ドウダンツツジ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=83JTtONJylc
日本語と英語と中国語は、どれも同じ言語のように思いますが、人間が使える母語はひとつです。
日本人にとっては日本語が母語です。
母語というのは、身体化された言語です。
母語とは別に習得する言語は、学習する言語です。
その学習する言語は、今日のAIの発達によって次第に機械化されるようになっています。
機械化は、世の中のさまざまな面で進んでいます。
機械化のわかりやすい例が電卓です。
難しい計算も、電卓を使えば瞬時に答えを出せます。
しかし、機械化された計算ではなく、身体化された計算もあります。
それは、算盤です。
算盤に習熟すると、数字が実感を持ってとらえられるようになります。
言語についても同様です。
言葉を単に伝達の道具として使うだけでなく、実感を持って使うためには、母語に習熟しておく必要があります。
外国語の利用における機械化は進んでいます。
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“自分の声”でリアルタイム翻訳 英語など4カ国語に対応 NTTが日本初の新技術(2023年12月15日)
https://www.youtube.com/watch?v=Q5LXQRHYEvo
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この動画を見ると、英語や中国語などの習得は、話し言葉の利用も含めて、すべて機械に任せられる日が近いことがわかります。
だから、大事なのは、身体化された言語である母語に習熟しておくことです。
日本語を伝達の道具として使えるということと、日本語を身体化された言葉として使えることとは違います。
伝達の言語は、頭で理解する言語ですが、身体化された言語は、身体で実感する言語です。
身体化された言葉は、感情や感動と結びついています。
実感できる言葉が、人間を人間らしく成長させます。
例えば、坂村真民さんの詩。
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念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
坂村真民のおすすめ詩文集
http://home.catv-yokohama.ne.jp/33/k544539/sakamurashinmin.html
====
こういう言葉が心に響くようになるにつれて、人間は成長していきます。
そのために大事なことは、言葉を身体化させる時間を持つことです。
それが、子供時代からの対話と読書と作文です。
対話で聞く言葉と、YouTubeの動画で聴く言葉とは違います。
対話とは、人間のつながりの中で聞く言葉です。
茨木のり子さんの詩。
====
汲む―Y・Yに―
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
庭文庫
http://niwabunko.com/125/
====
中学生の子供たちは、勉強するよりも、こういう詩を読んで言葉を実感するのがいいのです。
もちろん、勉強はしてもいいけれど(笑)。
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ブンチョウ
●動画:https://youtu.be/VrGVPADiXiw
ある保護者の方から質問がありました。
====
> 先日の○○で、親のインタビューを書くことがパターン化されていると書かれておりました……
===
文章を読み取る力のない人は、すぐに「パターン化がどうした」ということを言います。
作文を評価する人は、パターンで見るのではなく、内容で見ることが大事です。
手紙の書き方などは、パターン化の典型です。
しかし、そのパターンの中に、内容が盛り込まれています。
パターン化の批判への対応の仕方としては、今後、親へのインタビューの部分を省いて(というのもパターン化ですが)書くといいです。
しかし、作文そのものとしては、もちろん親のインタビューがあった方がずっといいものになります。
ある都立の中高一貫校の入試作文で、言葉の森の生徒がよく合格していました。
そのときも、学校説明会では、「パターン化がどうした」ということを言っていました。
学校としては、たくさんの上手な子の選抜をするよりも、たくさんの下手な子がいた方が採点しやすいので、そういうことを言っているだけです。
それは、やむを得ない面もあります。
作文の採点をする人は、本当に大変だからです。
ただ、そこに同情しているわけにはいきません。
作文の評価でいちばんいいのは、
森リンで採点することですが、日本の教育界は、まだそこまでの決断はできないと思います。
今後、AGI(汎用人工知能)の利用で、教育の世界は大きく変わります。
しかし、教育に携わっている人は頭の古い人が多いので、新しい教育に踏み出せません。
だから、いまだに読書感想文の宿題を出すような学校があります。
読書感想文の宿題は、ChatGPTの利用ができる時代には、もうとっくに無意味になっています。
読書感想文は、宿題として出すものではなく、授業の中で指導していくものです。
授業の中で指導できないから、宿題にしているのです。
と、辛口のことばかり書きましたが、すべて本当のことです。
だから、親が、子供の真の成長を考えて判断していくことが大事です。
学校の宿題なども、やらなくていいものが多いと思います。
「この宿題は、お母さんがやっておくから、あなたは好きな読書をしていなさい」
というような対応があってもいいのです。
我が家でも、子供が小1のとき、「足し算の答えが同じものを色で塗る」という宿題が出されました。
先生は、それなりに工夫して宿題として出したのだと思いますが、子供はため息をつきながらその宿題をやっていました。
それを見て、私は、「お父さんがやってやるから、お前は本でも読んでな」と言って、電卓で計算して色を塗りました。いいのか(笑)。
子供は、「わあい」と喜んで、のんびり本を読んでいました。
勉強の主体は、というよりも、子供の成長の主体は、学校でも塾でもなく家庭です。
そして、子育ての基準は、子供がにこやかに生きていくことです。
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「パターン化された手紙の書き方をするな」と批判する人はいません。
パターンの中に盛り込まれた中身が大事だと、みんな知っているからです。
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スズメたち
https://youtu.be/tDQc7x-AAzU
庭の餌台に、鳥の餌を置いておいたら、最初は誰も来ませんでしたが、1か月ほどたって、スズメが1羽、2羽と来て、やがてだんだん家族や友達を連れてきて、次第に数が増え、今は10羽以上が餌台からあふれるほどの集まってきます。
別の餌台にミカンを置いておいたら、最初は、メジロが1羽やってきて、やがてもう1羽が来て、今は2羽で仲よくミカンをついばんでいます。
そのうち、シジュウカラが1羽やってきて、時々水盤で水浴びをしています。
時々ヒヨドリも来ます。
ヤマバトは、最初は1羽でしたが、やがて2羽になり、今は3羽がいつも近くの電線にとまっています。
朝方にやった餌が、あっという間になくなると、昼ごろに追加の餌をやることがあります。
すると、またどっとやってきます。
スズメたちは、今、住宅難のようなので、庭の木に、鳥の巣箱をいくつか作っておきました。
今の都会の家屋は、鳥が巣を作れるようなスペースがほとんどないので、住むところがないのです。
今、言葉の森の事務所の室内では、文鳥とオカメインコを飼っていますが、時々カゴから出してやると、喜んでその辺を飛び回り、あちこちでフンをします(笑)。
本当は、カゴの中で飼うよりも、自然に放してやり、スズメたちのように時々餌を食べにくるのがいいと思いますが、文鳥もオカメインコも、寒さには弱いので、日本の屋外で冬を越すのは難しいのです。
しかし、江戸時代には、野生の文鳥が群れをなしていたという記録があるようなので、適応することができるのかもしれません。
人間も、他の生き物たちも、同じ地球の住人です。
仲よく暮らすのがいちばんいいと思います。
ただし、距離を置くことが必要な場合もあります。
例えば、クマは人里近くに来ないような空間が必要でしょう。
カラスは、ゴミ箱をあさらないようなネットが必要でしょう。
野良犬は今はほとんどいませんが、野良猫は増えすぎないような対応が必要でしょう。
人と生き物の共存のひとつの見本は、奈良公園の鹿です。
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Bowing Deers of Nara, Japan
https://www.youtube.com/watch?v=tNYP6kl995s
【海外の反応】「世界196ヶ国で日本だけよ!」日本を象徴する光景が海外のSNSで2700万回再生された驚愕の理由とは?
https://www.youtube.com/watch?v=MWvfzdIdBpU
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実際には、鹿との共存によるトラブルも少しはあるはずですが、それを禁止というようなかたちを取らずに、共存を維持しているところが人間の知恵と工夫です。
私は、日本中のほかの公園にも、鹿を放し飼いにするといいと思っています。
鹿の放し飼いが難しい場合は、ニワトリやウズラの放し飼いでもいいでしょう。
すると、毎朝、子供たちが早起きをして、近くの公園に行き、ニワトリやウズラの産んだ玉子を持ち帰り、朝ご飯に使うのです。
そして、街路樹や公園の木は、実のなる木を植えます。
カキ、クリ、ギンナン、ヤマブドウ、シイノキなどが植えてあれば、やはり子供たちが朝早く起きて、近所の街路樹や公園から、いろいろ木の実を集めてくることができます。
そのうち、そういう経済特区ができるかもしれません(笑)。
子供たちのほとんどは、生き物が好きです。
だから、世の中に、子供たちが自然の生き物と接することのできる場所がたくさんあるといいと思います。
社会の仕組みを、大人の利便性を中心にした判断よりも、子供たちの楽しみを優先したものに作り直していくといいのです。
それが、これからの新しい世の中の方向になると思います。
おまけ。猿の温泉。
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Snow Monkeys of Jigokudani Monkey Park in Japan
https://www.youtube.com/watch?v=914CadWYUDM
====
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朝の舞岡公園
●動画:https://youtu.be/12mnAM19K8s
角田忠信さんの「
日本語人の脳」などですでに明らかになっていることですが、虫の声を左脳で聞くのは、日本人だけだそうです。(ポリネシア人もそうだということですが。)
それは、身体的にそうなっているようで、聞いた音が左脳に行くのか右脳に行くのかという神経の関門があり、そこで日本人は、自然の音を左脳で処理するようになっているのです。
だから、日本人以外、例えば欧米人は、秋の虫たちが草原で鳴いていても、それを不要な雑音として処理しているので、聴こえないということです。
角田さんが実際に海外の学者たちの研究会で経験したことですが、秋の草原の虫たちの声が、他の人たちにいくら説明しても聴こえないので、わざわざ録音して、室内で聴かせたら、やっと聴こえたということです。
自然の音を左脳で聞くのは、日本語の持つ母音中心の言語という特性から来ることで、その母音言語脳が育つのは、小学1年生から3年生にかけてだそうです。
だから、日本人以外の子供でも、小学1年生から3年生にかけて日本で暮らすと、日本語脳になるということです。
自然の音を左脳で処理するので、日本人は、勉強しているときに、風の音や波の音や虫の声や鳥の声が聞こえると、集中が妨げられます。
日本人は、静かなところでないと、集中して勉強ができないのです。
自然の音を左脳で処理する特性から、擬声語、擬態語が発達しました。
「雨がしとしとふっている」「風がビュービュー吹いている」「スズメがチュンチュン鳴いている」「オーシンツクツク」「ミンミンゼミ」「テッペンカケタカ、ホトトギス」などです。
だから、日本人は、自然界を人間界と同じように見なして暮らしています。
日本人にとっては、自然が人間のように語りかけてくるので、人間もまた自然に語りかけることができるように思うのです。
無農薬のリンゴを作った木村秋則さんの話ですが、何年も無農薬栽培がうまく行かず、次々に元気がなくなっていくリンゴの木に1本ずつ語りかけたそうです。
しかし、リンゴの木への語りかけを他人に聞かれると恥ずかしいので、隣の農園との境界あたりにあるリンゴには語りかけなかったそうです。
のちに、その境界近くにある語りかけることのできなかったリンゴだけは全部枯れてしまったということです。
====
【ゆっくり解説】「奇跡のリンゴ」木村秋則さんが語る不思議体験がヤバすぎるんだが…
====
日本には、言霊(ことだま)という文化があります。
言葉は、単なる音の振動ですから、実体はありません。
しかし、その単なる言葉が、現実の実体に働きかける力があるという考えです。
人間は、自分の感情や意識を直接コントロールすることはできません。
元気のないときに、元気を出そうと思っても、なかなか元気は出てきません。
しかし、そのときでも、言葉を出すことはできます。
外に出した言葉を媒介にして、自分の意識や世界の現実に働きかけることができます。
母音言語の日本語には、特にその力が強いのです。
例えば、元気のないときでも、「ありがとう。うれしい。」という言葉を何度も口に出して言っているとどうなるでしょうか。
最初は、ありがたくもうれしくもないので、言うこと自体に抵抗があります(笑)。言っていることが嘘だからです。
しかし、それを何度も言っているうちに、次第に、本当にありがたくてうれしいような気持ちに少しずつなってきます。
これは、日本語の特性を利用した自分自身をコントロールする方法です。
そして、自分をコントロールするとともに、やがて現実の実体もコントロールできるようになるのです。
それが、塩谷信男さんの大断言という考え方です。
====
正伝 塩谷式正心調息法
https://www.youtube.com/watch?v=B1pvuHSNvlw
====
子供たちは、今、勉強に苦労していると思います。
つまらない勉強と、煽られる競争の中で、ストレスを感じている子供たちは多いと思います。
そのときに、この言葉によるコントロールを生かすといいのです。
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メジロたち
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=ShY4IRxs3wo
国語読解力をつける方法は、実は単純です。
まず、小学校低中学年の場合は、読書を毎日することです。
目安は、学年の10倍ページで、小学5年生以上は毎日50ページ以上としておくといいと思います。
しかし、本を読む習慣のない子の場合は、10ページ以上でもいいです。
大事なことは、毎日読むことです。
小学1、2年生で、つっかえながら読む子には、保護者の読み聞かせを復活させることが大事です。
言葉は、目から入れるよりも、耳から入れる方が入りやすいからです。
そして、耳から入る文章語が増えてくると、目で読む力もついてきます。
「読み聞かせを続けていると自分で読まなくなる」という考えは逆です。
読み聞かせを続けることによって、自分で読む力がついてきます。
今は、読み上げ機能のあるソフトが使えるので、それを利用する方法もあります。
ただ、大事なことは、機械に任せっぱなしにするのではなく、親子で一緒にその読み上げ機能を使って本を読むというような使い方をすることです。
ちょうど、親子で一緒にテレビを見ているような感覚で使えば、人間的な触れ合いのある読み聞かせ機能の活用になります。
毎日本を読むという基礎力ができたら、次は、小学校高学年からは、問題集読書をすることです。
中学生、高校生の生徒も含めて、難しい文章を読めない人がかなりいます。
軽い物語文の本は、趣味の娯楽として読むのはもちろんいいのですが、それでは読む力はつきません。
説明文、意見文の難しい本を読む力をつけることが必要です。
「
ちくまプリマー新書」や「
岩波ジュニア新書」のリストを見て、自分の興味のある分野の本を読んでいくのです。
しかし、そこまでできない人でも、手軽に難しい文章を読む方法があります。それが、問題集読書です。
更に、その上の国語の勉強の仕方が、読解問題の理詰めの解説です。
この理詰めの解説ができるようになると、国語読解の成績は急に上がります。
しかし、子供本人による理詰めの解説だけでは、不十分なことがあります。
中学生でも、高校生でも、甘い解説で済ませてしまう人がかなり多いのです。
そこで、お母さんやお父さんに手伝ってもらいたいことがあります。
模擬試験のようなしっかりしたテストで、国語の読解問題のできなかったところを、親子で理詰めに分析するのです。
その分析の仕方の参考になるのが、「
小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」です。
この本は、「小学生のための」と書いてありますが、小学生が読むものではなく、保護者が読んで子供に教えるための本です。
中学生、高校生の生徒にも、もちろん使えます。
学校の国語読解のテストは、適当なところがあるので、理詰めの分析までする必要はありません。
言葉の森の読解検定の問題は、理詰めに解くように作られているので、読解検定の問題の間違えたところを分析するのに適しています。
この生徒ごとの理詰めの読解問題分析は、先生が行うには時間がかかりすぎるのでできません。
高校生の大学入試共通テストの分析では、生徒の1人について、1時間から2時間かかります。
一斉指導でやるような性格の分析ではなく、それぞれの生徒の読みの浅さを分析する必要があるので、時間がかかるのです。
出口さんの論理エンジンは、たぶん同じような方法で、読解問題の分析をしているのだと思います。
しかし、私が思うのは、読解問題の理詰めの分析以前の、読む力がまだ不十分な生徒が多いということです。
勉強の順序としては、(読み聞かせ)→毎日の読書→問題集読書→説明文・意見文の読書(難読)→読解問題の理詰めの分析となるのです。
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ヒヨドリ
頭のいい子はいます。
すると、親は、せっかくだから中学受験をさせようと思います。
その選択自体は、何も問題ありませんが、今の問題は学習塾が過度な詰め込み学習をさせることです。
その理由は、受験に勝つためには、詰め込みが必要だからです。
そこで、学習塾どうしで、詰め込み競争が行われるようになっているのです。
その結果、受験に合格した子の多くが、その後、勉強嫌いになります。
勉強嫌いとまではいかなくても、勉強に飽きるようになります。
大学入試までは仕方なく学校のテストに合わせる勉強をしていても、大学入学と同時に勉強を続けることへの興味を失ってしまうのです。
こういう勉強の詰め込み過ぎによる弊害は、まだあまり表には出ていません。
しかし、いずれいろいろな事例が出てくると思います。
なぜ中高一貫校がいいかというと、中高の一貫教育によって、1年間の先取りができるからです。
高校2年生までに高校3年生までの勉強を全部終えておけば、最後の1年間は受験勉強に特化した勉強を行うことができます。
公立高校では、例えば歴史の授業で、高3の終わりになってもまだ現代史に入らないという場合もあります。
だから、中高一貫校の方が有利なのですが、その受験のための犠牲もまた大きいのです。
本当は、公立中高一貫校をもっと増やせばいいのですが、そういう政治のリーダーシップはありません。
ところで、今、大学入試は、総合選抜の方向に大きく舵を切っています。
それは、ペーパーテストによる1点差の選抜では、問題が多いことがわかってきたからです。
成績のいい子の中に、成績だけがよくて意欲や個性のない子が多くなってきたからです。
子供の教育のゴールは、大学に入ることではなく、その後の社会生活で自分らしく生きていくことです。
昔は、大学を卒業すれば、子供はみんな自分なりに考えて社会に巣立っていきました。
だから、大学入学がゴールでも、特に問題はなかったのです。
しかし、今は、そうならない子が増えています。
大学入学がゴールで終わってしまう子です。
その根本の原因は、小学生のころから「やらされる」勉強に適応しすぎて、自分らしく生きることを忘れてしまったことにあります。
競争に煽られると、誰でもその競争の勝ち負けに目が行きます。
しかし、保護者の方は、目先の競争に流されず、子供の将来の成長を考えて大きな判断をしていく必要があると思います。
下記に引用するYouTubeは、ホリエモンの一見過激そうなタイトルですが、今の学校教育の問題点をよく表しています。
そして、大事なことは、「夢を持つことだ」という話です。
====
「学校に行くのは「百害あって一利なし」という想いを強くしたのでお話しします」堀江貴文 ホリエモン
https://www.youtube.com/watch?v=DvgaixQ7YQc
====
教育は、子供に知識を詰め込む教育から、子供に夢を持たせる教育に変わらなければなりません。
では、具体的にどうしたらいいかというと、私は、創造発表クラスで自分の好きなことを研究し、発表し、友達と対話する時間を作るのがいいと思います。
15歳ぐらいまでにひらめいた自分の好きなことは、将来、自分の仕事に結びつく可能性があります。
同じ意味で、15歳ぐらいまでに読んだ伝記は、自分の人生の方向を決めることがあります。
しかし、今、子供たちの「好きなこと」は、既に社会の枠にはめられたことが多いのです。
サッカーが好きだとか、野球が好きだとか、バスケットボールが好きだとか、テニスが好きだとか、ピアノが好きだとか、バレエが好きだとか、算数が好きだとか、英語が好きだとかいうのは、それはそれでもちろんいいのです。
そういう趣味は、人生を豊かにします。
しかし、それは、既に社会から枠組みを提供された「好き」です。
それは、一部の例外を除いて、将来の自分の仕事にもなりませんし、人生の主要な一部にもなりません。
子供のころ好きだった懐かしい思い出という範囲の好きなことなのです。
これからの社会は、すべての人が、自分の好きなことをして生きていく社会になります。
しかし、今の大人の多くは、自分の好きなことがわかりません。
それは、与えられた枠組みの中で生きることに適応することが必要な時代を生きてきたからです。
これからの子供たちの教育を考える場合、第一に優先するのは、子供の好きなことを育てることです。
第二は、今の社会に必要な勉強や社会生活のルールを身につけることです。
この順序を逆にしないことが大事です。
もちろん、受験勉強のときは、勉強第一でいいのですが、大きな方向として、好きなことを育てるということをいつも念頭に置いておく必要があります。
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ミカン
https://www.youtube.com/watch?v=HNvW6K4C-7k
言葉の森が、森リンという自動採点ソフトを開発し、国際特許を取ったのは、私が、文章の自動採点というものについて危機感を感じたことがあったからです。
当時、E-raterという自動採点ソフトが、アメリカで開発されているという情報が入りました。
アメリカは、当然、そのソフトがうまく行けば、世界中に広げようと思うはずです。
言語が異なっても、理論的な仕組みは同じはずだからです。
そのとき、私は、日本の一太郎というワープロソフトが、アメリカのワードというワープロソフトに駆逐された歴史を思い浮かべたのです。
当時のワードは、ひどいソフトでした。日本語ではありえないような欠陥がありました。
しかし、日本語に十分な対応ができていないにも関わらず、ワード+エクセル+アクセスという統合環境で、結局ワードが日本のワープロソフト市場の勝者になったのです。
ワープロソフトなら、まだ仕方がありません。
しかし、教育の内容に関するところまでアメリカのソフトが入ってくれば、例えば、歴史の教育などは大きく歪められます。
日本は、日本独自のソフトを開発しなければならないと思ったのです。
幸い、言葉の森が開発した森リンは、アメリカのE-raterと同等の成果を出しました。だから、すぐに特許を取りました。
しかも、アメリカのソフト開発が、多数の開発メンバーを要し、膨大な資金を投入したのに比べて、こちらは、自分1人で費用は数千円(プリント代だけ)、基本的な設計ができるのに1ヶ月もかかりませんでした。
頭の中身が違うのです。
ところで、今、言葉の森が取り組んでいるのは、新しいオンライン教育です。
現在、日本にあるオンライン教育は、ほとんどすべてリアル教育の劣化コピーです。
そういうオンライン教育がいくつあっても、世の中はよくなりません。
言葉の森が行っているオンライン教育は、対面式オンライン教育と言ってもいいと思いますが、子供たちの発表と対話を生かした創造的なオンライン教育です。
しかし、その教育のよさが、まだ多くの人に伝わっていないと思います。
いずれ、アメリカと中国が、言葉の森が行っているような対面式のオンライン教育を開発すると思います。
アメリカも、中国も、土地が広いので、オンライン教育のニーズは日本よりもずっとあるからです。
それに対して、日本は人口密度が高いので、よほど辺鄙なところでなければ、すべて通学の教育で間に合います。
しかし、これからの世の中の流れは、必ずオンラインにシフトします。
すでに、日常生活の品物を注文するのに、歩いて数分で行けるリアルな店舗を利用するよりも、パソコンでアマゾンや楽天に注文するようなことが増えています。
コロナ禍のあとに広がったリモートワークは、それまで通勤で出社していた社員にとっては朗報でした。
自宅で仕事ができるのであれば、時間的にも精神的にもそれに越したことはありません。
今、リモートワークからオフィスワークへの揺り戻しが生まれていますが、いったん成立したリモートワークは、これから少しずつ定着していくと思います。
オンライン教育についても、同様です。
特に、言葉の森のオンライン教育は、対面式の少人数クラスのオンライン教育ですから、リアル教育よりも効果の高い、しかも面白い授業ができます。
やがて、アメリカや中国も、言葉の森のような少人数のオンライン教育を始めると思います。
そのときに、日本の側に、先に進んだオンライン教育がなければ、アメリカや中国のペースで進めるオンライン教育が日本にも広がる可能性があるのです。
教育には、国や民族や言語を超えた普遍性があります。
特に、理数系の教育はそうです。
だから、私は危機感を持っているのです。
日本の教育は、日本人が行う必要があります。
アメリカや中国に日本の教育を任せることはできません。
こういう危機感を持っているのは、たぶん私しかいないと思いますが。
言葉の森の目標は、今運営している日本のオンライン教育を広げることです。
この理念に賛同してくだる方は、ぜひ言葉の森のオンライン教育をほかの人にも伝えてください。
これは、日本の未来の教育を考えた目標なのです。
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工業製品に関しては国境がなくていいのですが、教育や文化に関しては、日本は日本の国境を守っていく必要があります。
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https://youtu.be/Pv4J_5MBF7c
中学生や高校生になるにつれて成績を上げる子がいます。
一方、小学生時代はよくできたのに、中学生、高校生になるにつれて成績が下がる子がいます。
その違いは、読書力の差です。
勉強の密度は、小学校低学年のころよりも高学年の方がずっと高いので、小学校低学年のときによくできなかった子でも、高学年になってやる気になればすぐに逆転できます。
わかりやすく言えば、小学1年生のときに1時間かけて身につけたことも、小学6年生で取り組めば10分でできるというようなことです。
なぜ、このような違いがあるかというと、小学1年生までの読書量と、小学6年生までの読書量が違うからです。
つまり、読書量があれば、それだけ理解する力や考える力が伸びているので、短時間で新しいことも身につけることができるのです。
それが、中学、高校での勉強にも続きます。
例えば、数学の問題の解法であっても、読書力のある子は、自分なりに理解しようとします。そして、理解できます。
読書力のない子は、数学の解法が少しややこしくなると、「難しいから、よくわからない」となるのです。
そして、勉強がわかりにくくなるから、勉強に対する意欲が低下します。
意欲が低下すると、成績も下がるので、更に勉強に対する意欲が低下します。
こうして、中学生や高校生の学年が上がるにつれて、成績が下がる生徒と、逆に学年が上がるにつれて成績が上がる生徒の差が生まれてくるのです。
親も、先生も、その根底に読書力があるのだとは気づいていません。
勉強の面だけで頑張らせようとします。
勉強の面だけ頑張って成績を上げることができるのは、小学校低中学年までの話なのです。
ところで、国語力という言葉は、範囲が広くなりすぎます。
漢字の書き取りや、国語の文法や、古文や漢文は、本当の国語力ではありません。
本当の国語力とは、読解力のことです。
その読解力の基礎になるのが、読書力と難読力です。
難しい説明文、意見文を読む力が難読力です。
その難読力の土台になっているのが、易しい本の読書も含めた読書量です。
小学1、2年生で、字の多い本をすらすら音読できる子は、学力の土台はひとまず安心です。
小学1、2年生で、つっかえながら本を読む子は、今は成績がよくても、あとで伸び悩みます。
将来の学力の差は、小学1、2年生のころに、すでについています。
また、中学生になっても物語文の本しか読まない子と、説明文、意見文の本も読める子との差も、同じように高校生以降の学力の差として表れてきます。
読書と成績の関係をうまく説明していた記事がありました。
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なぜ文系も理系も「東大現役合格」は現代文が得意なのか…教え子の偏差値を劇的に伸ばした「R80メソッド」とは
https://president.jp/articles/-/76476
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東大に行くような子は、それが理系であれ文系であれ、現代文がよくできているということです。
言葉の森の、中学生以降の意見文は、R80の80文字の文章と同じように、論理的に1200字の文章を書く練習です。
この練習をしていれば、読解力だけでなく記述力も身につきます。
ただし、そのためには、事前の予習メモを考えておくことが必要です。
たまに、振替授業を受ける作文個別の生徒で、先生が、「今日はどんなことを書くの」と聞いても、「まだ決まっていません」とか「まだ長文を読んでいません」という子がいます。
先生の解説を聞けば、その場で書くこともできますが、こういう生徒は考える力はつきません。
事前に課題を見て、自分なりにどう書くか考えておくことが勉強の前提です。
作文クラスの場合は、予習メモの発表の時間があるので、考えずに参加する生徒はまずいません。
この点でも、作文個別よりも作文クラスの方が、勉強がはかどるのです。
マンツーマンの指導が生きるのは、生徒が受験直前などで、やる気が十分にある場合か、受験直前でなくても毎週真面目に書くことを準備している生徒だけです。
子供たちの学力の土台は、読書力です。
これまでのペーパーテスト中心の入試では、読書力がなくても知識の勉強だけで、それなりの大学に合格することもできました。
しかし、そういう生徒は、大学に合格したころまでが学力のピークで、あとはその学力を使い減らすだけになります。
大学の合格後も、学力を伸ばすことができるのは、読書力のある生徒です。
読書力が学力の土台です。
作文力は、学力の集大成です。
作文の中には、あらゆる要素が入ってきます。
中学生の作文課題にあるデータ実例や、高校生の作文課題にある自然科学実例は、文章を書く力以外の予備知識を用意しなければ書けません。
将来、社会に出てからの文章力で必要になるのは、こういう総合的な作文力です。
小学4年生のころまでの生活作文の作文力から先に進むためには、読書のレベルを上げ、考える力を伸ばす必要があるのです。
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「なぜ文系も理系も「東大現役合格」は現代文が得意なのか」という記事ですが、別に東大現役合格でなくていいのです。
読書力のある子は、大学入学後も学力が伸び続けます。
読書をしない子は、大学入学の時点が学力のピークになります。
本当の学力は、最終学歴ではわかりません。
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