通学教室で、構成図のフォーマットを使って書く練習をしたときの説明漫画です。
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
たくさん書くことによって、書いた事柄相互の間にある空間に気づき、考えが深まっていくからです。
したがって、構成図は、枠を全部埋めることが大事なルールになります。
構成図のフォーマットを使って書くのは、書き方に慣れるためです。慣れてきたら、白紙に自由に書いていきます。
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構成図とマインドマップは外見が似ていますが、本質的な違いがあります。
マインドマップは、もともと記憶法として開発されました。記憶するために物事を整理するという発想です。中心から時計回りで枝葉を出していくような形で、情報を整理していきます。
これは、欧米に伝統的な「世界はきれいに分類できる」という世界観に基づいています。欧米の本の伝統では、第1巻に1篇2篇3篇があり、その第1篇の中に1章2章3章があり、その第1章の中にABCがあり、そのAの中に、(A)(B)(C)があるというように、全体が整ったツリー構造で構成されているものが多くあります。世界は、混沌としたものではなく合理的に分類されうるものだという考え方が根本にあるのです。
ツリー構造は、2次元と3次元の中間のような形になっています。この2.5次元のツリー構造を3次元的にビジュアル化したものがマインドマップの図と考えればわかりやすいと思います。
マインドマップは、ツリー構造をビジュアル化したものですから、整理したものが頭に入りやすくなっています。したがって、本を読んでその本の内容を整理するときに活用すると、読んだものがよく理解できるという効果があります。ただし、方法的には、時間がかかりすぎるという面もあります。
このマインドマップが作文にも使えるということが言われていますが、これはマインドマップの「ツリー構造で整理する」という部分よりもむしろ、マインドマップで「材料を引き出すことができる」というところで使われているのです。
さて、マインドマップの物事を整理する方法と対極にあると思われるのが、川喜田二郎氏の開発したKJ法のような発想法です。
KJ法で大事なことは、整理や分類を先行させないことだと言われています。複数の人数で行うKJ法で、リーダー的な人が全体の枠組みをわかりやすく整理したり分類したりすると、全員でやっていることから生まれる発想の創造性が生かせなくなってしまいます。
このKJ法の発想法と似ているものが構成図の発想です。構成図では、あるテーマに関して思いついたことをランダムに書いて矢印で結んでいきます。すると、思いついた言葉と言葉の間に、埋められていない概念の空間があることがわかってきます。この空間を埋めるのが創造性です。
ですから、
構成図は考えを整理するというよりも、考えを広げて深めるという思考のためのツールとして使っていくものです。
ただし、白紙に自由に書くという形ですと、慣れないうちはどうしても書く量が少なくなりがちなので、構成図のフォーマットを作りました。このフォーマットをもとに書くと、小学校中学年から構成図が使えます。
しかし、構成図のもともとの意図は、思考を深めるためのものですから、低中学年のうちは、構成図に慣れるということで使っていくことになります。
現在、通学教室では小3以上の生徒が構成図のフォーマットをもとにを書く練習をしています。
今後、通信教室でも、このフォーマットを使う形の構成図指導をしていきたいと思っています。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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構成図のフォーマットを使って、小3以上の生徒に構成図を書いてもらいました。
これまでは、白紙に自由に書く形で、中学生以上が構成図を書くことにしていましたが、今後はもう少し早い学年から構成図をスタートするようにしたいと思っています。
構成図とマインドマップは、外見が似ていますが、本質的なところが違います。
それは、マインドマップが整理を目的としているのに対して、構成図は創造を目的にしている点です。
(つづく)
下記の例は、初めての指導で構成図を書いたので時間がかかっていますが、通常は7、8分で書き上げられます。
【小3の生徒の例】
【小5の生徒の例】
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考える力は、中高一貫校の受験に役立つだけでなく、将来の大学入試にも当然役に立ちます。
現在の大学入試の多くは、まだテストに現れる学力だけの評価になっています。もちろん学力があるということは当然の前提ですから、学力よりも大事なものがあるというのではありません。
学力は大前提として大切ですが、実は学力の先にあるプラスαがあるかどうかが、人間の本当の実力になってくるのです。このプラスαは、読む力、書く力、考える力のように言うこともできますが、それらの力の根本にあるのが、テーマのある生き方です。つまり、求めるものがあるような生き方を可能にするのが、読書と知的な対話だということなのです。
大学側でもこのことにだんだん気がついてきているので、今後、テストの形式は変わってくると思います。今はまだ、試行錯誤の段階なので、小論文や面接を取り入れる程度ですが、将来はこの取り入れ方も更に工夫されていくことが予想されます。
しかし、どのようなスタイルの選抜試験であっても、その子に考える力さえあればすぐに対応できます。
公立中高一貫校に合格する力を育てるのは、主に家庭での教育力です。公立校という条件から、受験勉強の訓練を特にしなくても解ける問題が出されるのが原則です。大事なのは、訓練よりも、生活の中で育っている力です。
受験勉強で得点を上げる練習は、学習塾などで勉強した方が能率のよい面もあります。それは、出題されそうな問題に特化した練習ができるからです。しかし、考える力を問う問題は、一斉指導ではなかなかできません。それぞれの子の力に応じて対応した問題を出す必要があるからです。そういう問題を出せるのは、家庭で一緒に生活している両親なのです。
そして、子供と知的な対話を楽しむような家庭に育った子供は、当面の受験や更に大学入試も超えて、将来の大きな可能性を持つようになると思います。
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子供時代はいろいろな体験をすることが必要ですが、その体験を深めるものは、その体験をしたときのその子のテーマです。
例えば、親に連れられてアフリカに行ってキリンの背中に乗って遊んだというような珍しい体験よりも、自分で何か欲しいものがあって、初めて隣町まで買い物に行ったというような体験の方が、その子にとってはテーマのある体験になります。
珍しい体験だけであれば、それは思い出にはなるだけですが、テーマのある体験をした子は、そこから新しい体験を発展させていくことができます
このテーマというものがどこから来るかというと、やはり読書や対話などを通した知的な想像力からやってきます。豊かな想像力を持っている子供は、普通に遊んでいるときでも、自分を物語の主人公の一員と見なして遊んでいる面があります。
小学生のころのいたずら好きな子というのも、この想像性ということから理解できます。いたずらをする子の多くは、単に悪いことをしようと思っていたずらをしているのではなく、いたずらという物語を演じています。その背景には、いたずらを楽しく描いた読書などの影響があります。
だから逆に、テレビやアニメなどで根の浅い物語ばかりを見ていれば、その子の体験のテーマも根の浅いものになります。
読書や対話によって多様なものの見方ができるようにするとともに、読書や対話を通してテーマのある体験をしていくということが、子供の考える力を豊かにしていきます。つまり、元になるのは、読む力をつけるということなのです。
そして、その子にどれぐらい読む力や考える力や豊かな体験があるかを見ることができるのが作文です。中高一貫校の作文試験は、このような背景から出されています。
(つづく)
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公立中高一貫校の入試問題は、内容がよく工夫されています。問題が工夫されていることに伴って、採点もかなり手間がかかるものになっています。しかも、手間がかかるだけではなく、採点の基準がはっきりしていないために、採点する側の心理的な負担もかなり大きいと思われます。
これらの問題を見ていると、いずれこのような形の入試問題を出すことには限界が来ると思われます。そして将来は、推薦試験のような形が取り入れられるか、あるいはこれまでの入試に近い要素が増えてくると思います。
今後も、考える問題を発展させる形で入試問題を作るとなると、次のような作文入試にする方法が考えられます。それは、言葉の森の作文の勉強でやっているように、構成、題材、表現をかなり厳密に指定して、その枠内で作文を書かせる形です。こういう形であれば生徒の実力もはっきりわかりますし、それ以上に評価もかなり客観的にできるようになります。
しかしもちろん、入試のスタイルが決まってくれば、そのような入試のスタイルに合わせて練習をしないと合格しにくくなるというような状況も当然生まれてきます。しかし、それはむしろ、考える力をつける形で受験勉強が進んでいくということで望ましいことだと思います。
さて当面、中高一貫校の入試では、今の考える良問が続くと見て対策を考えておく必要があります。考える問題に対する対策をとっておけば、それは受験ばかりでなく一生役に立つからです。
では、考える力をつけるためにどうしたらよいかというと、まず読む力をつけることです。読む力がそのまま考える力になっていると考えてもいいと思います。
体験を豊かにするということももちろん大事ですが、ただいろいろな体験をしていればよいというのでありません。お仕着せの体験は、単なるエピソードにしかなりません。
同じ体験をしても、考える力のある子は、より内面的に個性のある体験をしています。つまり、体験の外見ではなく、自分なりのテーマを持った体験をすることが大事だということです。(つづく)
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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ガンマ型の文章は、ストーリーのない説明的な文章です。科学や評論の文章がガンマ型の文章にあたります。学校教育の目的は、このようなガンマ型の文章を読む力を育てることにあるというのが外山滋比古氏の考え方です。
学生時代は勉強の中で、ともくかも説明的な文章を読まされていた人が、社会人になるとストーリー的なものしか読まなくなる、ということがよくあるようです。難しい文章は、若い時期に読んで読む力をつけておかないと、年をとってから新たに読むことがなかなかできません。
難しい文章を苦労して読むところに、考える力が育つというのが外山氏の持論です。確かに、外山氏の書く文章は、いずれもわかりやすく独創的な内容のものです。この独創性の背景にあるのが、難しい文章を読んだ蓄積なのだと思います。
言葉の森の暗唱の課題の中で、低中学年では物語的な文章と説明的な文章がまじっています。一般に、説明的な文章は、物語的な文章の二倍ぐらい読む時間がかかります。そのように時間がかかることによって、読む力が育っているのです。子供はやさしい文章の方を喜びますが、やさしい文章のところどころに難しい文章があるというような勉強が、考える力を育てる理想的な勉強の形になります。
アメリカの黒人と白人の能力の違いということで、外山氏は言葉の重要性を指摘しています。黒人と白人の間に見られる能力の違いは、遺伝的なものではなく、幼児期の会話の環境の違いだというのです。両親が知的な会話をするような家庭で育った子は、自然に考える力が育ちます。両親がアルファ型の会話しかしない、又は、テレビや漫画などのアルファ型の会話に囲まれて育ったというような子供は、やはり考える力が育ちません。学校や塾で勉強する以前に、はるかに大きな学力の基礎が家庭での会話の中で育っているのです。
家庭でガンマ型の会話をする方法として、言葉の森の長文暗唱の自習と毎週の作文を利用することができます。
自習で子供が説明文の長文を読んでいるときに、その長文の話題をもとにして、親が自分の体験や感想を話してあげるのです。このときに、「もし……だったら」「どうして……」「たぶん……」「今だったら……」「自分だったら……」などという言い方が役に立ちます。抽象的な話題について、親と子が抽象的に考えを膨らませて話してしていくことが知的な会話になります。こういう会話ができるように、長文暗唱は、子供部屋ではなく親のいるところで、また黙読ではなく声を出して読んでいくことが大切です。
また、作文で小3以上は題名が与えられた課題になっています。事前に次の週の課題がわかるので、その課題について、親の子供のころの話をしてあげたり、その課題に合わせたイベントを工夫してあげたりするのです。
例えば、「私の好きな遊び」という課題で、親の子供のころの遊びの話を聞かせてあげるというようなことです。そして、その遊びがどんなふうだったか実演してみせるのです。また、田舎にいる祖父母に電話で取材をすることもできます。作文を書くことを通して、家族の対話や体験の共有がしやすくなります。
ただし、せっかく話を聞かせたり実演したりしても、子供は意外と作文の中でそれをうまく生かすことができません。わずか一、二行で済ませてしまうこともあります。全然触れないこともあります。しかし、文章の形としては出ていなくても、子供の頭の中には確実にその会話や体験が残って蓄積されているのです。
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アルファ型の文章は、物事と結びついた文章です。「おなかが、すいた」「そこに、おやつがあるよ」「今日は、暑いね」「雨が降ってきた」というような文で成り立つ文章です。
それに対して、ベータ型の文章は、現実のものごとから離れた文章です。しかし、その離れた言葉自体に一つのストーリーがあるようなものです。例えば、「昔あるところにおじいさんとおばあさんがおりました」などという昔話は、ベータ型の文章です。
物語がすべてベータ型かというと、必ずしもそうとは言えません。アルファ型に近いベータ型の文章として、会話の多い物語文が挙げられます。
子供たちに人気のある本の中に、やはり会話がきわめて多いものがあります。内容的にも面白く子供にとっても読みやすいので、それらがよい本として薦められていることもあります。読書を楽しむという点でもちろんいいことですが、会話の多すぎる文章は読む力を育てるにことにはあまり役立たないということを理解しておく必要があります。
本を選ぶときの基準として、地の文がしっかり書かれている文章を選ぶことが大切です。会話だけで話が展開していくような形ではなく、会話の間の説明の文章が書かれている文章を選ぶということです。
漫画がなぜ読む力を育てないかというと、漫画に書いてある文章は、かなりアルファ型に近い文章だからです。つまり、絵の内容と結びついた言葉なので、その言葉によって考える力があまり育たないのです。
漫画や会話の多い物語が悪いというのでありませんが、本のような外見のものを読んでいれば、それがそのまま勉強としての読書になっているとは考えないことです。少なくとも、いくら文章を読んでも、その文章が読む力をつけることに結びつかないような文章もあります。更に言うと、アルファ型の言葉ばかりに囲まれていると、かえって読む力が低下していきます。
では、ガンマ型の文章とはどういうものでしょうか。
(つづく)
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