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記事 678番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
教育の骨格としての国語 as/678.html
森川林 2009/11/12 09:54 

 △教室のペット犬、名犬ユメ(7ヶ月)

 国語はいろいろな教科の一つとして考えられています。しかし本当は、国語はOS(オペレーティングシステム)のようなものです。このOSの土台の上に、様々なアプリケーションソフトとしての各教科があるという構造です。
 別の言い方で言えば、国語の本質は哲学です。哲学といっても、専門家が研究する哲学のような狭い意味の学問ではなく、ものの見方、感じ方、考え方の骨格を育てる学問としての哲学です。
 世間では、国語の勉強のこのような本質が誤解されているために、国語の勉強の目指すところがはっきりしていません。例えば、読解の勉強について言うと、物語文、説明文、意見文などの先に古文や漢文があるようなカリキュラムが組まれていることがあります。また、作文について言うと、やはり物語文、説明文、意見文の先にビジネスで使う文書などが位置づけられていることがあります。そうではなく、考える学問としての国語という原点をはっきりさせておく必要があります。

 学校で学ぶ教科の精選も、国語というOSを育てることを中心に行う必要があります。今の時代に役立つアプリケーションソフトは何かという視点で考えると、例えば金融の知識は役立つが漢文の知識は役立たないというような考えが出てきます。そうではなく、考えるための学力を育てる教育として何を優先させるのかということを考えていく必要があるのです。
 国語は、学問のOSとしての性格上、勉強の時間によってあまり差がつかないという特徴を持っています。国語の実力は、勉強の度合いよりも知的生活の度合いに比例しています。これに対して、英語や数学は勉強の度合いに比例しているので、点数の差が大きくなりやすいという特徴を持っています。このために、テストの中で利用しやすい教科として英語や数学のウェイトが高まっています。
 しかし、本当の学力の差は、国語力の差として表れます。その国語の実力を育てる方法を一言で言えば、難読と復読です。


(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)

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教育論文化論(255) 

記事 677番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
頭をよくする日本語を世界の共通語に as/677.html
森川林 2009/11/10 21:21 

 △11月3日文化の日の朝

 未来の世界における日本の役割を考えると、次のようなことがわかります。第一に、軍事力ではアメリカがトップの位置を占め続けるでしょう。第二に、経済力では、工業生産の分野での覇権は次第に中国やインドに移行するでしょう。また、金融の分野では、欧米に一日の長があるという状態が今後も続くでしょう。
 このような中で日本が優位に立てる分野は、知力、技術力、精神力など文化力といわれるもので、この文化力が政治力や経済力に波及する未来というものを考えることができます。

 日本文化のすぐれている点としてよく取り上げられるものに次のようなものがあります。江戸時代の識字率は当時の世界の最高水準の70-80%を達成していました。戦後、世界でもまれな一億総中流化という経済文化状況が生まれました。現在、格差は拡大したと言われながら大衆の知的水準の高さは世界の中でも際立っています。それは例えば、ごみ収集の方法の徹底などというところに表れています。また、世界の先進国の中で最も治安がよいというのも日本の長所としてよく言われるところです。一言で言えば、すぐれた庶民、一般大衆がいるというのが日本文化の特徴なのです。

 この原因は、実は日本語にあります。よく言われる例ですが、日本語の特徴として左脳で自然の音を聞くということが挙げられます。このため日本語では擬声語や擬態語が発達し、自然を人間化して見るという見方が生まれました。この自然の人間化が、自然との一体感や自然を大切にする気持ちを生み出したと考えられます。
 しかしそれ以上に大事なのが、漢字とかなが混在している日本語という特徴です。漢字が表意文字で主に絵として描けるような名詞を表すのに対し、かなは表音文字で主に動きや関係を示す助詞や助動詞を表すという役割分担が日本語では自然に行われています。
 このことは一方では、日本語の複雑さの大きな要因になっています。一つの言葉に音読みと訓読みの両方があり、その音読みと訓読みにもまた多様な読み方があります。例えば「下」という一つの文字でも、「か」「げ」「した」「しも」「さ(がる)」など多くの読み方があります。しかし、他方では、この漢字かな混じりで多様な音読み訓読みという性格が、あとに述べるように日本語のすぐれた特徴にもなっているのです。

 世界中のほとんどの言語は、英語に代表されるような表音文字の言語です。表音文字では、言葉が意味を示さないので、視覚の助けを借りて一目で理解するというようなことが得意ではありません。そのため、表音文字では論理の展開で物事を理解するという方法が主流になりました。
 欧米流の三段論法では、A→BでB→CならばA→Cである、という理解の仕方をします。しかし、視覚の助けを借りられる表意文字の日本語では、A即Cというような見方を一瞬ですることができます。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)というような言い方は、日本人ならば、その意見に対する同意不同意を別にすればそのまま理解することができます。しかし、表音文字の欧米人は、その意見に対して「WHY」という質問をするでしょう。
 デカルトは、「我思う故に我あり」と言いました。葉隠の著者は、「武士道とは」に「WHY」と聞かれても途方に暮れるでしょう。「見つけたり」と言っているものに「WHY」と聞かれても答えようがないからです。しかし、デカルトは、「我思う」に「WHY」と聞かれれば、その理由をこと細かに説明したはずです。その説明が「方法序説」という著書でもあったのです。
 物事を論理の展開を通してでなければ理解できない表音文字に対して、表意文字は物事を視覚的、空間的に一目で理解するという長所を持っています。これが、日本人が、理解力の点で欧米人よりもすぐれていたという一つの背景になっていたのです。
 更に、世界の他の言語に比べて音素数が少ない日本語は同音異義語が多く、耳で話を聞いているときでも常に視覚的に言葉を思い浮かべなければなりません。それが日本人の視覚的発想の訓練にもなりました。言葉そのものではなく、思いやりや察し合いという文脈の中で言葉を理解することが得意なのも、この日本語の特徴によるものだと考えられます。

 では、表意文字の本家である中国語はどうなのでしょうか。中国語は、全部が漢字なので、かなのような表音文字のある日本語に比べて漢字を操作しにくいという面があります。日本語では、助詞や助動詞のかながニュアンスの違いを表します。「国破れて山河あり」は、中国語では「国破山河在」です。これをもっと日本語的に言うならば、「国は破れてしまって山河がある」と詠嘆調に言うこともできますし、「国が破れても山河はある」と意志的に言うこともできます。日本語が、かなという水の上に漢字というタイルを浮かべているような水性の言語だとすると、中国語は、漢字のタイルがびっしりと敷き詰められた土性の言語だと言うことができます。このため、中国語はタイルを操作することが難しく、自由な発想を広げることが日本語に比べて行いにくいのです。このことは、中国語でダジャレというものがあまりないというところにも表れています。日本語は、全部が表意文字の中国語語に比べると、想像力に富んでいるということが特徴になっているのです。
 日本語は、すべてが表意文字の欧米語に比べると理解力の点ですぐれていて、すべて表意文字の中国語に比べると想像力の点ですぐれている。これがこれまでだれも指摘しなかった日本語の秘密です。
 理解力と想像力ですぐれているという日本語の特徴は、逆に言えば、漢字かなまじり文という複雑さと裏腹の関係にあります。漢字かなまじりの複雑さをわかりやすく整理して、日本語を世界の人にとって学びやすい言語にすれば、それは、世界の文化にとって大きな朗報となるに違いありません。


(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)

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パソコン入力から手書きの時代へ as/676.html
森川林 2009/11/09 22:11 


 言葉の森の通学の小学校5年生以上の生徒は、もう何年も前からほぼ全員がパソコンで作文を書いています。また、通信でも、かなりの生徒がパソコンで作文を書くようになりました。
 しかし、次に来るのは、新しい手書きの時代だと思います。それはなぜでしょうか。最大の理由は、手書きの方が、文章と人間が一体化しているからです。書く内容が高度で微妙になるほど、その差ははっきりしてきます。
 パソコン入力の一番の問題点は、変換する必要があることです。それが、道具と人間の間に隙間を生み出します。理想の道具は、身体と一体化したものでなければなりません。
 もう一つの理由は、パソコン入力は1次元が中心になっていることです。それに対して手書きは2次元です。つまり、構成図を書くような図形的な書き方も手書きであればそのまま対応できます。
 第三の理由は、手書きは、アナログ的なところに個性が出せるということです。
 確かに、文章には、読む人を意識した読みやすさという要素もあります。パソコン入力の最大の利点は、デジタル化されたテキストという普遍性を持っているということです。この普遍性の故に、編集が可能になり、他人との共有が可能になり、検索が可能になっています。
 では、将来手書きはどういう方向に進んでいくのでしょうか。一つは草書のような速書きの方向です。もう一つは、OCR化しやすい文字の書き方という方向です。
 未来のOCRは文脈解析能力を持つので、手書きの草書体の文字もすぐに活字化されるというようになっていくと思われます。


(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)

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作文教育(134) 

記事 675番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
技術の教育から心の教育へ as/675.html
森川林 2009/11/08 21:15 


 作文指導は従来、主観的感覚的に行われている面が強くありました。例えば、指導や評価の方法でも、「自分らしく」「心をこめて」「深く考えて」などというあいまいな言葉がよく使われていました。

 それに対して言葉の森は、客観的合理的な作文指導を心がけててきました。その指導の技術が、一段落しつつある今、改めて心の教育に取り組む必要があると考えています。


 作文に限らずあらゆる教育に言えることですが、同じように教えても、生徒の出来不出来というものは常にあります。先生は、それをやむを得ないことと考えて点数をつけます。同じように教えても、90点の子もいれば、60点の子もいれば、30点の子もいます。

 教育を技術的なものと考えると、人間の能力には差があることは当然のように見えます。確かに、2、3年あるいは4、5年という短い期間で言えば、能力の差はすぐには埋まるようには思えません。


 しかし、20年、30年、あるいはもっと長い期間を考えてみると、どの子もいつか自分の人生で100点をつけられるようなときが来ます。小学生のときに30点しかとれなかったことも、その100点の一部になるような時期が来るのです。

 その可能性に確信を持つことが、心の教育です。それは、生徒が学ぶことを当然の前提として点数をつける教育ではなく、何のために学ぶのか、あるいは何のために教えるのかを常に自問する教育でもあると思います。

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教育論文化論(255) 

記事 674番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
国語力をつける問題集読書の方法 as/674.html
森川林 2009/11/07 21:27 


 よく「国語の成績を上げるにはどうすればいいのですか」と聞く人に、問題集の問題文を繰り返し読む問題集読書の方法を説明してきました。しかし、この方法を実行できる人はあまり多くいませんでした。単純すぎて物足りない勉強法だからです。また、成果が形として残らない勉強でもあるからです。
 やったあとが形に残らないので、始めてはみたものの結局しばらくやって飽きてしまい、続かなくなってしまいます。そして、問題集を解くような形に残る勉強をしてしまうのです。
 問題集を解く勉強がよくないわけではありません。しかし、解く勉強は時間がかかります。問題集を解く時間をただ読むだけの時間にあてれば、5倍から10倍も勉強がはかどります。

 そこで手順をもっとわかりやすくして、先生のチェックが入る方法にすれば、この問題集読書も実行しやすいのではないかと考えました。
 方法は、まず昨年の全国の入試問題集を買ってもらいます。国語という教科は英語、数学などの他の教科と違って、高校1年生でも大学入試の問題文を読むことができます。同様に、中学1年生でも高校入試の問題文を読むことができ、小学校5年生でも中学入試の問題文を読むことができます。
 用意した問題集をまずバラバラにします。これは1冊丸ごとのまま利用すると、結局問題集が重くて持ち運べないからです。その結果、問題集を家に置いていくことになります。すると、勉強の方法は本人任せになり、実行できなくなってしまいます。
 買ってきた問題集を1ページごとバラバラにして、それを3枚ぐらいにまとめてホッチキスなどでとじます。3枚の中には、だいたい2、3編の問題文が載っているので、全部黙読で読むと10分ぐらいかかります。毎日10分読んで1週間読んだ分を教室に持ってきます。(通信の場合は、別のやり方になります)。先生が検印を押して返却します。そして、1年間の間にどのページも4回以上繰り返して読むといいう仕組みにしていきます。(まとめるのは1日3枚でなく、1週間20枚という形でもかまいません)
 文章を読むときに大事なことは、面白いところ、よくわかったところに線を引くことです。
 そして、線を引きながら読むだけでなく、その読んだ文章の中の一つを選んで、4行で感想を書くという練習をすれば更に深い読み方ができます。通信の場合は、この4行の感想を提出するという形にすることができます。
 小学4年生までの生徒は、入試問題の問題集読書をするのではなく、普通の読書をしていきます。この読書は、付箋をはりながらの読書で、読み終えたあとにやはり4行で感想を書きます。先生には、その感想を提出するという形になります。
 現在、通信でも実行きる方法を考えているところです。

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記事 673番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
反復学習の問題点と対策(漫画版) as/673.html
森川林 2009/11/04 14:50 
 反復学習が問題になるのは、それがまだ不徹底のときと、反復そのものが自己目的化してしまうときです。
 消化された反復学習は、知識が自分の手足のように自然に使えるようになるという点で理解や思考の土台となります。
 しかし、言葉と体験に関しては、言葉が先行しすぎないように常に豊かな体験で言葉を補っていく必要があります。

お菓子を分ける


さわやかな朝

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教育論文化論(255) 

記事 672番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
思考力を育てる暗唱 as/672.html
森川林 2009/11/01 22:06 


 記憶や反復や音読や暗唱が、理解や思考と相反するという考えに多くの人がとらわれています。例えば、丸暗記という言葉には、自分で考えない、表面的な知識だけ、というニュアンスがあります。暗唱も、この丸暗記と同じようなものだと多くの人が考えていると思います。

 しかし、記憶が、思考に対して弊害になるのは、その記憶が徹底していないときです。つまり生兵法の記憶、一夜漬けの記憶のときに記憶が弊害になるのです。消化され自分のものになった記憶は、思考を深める役割があります。

 例えば、九九というものを考えてみるとわかるように、ほとんどの人は、九九を消化しているので弊害というものを感じません。しかし、九九を覚えかけているときは、九九を使うことによって実感よりも劣る面が出ていたこともあったはずです。

 同様に、言葉も、覚えかけのときの言葉は、実感よりも劣る面があります。未消化の言葉によって、体験がかえって浅くなる時期があるのです。しかし、言葉が消化されたあとは、体験は言葉によって深くなります。


 暗唱は、言葉による物の見方感じ方考え方を蓄積することです。

 しかしもちろん、暗唱以外にも、言葉を蓄積する方法はあります。例えば、たくさんの話を聞くこと、たくさんの本を読むことです。多くの話を聞いたり多くの本を読んだりすることによって同じ文章に触れる機会を増やすことができます。つまり、同じ文章や同じ文脈に何度も触れることによって、理解するための言葉が表現するための言葉になっていくのです。

 この表現語彙と理解語彙には、大きな違いがあります。例えば、英語を読む力を10とすると、ほとんどの人の英語を書く力は1程度のはずです。誰でも名作を読んで感動することができますが、同じような名作を書ける人はほとんどいません。理解語彙のレベルと表現語彙のレベルは大きく異なるのです。


 消化された表現語彙を蓄積する方法として、日本人は暗唱というやり方があることを知っていました。九九、百人一首、いろはガルタ、素読などは、日本人が開発した教育の方法でした。

 しかし、この百人一首などに見られるような記憶反復の伝統は、戦後急速に失われ、それまでの記憶や反復の学習に取って代わったものは理解と思考の教育でした。ところが、理解と思考の教育は、能率の悪い一斉指導に結びついていたために基礎学力の低下を生み出しました。その学力低下に対する批判として、公文式や100ます計算のような記憶反復の方法が登場したのです。しかし、新しい記憶反復の方法は歴史が浅かったために、その方法が万能であるかのような行き過ぎも生み出しました。

 この記憶反復の方法と理解思考の方法を統合するのが、読書、作文、暗唱を結びつけた学習になると思います。言葉の森の学習ですが(笑)。

 さて、暗唱の本当の目的は、実は記憶ではありません。勉強を進めるための方便として覚えることを目標としていますが、覚えることそのものは決して重要なことではないのです。記憶力を高めることや記憶量を増やすことは、暗唱の副産物にすぎません。

 世間には、暗記や暗唱というものを、役立つ知識や文化的な伝統に結びつける傾向があります。例えば、「○○の首都は□□」というような知識を増やすような暗記や、平家物語や枕草子の一部を覚えるような暗唱です。むしろ暗唱を表現語彙として役立てようとするのであれば、自分がこれから書く作文に結びつくような現代文の事実文、説明文、意見文を中心に暗唱していく必要があります。

 しかし、こういうことよりも、暗唱の真の目的は、反復練習によって物事を把握する力をつけることだと思います。塙保己一が般若心経の約300字を毎日100回ずつ1000日間暗唱し、しかも晩年にいたるまで折に触れて暗唱を続けたということを見てもわかるように、宗教的な面を抜きにすれば、これが決して単なる記憶の練習だったとは考えられません。将来この暗唱の仕組みが脳科学的に解明されるようになると思いますが、当面は暗唱の目的は、記憶よりも理解や思考の方にあると考えておくことが大事です。事実、大人の人が暗唱を始めると、記憶力がよくなるということよりも、発想が豊かになるという感覚を持つことが多いと思います。

 ただし、どの学習にもバランスは必要です。言語と経験の間にもバランスというものがあります。ルソーは、子供時代に本を読みすぎて自分が言語先行型の人間になったことの反省から、自然教育の「エミール」を書きました。体験が伴わない時期に言語を吸収しすぎると、やはりバランスが崩れる場合があります。もちろん体験ばかり広がって言語が伴わない生活はあまり人間的とは言えませんが、言語が経験よりも大きくなることもやはり人間的な成長とは言えません。

 言葉の森の暗唱の自習は1日10分ですから、このようなアンバランスを生み出す心配はありませんが、日常生活の心がけとして、言語的な学習と並行して家の仕事の手伝いなどの経験の時間を増やしていくことは大事なことだと思います。

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暗唱(121) 

記事 671番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/23
「絶対学力」と言葉の森の指導 as/671.html
森川林 2009/10/31 13:11 


 「12歳までに『絶対学力』を育てる学習法」という本があります。本の内容は、基本的に賛同できます。例えば、高速計算のような単純な作業ではなく考える勉強を、テレビのニュースはできるだけ見ない、絵をかいてイメージで考える、などです。
 しかし、音読や暗唱も、高速単純計算と同じ扱いで書かれていたので、この本の内容について一言説明を書いておきたいと思います。

 まず第一に、高速計算の批判の対象となっている公文式や百ます計算についてです。
 公文式や百ます計算などの勉強法は、歴史的な意味があって登場しました。それは、理解教育(個性教育)の行き過ぎに対する反省です。理解教育の偏重によって基礎となる技能が習得できてない子供たちに対して、習熟教育(模倣教育)を提案したという意義が公文式や百ます計算などの教育にはあります。しかし、それがその後、行き過ぎてきたのです。
 ところが、習熟教育を否定して理解教育を優先するだけでは、また同じような過去の歴史に戻るおそれがあります。
 習熟と理解を対立させるのではなく、理解のための習熟という考えをしていく必要があります。

 インド式九九なども習熟教育です。しかし、インド人に数学の得意な人が多いというのは多くの人の認めるところです。それは、インドの長い伝統の中で、習熟が自己目的化しない形で教育が行われているからです。
 もし、インド式九九という習熟教育が自己目的化すると、例えば次のような競争になるでしょう。「うちは、20×20までの九九ができる」「それならこっちは30×30だ」「こちらは10分で九九が言える」「では、うちは5分で言ってみせる」など。
 このような競争の仕方が、習熟自体の自己目的化です。高速教育は、高速が目的化しがちですが、それは伝統が浅いからです。これからは節度のある習熟教育が理解教育と共存するようになると思います。

 第二に、一律反復の教育ではなく、個別理解の教育の重要性ということを著者は述べています。しかし、この発想は、先生の力量に左右される教育で能率が悪くなる面があるのです。
 個別理解教育は、人のコストがかかります。それに対して一律反復の教育は教材のコストがかかるだけなので、能率を上げる工夫をすることができます。
 能率が悪い個別理解教育は、一斉指導になりやすいという矛盾を抱えています。つまり、学年別、能力別のクラス編成にして一斉に教えるような形でないと、多くの生徒を個別理解教育で教えることができないのです。それがこれまでの学校の一斉指導でした。この一斉指導に限界があったために、教材で個別化を図るという一律反復の教育が出ててきたのです。
 江戸時代の寺子屋教育も、一律反復の教育という形を取っていました。だから、世界でも類を見ないほど教育を普及させることができました。
 今後求められるのは、一律反復の教育を土台にした個別理解教育という、両方の教育の長所を統合する発想です。それが言葉の森の指導だとまでは、まだ言いませんが。(^^ゞ

 第三に、著者は、スポーツや音楽では反復は大事だが、勉強では反復は思考力を損なうと述べています。
 しかし、これに対して、言葉の森では、言語に関する技能はスポーツや音楽と同じだといつも述べています。言語、つまり語彙や文章を身につけることが、自分で考えるための材料になり土台になります。そのために必要な一つの方法が反復です。
 反復教育が問題になるのは、バラバラになった死んだ知識や語彙を蓄積することが目的になってしまう場合です。例えば、作者名と作品名をつなげるような知識、漢字の書き取りの知識、ことわざの知識など、要するにクイズ的な知識というものは、そのためにわざわざ長い時間を割けて覚えるようなものではありません。
 これらの知識をバラバラの知識ではなく、文章の文脈の中で理解するというのが大事です。例えば、漢字の場合でも、文章の中で漢字を書いたり読んだりする、ことわざでも文章の中でことわざを読んだり書いたりする、という勉強の仕方が大事なのです。しかし、文章が大事だといっても、それを読んで理解するだけでは勉強の内容として不十分です。そこで言葉の森では文章を自分の血や肉として身につける暗唱の指導を取り入れるようにしているのです

 第四に、言葉で考えるのではなくイメージで考える、ということ著者は述べています。しかし、こういう考え方自体が言葉でなければ考えにくいように、物事が高度になると、イメージよりも言葉の重要性が増してきます。
 犬や猫もある意味でイメージで考えています。イメージで考えるのが効果的なのは、考える対象が具象的な時期の間です。例えば、算数の文章題で、「ドングリの数の2倍のクリがあり、クリよりも3つ少ないリンゴがありました」などという文章のときはいいのです。作文で言えば、「今日の朝ご飯」というような生活作文は絵になります。絵をかけばそれがそのまま文章になる時期の作文としてはこれで十分なのですが、小学校高学年からの考える作文になったときには、絵にはかけない話が増えてきます。ここでやはり言葉の力というものが必要になってくるのです。
 
 (この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)


 著書の糸山氏より、この記事に対する反論をいただきましたので、併せてご紹介します。2009/11/4
http://homepage.mac.com/donguriclub/kotobanomori.html
 貴重なご意見ありがとうございました。


 その後、言葉の森とどんぐり倶楽部の勉強法の比較について読者の方からご質問をいただきましたので追加します。2010/1/19

 上記の紹介ページに書かれている批判は、論点があまり整理されていないように思いました。
 ですから、ここでは特に返事を書かず、言葉の森のホームページで「反復教育と理解教育」についての記事を追加しました。
https://www.mori7.com/index.php?e=742

この記事に関するコメント
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糸山泰造 20091103  
「どんぐり倶楽部」の糸山です。
●ご参照下さい。
http://homepage.mac.com/donguriclub/kotobanomori.html

森川林 20091104  
 参照ページをありがとうございました。
 こちらで誤解しているところがあるかもしれませんので、あとでよく読んでお返事を書かせていただきます。

森川林 20100118  
 あとでお返事をと思っていましたが、上記の参照ページの批判内容があまり整理されていないので、そのままにしました。(^^ゞ

 いずれ機会を見て「反復教育と理解教育」について書いておきたいと思います。

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手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
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●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
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●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
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