学校の重要な役割は、知的な交流の場というところにあります。
しかし、今は、知的な学習と遊びの交流が分かれています。
それは、知的と思われている学習が、実は、先生と教科書から与えられた知識を吸収するだけの学習になっているからです。
これは、学習というよりも作業に近い学習です。
作業的な学習は確かに必要です。
しかし、それは家庭でやっていれば十分なのです。
せっかく友達と一緒の教室で勉強しているのに、一人ひとりが孤立した状態で、先生の話を聞くだけというのはもったいない話です。
しかし、今の30人から40人をひとまとめにした学級では、そういう授業しかできません。
30人では、人数が多すぎます。
しかし、マンツーマンでは、交流の機会がありません。
これからの教育は、4、5人の気の合った仲間と勉強するような仕組みになります。
しかし、勉強の中で知的な交流が行われるためには、勉強自体が、吸収する勉強ではなく発表する勉強である必要があります。
知識を吸収する記憶中心の勉強では、個性は出てきません。
自分で考えたり作ったりしたものを発表する勉強の中で、その子の個性が出てきます。
知的な交流の前提になるのは、知的で創造的で発表的な学習なのです。
こういう学習が可能になる条件が、ここに来て急速に整ってきました。
それが、AI利用の学習です。
高校生の作文課題の項目は、高1が「当為の主題」、高2が「社会問題の主題」で、高3が「予測問題の主題」です。
高1の主題の「当為」というのは、「~べきである」ということで、その「どうすべきか」という主題に合わせて、複数の方法を書きます。
方法のひとつは、人間的な方法です。
方法のもうひとつは、社会的な方法です。
高校生の多くは、「自分たちの心構え」のような人間的な方法だけで書こうとします。
しかし、それでは方法の幅が狭くなります。
だから、もうひとつの方法は、社会的な方法を考えていくのです。
しかし、高校生が考える社会的な方法の範囲は限られています。
まだ、社会生活を送っていないので、観念的な方法になりやすいからです。
高校生が、最も身近に感じる社会的な分野は「教育」です。
だから、社会的な方法は、教育における方法ということで考えてみるといいのです。
高2の課題の意見は、「社会問題の主題」です。
これは、問題自体が見つけやすいと思います。
その社会問題に合わせて、複数の原因を考えます。
複数の原因のひとつは、時間的歴史的な原因です。
複数の原因のもうひとつは、空間的社会的な原因です。
社会問題の問題は多様ですが、原因は多様ではありません。
異なる問題でも、同じような原因ということが多いのです。
しかし、原因の裏付けとなる実例は多様です。
だから、作文の個性は、問題や原因の中にではなく、その裏付けとなる実例の中で出していくのです。
さて、高3の課題の主題は、「予測問題の主題」です。
これは、現在の社会問題の先にあるものを予測するという考え方ですから、想像力が必要です。
社会問題というものは、いずれは解決します。
それは、多くの人が感じている問題なので、いずれ解決せざるを得ないのです。
しかし、その解決の先に、主に解決の行き過ぎによる新しい問題が登場します。
その新しい社会問題を予測し、それに対して対策を考えるのが予測問題の主題です。
しかし、対策は具体的なものである必要はありません。
問題自体が予測に基づいたものなので、対策も具体的なものではなく、対策の方向を考えるということでいいのです。
対策の方向は、大きく4つ考えられます。
それは、自主、民主、公開、発明です。
問題の対策は、第一に、上からの統制ではなく自主的なものとして行う必要があります。
対策の第二は、それが民主的に納得できるかたちで行われる必要があります。
対策の第三は、誰もがそこに参加できる公開された場で行われる必要があります。
そして、第四は、新しい画期的な対策は、しばしば発明によって行われる必要があるということです。
これまでの人類の大きな社会問題は、狭い「心構えの方法」や、もう少し広い「政治や経済の方法」で解決されようとしてきました。
しかし、根本的な解決は、「科学的な方法」で行われることがあるのです。
話は変わって、今、世の中ではAI技術が、さまざまな分野で影響を与え、これまでのシステムの変更を迫っています。
社会問題として考えられるのは、そのAIの進展に追いついていけない古い体制が残っていることです。
しかし、それは多くの人が感じている問題なので、いずれ解決されるでしょう。
解決できない体制は、滅びていきます。
本当の問題は、その社会問題が解決されたあとにくる予測問題です。
教育の分野で言えば、教室で先生が生徒に一斉に授業をするという現在の古い仕組みは、AIの進展によって大きく変わります。
最初は、AIの活用は能率のよい学校教育を生み出します。
しかし、やがて、教育は学校から家庭に移っていきます。
家庭での教育の方が、学校での教育よりも更に能率がいいからです。
新しい問題は、教育が家庭に移ったあとに生まれます。
そのときの対策を今から考えておく必要があるのです。