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2024年6月の森リン大賞 as/5137.html
森川林 2024/07/26 10:04 


 2024年6月の森リン大賞を紹介します。
 全学年の分は、ウェブでごらんください。

▽森リン大賞6月
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=06

 5月の森リン大賞のところにも書きましたが、パソコンで書いた作文の清書を送るときの注意を再掲します。

1.小学4年生以上の人は、作品に段落をつけましょう。
 目安は、3文150字ぐらいです。

2.誤字、誤表記は直して送っておきましょう。

3.感想文を清書する場合、要約の部分はカットしておきましょう。
 要約を入れると、森リン点がその分だけ高くなることが多いからです。

4.高校生は、難しいことを考えて書いていますが、その難しい内容を、中学生の人が読んでもわかるぐらい、わかりやすく書くことを心がけましょう。

5.手書きの原稿では、段落は改行して1マス空けるだけでいいのですが、パソコンで書いた作文は、それでは行が詰まって読みにくくなります。
 パソコンで書く場合、段落は1行空けるようにして書いていきましょう。
 森リン大賞6月の作品の中から、内容的によくまとまっているものを3編紹介します。
(段落の部分は、こちらで改行を1行空けました。)

   飛行機みたいに飛べる渡り鳥
          小3 なな

 このお話を読んで一番興味を持ったのは、毎年渡り鳥がインドネシアやフィリピンといった遠いところまで移動するところです。どうしてかというと人間は飛行機に乗らないと遠くまで行けないけど、渡り鳥は小さい体で自分で遠くまで行けるからです。まるで渡り鳥は遠くまで飛んでいける飛行機のようだと思いました。形も飛行機に似ていると思いました。

 もし私が渡り鳥だったら、たぶんすぐにくたびれると思います。なぜかというと私は長い距離を走るとすぐに疲れてしまうからです。オオソリハシシギという鳥は、一度も途中休憩をはさまずに一万一千キロも飛べるそうです。私は休まずに走れるのは二、三キロぐらいなので、とても比べものにならないと思いました。

 私は渡り鳥が旅の途中にどこで休むのかという疑問を持ちました。そこで調べてみたところ、水かきを持っている鳥は疲れたら海に降りて海面で休み、水かきがない鳥は漁船や漂流物に降りて羽を休めるということがわかりました。まさか鳥が海の上に降りて休むとは思わなっかたので、とてもびっくりしました。そして、お母さんに渡り鳥を見たことがあるか聞いてみました。子供のときに家の雨戸の戸袋にツバメが巣を作っていて、その中でひながかえったそうです。ひながえさを求めて口をぱくぱくしていたのがとてもかわいかったそうです。私もひなが口をぱくぱくしているところを実際に見てみたいです。

 私は今まで鳥にあまり興味がありませんでしたが、このお話を読んでもっと鳥のことが知りたくなりました。からすやはと、すずめはよく見かけますが、まだ渡り鳥は近くで見たことがないので、今度はよく観察してどんな渡り鳥が周りに来るのか調べてみたいと思いました。


   学習に対する感情
          中1 あおらえ

 人間の生涯は物事を学び続ける果てしない旅である。この世に生まれた瞬間から、人間は学び始める。何事かを学ぶことができるというのは、生物として優れた能力を持っているしるしだ。人間がほかの動物と比較して異なることの一つは、いつまでも学び続けるという点にある。人生の様々な場面で、様々な状況の中でいつも勉強がある。人間が味わう充足感や感動の大半は、物を学ぶことから生まれるのではなかろうか。そのため、ぼくは学習することは楽しいことと思うべきだと考え、またそうであるべきであるとも思う。

 第一に、発見は楽しいからだ。難問が解けた際には達成感もある。発見し、楽しいと感じてそれを発展させてゆく力があるからこそ、科学やその他の学問でも、ここまで発展してきたと考える。また、その力があるため、将来的には様々な難問が解決、または証明され発展することだろう。例えば、今話題になっている数学界の超難問といわれる「ABC予想」という問では、京都大学数理解析研究所の望月博士がIUT、宇宙際タイヒミューラー論を解決するカギとなるとして発表し、議論が巻き起こっていた。名誉獲得を目指している数学者もいるだろうが、彼らは達成感や充実感を求めているのではないか。また、それが楽しいと感じていると思っている。ぼくも、受験勉強の中で問題をきれいに、力ずくではない手法を使って解いたときに達成感を感じた。きれいに、力ずくではなくというのは「発見」するということでそれが楽しいとも感じられた。

 第二に、自分から進んで行った方が頭に入りやすい。特に暗記事項の場合だと、やれと言われてやったらすぐに忘れてしまう。小学校6年生の時に理科のテストが複数回あったが、最初のテストは覚えるべきことがたくさんあった。上海のインターナショナルスクールで理科をあまり習わなかったからで、もちろん日本語でも習わなかったからだ。しかし不思議なことにぼくの興味がある宇宙の分野の単語等は一度見ただけで覚えてしまうが、その時に覚えたほかの部分はすぐに忘れてしまった。また、自ら進んで勉強したほうが発展させやすい。「こうしたらどうだろう」、「ああしたらどうだろう」と考えるようになり、それが発明につながり、発見につながり、考えることが得意になる。もちろん前提条件として頭に入っていて、自分がやりたいと思っていないと無理だ。

 しかし、時によっては勉強がつらい、もう勉強はやめてしまいたい、と思うときもある。ぼくとして、それは誰でも感じ得ることだと思っていて、人間であるからにはしょうがないと思う。だが、そこでいかにくじけないかが重要であり、続けられるかが大事になってくると考えている。未来の自分への「投資」と考え、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である」という名言があるように、自分から進んで、学習をなるべく楽しいと思いながら勉強すれば、将来必ず生かせるようになるだろうと考えているために勉強を楽しいものであると感じるべきだと思う。


   現代では学術研究の場において
          中3 あかたか

 現代では学術研究の場においてだけでなく、企業活動においてもまた専門化が進んでいる。専門家は専門分野については良く知っているが、他の分野についてはほとんど無知である。常識は言論の大きな基盤だ。しかし、知恵を伴う言論ということになると、教養が基盤となる。教養というのは、その道の専門家になるために学ばれるのではなく、一個の素人としての自由人にふさわしいものとして学ばれるのだ。私は、専門的な知識だけでなく、幅広い教養を身につけた人間になりたい。

 そのための方法としては第一に、得意な分野、好きな分野以外のことや興味がないものにも目を向けることだ。私は、小さいころから昆虫が好きで、毎日のように公園にいって虫取りをしたり、虫を観察したりしていた。小学四年生になったとき、生き物好きの仲の良い友達ができた。その友達は、特に爬虫類のニホンカナヘビが大好きだった。私は、あまり爬虫類には興味がなかったが、その友達と休み時間や放課後にカナヘビを捕まえるようになり、少しずつカナヘビが好きになっていった。その友達はとてもカナヘビに詳しく、カナヘビの好物や飼育の仕方まで教えてもらった。私も本格的にカナヘビを一年間飼育し、生き物を扱う難しさや、命の重み、大切さを学ぶことができた。このことから、自分には興味がないことにも目を向けることで新しい発見をすることができ、知識の幅を広げることができると考える。

 第二の方法としては、幅広い分野を学べるような教育をすることだ。私は、幼稚園の入学祝いで十冊ほどの図鑑をかってもらった。図鑑は様々な生物や天体や乗り物など幅広い分野であり、毎日一ページずつ読み進めていった。私がとても興味をもったため、それからも誕生日祝いで新しい図鑑をかってもらった。そのおかげで、生き物全般は分かるようになり、その他の機械や乗り物、日本の歴史なども知ることができた。私は数多くの図鑑によって幅広い知識を得ることができた。このような幅広い知識を多くの人が得るためにはどうしたらよいだろうか。そのために重要なことは、教育である。日本の教育は教科書の知識を詰め込むだけで、少しのことしか学ぶことができない。そのため、もっと幅広い分野を様々な体験を通して学び、経験と繋げて楽しく学ぶという方針で教育すべきだろう。

 確かに、専門的な知識を学ぶことも必要だ。しかし、「辞書のような人間になることではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言があるように、物事の目的をしっかり考えなければならない。そのため、私は、専門的な知識だけでなく、幅広い教養をみにつけていきたい。科学者のアインシュタインは物理学の全域にわたり、多大な業績を残した人物である。しかし、彼が発表した特殊相対性理論によって多くの人が無差別に殺されることになってしまった。それは原爆である。彼が生み出した公式、「E=mc2」によって原爆が作られ、広島、長崎に原爆が落とされてしまった。彼は当時の状況を誤解して、その行為を死ぬまで後悔してしたと言われている。ノーベル賞を受賞した科学者だとしても、それと同時にそれがどういう場面で使われるかにも関心をもたなければならない。幅広い教養とは、様々な分野の知識を身に着けることによって養われる心の豊かさである。私は、将来サッカー選手になりたいと考えている。幅広い教養を身につけることで、仲間とコミュニケーションをとったり、自分との向き合い方を知ったりすることができる。これらのことは、普段の生活だけでなく、自分の目標であるサッカー選手になるためにも欠かせないことであると考える。

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2024年5月の森リン大賞 as/5136.html
森川林 2024/07/26 09:44 


 2024年5月の森リン大賞を紹介します。
 全学年の分は、ウェブでごらんください。

▽森リン大賞5月
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=05

 森リンの点数を基準にして選んでいますが、場合によっては、森リン点が2位や3位の作品が代表作品になっていることもあります。


 これから、清書の際に、パソコン入力をする人は、次の点に注意して作品を送ってください。

1.小学4年生以上の人は、作品に段落をつけましょう。
 目安は、3文150字ぐらいです。

2.誤字、誤表記は直して送っておきましょう。

3.感想文を清書する場合、要約の部分はカットしておきましょう。
 要約を入れると、森リン点がその分だけ高くなることが多いからです。

4.高校生は、難しいことを考えて書いていますが、その難しい内容を、中学生の人が読んでもわかるぐらい、わかりやすく書くことを心がけましょう。

5.手書きの原稿では、段落は改行して1マス空けるだけでいいのですが、パソコンで書いた作文は、それでは行が詰まってよみにくくなります。
 パソコンで書く場合、段落は1行空けるようにして書いていきましょう。

 森リン大賞5月の作品の中から、内容的によくまとまっているものを3編紹介します。
(段落の部分は、こちらで改行を1行空けました。)

   ボーリングで遊んだこと
          小4 すみれ

「バコーン!」
「あー、おしい。」
ストライクが取りたかったけどピンが三つあまってしまいました。

 春休み、家族5人でしな谷プリンスホテルボーリングセンターへボーリングをしに行きました。ホテルでビュッフェランチを食べたと、兄がボーリングをしたいと言ったのでボーリングをしに行きました。ボーリングの結果は兄が1位でした。自分は2位でした。3位は妹です。兄はスペアをとっていたから1位でした。私は1位をとれなくて悔しかったです。

 ボーリングはどうしてボーリングという名前なのか調べたら、ボーリングのボウルは球を意味する「ball」ではなく、言葉の始まりはラテン語で、「泡」「こぶ」という意味の「bulla」。投げる方の球ではなく、並んだピンをこぶに見立て、こぶを倒すことから「ボーリング」という名前になったそうです。

 ほかにも家族でスポーツをしに行ったことがあります。スキーです。去年の冬休みに2回スキーに行ったことがあって、一回目は佐山スキー場、二回目は、ほうだいぎスキー場です。

 滑っているときに、お父さんの後ろから滑ると「パラレル」という両足で滑る技ができました。「パラレル」ができたので、「スキーは大スキー」になりました。次にスキーに行ったときはもっとお父さんから技を教えてもらって成功させたいです。

 なんでもできるお父さんにどうしたら何ができるようになったのかを聞きました。お父さんは今こまが上手です。「綱渡り」という縄の上にこまを滑り台のようにいったり来たりする技です。ほかにも手の上でこまを回したりできます。私はお父さんがする綱渡りを感心するばかりでした。

 お父さんはこまが上手になるために、何回も綱渡りを練習していました。毎日練習していたら綱渡りができたそうです。自分も綱渡りを練習していて何回も失敗していたら、「こまは、こまっちゃう~。」とたぶん思っています。私は新体操を習っていて、「リスク」という技をやっていて手具を投げて2回転回ってとるという技です。このレベルアップしたリスクを今チャレンジしています。とくに私がやっているリスクは前方をしながら投げて二回転回って取るリスクです。難しくてほとんどとれないけど投げの調節をしてやっと一回とれるようになりました。すごくうれしくてお母さんにむかってガッツポーズをしました。お父さんの綱渡りと同じだなと思いました。

 何回もやるとお父さんのように上手になるから、これからできないこともあったら、何回も繰り返してできるようにしたいです。またボーリングセンターへ行けたら、ストライクやスペアを取って兄に勝てるようにしたいです。


   ヒトとコンピュータの違い
          小5 たくみ

 人間の脳はコンピューターのようにも見えるが、現在のコンピュータのような技術では、人間の脳のほうが細かくできていて、人間の脳のほうがノートやAIよりも 優れている。そして何よりも、機械はずっと同じ事ばかりを繰り返しやっているが、人間は練習やとっくんをたくさんすると強くなったり、スポーツなどがどんどんうまくなったりするのだ。

 僕はタブレットの動画でガリガリ君工場の中を見学したことがある。容器に材料を入れたり棒を刺したり、アイスを凍らせたりする作業はすべて機械がやっている。工場を見たときは、どこまでが何をしているロボットかわからなくなるほどだった。ちなみに、ロボットの中には一分で卵を何十個も割ることができるすごいロボットもあるそうだ。でも、最終的には形や大きさ、においや味などの確認はすべて人の手でやっているのだ。それはまるで、ロボットが作った料理を人間が用心深く食べているみたいだ。機械任せではなく、人間の作業が欠かせないところがたくさんある。ロボットと人間は、相性よく作業をしないと行けないと思った。

 現代は機械の技術は発達してきているけれど、人の手だけで作っているものもたくさんある。ケーキづくりや伝統工芸品などは人の手でしかできないものがある。陶器などの陶芸もそうだと思う。職人の一人一人が陶芸品に愛情をこめて作っている。機械だとそういうわけにはいかないから、人間の手だけで作るものも大切だと思う

 今の銀行では預金などのほとんどは、入力した金額だけ下せるATMというものが全国で普及しているが、金融機関の人たちの窓口もある。ATMは人の話を聞かずに預金や貸し出しなどを繰り返しやっているだけだ。でも金融機関のひとはお金を預けたい人、おろしたい人などの話を最初から最後までしっかりと聞き、その人に一番あった商品の提案をしている。お客さんの希望を聞いてあげるのだ。それも、人間にしかできないことだと思った。

 僕がこの話を読んで分かったことは、今はロボットが全国にたくさんあるが、人間の力が一番必要だし、機械を作るのにもの人間が必要だということだ。もしかしたら将来、ロボットばかりが働いていて、人間は役立たずになっているかもしれない。そんな世の中で、僕たちはどのように過ごしていけばよいのだろうと想像するのだ。


   日本語はいままで
          小6 あきぬい

 日本語は部族言語で、外国人によって学ばれ使われた経験がないために言語の刈込みがされていない。一方外国人がフランス語を学ぶのが易しいのは人工的に整理されたフランス語だからだ。だからどうやって日本語を刈り込んでいったら国際普及の日本語になるかということを考えていく必要がある。

 日本語の難しさというところでぼくが思ったのは、日本語の敬語だ。というのは、ぼくは敬語のドリルを解いていたときに尊敬語か謙譲語かがよく分からなくなってしまうことがあったからだ。日本語だと、「話す」の尊敬語は、「話される」「お話になる」だが、謙譲語だと「申し上げる」となり、煩雑だと思う。敬語というのは人と人が気持ちよく会話を行い良い関係を築くための言葉だと辞書に書いてあった。尊敬語は相手を高めて言う言葉に対し、謙譲語は自分がへりくだる言葉ということだ。そして対象や場面に応じて尊敬語か謙譲語か使い分ける必要があるのだ。自分が分からないのだから外国人にとっては余計に難しいのかもしれない。相手を敬うということが敬語の目的なのであれば、敬語は一種類に統一したほうが日本人にとっても外国人にとっても使いやすく伝わりやすいのではないかと感じた。

 母にも日本語の難しさを感じたことについて聞いてみた。母は日本の大学を出ている中国人に仕事を教えることがあったそうだ。そのとき母が心がけていたことは主語と目的語を入れて簡潔に話すということだそうだ。日本語は主語などを省略しても日本人同士だと伝わるが外国人にとって伝わらないことがあったからだそうだ。確かにぼくも主語と目的語をきちんと使えているのだろうか、と思った。すると「今日、髪切る」と先ほど母に話したが、この言葉には主語と目的語が分からないよ、と指摘された。「今日、ぼくは床屋さんに髪を切ってもらう」が正解だ。だが、この言葉だと、「今日、ぼくは母の髪を切る」かもしれないし、「今日、紙を切る」という解釈になるかもしれないと思った。英語だと「I have my hair cut today.」と言わないときちんと通じないらしい。英語だと必ず「I」や「You」など主語が入っていないといけない。ぼくは単語を覚えるのは大変だと思う一方で英語を聞く側からすると主語が明確で話していることが分かりやすいのかもしれないと思った。だから日本語も外国人にとってもわかりやすいように変化していく必要があるのかもしれない。

 言葉とは人間にとって自分の思っていることを人に伝える大事な手段だ。日本語は日本人にとっては分かりやすいが、一方で外国人にとっては主語や目的語がなく又沢山の敬語の種類が存在し煩雑だ。「小の虫を殺して大の虫を生かす」ということわざがあるように昔から使われている言葉にこだわらずに誰もが分かりやすい言葉を使うように心がけていくことが肝心だ。それによって日本語もフランス語のように国際普及の言語になっていくことだろう。ぼくは伝え手に分かりやすい文章を作ることが出来るように作文を通して学んでいきたい。

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