアドバイスができるのです。
例えば、「どうやってたとえを入れようか」とか、「どうやって会話を入れようか」などということを考えることができます。
中学生や高校生の場合は、更に発展して、「どうやってデータ実例を入れようか」「どうやってことわざの加工をしようか」ということに発展します。
言葉の森の作文指導の特徴の第三は、題材(実例)の指導をすることです。
小学生の場合は、似た例を保護者に取材するという項目があります。
ここで、保護者に取材した子は、実例だけでなく語彙が増えます。
特に、小学5、6年生の抽象的な課題の出てくる作文では、両親の取材だけで子供の考える力が伸びます。
語彙が増えるということは、感想の部分を自分らしく書けるようになることです。
「こども文章力」に載っていた小3の生徒の例文では、感想のところを、「……とよろこんでくれて、うれしかったです。」という書き方になっていました。
これが悪いというのではありませんが、「うれしかった」「たのしかった」「またやってみたい」だけで終わってしまう感想は、語彙の不足から来ています。
だから、作文と通しても親子の対話が必要になるのです。
言葉の森作文指導の第四の特徴は、主題の指導があることです。
小学生の場合は、感想を長く書こうとか、作文の中に思ったことをところどころに入れようとか、結びの感想を自分らしく書こうという指導です。
中学生高校生の場合は、感想や意見の部分をしっかり書くことで、森リン(自動採点ソフト、特許取得)の点数が上がります。
森リンの点数を見るために、小学5年生からは、パソコンで作文を書くようにするといいのです。
受験で作文を使う場合は、3か月から半年まに手書きに戻せば大丈夫です。
この主題の指導が、客観的な数値として見えるということが、言葉の森の指導の特徴です。
今回は、「こども文章力」の本の内容についてはあまり引用しませんでしたが、次回からは、本の内容に沿って、どうしたらもっとよい指導ができるかということを説明していきたいと思います。
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勘違いした作文教育を受けて、作文を書くことが嫌いになりそのまま大人になってしまうとしたら、それはもったいないことです。
ブンブンどりむは、結局、作文教育について何の理念も思い入れもない人が、作文が儲かりそうだからちょっとやってみようと思って始めた作文指導なのです。
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ハナカタバミ(オキザリス)
●動画:https://youtu.be/HyqlDnmCS6A
昨日の保護者懇談会で、子供向けの新聞についての質問がありましたので、それに関連することを書きます。
しかし、これは、私(森川林)の全く個人的な見解ですから、実際に新聞を見てご自分で判断してください。
■読売KODOMO新聞
読売KODOMO新聞は、週1回の発行ですから、読み応えがあります。
毎回、面白い企画を載せています。
見るだけでしたら、読売KODOMO新聞はいちばんいいと思います。
しかし、何かを「する」という企画は、あまりありません。
今後、「する」企画を増やし、作文を投稿する欄を作ってくれるといいと思います。
■毎日小学生新聞
毎日小学生新聞は、タブロイド版8ページほどの新聞で、毎日発行しています。
読売や朝日に比べてみすぼらしい感じがするかもしれませんが、内容は優れています。
ひとつは、毎回、充実した内容の説明文が載っていることです。
これを読むだけで、立派な社会や人生の勉強になります。
もうひとつ、更によいところは、子供が何かを「する」企画をよく載せていることです。
「こんなことをやってみよう」とか、「こんなことができる」とかいう記事が時々載るので、この毎小を活用すれば、創造発表クラスの作品発表や自由研究に生かせます。
毎小の編集は、子供の視線に立っていると思います。
毎小は、昔、作文の投稿欄がありましたが、今は、習字や詩だけの投稿欄だけになっています。
早く作文の投稿欄を復活させてほしいと思います。
■朝日小学生新聞
朝日小学生新聞は、普通紙と同じサイズの8ページの新聞なので、毎日作るのが大変だろうと思います。
記事は充実していますが、いちばんいいのは、作文の作品欄があることです。
この作品欄に投稿することが、子供たちの作文の勉強の励みになります。
できれば、朝日中学生新聞でも、作文の投稿欄を作ってくれるといいと思います。
昔、この作品欄は、たぶん90歳ぐらいの元小学校の先生が選者をしていました。
この先生がとても立派な人で、現役時代には、毎日、教室の子供たちが書いた作文を持ち帰り赤ペンを入れて返していたそうです。(「致知」の投稿欄に載っていました。)
あるとき、言葉の森の小6の女の子が、学校にいる自分の好きな人の話を載せました。
そのときの選者の講評が、とても心の温まるものでした。
私はその講評を見て(内容は忘れましたが)、こういうことを書ける人は子供の気持ちをよくわかっている人だと思った記憶があります。
子供向けの新聞は、現在、読売、毎日、朝日と3種類ありますが、どれかひとつを勧めるとしたら、毎日小学生新聞です。
理由は、説明文の記事が多いことと、「子供が何かをする」ことのできる企画が多いからです。
しかし、いずれもいい新聞ですので、実際に中身を見て判断してください。
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