以前、学力と年収の関係を調べた調査がありました。グラフはきれいに相関(比例)していました。しかし、これは、相関関係があるということであって、因果関係があるということでは必ずしもありません。
多くの人は、親の年収(A)が原因で、子供の学力(B)が結果だと考えていますが、実はその間に、A→C、C→Bという流れがあるのです。
このCを調べることが、今後の調査に求められることです。学力と年収の間に相関関係があるということがわかったところまでは、まだ物事の半面で、なぜそういう相関関係が生まれているのかを調べなければなりません。では、そのためには、どのような調査をしたらよいのでしょうか。
一つは、(1)年収は低いが学力が高いという子の調査です。もう一つは、(2)年収は高いが学力が低いという子の調査です。(1)がわかれば、(2)は補助的な調査になると思います。
私が考えている仮説は二つあります。
一つは、親から子への会話の量と質と楽しさが学力に関係しているのではないかということです。
もう一つは、それに加えて、読書の習慣が学力に関係しているのではないかということです。
年収と学力の相関関係が問題になってきたのは最近です。昔は、貧しい家庭から多くの優秀な子が生まれていました。逆に、裕福な家庭の子は、「売家と唐様で書く三代目」というような言われ方をされるようなことも多かったのです。
年収の少ない家庭は、昔も今も変わりなく存在します。問題は、その質が変わっていることです。
昔と今の社会環境の違いを考えると、次のことがわかります。
まず、親が貧しければ、子供の教育にお金をあまり使うことができません。これは、昔も今も変わりません。だから、これが学力格差の原因ではありません。
次に、親が貧しければ、余裕がなくなり、夕方子供とゆっくり接する時間がとれません。しかし、これは、一部は合っていますが、一部はそうではありません。豊かな家庭でも、親が多忙ということもあるからです。だから、これは学力格差の要因の一部だと思います。
第三は、勉強以外の生活時間です。これが、昔と今とでは大きく違っているのです。小学生のころは、生活時間の大半が遊びです。勉強時間は全体から見れば限られています。だから、
小学生のころは、勉強によって頭脳が成長するのではなく、勉強も遊びも含めた生活時間全体の中で、頭脳も身体も成長していきます。
昔の貧しい子供は、勉強以外の時間を、友達と遊ぶか親の仕事を手伝うかという形で過ごしていました。そして、友達や親から離れてひとりでいるときは、することがないので本を読んでいました。しかも、本の数自体が少ないので、同じ本を何度も繰り返し読むような読み方をしていました。だから、貧しい家庭でも、子供は自然に成長していったのです。
しかし、今は、そうではありません。子供が友達や親から離れてひとりでいるときは、テレビもビデオもゲームもインターネットもマンガも携帯電話も豊富にあります。これらのメディアに比べると読書は全く魅力がありません。
勉強以外の時間の過ごし方が、今と昔では大きく違っています。これが、学力格差の原因になっていると思います。
では、どうしたらよいのでしょうか。
第一は、親子の対話の時間を増やすことです。親が子供に話しかけることは、子供にとっては読書と同じ効果があります。
第二は、テレビやビデオやゲームやインターネットやマンガや携帯電話を一定の制限のもとで行うようにコントロールすることです。時間の制限でも回数の制限でも曜日の制限でもいいと思います。
しかし、親は、自分が子供のころに経験したことには対処できますが、自分が子供のころに経験しなかったことにはなかなか対処できません。ほとんどの家庭は、コントロールということをせずに、子供が小さいときは全面禁止に頼ろうとします。
全面禁止にすると、親も子供も試行錯誤の中で軌道修正しながら成長するということがないので、やがて子供が大きくなると自由放任になってしまいます。全面禁止と自由放任は、同じことの両面なのです。教育費に余裕のある家庭は、家庭内でコントロールできない分を、塾や習い事などの外部の機関に頼ることができます。しかし、それはもちろん真の対応ではありません。
第三は、家庭での読書の時間を確保することです。今は図書館などを利用すればたくさんの本を読むことができますが、必ずしもたくさん読むのがいいというのではありません。むしろ、同じ本を何度も繰り返し読む方が、子供の頭脳の成長にとってはプラスになります。その点では、本の数が少ない家庭の方が学力が上がる可能性が高いのです。
第四は、新しい方法ですが、暗唱の練習をすることです。言葉の森のHPに書いてあるやり方で900字の暗唱を練習すると、対話や読書と同じ効果があります。また、暗唱には、それ以上の効果もあります。
以上の勉強法は、もちろん年収の多い家庭にもあてはまります。
要するに、工夫の仕方さえわかれば、学力と年収などは何も関係なくなるのです。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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以前、言葉の森を体験学習だけをした小6の生徒のお母さん方から質問がありました。体験学習のときは、小6の子が、課題が難しくてよくわからないと不満を言ったので、そのままで終わってしまったそうです。
作文を書いているときにわからないことが出てきたら、すぐに教室にお電話をくだされば、追加の説明をできたと思います。
お母さんは、まだ言葉の森の勉強をさせたいと思っているそうです。というのは、
その小6の子が、算数の計算は中2のレベルまで進んでいるのですが、小5の文章題で解けないものがあるのだそうです。一度やると、答えは覚えてしまうのに、解き方がわからないというのです。
しかし、これは国語力の不足という程の大げさな話ではありません。そういう面ももちろんありますが、それよりも単に算数の考える問題ができていないというだけです。
中学生の勉強でいちばん差がつくのは数学です。そして、高校入試で差がつくのは、図形と文章題です。計算問題は、普通の計算力があれば十分です。しかし、
文章題が解けなければ、これから数学は苦手教科になってしまいます。
そこで、この小6の子の今後の勉強法をアドバイスしました。
まず、
教科書よりも少し難しいレベルの市販の問題集を1冊購入し、できなかった問題だけを反復して解くようにします。教科書の問題は易しすぎるので勉強になりません。
そして、その問題集のできなかった問題について、子供が自分で解法読んで理解します。解法を読んでも理解できなかったところだけ、親が一緒に解法を見て考えてあげます。
親が子供の勉強を見てあげるときに大事なことは、同じことを何度聞かれても決して怒らずに気長に同じように説明するということです。できなかった問題を一度で理解する子は、まずいません。
二度や三度ではなく、四度も五度も同じことを説明して初めてできるようになるのが普通です。
この、できなかったところの反復が数学の勉強の要ですが、この勉強は子供にとっては苦痛の多い勉強なので、なかなかひとりでは続きられません。そして塾でも、このような反復の勉強をするよりも、解ける問題と解けない問題を取り混ぜて次々と解いていく方が教えやすいので、子供ができなかった問題だけ反復するという勉強はなかなかしないのです。したがって、これは家庭でやっていく勉強になります。
英語の勉強については、教科書の暗唱です。1ページを20回から30回音読すると暗唱できるようになります。これも、家庭でなければなかなかできない勉強です。
国語については、高校入試の問題文を繰り返し読んでいくことです。これも、家庭でやる方が能率よくできる勉強です。
更に余裕があれば言葉の森で作文の勉強をしていくといいと思います。
つまり、中学生の勉強は、塾に行ってももちろんいいのですが、家庭で取り組む方がずっと密度濃く能率のよい勉強ができるのです。
この小6の子の下に小2の子がいるそうです。この子も今、算数の計算の勉強をしているそうです。
しかし、小学生で算数の先取りは不要です。その学年の算数が人並みにできていればそれで十分です。
その代わり、国語力だけは学年に関係なくつけておく必要があります。
国語力さえついていれば、数学や英語は、中学生や高校生になってやる気が出たときにいつでも上げることができるからです。
なぜこういうことが自信を持って言えるかというと、実際にそういう例をいくつも見ているからです。
小学校低学年から、算数の計算問題を学年より先取りしてやっている子供たちがいます。漢字の書き取りも学年より先にやっています。小学校高学年になると、英語の勉強も先取りします。
その一方、小学生のころは、本をよく読むだけで、算数は学校でだけ、漢字の書き取りも学校でだけ、英語はもちろんやらずに中学生になってから初めて教科書で勉強するという子供たちがいます。
その両者の子供たちを見ていると、小学生のころは勉強を先取りしている子供たちの方がよくできるように見えます。また、中学1年生の最初のころまでは英語を先取りしていた子の方が英語の成績が上です。しかし、中学2年生になる前に、英語の先取りの差はなくなってしまいます。そして、
高校生になると、勉強を先取りしていた子供たちよりも、読書が好きだった子供たちの方が、英語も数学も国語もぐんぐん成績が上がっていくのです。
小学生のころの勉強が無駄だというのではありません。小学生のときに勉強をすれば、そのときには確かに成果が上がります。しかし、その学力がそのまま中学、高校と自動的に続くわけではありません。
小学生のときに勉強の先取りしていた子供たちで、引き続き中学生や高校生になってもよくできる子がいます。しかし、それは、先取りしたからではなく、中学生や高校生になったときに努力したからです。
大事なのは先取りすることではなく、それぞれの学年でその学年にふさわしい勉強をすることです。そして、そのときに、いちばんの土台になるのが、対話と読書によってつけた国語力なのです。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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付箋読書をすると、読むスピードが上がります。また、読み始めるきっかけが作りやすくなります。そして、最後まで読み終えることが多くなります。つまり付箋読書は読書をしやすくする効果があります。
暗唱の木を使うと、暗唱を始めやすくなります。また、その暗唱を最後まで続けやすくなります。
同様に、構成図を書くと、作文が書きやすくなります。
付箋読書、暗唱の木、構成図という方法に共通するものは、フィードバック効果が働いているということです。
通常、人間の行動は、意志があってから行動が始まり、その結果を見て再び意志が強化されるという流れで進んでいきます。しかし、読書、暗唱、作文などは、結果が残りにくいという共通点があります。読書や暗唱は形として残らず、作文は形としての結果が出るまでに1時間ほどの時間がかかるからです。
ところが、付箋や暗唱の木や構成図を使うと、予測される結果が先に形のあるものとして表示されるので、それによって意志が強化され、行動が起こりやすくなり、その行動がまた結果として現れるというサイクルが成り立つようになります。
読書の場合は、「読書をする」という目的が、付箋という形によって、「貼る」という行動を引き出し、読書のしやすさを生み出します。
付箋読書をしていると、読んだ結果が形として残るので、つい一挙に最後まで読んでしまうようになります。そして、読み終えたあと、付箋を貼ってあるところを再読すれば、更に深い読み方ができます。
暗唱の場合は、「暗唱をする」という目的が、暗唱の木という形によって、「折りたたむ」という行動を引き出し、暗唱のしやすさを生み出します。タイマーで計る形だと、どのくらいまで読んだかという途中経過がわかりません。
暗唱の木を折っていると、「今、何回だから、あと何回ぐらいですらすら言えるようになるだろう」という見通しが立ちます。また、暗唱の木が形としての残るので、「今日で何日目だから、あと何日ぐらいで何字まで暗唱できるだろう」という見通しも立ちます。
作文の場合は、「作文を書く」という目的が、構成図という形を通して、「材料を並べる」という行動を引き出し、作文の書きやすさを生み出します。作文を書くときは、原稿用紙に直接本番として書くので、書き出すための気合いが必要になりますが、構成図は作文のシミュレーションなので気軽に書き出すことができます。そして、
構成図を書くことによって、自分の考えがはっきりしてくるので、作文に取りかかりやすくなります。
以上のように、ツールの本質をフィードバックを助けるものと考えると、勉強に使うツールのいろいろな可能性が見えてきます。
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通学教室で子供たちに付箋読書をさせています。
普通の読書では、一冊の本を読むのに数時間かかりますが、付箋読書は数十分で読み終えます。本の内容把握に関しても、自分が興味を持ったところは、どの子も確実に内容を読み取っています。
ところが、小学校1年生の子供のお母さんから相談がありました。「中身を読まずにただ付箋を貼っているだけのようだ」というのです。
しかし、これはこれでいいのです。
小学校1年生のころは、付箋を貼って読むスタイルが身につけばいいと割り切って考えておいてください。学年が上がり本格的な読書ができるようになれば、中身の伴う付箋読書ができるようになります。
それよりも大事なのは、早く本格的に読む力をつけることです。小学校1年生ではまだ本がすらすら読めないという段階の子も多いと思います。読書の嫌いな子は、本が面白くないからではなく、すらすら読めないから本が嫌いになっているだけです。
低学年の子に読む力をつけるためには、四つの方法があります。
第一は、普段の生活の対話の中で、長い文を使うということです。例えば「○○ちゃん、あれ取って」という言い方ではなく、「○○ちゃん、テレビの横にある箱を取って」とか、「○○ちゃん、先週スーパーで買ってきた、テレビの横にある青い箱をとって」というような言い方です。これは、準備の必要もなく、すぐにできることなので、きわめて簡単です。しかも、生活の必要性の中で出てくる言葉なので、子供もしっかりその内容を聞き取ろうとします。大事なことは、短い文をたくさん話すのではなく、一つの文を長くして話すということです。
第二は、易しくて面白い本をたくさん読むということです。その際、ひらがなだけの易しい絵本よりも、ルビのふってある漫画やゲーム攻略本のようなものの方が読む力がつきます。小学校の低学年のころは、漫画によっても読む力がつくのです。(高学年になると、そういうわけにはいきませんが)
対話の中で読む力をつける、面白い本を読んで読む力をつけるというのは、勉強の時間としてではなく、日常生活の時間として行えることなので、それだけ長く無理なく続けることができます。楽しく話して、楽しく読んでいるうちに、いつのまにか読む力がついていくというのが、低学年の理想的な勉強方法です。
第三は、もう少し勉強的なことで、本の読み聞かせをしていくということです。読み聞かせは、耳からの読書ですから、聞くことによって読む力がついていきます。読み聞かせによって、自分で読むことが億劫になるということはありません。読み聞かせによって読む力がついていくから、自分で読むことも楽にできるようになるのです。
第四は、暗唱です。読むのが苦手な子であっても、一つひとつの文字をゆっくり読ませて100字又は300字の暗唱をしていけば、スムーズに読む力がついていきます。
ただし、読むのが苦手な子に暗唱させるには、親の笑顔と褒め言葉が欠かせません。コツは、勉強のようにさせるのではなく、ゲームのようにさせるということです。それも、できなさそうなぎりぎりのところを目標にして、できるようにさせて大いに褒めるというやり方です。
このように読む力をつける一方で、毎週の付箋読書を続けていけば、やがて付箋読書も身のあるものになっていきます。
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貝原益軒は、「空によみ空にかく」という暗唱の仕方を提唱しました。文字どおり指で文字を空中になぞるような書き方で書いたのだと思います。
この「空にかく」というやり方を、作文指導に生かすことができます。というのは、段落や読点や文のつながり方など、読むことは普通に読めても、正しく書くことができないという子が多いからです。これは、読書好きな子が、漢字は読めるが必ずしもその漢字が書けないということと似ています。
900字の暗唱は、長さとしてはひとまとまりの文章です。600字以上の文章になると、一つのまとまりのある内容が書かれているという印象を受けるからです。
そこで、600字から900字の文章を丸ごと暗唱し、それを暗写する学習というものを考えました。暗写というのは造語で、元の文章を見ないで書き写すという意味です。
読む力は、書く力に支えられています。読む力が土台となってその上に書く力が成長します。しかし逆に、書く力は読む力を規定しています。英語でも、自分がいったん口に出した単語は言語として耳に入ると言われています。つまり、言葉として言った経験がないと、言葉として聞けないということです。日本語の文章も、自分で書いたあとに読みが深まります。つまり、書き手の立場を了解しながら読めるようになるということです。
しかし、書く練習が大事だといっても、自分の好きな文章書くだけでは、同じレベルからなかなか抜け出せません。そこで、いい文章を書き写す、それも見ながら書く視写ではなく、暗唱したものを書く暗写という形で書くという勉強を考えています。
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「……それ、フセンじゃなくてフーセンですけど」
読書は、再読によって、生きた知識になります。
しかし、ほとんどの人は、一度読んだらそれでおしまいという本の読み方をしています。それは、本に傍線を引いたり書き込みをしたりする習慣がないからです。これは本を汚すということに対する気持ちのブレーキがあるためです。もちろん、図書館から借りた本では、当然傍線や書き込みはできません。
そこで、言葉の森では、付箋読書という方法を考えました。付箋を貼りながら読んでいくというやり方は、傍線を引くよりもずっと手軽です。またフォトリーディングと組み合わせた付箋読書であれば、10分から20分で1冊の本を読み終えることができます。そして読み終えたあと、付箋の箇所を再読することができます。この再読できる点が付箋読書のいちばんの長所です
ところが、付箋読書には、付箋を貼って捨てるというのがもったいないという感覚がありました。そこで、はがせるスティックのりを使って自作の付箋用紙を作ってみました。A4用紙1枚で200から300の付箋ができます。これなら、使い捨てでももったいなくありません。
付箋読書は、付箋の部分を再読したあと、重要な本はさらに読書図にまとめることができます。この読書図というのはマインドマップのように本に沿ってまとめるものではありません。自分の関心に沿ってその本に書かれている内容や自分の感想を図示していきます。
本によって違いますが、1冊の本を読書図にまとめるのに30分から1時間かかります。ですから、すべての本を読書図にまとめる必要はありませんが、読書図まで書き上げた本は、1冊の本の中身が確実に自分のものになると思います。
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素読の反復による学習効果は歴史的にすでに実証されています。
しかし、理論的な裏付けがないので、音読や暗唱は、形式的、権威主義的なものになりがちでした。例えば、四書五経、憲法前文、平家物語、寿限無、枕草子などの暗唱は文化的な暗唱であって、決して教育的な暗唱ではありません。なぜならば、その暗唱によってどういう力がつくかということが明らかになっていないからです。
暗唱については、二つの理論が考えられます。
第一は、左脳の言語処理機構に流入する言語情報の多様性が増すことです。通常の文章の読み方では、入力される言葉は、目で見える範囲の数語のつながりだけです。ところが、暗唱では、目に見えないところから言葉を持ってくるのでその言葉が持つ意味の広がりが増えるのです。暗唱で入力される言葉は、主にイメージやメロディーを処理する右脳からやってくるので、言葉の持つ多様な意味がそのまま言語処理機構に流入してきます。このため、暗唱を続けていると発想が豊かになるのです。
第二は、同じ文章を反復することによって、神経細胞に入る情報が重複する機会が増えることです。重複した情報は強化されるので、反復によって定着度が高まります。これが、反復すればだれでもできるようになるという暗唱の方法論を支えています。
また、暗唱を繰り返していると、入力される情報が重複するだけでなく、ある神経細胞に情報が入力される直前にその神経細胞が発火するという状態が生じます。このことによって、入力情報を受け取る受容センサー自体が強化されます。この結果、短い文章を何度も反復することによって、物事の理解力そのものが高まるのです。
しかし、短い文章を単に覚える目的を超えて反復し続けるという勉強は、現代の社会では子供たちが飽きて実行することができません。そこで、言葉の森では、10分間で簡単にできる300字暗唱を進めつつ、記憶術のノウハウを身につける練習も兼ねてその300字暗唱を900字暗唱につなげていくというような勉強の仕方を考えています。
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