■新年度からの改訂版が2月に出る教材は、次のものです。
ウィンパス国語(小1)
ウィンパス算数(小1)
ウィンパス英語(小4)
プログレス国語(高3)
上記の改訂版以外のものは、1月から注文できます。
■数学と英語は、発展新演習から標準新演習に
中学生の発展新演習数学(中123)は、新年度から標準新演習にします。
同じく、中学生の発展新演習英語(中123)も、標準新演習にします。
ただし、発展新演習を希望する人は購入できます。
国語は、引き続き発展新演習(中123)でやっていきます。
数学と英語の標準新演習は、1冊の問題集を100%できるようにしていきます。
▼教材注文のページ
https://www.mori7.com/teraon/jgkyouzai.php
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タンポポモドキ?
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=fWrZXkbKlu4
面白いタイトルの記事があったので読んでみました。
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なぜ頭のいい人ほど語彙力が豊かなのか…言語哲学者が説く「語彙力のある人・ない人」の見えている世界の差
https://president.jp/articles/-/76535
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筆者は、山口周(やまぐちしゅう)さんですから、面白いことは面白いのですが、前半は、ソシュールがどうしたというような専門的なことばかりなので、読んでいて退屈すると思います。
ただ、結びの「多くの言葉を知っていればより精密な世界が見える」は、そのとおりだと思いました。
一方、次のブログ記事も参考になります。
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【気をつけて】よく喋るのに語彙力がない子の見つけ方
https://www.matsuejuku.com/entry/2023/12/29/%E3%80%90%E6%B0%97%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%A6%E3%80%91%E3%82%88%E3%81%8F%E5%96%8B%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AB%E8%AA%9E%E5%BD%99%E5%8A%9B%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%AE%E8%A6%8B
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これは、よく喋る子は、考えがないからよく喋れる、という話です。
例えば、小さい子は、ひっきりなしにいろいろなことを喋ります。
考えていないから、いくらでも言葉が口から出てくるのです。
これは、実は語彙力の問題です。
浅い語彙は豊富にあるのですが、深い語彙はありません。
だから、浅い語彙でいくらでも言葉が出てきます。
しかし、ここが難しいところですが、深い語彙を使っているように見えても、表面的にしか考えていない人もいます。
それは、使われている語彙が、教科書とか問題集のレベルで習得されたもので、実感を伴った身体的な語彙として身についていないからです。
では、考える語彙を身につけるために、どうしたらいいかというと、第一は、1冊の難しい本を読み通すことです。
1冊の本には、その本なりの世界観があります。
その世界観の中で読んだ語彙は、実感を伴う語彙になります。
だから、中学生以上の生徒には、説明文の難読が必要なのです。
世の中には、手軽に語彙力をつけることをうたっている本もあります。
かなり昔、「述語集」という難しい語彙だけを集めた本がありました。
今でも、似たような本はあります。
「語彙力が身につく本」のようなハウツーものの本は、知識としての語彙は増えても、考える力のもとになる語彙は増えません。
大事なのは、語彙力をつける本を読むことではなく、語彙力が必要な本を読むことなのです。
語彙力をつけるための、難読以外のもうひとつの方法は、繰り返し読むことです。
繰り返し読むことによって、その語彙が実感を伴った生きた語彙になります。
例えば、おじいちゃんやおばあちゃんが繰り返し言うことわざを聞いて育った子にとっては、そのことわざが実感のある語彙になります。
これは、ことわざ辞典などで覚えたものとは違う、身体化されたことわざです。
日本の素読教育は、語彙を身体化するための勉強でした。
だから、貝原益軒は、「百字の文章を百回読む」と言いました。(「和俗童子訓」)
言葉の森の暗唱の勉強も、100回読むような勉強です。
この繰り返し読む言葉が、その子の考え方や感じ方のバックボーンになります。
言葉の森の問題集読書も、繰り返し読む勉強法です。
1冊の問題集を、少なくとも5回は読む必要があります。
多くの人は、いろいろな問題集を1回ずつ読むような勉強法を好みます。
しかし、それでは表面的な語彙の知識しか身につきません。
1冊を繰り返し読むことが大事なのです。
では、語彙が豊かになると、どうなるかというと、物事が高精細で見えるようになるのです。
高精細でも、低精細でも、同じものを見ているので、表面的には何も変わらないように見えます。
しかし、高精細で見る人は、物事の本質がより深く見えるようになります。
年をとった人は、若い人よりも、考えが深いというのはよく感じることです。
たとえ、若い人の方が学歴が高くても、本質を見る目は、年をとった人の方が鋭いことが多いのです。
それは、なぜかというと、言葉を見聞きした繰り返しの回数が、若い人よりもずっと多いからです。
だから、年をとった人の方が、世の中を高精細に見られるのです。
若い人は、難読と復読によって、物事を高精細に見る力を育てていく必要があります。
これは、成績を上げるための勉強とは少し違った、もうひとつの新しい大切な勉強です。
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語彙力をつける本などを読んでも語彙力はつきません。
大事なのは、語彙力が必要な本を読むことです。
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スズメの集団
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=uD-Mm6EJsZ4
オンライン少人数クラスは、言葉の森が行っている授業の形態です。
ただし、この場合の少人数とは5人以内の人数のことです。
このオンライン少人数クラスの教育が広がれば、今の教育問題のすべては解決します。
これで解決できない問題は、教育以外の問題です。
教育の問題とは、例えば、落ちこぼれ、吹きこぼれ、不登校、知識中心の詰め込み教育などの問題です。
オンライン少人数クラスの教育は、小規模の教育機関ではできません。
同学年同レベルの生徒を5人以内の単位で集めることができないからです。
しかし、オンライン少人数クラスの教育は、大規模の教育機関でもできません。
それは、講師の臨時の休講や、生徒の臨時の振替出席に対応することが難しいからです。
ここが、少人数クラスの教育が、集団一斉指導の教育とも、一対一の個別指導の教育とも違うところです。
教育でこれから重要になるのは、生徒が先生に一方的に教えてもらうことではありません。
知識の吸収は、先生に教えてもらわなくても自分でできるようになっているからです。
大事なのは、生徒自身が創造的に発表することと、生徒どうしが相互に対話をし交流することです。
これを私はコミュニティ教育と呼んでいます。
このコミュニティの中で、知識的な学力だけでなく、思考力、創造力、共感力を育てていくことが、これからの教育の重点になります。
ところで、言葉の森がオンライン少人数クラスの教育を本格的に始めたのは、2020年のコロナ禍のときからです。
言葉の森は、作文の個別指導の教育に関しては、40年以上の実績があります。
だから、小学1年生から高校3年生まで、苦手な子から得意な子まで、どんな生徒にも対応できます。
しかし、オンライン少人数クラスによる教育に関しては、本格的に始めてから3年なので、運営の仕方にいろいろな改良が必要でした。
ここに来て、ようやく運営の仕方が定着してきたところです。
オンライン少人数クラスの教育は、国語、算数数学、英語などの学校で必要な教科を教えるだけではありません。
創造的な学習である、作文、創造発表、プログラミングにも力を入れています。
教科の学習は、よい参考書や問題集をもとにすれば、家庭でひとり勉強を進めることもできます。
しかし、ひとりではできないこともあります。
小4から中2にかけては、友達と一緒に勉強する方が、意欲的に取り組むことができ勉強の能率が上がります。
また、日本人の弱点になりがちな、人前で発表する力も、このオンライン少人数クラスで身につけることができます。
発表力は、学校の成績とは直接結びつかないので、この価値を気づいていない保護者も多いのですが、これからの総合選抜型の入試では、この発表力が合否を左右する力があります。
教科の学習と異なり、作文、創造発表、プログラミングなどは、学年に関係なく、ほかの生徒との交流の中で学ぶ方が意欲的に取り組めます。
ただし、そのためには、同学年同レベルの生徒のクラスが必要になるので、ここが運営の難しいところです。
しかし、ここに来て、その見通しがついてきました。
さて、オンライン少人数クラスがなぜ現在の教育問題を解決するかというと、落ちこぼれにしても、吹きこぼれにしても、同学年同レベルの少人数の生徒で少人数クラスを作ることで対応できるからです。
子供たちの個性によるロングテールは、通学教室ではカバーできません。
オンラインの教室であれば、ロングテールに対応できます。
しかし、そのためには、少人数のクラスを維持することが必要です。
このオンライン少人数クラスの教育を全国的に広げていくことが、今後の日本の教育の課題です。
言葉の森は、その最先端のリーダーとしてこれからの教育に取り組んでいきたいと思います。
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クロガネモチ(「苦労がなく金持ち」に通じることで縁起のよい木として人気がある)
●動画:https://youtu.be/i8oxoAyk26o
探究学習は、すでに高校でおこなわれていますが、小中学校でも、そういう取り組みが行われつつあります。
====
全国初、午後の授業は「探究」に 来年度から渋谷区の全小中学校
https://www.kyobun.co.jp/article/2023122701
(ログインが必要なので、途中までしか見られません。)
====
これまでは、知識の詰め込みとテストによる競争の学習が中心でしたが、これからは、生徒が自主的に自分の興味のあることを探求する新しい学習に、重点が移りつつあるのです。
知識の詰め込みになぜ問題があるかというと、第一は、その知識の中に、子供たちが将来社会に出て仕事をするときに、役に立ちそうもないものがあまりにも多いからです。
日本語の学習と数学の学習は、習得にある程度時間がかかるので、学校教育の時代に行われることが必要ですが、それ以外の知識は、必要になったときに調べれば間に合うようなことばかりです。
知識の詰め込みの第二の問題は、その勉強の多くが退屈なものだからです。
その退屈さを補うために、テストによる競争や、義務化された宿題があります。
それに対して、探究学習は、子供たちが自分の興味の持てることを、自分から進んで研究し発表する学習です。
義務化された勉強は、ノルマを果たしたらそれ以上やろうとする子はいませんが、自分から進んでやる勉強は、時に、時間の立つのも忘れて熱中することがあります。
子供たちの頭がどこでよくなるかというと、嫌なことをしぶしぶやるときではなく、好きなことを喜んでやるときです。
探究学習が、高校だけでなく、小中学校でも行われるのは、子供たちの成長にとってよいことです。
しかし、今の学校教育における探究学習には、ひとつの弱点があります。
それは、1クラス40人程度の人数で授業が行われるために、グループでテーマを決めて研究することと、発表の機会が学期に1回とか年に数回とかいうふうに限られてしまうことです。
グループで話し合って、ひとつのテーマを参加者が分担して研究するというのは、子供たちの協力という点ではいいことかもしれません。
しかし、本当は、一人ひとりが、自由に自分の好きなことを研究し発表できる方がいいのです。
探究学習が真に効果のあるものになるためには、参加者が同レベルの少人数である必要があります。
40人学級のような大人数では、効果的な探究学習はできません。
しかし、ひとりで自由に研究するだけでは、張り合いがありません。
5人以内という少人数で、各人の自由な研究と、仲間との発表と交流の機会があることが必要です。
しかも、5人の仲間が同じぐらいの年齢で、同じぐらいのレベルである必要があります。
こういう条件は、リアルな通学式の教室では、例外的にしか作れません。
だから、探究学習は、オンラインの5人以内の少人数クラスで行う必要があるのです。
それが、言葉の森の創造発表クラスです。
創造発表クラスの学習で、今、考えているのは、ChatGPTを活用して研究を深掘りすることです。
小学生の創造発表の授業では、それぞれの生徒の興味に基づいた独創的な発表もありますが、自由研究の本などを参考にして、本に書いてあるとおりのことができたという発表もあります。
もちろん、本のとおりにできたというのは、それで十分によいことです。
しかし、そこに、もうひとひねり自分らしい研究や発表が加われば、更に個性的な研究発表になります。
それを、保護者の方が手助けしてあげればいいのですが、保護者も忙しいので、なかなか子供の自由研究に関わることができません。
しかし、ChatGPTに、自分が行った研究に関して、どんな発展的なことができるかを聞けば、ChatGPTは、聞き方によっていろいろなアドバイスを教えてくれます。
それを参考にして、自分の研究を発展させていけばいいのです。
ChatGPTのアカウントを作るにはメールアドレスが必要ですから、子供が自分でアカウントを作るには、一般に13歳になるまで待つ必要があります。
逆に言えば、中学1年生になれば、誰でもChatGPTのアカウントを作れます。
それで、自分の研究を深掘りして、更に個性的な研究にすることができます。
ChatGPTは、作文の勉強にも使えます。
自分が書く作文の中に、社会的な実例を入れたいと思えば、ChatGPTに聞いてみるといいのです。
社会実例は、検索サービスで探すとなると時間がかかって大変ですが、ChatGPTなら、聞き方によっていろいろな材料を提供してくれます。
知識中心の勉強は、教科書を暗記して、問題集を繰り返し解くことが勉強の方法でしたが、創造的な勉強は、ChatGPTなどのAGI(汎用人工知能)の助けを借りて、学習を深掘りしていくことが勉強の方法になります。
1月からの創造発表クラスは、中学生以上の生徒も募集しますので、面白い勉強をしたいという人はぜひ参加してください。
小学生の人の場合も、お父さんやお母さんが、ChatGPTを利用して子供の研究の相談に乗るようなかたちで研究を深めていくといいと思います。
創造発表クラスで、「日本の伝統食『蒲鉾(かまぼこ)』を見直そう」の研究発表をしてくれた中学2年生Nさんの作品の一部を紹介します。
ここで研究したことは、テスト前に参考書の一部を一夜漬けで暗記する勉強と違い、自分の中に確実に残る知識になると思います。
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フキノトウ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=S6ZmVFWoy7U
志望理由書の書き方は、これまでに何度も書いているので、多くの人が知っていると思いましたが、そうでもないようです。
小学生でも、中学生でも、生徒本人に任せると、内容が薄くなります。
お父さんやお母さんなどの人生経験のある人が見てあげて、その子の個性が出るように書くことが大事です。
読書感想文は、感想ではなく実例を書くということを言っていますが、それと同じように、志望理由書は、理由を書くのではなく実績を書くことが大事です。
理由は、誰が書いても同じになります。
その理由の裏付けとして自分の実績を書くのです。
実績は、できるだけ数字や固有名詞などのデータがあるものにします。
志望理由書は、手書きで書きますが、手書きで直接書くと字数の調整ができません。
下書きは、パソコンで、生徒が普通に書く文字の大きさで1行何文字になるかを数え、最後の行までぴったりに埋まるように調整します。
1行少ないのも、行をはみ出るのもよくありません。
最後の行の最後のマスあたりに、句点の「。」が来るように書くのが理想です。
実は、高校生の場合でも、志望理由書を本人に任せてしまうのはよくありません。
親が客観的な立場で見てあげることが必要です。
学校によっては、志望理由書を何枚も書かせるところがあります。
その場合は、志望理由書の内容でほぼ合否が決まっていると思います。
ただ、志望理由書は表現の工夫でうまく書けるわけではありません。
最も大事なのは、アピールするだけの具体的な実績があることです。
その実績は、学校の勉強以外のもので、知的なものであることです。
読書感想文とか自由研究などで、賞を取ったようなものあるといいと思います。
また、長い間続けたというのも実績になります。
リーダーの役割を担ったというのも、価値ある実績です。
お父さんやお母さんが、子供のそういう実績を探してそれを志望理由書に盛り込むようにするといいと思います。
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自転車にとまったシジュウカラ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=3PO7Ol8tlAY
先日、高校生の生徒から、「会話の書き出しってよくないんですか」と質問されました。
朝日新聞の「炎の作文塾」というコラムで、「会話文から始めないで」という記事があったそうです。
その記事では、「文章講座の講師の中に、『文章は会話文から始めなさい』と教える人がいるらしい。そういう講師を信用してはいけない。」「会話文で始めると、独りよがりの文章になりがちだ。文章によほど習熟してくれば別だが、会話文で始めるのは、やめた方がいい。」「○○さんはヘンな講師に習ったのだろうか。」などと書いてあったそうです。
思わず、
本多勝一氏の「中学生の作文技術」を連想してしまいました。(笑)
こういう記事を書く人の視野の狭さは、読み手にも伝染するようで、このようなコラムを読んでいるとつい、「○○をしてはいけない」「○○しかない」という発想をしてしまいがちです。
文章でいちばん大事なものは中身です。表現は、中身をスムーズに伝えるためにあります。
私がこれまでに読んだ本で最も難しかったものは、ヘーゲルの「精神現象学」と「大論理学」でした。
それは、訳者の訳し方にもよりますが、すべて文末が「である。」で終わっていました。しかも、それぞれの一文が長く、「……である。……である。……である。」という感じで延々と最後まで書かれていました。
しかし、中身があるので、その文末の単調さは決して欠点のようには見えませんでした。表現よりも中身が大事という考え方の見本がここにあります。
ですから、本当は、書き出しの工夫は二次的なことなのです。しかし、もし同じ中身の文章があった場合、読みやすい面白い表現と単調で堅苦しい表現とでは、もちろん読みやすく面白い方に価値があります。
特に、現代のように、多くの人が文章を書く時代では、表現の工夫は文章の重要な要素となります。
表現の工夫の一つとして、書き出しの工夫があります。
私が、書き出しの工夫として参考としたいと思っているものに、團伊玖磨(だんいくま)氏のエッセイがあります。「九つの空」(朝日新聞社)からいくつか引用してみると、こういう書き出しです。
「燃えるような夕焼けが空と海を一杯にしていた。今しも水平線に沈む太陽を右に、船は南へ南へと進んでいた。」
「黄昏(たそがれ)の銀座通りには、一日の勤めを終った人の波が流れていた。夏の残照が、僅かに暮れ残っている天頂近くの数片の鰯雲を紅に染めていて……」
「夏だと言うのに何処迄も続く鉛色の空を、十五世紀に出来た古い大学の塔が黒い針のように突き刺していて、その針の先だけが……」
エッセイなのでこういう工夫がしやすいとも言えますが、実は小論文でもこのような書き出しをすることができるのです。
高校生に書き出しの工夫を説明すると、実力のある生徒は、内容もあり書き出しの表現も工夫した文章を書いてきます。中身と表現を兼ね備えた文章を書くことが小論文指導の一つの目標です。
しかし、書き出しの工夫には、書きにくいものと書きやすいものとがあります。情景の書き出しなどは、比較的書きにくい書き出しです。情景の書き出しがしにくい場合は、会話の書き出しなどで書きやすく工夫することがあります。
ところが、表現の工夫には両刃の剣の面があり、ありきたりの工夫では、かえってしない方がいい場合も出てきます。会話の書き出しなどは、特にありきたりになりやすいので、かえって工夫が逆効果になることもあります。
そこで、その工夫を批判するのは批評家です。教育の観点からは、不充分な工夫であってもその将来の可能性を生かす方向に指導していくのが正しいやり方です。
今、小中学生で会話の書き出しを練習している人は、この工夫が終点ではなく、今後の工夫の準備であると考えて練習していってください。
(2006年2月2週号の言葉の森新聞をもとに加筆修正)
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ヤマバトが餌台で餌を食べているので、仕方なく地面で餌を食べているスズメたち(笑)
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=7ADLUJJQgec
言葉の森では、作文の構成を立体的にするために、自分の今の話だけでなく、次の段落で自分の昔の話や、自分とは違う別の人の話や、調べたデータの話などを入れるような指導をしています。
作文の構成を立体的にするために、最もいいのは、保護者への取材です。
場合によっては、おじいちゃん、おばあちゃんへの取材もあります。
例えば、「がんばったこと」という題名で書くとしたら、お母さんやお父さんに、「子供のころ、がんばった思い出はある」と聞くのです。
ここで、お母さんやお父さんが、子供時代の面白い失敗談などを話します(笑)。
すると、子供は喜んでその話を聞きます。
子供は、日常的に大人と話をする機会があまりありません。
友達と話すときと比べて、お母さんやお父さんと話をすると、語彙が自然に増えます。
大人と話すことによって語彙が増えると、感想を書く部分が充実してくるのです。
子供の作文でよくある結び方は、「とても楽しかったです。またやってみたいと思います。」というようなパターン化された書き方です。
なぜ、こういうありきたりな感想を書くかというと、感想を書くための語彙がないからです。
親子の会話が増えると、この感想の部分が長く書けるようになります。
中学入試の作文でも、差がつくのは感想の部分です。
体験実例は、誰でもそれなりに書けます。
しかし、感想の部分は、抽象的な語彙を使う力がなければ、「とても楽しかったです」のような書き方になってしまいます。
ところで、お母さんやお父さんがすごくいい話をしてあげたのに、子供はそれを聞いただけで、作文の中に書かないことがあります。
それは、その話を子供が消化し切れていないからです。
しかし、それは子供の心の中に確実に残っています。
だから、話を聞いただけで十分なのです。
この親子の対話が、作文教育の最も重要なところです。
小学5、6年生は、感想文の課題が、中学入試の説明文のレベルの文章になります。
「読書とは」「勉強とは」「遊びとは」「多様性とは」「日本の文化とは」というような抽象的なテーマになるのです。
こういうテーマで親子が対話できることは、子供にとって貴重な経験になります。
本当は、中学生、高校生になっても、親子の対話が続けばいいのですが、中学生は自立する時期なので、親との対話を避ける子も出てきます。
だから、中学生、高校生は、データ実例として、ネットなどを検索して探した似た話を組み合わせて構成を立体てきにしていくといいのですが、検索は時間がかかります。
そこで、今考えているのは、ChatGPTと対話をして、構成を立体的にすることです。
Gmailは、13歳からは自分のアドレスが作れます。
すると、そのアドレスで、ChatGPTのアカウントが作れます。
自分の体験実例だけで物足りないときは、お母さんやお父さんに似た話を聞くか、ChatGPTに似た話を聞くようにするといいのです。
たぶん、近い将来、勉強に関する質問は、AGI(汎用人工知能)でカバーできるようになります。
先生に相談したり質問したりするよりも、AGIに相談したり質問したりするようになります。
すると、大事なことは、結局、本人の個性と創造性になります。
知識のベースは、だれも同じになります。
個性と創造性のもとになるものは、身体的なところに根ざした知識と経験です。
身体的な知識の代表的なものは、読書と作文と数学と歴史(特に日本史)です。
身体的な経験は、個性と挑戦と感動と共感です。
作文の勉強を通して、どの子も豊かな教養を身につけていくといいと思います。
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ジャーマンダー セージ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=MDdTFAalCKw
野口悠紀雄さんの「
『超』創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?」という本を読みました。
この中で、野口さんは、キーワード文章法という文章の書き方を説明しています。
これは、キーワードをいくつか書き、とりあえずそのキーワードをもとにChatGPTに文章を作ってもらい、そのあと、それを参考にして自分で文章を書くというような方法です。
(詳しくは、本書の112ページをごらんください。)
私が、この話を読んで、最初に感じたのは、「野口さんのような文章を書くプロでも、最初のきっかけを作るのが大変なのだなあ」ということでした。
野口さんは、このきっかけ作りが難しいという理由を「慣性の法則」と呼んでいます。
作文を書くというのは、実は、最初の書き出しを始めるところがいちばんエネルギーを必要とするところです。
書き始めれば、次々に文章が続いていきますが、最初の書き出しのところで、慣性の法則を破るだけの力が必要になるのです。
(高校の物理で学びますが、静止摩擦力は運動摩擦力よりも一般に大きいということです。)
作文クラスの場合は、みんなが一斉に書き出すので、この慣性の法則を打ち破りやすいところがあります。
通信教育で、自宅で自分ひとりで勉強する場合は、この最初のきっかけがなかなか作れません。
慣性の法則は、家庭学習にもあてはまります。
勉強は、他人に教えてもらうよりも、自分ひとりでやる方がずっと能率がいいのですが、自宅で自分ひとりでやるときの最初のきっかけ作りが難しいのです。
そこで、受験生などは、よく図書館に行って、そこで勉強を始めるということをします。
予備校の自習室に行って勉強するということもあります。
「勉強を始める」ということには大きなエネルギーが必要としますが、「行く」ということには、エネルギーを必要としません。
「行く」がきっかけになり、いざ図書館や自習室に着いてみると、その流れで「勉強する」も無理なく始められるのです。
言葉の森では、このきっかけ作りのために、昔、自習室を作りました。
現在、1日に2、3人が自習室を利用していますが、参加者が多い方がきっかけ作りには役立ちます。
自習室に入るには、「何時から、何を始めて何時までやる」という記録のページがあります。
この記録が蓄積できると、自分の勉強の経過が残ります。
経過が残るということ自体が、勉強を続けるきっかけになります。
冬休みは、自由時間が多いので、つい惰性的に過ごしがちです。
自習室は、朝から晩まで、土日も含めていつでも開いています。
学校に行くときと同じように、朝起きて8時になったら自習室に入って勉強するという流れができれば、勉強のきっかけをつかみやすくなります。
自習の記録を続ければ、自分がどれだけやったかということが残るので、それも励みになります。
この自習室を活用するために、今後、問題集のページが進んでいない生徒や、読書が進んでいない生徒には、自習室の参加を義務づけるようにしたいと思っています。
ただし、ここで保護者に注意しておきたいことは、子供はすぐに勉強を始めるわけではないということです。
言葉の森の通学教室時代、教室に来た中学生や高校生は、最初はパソコンに入っているゲームをひとしきりして、それから作文を書き始めました。
みんな、よくできる子たちです。
人間は、機械のように、ボタンを押せばすぐにスイッチオンになるというものではありません。
時々息抜きをしたり、寄り道をしたりしながら、少しずつ本道を進んでいきます。
そういうおおらかな気持ちで、子供の勉強の様子を見ておくといいと思います。
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