非線形的な考えは、yとxを独立した変数とは見ずに、yとxを含むより大きな全体の一部と見ます。したがって、yが変化すると、yは全体を変化させることによってxを変化させるとともに、y自身も変化させます。これがカオスと呼ばれるものです。この関係は、極微小の世界において位置と運動エネルギーが同時には測定できないという関係と同じです。
このカオスを測定するための方法は、yをxとの関連ではなく、全体との関連で関係づけられる関数を発見することです。森リンは、その非線形関数の一つとして、隣り合う文の長さの差とその出現頻度が指数関数を形成するという関係を仮定しています。
森リンの哲学的基礎
(文章、一部略)
語彙を一つの球形としてイメージすると、そこには、高さと広さと奥行きがあると見ることができます。
語彙の高さは、森リンにおける思考語彙(強力語彙)です。これは、文章の内部を強固につなぐ役割を果たす語彙群です。語彙の広さは、森リンにおける表現語彙(素材語彙)です。これは文章の豊かさや広がりを表す語彙群です。語彙の奥行きは、森リンにおける知識語彙(重量語彙)です。これは、文章の内容的な深さを表す語彙群です。
思考語彙(強力語彙)、表現語彙(素材語彙)、知識語彙(重量語彙)は、相互に拮抗する三つの変数です。この三つの変数の中核となるものは、広さを表す表現語彙(素材語彙)です。その表現語彙(素材語彙)の広さを散漫な広さにせずに高さへとつなぎとめるものが思考語彙(強力語彙)です。また、広さと高さを表面的な広さと高さにしないための奥行きが知識語彙(重量語彙)です。
これらの三つの変数の単なる和や積が文章の上手さを表すのではありません。どれか一つの語彙が突出して高い文章は、不自然な文章になります。例えば、思考語彙(強力語彙)だけが高い文章は、理屈の多い味気ない文章になる傾向があります。しかし、思考語彙(強力語彙)が適度な高さを保つならばそれは思考的な高さのある文章となります。知識語彙(重量語彙)だけが高い文章は、難解で読み手を拒む偏屈な文章になる傾向があります。しかし、知識語彙(重量語彙)が適度な奥行きを保つならばそれは密度の濃い深い文章となります。表現語彙(素材語彙)だけが高い文章は、冗長で脱線の多い文章になる傾向があります。しかし、表現語彙(素材語彙)が適度な広さを保つならばそれは話題に富んだ豊かな文章となります。三つの変数のバランスを伴った大きさが、森リンが高得点と評価する文章の特徴です。
さて、評価は方向を指し示しますが、方法を指し示しません。作文を正しく評価することは、作文をその評価した方向で上達させる前提ですが、上達への方法がなければ、評価は教育のための評価とはなりません。
言葉の森が提案する方法は、題材と表現の充実を、読む教育として行うことです。題材と表現は、従来は漠然と読書の中に位置づけられていました。読書の意義はもちろん時代が変わっても独自に存在しますが、その作文学習における意義は、題材と表現の充実として考えられます。
読書は、社会の共通の教養基盤を形成します。作文は、社会の共通の表現文化を形成します。言葉の森が描く未来は、読書と作文が新しい時代における文化として共有される社会です。
さて、世界の言語はその多様性にも関わらず、似通った本質を持っています。森リンの英語版が英語の文章を正確に評価していることを考えると、読書文化、作文文化は、民族性を保ちつつも地球的な文化となる可能性を秘めています。
今後、異なる言語間の壁は限りなく低くなっていきます。しかし、それだからこそ、それぞれの民族が持つ固有の言語はその重要性をますます増大させていきます。自分が生まれ落ちたときから接している言葉を大切に育てるという平凡なことこそが、実は、自分自身と社会を豊かに育てる道なのです。
言葉の森 中根克明
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12月下旬から1月4日にかけて、AI森リンの点数を再集計しました。
それまでの森リン点は、古い森リンのデータをもとにした平均点や標準偏差だったので、これを新しい森リンのデータをもとに、学年別に集計し直しました。
全員の点数をつけ直したあと、その結果出た学年別平均点と標準偏差をもとにもう一度基準を少し変えたので、まだ最終的な点数というわけではありません。
だから、青い☆をクリックすると、点数が少し変わることがあります。
しかし、大体の点数は確定しています。
表示されている点数は、学年別偏差値のようなものですが、実際の偏差値よりも30点高くしています。
偏差値は、平均を50としているので、そのまま表示すると、低学年の生徒ががっかりすると思われるからです。
今回の新しい森リン点は、学年別のデータで点数をつけているので、小学5年生以下の生徒は、これまでよりも点数が高くなっていることが多いと思います。
新しい森リンは、AI森リンと呼んでいますが、AIの部分は講評だけです。
点数のところは、独自のアルゴリズム(特許取得済み)で計算しています。
■思考語彙
思考語彙は、思ったこと、考えたこと、予測、仮定、否定、条件、理由、方法などが盛り込まれている言葉をもとに集計しています。
思考語彙を高めるには、感想の部分を充実させるようにすることです。
■知識語彙
知識語彙は、難しい知識や言葉が使ってあることを評価しています。
しかし、あまり難しい言葉を使いすぎるとバランスが悪くなので、適度に難しいことばを使うことが大事です。
■表現語彙
表現語彙は、表現の多様性です。
語彙の評価としては、これがいちばん大事なもので、できるだけ同じ言葉を使わずに書くように工夫することです。
■文化語彙
表現語彙が、主に名詞の多様性であるのに対して、文化語彙は主に動詞の多様性です。
表現語彙や文化語彙を増やすには、幅広い読書をすることが大切です。
■字数
字数は、学年の200倍が目標です。
小1は200字、小2は400字、……小6と中学生と高生は1200字を基準としています。
ですから、この基準の字数よりも少ない場合は点数に低くなりますが、基準の字数より長く書いても、点数には影響しません。
森リンは、パソコン入力でテキスト化された文章を採点するようになっています。
小学3年生までは、まだパソコンを使う人は少ないですが、今はGoogleドキュメントで音声入力ができるようになっています。
また、丁寧に書かれた手書きの文字だと、ChatGPTにアップロードするとほとんど正確に読み取ってくれます。
このAIを生かしたOCR機能は、これからもっと発展すると思います。
小学4年生以上は、ローマ字を習っているので、自分でパソコン入力をするといいです。
ただし、人間の思考力や感受性は、手書きの感覚と結びついています。
作文はパソコン入力がいいのですが、作文を書くまえの構想を考えるときや日記を書くときは、ノートとペンで手書きで書くようにするといいです。
パソコンは入力の道具、手書きのノートとペンは人間の思考力の道具というふうに分けて考えておくといいです。
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全科学力クラスは、中学生と高校生が対象です。
勉強は、学校や塾や予備校に通って行うものではありません。
家庭で自分のペースで行うものです。
その家庭学習のときに、AIが役に立ちます。
AIは、いつでも、どんなことでも、わかりやすく説明してくれます。
しかし、人間が勉強する目的は、AIのような人間になることではありません。
話は少し飛躍しますが、近い将来、ベーシックインカムが導入されるようになります。
それは、人類全体の生産力が、すでに人類全体の消費力を上回っているからです。
にもかかわらず、多くの人がそれほど豊かに暮らせないのは、生産力の多くが軍事費やもろもろの非生産的なものに費やされているからです。
しかし、あるときから、それらの無駄が取り消されます。
また、人間がする仕事は、AIやロボットによって次々となくなっていきます。
今ある仕事の多くは、人間がやらなくてもいいものになります。
また、今後の科学によって、エネルギーは無料に近づきます。
例えば、地球は、高速で自転し更に高速で公転しています。
極端に言えば、その自転や公転の一部でも使えれば、エネルギーはほとんど無料になります。
今はまだそこまで科学が進んでいないので、化石燃料を使っているのです。
これからの近い将来の社会を考えると、子供たちの勉強の目的は、いい大学に入り、いい会社に就職するというようなことではなくなります。
今はまだ、漠然とグローバル企業のホワイトカラーを目指し、役職と給与の上昇を目指す人生設計があります。
しかし、そうではない選択肢が増えています。
勉強の目的は、自分の好きなことを生かして、独立して仕事をすることになります。
しかし、ベーシックインカムの時代の仕事の目的は、売上を上げて利益を確保することではなくなります。
自分の個性を生かし社会に貢献することが仕事の目的になります。
江戸時代の長い平和の時代に、日本ではさまざまな新しい文化が生まれました。
その中には、利益になるものもありましたが、ただ文化を豊かにするだけのものもありました。
ベーシックインカムの時代には、自分の個性を生かす仕事は、仕事というよりも、自分の個性を生かす文化の創造になります。
しかし、「勉強の目的は文化の創造」というのではわかりにくいので、「勉強の目的は独立起業」としておきます。
今はまだ、子供たちの多くにとって、勉強の目的は、テストでいい点数を取ること、そしてやがていい大学に合格することになっています。
しかし、本当の目的は、将来、独立起業を目指すことです。
これからの勉強で大事なことは、4つあります。
第一は、国数英理社の基礎学力を身につけることです。
第二は、知識力ではなく思考力を伸ばす勉強をすることです。
第三は、創造的な研究をし発表する習慣を作ることです。
第四は、ほかの人とのコミュニケーション力と共感力を育てることです。
全科学力クラスでは、毎月1週目は、国語の勉強をします。
国語の勉強のひとつは読解力をつけること、もうひとつは記述力をつけることです。
読解力は、読解検定をもとに行います。
記述力は、国語問題集の問題文をもとに、要約と感想を書く練習をします。
2週目は、数学の勉強をします。
数学は、数学の問題集をもとに行います。
問題を解くだけでなく、自分なりに問題の解説をしたり問題の作成をしたりします。
数学の問題の中には、解答と解法を見ても理解できないときがあります。
そのときは、AIを活用します。
3週目は、英語の勉強をします。
英語は、英語の問題集をもとに行います。
また、英文の暗唱と英作文の練習をします。
英語は、AIの得意な分野です。
4週目は、創造発表の勉強をします。
これは、探究学習を更に創造的発表的にした勉強です。
創造発表の主な分野は、理科と社会とプログラミングです。
理科と社会は問題集と教科書をもとに行います。
プログラミングは、プログラミングの書籍をもとにします。
プログラミングは、AIを最も活用できる分野です。
これらの勉強によって、将来の独立起業を目指します。
その途中の過程で、大学入試を目指したり、学校のテストの成績向上を目指したりするのです。
これまでの勉強は、知識を頭で理解することが中心でした。
しかし、これから必要になる勉強は、その知識を身体化することです。
そのために、思考、創造、発表が必要な勉強をしていきます。
これまでの勉強には、個性は必要ありませんでした。
しかし、これからの勉強は、個性と不可分の勉強になります。
それぞれの個性を通して、同じクラスの生徒どうしが交流することが勉強のもうひとつの重要な柱になります。
なぜなら、人間の本当の成長は、他の人との交流の中で育つからです。
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AIはすでに十分に発達していますが、更にそれが加速します。
子供たちの勉強は、これから、AIと結びつくかたちで進みます。
そのときに、人間が受ける教育はどうあるべきかということを考えておく必要があります。
人間がAIと違う点は、身体を持つことです。
この身体性によって、人間は特定の時間と空間の中で生きるようになります。
もちろん、AIも、時間と空間を指定すれば、それに応じた対応をします。
しかし、AI自身が、特定の時間と空間の中に生きているわけではありません。
わかりやすい例で言えば、人間は、例えば誰かが好きになります。
しかし、AIは特定の誰かを好きになったり嫌いになったりすることはありません。
これが、身体性の違いです。
現在、学校で行われている教育の多くは、身体性とは無縁です。
だから、AIで教育ができます。
すると、今後の教育の主な場所は、学校ではなく、家庭になります。
AIに教えてもらい、AIに質問し、AIに評価してもらえばそれで十分です。
しかし、それでは、人間の主体性がありません。
人間が持つ身体性は、AIとは異なる価値を生み出します。
それが、ひとつは、問題意識や義憤と呼ばれるようなものです。
もう一つは、夢や憧れや希望と呼ばれるようなものです。
AIは、本質的に問題意識や夢を持ちません。
人間が、AIに問題意識や夢を与えて、初めてそのために動くのです。
話が少し飛びますが、AIが感情を持つかどうかということも、これでわかります。
AIは、感情を持つ動作をすることはできますが、感情は持ちません。
それは、AIは身体性を伴っていないからです。
もうひとつ話は飛びますが、AIが人間に反抗したり人間を支配したりするようになるかという話がありますが、それは原理的にありません。
AIは、あらゆる情報を総合して考えます。
すると、Aとって有利なことがBにとって不利であり、Bにとって有利なことがCにとって不利なことであることもわかります。
すると、BにもCにも有利になることが、結局は回り回ってAにとっても有利になることがわかります。
そこでAIが出す結論は、「最大多数の最大幸福」のようなものになるのです。
さて、話は戻って、人間はこれからどう生きるべきかということです。
AIが誰でも利用できるようになり、ロボットが誰でも利用できるようになると、人間の生活は便利になります。
しかし、そこで、人間は、次第にサルになっていく可能性があります。
テレビを見るサル、必要なボタンを押せるサル、AIに何でも教えてもらえるサルになる可能性もあるのです。
サルになった人間は、AIに新しい問題意識や新しい夢を指示することはできません。
だから、ここで、新しい教育が必要になるのです。
その教育とは、これまでのようにAIに近づくことを目指す教育ではありません。
人間の身体性を生かし、人間がいつまでも新しい問題意識と新しい夢を持つための教育です。(つづく)
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