先日、ホームページの記事で問題集読書のことを書きました。何人かの方からそのやり方についての問合せがありましたので、より詳しく書きたいと思います。
まず、問題集読書の意義は、三つあります。一つは、難読、つまり難しい文章を読む機会を増やすということです。もう一つは、復読、つまりその難しい文章を何度も繰り返して読む機会を作るということです。そして最後は、時代性、つまり現代という時代の思潮を知るということです。
この時代性ということについて言うと、国語の問題は社会の問題よりも時代の風潮をよく反映しています。例えば、これまでは地球温暖化がよく国語の問題に取り上げられていましたが、今は地球温暖化のデータそのものに疑問が投げかけられています。あと数年もすると、地球温暖化や二酸化炭素の問題はもう国語の問題としては出てこなくなるかもしれません。
同じように、私が学生のころは、丸山真男の日本ダメ論が流行していました。しかし、その後、そのダメと思われていたところが実は日本の長所だったのだという論議が出てきました。そのうち、またしばらくすると、その日本の長所と思われていたところが実は欠点だったのだという話が出てくるかもしれません。
大学入試の国語問題を読んでいると、新聞やテレビにはあまり出てこない文化の流れというものが感じられます。
問題集読書の方法は、まず問題集を分解するところから始まります。全国の入試問題1年間分というのはかなり分厚いので、そのまま読もうとすると、本棚から出すたびに「どっこいしょ」と言わなければならないからです。
その分解した問題集を、40ページぐらいずつまとめてきれいな表紙をつけてホッチキスで止めます。この40ページが1週間分で、毎日6ページぐらいを目安に読んでいきます。読みながら、印象に残ったところに傍線を引きます。傍線でなく付箋をつける方法でもかまいません。
言葉の森の通学教室では、その付箋をつけたところを参考にしながら四行詩で感想を書くようにしています。読書ノートを1冊用意して、毎日四行詩を書いていくのです。四行詩ということがピンと来ない場合は、四行の引用や感想でもかまいません。
問題集読書について、ときどき質問を受けることがあります。
「天声人語のようなコラムを読むのはどうですか」と聞かれることがあります。天声人語は、難読というには軽すぎます。
「要約するのはどうですか」という質問もあります。要約をしてもかまいませんが、面倒なことは長続きしません。時間をかけずに気楽に毎日続けられるものの方がいいのです。
「なぜ問題を解かないのですか」という質問もよくあります。問題を解こうとすると、ただ読むだけのときよりも数倍の時間がかかります。そして、その結果○がついた問題は、もともとやらなくてもできた問題ですから解いただけ時間の無駄だったわけです。また、×がついた問題は解答を見てもできるようにはなりませんから、やはり解いただけ時間の無駄だったことになります。
問題の解き方には、実はコツがあります。そのコツは、正しいものを選ぶのではなく、正しくないものを選ばないで残ったものを選ぶということです。この方法は、一般論として説明してもなかなかできるようにはなりませんが、実際にその子の解いた国語問題をもう一度解きなおしながら説明すると、だれでも1時間ぐらいですぐに理解できます。その結果、高校生でも一挙に点数が上がるということがよくあります。
しかし、その点数が上がるのは、その子の実力のところまでです。だから、普段の国語の勉強は、解き方のコツのようなことはする必要がなく、ただ実力をつけるための勉強に徹していればいいのです。その実力をつける勉強法が読む勉強です。
言葉の森の通学教室では、今、長文暗唱と付箋読書(問題集読書を含む)を組み合わせた自習をしています。昔の言葉の森の自習は、音読と読書でした。音読と読書は、真面目にやっていれば必ず実力がつきますが、音読と読書という方法自体に外から見てチェックする仕組みがないので、どうしても言葉かけだけで終わりがちだという面がありました。今、暗唱や付箋読書をしている子供たちは、今後確実に力をつけていくと思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
早稲田大学政経学部の総合選抜入試に合格した高3のYさんが、合格体験記を書いてくれました。
私は、言葉の森で11年間勉強を続けてきました。私が言葉の森を始めたのは、小学1年生のときです。母に連れられて来た教室で、初めて書いた作文を先生に見せたとき、その日見た夢の話を書いた支離滅裂な文章にも関わらず、「面白いね」と褒めてくださいました。これが、私が11年間作文を書き続ける原動力になりました。
言葉の森の良さは、まず何よりも、とにかく褒めてくれることだと思います。
小学校高学年になると、自由な題名ではなく、長文の感想文を書く課題に変わりました。毎日音読する長文を理解し、考え、文章にすることは決して簡単なことではありません。最初は字数もなかなか書けずにはがゆい思いもしましたが、言葉の森の先生方の指導のおかげで次第に書けるようになりました。
長文音読や暗唱は、私の場合、毎日できたわけではありません。むしろサボってしまうことが多く、先生からの電話がかかってくる前に慌てて読むなどということもよくありました。それでも言葉の森の教材に載っていた長文はとても強く印象に残っており、様々な文章に触れることで、自分自身の興味関心の幅を広げ、考える力を養うことができたと思います。
私が受けた早稲田大学政治経済学部の総合選抜入試では、一次試験で英語、国語それぞれ2時間の論述試験がありました。1題の長文を読み、それに関する問いに英語、または日本語で答える論述形式の試験です。
私は私立文系の一般入試の勉強を主にしていたので、総合選抜入試には十分な対策を立てて臨んだわけではありませんでしたが、言葉の森で鍛えた文章力が私を助けてくれました。
試験会場には、これまで言葉の森で書いた自分の作文のコピーを持っていき、休み時間に眺めていました。自分が毎週、考えをめぐらし背伸びをして書いた文章は、どんな素晴らしい参考書よりも私に自信を与えてくれました。
言葉の森で学んだ勉強は、入試だけに役立ったわけではありません。学校での読書感想文の課題や、授業で書かされる小論文、また国語の試験においても、自分の頭で考え、文章を書けるということは、何よりも自分の強みになりました。
(※この生徒は読書感想文コンクールなどにもよく入選していました。言葉の森)
文章力は、英単語を覚えるように暗記でどうにかなるわけではありませんし、小手先のテクニックですぐ身につくものでもありません。私は、週に一度、自分の頭で考え文章を書くということの積み重ねによって、文章力を鍛え、自分自身を成長させることができたと思います。
言葉の森のいちばんの良さは、楽しく勉強できるところです。言葉の森で書いた作文はどんなアルバムよりも、私自身の成長の記録となり、言葉の森で身につけた力は、これからの私の人生においても、大きな支えになっていくと思います。
(※同学部には、このほかに言葉の森のもう一人の元生徒も合格しています。)