12月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部136人中)言葉に愛をわてひ 日本では、文字はオリジナルで音はそのなぞりであるという考えがある。だが、これは文化の交流が一方的に統制されたものから相互的で直接的なものへと移ると、言葉は紙から抜け出でて音になる。人の名前の呼び方が漢字の文字とカタカナの音に分かれる場合、愛の伴う関係であれば、相手の名前を紙に書かれる文字ではなく音で呼ぶはずである。私は、言葉に愛を込められるような生き方をしたい。
そのためには第一に、相手の名前などをしっかり覚えておくことだ。私は昔、名前は何故あるのかを考えたことがある。その時に結論は出ることはなかった。だが、今考えてみるととても大切なものだと感じる。そう感じた大きな理由は「Itと呼ばれた子」という本を読んだからだ。私も自分の名前を呼ばれなかったら、寂しいし嫌だと感じる。そのためこの本を読み、私の名前に対する浅慮な考えが深いものへと変化した。相手の名前などをしっかり覚えておくことで、その相手とのコミュニケーションが円滑に進んだり、親交が深まるだろう。
また第二の方法としては、国同士の間でも、相手の言葉や文化を尊重することだ。昔、中国は半植民地化していた。それはフランスが意図して起こしたアヘン戦争のせいといっても過言ではない。その半植民地化には相手の言葉や文化を尊重するなどといった優しさが一欠片もなく、ただ己の利益を優先した結果のみが残っている。そのため、太平天国の乱だのなんだのがアヘン戦争後に起こった。これと異なりモンゴル帝国のフビライは、それぞれの地域の文化をそのまま生かす政策をとった。どのような政策であるかというと、征服地にフビライは言語や宗教などに多様化を認めた。そのため征服された地域からの反感が比較的少なかったと言われている。相手の言葉や文化を尊重することで余計な軋轢を生むことがなく、良い人間関係を築くことができる。
確かに、合理的に物事を進めるためには、言葉を記号として扱う方が便利な場合もある。その一つの例が住民基本台帳ネットワークに見られる国民総背番号制だ。しかし、私たちは、言葉に愛を込めるような生き方も忘れてはならないだろう。『家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである』という言葉がある。名前もまた、外から見るための符号ではなく、その中で生きている人間と密接に結びついていると考えるべきである。そのため私は私は、言葉に愛を込められるような生き方をしたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●言葉に愛を | わてひ | 88 | 1015 | 64 | 86 | 86 | 90 |
2位 | ●貪欲に | あいめえ | 81 | 1086 | 49 | 85 | 84 | 89 |
3位 | ●他者から自己へ | あああさ | 80 | 1183 | 53 | 98 | 90 | 81 |
4位 | ●諦めない精神 | たいせい | 78 | 1038 | 46 | 78 | 88 | 89 |
5位 | ●後悔しないためには | しらたま | 77 | 1073 | 48 | 72 | 85 | 86 |
12月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部292人中)公という場サーサ 「内と外の礼儀作法は違うべきものだ。」
家にいるときと、外にいるときを内と外と言い表すことがある。「内弁慶の外地蔵」という言葉が生まれるのも、神仙思想の生まれるのも、皆内と外を分けるからだ。内と外はハレとケ、雅俗や公私、表と奥と東洋史において幾度も姿を現す二項対立といえよう。私たちは公のものの役得を当たり前、よいだろうと思いがちだが、経済成長と徳の成長を妨げているということが問題として予測される。それはどのように防げるだろうか。ここで二つの対策があげられる。
その対策は第一に、ものには必ずつがいがあり、魂があることを覚えることだ。昔からものには神が宿るとされてきた。また、「もの」は「恐れ多くかけまくも畏き有様」を言うことであった。つまり、ものとは神と我の境であった。一方で、古文で表したことからもこれらの表し方が今の世と離れたものとなっているということが見て取れる。あらゆるものには神が宿り、役得が憚られるという内と外の境としてのものがなくなった。つまり、公と私の境も同じくらいなくなっているのではないかと私は、考える。しかし、資本主義の言葉でも、ものは必ず対価を持っている。対価は反作用を生み、物理法則と同じ方程式が時に用いられる。このような理性を持っていれば、することによって人が評価される実在論でも公私混同は避けられる。このように、ものの与える反作用を考えることで公と私の差を作り、想像力で神や法が世を治めるのであると私は、考える。
また第二の理由としては、公のものは皆で平等に必要な分だけ使わねば皺寄せがくることを思い遣ることだ。おおやけとは「大宅」で、第一の家であると「岩波古語辞典」には書いてある。たとえば私も、家の中のものは家のものが使うことを考えて使う。「イへ」や「ヤカ」というのは、公の性質を含む共同体なのだ。また公の施設である図書室のものは、図書室の中で使われ、当たり前のことだが期日を守り返されるべきものだ。もし返却期日を破って返さなければものの属性の変化による反作用を覚悟しなければならない。つまり「ヤケ」というものは、ものの在り方を規定する存在なのだ。だから、共有の書物にすじを引くことは図書室というヤケを脱することで叱責されるべきことなのだ。「オホヤケ」とはものが法によりものたり得る認識の普遍化への動きであり、我々は覚悟を持って法を知らねばならないと私は、考える。
確かに、私たちは公のものを使える立場にあるのだから多少の役得はあるべきだという意見もある。しかし公のものとは、物が独立で存在するのではなく公の掟が存在させているものである。だから、私たちは公のものの役得を当たり前、よいだろうと思いがちだが、経済成長と徳の成長を妨げているということが問題として予測される。これから私は、内と外の境を覚えることで公と私を作り出し、ものの定義を生み出し、伝えたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●公という場 | サーサ | 93 | 1202 | 76 | 101 | 110 | 95 |
2位 | ●特許の役割 | あえほゆ | 93 | 1414 | 73 | 89 | 88 | 89 |
3位 | ●思考と行動(清書) | わえへ | 92 | 1245 | 63 | 89 | 87 | 97 |
4位 | ●体のバランス | さとり | 90 | 1219 | 63 | 82 | 83 | 95 |
5位 | ●やってみないとわからない(清書) | かたおか | 89 | 1833 | 63 | 83 | 92 | 86 |
6位 | ●ぶんか | あきつぐ | 85 | 1098 | 61 | 72 | 73 | 93 |
7位 | ●ボランティアの心 | ああおよ | 84 | 1354 | 61 | 111 | 100 | 87 |
8位 | ●「本当はタダ働きしたいんだ。」 | あうゆな | 84 | 1471 | 56 | 95 | 100 | 92 |
9位 | ●真の規則(清書) | ああとか | 83 | 983 | 69 | 84 | 78 | 80 |
10位 | ●頑張ることが大好きな | あえけと | 83 | 1089 | 48 | 67 | 72 | 89 |
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12月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部260人中)行列でもたらされる秩序(清書)蜩 今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。駅の切符売場やタクシー乗り場や学生食堂などでの行列は以前からあったが、近ごろではデパートのトイレの前や、昼食時の都心の食堂でも行列はあたりまえの光景になった。しかしながら、たとえ需要一供給に顕著な不均衡があっても、身分や地位にかかわらず先着優先の原則がなければ、だれも列をつくって順番を待とうとはしないだろう。行列はもちろんその前段階、「行列以前」からはじまる。民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると、工業化社会が近代民主主義の母胎であることがよくわかる。私は行列に賛成だと思う。
第一の理由に今の行列には身分や貧富の差はないからである。昔は身分によって物事を進める事が普通だったそうだ。例えば、江戸時代は武士が一番身分が上だった。そのため武士が街を歩いたら、武士が最優先だった。しかし、今は民主主義のため、みんなが平等になり身分が関係なくなり行列という社会現象ができた。これとよく似た話がある。私は学校で吹奏楽部に入っている。部活や学校の中での上下関係と言えば、先輩と後輩の関係である。よく昭和の学園漫画では、学校の中で上級生が威張っており、なんでも先輩が最優先という構図が出来上がっている。しかし私の学校では特にそのような極端な構図はない。例えば、コンクールの会場に向かう時に乗るバスの順番や小学校に演奏に行く時も歩く順番は先頭に部長がいる位で特に決まりはない。もちろん先輩と後輩の関係は大切なのでそこは守られている。このように行列は先輩や後輩関係なく、みんなに平等に適応されることがわかった。
第二の理由に行列をつくることによって治安が守られるからだ。もしも行列が無かったらどうなるだろう。ここに「海外旅行者数 日本の海外旅行者数は一千五百万人突破。」というデータがある。年間で一千五百万人来るのもすごい。しかし、これを一日換算すると、一日に約四万一千百人、海外旅行へ行くことになる。また仕事で海外へ出かける方もいるので、もっと多いだろう。こんなにたくさん一度に空港に来られると流石にカオスな状態になるだろう。こんなに人が集中すれば、最悪の場合、怪我人が出てしまうだろう。そのため空港も海外旅行者を時間ごとに分けて、見ない行列を作っているのだ。 また、「日本人の品格と道徳感」によると、日本人が元来持っているものは「謙虚さ」や、「礼儀正しさ」や、「思いやり」などがあるそうだ。さらに、日本人が元々持っていないものは「個人主義」や、「実力主義」や、「合理主義」などだそうである。ここから、行列とは「謙虚さ」が染み付いている日本人の特色の象徴と言っても過言ではないのではないのだろうか。
確かに、行列を作ると何時間も待たされたり、とてつもなく早くその場所に行かなくてはすぐに入れないということがあると思われる。しかし「悪いことそのものが悪いのではない。時と場合によって悪い事があるのである。」という言葉があるように、行列は年齢、身分関係なく人々を平等にする社会のシステムである。また、行列がないと大混乱に陥りかねない。そして行列とは日本人の秩序を守るという国民性であり、大変便利な社会現象である事がわかった。このことから私は行列に賛成である。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●行列でもたらされる秩序(清書) | 蜩 | 91 | 1359 | 68 | 85 | 88 | 86 |
2位 | ●野生動物と人間 清書 | あかにさ | 90 | 1177 | 61 | 84 | 83 | 90 |
3位 | ●死に向かって過ぎる時間を | みさと | 88 | 1234 | 58 | 80 | 78 | 86 |
4位 | ●並ぶ | あかさと | 86 | 1317 | 57 | 93 | 94 | 90 |
5位 | ●死を意識すること | ちさたん | 86 | 1244 | 56 | 79 | 75 | 83 |
6位 | ●無駄な時間のリサイクル | あおふね | 85 | 1121 | 58 | 85 | 87 | 83 |
7位 | ●〆切の大切さ | かののん | 84 | 1327 | 52 | 83 | 85 | 87 |
8位 | ●現代社会と言葉 | こたつ | 84 | 1048 | 61 | 77 | 73 | 89 |
9位 | ●死を覚悟して生きる | あうさの | 83 | 1167 | 53 | 76 | 85 | 80 |
10位 | ●変化は必要なし | あきはる | 83 | 970 | 67 | 91 | 81 | 86 |
12月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部163人中)意見の述べ方あおそふ 学生の読書率が世界ランキングで近年低空飛行だったのに、今年は二位になった。言語は会話から学ぶのと同時に本からも同時に学ぶ。日常会話に比べ本は正しい日本語が使われている。会話するにあたって語彙の種類が豊富なことに越したことはない。相手に対して言いにくいことでも語彙が豊富な人の方が、少ない人に比べて言いやすくなると思う。
確かに、否定するときは、相手の考えを活かしつつ自分の意見を述べるべきだ。
国会に批判的な意見が飛び交う現在、ニュース番組や討論番組、動画配信サービスなどで国会に対する異議について語られている動画をみる。このような番組は見ていて楽しいとはいえるものではない。そう思う根本的理由は、相手の考えに否定からはいる言い方に慣れていないからである。日本人との会話の内容をみていると相手の意見を尊重しつつ自分の意見をいうことが他の国の人と比べて巧みである。英語のような共通言語は、歴史的背景から読み取ることが出来るように、英語圏のイギリスやアメリカなどが植民地支配をするときに多くの国の言語英語に変えてきた。そのこともあり理解がしやすく言語が単純である。一方、日本語は一つのことに対して数々の言い回しが存在する。「私はあなたが言っていることに理解できない。」と言わずに「私は、あなたがおっしゃった○○という意見はとてもいいと思うので、それに○○というのを追加するのはどうでしょうか。」というひとが多い。前者と比べ後者のほうが、双方の間に威圧感がなくなると思う。同時に日本人の悪い癖が付いてくる。同情である。自分が反対することは相手に申し訳ないというおもいが勝って、結局おもっていたことと違う結果になることもある。そんなときに、相手の意見を活かしつつ自分の意見を述べることが重要になってくる。
一方、否定するときは物怖じせずにいうべきだ。
友達が、誤った方向に進んでいるときに、それは違うんじゃないかとしっかりと言ったことがある人はいるだろうか。もし、いるのだとしたら勇者だと思う。そう簡単に友達に対してはっきりと物事をいえる人は少ないだろう。私自身もそうで、後輩が遊んでばかりいるときに注意したくても出来ないことが常日頃といっていいほど多々ある。嫌われるのに恐れているからである。太宰治がかいた「走れメロス」には、否定することの大事さを学んだ。王様は人を信じることが出来ず、友情などはくだらないと思っていたそうだ。メロスはセリヌンティウスという無二の友人がいた。その二人の友情はあつく、王様に信じることはくだらないといわれたのに、信じることは大切だと言った。王様にたいして反発をくらうことなどを言うのは安易な話ではない。自分が殺されるかもしれない。嫌われたらおわりである。メロスの原動力と日限までに帰ってくる姿は王様の心を動かした。注意や否定することはとても勇気が要ることである。しかし、同情してその先ずっとモヤモヤする気持ちを抱え込むより、人に嫌われることを恐れながらも相手に対して注意したらそのときはつらくても、その先には明るい未来が待っていることもある。物怖じせずにはっきりと意見を述べることは相手のために必要である。
否定するときの言い方は、相手の考えを活かしつつ自分の意見を述べることや、物怖じせずにいうことはどちらも優秀な言い方である。最も大切なことは、話のないように対してしっかりと自分の意見を持つことだ。仕事で企画を練るなどに必ず交流の場で意見なしで参加するとき自分の意見をもっていなかったら、いなくてもいいとみなされるだろう。そうならないためにも自分の意見をもつことは大切である。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●意見の述べ方 | あおそふ | 89 | 1503 | 62 | 74 | 82 | 87 |
2位 | ●一人一人の話が | あかたか | 87 | 1201 | 56 | 80 | 75 | 90 |
3位 | ●自分の考えを貫く | ヨーヨ | 87 | 1235 | 69 | 70 | 75 | 95 |
4位 | ●いいえを言えない | 瑞風 | 85 | 1256 | 56 | 85 | 90 | 89 |
5位 | ●一人一人の話が | あきいの | 85 | 1267 | 54 | 67 | 71 | 92 |
6位 | ●清書★失敗と成功 | ななちき | 84 | 1234 | 52 | 80 | 85 | 87 |
7位 | ●言葉を操る、魔法使い | なおや | 84 | 1200 | 52 | 65 | 76 | 93 |
8位 | ●言葉の力 | りんりん | 84 | 1191 | 54 | 61 | 68 | 93 |
9位 | ●言葉と経験 | あうては | 83 | 1494 | 51 | 69 | 86 | 96 |
10位 | ●ものごとを伝える | あかぬり | 83 | 1121 | 51 | 63 | 76 | 86 |
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12月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部227人中)数年前のことに 清書あきぬい どの国の食事にも様々な制限や規則が習慣として存在する。米の飯と他の食べ物との日本食における関係は並列的・同時的であり、西洋諸国の食事文化は通時的展開方式の性格が強い。文化の単位を成している個々の項目は、他の様々な項目との間で一種の引っ張り合い、押し合いの対立をしながら、相対的に価値が決まっていくものである。ぼくが一番共感したところは、どの国の食事にも様々な制限や規則が習慣として存在するというところだ。
ぼくは幼稚園のとき、メキシコに一年半住んでいたことがある。ぼくの家の道路を挟んで向かいの家が犬を飼っていた。犬種はチワワのような小型犬だった。その犬がいつも放し飼いにされていた。だからぼくが家に帰るときや出かけるときは、必ずぼくの家の門まで追いかけて来てワンワン吠えた。だから、怖くて外に出たくないほど嫌だった。メキシコでの犬の飼い方は、殆どが放し飼いでリードを付ける習慣が無い。それは日本では考えられない。その犬は、いつもしつこく郵便屋さんのバイクの邪魔をしながら隣を並走していたので、郵便屋さんに何度も蹴られていた。ぼくは、危ない、といつも思っていた。母は、いつか車にひかれる、と言っていた。その予言は的中した。ある日、「キュァーーーン。」と物凄い犬の鳴き声がしたので窓から外を見ると、車の後ろに犬が横たわっていた。犬が車の後ろを追いかけていたところその車がバックしてきたので、ひかれて死んでしまったようだった。飼い主は慌てて家から出てきて、「オーノー!」と叫んで泣き崩れていた。その様子は、まるでこの世の終わりのようだった。ぼくは母と「そりゃそうなるよね。」と話していた。何故犬は放し飼いにされているのだろうか。メキシコでは、犬に自由を与えるために放し飼いにしているのではないかと思った。一方日本では犬にとって多少不自由でも犬を全ての危険から守るためにリードを付けているのではないだろうか。だから、この犬が死んでしまったことは仕方がないと思った。ぼくなら、犬を危険から守るためにリードを付けることを選択すると思う。これは日本人特有の考え方なのかもしれない。犬一つにとっても国によって価値観が違うということがこの出来事からもよく分かった。
母が文化や価値観の違いを痛感したことは、メキシコでの生活で、メキシコ人は大雑把だ、と思ったことだ。住んでいた家のガラス窓の隙間から雨が入ってきていた。雨季に入っている時期のメキシコの大雨は激しかったので、雨が降るたび床がビチャビチャになっていた。母は業者を呼んだ。母はてっきり、業者が窓の隙間を何かでふさいでくれるのかと思っていた。すると、業者は電動ドリルを取り出して窓のサッシに穴を開け始めた。母は慌てて業者を止めようとしたが、業者は自信満々に作業を続けた。結局、窓に穴は開き、不思議なことに水は家に入らなくなったそうだ。しかし、新たな問題が発生した。その穴から蟻が入り込むようになり、ある日蟻が大行列を作ってリビングを横断していたのだ。母はその問題を仕方なく受け入れて、メキシコ人の家に対する価値観の違いを痛感したそうだ。母にその話を聞いてぼくは思った。日本は正確に家が造られていて、雨水も虫も家に入ってこない。少しの不具合があると、すぐに修理し完璧な家にしようとする。メキシコの家は隙間だらけで雨水も虫も家に入ってくることもある。でもそれはメキシコ人にとっては気にならないのかもしれない。メキシコ人は陽気で大らかだ、と母が言っていた。そのような気質があるから、家に対する価値観も日本とは違うのだろう。国によって気質が違えばものの考え方や価値観も変わる。そのことを認めて受け入れることは他の国の人と関わる上で大事なことだと思った。
郷に入っては郷に従え、ということわざがあるように、国それぞれによって気質や文化やものの価値観に違いがあるのだ。大切なことは、それを理解した上でそれぞれの国の人たちに合わせて柔軟に対応していくことだ。ぼくは将来父のように他の国の人と関わりを持つことがあるかもしれない。そのときは、その国の人たちの価値観を認めるようにしようと思った。まずぼくが出来ることは、それぞれの国のことを知ることだ。そのために地理や歴史や英語を学ぶことが重要だと思った。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●数年前のことに 清書 | あきぬい | 80 | 1767 | 48 | 72 | 82 | 89 |
2位 | ●ある日5つになる(感)改 清書 | あかそよ | 80 | 1211 | 47 | 59 | 73 | 90 |
3位 | ●おいしかったことまずかったこと | momoka | 80 | 1178 | 54 | 73 | 69 | 86 |
4位 | ●新しい文化 | あえなえ | 79 | 1464 | 48 | 77 | 81 | 84 |
5位 | ●給食のまずいもの | あきよえ | 79 | 925 | 52 | 57 | 75 | 84 |
6位 | ●僕の好き嫌い | こうた | 77 | 1096 | 46 | 57 | 72 | 83 |
7位 | ●ある日、五つになる(清書) | すりりんご | 76 | 861 | 48 | 59 | 66 | 77 |
8位 | ●気持ちが伝わる手書き | ふうか | 75 | 809 | 44 | 57 | 64 | 89 |
9位 | ●いろいろな食文化 | ほたか | 73 | 606 | 44 | 56 | 67 | 96 |
10位 | ●人、それぞれ | あおほゆ | 72 | 618 | 44 | 71 | 73 | 84 |
12月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部258人中)朝寝坊とむにゃん 「・・・さい。」
「・・なさい。」
「・きなさい。」
「起きなさい。起きなさい。」
「もうちょっと寝るね。」
「はっ!うそ!もうこんな時間なのいそげー?。」
寝るというのはあっとういう間です。意識があって寝るのは長く感じたことはありますか?これから僕とぼくの母の体験について話します。
僕は、1年生の時はよく朝寝坊をしていました。起きなさいと言われて起きたのが7時50分くらいの時がありました。その時に僕が、思ったのは
「なんで起こしてくれなかったのー。」
でも、後から母が言ったのは、
「何度も起こしたわよ。」
そう言われてしまいました。
次に母のお話です。母は、中学か高校生の頃テストに疲れて金曜日の夜に寝て起きたのが日曜日の夕方に起きてまた眠ってしまい次の日にしっかり起きたのが月曜日の朝の6時でした。その話を聞いて僕は、
「よく1日以上寝ることが出来るね。僕じゃ絶対1日以上寝ることはできないよ。」
僕は、寝るということで尊敬している生き物がいますそれは、人間以外の生き物です。
なぜ動物たちは、寝るということに制限がありませんでも寝るのに制限がないけど寝るということがとても難しいです。動物たちは、自然界に住んでいるから寝るための布団、寝床を確保する必要があります。でも今は、人が木の伐採のせいで動物たちのすみかが奪われてしまいます。そのいい例としてクマが挙げられます。これから熊の寝ることすみかの状況について話します。
熊は、人と比べて100日くらい寝ても死ぬことはありません。人は、100日くらい寝るとカルシウムである骨が解けて屍になってしまいます。でも熊は骨が頑丈だから生きることが出来るのです。そして次は、すみかのことについてです。熊は、昔は、温暖化がまだ進行していなかったころは、熊も冬眠ができていて今と比べてとても平和でした。でも今は、温暖化で冬眠していたはずのクマが目覚めて熊は動きます→おなか減ります→気温のせいでご飯がありません→食べ物を探しているといつの間にか人里に出てしまいます→そして人に襲い掛かってしまいます。それを人が怖がり熊たちを殺してしまいます。この文章はクマのことを言っているから熊が悪いように見えるけど僕が思う限りでは人の方が悪者だと思います。なぜなら人の出した排気ガスや工場の煙で地球温暖化が起きてしまう。そのせいでクマが目覚め理不尽に殺されてしまいます。熊だけではありません。日本カモシカ、ラッコ、クロマグロ、ウミガメなどの生き物は人間の身勝手さで失われた命がたくさんあります。そういう子たちを1匹でも多くの命を助けなくてはいけないと僕は思います。
話を変えて朝寝坊に移ろうと思います。朝寝坊は、僕にとっては幸せなことです。でも本当にそれが幸せなのかはわかりません。長所があれば短所もあると僕は考えます。寝ると言えばこのことわざです。
“寝る子は育つ”
意味は、名前の通り子供は早起きをするとすくすく育つという意味です。でも寝すぎると逆に良くないと僕は、さっき言いました。
人は寝るは、1日の休憩であり極楽と思うだろう僕も兄もそう思っています。でも寝るということは安らぎだけではない最初に言ったとおり寝るは、天国を一気に地獄に落とすものである。それが寝るということの恐ろしいところだと僕は思います。
「起きなさい。」
今日もまた家族の誰かを起こす母の声は家中に響き渡っていることでしょう。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●朝寝坊 | とむにゃん | 87 | 1433 | 63 | 73 | 92 | 81 |
2位 | ●やっぱりしたい、してもいい ー清書ー | あえかわ | 87 | 2218 | 59 | 73 | 83 | 84 |
3位 | ●人は生まれながらに(清書) | あえもま | 87 | 2373 | 68 | 68 | 72 | 84 |
4位 | ●人生 | ポッポ | 86 | 1134 | 54 | 81 | 84 | 96 |
5位 | ●勉強は興味から | ゆう | 85 | 1141 | 54 | 81 | 84 | 86 |
6位 | ●夢中になれることの大切さ | かんこ | 85 | 1294 | 51 | 75 | 78 | 89 |
7位 | ●勉強の意味 | あかれせ | 85 | 1155 | 59 | 69 | 72 | 86 |
8位 | ●ある日、五つになる(清書) | あきこさ | 83 | 1238 | 57 | 74 | 83 | 89 |
9位 | ●最強の武器 | こだぬきポン | 82 | 1155 | 47 | 75 | 78 | 93 |
10位 | ●議論する社会を作っていくためには「清書」 | あんこ | 82 | 1054 | 54 | 83 | 76 | 83 |
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森リン大賞は、森リンによる採点で高得点になった作品の中から、代表作品を選んでいます。
小学1、2年生は、上位入賞者は表示していません。
小学3、4年生は、上位入賞者は表示していますが、代表作品は表示していません。
小学5年生からは、上位入賞者と代表作品の両方を表示しています。
代表作品は、1位であることが多いですが、必ずしも1位になった作品ではなく、上位入賞作品の中から、特に優れた作品を表示しています。
小学1、2年生や小学3、4年生で、表示を限定していたのには理由があります。
第一に、小学4年生までは、生徒本人がパソコンで入力できる人が少ないためです。
第二に、小学4年生までは、自分らしく書くことが楽しい時期なので、そこに競争で勝つとか負けるとかいう要素を入れたくなかったからです。
小学5年生から、生徒は向上心を持つようになります。
すると、他の生徒の作品を見て、自分も努力したいと思うようになります。
それで、代表作品の表示は、小学5年生から行うことにしていました。
しかし、小学1、2年生や小学3、4年生でも、同学年の生徒の作品を見たいという人が多かったと思います。
そこで、1月4週の清書からは、小学1年生から上位入賞者と代表作品を表示するようにします。
保護者の方は、優れた作品を見ることが参考になるということで、森リン大賞を見てください。
勝ち負けを競うようなことは、低中学年のうちはなるべくしないように家庭で配慮していかれるといいと思います。
12月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部174人中)順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●世界の破滅バーン | あきひろ | 72 | 1118 | 46 | 73 | 87 | 73 |
2位 | ●本当のやさしい友だち | さゆり | 69 | 870 | 42 | 47 | 57 | 89 |
3位 | ●アインシュタインのせんそうのあとのこと | ゆうたろう | 68 | 540 | 39 | 51 | 62 | 87 |
4位 | ●初めてのお店は赤字だったよ | あかたよ | 66 | 1124 | 39 | 55 | 67 | 87 |
5位 | ●きびしい道を進んだアインシュタイン | たいせい | 66 | 389 | 44 | 48 | 59 | 96 |
6位 | ●たん生日に家族で | あえたし | 61 | 290 | 38 | 51 | 55 | 68 |
7位 | ●きょうのかいじゅうとトッポのたたかい | おぐらたかき | 58 | 119 | 38 | 43 | 50 | 92 |
12月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部217人中)順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●生き物の一生 | たくみ | 77 | 1179 | 41 | 54 | 82 | 100 |
2位 | ●思い出の宝物清書 | ゆき | 77 | 858 | 51 | 65 | 75 | 89 |
3位 | ●スポーツは努力のかけらだ | あかれも | 76 | 819 | 46 | 60 | 68 | 86 |
4位 | ●スイミングと友達 | あきはな | 74 | 1014 | 42 | 51 | 64 | 86 |
5位 | ●わたしのアメシスト | あえほあ | 73 | 598 | 44 | 63 | 74 | 89 |
6位 | ●大切な化石 | いわそう | 72 | 639 | 46 | 59 | 78 | 87 |
7位 | ●危険な技 清書 | あえやひ | 72 | 708 | 46 | 62 | 64 | 81 |
8位 | ●協力とは | みさ | 69 | 601 | 52 | 52 | 58 | 86 |
2023年12月の森リン大賞のページです。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2023&tuki=12
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海城中学校 K.R.さん
<保護者様より>
2分間スピーチの原稿は、先生からいただいたアドバイスを盛り込み、何度も何度も練習し、本番に挑みました。先生のご指導には、大変感謝しております。誠にありがとうございました。
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日本水仙
●動画:https://youtu.be/QhQgVqVAlF4
小学4年生までの作文の勉強は、普通に読む力がある子であれば、その読む力に応じて普通に書けます。
あまりに普通に苦もなく書くので、お母さんの中には、「作文の勉強は、もうこれでいいや」と思ってしまう人も多いと思います。
しかし、小学5年生になると、作文の課題は、説明文の感想文中心になります。
すると、そこで、考える感想を書ける子と、小学4年生までの事実中心の作文しか書けない子との差が出てくるのです。
では、小学4年生のころに、小学5年生の課題を先取りすればいいかというと、それは年齢的にできません。
小学5年生は、物事を抽象的、構成的に考えることができますが、小学4年生ではまだそういうことはできないからです。
更に、中学生の課題になると、構成を考えて書く練習になります。
このときに、例えば、意見の裏付けになる理由を書ける子と、理由ではなく実例しか書けない子との差が出てきます。
この差は、抽象的な語彙力を持っているかどうかの差です。
しかし、教える先生は、だからだめだというようなことは言いません。
子供の成長には、時間がかかります。
年齢に応じて読む力をつけていけば、誰でも難しい課題を書く力がついてきます。
そのためには、説明文の読書を中心に読む力をつけていく必要があります。
そして、小学校高学年からの生徒は、自動採点ソフト「森リン」の点数をひとつの指標にしていくといいのです。
小学生までの作文指導しかできないか、中学生、高校生までの作文指導ができるかどうかが、作文の指導力の差になります。
今日、1月9日の朝日小学生新聞に、作文通信教育講座ブンブンどりむが広告を載せていました。
よくがんばっていると思いますが、この作文通信教室の対象は小学生までです。
小学3、4年生までの作文指導は、ある程度誰でもできます。
難しいのは、小学5、6年生になってからの作文指導と、中学生、高校生になってからの作文指導です。
ブンブンどりむの監修者である齋藤孝さんの「
こども文章力」を読むと、作文指導の中心が、小学校低中学年までになっていることがわかります。
この本に例文として載せてある作文も、小学3年生が書いた作文という設定になっています。
だから、このレベルの作文指導法をいくら読んでも、高学年の作文指導はできません。 まして、中学生、高校生の作文指導などは、遠い未来の話になってしまいます。
現在、小学3、4年生で、「もう作文は、大体書けるからいいや」と思っている人は、その先に続く作文の勉強を考えてみてください。
考える力をつける作文は、小学5年生から始まります。
そのため、小学4年生まで一応作文を書けていた生徒が、小学5年生になると急に書けなくなることがあります。
書けなくなるということは、考える力が必要になるということですから、小学5年生以降の作文の勉強をすることで、考える力がつくのです。
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私は、人を批判することは好きではありませんが、学校の先生や保護者の方が、作文の勉強とはこういうレベルでいいのだと考えてしまうのは、子供たちの作文の質を低下させると思うので、あえて批判的なことを書かせていただきました。
反論があれば、ぜひどうぞ。
作文の書き方をいくつか見比べてみると、みな、言葉の森の指導方法を参考にしている様子が見受けられますね。初めにこれだけのアイデアを考えて体系化したこと自体が素晴らしいと感じます。
もし可能であれば、教材の一部をアップデートすることで、より効果的な学習ができるのではないでしょうか。
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ナデシコ
●動画:https://youtu.be/kodUPfwdf7E
※最初にアップロードした動画は音声が割れていたので、新しく入れ直しました。
2月になると、学習塾の新しい募集が始まります。
小学校3年生、4年生の人は、塾に通うようになることが多いです。
現在の中学受験では、塾で詰め込まないと対応できません。
しかし、小学校低学年から受験を目指した塾に入れるのは、かえって子供の成長にとってマイナスになることが多いです。
ところで、小学校3、4年生から塾に行くようになると、これまでの習い事と、どう両立させるかという問題が出てきます。
結論を言えば、中学、高校まで長く続けられるような習い事ならば、塾が忙しくなっても両立させることがあとで生きてきます。
特に、作文は、現在でも、高校生まで続けている生徒が多いです。
それらの生徒のほとんどは、小学生から作文の勉強を続けてきた生徒です。
確かに、塾に通うようになると、生活時間は忙しくなり、ほかのことをする余裕がなくなります。
しかし、忙しくて大変だと思うのは、最初の数ヶ月の間で、やがて子供も親も、その塾のペースに慣れてきます。
だから、最初の大変な時期を工夫して乗り越えていくことが大事です。
なぜ習い事を続けることが、意味があるかということに関して、参考になる記事がありました。
====
勉強ができる子の家庭ほど「塾以外の習い事」を大切にしている意外な理由
(日米で学習塾を経営し25年間で延べ5000名以上のバイリンガルを育成しているTLC for Kids代表の船津徹氏)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a73fdfa7e91273c32ebd6125484963723b0347e9
どんな習い事でも、上手になるには長い時間と根気が必要です。試行錯誤を重ねた末、ついに結果を出せて「自分はできる!」という自信がついた――。習い事でこんな経験ができれば、同じように努力と忍耐が必要な受験勉強でも、必ず活かせます。
優秀な子が育つ家庭で習い事を大切にする理由は、子ども時代に勉強と習い事を両立するという困難を乗り越えさせることで、失敗や挫折に屈しない強靭な「メンタルタフネス」、そして、何事にも向上心を持って「やり抜く力」を育むことができるからです。
====
実際に、忙しい時期にも、何らかの習い事を続けてきた生徒は、入試でも、最後の踏ん張りがきくことが多いです。
「自分は忙しいときでもやり続けたんだから」という自信がつくからです。
逆に、忙しくなったからやめるということを簡単に決めると、子供は忙しいときや大変なときはやめてもいいのだという感覚を持つようになります。
すると、その後の人生でも、大変だからやめようという発想を簡単にするようになることが多いのです。
だから、目先の合理的な判断でどちらがよいかという基準で決めるのではなく、子供の人間力を成長させるためにどういう選択がいいかという長期的な基準で決めることが大切です。
そういう姿勢は、日常生活のさまざまな面で表れてきます。
それが子供を真の意味で成長させる条件になるのです。
実際に、言葉の森の作文で高校生まで続けている生徒は、たとえ途中は細々ととしか続けられない時期があったとしても、また、途中でやむを得ずやめる時期があったとしても、高校生まで続けたことによって生き方の自信ができているように思います。
では、それぞれの学年の作文で何が大きく変わるかを見てみましょう。
小学1、2年生は、楽しく書く中で、正しく書く力を身につける時期です。
この時期に、毎週作文を書く習慣ができます。
この習慣ができると、多少大変な時期があったとしても、長く勉強を続ける姿勢ができます。
小学3、4年生は、表現豊かに、個性的な作文を書く時期です。
この時期に、小学校時代の記念に残る傑作が生まれます。
実際に、作文の字数が最も長く書けるようになるのは、小学5、6年生ではなく小学4年生です。
小学4年生は、生活作文の完成の時期にあたるのです。
小学5、6年生は、感想文の学習が増えます。
この感想文のもとになる長文は、中学入試の難しい説明文と同じレベルの文章なので、読むだけで読解力がつきます。
また、この難しい説明文をもとに、子供が両親に似た例を取材する機会を作れば、その対話を通して思考力、語彙力が飛躍的に伸びます。
そのためには、保護者が、できれば次の週の感想文の課題に事前に目を通しておき、土日の家族の団欒(だんらん)の時間に、作文の課題についての話をする習慣を作ることをおすすめします。
中学生になると、学校での作文の授業がなくなるところが多いです。
それは、中学生の作文を指導する方法も、そのための時間も、今の中学にはないからです。
中学生の作文になると、小学生まで上手に書けていた子が、急に書けなくなることがあります。
それは、作文の構成の仕方という新しい概念が、最初は理解しにくいからです。
しかし、中学生の3年間で書く作文の書き方を身につけると、それはそのまま大学入試の小論文を書く力になります。
大学入試の小論文は、すべて中学生の作文の構成の仕方で書くことができます。
ただ、中学生は学校のテストや部活などで、最も忙しくなる時期でもあります。
そこで、時間を有効に使って作文の勉強を続けるために、ChatGPTを利用した作文の勉強の講習会を行うことにしました。
こういう新しい技術を生かして、毎週、難しい文章を読み、考え、書くという練習を続けていくようにしてください。
高校生の作文は、意見文ですが、構成の仕方が高度になります。
また、感想文のもとになる長文も、かなり難しくなります。
高校生の感想文のもとになる長文は、大学入試の現代文の説明文のレベルですから、現代文の読解の練習になります。
この高校生の作文の課題を毎週1200字以上書くと、他の勉強では得られないような思考力、語彙力が身につきます。
これは、大学入試の小論文だけでなく、社会に出てからも役に立つ能力になります。
さて、では、子供が時に弱気になって、「つまらないから作文をやめたい」とか、「忙しいから作文をやめたい」と言ったときは、どう対応したらいいのでしょうか。
そういうときこそ、お母さんやお父さんは、自信を持って、「作文だけは大事な勉強だから続けるんだよ」と言えばいいのです。
そのひとことで、ほとんどの子供は納得して勉強を続けるようになります。
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カンツバキ
これからのAI時代に、従来の勉強の多くは意味がなくなります。
身近な例で言うと、漢字は、読めればよいということになります。
読めれば、大体は書けるので、正確に書くためには、ネットで調べて書けばよいという考えになります。
つまり、漢字の書き取りは、8割ぐらいできていればいいのであって、その8割を9割や10割にまで増やす勉強は、時間の無駄だという考えになるのです。
例えば、常用漢字に新しく採用された挨拶という漢字は、ほとんどの大人は読めますが、それを正確に書くとなると、書ける人は少なくなります。
憂鬱という字も、ほとんどの大人が読めますが、それを正確に書ける人は、かなり少なくなります。
算数の計算問題でも、中学1年生の算数では、プラスとマイナス、小さいカッコと大きいカッコ、2乗や3乗という記号を組み合わせて解くような計算問題が出されることがあります。
これも、計算の仕方のルールがわかっていればいいのであって、正確に計算する技能というのは、機械に任せればいいという考えになります。
では、AI時代に必要な勉強は何かというと、それが個性と創造性を育てる勉強です。
将来、ベーシックインカムの時代がやってくると言われています。
人類の生産力は、人類全体の消費量を既に上回っていますが、今はまだ、不要な軍事費や不要な医療費などで、豊かさの多くが消費されています。
しかしそれはいずれ解決に向かいます。
また、科学技術の発展は、核融合のような地上に太陽を作り出す方向に進んでいます。
すると、コストの多くを占めるエネルギーの価格は、無料に近づきます。
これまでの世の中は、「飯の食える大人になる」という目標がありました。
しかし、これからは、「自分らしく生きる大人になる」ということが、目標になります。
既に、その考え方の兆候は、生まれています。
例えば、高校の授業における探究学習や、大学入試における総合選抜型入試の広がりなどです。
この探究学習や総合選抜の評価は、どのように行われるのでしょうか。
ペーパーテストの時代には、点数による評価ができました。
しかし、個性の時代には、評価は、点数による評価ではなく、人気による評価になります。
例えば、参考書どおりにきちんと理科実験をやって成功した人と、自分のオリジナルな理科実験を工夫してやって失敗した人と、どちらに人気があるかというのが新しい評価の基準になるということです。
そのためには、常日頃から、自分らしい面白いことをしたいと思っていることが大事です。
もちろん、その基礎として、人に言われたことはしっかりやるということは必要です。
例えば、さかなクンは、個性的な仕事をしていますが、たぶん、何かの企画に参加するときは、よく準備をして遅刻しないように努力しているはずです。
日本の子供たちは、基礎はほとんどできています。
遅刻はしないし、勉強も普通にできます。
だから、これから伸ばす能力は、創造力と発表力になるのです。
創造発表クラスの勉強は、毎週の発表と対話です。
だから、創造発表の勉強は教わる勉強ではなく、発表する勉強が中心になります。
その勉強に、今後、ChatGPTなどのAIを活用することができます。
ChatGPT-4は、まだ有料ですが、既に画像生成の機能などもあります。
いずれ、誰もが無料でそのようなAIの機能を使えるようになります。
この結果、子供たちがいつでもプロに聞けるという時代が来ます。
これまでは、親や先生がプロでした。
だから、子供たちは、学校に行って先生に教えてもらう必要がありました。
これからの子供たちは、自宅または学校で、直接AIというプロの先生に聞いて勉強を進めるようになります。
すると、知っていることは、もう優位性の条件ではなくなくなります。
いかにオリジナルで創造性があるかということが、その人の評価の基準になります。
最初のうちは、いかに面白いかという評価が中心になりますが、それは、今はまだ評価が利益に結びついているからです。
やがて、評価よりも、自身の満足が勉強の目的になります。
自身の満足の目指す方向は、創造、貢献、向上です。
その中で生まれる出会いと触れ合いが、人間の幸福の条件となります。
新しい世の中で生きる子供たちは、そういう時代の準備をしておく必要があります。
それは、遠い未来の話ではなく、例えば大学の総合選抜入試に対応する力をつけるというような身近なところに結びつけることもできます。
そして、やがてそういう個性的、創造的な力が、世の中に出て、ベンチャービジネスを興すというような方向にも繋がっていくのです。
▼この文章に対するChatGPTのアドバイス
この文章は、AI時代と創造性の重要性について語るもので、多くの面で興味深い洞察を提供しています。ただし、いくつかの点について修正や明確化が必要かもしれません。以下に提案を挙げます。
1. 漢字の学習に関する見解: 現代においても、漢字の読み書き能力は重要です。読めることと書けることは異なるスキルであり、特に日本の文化や教育においては書くことも重視されます。この部分は、読み書き両方のスキルがAI時代でもなお重要であることを強調するよう修正することをお勧めします。
2. 算数の計算能力: 算数の計算問題に関して、「正確に計算する技能というのは、機械に任せればいい」という見解は、基本的な数学的理解を軽視していると解釈される恐れがあります。算数や数学の基礎知識は、論理的思考や問題解決能力を育む上で重要です。この部分を「AIは計算を助けるが、基本的な数学理解は重要」という方向で修正することが望ましいでしょう。
3. ベーシックインカムと社会の変化: ベーシックインカムの導入や科学技術の進展についての記述は、ある程度推測に基づくものです。このような未来予測は、あくまで一つの可能性として述べるべきです。文中でこれらの点に対する慎重な表現を用いることを提案します。
4. 評価システムの変化: ペーパーテストから人気に基づく評価への移行については、実際の教育現場や社会での評価基準が多様化していることを反映しているようです。ただし、この変化をもう少し具体的に、または現実的な観点から説明すると、読者がより理解しやすくなるでしょう。
5. ChatGPTの言及: ChatGPTやAIの教育への応用についての記述は適切ですが、将来的に無料で提供される可能性については、現時点では仮定に過ぎないため、その点を明確にすることが重要です。
6. 新しい世界観の提案: 創造性、貢献、向上を目指す新しい世界観の提案は非常に興味深いですが、これらの概念をもう少し具体的に、実践的な例を挙げて説明することで、文章の説得力を高めることができます。
全体的には、文章は未来の教育と社会に対するビジョンを提供していますが、一部推測に基づく内容や現実との整合性に欠ける部分があります。これらの点を修正することで、より現実的で信頼性の高い内容になるでしょう。
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