記憶力ではなく思考力を育てることが、今後の教育の重点になります。
しかし、今の子供たちは、記憶の勉強に適応しているために、考える勉強を負担に感じることがあります。
考えるよりも、作業的に行える勉強の方を好む面があるのです。
だから、私は、できるだけ思考力や創造力を使うようなかたちで勉強を行うように工夫しています。
思考力、創造力を使う勉強の代表は、作文の勉強です。
作文は、自分なりに考えていかなければ書けません。
だから、作文の勉強をするときには、精神的なエネルギーが必要です。
ほかの勉強の多くは、記憶を再現する勉強ですから、やろうと思えばすぐに始められます。
作文だけは、やろうと思い、始めること自体が大変なのです。
これが、作文の通信教育で、提出ができなくなる大きな原因です。
言葉の森のオンラインクラスでは、同じクラスの4人から5人が一斉に作文を書き始めます。
だから、全員、作文の提出ができます。
作文を書くエネルギーを出すためには、みんなと一緒に一斉に始めるという共通の場が必要です。
しかも、その人数は4~5人という互いの顔と名前のわかる少人数であることが必要なのです。
さて、言葉の森の保護者で、低学年から子供に作文の勉強をさせる人の多くは、こう考えていると思います。
「学校で教わる勉強は、誰でもできる。それに更に上乗せするような勉強ではなく、もっと子供が自由に考えるような勉強をさせたい」と。
だから、低学年で作文の勉強を始めた子は、中学生や高校生になっても作文の勉強を続ける子が多いのです。
思考力、創造力を使う勉強は、作文以外の教科でも考えられます。
私が教えている国語読解クラスでは、問題集の問題文を読んで、その問題文をもとに五七五七七の短歌を作るという勉強をしています。
今後は、短歌だけではなく、その問題文の150字要約と、自分なりの感想や意見も書くという勉強にしたいと思っています。
これまでに子供たちが、問題集の問題文をもとに作った短歌の例です。
米とみそ 互いの欠点 隠し合う 2つがあれば 完全食だ(小6)
ミツバチは 身体の中に 時計がね 確かにあるよ 間違いなしだ(小6)
日本語の 間(ま)という言葉 意味豊富 空間的や 心理的(中3)
文理の別 若者たちの 無知を助長 教養のない 抜け殻を生み出す(高1)
予定表は 白紙のほうがいいけれど 白紙だと 不安になるのが 人間というもの(中2)
短歌を作るには、うまく言葉を選ぶための語彙力が必要になります。
その語彙力を育てるものは、多様な読書です。
国語読解クラスでは、これまでは、読解問題とその問題の解説と、問題集読書のチェックを行っていました。
しかし、こういう答えのある勉強では、考える力のある子にとっては物足りないと思います。
短歌、要約、意見という勉強なら、思考力と創造力を生かせます。
更に、ある人の意見に対して、ほかの人が質問や感想を言えば、ディスカッションをすることもできます。
作文も、国語も、考える勉強としてやっていくことが大事なのです。
(つづく)
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現在の教育の問題点の第二は、知識を記憶し再現するための教育が中心になっていることです。
その理由は、知識の記憶と再現は、答えがひとつしかないので採点がしやすいからです。
また、昔は、さまざまな知識を記憶しておくことが、生活する上でも勉強する上でも役に立ったからです。
しかし、今は、ものの考え方と、そのために必要な知識の探し方さえ知っていれば、ほとんどのことは間に合います。
もちろん、身体化された知識は、ある程度は必要です。
それは、基本的な日本語力、計算力、数学力、そして、理科や社会の分野のさまざまな科学的知識です。
話は少し変わりますが、そういう知識を記憶する力をつけるのに役立つのは、小学校低学年からの暗唱です。
ところで、現在の学校教育で行われている知識の勉強は、子供たちにとって必要な知識の範囲を超えて、成績の差をつけるために行われているのです。
では、どうしたらいいかというと、未来のテストは、教科書も参考書も辞書も電卓も、すべて持ち込み可で行うようにすればいいのです。
子供たちが社会に出てから何かを学ぼうとするときと同じです。
学校の中でだけ、子供たちが何も持たない原始人であるかのようにテストが行われているところに問題があるのです。
そもそも、記憶力で差をつけようとするところに、大きな問題があります。
記憶で差をつける勉強をさせられているので、子供たちの勉強も、一夜漬けのような記憶に頼った勉強になります。
今の勉強では、成績は、かけた時間に比例します。
しかし、かけた時間に比例するような勉強の内容そのものに問題があるのです。
本当に評価する価値があるのは、記憶力ではなく思考力です。
私(森川林)の教えている算数数学のクラスでは、子供たちに質問するときに、よくこう言います。
「この問題はどうやって解くの? 答えまでは言わなくてもいいから、考え方を言ってね」
問題の解き方さえわかれば、あとの答えを出すことは誰でもできるのです。
また、子供たちに解けない問題があったときは、こちらから教えることはせずに、こう言います。
「次の週までに、先生に説明できるように考えてきてね」
大事なことは、考えることなのです。
(つづく)
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現在の教育の問題点の第一は、受験のための教育が中心になっていることです。
学校は、生徒に差をつけるために、間違えやすい問題を出します。
生徒の人生にとって重要な問題を出すのではなく、間違えやすい問題を出すのです。
すると、塾や予備校は、その入試問題に合わせて、間違えやすいところの勉強に力を入れます。
学校側は、塾や予備校の対策を上回るように、更に間違えやすい問題を出します。
子供にとって生きていくのに役立つような大事な問題ではなく、試験をする側にとって選抜しやすい間違えやすい問題を出すことを中心に教育が行われているのです。
子供は、もっと本当に大切なことを中心に学ぶべきです。
そうすれば、今よりもずっと短時間で必要な学力を身につけることができます。
では、どうしたらいいかというと、今の受験勉強を超える方法を考えるよりも、受験がいずれなくなるという未来を考えることです。
受験があるのは、受け入れる生徒に定員があるからです。
生徒に定員があるのは、限られた場所に、限られた机と椅子があり、限られた先生が勉強を教える仕組みになっているからです。
オンラインで勉強を行い、オンラインの友達どうしの自由な選択で一緒に学ぶクラスメイトを選ぶようになれば、受け入れる生徒の数を受験で選抜する必要はなくなります。
今、受験に合わせて勉強している子供たちは、いずれ受験がなくなることを見越して、自分にとって大事だと思う勉強に力を入れていくことです。
受験に合わせた勉強ではなく、自分自身の向上のために勉強するということです。
将来、世の中に出たときにどういう実力をつけていくかということを考えて勉強していくのです。
それには、幅広い教養も含まれます。
しかし、それは受験のための教養ではなく、自分の将来の人生のための教養です。
(つづく)
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なぜプログラミングの勉強が大事かというと、それは、自分らしい人生を送るうえで、プログラミングの技術が強力なツールになるからです。
もし、人間が、会社などのある組織に入り、そこで自分に与えられた役割の仕事をするだけであるなら、プログラミングの能力は特に必要ありません。
しかし、自分が新しい何かを思いついて始めようとするとき、その思いつきが新しいものであればあるほど、賛同してくれる人はいません。
自分らしいことを始めるときは、誰でもたったひとりで始めなければならないのです。
上司も、同僚も、部下も、参考にする人もいないし、読むべき本もほとんどありません。
そういう中で、何かを始めるとき、自分の中で使える最も役に立つものがプログラミングの技術なのです。
しかし、それはプログラミングを仕事の手段にするということではありません。
プログラミングの仕事というのは、たぶん過酷なものです。
自分のしたいことではなく、ほかの人がしてほしいことをプログラミングするだけですから、心理的に消耗することが多いのです。
プログラミングを学習する意義は、プログラミングを仕事としてすることではなく、自分の本当にやりたいことをプログラミングの助けを借りてやることなのです。
しかし、世の中は、AI技術の進展によって大きく変わりました。
学校教育は、いつでも遅れがちなので、今は「情報」という教科を勉強し、それが大学入試にも出る時代になっています。
しかし、プログラミングを中心にした「情報」という授業は、もう時代遅れになっています。
江戸時代の終わりのころには、多くの人が馬術や剣術の練習をしていました。
今でも馬術や剣術の練習自体はなくなっていません。
それらは、オリンピックの競技にもなっています。
しかし、生活の中心ではなくなってしまったのです。
では、自分らしい人生を送るためのツールであったプログラミングは、これからどうなるかというと、それはChatGPTなどのAIを使える技術として変化していくのです。
子供たちが学ぶAI技術は、まだ成熟してはいません。
AIは、主にビジネスの用途として使われています。
しかし、それはやがて教育の場に降りてきます。
その活用の仕方は、AIに教えてもらうという受け身のやり方ではありません。
AIを知的な友達として、自分自身が主体的に何かをする際のツールとして活用することなのです。
このAI利用の方向に、プログラミングの学習もあります。
ChatGPTに、どういうことをしたいのか指示すれば、そのプログラムを作ってくれます。
そのプログラムを使うときに、ある程度のプログラミングの知識が必要になることもあります。
しかし、大事なのは、プログラムを読むことや書くことではなく、そのプログラムを使って自分のしたいことをすることなのです。
言葉の森には、現在、いろいろなクラスがあります。
それらのクラスで、それぞれにAIが使えます。
例えば、作文クラスでは、データ実例を探すときにChatGPTを使うことができます。
また、自分の書いた作文を批評してもらうこともできます。
国語読解クラスでは、自分向けの読解問題や記述問題を作って、自分の答えを評価してもらうこともできます。
算数数学や英語も同じです。
自分の苦手な分野の似た問題を作ってもらい、その答えを評価してもらうことができます。
ChatGPTの得意分野は、外国語です。
単語でも、文法でも、ヒアリングでも、スピーキングでも、AIはほぼ万能です。
数学は、LLM(大規模言語モデル)の苦手な分野と言われていました。
しかし、ChatGPTの新しいバージョンは、数学の問題も順を追って考えることができるので、数学が苦手だったAIは過去のものになりつつあります。
もっとよく活用できるのは、創造発表とプログラミングの分野です。
創造発表クラスは、自分の興味関心に基づいて、自由に研究し発表するクラスです。
しかし、子供たちの学習レベルが高くないと、かつてのゆとり教育と同じような学習になってしまいます。
自分の研究内容に知的な刺激を与えてくれるツールとしてAIを使うことが大事です。
AIに教えてもらうのではなく、自分のしたいことをAIとの対話によって深めることに使うのです。
プログラミングクラスでは、GPTsが使えます。
GPTsとは、GPTを特定の目的に合わせてカスタマイズできる機能です。
CPTsに、自分の使いたいデータを入れたり、自分なりのGPTを作ったり、それをプログラミングとして出力したりすることができます。
言葉の森の勉強の目的は、思考力、創造力、共感力を育てることです。
それは、旧来の、記憶の詰め込み、宿題の強制、テストによる競争、などと対極にある新しい学習の方向です。
その新しい学習に、今後ChatGPTをはじめとするAIテクノロジーを使っていきたいと思います。
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主に、小学生の子供の作文の勉強についての話です。
子供を作文好きにさせる方法の第一は準備です。
事前に課題を見て、お母さんやお父さんが自分の体験談から似た話をしてあげることです。
大事なことは、子供から作文を引き出すことではなく、お母さんやお父さんが自分の体験を楽しく話してあげることです。
その対話によって、子供の語彙力が伸び、題材力が広がります。
作文好きにさせる第二の方法は、読書です。
小学生のうちは、勉強よりも読書優先です。
勉強は、その勉強の成績を上げるだけですが、読書は頭自体をよくします。
だから、勉強だけをして読書をしない子は、学年が上がるにつれて成績が下がります。
勉強よりも読書を優先している子は、学年が上がるにつれて成績が上がります。
この読書の大切さは、中学生、高校生でも同様です。
子供を作文好きにさせる第三の方法は、書いたあとの作文を褒めるだけにすることです。
褒めるのは、何に対してもいいのです。
書いたこと自体を褒めるのでもいいのです。
褒めていれば、作文の勉強は長続きします。
長く続けた勉強は、必ず上達するのです。
次に、作文嫌いにさせる方法です。
それは、書いたあとに、アドバイスをすることです。
「もっとこんなふうに書いたらいい」というようなアドバイスは、たとえ善意から出たものであっても、子供の意欲を低下させます。
熱心なお母さんの中には、自分が作文に赤ペンを入れて、よりよい表現に書き直してあげる人もいます。
書くことに自信があるお母さんほど、そういうことをしがちです。
その結果、子供は一応素直にお母さんのアドバイスを聞きますが、心の中では不満を蓄積させていきます。
作文を書くということは、勉強の中でもかなり苦労することです。
そのいろいろな苦労の部分を見てくれず、たまたま自分が不十分な表現をしたり、まちがった表記をしたりしたところだけを指摘されるのですから、不満を感じるのは当然です。
そういう子の作文の勉強は、長続きしません。
長続きしないということは、結局上達しないということです。
子供に対していろいろな指摘をするお母さんは、どんなことに対しても、先に欠点が見えるのです。
他人に対しても、社会に対しても、先に欠点を見てしまうのです。
親のものの見方は、子供にも受け継がれます。
楽しい人生を歩むためには、ものごとの明るい面を見ることです。
子供の作文は、いつもいいところだけを見てあげるといいのです。
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プレゼン作文で、作文に、ビジュアルな絵や写真を組み合わせてもらうようにしました。
環境の知恵
作文 土曜 9時 nane先生クラス 2024年 9月 4週 中1 すみひな 2024/9/12
作曲という仕事はなかなか難しい仕事である。なぜなら、作曲というものは音と人間の共同作業の上のみにしか成り立たないものだからだ。音の特徴やリズムの活かし方、利用の仕方などを人間が理解して初めて音楽が生まれる。しかし、作曲に没頭していると、音楽そのものが自分の知識や感覚では捉えきれない何か別の存在に感じられることがある。自分なりに音楽を理解していたつもりでいると、その分だけ、焦りや挫折を経験した後の無力感に打ちのめされそうになる。自然のものである音と人間が一体化するのは難しいことなのだ。このようなことから私は、私たちが自然から多くの大切なことを積極的に学んでいくべきだと思う。その主な理由は2つある。 |
1つ目の理由は、自分自身の本当の形が見えてくるからだ。私が勉強している問題集の中に「すばらしき旅」という本の1部分が載っていたのだが、その話は、砂漠は自分を映し出してくれる鏡だという内容だった。日本にはたくさんの文化がある。しかし、砂漠へ行ってみればそこは砂と空が一体化し、昼と夜で温度は激変する非情な世界である。しかし、そこにいると何もないということが当然になってくる。あんなにたくさんのものがないと生きられないのだろうかと思うそうだ。しかし、その余分なものこそが文化なのだ。そういうことを自然に学ぶことが自分の姿を創っているのだと私は思う。このようなことから私は自然から何かを学ぶことは大切だと思う。 |
2つ目の理由は、自然のものにはそれぞれの良さがあるからだ。私が大自然と聞いて思い浮かぶものは湖なのだが、反対に人工湖というものがある。人工湖はいわばダムだ。貯水池に使われたり発電所として使用されたりする。SPRINGER LINKの2017年の調査では自然湖では平均して25%多くのプランクトンが生息しているというデータや、人工湖より自然湖のほうが30%多くの魚類種が生息しているというデータがあるそうだ。反対に自然の光より人工の照明のほうが色温度や照明の明るさなどで25%作業率が上がるというデータもあるのだ。このようなことも含めて私は人口のものと自然のものをうまく使い分けて生活していくのがベストなのではないかと思う。 |
確かに、自分一人で目的を達成しようとして頑張ってみるのもいいことだ。しかし、自然に学ぶということは人工的な発明ではなく、むしろ自然界の原理やデザインを模倣して応用することだ。だから、私は何かを創ろうとする時にはまず一人で考えてから、自然を観察したり研究したりして学ぶのがいいと思う。例えば、ジョージ・ド・メストラルはハイキング中に犬の毛に絡まったゴボウの実を観察し、それをヒントに面ファスナーを作った。彼は最初に自分のアイデアを試行錯誤し、その後自然からインスピレーションを得ることで画期的な製品を生み出したのだ。しかし、自然に学んで目的が達成されたゆえに傲慢になってしまうのはよくない。謙虚な心をもって自然に積極的に学んでいくのがよいと思う。だが、今の私は自分で頑張ってみることさえもできていないと私は思っている。自然から学ぶことはなかなか大変なことのようだ。 |
すみひな 2024年9月12日
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