ブラックベリー
今は、小学生のよくできる子は、中学受験をするのが一般的です。
しかし、中にはそうでない子もいます。
学力は十分にあり、勉強もよくできるが、特に中学受験をしないので、時間的に余裕のある子供たちです。
そういう子供たちはみんな、読書をしっかりしています。
だから、話すことも上手だし、話すときの語彙も豊富です。
学力の上では、十分に実力があるのです。
ところが、同じ学校の友達の多くが中学受験をするのに、自分は受験をしないとなると、ふとおいていかれたような気になることがあります。
小中学生は、まだ自分に対する自信がないので、不安になることがあるのです。
実は、そんなことは全然ありません。
中学受験をした子も、受験をせずにのんびり過ごしていた子も、本当の勉強が始まるのは高校生になってからです。
高校生になってからの勉強次第で、小学生、中学生のころの勉強はすぐに逆転してしまうのです。
だから、大事なことは、高校生になってからの勉強を進めるための本当の学力をつけておくことです。
本当の学力のひとつが読書、もうひとつが作文です。
ただし、算数数学や英語は、積み重ねの必要がある勉強なので、いったん苦手意識を持つと、そのまま本当の苦手になってしまうことがあります。
だから、小学456年生は、一応、算数数学と英語だけは、コンスタントに勉強しておく必要があります。
そのために作ったのが、総合学力クラスです。
週1回の授業で、国語、算数、英語、発表の勉強を順番にします。
それらの教科の中で、もっと力を入れたい教科があれば、それぞれ国語読解クラス、算数数学クラス、英語クラス、創造発表クラスに追加で参加すればいいのです。
総合学力クラスと同じような趣旨で作っている小学123年生用のクラスは基礎学力クラスです。
中学生用には、全科学力クラスがあります。
総合学力クラスの子供たちも、基礎学力クラスの子供たちも、みんな例外なく優秀です。
そして、中学受験の塾の勉強に追われていないので、読書についても、趣味についても、取り組む時間が十分にあります。
小学生時代には、こういう自由な時間の蓄積が大事なのです。
特に、今後、大学入試は、知識中心の一般入試よりも、総合選抜型の入試が主流になります。
社会でも、総合選抜型の人材を求めるようになっています。
入社試験の入口では、まだ学歴が基準になっているところがほとんどですが、いったん仕事を始めたら、学歴と実力は全く関係がないということは、多くの人が感じていることたと思います。
本当に求められているのは、総合選抜型の実力なのです。
ところで、話は少し変わりますが、保護者の方は、子供が暇そうにしていることに不安を感じることが多いようです。
塾に行かないので時間はあるが、果たしてそれでいいのだろうかという不安です。
そこで、スポーツや音楽やダンスに取り組ませることもあります。
それらは、身体を使うので、子供にとって楽しいことなので、それはそれでいいのです。
しかし、その一方、今のスポーツ、音楽、ダンスなどは、競争と勝敗というところに向かいます。
楽しむための趣味ではなく、勝つための趣味になるのです。
私は、子供は、暇そうにしているのが最も自然だと思います。
その暇そうな時間の中で、次第に自分らしい個性を育てていくのです。
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子供は、暇そうにしているのがいちばんです。
年がら年中がんばっているような生活はしないのがいいのです。
その暇な時間をどうするかというと、まずは読書。読書を通して、自分の趣味も見つかります。
次は、作文、創造発表、プログラミングかなあ。
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ヒルガオ
作文力と読書力のある子は、算数数学も英語も理科も社会も、必要に応じてすぐにできるようになります。
だから、作文と読書が大事なのですが、作文も読書も点数がつきません。(森リンは点数がつきますが)
そのため、点数がつく勉強の方を優先して考え、作文と読書を後回しにしてしまう子がいるのです。
作文力が大事という「東洋経済オンライン」の記事がありました。
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作文力を鍛える「タイムリミット」は何歳なのか
大人になってからクセを直すのは大変だ
https://toyokeizai.net/articles/-/755177
「勉強するにも、頭の中で準備ができていなければなりません。視野を広く持ち、見識も広げるべきです。読書や作文は、この勉強の下地作りにもっとも有効な手段です。下地がうまくできれば、それまでバラバラだった知識がひとつに結びついていきます。そのためにも正しく読み、スピーディに書けることが不可欠です」
韓国屈指の漢学者であるチョン・ミン教授の言葉です。多くの専門家が、幼いうちから作文に取り組ませることで、子ども自身が自分で考えて、その考えを整理し、表現して伝達することに慣れていくと述べています。
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言葉の森の作文は、小5から急に難しくなります。
小5は、抽象的な思考力が育ち始める学年ですから、国語も、算数も、理科も、社会も、すべて少しずつ難しくなります。
外国人で日本語のあまり得意でない子も、小4までは友達に聞きながらでもやっていけますが、小5からは自分で読む力がなければ勉強についていくことが難しくなります。
中学生になると、思考力の差は更に大広がります。
思考力の土台になるものは、読書力と作文力です。
だから、小学校低学年のうちに、書くことと読むことに慣れておく必要があるのです。
作文の勉強というと、子供が書いたものを添削することのように考える人がいますが、添削で作文が上手になることはありません。
最初に書いた作文の土台が大事なのです。
作文の勉強は、すべて事前の準備です。
小学1、2年生であれば、親が題材を工夫してあげることです。
小学3、4年生であれば、親が作文のテーマに関して、自分の子供時代の体験を話してあげることです。
小学5、6年生であれば、作文の主題に関して、親が自分の考えと自分の体験を話してあげることです。
そうして、毎週作文を書く練習をしておくことによって、作文を書くことが毎日の生活習慣となります。
この蓄積が、子供の作文力ととして残ります。
言葉の森の作文は、小1から始めて高3まで続けられます。(幼長と社会人の生徒もいますが)
小3や小4までの作文は、生活作文ですから、考えなくても書けます。
この時期に書き慣れておくことによって、小5からの作文の準備をすることが大事なのです。
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勉強は、作文と読書と算数数学と歴史を中心にやることです。
そのほかの勉強は、ネットで調べるか、AIを利用すればすぐにできるようになります。
勉強は、身体化しておくことが大事なのです。
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かすみ草
AIでいくらでも文章を作れる時代になりました。
そこで、2023年の5月に、「
読書感想文コンクールは、たぶん今年で終わる――ChatGPT時代の教育は、新しい形にならざるを得ない」という記事を書きました。
この記事には、読書感想文の書き方も載っています。
ところで、この記事を参考に、学校の宿題をChatGPTでこなす子もいたようです。
しかし、勉強というのは、先生に褒められるためにやるのではなく、自分の成長のためにやるものです。
だから、文章を書く力は、AIの利用とは関係なく必要なのです。
同じようなことを書いている記事がありました。
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AI時代に、なぜ「作文力」が重要視されるのか?
自分の価値を言語化できる子がこれからの優秀児
https://toyokeizai.net/articles/-/741136
これからの時代は、AIに真似のできない、人間ならではの思考力・表現力・創造性を発揮して文章が書ける子が、優秀児と評される時代です。そんな時代の流れを受け、新傾向といわれる近年の中学入試では、全教科を通じて記述問題がすごく増えていますし、作文一教科入試の中高一貫校も出てきました。大学入試でも「総合型選抜」などの新入試は、高校の評定平均と外部試験の英語スコア以外、ほぼ国語一教科入試となっています。
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では、作文力をつけるための勉強として何が必要なのでしょうか。
第一は、読書です。
読む力に応じてしか、書く力は伸びません。
第二は、対話です。
しかし、対話というと、多くのお母さんは、子供から何かを聞き出すことが対話だと思ってしまうようです。
そうではありません。
子供から何かを聞き出すのではなく、親が話してあげるのが対話です。
だから、場合によっては、お父さんとお母さんが対話をして、子供はそばで聞いているだけでもいいのです。
作文の勉強というと、出力を中心に考えがちです。
そのため、作文の添削を受ければ、作文が上手になると考えがちです。
そうではなく、作文の勉強のためには入力が大事なのです。
対話も同じです。
対話で大事なことは、出力よりもやはり入力です。
ほかの人の話を聞くことによって、対話をする力がついてくるのです。
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作文力をつけるために必要なのは読書と対話。
出力の前に入力がある。
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チガヤ
次の記事の漫画は、面白いですが、読む必要はないです。
こういう接続語の話を知っても、読む力は何もつきません。
また、読書をよくしている子は、国語問題の接続語の選択などは自然にできています。
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漫画でわかる!中学受験国語の読解力を上げる方法
接続語を意識すると読むスピードが一気に上がる
https://toyokeizai.net/articles/-/762132
接続語の前をA、後をBとすると、「だから」「したがって」「そこで」「それで」「すると」「ゆえに」は、Aは原因・理由、Bは結果・結論、「つまり」「すなわち」「ようするに」はA=B、BはAのまとめ。「たとえば」は、BはAの具体例。「また」「並びに」「および」「そして」はABは同じレベル・似た事柄となります。
これらの接続語の典型的な用法を意識して文章を読めば、ABの一方から他方の意味を推測しながら読むことができます。この読み方によって読むスピードが一気に上がり、意味がわからない部分がなくなるという意味で正確性も増します。
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こんなことはないです(笑)。
読むスピードを上げるには、入試問題集にあるような文章を読む量を増やすだけです。
接続語を分析して考えるような人はいません。
ちなみに、普通の読書スピードは、1分間600字です。
多くの本は、1ページ600字程度ですから、10ページ読むと決めて、タイマーをセットし、10ページ読み終えたときの時間を計算すれば読書スピードがわかります。
接続語は、読むときではなく、書くときに必要になります。
森リンベストのページで、小学生よりも、中学生、高校生の方が点数が高くなることが多いのは、学年が上がるにつれて接続語を使うような文章を自然に書くようになるからです。
これは、課題の種類も影響しています。
「私の家族」というような身近な題名では、接続語はあまり出てきません。
しかし、もし「(人間における)家族の役割」というような題名で書くとすると、いろいろな接続語が必要になります。
だから、接続語が必要になる作文ほど、上の学年の作文になるのです。
ただし、文章力のある人は、逆に、接続語をあまり使わなくなる面があります。
接続語が入ると、わかりやすくなるが、その分わざとらしくなる気がするからです。
日本には、説明しすぎないことをよしとする文化があります。
「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」という俳句を見て、「どこの池で、どうしてカエルが飛び込んで、それがどうしたの」と聞くような人はいません。
説明を付け加えれば、俳句の味がなくなるからです。
だから、接続語は、使いすぎない方がいい面もあります。
ただし、中高生の書く作文には、接続語が必要になるような内容を書いていくことが大事です。
それは、考えながら書く作文になるからです。
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接続語と助動詞は、実は重要です。
中学生や高校生で、文章力のある生徒は、多様な接続語と助動詞を使います。
文章力ないと、「そして」「それで」のような単純な接続語だけになってしまうことが多いのです。
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ヤマボウシ
国語の速読力をつけるための記事がありました。
国語力のない子は、よむスピードも遅いのです。
だから、ここに書いてあることは、ほぼ当たっています。
しかし、言葉の森の指導法とは、少し違います。
そのことを書いておきます。
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【子どもの国語】「読むスピードが遅い子」が「スラスラ読める子」に変わる習慣・ベスト1
https://diamond.jp/articles/-/345050
……子どもに関しては「中学入試レベルの文章に読み慣れること」が重要になります。
音読する対象は、みくに出版の『中学入学試験問題集 国語編』がおすすめです。『銀本』と呼ばれているものです。
ここに出てくる文章が中学受験の目標となるレベルなので、これに慣れないといけません。
いつも生徒には「本は読まなくてもいいけれど、これは読んでね」と伝えています。
なぜなら、中学受験の国語は1万字程度の文章が読めれば充分で、1冊読み切るほどの力は必ずしも必要ないからです。
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これは逆です(笑)。
国語の問題集を読むよりも、しっかりした読書をすることの方が大事です。
勉強は、成績を上げるためにするのではなく、自分の成長のためにするのです。
さて、昔、国語が苦手だという高校生に、「全国大学入試問題正解 国語(国公立大編)」を5回読むようにと伝えました。
すると、急に国語の成績が上がったのです。
大事なことは、1回ではなく5回読むことです。
ちなみに、「私立大編」は無意味に難解な文章が載っていることがあるので、おすすめしません。
これは、小学生でも中学生でも同じです。
小学生の場合は、中学受験用の問題集、中学生の場合は高校入試用の問題集を読むのです。
みくに出版の「中学入学試験問題集 国語編」も、もちろんいいのですが、ページ数が多すぎるので、1回読むのがやっとになります。
中の問題は解く必要はありません。
ただ、問題文を読むだけです。
問題文を読むときに大事なことは、小さな声でいいので音読をすることです。
それは、なぜかというと、音読によって文章のリズム感が身につくことがひとつ、もうひとつは斜め読みにならないためです。
同じ文章を繰り返し読んでいると、まだ勉強の自覚のない小学生や中学生は、だんだん斜め読みになります。
音読をすれば、文章をきちんと読むことができます。
このときに大事なことは、そばで、もしお母さんやお父さんが聞いていたら、読み方の注意は一切しないことです。
読み方の注意をすると、子供は、次第に音読を負担に感じるようになります。
そして、「自分の部屋で読む」などと言って、親のいないところで読むようになったら、結局音読はしなくなります。
小学生、中学生は、居間で、親のいる場所で音読を続けることが大事なのです。
さて、なぜ1回ではなく5回読むことが大事かというと、問題文に書かれている文章だけでなく、その文章の背後にあるものの考え方、別の言葉で言えばその文章の思想がわかるようになるからです。
ただし、繰り返すと言っても、同じ文章を続けて5回読むのではありません。
そういう苦行のようなことは、誰もやりたがりません。
1冊を最後まで読み終えたら、また最初のページに戻って読むというかたちで1冊を5回読むのです。
繰り返し読んでいると、国語の問題文には、同じような思想があることがわかってきます。
すると、新しい文章を読む場合でも、そこに盛り込まれている思想を予測して読むことができるので、読むスピードが上がるのです。
私も、初めての国語の問題文を読むとき、最初の数行を読むと、「ああ、これはたぶんこういうことを言うんだな」と予測できることがあります。
実例には多様性がありますが、主題にはそのような多様性はありません。
ほとんどの文章は、同じような主題で書かれているのです。
話は変わりますが、これは、作文を書くときも同じです。
例えば、高校生の作文の課題で、「複数の原因を通して考える」という項目があります。
すると、どういうテーマで考えても、同じような原因を複数書くようになることが多いのです。
しかし、その原因の裏付けとなる実例は多様になります。
実例は多様でも、主題は共通していることが多いのです。
さて、同じ問題文を繰り返し読む練習をするためには、問題集は薄くなければなりません。
銀本で5回読むとしたら、1年以上かかります(笑)。
薄い問題集で、5回読む練習をする方が効果があるのです。
ただし、昔からある問題集というのは、主題が古いことが多いです。
内容が時々改訂されるような、つまり常に新しい話題が入っているような問題集を読んでいくのがいいのです。
銀本を使って読む場合は、この銀本をバラして分冊にし読むのがおすすめです。
「
国語力をつける根本的な勉強法 7『問題集読書の方法』」
https://www.mori7.com/as/1775.html
一時期、銀本の分冊化という方法をみんなに勧めましたが、そういう手間をかけられない人もいたので、今は誰でもできる普通の受験問題集の音読にしています。
しかし、いまだに音読は嫌だという子がいます。
その際、親自身が子供時代に音読の勉強をしたことがないので、そのままずるずると黙読になり、結局斜め読みになってしまうことがあります。
口の中でつぶやくような読み方でもいいので、音読を続けることが大事です。
高校生は、勉強の自覚があるので、心の中で音読するかたちでもいいです。
言葉の森が昔、音読の勉強をするようにしていたころ、ほとんどの保護者が、「なんで音読をするのですか」と言っていました。
しかし、その後、学校でも音読の宿題が出るようになったので、今は、そういう質問をする人はいません。
学校の宿題の音読と、言葉の森の長文音読が重なると、子供は負担に感じます。
学校の宿題は、夕方にやるようにして、言葉の森の音読の自習は、朝ご飯の前にやるというようにすれば、両方できます。
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国語の力をつけるための音読は、1冊の問題集を繰り返し読むのが原則。読書は黙読でいいが、繰り返し読む問題集は音読でないと続けられない。
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アガパンサス
たまたまですが、私の担当しているクラスの生徒が、ちゃんと欠席連絡を入れてくれた人もいますが、欠席連絡もせずに休んだ子がいました。
欠席だけでなく、遅刻も同様です。
たまに、いつも1、2分遅れて入る子が、クラスによってはいるようです。
こういう子は、社会人になっても遅刻します。
日本では、遅刻や無断欠席は、信用を失ういちばんの原因です。
遅刻しそうなときや欠席しそうなときは、どういう方法でもいいので連絡を入れることが当然の責任です。
ホンダの創業者のひとりである藤沢武夫は、何かの会合で乗り物が遅れ、遅刻しそうになったときに、会場まで走って行ったそうです。
自分が副社長で、会場にいるのは、みんな自分の部下であるにもかかわらずです。
これが、普通の行動です。
こういうことは、親がやることではありません。
小学校高学年や中学生であれば、自分でパソコンの操作ができるはずですから、本人が、遅刻や欠席の連絡をしなければなりません。
それを子供に教えていないのは親の責任です。
こういう遅刻や欠席の生活を続けていると、子供は、厳しい先生にはちゃんと連絡して、厳しくない先生には連絡しなくてもいいという裏表のある人間になります。
どんな人に対しても、自分なりの基準で行動することが大切です。
私の個人的な話ですが、昔、言葉の森がビルの3階にあったとき、エレベーターがないので階段で大量の紙を運んでもらうことがありました。
今は1階なので、そういうことはなくなりましたが。
私は、配達の人が、重い荷物を3階まで何箱も運ぶのが大変だと思ったので、いつも一緒に荷物を運ぶのを手伝いました。
「仕事だから、社員が運ぶのは当然だろ」というのは、同じ人間の発想ではありません。
もし、自分の子供がそういう仕事をしていれば、誰でも必ず手伝うはずです。
遅刻や欠席の連絡にしても、ある人には連絡するが、ある人には連絡しないということではだめです。
どんなときでも、自分の基準をもって生きていくことが大事です。
遅刻や無断欠席をしたことがある人は、この文章を読んで猛省してください。
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山椒の実
面白い記事がありました。
基本は合っていますが、ちょっと違うと思ったことがありました。
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「語彙力がある子」たちの習慣…国語講師が見つけた「例外なき共通点」とは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/d11b4d1a5874e4d2b36dd31851e944e1ae9e9a95
一方で、「語彙が乏しい子」に共通する点にも少し触れたいと思いますが、これは「家庭が言葉に触れられる環境になっていない」ことがあげられると思います。
当然ですが、親の語彙力は子どもに影響します。いつも同じ言葉で話しかけていては、語彙は伸びていきません。お子さんには、ぜひいろんな言葉で話しかけてみてください。
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この話は、本当です。
親が子供にいろいろな話しかけをすることが大事です。
しかも、その話しかけは、単なるお喋りでも、単なる知識の伝達でもなく、知的な話しかけであることが必要です。
昔、横断歩道で信号待ちをしている親子の、お母さんが子供に、
「赤が止まれで青が進めよ」
と言っているのを聞きました。
そのとき、そういうことを言うなら、
「赤の止まれが青になるときはすぐ青なのに、青の進めが赤になるときは途中に黄色が入るのはどうしてかなあ」
などと言えば面白いのになあと思ったことがありました。
別に、それは答えを要求するための話しかけではありません。
正解を求めるような話しかけではなく、親子の対話を楽しむ話しかけなのです。
同じことを感じたのは、ドクター・中松さんの「
お母様」を読んだときです。 中松さんの母親が、折に触れて、知的な対話を楽しんでいたのです。
「『語彙力がある子』たちの習慣」の記事の最初の方に、次のような話があります。
「(毎年一番勉強できる子に勉強の仕方を聞いて)その結果わかったことは、ひとりの例外もなく全員、語彙や言葉に関する「学習まんが」で学んでいたということです。」
これだけ読むと、では、子供に「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」をたくさん与えておけばいいと思うかもしれませんが、そうではありません。
そういうものに関心を持つ土台として、最初に親子の知的な対話があるのです。
そして、親子の知的な対話があれば、「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」は、特になくても何も問題ありません。
「学習まんが」や「子ども新聞」は、結果であって原因ではありません。
では、親子の知的な対話をどうしたら進められるのかというと、それは作文です。
これまで、勉強のよくできる子は、お父さんやお母さんと、作文の課題を通していろいろな話をしていました。
例えば、「がんばったこと」という題名では、親が子供時代にがんばったことを話して聞かせてあげます。
「友情について」という題名でも、親が子供に、子供時代に友情を感じた経験を話してあげます。
「自然の多様性」という題名でも、親がこれまで経験した多様性の考えを子供に話してあげます。
こういう話が、毎週できるのが作文です。
もちろん、その話が、作文に出てこなくてもいいのです。
親子で話した言葉は、そのまま子供の語彙力になっていきます。
そして、子供は単に語彙力を伸ばすだけでなく、お父さんやお母さんの生きた人生も学んでいくのです。
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田んぼ
読書と国語について、次のような記事がありました。
タイトルが中身と合っていませんが(笑)。
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「読書習慣のある子」が“国語が得意な子”ではない…国語講師が語る「納得の理由」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30c2b4ed98fb84d63d61176afb6c00eb10e87b7
とはいえ、読書習慣自体が悪いものかと言えばそんなことは全然ありません。本好きという特性は国語を得意教科にしてくれる力があります。
もし、お子さんに読書習慣があるならば、さきほどお伝えしたように、まずは「客観的に読むこと」を教えてあげましょう。
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取材した記者が、自分の子供が本を読まないけれど、国語力を上げるにはどうしたらいいかという問題意識で記事を書いたのだと思います。
国語力は、読む力と解く力の総合力です。
読む力があっても、解く力のない子は、点数が上がりません。
しかし、これはすぐに改善できます。
読む力さえあれば、解く力は短期間で身につくのです。
しかし、逆の場合で、読む力がない子が解く力をつけるのは、ある程度までしかできません。
易しい文章は、解く力だけで解けますが、難しい文章になると、解く力では解けないのです。
「客観的に読むこと」と言っても、読む力のないうちは、客観的にさえ読めないからです。
そして、もっと大きな問題は、何のために国語の勉強をしているのかということです。
国語の成績を上げるための国語の勉強などは、子供が将来社会に出て仕事をするときに、何の役にも立ちません。
役に立つのは、読む力です。
しかし、その「読む力」とは、小説を読む力ではありません。
しっかりした説明文や意見文を読む力です。
目の前の国語の成績にとらわれることなく、子供の本当の成長のために読む力をつけていってください。
ただし、小学校低中学年で、難しい説明文や意見文を無理に読ませようとすると、読書の量自体が減ってしまいます。
小学生の読書量は、1週間に2冊が目安です。
中学生は、1週間に1冊です。
基本は、楽しい読書をすることですから、物語文の読書でもちろんいいのです。
しかし、子供が小学校高学年、中学生、高校生になるにつれて、次第に説明文や意見文のある程度難しい本が読めるようにしていってください。
これは、国語の成績を上げることよりもずっと大事なことなのです。
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国語力をテクニックで身につけようという考えそのものがあさはかです。
テクニックは、短期間で身につきますが、そういうテクニックは社会に出てから何の役にも立ちません。
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