結論を先に書きますが、私は、いずれもないと思います(笑)。
もちろん、その本に書かれているやり方で数週間続けた子はいるかもしれません。
しかし、継続して勉強するような子はまずいません。
作文にせよ、読解にせよ、音読暗唱にせよ、先生の励ましや友達との交流があるから続きます。
本に書いてあることを、親に言われたからやるということで継続できる子はまずいません。
だから、勉強は、オンラインクラスでやることが大事なのです。
それなのに、斉藤さんがなぜこのような本を出したかというと、たぶん出版社の企画で出しただけです。
斎藤さんには、言っては悪いですが、作文についても、読解についても、音読暗唱についても、理念や方法というものは何もありません。
それは、斉藤さんの本を読むとすぐにわかります。
ただ、世の中で言われていることをあちこちからコピーしただけの内容です。
そのコピー元には、もちろん言葉の森も入っています(笑)。
オリジナルな考えがなく、実際の裏付けもないままに書かれた本を、タイトルだけ見て購入した人もいると思います。
しかし、これは、本のタイトルがもっともらしいだけで、実際に活用できるものではありません。
作文も、読解も、音読暗唱も、実際に教えてくれる人がいるから初めてできるようになります。
オンラインクラスで、実際の先生と対話を通して勉強することに意味があるのです。
齋藤孝さんが監修している「ブンブンどりむ」は、作文などを教えているのだと思いますが、その方法の中心は「ほめて伸ばす添削」です。
作文が上達するのは、書く前の事前指導があるからです。
書いたあとの添削がいくら詳しく書かれていても、子供の作文力は伸びません。
添削で子供の作文が上達するのであれば、日本中の子供はとっくにみんな作文が上手になっています。
そういう本質的なことを知らずに、斎藤さんが「こども文章力」や「こども読解力」のような本を書いているのは、実際に小学生や中学生に作文や読解を教えたことがないからです。
実際にやったことのない人は、いくらでも観念的にもっともらしいことを書けるのです。
私は、人を批判することは好きではありません。
大事なことは、創造することであって、レベルの低いものを批判することではないからです。
しかし、朝日小学生新聞の毎週の広告を見て、勘違いした勉強を始めてしまう人もいるのではないかと思い、あえて批判的なことを書かせていただきました。
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私は、ブンブンどりむのようなレベルの低いものは誰もやらないだろうと思っていましたが、毎週大きな広告を出しているので、勘違いして始めてしまう人もいるかもしれないと思い、こういう誰かを批判することは好きでないのですが、あえて書くことにしました。
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キヅタ
いまだに、読書では国語力はつかないと言っている人がいます。
そういう人は、難しい本を読んだことがない人です(笑)。
難しい本というのは、岩波文庫の
青帯や
白帯の本ですが、今はもっといい本もたくさんあります。
読書には、いろいろな幅があります。
ライトノベルのような本をたくさん読んでいれば、ライトノベルのような作文は書けます。
ライトノベルのような読解問題は、解けるようになります。
読むことは、書くことと問題を解くことの土台になっています。
入試問題は、ライトノベルのレベルよりも上の文章が出てきます。
問題文は、大きく名作の物語文と、説明文に分かれますが、大事なのは、説明文をしっかり読む力をつけておくことです。
しかし、小学校低中学年で、入門的な説明文の本を読むことには多少問題があります。
説明文の本は、熱中して読むということがないからです。
薬を飲むように、義務感で読むような読み方をする子も多いのです。
同様に、「○年生で読む名作」のような本も、子供の読む力はつけません。
短編を断片に読むのではなく、1冊の本を熱中して読むことが大事です。
読書好きな人は、子供のころ、読むのが止まらなくなって、寝る時間も惜しんで読んだという経験があると思います。
読書は、熱中して読むことが大事なのです。
アマゾンで、「
子供 科学 話」などと検索すると、小学生が読める説明文の本がいろいろ出てきます。
こういう本で大事なことは、知識が羅列されているような文章ではなく、原因や方法という理屈が書かれている本を選ぶことです。
ただ、それは読んでみるまでは、わからないですから、子供がその本を読んでいる様子を見ることです。
熱中できる本、繰り返して読む本が、その子供にとってよい本です。
小学校低学年の子にとって、「
かいけつゾロリ」のような本はよい本です。
品の悪い話も多いですが(笑)、文章が説明的なので読む力がつきます。
小学校中学年の子にとって、「
宇宙人のいる教室」もいい本です。
ほとんどの子が一日で読み終えます。
小学校高学年の読書好きな子にとって、「
モモ」や「
はてしない物語」は、いい本です。
自分のことのように没頭して読む子もいると思います。
私は、高校生のころは、三一新書という今はもうない新書判の本を読んでいました。
今の高校生は、
ちくまプリマー新書や
岩波ジュニア新書のようないい本があるので、それらを読んでいくといいと思います。
大学生にとっては、個人的には
ヘーゲルがいい本ですが、これは難しいです。
私は、「
ヘーゲル精神現象学の生成と構造」を読むまで、よく理解できませんでした。
もし子供がそれらの本を熱中して読まないとしたら、その子の読書力がまだそこまで達していないということです。
大事なことは、子供に話しかけても聞こえないぐらい熱中できる本を、子供時代にたくさん読ませることです。
この読書力が、国語力や作文力だけでなく、学力全体の土台になります。
学力というのは、母語である日本語を自分の手足のように自由に使える力だからです。
====
最新脳科学でついに出た結論 「本の読み方」で学力は決まる
https://www.amazon.co.jp/dp/4413045513/
小中学生4万人の脳解析データが実証した衝撃の「科学的事実」とは!
◎読書習慣がないと、毎日勉強しても成績は平均以下
====
小学生は特に、勉強している暇があったら、本を読んでいる方がいいのです。
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齋藤孝さんは、「齋藤孝先生が選ぶ 高校生からの読書大全」などという本を出していますが、こういう本を読んでも、雑学的な知識が身につくだけです。
高校生は、図書館で「ちくま少年図書館」を読むか、ブックオフなどで「ちくまプリマ―新書」を探すのがいいです。
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言葉の森は、42年前に、作文教室としてスタートしました。
私は、そのころ、普通の勉強などはだれでもできると思っていました。
しかし、作文はひとりではできません。
しかも作文は人間の思考力、創造力を伸ばします。
そう考えて、作文教室を始めました。
しかし、中学や高校や大学の作文小論文の入試こそ増えましたが、作文は、まだ学校の勉強の中心にはなっていません。
その理由は単純です。
作文の評価をするのが大変だからです。
そこで、私は作文を評価する方法として、プログラミングで森リンという自動採点ソフトを作りました。(特許取得)
しかし、世の中は新しいものを受け入れる余地があまりないので、今、この自動採点ソフトは、言葉の森の生徒の中だけで使っています。
▽森リンベストのページ
https://www.mori7.com/moririn/mori_best.php
やがて、私は、問題は作文教育が普及しないことにあるのではなく、今の教育そのものに問題があるのだとわかってきました。
今の教育の問題は、いろいろありますが、その第一が、勉強の目的が子供たちの成長にあるのではなく、受験の合格にあることです。
受験に合格するためには、どうでもいい知識を詰め込むテクニックが必要です。
そのために、今の教育のかなりの部分は、子供たちの実力を伸ばすことではなく、受験に高得点を取ることに向けられています。
第二の問題は、子供たちの成長の中心は家庭であるべきなのに、家庭ではなく学校や塾が勉強の中心になっていることです。
よく、受験勉強のために、夕飯を一緒にとることができない子供たちが問題になることがありますが、小学生が受験勉強のために夕飯を家族と一緒に取れないということが仕方のないことのように思われていることに問題があるのです。
第三の問題は、子供たちの成長を、子供たちの人間の成長として見るのではなく、点数の成長として見る見方が普通になっていることです。
思いやりとか勇気とか個性とか自立心とかいうものは点数になりません。
点数になるのは、国語が何点、算数が何点、英語が何点という点数です。
人間の成長に最も大事な人間の成長や文化の成長が忘れられ、点数だけで人間が評価されていることに問題があるのです。
第四の問題は、競争です。
人間にとっていちばん大事なものは、個性と創造性です。
世の中が豊かになるのは、一人ひとりが自分の個性を発揮し、それを創造性にまで高めることによってです。
しかし、今、大人も子供の、教育のいちばんの関心は競争に勝つことになっています。
その典型が受験勉強です。
相手を負かして、自分が勝つということが勉強の目的になっています。
それをおかしいと思わない精神こそおかしいのですが、だれもがそれをやむを得ないこととして受け入れているように見えます。
そこで、私は、思ったのです。
教育そのものを変えない限り、今の歪んだ教育は変えられないということです。
新しい教育の目的は、思考力、創造力、共感力を育てることです。
すでに、人類の生産力は、人類全体の消費力を上回っており、人間は食うために働くのではなく、創造のためと喜びのために働くのが当然と思われる時代が来ます。
今の子供たちは、その新しい時代の準備をしておく必要があります。
それが、ひとことで言えば、競争の教育から創造の教育への流れなのです。
言葉の森は、2020年に、作文専科教室から、オンラインスクールという方向へ舵を切りました。
しかし、それは単に学習塾のような教育をすることではありません。
もちろん、教科の成績を上げることは必要ですが、それは競争に勝つためではなく、自分らしい創造の土台を作るためです。
言葉の森は、今、作文クラスのほかに、基礎学力クラス、総合学力クラス、国語読解クラス、算数数学クラス、英語クラス、プログラミングクラス、創造発表クラスを開いています。
それらを今後、本格的に広げていきます。
言葉の森には、なぜか優秀な子が多いです。
クラスで1番とか2番とかいう子もよくいます。
そういう子供たちが、単に競争に勝つための勉強をするのではなく、自分らしい創造を通して世の中に貢献することを目的とする勉強をしていってほしいと思っています。
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今、小123年生対象の基礎学力クラスと、小456年生対象の総合学力クラスをやっているが、このあとは、中123年生対象の全科学力クラスを開く予定。1週目国語、2週目数学、3週目英語、4週目理科社会。
中学生の勉強は、これで十分。
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フキノトウ
言葉の森は、作文教室としてスタートしました。
42年以上前の話です。
「31年の実績」などと言っているところとは違います(笑)。
私自身、学習塾に行ったことはありませんし、うちの子供も塾や予備校に行ったことはありません。
勉強などは、自分ですればいいと思っていたからです。
答えのある勉強は、誰に教わらなくてもできるのです。
しかし、作文は、自分ひとりではできません。
それは、自分で自分の作文を評価することはできないからです。
更に、難しいのは、作文はきわめて負担の大きい勉強だということです。
数学や英語の勉強は、やろうと思えばすぐにできます。
しかし、作文は、気合を入れないと始められません。
だから、ひとりで黙々と独学ができるような勉強ではありません。
作文は、さまざまな勉強の集大成です。
書く技術だけでなく、読む力も、考える力も必要です。
だから、言葉の森は、勉強の塾ではなく、作文の専科教室としてスタートしました。
国語の教室というのは、それなりにニーズがあったのでしょうが、勉強を教えるということは考えもしませんでした。
今は、希望する人に応じて国語読解クラスを開いていますが、それは4年ほど前からです。
国語読解クラスを始めて驚いたのは、国語を教える教室というものがほとんどないことでした。
算数や英語は誰でも教えられます。
教わらなくても、答えを見れば、ひとりでできます。
しかし、国語は、教え方がわからない人がほとんどなのです。
言葉の森が作文教室を始めたあと、かなりあとから、ほかの通信作文教育講座などが始まりました。
しかし、それらの教室の指導法は、昔ながらの赤ペン添削でした。
赤ペン添削は、少し文章力のある大人なら誰でもできます。
低学年の作文添削は、誰でもできるのです。
だから、学校でも、小学校2、3年生ころまでは作文指導がよくあります。
しかし、作文力が本当につくのは、小学5年生以降です。
にもかかわらず、小学校高学年になると、学校の作文指導は少なくなります。
更に、中学生や高校生になって、作文指導が最も必要な時期になるほど、作文指導はなくなります。
なぜ学年が上がると作文指導がなくなるかというと、作文指導の理論と方法がないからです。
言葉の森だけが、日本で唯一小学1年生から高校3年生まで系統的に作文指導ができる教室です。
小学生対象の作文通信教育講座がありますが、これらの通信講座は、小学3年生ぐらいまでしか作文指導ができません。
指導の理論や方法がなく、褒める赤ペン添削のようなことだけで教えている教室では、子供が飽きてしまうのです。
作文の勉強が本当に大事になるのは、小学5年生以降です。
小学5年生から、考える作文の勉強になるからです。
小学4年生までの作文は、考える作文のための助走期間に過ぎません。
しかし、小学5年生から作文の勉強を始めるというのは、子供にとってハードルが高すぎます。
小学校低学年から作文を書くことに慣れておき、その勢いで小学5年生以降の考える作文につなげていくことが大事なのです。
作文指導に関する本は、いろいろ出ていますが、どれを読んでも作文の書き方がわかるようなものは見当たりません。
数年前の本で、齋藤孝さんの「こども文章力」という本がありますが、これは典型的に使えない作文の本です。
この本で、穴埋め作文をいくら練習しても、作文は書けるようにはなりません。
これで、齋藤孝さんが、ブンブンどりむという作文通信教育講座の監修をしているというのですから驚きます。
作文は、作文を書くことで練習しなければ書けるようにはなりません。
穴埋め作文の練習をいくらしても、それは穴埋めの文が書けるようになるだけです。
こういう穴埋め作文の方法しか知らないのは、実際に子供たちに作文を教えた経験がないからです。
これで、「31年の実績」をうたっているとしたら、31年間何を教えていたのかわかりません。
と、少し厳しいことを書きましたが、作文の勉強は最初が肝心です。
小1や小2の、だれもが指導できるような気がする時期こそ、先まで続く作文の勉強をしておく必要があるのです。
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私は、人を批判するのは好きではありません。
大事なことは、批判ではなく創造だからです。
まして、レベルの低い人は批判するのは、何も意味がないと思っています。
しかし、大量の宣伝広告を見て勘違いしてしまう人がいるのは問題だと思い、あえて簡単な批判を書くことにしました。
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公文国際学園中等部 T.H.さん
<担当講師より>
公文国際学園、おめでとうございます!
何にでもキッチリとまじめに取り組む、Hさん。
作文では、自分の体験のみならず、ご家族の体験もしっかり取材して家族ぐるみでいい作品を書き続けてくれました。
中学受験は、夢の実現のための一部と、将来を見据えた生き方に講師の私も脱帽です。
これからも文章で自己表現する力を伸ばして行きましょう。
本当におめでとうございます!
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小学1、2年生の作文は、自由な題名の課題です。
この時期の子供たちは、書くこと自体が好きですから、何でも書きます。
朝起きてから、学校に行って、勉強して遊んで、家に帰って夜寝るまで書くような作文です。
このころの子供たちは、また、お喋りが好きです。
どうでもいいようなことを延々と話します。
作文も、そうです。
どうでもいいことを延々と書くような作文が多いのです。
そこで大事なことは、題材作りです。
自由な題名ということで子供に任せておくと、いつも、学校でどんなことをしたとか、学童でこんなことをしたとかいう作文になることが多くなります。
もちろん、それはそれでいいのです。
しかし、ここで、親が工夫できることがあります。
それが、題材作りです。
「今度、お母さんと一緒に、春の球根を買ってきて、植えてみようか」
とか、
「お父さんが休みの日に、一緒にカレーライスを作ってみようか」
とか、
「ベランダに、ミカンを置いて、どんな鳥が来るか見てみようか」
とか、ちょっとしたイベントを工夫するのです。
そして、作文の授業のある日に、「今日、どんなこと書くの。この間のあのことを書いてもいいんじゃない」と水を向ければ、子供は喜んでその話を書きます。
ここで大事なことは、書く内容に注文をつけないことです。
子供は、往々にして、肝心なことを書く前の、どこに行ったというような準備のところを書くだけでくたびれて書き終えてしまうことがあります。
しかし、親子で行ったイベントは、子供の心の中にしっかり残っています。
だから、作文には、肝心なことが書かれていなくてもいいのです。
この題材作りは、いくらでも工夫できます。
わざわざどこかに出かけたり、お金をかけて工夫したりすることはありません。
日常生活の延長で、ちょっとしたことをすればいいのです。
子供は、親子の対話の中で、語彙力を増やします。
親子で共通の話題を作り、話す機会を増やすと、子供の感想が長く書けるようになることが多いのです。
よく、作文の結びを、「とてもたのしかったです。またやってみたいとおもいます。」というようなまとめ方で書く子がいますが、それは感想を書くための語彙が少ないからです。
子供が自分らしい感想を書けるのは、親子の対話によって考える力がつくからです。
小学1、2年生の時期は、あっという間に過ぎます。
この時期を生かして、子供との対話の機会を増やすようにしていってください。
そのための参考になる本が、今はいくつも出ています。
アマゾンで、「子供 自然 図鑑」などと検索すると、親子で遊べる自然の本がいろいろ見つかります。
子供にとって大事なことは、実際の経験と対話を通して学ぶことです。
「語彙力図鑑」のような知識偏重の本を読むことで、語彙力が身につくわけではありません。
実物を通して親子が対話をすることが大事なのです。
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水飲み場のスズメ
小学1、2年生の作文は、親でもブンブンどりむでも教えられます。
しかし、なぜ言葉の森で作文の勉強を始めるのがいいのでしょうか。
実は、小学1、2年生は、大人の言うことを素直に聞く時期です。
この時期は、模倣の時期と言って、お父さんやお母さんや先生に言われたことをそのまま受け入れる時期なのです。
しかし、何でも素直に受け入れているうちに、やがて小学3、4年生で、子供の自立が始まります。
その自立の時期に、それまで素直に親や先生の言うことを聞いていた子が、自己主張というかたちで、それまでの親や先生の指導に反発するようになります。
その反発は、小学1、2年生のうちに、いろいろなことを直されたり注意されたりした子ほど大きくなります。
小学1、2年生のときの、褒められ続けた子は、小学3、4年生になっても反発はありません。
ところが、ほとんどの親は、子供を褒め続けるよりも、いろいろな注意やアドバイスをしてしまいます。
「もっとていねいに書きなさい」「漢字も使いなさい」「この書き方が間違っている」「会話は行がえをするんでしょ」「この言葉はカタカナで書くんだよ」「もう少し長く書けたらいいね」など、どれもあたりまえのアドバイスですが、それを素直に聞いているように見える子供は、自分の書いている作文が否定されていると感じるのです。
表記のミスは、注意をしなくても、読書量が増えれば自然に直ります。
また、読書力のある子は、ひとことの注意で直りますが、読書力がないうちは、同じことを何度注意しても直りません。
子供が3、4年生になって、「もう作文を書くの嫌だ」と言ったとき、親は対処の仕方がわかりません。
その時期から、言葉の森で作文の勉強を始めようと思っても、もう遅いことが多いのです。
小学1、2年生から、言葉の森で作文の勉強をしている子は、いつも楽しく勉強をしているので、3年生になっても4年生になっても作文の勉強を続けることができます。
作文の勉強が最も重要になるのは、小学5年生の説明文の感想文になってからです。
しかし、この時期から作文の勉強を開始するのは、子供にとって負担が大きくなります。
5年生の壁というのは、作文だけでなく、算数でも理科でも社会でも、どの分野でもあります。
子供は、小学5年生になるころから、抽象的に考えることができるようになります。
文章の要約ができるようになるのも、小学5年生からです。
だから、5年生から作文の勉強を始めるというのは、子供にとっては、書くことと考えることの両方が要求されるようになるので、かなり負担の大きいことになるのです。
小学1、2年生から作文の勉強を始めた子は、作文を書くことが習慣になっています。
だから、課題が難しくなっても、それについていきます。
そういう流れがあるからこそ、小学生の作文の勉強は、たとえ親が教えられるのであっても、言葉の森で小学1年生から始めていくのがいいのです。
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キリンの首が長いのは、背の高い木の葉を食べるためだった。
多くの草食動物たちが、背の低い草や木の葉を食べて競争しているとき、キリンが考えついたのは、首を長くするという創造だった。
棲み分け理論は、創造の理論である。
生き物たちは、ダーウィンの進化論のように適者生存で競い合って生きているのではない。
それぞれが、自分に適した創造を作り出して生きている。
ひるがえって人間社会を考えてみると、競争が生きる目的にさえなっている。
競争とは、狭い枠組みを与えられて、その枠組からはずれないという制約のもとで優劣を競い合う。
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思わず、笑える光景だったが、実は、人間社会にも同じような競争が広がっている。
人間が、豚以上に競争に熱中するのは、その勝敗に、損得が結びつくからだ。
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