「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著・講談社現代新書)の中で、著者は、生命の本質は、単なる自己複製ではなく、代謝による動的な平衡ではないかと述べています。
自己複製だけであればウイルスも行っています。ここから連想されるのは、スパムメールです。スパムメールも、ウイルスと同じように、自己をコピーして増殖し、しかもより広がりやすいように進化をします。しかし、そこには何か価値ある中身を維持しようとする生命の積極的な意志は感じられません。
さらに、スパム的な書き込みというのも最近増えています。しかし、ウイルスに対する最も効果的な対策が免疫を作ることであるように、スパムに対しても、たくましい免疫力を作ることが最良の対策であるように思います。
さて、ネズミの実験で、餌に標識となる物質を組み込んだものを三日間与え、その結果を見たところ、ほとんどの標識が体内のあらゆる部位に見つかったということです。つまり、
三日間でほぼすべての餌がアミノ酸となり体内に蓄積され、その分だけ古いタンパク質が分解されて対外に排出されたということです。
人間の細胞も、毛髪や爪などの固い細胞も含めて、常に内部では物質が入れ替わって動的な平衡を保っています。
ここから私は、人間の認識についても、同じことが言えるのではないかと思いました。
「三日書を読まざれば、すなわち面目憎むべく、語言味なし」という言葉があります。この意味は、三日本を読まないと、顔つきに品がなくなり、言うことに味わいなくなる、ということです。
人間は、身体だけでなく、ものの考え方も、動的な平衡を保っています。
日々の学習や読書によって、生き方や考え方という「細胞」も常に新しく入れ替わっているのです。
塙保己一は、18歳のときに始めた般若心経の暗唱を晩年になっても続けていました。本多静六も、晩年に新たにドイツ語の勉強を始めました。本多静六の勉強法は、何度も反復して暗唱できるようにするというものでしたから、たぶんドイツ語もそのように勉強していたのでしょう。
食事が健康な身体を維持することに役立つように、読書や暗唱というものも、健康な知性を維持するために必要なのです。
ところで、動的な平衡を維持するためには、そのもとになる枠組みが必要です。
生命のもう一つの特徴として、タンパク質の枠組みを作る際の不可逆的な進行というものがあります。
身体は、ジグソーパズルのピースのように様々な形のピースが組み合わさって作られます。
ある重要なピースが欠けていても、その穴をカバーするようなほかの組み合わせ方ができて全体が正しく形成されるという柔軟性が生物の身体にあります。
しかし、ピースがないこと自体は問題ないのですが、なまじ不完全なピースが組み合わされると、それがあとで身体上の障害になってきます。しかも、いったんできた組み合わせは不可逆的なので、あとから修正することはできません。
このことを人間の認識の形成に当てはめてみると、
幼児期にバランスのよい文化の環境の中で育つことが人間の精神の成長にとって重要なのではないかということがわかります。
それは、ひとことで言えば、伝統的な人間関係、伝統的な子育てということです。
日本で昔から行われていた伝統的な子育てと、成長してからの日々の読書や暗唱という二つの面が、人間らしい生活をするために必要なのではないかと思いました。
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「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著 日本経済新聞社)には、世界のフラット化に伴い変化する社会の実例が様々に描かれています。
フラット化する世界とは、山や川で小さく隔てられていた世界がフラットになり、一挙に地球上の人口65億人の世界が目の前に広がるようになった世界です。
商業の世界でも、昔、商圏人口数十万だった店が、インターネットの市場に進出し日本中1億2千万人をマーケットにして急成長しているというケースがあります。
しかし、顧客がフラット化して数十万人が数億人になるということは、逆に言えば、ライバルもフラット化してそれだけ広がるということです。
現在、インターネットの世界では、世界一の企業しか生き残れないという状況が生まれています。
昔は、地域で一番であれば、その地域で生き残ることができました。今は、世界で一番でないと世界市場では生き残れないというになっているのです。
これは、個人のレベルでも起こりつつあります。例えば、これまで日本の中で12倍の倍率で競争していたものが、世界が相手になると一挙に650倍もの倍率になるということです。(日本の人口が1億2千万人、世界の人口が65億人と考えた場合。実際にはもっと多い)
例えば、相撲の世界では、今、日本人以外の力士が上位を占めています。日本人の中で競争するのではなく、世界の中で競争するという状況が、スポーツの世界では一足先に生まれているのです。
大学も、これからは、日本で名前の通った大学であっても、世界では通用しないというケースが増えてきます。名前ではなく実力で勝負する、というのがフラット化された社会の特徴です。
このような世界で仕事をしていくためには、アウトソーシング化される仕事や、オートメーション化される仕事とは異なる仕事の能力を持つことが必要になります。
これまでは、日本でしか通用しない仕事でもやっていくことができました。これからは世界で通用する仕事でなければやっていけません。
しかし、
さらに言うと、これからは、日本人でなければ通用しない仕事があるというふうに考えることもできるのです。
例えば、ある世界的な企業が社員を募集するときに、「ただし、左脳で虫の声を聞ける人を優先する」というような条件がついたとすれば、650倍の倍率は、一挙に12倍にまで下がります。左脳で虫の声を聞くことができるのは、日本語を母語とする人だけだからです。
日本文化の特徴は、製造業(ものづくり)の文化という考えがありますが、これまで、あまり表に出なかった特徴として、実は、高度な文化的教育の文化という面もあるのです。
フラット化した世界における日本の未来は、高度な教育文化を国内の需要で循環させていくとともに、海外のフラット化した経済を利用し、そして、日本文化そのものを高度な商品として世界に輸出するという形になると思います。
このときに、大事なことは四つあります。
第一は日本語力です。日本文化を自分のものにするためには、日本語の学習というのが土台になります。
第二は読む力です。生涯学習の基本は、新しい概念を次々に読み取る力だからです。
第三は書く力です。考えたことを発表する力がこれからはますます要求されてきます。
第四は自分の専門的な能力です。しかし、専門的の能力がただ一つだけしかなければ、それがオンリーワンになる割合は65億分の1です。複数の専門能力を組み合わせることができれば、自分の個性はもっと有利に発揮できるようになります。
フラット化する世界は、個性が求められる世界なのです。
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「日本の曖昧力」(呉善花著PHP新書)は、韓国の人が書いた日本文化論ですが、日本と日本人のすぐれた特徴をよく表しています。
この中で、日本人が普段気づいていない日本文化の特徴として、歪みを美しいと見る美意識ということが書かれています。
例えば、コーヒーカップのようなものでも、中国や韓国の人たちが好むのは、一般に均整のとれた明るく光る美しいものです。それに対して、日本人が好むものは、少し歪みがあるくすんだ色のものです。(これは、この本の口絵にそれぞれの種類のカップが載っているので、それらを見てみると、よくわかります)
この美意識は、建物などにも表れていて、法隆寺の建築物の配置は、左右が不均等に作られています。同時代の中国や韓国の代表的な建築物は、左右が均等に配置されています。
日本人は、こういう少し傾いたり歪んだりした未完成のようなものに美を感じるというのです。
これを、文章の好みにも当てはめて考えることができると思いました。
西欧の文章は、序論・本論・結論となるような形が主流です。文章の最後は、全体のまとめで終わるというような終わり方をするものがほとんどです。
ところが、日本人は、この最後を全体のまとめで終わるという終わり方が、いかにも完成された終わり方なので、かえってもの足りなさを感じる面があるようです。
日本人が、好む文章の終わり方は、「動作・情景の結び」のような終わり方です。
子供たちの作文でも、最後が「……と思いました。」という感想で書かれている作文があった場合、その最後の数行を削ると、とてもいい作文になることがよくあります。これも最後のまとめの部分を意図的に省略することによって、文章全体に日本人好みの歪みが生まれるからだと思います。
この歪みは、別の言葉でいうと余韻というふうにも言えると思います。
この余韻のほかに、もう一つ歪みの働きを持つ表現が比喩です。短い数行の文章を書く場合でも、その中に比喩が一言入っていると、その文章は作品性を持ちます。それはその比喩によって、短い文章に歪みが生じるからだと思います。
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昨日に引き続き、ジュリアン・ジェインズの話です。
彼は、面白い実験を提案しています。まず何でもいいから、自由な話題を数分間喋り続けます。それはだれにでもできます。そして、そのあと、同じように自由な話題を数分間歌い続けるという実験をします。しかし歌で喋るということは、すぐにできなくなります。歌に意識を向けると同じ言葉を繰り返すようになるか、逆に言葉に意識を向けると歌のようなメロディーにならなくなるからです。
つまり、
言語は、左脳で処理しているに対し、イメージやメロディーやリズムは、右脳で処理しているため、歌に話題を載せるという作業は、左脳と右脳に意識を交互に向けなければならなくなるから難しいのだと言うのです。
では、決まった歌詞のある歌はどうかというと、これは、言葉ではなく歌として右脳が把握しているので、歌うことができるのだと言います。脳出血などで左脳の言語中枢が使えなくなったとき、言葉を喋れなくなった人が、歌は歌うことができると言われています。
ジュリアン・ジェインズは、歌に言葉を載せるという練習を子供のころからしていてそれが自由にできるようになれば、左の言語脳が使えなくなったときも、歌で喋ることができるようになるのではないかという面白い提案をしました。たぶん、彼はこの実験を自分なりにしたのではないかと思います。
私は、同様のことが、暗唱についても言えると思いました。
暗唱をしていると、だんだんと言葉を喋っているというよりも、詩または歌を喋っているような感覚になります。
つまり、言葉の意味を把握するという左脳的な意識がないままに、言葉を発声しそれを聞くという行動を繰り返すので、言語をつかさどる左脳が、暗唱をしているうちに働くのをやめて休んでしまうのだと思います。
言語を処理する左脳が休んでいるのに、言語的な動作が続くとなると、相対的にイメージや音楽を処理する右脳が優位になります。このことによって、右脳のイメージ化された認識の仕方が、左脳の言語脳に生かしやすくなるということが言えるのではないかと思います。
私自身、毎日10分間の暗唱をするようになってからイメージが豊富にわいてくるようになった気がします。
具体的には、普段A4サイズのノートにいろいろなことをを記録していますが、それが暗唱を始める前は例年1年間で1000枚ぐらいを使っていました。ところが、暗唱を始めるようになってから、約2倍のペースでノートがなくなるようになりました。今、6月の時点で既に1000枚を超えています。
これまでの教育は、読む学力を育てることが中心でした。読んだものを理解してその知識をテストするような勉強なので、読んで内容を理解すれば勉強は終わりという学力でした。
ところが、これからは、読んだものをどのように生かすかということが大事になってきます。これを、書く学力と言ってもいいと思います。
読んだものを読んで理解することにとどめずに、新しいものを創造することに結びつけるような学力がこれから求められてくるということです。
この創造の一つの方法として、暗唱によるイメージ脳の活性化は大きな役割を果たすようになると思いました。
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ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」は、意識と言語の起源について、心理学、生理学、歴史学、哲学、文学を駆使して大胆な仮説を立てた著作です。この中で、著者は、比喩は言語の本質であり、ひいては意識の本質であるというようなことを述べています。
これは、私たちが考えても、確かに納得できるところがあります。
初めて声を発することができるようになった原始時代の私たちの先祖たちは、大きいトラが「ウォー」を吠えるのを見て、その大きさを「オオ」という言葉で表したかもしれません。また、小さなネズミが「チーチー」といいながら逃げるの見て、その小ささを「チイ」という言葉で表したかもしれません。そして、仲間に何かを伝えるとき、例えば、向こうの山には大きいクリの実がなっているが、こちらの山には小さいクリの実しかなっていないというときに、向こうの山を指さして「オオ(きい)」、こちらの山を指さして「チイ(さい)」と言ったのだと思います。
トラやネズミの大きさをクリの実の大きさにたとえるというこの比喩が言語のもともとの姿です。
比喩は、現代でも、日々新しい言葉を生み出しています。例えば、雨の降り方を表すのに、「滝のような雨」「糸のような雨」「横殴りの雨」など様々な表し方があります。大味の概念を微妙な差のわかる概念にまで細分化することが比喩の役割です。
この比喩と似た効果を持つものに名言があります。例えば、「民主主義は教科書には書かれていない」という言葉があります。民主主義は、出来上がった形で与えられているものではなく、自分たちが日々試行錯誤の中で作っていくものだという意味です。「○○はAではなくBである」という表現によって、思想の輪郭をはっきりさせるというのが名言の役割です。
比喩や名言と同様な役割を果たすものに、もう一つダジャレがあります。ダジャレの発想は、比喩と同じです。
面白いダジャレを考えることができる能力は、個性的な比喩を考えることができるという能力に比例しています。
この比喩や名言がやがて、ことわざや故事になり、次第に陳腐になり、やがて新鮮さも陳腐さも消えて新しい概念または新しい言葉として定着していきます。
こう考えると、人間の言語の歴史は、それほど古くはありません。これからも次々と比喩が生まれ、その比喩が新しい言葉になり、新しい言葉がますます増えていくという言語の歴史が予想されます。
ところで現在でも、比喩をうまく使える子と、ありきたりの形でしか使えない子とがいます。この差はどこから来るかというと、やはり語彙に対する習熟度の違いから来ています。言葉を自分の手足のようによくなじんだ形で使える子は、面白い比喩を作ることができます。しかし、言葉を不便な道具のように使う段階の子は、まだうまく比喩が使えません。
語彙力の差は、読む力の差として表れてきます。漢字の書き取りの力は、書き取りの練習量に比例しています。しかし、漢字の読みの力は、練習量よりもむしろ読書量に比例しています。
大学入試センター試験では、語彙を問う問題が毎年出ています。
この語彙の問題を正しく答えられる人は、本をよく読んでいる人で、正しく答えられない人は本をあまり読んでいないということがわかります。
この差は通常の勉強の差と違って、読書の蓄積の差なので、短い時間では埋めがたいものがあります。
センター試験の問題では、こういうものがあります。
(問)名状し難い
1.言い当てることが難しい
2.名付けることが不可能な
3.意味を明らかにできない
4.何とも言い表しようのない
5.全く味わったことのない
答えは4
(問)気の置けない
1.気分を害さず対応できる
2.遠慮しないで気楽につきあえる
3.落ち着いた気持ちで親しめる
4.気を遣ってくつろぐことのない
5.注意をめぐらし気配りのある
答えは2
(問)是非に及ばない
1.言うまでもない
2.話にもならない
3.善悪が分からない
4.やむを得ない
5.判断ができない
答えは4
ほかに、「老成した」「率先垂範」「のっぴきならない」「小康」「固唾を呑んで」などの語彙を問う問題もあります。これらは国語の勉強というよりも読書の中で自然に身につくものでしょう。
これらの語彙を自然に知っているということが、比喩を上手に使う力と結びついているのです。
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言葉の森の今後の方向を、これから予想される四つの大きな変化というところから考えてみました。
第一は、経済の変化です。現在のアメリカの状況は、バブルの上塗りによる時間稼ぎという状態です。この結果、日本でも内需の低迷という状態は、今後長期化すると考えられます。そこで言葉の森も、三つの方向で経営を行っていきます。
一つは、これまでの通信教育の一部に奨学生制度を取り入れることです。もう一つは、フランチャイズ化した通学教室で国語力の育成を図ることです。三つめは、ウェブで利用できる。作文読解国語のフリーな教材を提供することです。ただし、フリーな教材といっても、本格的なものにしていきたいと思っています。
第二は、政治の変化です。1929年の世界恐慌が第二次世界大戦で解消されたように、現在の経済の問題を解決するために、世界に戦争状態を起こすことを願う人々がいます。その戦争のシナリオの一つには、日本と、朝鮮又は韓国又は中国を戦争状態にすることもあると思います。日本は、アジアの国と協力して進んでいかなければなりません。それは、国と協力するというよりも、その国にいる真に進歩と平和を望む人たちと協力するということです。従って、
言葉の森の教材も、日本語と日本文化を守るとともに、それが排他的なものにならず、普遍的なものになるように発展させていく必要があると思います。
第三は、自然と環境の問題です。今後様々な自然破壊や自然災害や感染症の拡大が起こること予想されます。これに対応するためには、
通信の授業をさらに強化して、郵送などのアナログ的な手段を使わずに、オンラインですべて完結するような指導の仕組みを考えていく必要があります。ウェブ添削、海外の生徒の電話指導、携帯電話によるウェブ利用など、オンライン化を強化する道を考えていきたいと思っています。
第四は、科学の進歩です。今後、エネルギー革命、情報革命、意識革命のような科学上の飛躍的な前進が生まれることが予想されます。これは質的な変化なので、今後どこで何が起こるかは起こってみないとわかりません。この中で、教育に求められるものは三つあります。一つは、地球と人類のための教育という教育の真の価値を明確にすることです。もう一つは、本物を目指す教育です。理解力、思考力、表現力を確実に向上させる指導を目指していきたいと思います。三つめは、受験の教育から、能力の教育へと変化することが考えられるということです。この能力の教育の先にあるものは、文化の教育です。単に
受験競争に勝つという教育から、自身の能力を開花する教育へと発展し、さらに文化を豊かにする教育へと発展するというのが教育の未来の方向だと考えています。従って、言葉の森も、教育の機関であるともに文化の機関となるような方向を将来目指していきたいと思っています。
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中学生は、資料を中心にした書き方
子供自身で資料を集めます。しかし、書きたいことがある→その資料を探す」という発想をすると、時間がかかります。
「資料を集める→書きたいことを組み立てる」という発想で進めましょう。
▼感想文のお手本!
「鶴の恩返し」を読んで | | |
▽1日目 | |
ある日、若者は、わなにかかった鶴を助けてあげた。 | 本の引用:一日目は、最初のほうの場面を書きます。 |
ぼくは、野生の鶴を見たことがないので、日本の鶴について調べてみた。世界には三種類の鶴がいて、日本ではそのうちの七種類が見られるそうだ。タンチョウヅルは全長が一四〇センチメートルもあり、北海道の東部に生息している。このほか、冬になるとシベリアから渡ってきて、日本で越冬する鶴もいるそうだ。 | 似た話:集めた資料は、データを正確に書くと説得力が増します。 |
ぼくは、これらの情報から、この鶴は、シベリアから日本に来て、慣れない土地でわなにかかったのではないかと思った。 | 思ったこと:一日目の最後に、簡単な感想を審きます。 |
▽2日目 | |
助けられた鶴は、女の人に姿を変えて若者の家を訪ねてきた。そして、若者のために機を織リ、美しい布を作ってくれた。 | 本の引用:二日目は、本の真ん中あたりの場画を書いていきます。本の引用を簡潔に書くのは意外に難しいので、大人がヒントを言ってあげましょう。 |
ぼくは、鶴の機織りというごとから連想して、鳥を利用した産業を調べてみた。さすがに機を織る鳥というのはいないが、日本には、鷹匠や鵜飼いなど、鳥を利用した文化があるごとがわかった。また、羽根を使った製品では、羽根ペン、羽根飾り、赤い羽根、羽毛布団などがあった。 | 似た話:関連のありそうな資料を幅広く集めていきましょう。集めた資料によって書く方向が変わってくることもあります。 |
しかし、羽根を使って布を織るというのは、かなリ高度な技術を必要とするだろうと思った。 | 思ったこと:感想は短くてかまいません。 |
▽3日目 | |
若者は、女の人との約束を破って、機織りの様子を見てしまった。女の人は、最後の布を織ると、鶴になって飛んでいってしまった。 | 本の引用:三日目は、本の最後の場面を書いていきます。 |
ぼくは、鶴の値段と布の値段を調べてみようと思ったが、鶴をペットとして売っているとごろはなかった。また、布にもピンからキリまであり、簡単に値段を比較するごとはできなかった。
しかし、現代の人だったら、鶴の作った布をうまく工業化したかもしれない。 | 似た話:いい資料が見つからなかったときも、その見つからなかったこと自体が材料になります。 |
若者も、鶴と協力して、機織りの仕事を発展させるごとを考えていけばよかったのではないかとぼくは思った。若者の好奇心は、約束を破る原因にもなったが、逆に社会を発展させる原動力にもなったはずである。 | 全体の感想:さて、いよいよ締めくくりです。最後の感想は、本全体の大きい感想を書いていきます。感想は、「わかったこと」や「考えが変わったこと」など全体の感想を中心に書いていくのがコツです。現代の社会や自分の生き方などに大きく結びつけて書くとよいでしょう。 |
1日で急いで書き上げようとすると、あらすじばかり長い感想文になってしまいます。
1日400字のペースで、似た話をじっくり書いていきましょう。3日間で、1200字の充実した感想文が出来上がります。
学年別作文感想文の書き方
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めっちゃ、分かりやすいです(*´▽`*)
この書きかたを、お手本にしてみたいと思います( *´艸`)
ぽぽんさん、ありがとう。
わかりやすくてよかったです。
今日、読書感想文どうしよぅ・・・と思っていたので助かりました。
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小学校高学年は、実験や調査を中心にした書き方
旅行に行ったり実験をしたり、親子のコミュニケーションを楽しみながら感想文を書いていきます。宿題とレジャーのコラボです。お父さんやお母さんも、本の中身を簡単に読んでおいてください。
▼感想文のお手本!
「因幡の臼うさぎ」を読んで | | |
▽1日目 | |
沖の島にいたウサギが、因幡の国へ行くために海をわたろうとしてワニに並んでもらった。しかし、ワニをだましたウサギは、皮をはがされてしまった。 | 本の引用:一日目は、最初のほうの場面を書きます。 |
わたしは、因幡の国を見るために、父といっしょに鳥取県に行った。鳥取県のとなりの島根県にある出雲大社には、オオクニヌシノミコトと白ウサギの銅像があった。 わたしは、ワニの背中に乗って海をわたるというようなことが本当にできるかどうか、学校のプールで試してみた。ビート板を並べてプールのはしからはしまでわたろうとすると、一枚目でそのまま水に落ちてしまった。 | 似た話:「似た話」として、謂査や実験をしたことを書いていきます。文字の数を合わせるのは、感想文を全部書き終えてからでいいので、作文似た話と同じつもりでたっぷり書いていくとよいでしょう。たとえや会話を入れると、「似た話」が長く書けます。 |
わたしは、ウサギは、ちえもあるし、体もびんしょうだったのだろうと思った。 | 思ったこと:一日目の最後に、簡単な感想を審きます。 |
▽2日目 | |
お兄さんの神様たちは、皮をはがされたウサギに、「塩水で体を洗って日に干すといい」と教えた。 | 本の引用:二日目は、本の真ん中あたりの場画を書いていきます。本の引用を簡潔に書くのは意外に難しいので、大人がヒントを言ってあげましょう。 |
わたしも、ケガをしたときに、塩水につけて日に干してみたらどうなるのかやってみたい気がしたが、考えるだけでも痛そうなのでやめた。よく虫歯のときに塩水がしみるというのと同じではないかと思った。 | 似た話:「似た話」は、作文のように長く書きましょう。 |
ウサギは頭がいいのに、そのときは痛みで深く考えられなかったのだろう。 | 思ったこと:感想は短くてかまいません。 |
▽3日目 | |
弟の神様であるオオクニヌシノミコトは、ウサギに、「体を真水で洗って、ガマの穂の上にねると治る」と教えてくれた。 | 本の引用:三日目は、本の最後の場面を書いていきます。 |
わたしは、ガマの穂を見たことがない。そごて、父が子供のころに遊んだという田舎の田んぼに行ってみた。しかし、まだ穂は緑色だった。帰りに園芸店に寄ると小さなガマのなえが売られていたので、それを買った。秋になったら、このガマがどんな穂をつけるか楽しみだ。 | 似た話:「似た話」の実験や調査かうまくいかときも、そのうまくいかなかったこと自体を話の種にして書いていきましょう。 |
ウサギはいろいろ苦労した分、多くのことを学んだ。もし、ウサギが沖の島でのんびり暮らしているだけだったら、災難もなかったかわりに進歩もなかったと思う。わたしは、出雲大社でとってきた銅像のウサギの写真をちょっと感心してながめた。 | 全体の感想:さて、いよいよ締めくくりです。最後の感想は、本全体の大きい感想を書いていきます。感想は、「わかったこと」や「考えが変わったこと」など全体の感想を中心に書いていくのがコツです。この感想も、お父さんやお母さんがいくつかヒントを出してあげるとよいでしょう。 |
1日で急いで書き上げようとすると、あらすじばかり長い感想文になってしまいます。
1日400字のペースで、似た話をじっくり書いていきます。3日間で、1200字の充実した感想文が出来上がります。
学年別作文感想文の書き方
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やり方を教えてください
書き方が分からないのですが
どうしたらいいですか。
子供の感想文の参考になりました。
このサイトいいですね
子供が一昨日までできなかった感想文ができました。
森川林さん、このサイト参考になります。
ありがとう。
子供が、これを見て作文できました!
ありがとう。
あと、「さよならワックス」さんは意味がわからないのですが
荒らしですか?
自分が気に入ったところ、作者の言いたかった事。の次は何を書いたらいいんですか
読書感想文の書き方を教えてください(小学6年の親です)
始めは、どうしてこの本を読もうと、思ったきっかけや、理由を、書くと良いですよ‼
私は、小6です居間感想文をやっているとある本があって森のことなどが書いてあるんですが書き出しの文がどう書いていいのかわかりません誰か教えてください
今という字を間違えました
下書きはパソコンで書くようにして、まずいちばん書きたいことを先に書いて、どんどん進めていって、最後に手書きで清書する前に書き出しを決めるというような感じです。
書き出しで悩まないことです。
書き方が分からないです。教えてください。
どうがはありますか
これは、動画はありません。
ファンタジーが好きなのに、
なかなか書けません。
小6にして、読書感想文が初めてで・・・
まったくわかりません
電話で聞いてね。
今日までに読書感想文を終わらせないといけないんですが、
どうすればいいですか??
がんばってねー。
すごくいいと思います。
ありがとう。
中学校の課題で作文があったのですが、(読書感想文)とても参考になりました‼︎もう一つ課題で夢についての作文を書かなければいけないのですが参考になるものはありませんか?
お返事遅れて失礼。
名前が本名だったので、イニシアルに変えておきました。
「夢」は、中3の構成の仕方で書くとよいと思います。でも、まだその課題をやっていないので、受検コースの次のヒントを参考に。
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【やさしく書くのなら】
未来の話は、説明と感想だけになることが多いので、必ず過去のエピソードを入れること。そのエピソードも、できるだけ友達や他人との関わりのある話や、自分が何かをしたという話を書いていきましょう。
第一段落は、夢の説明。「私の夢は、船乗りになることだ。」
第二段落は、その夢を持つようになった過去の実例。「小学校のころ、船に乗った。そこで、こんな船を自分で操縦して世界を一周してみたいと思った。」
第三段落は、その夢を実現するためにどんなことをしてきたかという実例。「そのためには、英語を勉強する必要があると思い、毎朝ラジオ英会話を聴くことにした。これは今でも続いている。」
第四段落は、まとめ。「夢というものは人間にとって、生きる目標となるものだ。確かに、現実をしっかり見つめることも必要だが、私は夢を持って生きていきたい。」
【難しく書くのなら】
第一段落は、「大きな夢を持ちたい」
第二段落は、方法1。「そのためには、現実の問題を大きくとらえる力を持つことが大切だ。人は自分の力の範囲でしか問題を見つけることができない。まず、現実をしっかり学ぶことだ。例えば……。」
第三段落は、方法2。「また、現実に埋没しないことだ。いろいろなことを知れば知るほど、人間は臆病になる。現実に妥協しない勇気を持ち続けることが大切だ。例えば……。」
第四段落は、まとめ。「夢と現実は対立するものではなく。大きな夢を実現するために、深く現実と関わっていきたい」
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