東京大学理科三類・慶應大学医学部 K.T.さん
<担当講師より>
小学校低学年から長く続けてくれた生徒です。
医学部に進学しますが、歴史にも詳しく、作文も得意で、毎回、くわしい歴史実例を入れながら素晴らしい作文を仕上げていました。
これからもますますがんばってくれることと思います。
合格おめでとうございます!
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T君、いつも椅子に腹ばいになってずっと本を読んでいたものね(笑)。
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白い水仙
2月の森リン大賞も、小1の生徒から高3の生徒まで載せています。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=02
中学3年生は、入試の時期に重なる人が多かったせいで、該当作品がありませんでした。
優れた作品はありましたが、要約の部分が長かったので、代表作品にはなりませんでした。
★清書のときは、要約の部分は消して、自分なりの実例や説明で書くようにしてください。
全学年の森リン大賞の中から、小5のあきぬい君の作文を紹介します。
お父さんやお母さんに聞いた話、自分で調べた話などが、作文の題材を広げています。
結びの感想は、大きく「わかったこと」で、高学年らしくまとめています。
会話の書き出しは、平凡なものになりやすいので、情景などで書き出しの工夫をしていくといいと思います。
課題フォルダでは、題名が決まっていますが、自分で書く作文には、題名を工夫して書いていっていいです。「○○な○○」のように題名を工夫してもいいです。
表現語彙が100点で、密度の濃い作文になっています。これからもがんばってください。
(読みやすくするために、段落ごとに2行改行しています。)
節分
あきぬい
「いただきます。」今年の方角は東北東だ。ぼくの食卓のテーブルの位置からは右側にある。椅子の向きを東北東に傾けた。恵方巻きをこぼさないように注意して食べなくてはいけない。
毎年節分の日になると、母が用意してくれた恵方巻きを食べる。その年の福の神様がいるとされている方角を向きながら無言で食べきると縁起が良いとされている。ぼくは早く食べ終わって無言から解放されたいので、まるで食べ物にありつけた犬のように恵方巻きにかぶりついた。ようやく食べ終わったあと、「恵方巻きって昔からあったの?」と母に聞いた。「子供の頃はそんな習慣なかったよ。」意外な答えが返ってきたのでびっくりした。節分とは、立春立夏立秋立冬の節期の前日のことをさす。旧暦では立春が一年の初めとされて一番重要視されているため、節分が立春の前日のことを示すようになったようだ。節分の日には江戸時代から明治時代にかけては商人や芸子が商売繁盛を祈願して巻き寿司を食べたことが由来らしい。その後その文化は一旦廃れてしまったが寿司海苔業界の宣伝効果により復活したそうだ。なるほど、だから母の時代には恵方巻きがなかったのだと納得した。恵方巻きを食べることは古くからある伝統的な行事を次の世代に受け継いでいく役割があるから、今後も続けていきたいと思った。
父は、子供の頃節分になるとお茶に豆を年の数だけ入れて飲んでいたらしい。なんだかまずそうだと思ったが、物は試しだと思いぼくも飲んでみることにした。それはまるで泥水を飲んだような味だった。そんなものを父は毎年飲んでいたのかと驚いた。そのような文化が本当に存在するのかと思って調べたら存在していた。それは福茶と呼ばれるらしい。ネットには豆だけではなく、梅や昆布も入れて飲む、と記載されていた。梅は松竹梅の梅、昆布は喜ぶ、豆はまめに暮らせるようにとの意味がある。これを飲むことで一年の邪気が払えるという縁起物の飲み物だそうだ。これを聞いて、正月のおせちについても同様の意味があることを思い出した。ということは、日本人は昔から節目の行事ごとに縁起を担ぐことを大切にしているのだと思った。昔は病気にかかったとしても、高度な技術での手術や薬などなかっただろう。だから現代よりもっと神様や福と縁があるものの存在を大事にしていたのかもしれないと思った。よって縁起を担ぐための福茶や恵方巻きなどが存在するのだろうと感じた。
伝統行事とは一年の平穏無事を願う昔から受け継がれてきた行事であり、それを後世に伝えていく大切な役割があることが分かった。そして昔の人たちは現代よりも神様や福の存在を大事にしていたため縁起を担ぐ行事を取り入れていたのだと思った。日本には四季折々の様々な行事や食べ物が存在する。それらには全て意味があるということが分かった。ぼくはその素晴らしい日本の伝統をこれからも大事にしていきたい。
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ユキヤナギ
中学123年生対象の全科学力クラスを、3月10日(日)から開始します。
勉強する教科は、国語、数学、英語、理科社会です。
幼長小学123年生は基礎学力クラス、小学456年生は総合学力クラスで、中学123年生は全科学力クラスになります。
なぜ、このようなクラスを始めたかというと、今の子供たちは、無駄な勉強の時間が多いからです。
勉強は、家庭学習で行うものです。
家庭で自分のペースでやっていれば、塾に通う必要はありません。
しかし、質問をしたい場合は、教えてもらう場が必要です。
また、勉強の進捗度をチェックしてもらうのに、そういう場があった方が便利です。
もちろん、ある教科力を入れたいという場合は、その教科について週に1回又は2回通う方がスムーズにできます。
しかし、自分で勉強を進められる人であれば、週に1回、勉強全体についてチェックしてもらう場があれば、それで十分です。
全科学力クラスは、1週目国語、2週目算数数学、3週目英語、4週目理科社会というかたちで勉強を進めていきます。
毎日の家庭学習を基本にして、週に1回勉強全体をコントロールする場があれば、それが最も能率のよい勉強法になります。
もちろん、週に1回や2回のペースで勉強していきたい講座があれば、それは並行してやっていってかまいません。
現在の高校入試は、総合点で合否が決まるようになっています。
総合選抜のように得意分野を生かす入試は、大学入試になってからです。
だから、中学生の勉強は、苦手をなくすことを重点にしていく必要があります。
得意な科目の90点を95点にするよりも、苦手な科目の70点を80点にする方がずっと容易だからです。
中学生の勉強は、難しいことはありません。
すべて、時間をかけて勉強すれば、誰でも成績が上がるような勉強です。
体験学習を希望される方は、個別れんらく、又は、電話でご連絡いただければ、体験用の教材をお送りします。
新中学1年生も参加できます。
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ツルコザクラ
1月の森リン大賞の作品をアップロードしました。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=01
森リン大賞は、4週目の清書の作品をもとに、森リン点を参考に、学年ごとの大賞を選定するものです。
昨年12月の森リン大賞で、次のようにお知らせしました。
「12月の森リン大賞と上位入賞者の紹介(小3の部、小4の部)」より
https://www.mori7.com/as/4918.html
====
小学5年生から、生徒は向上心を持つようになります。
すると、他の生徒の作品を見て、自分も努力したいと思うようになります。
それで、代表作品の表示は、小学5年生から行うことにしていました。
しかし、小学1、2年生や小学3、4年生でも、同学年の生徒の作品を見たいという人が多かったと思います。
そこで、1月4週の清書からは、小学1年生から上位入賞者と代表作品を表示するようにします。
保護者の方は、優れた作品を見ることが参考になるということで、森リン大賞を見てください。
勝ち負けを競うようなことは、低中学年のうちはなるべくしないように家庭で配慮していかれるといいと思います。
====
2024年1月から、小学1年生から、大賞作品を表示することにしました。
4週目の清書は、生徒が手書きで書くとともに、保護者の方がパソコン入力できるようでしたらテキスト化された作文を送ってください。
パソコンで入力し直す場合、文章は普通の漢字仮名交じり文に直してかまいません。
例えば、生徒が「体そうをしました」と書いてあるのを、「体操をしました」と直して結構です。
【小2の森リン大賞から】
※読みやすくするために段落ごとに1行空けました。
あわてんぼうの神さま
みきひさ
一月一日の十二時ごろに、はつもうでに行きました。お父さんとお母さんとぼくの三人で、自てん車で行きました。神社の名前は、こま木台八はた神社です。いつもは本殿のとびらがあいていません。けれども、今日はそうじのためにとびらがあいていました。一番すごいと思ったことは、本殿がとてもうつくしかったことです。
ぼくが、
「どうやって、おまいりをするの。」
と首をかしげながら聞きました。その後にお母さんが、
「さいしょに、二回おじぎをして、つぎに、二回手をあわせたら、おねがいごとを心で言って、さい後におじぎをすればいいんだよ。」
と言いました。その後お父さんが、
「二礼二拍手一礼だよ。」
とかっこよく言いました。まるで社長さんみたいでした。ぼくは、
「わかったよ。」
とニコッとして言いました。その時のぼくがならしたすずからカランカランといういい音がしました。おまいりの仕方を教えてもらって、ぼくはとてもうれしくなりました。
もしぼくが、神さまだったらみんなから、
「あわてんぼうの神さまの神社だよ。」
とわらいながら言われているとおもいます。どうしてかというと、とてもいそがしくしているからです。たくさんの人が神社に来るので、おねがいごとをたくさん聞かなければいけません。たくさんおまいりをする人がいてぼくは、
「お、まいりました。」
と何回もびっくりしていると思います。
ぼくがおまいりをしたのは、べんきょうとけんこうの神さまでした。神さまにたくさんおねがいをしてしまったので、あわてんぼうの神さまみたいになってしまっていると思います。でも、おねがいごとが一つでもかなったらうれしいです。
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小1から高3までの作文が並ぶと、学年に応じて、みんなの考え方や感じ方が成長していることがわかります。
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広尾学園高校 医進・サイエンスコース Y.Yさん
<担当講師より>
中1からコツコツと努力されてきました。
どの科目も手を抜かず、決めたことは絶対にやり抜く芯の強い生徒さんでした。
高校生になっても 自分の目標を次々と達成し、前進されるのだろうと思います。
合格おめでとうございます。
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鹿児島県立甲南高校 E.M.さん
<担当講師より>
受験コースではありませんでしたが、作文を通して自分自身と向き合ってきたことが、面接での自己アピールにも活かせたようです。
伸び伸びとした校風の学校だと聞いています。持ち前の明るさで高校でも活躍してくれると思います。
作文も継続してくださるとのこと。さらなる成長を期待しています。
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ノゲシ
子育てで、親がいちばん迷うのは、小学3、4、5、6年生でどういう選択をするかということです。
それは、親の選択によって、子供の今後の生活が左右されるからです。
中学生になれば、勉強の方向はほとんど決まってきます。
高校受験をする子は、受験を目指せばいいし、受験をしない子は、そのまましっかり中学校生活を送っていけばいいからです。
高校生になると、選択肢は多様になりますが、基本の方向は変わりません。
自分の個性と実力を見て、進学先を決めればいいからです。
しかし、小学3~6年生は、親の考え次第でどういう選択も可能です。
中学受験をすると決めれば、それはそれで一貫した教育方針になります。
ところが、今の中学受験のための勉強は、かなり不自然なところがあります。
小学5、6年生は、自分の意思があるように見えて、本当はまだ勉強や人生に対する自覚のない時期ですから、環境に左右される度合いが強いのです。
中学受験のマイナス面を言えば、勉強のしすぎによって、たとえ合格してもしなくても、その後、勉強に飽きてしまうことがあります。
また、勉強を自分自身の向上のために行うというよりも、点数のために行うという発想になりがちなところがあります。
この発想は、大学生になっても、社会人になっても続くので、就職も、よりよい偏差値のところを目指すということになることがあります。
よりよい偏差値のところへという圧力は、本人よりも親の方が強いことがあります。
「せっかくいい大学を卒業したのだから、その経歴がもったいなくないような選択をしなければ」という発想になるのです。
大学入学までがゴールで、その先を考えていなかったので、自然にそういう世間的に通用する選択になってしまうのです。
これからの世の中は、大企業で安定しているから一生困らないというようなことはなくなります。
その一方で、何をしても生活するには困らないだけの社会基盤ができるようになります。
だから、若者には、冒険できる余地が多い社会になっています。
子育ての方向は、子供が社会人になるときに、自分らしい冒険を目指すような子に育てることです。
もちろん、結果として、別に冒険はしなくてもいいのです。
既成の枠組みに入ることだけが選択肢ではないという生き方を目指していけばいいのです。
そのために、小学生からどういう教育をしていくかということです。
ここからは、言葉の森の紹介になりますが、私は、小学生からの教育で大事なものは、読書、作文、親子の対話、そして創造発表の学習になると思っています。
創造発表の学習の目標は、「個性を学問に、学問を創造に」です。
学校や塾で、先生から与えられた目標を目指して努力するだけでなく、自分の好きなことを目標にして努力するような生き方をするのです。
与えられた目標というのは、勉強に限りません。
スポーツでも、音楽でも、ほかの人から与えられた目標があり、そこに競争や勝敗が加わると、人間は自分が本当に何をしたいのかということよりも、その目標を達成することが自分自身の目標になります。
もちろん、そういう面はあっていいのです。
しかし、それとは別に、自分の本当にしたいことを目標とするような生き方もしていく必要があります。
ところが、自分の本当にしたいことは、多くの場合、誰からも認められません。
特に、お父さんやお母さんや学校の先生は、「そんなことして、どうなる」という見方をしがちです。
そういう周囲の無視や無理解に負けずに、自分のしたいことを追求するには、同じような個性のある仲間との出会いと交流が必要です。
その個性ある子供たちの出会いと交流の場が、創造発表クラスの学習です。
創造発表クラスの学習は、小学1、2年生では、まだ無理があります。
小学1、2年生は、自分のことしか関心がないので、他の生徒の発表に共感したり感動したりする交流がまだないからです。
創造発表クラスの学習が交流に結びつくのは、もっと学年が上になってからです。
しかし、学年が上がり、それぞれの子供たちの個性が際立ってくると、逆に話が合わなくなる面も出てきます。
だから、大勢の子供たちが、自分の興味関心に応じて、いくつもある多様な創造発表クラスを選択できるようできればいいのです。
いずれ、この創造発表的な学習が、教育の主要な教科になる時代がきます。
その端緒はすでに、高校の探究学習や、大学入試の総合選抜などに表れています。
小学5、6年生は、受験勉強に取り組まない場合、その生徒の持っている意欲や能力を学校の勉強だけでは十分に発揮できません。
その余っている力を、スポーツや音楽やゲームという与えられた枠組みに費やすのではなく、創造発表的な学習に生かすようにすることが、これからの子育ての重要な柱になるのです。
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「今は、勉強が大事なのだから、自分のしたいことは大学に入ってからゆっくり考えればいい」と言う人もいます。
しかし、人間の生き方は、子供時代から作られています。
「あとでゆっくり考えればいい」と生き方は、いくつになっても続きます。
とりあえず、今ここで考えていくことが大事なのです。
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小学3、4年生は、多読と遊びの時期です。
遊びは、多くの子にとって、冒険的な遊びも意味します。
スポーツに参加するようなことも含めて、新しい冒険を通して、子供たちは生きるたくましさを身につけていくのです。
この遊びによって、困難や競争に負けない力が育ちます。
人間社会には、さまざまな摩擦があります。
その摩擦をはねのける力がたくましさです。
言葉はよくないかもしれませんが、「やられたらやり返す」というような生きる姿勢は、人生にはある程度必要です。
その姿勢は、不正なことに参加しないとか、弱い者を助けるとかいうたくましさにつながります。
そのためには、子供に自由裁量の余地を持たせることが必要です。
小学3、4年生の時期の子供は、秘密基地を作るような遊びを好みます。
それは、それまでの親の指示から離れて、自立して生きてみたいという意識の表れです。
小学2年生まで、親や先生の言うことを素直に聞いていた子が、小学4年生のころから、自分の意見を主張するようになります。
自立心を持つようになった子と新しい親子の関係を築くためには、小学1、2年生のころから、できるだけ子供の自主性を尊重する習慣をつけておくことが必要です。
小学1、2年生のころは、どうしても親がコントロールする面が多くなりますが、できるだけコントロールしないことを心がけていく必要があります。
小学5、6年生になると、子供に向上心が出てきます。
友達が、中学受験をすると聞くと、自分も負けずに受験に挑戦したくなります。
苦しくてもがんばるということに生きがいを感じられる年齢になるのです。
ここで難しいのは、今の中学受験にどう対応するかということです。
中高一貫校に入ることには、大学入試に有利になるという利点があります。
それは、勉強の先取りができるので、公立高校の生徒より1年早く受験勉強に取り組むことができるからです。
もちろん、今は、書籍でもネットでも、学習の材料は容易に手に入りますから、公立高校であっても本人が自覚して1年間先取りの勉強をすることはできます。
しかし、若い時期は周囲の雰囲気に左右されるので、実際にはなかなかひとりだけ勉強の先取りをすることはできません。
だから、中高一貫校、受験勉強の先取りという点で有利なのです。
ところが、最近の大学入試は、総合選抜が主流になりつつあります。
これまでのような知識の成績だけで1点差を競うような入試ではなく、個性と創造性を問うような入試が増えています。
すると、高校時代にどういうことをしたかということが大事になるので、勉強の1年間先取りは、今後あまり意味を持たないようになります。
一方、公立中学は、地域によっては荒れている学校もあります。
小6から中2のころは、年齢的にいじめやさぼりなどが多くなる時期です。
中学3年生になれば、ほとんどの子はもっと人間的に成長しますが、それまではいろいろな問題が残るのです。
そのため、学校では、管理を厳しくすることによって生徒を従わせようとする面が出てきます。
こういう息苦しさが、今の不登校の増加を生み出している面があります。
こういう問題に対しては、次のように考えていけばいいと思います。
周囲がどういう環境であっても、勉強は自分でするものだから、勉強面は、家庭学習をしっかりやっていけばいいということです。
また逆に、公立中学は、今の社会の縮図とも言えますから、そういう環境で生活することは、将来自分が仕事をして人の上に立つときにプラスになるということです。
不登校になっても、毎日の生活習慣をきちんとして起床時間を守るようにすれば、かえって学校に通うよりも充実した生活が送れます。
友達関係は、ネットでも、地域でも、自分の趣味に応じて自由に探すことができます。
だから、不登校という選択肢も、今はおおらかに考えていけばいいのです。
さて、中学受験をする小学5、6年生と、受験を選択しない小学5、6年生では、日々の生活が大きく変わります。
受験勉強で成績を上げるためには、時間をかける必要があります。
受験勉強は、結局知識を詰め込む勉強ですから、時間と成績は比例しています。
しかし、そのために、読書の時間が減ったり、自由な趣味の時間が減ったりするのは、子供の成長を歪めます。
1年間だけの集中した受験勉強であれば、むしろ集中力が育ち、弊害はありません。
しかし、今は小学3、4年生からの先取りの受験勉強で、しかも集団一斉指導で一律の宿題やテストに追われる勉強ですから、子供の生活に偏りが出てきます。
また、夜遅くまで通塾する受験勉強で、家庭での親子の団欒の時間がなくなるという面もあります。
小学5、6年生の時期は、親子が最もよく対話のできる時期です。
この時期の作文の課題で、子供が両親に似た例を取材する機会があることは、子供の成長に大きなプラスになります。
中学生になると、親子の対話はだんだん少なくなりますから、小学5、6年生の時期こそ、親子が自由に話のできる時間を確保しておく必要があるのです。
ところが、中学受験をしない小学5、6年生は、どういう生活になるかというと、学校で仲のいい友達の多くが受験の塾に通っているとなると、放課後に遊ぶ相手がいなくなります。
すると、ゲームをしたり、YouTubeを見たりして時間を潰すしかなくなるような生活になることがあるのです。
だから、家庭によっては、子供の生活時間を規律あるものにするために塾に通わせるというところもあります。
確かに、子供が家庭で暇を持て余しているよりも、塾で勉強している方がいいとは思いますが、その時間は中途半端な時間とも言えます。
では、どうしたらよいかというと、本人の趣味の分野を極めるような生活に切り替えていくのです。
その趣味の分野は、スポーツや音楽のようなものよりも、学問的なものがいいと思います。
スポーツや音楽の分野は、いくつかのメジャーな枠組みがあるので、その分野で何かを創造するよりも、枠組みの中で競争したり上を目指したりする方向に向かいます。
スポーツや音楽の競争の過程で、さまざまな努力や出会いや交流があることは確かですが、その分野で将来プロになる子はいません。
学問の分野は、多様性に富んでいるので、メジャーな枠組みというものはありません。あるとしたら、受験勉強ぐらいです。
さかなクンの趣味は、魚でしたが、魚を研究してどうなるかという見通しがなかったから自由に魚について調べることができました。
だから、その分野で日本一になったのです。
小学5、6年生は、向上心がわく時期なので、その向上心を生かして、子供の個性を生かす学問的な分野を探していくことができます。
男の子の場合は、電車オタクという子がよくいます。
そういう子は、不思議なことに、勉強もよくできるし、意欲もあるという子が多いのです。
そのほかに、料理やファッションに興味があったり、生き物を飼うことが好きだったり、昆虫の採集や、化石や鉱物の収集に興味があったり、プログラミングが好きだったりする子もいます。
そういう熱中する趣味を持つ子は、みんな勉強がよくでき、いい大学に進んでいます。
大事なことは、熱中するものがあることで、それが大学入試の場合も勉強に熱中する力として生きてくるのです。
子供の興味は、さまざまに変化しますが、小学5、6年生から、自分の好きな分野に取り組む生活をしていると、それは、中学生になっても、高校生になっても継続させることができます。
その趣味の学問の延長で、大学入試の総合選抜に進むということが、これからの子供の教育設計として考えられます。
趣味の学問の分野が突出していれば、学校の成績はオール4でよく、そのかわり東大でも、京大でも、東北大でも、早稲田でも、慶應でも、どこでも自由に受けられるようになります。
東北大は、2024年度から、総合選抜入試100%になりました。
しかし、大事なのは、その先です。
これまでは、子供たちの進路は、大学入試がゴールでした。
それは、大学入試に合格するための勉強してしてこなかったからです。
大学に入ったあとは、することがないから、大学生活を楽しむことしかありません。
そして、卒業するときは、大学入試と同じように、企業の偏差値を見て、偏差値の高いところに就職するようになります。
偏差値の高い企業は、給与もよく、厚生施設も充実して、それなりにやりがいもあります。
しかし、本当のやりがいは、自分が好きだったことを社会生活の中で実現することです。
これからは、人生100年時代です。ほんとか(笑)。
大学卒業後、又は大学院卒業後の20代で方向が見えてしまう人生ではなく、その後の自分の努力と工夫次第でどうにでもなる人生を歩むことが、これからの子供たちの未来になってきます。
そういう長い展望を意識しながら、今の小学生や中学生の勉強を考えていく必要があるのです。
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かつて、三井三池炭鉱は、日本のエネルギー産業の花形で、安定した職業として魅力的な就職先でした。
そのころ、まだ成長前の自動車会社を就職先に選ぶのは、むしろ成績が二番手以下の学生たちでした。
福沢諭吉の兄は優秀で、諭吉に、四書五経をしっかり読むことを勧めました。
しかし、諭吉は、西洋の学問に興味を持ち、脱藩して西洋の医学や経済学や哲学を学ぶことを始めました。
大人の考える未来の予測は、変化の激しい時期には大きくはずれます。
だから、どういう変化が来てもいいように、子供たちの意欲を育てておく必要があるのです。
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