現在の教育の問題点の第二は、知識を記憶し再現するための教育が中心になっていることです。
その理由は、知識の記憶と再現は、答えがひとつしかないので採点がしやすいからです。
また、昔は、さまざまな知識を記憶しておくことが、生活する上でも勉強する上でも役に立ったからです。
しかし、今は、ものの考え方と、そのために必要な知識の探し方さえ知っていれば、ほとんどのことは間に合います。
もちろん、身体化された知識は、ある程度は必要です。
それは、基本的な日本語力、計算力、数学力、そして、理科や社会の分野のさまざまな科学的知識です。
話は少し変わりますが、そういう知識を記憶する力をつけるのに役立つのは、小学校低学年からの暗唱です。
ところで、現在の学校教育で行われている知識の勉強は、子供たちにとって必要な知識の範囲を超えて、成績の差をつけるために行われているのです。
では、どうしたらいいかというと、未来のテストは、教科書も参考書も辞書も電卓も、すべて持ち込み可で行うようにすればいいのです。
子供たちが社会に出てから何かを学ぼうとするときと同じです。
学校の中でだけ、子供たちが何も持たない原始人であるかのようにテストが行われているところに問題があるのです。
そもそも、記憶力で差をつけようとするところに、大きな問題があります。
記憶で差をつける勉強をさせられているので、子供たちの勉強も、一夜漬けのような記憶に頼った勉強になります。
今の勉強では、成績は、かけた時間に比例します。
しかし、かけた時間に比例するような勉強の内容そのものに問題があるのです。
本当に評価する価値があるのは、記憶力ではなく思考力です。
私(森川林)の教えている算数数学のクラスでは、子供たちに質問するときに、よくこう言います。
「この問題はどうやって解くの? 答えまでは言わなくてもいいから、考え方を言ってね」
問題の解き方さえわかれば、あとの答えを出すことは誰でもできるのです。
また、子供たちに解けない問題があったときは、こちらから教えることはせずに、こう言います。
「次の週までに、先生に説明できるように考えてきてね」
大事なことは、考えることなのです。
(つづく)
現在の教育の問題点の第一は、受験のための教育が中心になっていることです。
学校は、生徒に差をつけるために、間違えやすい問題を出します。
生徒の人生にとって重要な問題を出すのではなく、間違えやすい問題を出すのです。
すると、塾や予備校は、その入試問題に合わせて、間違えやすいところの勉強に力を入れます。
学校側は、塾や予備校の対策を上回るように、更に間違えやすい問題を出します。
子供にとって生きていくのに役立つような大事な問題ではなく、試験をする側にとって選抜しやすい間違えやすい問題を出すことを中心に教育が行われているのです。
子供は、もっと本当に大切なことを中心に学ぶべきです。
そうすれば、今よりもずっと短時間で必要な学力を身につけることができます。
では、どうしたらいいかというと、今の受験勉強を超える方法を考えるよりも、受験がいずれなくなるという未来を考えることです。
受験があるのは、受け入れる生徒に定員があるからです。
生徒に定員があるのは、限られた場所に、限られた机と椅子があり、限られた先生が勉強を教える仕組みになっているからです。
オンラインで勉強を行い、オンラインの友達どうしの自由な選択で一緒に学ぶクラスメイトを選ぶようになれば、受け入れる生徒の数を受験で選抜する必要はなくなります。
今、受験に合わせて勉強している子供たちは、いずれ受験がなくなることを見越して、自分にとって大事だと思う勉強に力を入れていくことです。
受験に合わせた勉強ではなく、自分自身の向上のために勉強するということです。
将来、世の中に出たときにどういう実力をつけていくかということを考えて勉強していくのです。
それには、幅広い教養も含まれます。
しかし、それは受験のための教養ではなく、自分の将来の人生のための教養です。
(つづく)