庭のスズメたち
●動画:https://youtu.be/zA5d2OZbcPg
言葉の森が、発足当初から子供たちの家庭学習として推奨していたのが音読でした。
音読は、ただ繰り返すだけでなく、同じ文章を日をおいて繰り返すことが大事です。
何日も繰り返し読んでいると、その文章を半ば暗唱できるようになります。
音読の効果は、この半ば暗唱できるところまで行って初めて出てきます。
そこで、言葉の森が始めたのが暗唱検定® です。
https://www.mori7.com/askt/
暗唱の指導をしてわかったのは、音読は続けるのが難しいが、暗唱は続けられるということです。
なぜなら、暗唱は楽しくできるからです。
音読の宿題などをするとき、子供は飽きるので、次第にいい加減に読むようになります。
すると、それを聞いていたお母さんが読み方を注意します。
音読をすると、いつでも注意が始まるので、子供はますます音読を嫌がるようになります。
だから、音読は続かないのです。
齋藤孝さんが、しばらく前に、「1分間速音読」を出していました。
こういう本を作る人も、それを読もうと思う人も、音読というものがわかっていません。
また、学校で子供たちに音読の宿題を出す先生も、音読がよくわかっていない人が多いと思います。
それは、音読の繰り返しの回数が少なすぎるからです。
「1分間速音読」では、10回読むという表がついていますが、この本で、最初のページにある「ごんぎつね」約500字を10回読む子はまずいません。
そして、もし真面目に10回読んだとしても効果はありません。
音読は、繰り返し読むことによって、それが身につくことが大事です。
そのためには、貝原益軒が「和俗童子訓」の中で、素読の方法として「百字を百回読む」と述べたように、繰り返しの回数の目安を百回とすることが必要になるのです。
言葉の森の暗唱の仕方は、貝原益軒の方法を現代化したものです。
今の子供は、百字を百回読むというような練習はまずできません。
だから、1日に読む量は、約百字を30回です。これなら10分でできます。
30回音読すると、その日は、その百字の文章をほぼ暗唱ができるようになります。
2日目は、次の百字も同じように30回読みます。
3日目は、その次の百字も同じように30回読みます。
4日目は、1・2・3の300字の文章を10回読みます。
5日目も、6日目も、7日目も同じように300字を10回読むと、1週間で300字の文章が暗唱できるようになります。
次の2週目は、別の300字も同じように暗唱できるようにします。
3週目は、また別の300字も同じように暗唱できるようにします。
4週目は、全部で900字の文章を毎日4回ずつ音読します。
そうすると、1ヶ月で900字の文章を暗唱できるようになるのです。
暗唱の勉強が、ただの音読よりも続けやすいのは、達成感があるからです。
最初に100字の文章を読むときは、誰でも、「こんなの暗唱できるかなあ」と思います。
しかし、30回読んでいると、25回目ぐらいから急に、元の文章を見ないでも読めるような気がしてきます。
しかし、ここで文章を覚えようとは思わずに、もとの文章をしっかり見ながら音読を続けることが大事です。
なぜ覚えようとしないかというと、見ないで覚えようとすると、「えーと、次は何だっけ」と思ってしまう瞬間があるからです。
すると、暗唱の中に、「えーと」という待機時間が生まれるようになります。
つまり、「えーと」も一緒に暗唱してしまうようになるからです。
30回読み続けて暗唱ができるようになると、「やったあ」という感覚が生まれます。
最初は、「できるかなあ」と不安に思っていたのが、最後は、「できたあ!」と喜びになるのが暗唱の持つ達成感の感覚です。
江戸時代の素読が教育法として続いたのも、この達成感があったからなのです。
言葉の森では、900字の文章(以下、わかりやすく約1,000字として計算)を3つつなげて、合計3,000字の文章を7分で暗唱することを最初の目標にしています。
更に、その3,000字の文章を4つつなげて12,000字の文章を30分で暗唱できるようにするのが次の目標です。
すでに、それに合格した子が6人います。
その12,000字の文章の中には、百人一首の3,100字も入っています。
この百人一首を途中で止まらずに7分で読むというのが難しいところです。
これには、コツがあり、五七五七七の最後の七を、次の句の最初の五とできるだけ続けるように読むのです。
句と句の間には意味の上での関連性がないので、一つ読んで一息ついてしまうと、次の句を読むときに、「えーと」と思ってしまうからです。
こういうことは、音読と暗唱を実際にやった人でなければわかりません。
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ブンブンどりむの監修者である齋藤孝さんは、よく知りもしないで、作文や読解や暗唱のことを書いていると思いました。たぶん、人に言われて、あちこちのコピーを寄せ集めて本を書いたのだと思います(笑)。
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ガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/2thsjN0y9aI
都会の小学生は、現在、私立中学受験がピークになっています。
学校によっては、クラスの生徒の半数以上が中学受験をします。
小学高学年の子供は、周囲の子供たちに影響されるので、友達が受験勉強をするなら自分も負けたくないと思います。
それは、普通の感覚です。
それで、誰もが中学受験の塾に行くのです。
塾は、子供たちを合格させることが目的ですから、ひたすら詰め込みます。
競争や点数で煽りながら、合格という狭い目標に向かって知識や答え方を詰め込むのです。
勉強は、できる子にとってはそれなりに面白いものですが、そこで詰め込んだ勉強は、将来生きてきません。
中学受験のためだけの限られた勉強だからです。
私立中学の第一志望に受かった子と、それに落ちて第二志望校に行った子と、受験に落ちて公立中学に行った子が、結局同じ大学に行ったというのはよくある話です。
小6までの勉強と、中学生時代の勉強と、高校時代の勉強は、密度が違うので、高校生になってがんばった子が最も力がつくからです。
今の行き過ぎの中学受験は、やがて、問題が生じるときが来ます。
すでに、勉強の詰め込み過ぎや競争のさせすぎによる弊害が起きていますが、それがまだあまり表面に出ていないだけだけす。
中高一貫校の教育が、中学と高校を分けた教育よりも優れていたのであれば、公立中高一貫校をもっとたくさん作ればいいのですが、それは、たぶん私立中学の利権とぶつかるのでできないのだと思います。
一方、大学入試は、一般入試から総合選抜入試に移行しつつあります。
成績で1点差を争うような試験から、学力は8割程度でいいので、あとは思考力と創造性と意欲が大事だという試験に変わりつつあるのです。
更に重要なことは、大学入試がゴールであった時代は終わり、これからは社会に出て自分らしく生きる時代、あるいは、独立起業を目指す時代になりつつあることです。
独立起業というと、まだ多くの人にとって実感がわかないと思いますが、世の中は急速に変わっています。
「飯の食える大人になる」という言葉を、昔、高濱正伸さんが言っていましたが、今後はベーシックインカムで誰もが飯が食える時代になります。
飯を食うために嫌いな仕事を我慢して続ける時代は終わり、自分の好きなことをして生きる時代になるのです。
そのひとつの例が、よく挙げますが「さかなクン」の生き方です。
好きなことを追求しているうちに、それが自分の仕事になったのです。
世の中はそんなに甘いものではないという考えの人もいると思いますが、今ある仕事の中でも、すでに社会的な意味はないのに給料だけは支払われているというものは数多くあります。
例えば、昔は、「仕事がなくなったら、新聞配達をやろうか」とか、「ちり紙交換とやろうか」とか、「タクシーの運転手をやろうか」という考えが成り立っていましたが、今はその仕事自体がなくなりつつあります。
もっと大きい例では、銀行の仕事や新聞・テレビ・出版の仕事も明らかに衰退しています。
近い将来、AI技術の発達によって英語業界の仕事でも、人間のすることは少なくなります。
公務員の仕事も、IT技術によってかなり簡素化されるようになります。
だから、今ある社会を前提にするのではなく、どういう社会になっても生きていけるたくましい学力を育てることが大事なのです。
ところで、都会では、従来の教育サービスが幅広く残っています。
歩いて行ける範囲のところに、いろいろな習い事の教室があります。
学習塾もあるし、英会話教室もあるし、スイミングクラブもあるし、プログラミングスクールもあるし、多種多様な教育サービスがあります。
それは、それでいいことです。
その反対に、田舎では、歩いていけるような範囲に、そのような多様な教育サービスがありません。
中には、塾に行くのに1時間もかかるところがあります。
地域によっては学校に通うのも、バスに乗って行かなければならないところもあるでしょう。
そういう地方でも、人間のレベルはみんな同じですから、教育熱心な家庭は都会と同じ比率で存在しています。
そういう田舎の子供たちの学習意欲の受け皿になるものが、通信教育やオンライン教育です。
しかし、紙ベースの通信教育は、今後消滅の方向に向かいます。
インターネットで、ビジュアルなサービスが無料で見られる時代に、有料の紙の通信教育は時代遅れだからです。
また、今あるオンライン教育は、リアル教育のコピーがほとんどです。
リアルな通学教育で行われている授業風景をただ動画にしただけのようなオンライン教育を見ても、楽しく勉強できる子はいません。
だから、本当のオンライン教育は、都会で行われているリアルな教育と同じように、参加する子供たちが対話をしたり交流したりするようなコミュニティ機能があるオンライン教育です。
そのためには、オンラインクラスの生徒数が5人以内に限定されていなければなりません。
10人以上のオンラインクラスでは、結局先生による一方的な講義が中心になり、参加する生徒は受け身の形で参加するようになるからです。
今のほとんどのオンライン教育は、10人どころか人数の制限が特にない大量生産型の教育になっています。
したがって、言葉の森のオンライン少人数クラスの教育が効果を発揮するのは、多様なサービスに取り囲まれている都会よりも、むしろそういう雑音のない田舎の方です。
そして、田舎で広がったオンライン教育は、やがて都会にも広がります。
オンライン教育は国境がないので、日本以外のほかの国にも広がります。
また、今、増えている不登校の生徒は、結局、現在の学校システムの犠牲者です。
そういう行き場所のない子供たちも、リアルなサポート校を探すよりも、オンラインの教育で勉強面はカバーしていけばいいのです。
言葉の森は、国語、算数数学、英語の授業もしているので、勉強面は心配いりません。
また、言葉の森のオンラインクラスは、子供たちの交流があるので、勉強すること自体がコミュニティ活動になります。
都会と田舎の教育を比較すると、都会は多様な教育サービスがあり便利なように見えますが、インターネット時代には、そういう比較は意味がなくなります。
言葉の森は、作文、基礎学力、総合学力、国語、算数数学、英語、創造発表、プログラミングと、現在と未来の教育全体をカバーする指導をしています。
作文教育は40年以上の実績があり、どこのリアルの教室よりも優れた指導をしているので、小学生から始めて高校生まで続ける子もいます。
だから、言葉の森のオンライン教育をひとつの学校のように考えて参加していくことが、これからも子供たちの教育のひとつの方向になります。
このように考えると、便利に見える都会よりも、不便に見える田舎の方で、実は新しいオンライン教育が最初に開花するのだということがわかります。
実際に、私(中根)が教えているオンラインクラスの生徒の中で、勉強面も優秀で、創造発表的な学習に関しても個性的な発表ができる子は、なぜか都会よりも田舎に多い感じがしています。
ちなみに、中根の父と母の実家は岐阜と名古屋ですが、私自身が生まれ育ったところは、横須賀、横浜です。
横浜の人は、東京に対して微妙な劣等感と反発を持っているようで、1980年代、横浜モアーズがリニューアルオープンしたときのキャッチコピーは、「東京、カッペね。大阪、イモね。」でした。
これが、大きな看板になっていたので、思わず笑ってしまいました。
ITテクノロジーとAIテクノロジーに時代には、こういうキャッチコピーがさまざまなところで生まれます。
オンラインを生かして、最先端の教育を田舎から作っていきましょう。
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スズメたち
●動画:https://youtu.be/gnEw-1iYNGU
これからの子供たちの勉強で大事なのは、ひとつは国語、算数、英語などの教科的な学力をつけることですが、もうひとつは、作文、創造発表、プログラミングなどの創造的な学力をつけることです。
国語、算数、英語などの学力は、塾に通わなくても、家庭で毎日の学習習慣があればそれで十分です。
しかし、小学123年生のころは、親の指示で勉強していた子も、小学4年生以上になると、親子関係だけでなく、友達関係の中で勉強することを望むようになります。
そこで、言葉の森が提案するのが、小学456年生対象の総合学力クラスです。
総合学力クラスでは、1週目に国語の授業、2週目に算数の授業、3週目に英語の授業、4週目に創造発表の授業を行います。
それぞれの授業で更に深めたいものがあれば、国語読解や算数数学や英語や創造発表やプログラミングのクラスに移ることもできます。
いずれも、小学456年生にとどまらず、中学3年生まで続けることができます。(作文、国語読解、創造発表、プログラミングは高校3年生まで)
作文は、これからの学力として重要になりますから、小学456年生の基本的な学習は、作文と総合学力ということで進めていき、総合学力の中で更に深めたい講座があれば、国語読解、算数数学、英語、創造発表、プログラミングなどの単独の講座を受講するというのがいいと思います。
総合学力クラスは、新しく開設したので、まだクラス数が限られていますが、今後クラス数を増やしていきます。
友達と一緒に勉強できるオンライン5人クラスで、国語、算数、英語、創造発表の授業を体験してみてください。
先日、4週目の創造発表の授業の際に、小4の生徒が発表してくれた作品の一部を紹介します。
▽スクラッチゲーム
▽ニュートンのゆりかご
▽空中に浮かぶコマ
▽白玉作り
こういう創造発表を週1回できるというのは、勉強としてもかなり面白いです。
すでに大学入試では、総合選抜入試が主流になっていますが、小学校時代から、自分の興味のあることを研究し実験し発表するというのは、新しい勉強のスタイルになると思います。
無料体験学習を希望される方は、お電話でお申込みください。(クラス数が少ないため先着順)
電話:045-353-9061(平日10:00~17:00、土日10:00~12:00)
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言葉の森は、これまでは作文指導がメインでした。
その後、国語読解指導が加わりました。
今後は、国語、算数数学、英語の全教科をカバーし、更にそれに加えて、作文、創造発表、プログラミングの教育を行っていきます。
言葉の森で勉強すれば、ワンストップですべての必要な勉強がこなせる教室を目指していきます。
そして、大事なことは、それを子供たちのコミュニティを育てる方向で行っていくことです。
たぶん、数年後には、言葉の森で勉強した子供たちの同窓会ができると思います。
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メジロ2羽
●動画:https://youtu.be/K7P3JTdihYc
齋藤孝さんの「こども作文力」があまりにもレベルの低い内容だったので、参考までに齋藤孝さんの「こども読解力」という本も読んでみました。
言葉の森は、作文指導以外に、国語読解指導もしているからです。
「こども読解力」の本には、もとの文章に、赤や青や緑で線が引いてあり、解説のようなことが書いてあります。
一目見て、これでは読解力はつかないと思いました。
それどころか、読解力のある生徒は、このようなわずらわしい解説は読みません。
もとの文章だけ読んでいた方が、ずっと頭に入るからです。
読解力のない生徒は、もとの文章も解説もどちらも読まないと思います。
この本には、「読解力」と書いてありますが、読解の問題はどこにもありません。
これでは、読解力は身につきません。
読解力は、読む力と解く力のふたつからできています。
このふたつは、似ていますが、全然違うものです。
だから、読む力があっても解く力がない生徒や、逆に解く力があっても読む力がない生徒は、どちらも読解の点数が上がりません。
第一に、読む力をつけるためには、入試問題に出てくるような文章を繰り返し読むことです。
それが、言葉の森が行っている問題集読書です。
ただし、小学生の場合は、難しい文章を読む以前に、読書の量を確保しておく必要があります。
第二に、解く力をつけるためには、理詰めに問題文を読むことです。
その解き方のコツは、「
小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」に載せています。
これは、「小学生のための」となっていますが、小学生がひとりで読むには難しすぎます。
保護者が読んで、子供の読解のテストを分析するときに使うものです。
また、この本は、本当は、小学生向けではなく、中学生、高校生向けの本です。
大学入試共通テストの対策として使うのがいちばんいいと思います。
昔、私が教えていた高校3年生にセンター試験国語の現代文を解かせたところ、最初はみんな60点ぐらいしか取れませんでした。
そこで、1人について2時間ぐらい解き方のコツを説明すると、翌週からみんな100点近い成績を取れるようになりました。
どうして説明に2時間ぐらいかかるかというと、その生徒の間違えた部分についてだけじっくり解説するからです。
だから、一斉指導はできないのです。
読解検定で高得点を取っている生徒は、お母さんが同じようなやり方をしています。
問題文に沿って、その選択肢のどこが合っているのか違うのかということを理詰めに考えるようにすると、必ず読解の成績は上がります。
ただし、解き方のコツで成績が上がるのは、読書力のある子の場合です。
読解力がないという生徒の場合、多くは解き方のコツを理解する以前に、読む力をつけておく必要があります。
その力をつけるのが問題集読書です。
更に、問題集読書をやる以前に、読書量自体を増やすことが必要な子もいます。
最近は、そういう子の方が増えています。
小学校低中学年の国語力は、国語読解クラスで勉強するよりも前に、まず家庭で本を読む習慣をつけることが大事です。
ところで、私は、毎回書いていますが、人を批判することは好きではありません。
批判よりも大事なことは、創造だからです。
ただ、言葉の森が指導している作文と国語読解に関連して、あまりにも低レベルな本が出ているのを見ると、日本の作文教育、国語読解教育の質を下げないためにも、一応説明をしておく必要があると思いました。
それで、あえて批判的なことを書きました。
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国語読解力をつけるためには、読む力と解く力を分けて考えること
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ガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/0hTL8dcP5sk
寺子屋教育の本質は、ひとことで言えばコミュニティ教育です。
子供たちは、成績や競争や賞罰によって勉強するのではなく、友達と一緒だから楽しくて勉強したのです。
今の教育、特に受験教育は、子供たちを個々ばらばらに孤立させて、競争によって意欲化させるという方法で行われています。
ここに、根本的な違いがあります。
そして、寺子屋教育の勉強の方法は、精選された教材を元にした音読、暗唱、書写、算盤の反復学習でした。
しかし、ただそれだけを続けていては、学習が単調になってしまうので(マンネリ化という言葉よりも単調化の言葉の方が日本語らしい)、季節ごとに街に出て多くの人に自分の書写を見てもらうというような企画も用意されていました。
寺子屋時代の子供たちは、コミュニティを楽しんでいたので、いろいろな悪ふざけやいたずらもしました。
それが行き過ぎると、先生は叱らなければなりませんでした。
しかし、叱る方法は、単純な禁止や罰という方法は少なく、子供たちが傷つかないような工夫した叱り方が行われていました。
例えば、先生が悪いことをした子供をひどく叱ったあとに、近所のおばあさんが出てきて、「私に免じてどうか許してやってください」と頼むというような打ち合わせが事前に仕組みとして考えられていたのです。
子供たちは、朝早くから寺子屋に来て、みんなで大声で暗唱するような勉強をしたあと、午後は家に帰り、そのあとは子供たちどうしで楽しく遊びました。
当時のヨーロッパでは、限られた貴族階級の子弟たちが、先生に鞭で脅されながら勉強をしていました。
日本の当時の識字率は、世界でも最も高いものでした。
その子供たちが、明治時代に日本の近代化を急速に成し遂げる人物に育ていったのです。
勉強は、楽しく主体的にやるものです。
競争で煽られながら、言われたことをただひたすらやって、その結果を競争で評価されるようなものではありません。
言葉の森が目指しているのは、かつての日本の寺子屋教育の伝統を、現代のITテクノロジーを生かして、高度に復活させることです。
そのプラットフォームが、現在、500人以上の生徒が参加しているオンライン少人数クラスの教育です。
オンライン教育は、しばしば対面式の通学教育と比較されますが、言葉の森のオンライン少人数クラスは、通学教育よりも更に対面式の密度が濃くなったオンライン教育です。
このオンライン少人数クラスの教育を生かすためには、同学年の同レベルの生徒が5人以内の少人数で集まるクラス運営を無数に増やす必要があります。
そのためには、生徒数は、1万人を超える必要があります。
この規模になれば、現在の通学式の集団一斉指導の学校教育は、少人数の対面式オンライン教育に置き換わるでしょう。
それが、寺子屋教育を現代に復活させるということです。
教育改革の第一歩は、先生がどうしたとか、教材がどうしたとか、教え方がどうしたとかいうことではなく、理想のプラットフォームを作ることです。
そのプラットフォームを作ったあとに、先生や教材や教え方の問題が出てくるのです。
こういう言葉の森のビジョンと同じようなことを言っている人は、まだ誰もいません。
しかし、言葉の森には、毎日楽しく勉強している子供たちと、言葉の森の教育を理科してくれる保護者の方と、長年言葉の森で指導を担当してきた多くの優れた講師がいます。
日本によりよい教育を作り上げ、そして、日本をよりよい国にするためにこれからも努力していきたいと思います。
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言葉の森の電話受付時間を、平日10:00~17:00、土曜・日曜10:00~12:00とします。
(平日の時間を早めに終了することにしました。一方、日曜の午前中も電話連絡を受け付けるようにしました。)
受付時間外の欠席連絡は、検索の坂から、又は、オンラインクラス一覧表のご自分の名前の横の△印からお願いします。
受付時間外のその他のご連絡やご相談は、個別れんらく板からお願いします。
土曜・日曜は、教育相談も受け付けます。ただし、ご相談は15分以内を目安としてください。
以上、よろしくお願いいたします。
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ミカンとメジロ
●動画:https://youtu.be/hDu6rb1sQvs
私は、何度も同じことを書きますが、人を批判することは好きではありません。
大事なことは、批判ではなく創造することだからです。
だから、批判のような話になるときは、必ずこちらの独自の対案を出しています。
日本の作文教育は、世界の水準を大きく超えています。
諸外国で、日本のように小学1年生から作文が書ける教育をしているところはありません。
なぜ、日本でそのような作文教育ができるかというと、日本語は、喋る音と書く言葉が一対一で対応しているからです。
数少ない例外が「わとは」「おとを」「えとへ」「小さいゃゅょっ」などです。
これらの例外を除けば、日本では、喋ることのできる子は作文を書けるのです。
このように恵まれた日本語環境で生きる子供たちにもかかわらず、作文の苦手な子は数多くいます。
また、作文教育のほとんどが、小学校の間で終わります。
小学校時代の中でも、作文教育が主に行われるのは、小学2、3年生までです。
小学校高学年、中学生、高校生と、作文指導は、次第に少なくなるか、なくなります。
それは、作文指導の理論と方法がないからです。
現在の作文指導のほとんどは、穴埋め作文のような構成メモと、赤ペン添削による指導です。
この指導で、作文が書けるようになる子は、もともと書ける子だけです。
また、中学生、高校生まで作文の学習を続けようとする子はいません。
齋藤孝さんが書いた「こども文章力」は、この低レベルの作文教育の現状を追認し、そのまま作文指導の標準としたものです。
作文教育を考える現場の先生やお父さんお母さんが、こういう作文教育でいいのだと考えれば、作文が書ける子は、もともと書く力がある子だけになります。
また、中学生、高校生まで作文の勉強を続けようとする子は出てきません。
なぜ、このような作文指導になるかというと、著者に、作文教育というものに対する理論と方法がないからです。
作文通信教育講座「ブンブンどりむ」は、齋藤孝さんが監修しています。
寄せ集めの作文指導で作文が書けるようになる子は、親がていねいにフォローしてあげることのできる子だけです。
私は、最初、「こども文章力」のそれぞれの章について、もっとよい別の指導の仕方があるということを書こうとしました。
しかし、ほぼ全ページについて書く必要があるとわかりました。
それぐらい、レベルが低いのです。
それで、以下は、簡単にまとめて書くことにしました。
より詳しい話を知りたいという方がいれば、コメント欄に書いておいてください。
■全体の感想
基本的な考え方は、穴埋め作文です。
「最初にどうして」「次にどうして」「最後にどうなった」という穴埋めの枠を埋めることができても、それを作文として長く書けるのは、もともと書く力がある子だけです。
そして、書く力がある子は、そういう遠回りなことをするよりも、直接作文を書きたいと思います。
学校でよく行われている構成メモの指導も、この穴埋め作文の指導と同じです。
■例文
この本に唯一載っている小学3年生向けの例文は、生徒の見本とするような例文になっていません。
第一に、題材に個性も感動もありません。第二に、「朝起きてから寝るまで」の作文のように構成が平板です。第三に、結びの感想が「うれしかったです」のような浅い感想で終わっています。第四に、たとえを使うというような表現の工夫がどこにもありません。
字数を埋めるために、出来事を順番に書いているだけの例文になっています。
■日記
日記で、何を書くかという穴埋めの提案をしていますが、日記で大事なのは、何を書くかではなく、どう書くかです。
また、そもそも、小学校低学年で日記を書かせる指導に意味はありません。
大事なことは、書かせる前に、本を読ませることです。
■読書感想文
物語の内容と自分のエピソードを結びつけようという書き方は、言葉の森の指導法とそっくりです。
言葉の森が、この読書感想文の指導法を始めたとき、同じような読書感想文指導をしているところはどこにもありませんでした。
本当は、この読書感想文の指導にこそ、具体的な例文が必要ですが、この本にはそれはありません。
(言葉の森の例文は、
感想文の書き方)
■将来の夢
将来の夢について、将来のことを書く手順が書かれています。
しかし、「将来の夢」という題名は、将来のことを書くのではなく、そう思った過去の実例を書くことが大事です。
■問いを立てて書く
テーマを考えて理由と結論を書く書き方が漠然と説明されています。
しかし、問いを立て、その理由を述べるには、問い自体に対比が必要です。
「BではなくAだと思う」という対比があればこそ理由が書けます。
■観察したことを書く、比較したことを書く
観察したこと、比較したことなどという作文の課題が書かれています。
こういう「○○作文」というような作文指導をしている先生は多いと思います。
しかし、作文指導は、いろいろなことを思いつきでやらせるものではなく、ひとつの方針に沿って指導するものです。
■調べたことを書く
調べることとして定義、背景、経緯などを調べると書かれています。
しかし、調べたことを書く際に大事なことは、データ(数字や固有名詞)を入れることです。
また、作文を書いている途中でデータを調べるのではなく、すでに調べたデータを作文にあてはめるという考え方をする必要があります。
そうしないと、調べるだけで時間がかかってしまうからです。
■この中学校を選んだ理由(志望動機)
志望理由として、その学校のこと、自分のやりたいことを書くと書かれています。
しかし、志望動機は、ただ学校のこと、将来のやりたいことを書くのではなく、自分の過去の実績をもとにして書くことが大事です。
このコツを知らない人が多いです。
■小学校時代の思い出
行事に参加したこと、知らない土地や人に出会ったこと、芸術やスポーツを見て感動したことなど、思い出の例が羅列されています。
しかし、思い出という実例が先にあるのではなく、自分の考えが変わったというような主題を先に立て、その主題に合った実例を見つけるのが書き方のコツです。
■自分の長所と短所
自分の長所と短所をよい面悪い面の両方から考えてみようと書かれています。
しかし、長所と短所は、自分で考えるより先に、家族に聞いた話をもとにすることによってより客観的な作文になります。
小学生の作文指導は、家族の対話とセットになっているのです。
■物語の要約(浦島太郎)
要約の仕方として、すでに知られている浦島太郎の話をもとに、言葉をしぼりこむということが書かれています。
しかし、要約は、実際の文章を読んで要約の練習をしなければ書けるようにはなりません。
言葉の森の要約の仕方は、
こちらです。
■報告文、キャッチコピーの作り方、手紙の書き方
この本を読んで、報告文、キャッチコピー、手紙の書き方までやろうという子は、まずいないと思います(笑)。
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日本では、思いつきの作文指導が多すぎます。
作文教育に対する理論と方法がないからです。
理論と方法のない典型的な例が、ブンブンどりむを監修している齋藤孝さんの「こども文章力」です。
勘違いして、この本をもとに家庭で作文の書き方を教えようとすれば、途中から親子げんかになると思います(笑)。
どうして「言葉の森」を知ったか思い出しました。
斎藤孝さんの著書をたくさん読んでて、文章が書ける子にしたいな~~っておもったのがきっかけでした。
ママさん、ありがとうございます。
齋藤孝さんというかブンブンどりむは、言葉の森も真似ばかりしています。
作文にしても、読解にしても、暗唱にしてもですが、それがいずれもレベルの低いやり方を物量作戦で押し通そうとしているのが迷惑なところです。
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センリョウ
●動画:https://youtu.be/_AqE5OhYYrw
大人は、「書く」という結果を見がちだが、「書く」前提として「読む」がある。
読む量が少なければ、うまく書けない。
そのうまく書けないことを添削でいくら直しても、やはりうまく書けるようにはならない。
しかし、読む量が増えれば、直さなくてもうまく書けるようになる。
小学校では、2年生ぐらいで日記を書く指導が増える。
たいていの親子は、そこで、何を書いていいかわからなくなる。
「何を書くか」というところに目が向くから、書くことがなくなる。
作文通信教育講座ブンブンどりむの監修者、齋藤孝さんの「こども文章力」でも、「日記は『したこと』を思い出すところからスタート」(P16)と言っているが、これは日記指導の本質を知らない人の話。
「( )を食べた、( )を見た、( )に行った」などいくら穴埋めの言葉を入れても、すぐに書くことはなくなる。
日記は、「何を書くか」ではなく、「どう書くか」と考えるのが大事。
例えば、「たとえを入れて書く」「会話を入れて書く」「どうしてかというとという言葉を入れて書く」「色や音を入れて書く」「ダジャレを入れて書く」という書き方だ。
これなら、毎日、その日の朝ごはんのことを書いたとしても、毎日新しいたとえやダジャレを思い出して書ける。
そして、何よりも、目標があることと、自分なりの創造があることが楽しくなる。
勉強は、つまらないことを義務感としてやらせるのではなく、主体的で楽しくできることを親や先生が工夫してやらせることだ。
※私は、人を批判するのは好きではありません。
批判するよりも、自分で新しいものを創造することが大事だからです。
しかし、勘違いした作文教育の方法が広がれば、それは多くの人にとってマイナスです。
だから、あえて名前を挙げて、どこが問題なのか、そしてどうしたらいいのかを書くことにしました。
この記事に関するコメント
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日記指導なんてさせるものではないというのが私の持論です。
面白くも何ともないし、またそれで文章を書く力がつくわけでもないからです。
では、どうしたらいいかというと、読ませる指導と親子の対話の指導をすることです。
教育の根本はシンプルなのです。
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