現在の教育は、宿題とテストが勉強の中心になっています。
それは、30人から40人の学級で、集団一斉指導をしなければならないという今の学校教育の体制が前提になっているからです。
この体制を変える必要があります。
未来の教育の新しいプラットフォームは、オンラインで、学年や進度が近い4~5人の少人数が、クラス単位の授業で勉強をするというかたちになります。
言葉の森が行っているオンライン少人数クラスの教育が、この新しい教育のプラットフォームです。
宿題に問題があるのは、ひとつには、できる子にとっては、やらなくてもいい問題も義務としてやらなければならないことです。
もうひとつには、できない問題があった場合、その問題を繰り返し解いてできるようにする仕組みが備わっていないことです。
だから、学力を育てるためには、全員一律の宿題をさせるのではなく、生徒一人ひとりが自分の決めた1冊の問題集を完璧に自分のものにするという学習が必要です。
そうすれば、できた問題はもうやらなくてもいいし、できなかった問題は何度も繰り返し解いてできるようにするという勉強の仕方ができます。
これが、最も能率のよい勉強法です。
宿題と並んで、今の学校教育のもうひとつの問題は、テストが勉強の中心になっていることです。
テストで競争させられ、序列をつけられるので、子供たちの勉強の目的はテストでよい点を取ることになります。
テストを課す発想の根底には、競争で子供たちの学習意欲を引き出そうとする考え方があります。
勉強は、自分自身の向上のためにするものであって、テストの競争に勝つためにするものではありません。
テスト中心の勉強に過度に適応した子は、その勉強が終わったあとに、勉強嫌いになってしまうことがあります。
テストでいい点をとればいいという考え方が進むと、テストに出ないものは勉強しないとか、テストが終わったら勉強しないとか、できるだけ省力化した勉強生活をするようになります。
二宮金次郎が、薪を背負いながら本を読んだのは、テストがあったからではありません。
自分をもっと向上させたいという気持ちがあったからです。
テスト中心の教育は、そういう向上心を失わせてしまうことがあるのです。
では、宿題やテストを使わない教育がどういうものになるかというと、それが発表の教育です。
一律の答えのある勉強は、宿題やテストにしやすい勉強ですが、思考力、創造力を育てる勉強は、宿題やテストにはなりません。
思考力と創造力は、自分の勉強した結果を発表することが意欲の源泉になります。
作文で言えば、森リン大賞やクラスごとの発表会が発表の場です。
創造発表クラスやプログラミングクラスでは、更に、発表が学習の動機づけになります。
国語読解や算数数学や英語でも、短歌作成、自作問題、自由英作文などは、発表が学習の結果を目に見えるものにします。
これからの教育は、宿題やテストではなく、発表を勉強の目標としていく必要があるのです。
(つづく)
私たちは、社会の中で生きています。
その社会生活の根底にあるのが、共感力です。
見ず知らずの人であっても不幸な人がいれば可愛そうだと思い、幸福な人がいれば自分も幸せを感じる、そういう感受性を持つことが共感力を持つということです。
この共感力があるからこそ、人間は、社会に貢献することを自然に目指すようになるのです。
教育の世界でも、共感力を育てることが教育のひとつの大きな目的になります。
共感力を育てる土台となるものは、一人ひとりの対話です。
私の教えているクラスでは、作文クラスでも、基礎学力クラスでも、総合学力クラスでも、国語読解クラスでも、算数数学クラスでも、創造発表クラスでも、プログラミングクラスでも、どのクラスも、授業の前に、全員が読書紹介をしています。
この読書紹介だけで10分から15分の時間をとりますが、これは必要な時間と考えています。
それは、ひとつには子供たちが毎日の読書を続けるためのきっかけになるからです。
また、もうひとつには、ほかの人の読んでいる本を見て、自分の読書の幅が広がるからです。
そして、更にもうひとつには、読書の紹介を通して、紹介する子供の人柄が伝わってくるからです。
相手の人柄を感じることが、コミュニケーションの土台になります。
また、私の教えているクラスでは、授業のあとに、一人一言の時間をとっています。
その一人一言の時間のあとに、互いに、ほかの人の一言に対する質問や感想を言ってもらています。
読書紹介と一人一言の間の授業の時間は、個別指導の時間です。
個別指導の時間の間に、ほかの生徒はそれぞれ決められた学習をしています。
学習の基本は毎日の家庭学習ですから、授業の時間はその家庭学習を確認する時間です。
だから、授業では、対話と交流の時間を多くとれるのです。
みんなの前で自由に話すことで、どの子も人前で発表する力がつきます。
私が、これまでいろいろな子を教えてきてよく感じるのは、海外から参加している子は、どの子もほぼ例外なくみんなの前で話すのが上手だということです。
アメリカでは、小学校低学年のころから、クラスの前で、自分が家から持ってきたものを紹介する授業があるようです。
日本では、そういう授業はまずありません。
あるとしても、30人から40人のクラスでは、ひとりの子が話す機会は限られてしまいます。
言葉の森のオンラインクラスでは、毎週、全員に一人一言の時間があるので、どの子も人前で話すことが上手になってきます。
そして、そのそれぞれの一言に関して質問や感想を言うことで、自然にほかの人の一言を注意して聴く姿勢が育ちます。
また、もっと大事なことは、質問や感想を言おうとすることによって、相手に対する共感の気持ちが生まれることです。
一人一言と質問感想の時間は、はたから見ると、楽しいお喋りの時間のように見えるかもしれません。
しかし、みんなの前で話をするので、子供たちはかなり頭を使ってこの時間を過ごしています。
こういうかたちで対話を交わした子供たちは、やがて同じ教室で学んだ学友のような関係になっていきます。
言葉の森が、オンラインクラスを本格的に始めたのは、2020年のコロナ禍のときからですから、まだそれほど年数はたっていません。
(オンラインクラス自体は、10年以上前から始めていました。)
しかし、これからのオンラインクラスでは、小1のころから基礎学力クラスや作文クラスで一緒に勉強を始めた子供たちが、中学生になり、高校生になっても、時どき同じクラスで勉強するようになることも出てきます。
その子供たちが、大学生になり、社会人になったときに、同窓会ができるでしょう。
その同窓会は、単に昔を懐かしむ会ではなく、近況を語り合い、知的な刺激を与え合う会になると思います。
そういうときのために、卒業した子供たちが集まれるオンラインの場として、それぞれの「先生の部屋」という掲示板を作っています。
しかし、これはまだ時期が早すぎたので、使っている人はまずいません(笑)。
ただ、そのうち、「先生の部屋」で、卒業生や在校生が語り合う機会が生まれてくると思います。
こういう対話のあるコミュニケーションを通して共感力を育てることが、未来の教育のひとつの大きな目的になります。
翻って、現在の教育を見ると、共感の教育ではなく、競争の教育が行われているように思います。
子供たちは、孤立させられ、互いに相手をライバルと見なして、自分がよりよい席につけるように勉強することを強いられているように思うのです。
しかし、大事なことは、競争をさせないことではなく、共感を育てることです。
子供たちは、競争も好きです。
しかし、その競争は、もっと大きな共感を土台にした競争にする必要があります。
教育の場では、共感が主で、競争は従なのです。
(つづく)