高校で探究学習が始まっています。
これは、いいことですが、私はその先の学習があると思います。
探究学習は、自分の興味関心のあるものを探求していくことです。
しかし、現在、探求学習のための手段は、参考書よりもネット検索、ネット検索よりもChatGPTの時代になっています。
探求は、昔のように時間のかかる学習ではなく、誰でも数時間でできる学習になっているのです。
探求は、出発点です。
探求のあとに、本当の学習が始まります。
それが、創造と発表の学習です。
しかし、創造と発表の学習のカリキュラムはまだできていません。
昔、言葉の森が、作文の学習を始めたときも、作文のカリキュラムはありませんでした。
言葉の森が、小1から高3までの作文のカリキュラムを作りました。
今は、創造発表の学習が始まろうとしている時代です。
このカリキュラムを作り、誰もが創造発表の学習に取り組めるようにすることがこれからの教育の課題です。
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シレネ ピンクパンサー
国語というのは、日本語のことですから、普段誰でも日常的に使っている言葉です。
その言葉で国語の読解問題を出すのですから、問題を出す人は工夫をします。
工夫のひとつは、難しい文章を問題を出すことです。
これは、誰でも考えつきます。
だから、国語の問題文には、悪文が多いのです(笑)。
悪文の例は、「前者」とか「後者」とかいう言葉を使うことと、「それ」とか「その」とかの指示代名詞を使うことです。
だから、作文には、こういう言葉を使わずに、できるだけ具体的に書いていく方がいいのです。
さて、国語の問題を作る人のもうひとつの工夫は、合っていそうなものを正解にするのではなく、間違っていないものを正解にするような選択肢を作ることです。
読解検定をやっていて、なかなか点数が上がらないという人は、この解き方のコツを理解してください。
そして、もうひとつは、問題集読書で、難しい文章を読み慣れておくことです。
読解問題の解き方は、次の記事を参考にしてください。
▼国語の勉強法
https://www.mori7.com/bennkyou.html
====
……
実際の問題文は、ここに載せた文章の6、7倍あります。普通の高校生でこういう文章を読むと、大体最後の方には意識が朦朧(もうろう)としてきます。設問を見て、問題文を読み直す気力が失せた状態で選択問題を解くので、合っていそうなものに○をつけてしまうのです。
設問を一つずつ見ていきましょう。
1は、「哲学の場合、対象へのアプローチの仕方を説得できることが重要」などとどこにも書いていないので×です。
2は、特に間違っているところはないので保留です。
3は、「学問は自分とのかかわり方をより望ましい方向へ持っていくために知識を得る」などとどこにも書いていないので×です。むしろ、その反対のことが書かれています。
4は、「学問は、自分とのかわわりを知るために考える」などとどこにも書いていないので×です。これも、その反対のことが書かれています。
5は、「哲学は、自分自身を知ることを目的として問いを立てる」などとどこにも書いていないので×です。これは、この設問自体について言えば、合っているとも合っていないとも言えませんが、問題文との関連で当てはまらないということです。
したがって、正解は、特に間違ったことを言っていない2ということになります。
国語の選択問題はすべてこのような発想で解いていきます。ですから、難しいことは何もありません。ただし、大量の文章をこのように読みこなしていくためには、まず問題文自体をすらすらと読める力が必要です。そのためにも、問題文を繰り返し読む勉強法が有効なのです。
====
こういう理詰めの読み方は、子供だけではなかなかできません。
しかし、先生が授業の中で、こういう読み方を説明することもできません。
一斉指導で説明することはできますが、一斉指導で理解する子はほとんどいません。
一人ひとりのそれぞれの選択肢について、本人が納得するまで説明する必要があるからです。
だから、国語の読解問題は、結果が返却されたあと、お母さんが一緒に見てあげることが必要になります。
問題の中には、お母さんが見てもうまく説明できないものがあると思います。
そのときは、国語読解掲示板に書いてください。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=45
そのときに、ただ「わかりません」と書くのではなく、「こう思ったのですが、なぜ……ですか」と本人の考えも書いておくといいです。
こういう質問のできる子は、みんな国語が得意教科になります。
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あるとき、高3の元生徒から、「国語の成績が悪いのでどうしたら……」と相談がありました。
その子は、中学生のときは、読解検定についての質問をよくする生徒で、国語の成績はとてもよかったのです。
それで、実際に悪かった問題と解答を送ってもらいました。
すると、中学生のときに解いた読解問題の解き方のコツをすっかり忘れているのです。
そのことを話したら、すぐに納得して、それからまもなく東大に受かりました。
東大の国語は記述問題なので、その前のセンター試験の国語がよくできたのです。。
読解問題の解き方は、国語力という面もありますが、それとともに解き方のコツを理解しているかどうかということがあるのです。
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「こんにちは」 道にとびでている菜の花(笑)
言葉の森のほかにも、いろいろな作文講座や作文教室があります。
そういうところの指導のほとんどは、小学生どまりです。
小学生の作文の勉強では、小学4年生までは、生活作文という事実中心の作文です。
この事実中心の作文を表現豊かに書くことが、小学生の作文のひとつの目標です。
しかし、小学5年生からは、事実文ではなく説明文の課題になります。
説明文の場合も、作文の中身は事実が中心ですが、大事なことは、その事実を通してより抽象的な主題があることです。
例えば、小学3、4年生の子が、友達のことを作文に書く場合、友達との出来事だけで作文を書くことができます。
「友達とあんなことをした。こんなことをした。」という作文です。
しかし、小学5、6年生になると、友達との出来事だけでなく、「人間にとって友達とは何か」という抽象的な主題が出てきます。
その「人間にとって友達とは」という主題に合わせた出来事を見つけて書くというかたちになってくるのです。
これが、中学生になると、更に主題中心の展開になります。
自分の意見という主題に合わせて、その主題に合う事実を構成するという書き方になります。
作文の学習には、こういう発想の進歩があるのです。
作文は、小学5年生から本格的に難しくなります。
小学校の高学年まで作文の勉強を続けなければ、低学年から作文の勉強を始めた意味がありません。
言葉の森のほかの作文講座の中には、「小学1年生から6年生まで」とうたっているところもあります。
こういう作文講座では、小学5、6年生の作文指導も十分にはできません。
作文の勉強では、中学生、高校生までの作文指導があるのが当然で、その流れの中で、小学校高学年の作文指導もあります。
ということで、新しく小学5年生になるみなさんは、新学年になると、作文の課題が急に難しくなったと感じると思いますが、それが自分を成長させるのだと思ってがんばってやっていってください。
小学5年生の字数の目標は1000字、小学6年生の字数の目標は1200字です。
こういう字数も平気で書けるように、作文と読書に力を入れていってください。
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慶應義塾大学理工学部 H.S.さん
<保護者様より><担当講師より>
K高校在学中も三年間連続で成績優秀者としてたゆまぬ努力をされていました。自分の適性を鑑み、理工学部への進学を決定されたそうです。
私は、小学三年生からHさんを担当させていただいたのですが、
お母様から言葉の森について嬉しいお言葉をいただきました。
「言葉の森で積み重ねてきたことがこの子の力になっている。書いた文章を認め、指導の中でも思ったことを認めていただきありがとうございました。
言葉の森で暗唱を続けたことで言語への関心が湧き、この子が言語を学びたいという学習意欲を高めさせてくれました。」
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コブシ
総合学力クラスの小学4年生の生徒が、創造発表の週の授業のとき、自分の作ったキャラクタを紹介して、「いつか、このキャラクタを売れるようにしたい」と言っていました。
大物(笑)。
昔ながらの国算英理社を勉強していただけでは、こういう発想は生まれません。
昔の勉強は、仕事をさせられる人になることが目標で、仕事をする人になることではなかったからです。
経済が発展しているときは、仕事をするためのハードルは低いものでした。
勉強は、そこそこできれば、自分で新しい仕事を始めることができました。
松下幸之助、本田宗一郎、井深大(まさる)は、学校の勉強は、普通にそこそこできていただけだと思います。
少なくとも、超エリートと呼ばれるような学歴では全くありませんでした。
しかし、日本が戦後の復興に向けて、新しい社会を作ろうとしているときに、高学歴は必要なかったのです。
必要なことがあれば、必要なときに学べばいいので、学ぶ力と意志があれば、学ぶことはあとからいくらでも身につけることができたのです。
しかし、その後、日本の経済は停滞しました。
量的には発展していましたが、質的には停滞していきました。
できあがったものを改良して増やしていくだけの経済になったのです。
今も、その時代は続いています。
だから、今の若者の多くは、大学入試のゴールを達成したあと、大企業に入社することをゴールにしています。(一部は、違いますが)
もちろん、それは、悪いことではありません。
企業の大きな肩の上に乗って、自分の個性を更に大きく伸ばすことはできます。
しかし、それは沈んでゆく豪華客船の上で、よりよい上の階に移ることでしかないように思うのです。
新しい時代は、新しい小船に乗って始めることです。
今はまだ、そういう選択は無謀のことのように思えます。
しかし、世の中の変化が迫っているときには、早めに無謀なことに挑戦していくのがいいのです。
明治時代に入る前の福沢諭吉の選択に賛同する人は、家族でも友人でも知人でも誰ひとりいませんでした。
みんなから認められるようなことは、時代の変革期には時代遅れのことなのです。
ところが、新しい時代に挑戦するためのベースは、松下幸之助、本田宗一郎、井深大が生きていた時代とは違っています。
その違いを理解することが大事です。
第一は、現代の新しいテクノロジーを前提にすることです。
それが、パソコン、ChatGPT、3Dプリンタ、仮想通貨、クラウドファンディングなどです。
しかし、新しいテクノロジーをそのまま使うようなものは、すぐに競争過多になります。
中国のシェアサイクルは、一時は広まりましたが、今残っているの会社はわずかです。
結局、競争が過多になるものは、工夫を続けるところしか生き残ることができません。
だから、必要なことの第二は、読書によって自分の考えを深めることです。
単に新しいものに着手するだけではなく、そこに自分なりの哲学を作っていくことです。
新しい技術と古い読書、これが、これからの子供たちの学ぶべきものの基本です。
しかし、子供たちの保護者である、お父さんやお母さんの多くが、どちらも苦手であることが多いのです(笑)。
大人の人が今から読書をがんばるのは難しいので、とりあえず、子供と一緒に新しい技術に接していくことが大事になると思います。
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レンギョウのつぼみ
目白駅に行かなければならない用事があったので、本を3冊カバンに入れて、行き帰りで読むことにした。
行きに1時間半、帰りに1時間半ぐらいだから、たっぷり読めた。
本棚から急いで取り出したので、かなりランダムだが、
「
日本転生」(苫米地英人)
「ChatGPTプログラミング1年生」(森巧尚)
「シリウス宇宙連合アシュター司令官VS保江邦夫緊急指令対談」(保江邦夫・江國まゆ)
もうすでに読んでいたものもあったが、繰り返し読んでもいいと思ったので持っていった。
3冊の読後感をまとめてひとことで言えば、世の中はいい方向に変わっているということだ。
特に、苫米地さんの話は、一昔前だったら言えなかっただろうことが書かれている。
保江さんも、そう。
ChatGPTは、これから中学生以上の生徒全員がアカウントを取得するといいと思う。
野口悠紀雄さんの「ChatGPT超勉強法」にも書いてあったが、もう、先生という仕事は要らなくなると思う。
そのときの新しい教育の方向はわかっている。
それは、ひとつは作文と創造発表とプログラミングだ。
しかし、もうひとつ、国数英理社の教科の勉強をひととおりしておく必要がある。
それは、基礎学力、総合学力、全科学力でまとめて短時間でやればいい。
勉強を短時間で済ませて、空いた時間は、自分の好きなことと難読に力を入れることだ。
苫米地さんの本で、共感したところが、学生は難しい本をしっかり読めということだった。
考える力のある人は、すべて読書の大切さを知っている。
とりとめのない話になってしまったが、今日は充実した一日だった。
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苫米地さんの「日本転生」は必読書。
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北海道立札幌北高校 Y.K.さん
<担当講師より>
(プログラミングクラス)
何ごとにおいても自ら考え行動できる文武両道のKくん、受験直前にもプログラミングクラスで楽しく学び続けてくれていました(よい気分転換になっていたかな?)。テキスト通りに進めたあとは試行錯誤しながら様々なアレンジを加え、いつも自分らしい作品に仕上げてくれるところが印象的でした。陸上部の活動でも上位大会に出られる実力者で勉強もがんばっているのに、いつも飄々と爽やかな笑顔で参加してくれるスマートなKくん、年の離れた体験・振替の友だちに対しても分け隔てなく優しいコメントを伝えてくれるところもとても素敵だなあといつも思っていました。新しく始まる高校生活も、その先の生活もぜひKくんらしくエンジョイされてくださいね!第一志望合格おめでとうございます!!
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「虹の戦士」の話の中で、老婆が語る最後の言葉は、こうです。
「愛と喜びをみんなの間に広げることだけが、この世界の憎しみを、理解とやさしさに変えることができる。この世界から、いっさいの戦争と破壊をなくするために、残された道はもはやそれひとつしかない」
共感力とは、こういう考え方を表す概念です。
塩谷さんは、同じことを、「大和(だいわ)の御代(みよ)」という言葉で言い表しました。
大和とは、自分の平和、家族の平和、日本の平和、世界の平和を超えて、あらゆるものが平和に生きることです。
人間に対してだけでなく、すべての生き物に対して、鳥でも、虫でも、木々でも、また、生き物を超えて、空でも、風でも、太陽でも、そこにそう存在しているものすべてを温かい目で見る感性が共感力です。
では、共感力は、どのようにして育つのでしょうか。
それは、決心です。
あらゆるものを愛そうとする決心によって、人間は共感的な人間になるのです。
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言葉の森のライバルというのはない。
森林プロジェクトでやっている教室は、言葉の森と同じ教材で同じレベルだから、むしろ共通の友達だ。
ぶんぶんドリムは、言葉の森のマネで始めたところだから、まあがんばってやってくださいということだ。
齋藤孝さんの顔を見て始めた人がほとんどだろう。
情報弱者というのは、文章よりも印象で判断する人たちのことだ。
言葉の森の本当のライバルは、未来だ。
未来の社会で求められる、思考力、創造力、共感力の教育に、まだ、言葉の森は部分的にしか追いついていない。
しかし、方針は明確だから、あとは時間の問題だ。
教育は、小学校や中学校や高校の生徒だけの話ではなく、大学生になっても社会人になっても必要なものだ。
もちろん、それは、教えてもらう教育ではない。
みずから創造する教育だ。
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